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地域コミュニティの再構築:小学校区を「生存圏」に
人口減少と高齢化が進む弥富市では、災害時や人生の後半を支える地域とのつながりが喫緊の課題です。特に、小学校の通学区域を核とした「生存圏」として再定義し、多様な住民間のつながりを再構築することが必要です。
「生存圏」の概念:小学校区が理想的な理由
私が考える「生存圏」とは、子どもから高齢者まで、その地域住民が継続して安全に生活していくために、深く関わり合うべき範囲を指します。
町内会や自治会、あるいは子ども会、消防団、老人会といった様々な繋がりは存在しますが、特に以下の点を踏まえると、小学校区が最も効率的な「生存圏」だと考えます。
- 防災: 災害時に住民同士が助け合うための、顔が見える範囲として機能します。
- 行政との連携: 行政が地域と連携し、住民の安全確保、防災対策、自然環境の保全、歴史文化の継承などを進める上で、適切な規模です。
つまり、一つの小学校区に暮らす人々が、互いに協力しながら安全に暮らすための基盤となる地域が「生存圏」であり、この規模が、その体制を持続させるために最も相応しいと言えるでしょう。
なぜ小学校区なのか
- 「終の住処」と災害時の安全保障: 高齢化が進む中で、地域は「終の住処」としての役割を担い、災害時には顔の見える関係性が戦略的な安全保障となります。
- 子どもの成長と「原体験」: 子どもたちの自己決定権を尊重しつつも、名古屋や世界で活躍する人材が幼少期の**「原体験」**に支えられている事実は無視できません。自然や地域、歴史、文化の中で培われる五感を伴う原体験は、将来の社会貢献の基盤となります。かつての小さな集落には、豊かな自然、歴史、文化、そして人間関係があり、それが原体験の源でした。
- 防災機能の強化: 自治会加入率が低下し、従来の地域コミュニティが弱体化する中、災害時の「共助」機能は低下しています。市町村合併で広域化が進んだ結果、大規模災害時に国や県の支援が届くまでの1週間~1ヶ月間、地域が自力で生存できる体制が求められます。
新たな地域づくりの具体策
数千人から1万人規模の小学校通学区域を、防災に焦点を当てた「生存圏」として再構築するのが最も現実的かつ効果的です。
- 多様な団体との連携: 老人会、子ども会、商工会など、地域内の多様な団体が小学校区を軸に連携し、防災体制を強化します。
- コミュニティスクールの推進: 小学校区を拠点とした活動は、学校が地域とのつながりを求めるコミュニティスクールの理念にも合致します。
- 子どもの原体験保障: 地域住民や企業が、子どもたちに地域の歴史、自然、文化を体験させる場を提供し、原体験を育む環境を整えます。
このように、小学校区を基盤とした「生存圏」の再構築は、防災、子育て、そして地域全体の持続可能性を高める上で不可欠な取り組みとなるでしょう。
(本文)
人口減少と高齢化が進む弥富市において、人生の後半や災害時に地域とのつながりが重要になってきます。特に、小学校の通学区域を「生存圏」として捉え直し、住民同士の多様なつながりを再構築する必要があるのではないでしょうか。
「生存圏」としての小学校通学区域
高齢化が進む中で、地域とのつながりや助け合いは、災害時の戦略的な安全保障として、また人生の終盤を過ごすための**「終の住処(ついのすみか)」**として不可欠です。小学校の通学区域は、これまで希薄になっていた人々の多様なつながり(年齢、性別、職業、特技など)を、改めて「ゆるく柔軟性のあるつながり」として結び直す場となり得ます。
一方で、子どもたちには無限の可能性があります。どこで何を学び、どんな仕事をするかといった自己決定権を、小学校区という「地元」に縛り付けてはいけません。しかし、東京や世界で活躍する人材の多くが、子どもの頃の**「原体験」**に支えられていることも事実です。自然や地域、歴史、文化の中で培われた五感を伴う原体験こそが、より広い世界で活躍し、問題を発見・解決し、社会を変えていく人材を育む基盤となります。
かつては、小学校区どころか、大字・小字といった小さな集落の中に豊かな自然、歴史、文化、そして人間関係があり、そこでの原体験が、その後の活躍の原動力となっていました。
災害対策と地域コミュニティの再構築
現在の日本は、少子高齢化、そして人口減少という大きな課題に直面しています。災害時における「自助・共助・公助」が叫ばれる一方で、自治会への参加者は目に見えて減っています。自治会の目的や存在意義を問い直す時期に来ています。
かつては、地域に産業があり、消防、葬儀、福祉といった機能が密接に存在していました。近代化によってそれらの多くが市町村に移管され、今さら江戸時代のような自治会機能を求めることはできません。
しかし、防災という一点においては、状況が異なります。市町村合併で広域化が進む中で、本当に顔が見えるコミュニティとしての「生存圏」が不可欠です。災害後1週間から1ヶ月の復旧期には、国や県の支援を待つ間、地域で協力して生存していく関係がなければ、一人ひとりが物資を奪い合う「難民」と化し、大都市圏近郊の中小市町村でも、地図にない難民キャンプが出現する可能性が高いでしょう。
東日本大震災や能登半島地震では、小さな集落が互いに助け合い、炊き出しを行うことで、外部からの支援が届くまでの間をしのいだ事例もあります。しかし、それが全ての集落で行われたわけではないでしょう。特に、地域アイデンティティが希薄化し、集落機能が形骸化しているこの地域では、災害発生後1週間から1ヶ月間は全く期待できないという前提で考えるべきです。
小学校区単位での新たな地域づくり
かつての大字・小字単位の自治は属人的な関係であり、新たな住民も増える中で、その機能を再構築することは困難です。そこで、小学校通学区域という、数千人から1万人規模のエリアで、特に防災に焦点を当てた「生存圏」を立て直すことが、現実的かつ効果的であると考えられます。
小学校通学区域は、将来的に再編される可能性もありますが、まずはこの単位を軸として、老人会、子ども会、商工会など、多様な社会的機能を持つ団体が連携し、地域の防災体制を構築していくことができます。
さらに、防災だけでなく、これが機能すれば、現在学校が地域とのつながりを求めるコミュニティスクールの理念とも合致します。地域の人々や団体が、名古屋のトワイライトスクールのように、子どもたちに地域の豊かな歴史、自然、文化を体験させる機会を提供できる場ともなるでしょう。
このように、小学校区単位で、防災や子育て、そして子どもたちの原体験を保障する「生存圏」を再構築する必要があるのではないでしょうか。