神戸女学院大名誉教授、凱風館館長の内田樹さんが、令和6年9月29日の中日新聞新聞の「視座」というコラムで、以下のように述べています。
まるで今の弥富市の混迷と問題点を指摘しているのではないか市役所の問題点を指摘しているのではないかと思いましたので、以下引用します。
タイトルは「組織マネジメント原理主義者」です。
兵庫県の斎藤元彦知事の失職に至る一連の出来事には、現代日本の組織を特徴づける歪みが露呈していたように思われる。
「組織マネジメント原理主義」と私が言うものである。
あらゆる組織は何らかの使命を託されており、それを実現するために存在する。
けれども組織が長く続くと、人々はその組織がそもそもいかなる「よきこと」をもたらすために、あるいはいかなる「悪しきこと」を防ぐために創建されたのか、その期限を忘れてしまう。必ず忘れる。
そして、いつの間にか組織の存続が自己目的化する。何のためにこの組織が存在しているのかをということを忘れて、「どういう組織であるべきか」についてばかり語り始める。
私が「組織マネジメント原理主義者」と呼ぶのはこの人たちのことである。
彼らは社会の変化にその都度最適化するためには、組織は上意下達的に編成されていなければならないと信じきっている。
だからあらゆる組織は、最上位者の指示が末端まで遅滞なく示達されなければならない。
完全に中枢的に統御された組織こそ最も迅速に環境の変化に即応できると信じているからである。
これが今の日本社会の主流をなす組織論である。
でも、ほんとうはそうではない。
考えればわかるが、中枢的に統御された組織は、中枢が無能で愚鈍であれば環境の変化に即応できず破滅的な事態を招くからである。
そして、まことに残念なことに、組織マネジメント原理主義者は、「組織マネジメント現実主義者が組織マネジメントの中枢にいるべきである」という、同語反復的命題のうちから踏み出すことができない。
ほんとうは「賢い人」が主語になるべきなのに。
引用はここまで。
ということで、弥富市においても、組織を維持することが、究極の目的となり、
そのために、既に進めてきた事業を、どんな反対や困難にあっても、突破することが優秀な職員であり、
そのためには、外部からの批判や、もっともな指摘があったとしても、
前の計画を念仏のように唱えてやり過ごす。
何か新しい検討課題を出され、検討してくれと言われても、検討しない。
あるいは検討したふりをしてやり過ごす。
それが組織原理主義者に対する忠実な犬としての正しい役割であると勘違いしている。
あるいはそうでなければ組織の中で生き残っていけない。と勘違いしている。
だから、6階建ての市役所のなかの秩序?が、自らのステータスを維持すること。
として目的化していて、外見上はヘラヘラと「ご意見ごもっとこです」と、やり過ごすことに慣れてしまって、
外からの批判に対しては、一生懸命やっていますというポーズ。
グルシットジョブという言葉が最近言われてますが、
どうでもいいような資料作りにサービス残業を費やして、心身が疲弊して、
上部から「計画を遂行するように」という極めて良くない指示を守るために、右往左往して、本当の意味における市民と市役所ための大所高所に立てない。
やはり今回の問題は、6階建てのビルのが、市民から乖離してしまっていることの象徴のように思えてなりません。
ただ、ここで改めて市民の側が何を自覚するべきでしょうか。
あくまでこの6階建ての市役所ビルの主である市長と職員は、弥富市民全員が費用を負担し、その成果を分け合うというために作った施設と組織であり、究極の所有者は市民なのです。
自分たちの権利がここまで毀損してることに、そろそろ真剣に気がつくべきではないでしょうか。
この小学校再編校の位置を巡って、適切な判断がされたと思えません。
そして、反対する意見と新たな提案に対して、適切かつ迅速な対応ができてない。
この「組織マネジメント原理主義者」の硬直状態について、
市民はことの重大さを気づいてほしいと思います。