JR名鉄弥富駅の自由通路と橋上駅舎化が市民に内容が知らされず、理解を得ないまま進んでいます。
12月定例会では8億円の増額が決まりました。歴史には必ず原因があって結果があります。
今の弥富市をつくってきた背景と歩みを、みなさんと一緒に振り返り、未来の弥富市を考えたいと思います。
明治28(1895)年・31(1898)年 関西鉄道・尾西鉄道開通、産業発展の基盤に
明治28年、関西(かんせい)鉄道は津島経由でなく、弥富経由を選択し、現在のJR関西本線にあたる名古屋駅〜前ヶ須駅(現在の弥富駅)間で開通しました。明治31年には尾西鉄道(現在の名鉄尾西線)が弥富駅〜津島駅間で開通しました。関西急行電鉄(現在の近鉄)は昭和13年に開通しています。
各種産品の輸送に使われ、その後の紡績をはじめとする工場立地に貢献しました。
明治45(1912)年 木曽三川改修(分流)工事で水害が激減、安定した農業が可能に
江戸時代以来の懸案であり、長年の陳情が実り、国による木曽三川改修 工事が明治20年から45年にかけて行われました。川幅が大幅に広がり 堤防がかさ上げされたことで弥富の水害も劇的に改善されました。
弥富の水田農業への水害リスクが激減しました。
しかし、今でも高潮・津波に対して弱いのは要注意です。
昭和3(1928)年 紡績工場設立、全国から優秀な人材が集まる
木曽川の豊富な水と四日市港からの鉄道を利用する地の利を生かして、 昭和3年に紡績会社が設立され、昭和5年に操業を開始。関西本線弥富駅から 工場まで専用線も敷設され、四日市港から羊毛が運ばれました。
戦時中は軍需工場に転用されましたが、昭和25(1950)年、日本毛織 (ニッケ)の紡績工場として復活しました。敷地内には、女子寮(2階には高校も)や男子寮、社宅、病院などがあり全国から優れた人材が集められました。
これらの従業員の多くは弥富で結婚し、退職後も地域活動に参加するなど、弥富のまちづくりに関わっていくことになります。
昭和30年代 駅周辺地区がニッケの従業員・家族などで賑わう
日本毛織(ニッケ)は昭和30年代初頭には従業員数1500名を擁しました。戦後の中心商業地は前ケ須、中六、銀座、駅前地区で発展しました。
特に銀座地区など駅周辺は、ニッケ弥富工場の従業員や家族の効果もあり賑わいました。
昭和34(1959)年 伊勢湾台風後、水害対策が進む
昭和34年9月にこの地方を伊勢湾台風が襲いました。工場進出による 大量の地下水のくみ上げによる大規模な地盤沈下が長期浸水の根本原因です。産業振興のための道路整備が重視されるのに対して、海岸堤防の強化整備がおろそかになっていたことが鍋田干拓の悲劇をうみました。
残念ながら「災害は人災」と言わざるを得ません。
伊勢湾台風災害で多くの犠牲者を出しましたが、結果として堤防補強整備、排水機整備など対策が進みました。
懸案だった農業用水についても国営の木曽川用水事業など大きく前進しました。
昭和40年代以降 宅地化が進むが道路水路整備は後手後手に
道路が狭いまま宅地化が進みました。排水路は、普段から排水機能が弱く、泥が溜まり蚊が発生するなど、今でも問題が生じています。
この生活道路と排水路の整備は、優先して取り組むべき課題です
1970〜80年代 転入・若年人口のピーク、教育・保育施設が充実
昭和46(1971)年が弥富町への転入のピーク、昭和48(1973)年に 弥富町の出生数のピーク、昭和55(1980)年に弥富町の若年人口 (15歳未満人口)のピークを迎え、教育・保育施設が充実し、商業施設が 相次いで開業しました。
昭和53(1978)年、町政アンケートから近鉄駅前整備事業を最優先の課題とし、協議会が発足したものの、巨額の事業費に見合う成果が見通せず立ち消えになりました。
平成7(1995)年から10年間 福祉施策、子育て施策充実
他の自治体に先駆けて、中学生までの医療費の無償化などを実施し、福祉施策や子育て施策が充実。子育て世代に人気のまちでした。
市役所前の道路の整備事業、各種生活道路の整備事業が実施されました。 また、民間土地区画整理事業も盛んに行っていました。
一方で、平成9(1997)年にニッケ弥富工場が閉鎖され、 平成12(2000)年に工場跡地にイオンタウンが開業。
駐車場が少なく、車でのアクセスが不利な駅周辺商店街の 衰退が決定的になりました。
平成18(2006)年 相次ぐ施設整備で貯金を使い果たし、借金を積み上げる
平成18年に弥富町と十四山村が合併し弥富市になりました。
合併の目的「公共施設の整理統合」など体系的な改革をせず、効率の悪い公共下水道工事の増額や相次ぐ施設整備で貯金(基金)を使い果たし膨大な借金を積み上げました。
平成28(2016)年以降 JR・名鉄弥富駅整備事業に着手、 費用対効果に疑問
現在のJR・名鉄弥富駅の改札は南側しかなく、北側の住民は踏切を渡らなければならず大変不便です。また、近鉄弥富駅に向かうための踏切に歩道が欲しいという要望も強いです。
プランはJR東海が作成し市に提案されたものです。
市長、副市長がJR東海と交渉する気がないことが根本的な問題です。
線路の北側に自動改札および地平駅舎の新設するならば、より早く、安くできます。JR東海・名鉄と再協議をし、適切な案に変更すべきです。
駅前広場や周辺道路の整備は、必要な事業であり、遅すぎたくらいです。ただし、橋上駅までやる必要はなく、地平駅の整備で十分可能です
事業費は、一世帯当たりに換算すると20万円を超える債務負担、つまり借金です。増額分だけでも1所帯あたり、4万円という 市民生活に大きな影響を及ぼす変更案です。
改めて、市民の意見を聞き、じっくりと議論をして、JRとの協定を仕切り直す必要があります。