
(要約)
「商い」に学ぶ「行政」の近代化、記録と合意形成の重要性、そして総合計画の課題
「商い」は、米の例のように「欲しい人」と「売りたい人」の間に存在する「差」を埋め、利益を生み出す行為です。本田宗一郎が自転車にエンジンをつけたように、人々の不便を解消する形で仕事は生まれます。
これは行政も同じです。耐震性の低い家や古い道路のように、これまでの基準では十分だったものが、新たな問題の発生で「不十分」となり、新しい基準に合わせて改善していくのが行政の仕事です。
行政の基本と「記録」の重要性
行政が仕事を進める上で最低限必要なのは住民の合意、つまり国民的な合意です。そして、それを支えるのが**「記録」**です。
- なぜ基準を上げたのか?
- どうやって決めたのか?
- その結果どうなったのか?
これらを記録し、災害や不具合が発生した際には、その失敗や欠陥も記録して、次の改善に繋げることが不可欠です。
総合計画と住民参加のギャップ
行政は、こうした記録と合意形成に基づいて業務を行いますが、近年は「総合計画」として、分野横断的かつ長期的な視点(5年~10年スパン)で改善を重ねるようになりました。
総合計画の策定にあたっては、まず現状をきちんと把握し、住民の意見を聞き、検討し、合意形成を行うという基本手順が重要です。そして、その全ての過程で合理的かつ科学的な議論と記録を取り、常に情報を開示して住民の意見を聞くことが大切です。
しかし、過去の総合計画には課題がありました。特に、行政計画であれ民間企業の新規商品開発であれ、最も基本となる「過去の不具合や失敗をしっかりと把握すること」が不十分だったと感じます。これまでの総合計画は、形式的には網羅されていましたが、実際には「福祉も道路も足りないからやります」という、単に「足りないものを補う」内容が多かったと言わざるを得ません。
弥富市の総合計画と住民主権の課題
弥富市も、第一次、第二次と総合計画を策定・実行してきましたが、次の第三次総合計画では、過去の計画で設定した目的や目標が「正しかったのか」「効果を発揮したのか」「達成されなかった原因は何か」を深く掘り下げる必要があります。この掘り下げがなければ、民間企業が新商品を出せないように、行政も停滞してしまいます。
総合計画の中でも特に重要なのは、まちの未来を住民が主体的に考える**「基本構想」**です。しかし、現状では、この基本構想を住民が主体的に作り、それを実行部隊である市役所にオーダーするという形にはなっていないという最大の問題があります。
確かに実行するのは市役所ですが、福祉やまちづくりなど、住民一人ひとりの生存や人権に関わる多くの問題を行政が扱っている以上、本来主役であるべき住民が中心となって、「こうしてほしい」という「骨子(オーダー)」を策定に参画すべきです。
過去の弥富市の総合計画では、アンケートや公募委員、ワークショップなど、住民参加の努力は認められますが、住民が主体となって計画が作られているとまでは言えません。
あと3年ほどで次の総合計画の基本構想が定められますが、次こそは**「住民が主体となった基本構想」**を作る必要があります。
最終的な細かい計画(レシピ)は行政が作るとしても、そもそも「どういうメニューにするか」という基本構想については、住民が主体的に関わらなければ、行政も住民の生活も真に改善し、住民が幸せになることは難しいでしょう。
(本文)
商いも行政も「不足を埋める」仕事
「商い」とは、何かを欲しがっている人(お金はあるが米が欲しい人)と、余らせている人(米はたくさんあるが売れない人)の間を取り持ち、その**「不足」や「差」を埋める**ことで利益を生み出す行為です。これは、単に商品やサービスを売買するだけでなく、地理的、時間的、あるいは社会的な「差」を埋めることで生まれるものです。例えば、本田宗一郎が奥さんの買い物での不便を解消するために原動機付自転車を作ったように、人々の「困りごと」や「不足」を解決することが仕事の始まりです。
行政の役割と記録の重要性
この考え方は行政の仕事にも当てはまります。かつては十分とされた住宅の耐震基準や道路の基準も、地震被害などの不都合が生じれば、「これでは足りない」として見直され、改善されていきます。このように、行政の仕事、特に土木や福祉といった分野は、従来の基準で問題なかったことが、実際の課題に直面して新しい基準を作り直し、それに合わせて改善していくことの繰り返しです。
そして、こうした改善を繰り返す上で最低限必要になるのが、住民の合意、つまり国民的な合意です。その合意を確かなものにするためには、**「記録」**が不可欠です。
- なぜ基準を上げたのか?
- どうやって決めたのか?
- その結果はどうなったのか?
これらを詳細に記録するだけでなく、災害や不具合が発生した際には、どのような失敗や欠陥があったのかを明確に記録し、次の新しい基準や仕事に繋げていく必要があります。
総合計画:行政の集大成
行政の業務は、このように記録と合意形成に基づいて行われます。従来は個々の業務として行われていましたが、近年では「総合計画」という形で、より総合的かつ分野横断的に、そして長期的な視点(1〜2年ではなく5〜10年のスパン)で改善を重ねていく取り組みが進んでいます。
総合計画の基本的な手順は、まず現状を正確に把握・調査し、住民の意見を聞き、十分に検討した上で合意形成を行うことです。その全ての過程において、合理的で科学的な議論と記録を取り、常に情報を開示して住民の意見を聞くことが極めて重要です。
総合計画における最重要点:過去の失敗の把握
行政の「集大成」ともいえる総合計画は、その中でも「基本構想」と「基本計画」に分かれますが、最も基本的な原則として、少なくとも過去10年間の不具合や至らなかった点、失敗をしっかりと把握することが何よりも重要です。これは、行政計画であろうと民間企業の新規商品開発であろうと、成功の基本中の基本です。
しかし、過去に策定された総合計画の中には、形式上はそれらしく見えても、実際には「福祉も足りない、道路も足りない」といった、単に「不足しているから実施する」という、過去の検証が不十分な内容が多かったと言わざるを得ません。
総合計画の課題:住民不在の「足りないづくし」
これまでの総合計画は、形式的には整っていましたが、実際には「福祉も足りない、道路も足りない」といった、単に**「不足しているからやります」**という内容が多かったと言わざるを得ません。
弥富市もこれまで第一次、第二次と総合計画を進めてきました。次に策定される「第三次」の総合計画では、過去の計画で設定した目的や目標が本当に適切だったのか、効果があったのか、達成できなかった原因は何だったのかを深く掘り下げる必要があります。この深い検証がなければ、民間企業が新商品を開発できないように、行政も停滞し、尻すぼみになってしまうでしょう。
総合計画の核心:住民が主役の「基本構想」
総合計画の難しい点は、その中でも特に重要な**「基本構想」です。これは、この町の暮らしや未来を、その主役である住民が主体的に考えて作り、市役所という実行部隊に「オーダー」する**形になっているべきですが、実際はそうなっているとは言えません。ここに最大の問題があります。
確かに計画を実行するのは市役所ですが、福祉や道路、まちづくりといった行政サービスは、住民一人ひとりの生存や人権に関わるものです。だからこそ、本来主役であるべき住民が中心となり、**「こうしてほしい」という町の骨子(オーダー)**を策定にしっかりと参画すべきなのです。
弥富市の過去の総合計画では、約1000人のアンケートや公募委員、ワークショップなど、住民参加への努力はうかがえます。しかし、これまでの経験から見て、住民が劇的に主体的に計画に関わったり、主導したりするほどの進歩や改革があったとは言えません。
次期総合計画への期待:住民(主権者)が「料理人(行政機関)」を動かす
あと3年ほどで、次の総合計画の基本構想が策定されます。今度こそ、主権者である住民が主体となって基本構想を作る必要があります。
例えるなら、行政は住民の「オーダー」を受けて「料理(細かい計画やサービス)」を作る「料理人」です。住民が「こういう健康状態だから、こんな料理が食べたい(あるいは運動がしたい)」という根本的なニーズや「こうありたい」というビジョンを明確に伝えることで、初めて最適な料理が提供できます。
しかし、これまでの総合計画では、住民の参加手段が限られていたため、行政が「たぶんこうだろう」と自己判断で料理を作ってきたのが実情です。
総合計画の中で、具体的な「レシピ」となる基本計画を行政が主導するのは問題ありません。しかし、「どんなメニューにするか」という基本構想は、主権者である住民が主体的に関わることで、初めて行政も改善し、住民の生活が豊かになり、幸せに繋がるのです。
弥富市で、住民が真に主役となる「基本構想」が作られることを期待しています。