佐藤ひとしが目指す 場づくり つながりづくり 人づくり

これまでもニュースレターなどで、「まちづくりには市民一人ひとりが社会に関わろうとする意欲(社会人基礎力)が必要」と書いてきました。

その思いは、私自身の原体験により培われてきたものです。

これまでの経験の中で、社会に関わるコンセプトとして「場」と    「つながり」と「個の尊重(多様性)」が大事であることに気づき、    そのコンセプトは議員となった今でも私の活動の主軸となっています。

自分の歩みを振り返り、そのコンセプトがどのような中で生まれたか、そして、議会の現実とそれをどう改革していくかの展望を皆さんと共有したいと思います。さらに詳しい内容は、HPをご覧ください。

地域における思い出深い原体験はありますか?

私は昭和34(1959)年、伊勢湾台風の年の1月に生まれ、伊勢湾台風からの復興とともに育ってきたと思っています。

直後の避難生活の記憶はありませんが、 私の子どもの頃は水害は身近な話題でした。

伊勢湾台風後、途絶えていた村祭の獅子舞が約12年ぶりに復活した時に子役(三番叟:さんばそう)を拝命したのは、思い出深い 原体験です。

各家庭で子どもの成長過程を大事に祝うだけでなく、地域全体の年中行事などで     地域の子どもの成長を見守る気持ちと仕組みがある中で育ってきたのかなあと思っています。

中学3年生になると「おじぞうさん(地蔵盆)」という    村の行事を取り仕切る役割を担います。

さらに青年になると獅子舞(男獅子)を担い、若者が地域の役割を果たします。地域に埋め込まれた社会デビューの仕組みになっていると思います。

小中学校の経験の中で今につながる学びはありましたか?

昭和40年代の海部郡の小中学校では、詰め込み教育ではなく、   小グループによる徹底的な話し合いを重視する学習に取り組んでいました。

先生達の見守りと、教室内外での児童生徒同士の切磋琢磨の中で、自分たちが社会を変えていくんだという主体的な気持ちを育むことができました。

小中学時代は、高度経済成長と公害の時代。社会的な関心は?

1960~70年代に2回起きたオイルショックでは石油資源が将来的には 枯渇し環境は有限なことを知り、社会や環境に強い危機感を持ちました。

41年前の1992年の「地球環境サミット」では、セヴァン・  スズキさんという当時12歳の  子どもが、環境活動団体を代表したスピーチの中で「どうやって直すのか分からないものを、こわし続けるのはもうやめてください」と述べました。

高校時代に夢中になったことは? そこで得た学びは?

津島高校ワンダーフォーゲル同好会に入り、山や川、自然の中を歩き回り、自然環境の大切さを感じました。環境問題が大きな社会的関心となり、将来は環境に関する仕事をしたいと思ったことが、林学科を    目指した動機となりました。

三重大学ワンダーフォーゲル部では、「チームワークで安全に山行を遂行する仕組み」を学びました。サブリーダーは先頭に立ちルートを  見つけたりペース配分をする先導役です。次に続くのは、最も体力のないリスクの高いメンバーでその人に合わせてペースを調整し全体の    安全を確保します。体力のない人から順に歩き、リーダーは、        一番最後を歩き、メンバー全員のコンディションやサブリーダーの  ルート選定が間違っていないか大局的な目で見ていきます。

何日も寝食を共にするわけですから、お互いの個性と役割分担が自然に見えてきます。

ときにはぶつかり合いながら 調整をしていかなければリスクを回避して安全で快適な山行をすることはできません。

仕事の上でも市民活動でも大切なチームワークを身をもって学びました。

林学科の学びで印象的なものは何ですか?

生物や物質が循環する(つながる)ことで生態系を維持するという考え方「エコシステム」や村で共同で所有し、共同で利用し、共同で管理している共有地(コモンズ、 入会林)を学問を通して学びました。

この当時の最新の概念と出合うことにより、

「場」と「つながり」と「個の尊重(多様性)」が、社会との関わりにおいて、 はずせない基本概念だと  強く認識しました。

このことは今でも大切にしています。

公務員(名古屋市職員)となった最初の印象は?

昭和56(1981)年、行政職(造園技術者)として名古屋市役所に就職しました。下記宣誓文は市役所で最初に行った宣誓で、一生胸に刻むことを誓いました。

私はここに、主権が国民に存することを認める日本国憲法を尊重し、かつ、       擁護することを固く誓います。私は、地方自治の本旨を体するとともに、           公務を民主的かつ能率的に運営すべき責務を深く自覚し、全体の奉仕者として誠実かつ公正に職務を遂行することを固く誓います。

実際の仕事で市民との関係性をどのように取ってきたの?

当時は「公園(公共施設)は市役所のもの」…行政にも市民にもその    意識が強かった時代でした。しかし、現場での体験から、地域の公園は、  住民参加で管理、利用するものだと気づき、市民専門家集団でもある      雑木林研究会に参加して学びながら、住民参加の仕掛けづくりに力を      尽くしてきました。

「公務員は市民が活躍するための影の事務局」。

この立ち位置で市民活動と行政をつなぎました。

弥富でどのような暮らしをしていきたいですか?

地球の温暖化、資源の有限性の中で漫然と座して待つのではなく、       不都合な真実を認識して、地球全体を俯瞰し、弥富という恵まれた地で   「土に根差した」生活、確かな未来に向かって持続可能な生活をしていくことです。そのためには、環境に配慮した無理や無駄のない暮らしと人を思いやることが大切だと思います。

家族や親友を大切にする気持ちを広げて、世の中の人を分け隔てせず、周囲の人との良い絆をしっかり  結び、悲しみも喜びも共有して生きる。

そういう弥富らしい    温かい人間関係のまちを  維持し育てていきたいと思っています。

そのために市政はどうあるべきですか?

今後は子育て、教育、福祉、特に地域の足の確保が重要になってきます。

弥富市のまちづくりとして見栄えが良いだけの無駄なものをつくらずに、   災害などいざという時にも役に立つ整備を望みます。

津波・高潮に備えた一時避難場所の整備、地域の自主運営を前提とした   公共施設の「防災コミュニティーセンター化」を早急に強力に押し進める   必要があります。また、生活道路や住宅地の水路の整備も避難時に必須の   整備であるとともに、ふだんのくらしのしあわせのために重要です。

そういう地道な堅実なまちづくりが必要です。また自治会の活動の衰退に備えて、自治活動に対する行政の支援も重要です。

弥富市は土砂崩れや  中小河川の氾濫などの災害の心配は少ないと思います。

どちらかといえば災害のリスクが低い、暮らしやすいまちだと思います。

いざというときに備えて安全に使える身近な施設整備と管理の充実が、今まで以上に求められています。

そのために自分自身はどのような活動をしていきますか?

議会活動だけでなく、防災会や自治会、様々な市民の活動に直接関わることによって新しい関係性づくりを実践し、そのノウハウをより多くの人に     波及させて弥富の人々とつながっていけたらいいなと思っています。       顔と顔が見える温かいまちへ向かってコツコツと実践していきます。

そのために、私が若い頃から実践してきた市民活動で養ったコーディネート力を活かしたいと思います。