
日本国憲法と地方自治の課題
日本国憲法は、しばしばGHQの押し付けだと言われることがあります。しかし実際には、GHQ草案よりも早くから民間で独自の憲法草案が検討され、発表されていました。特に、国会での審議を通じて「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」など、戦前の反省を踏まえた重要な条文が追加されています。これらの条文は、現在の日本政府の権力に対する国民の歯止めとなり、人権に関する裁判でも根拠として活用されています。
一方、地方の現状を見てみると、各市町村では総合計画が策定されています。現在、第1次、第2次が終わり、第3次の策定時期を迎えています。行政が住民アンケートをもとに政策の重要度や満足度を把握しようとするものの、長期的な視点や戦略的な基本構想が不足しているように感じられます。
地方自治における具体的な問題点
憲法が政府のあり方を定め、国民の権利を保障するように、地方自治においても、地方政府(市役所など)が守るべき「基本構想」が必要です。しかし、現状は以下の問題が見られます。
- 不透明な事業決定: 例えば、愛西市での多額の国債投資失敗や、弥富市・愛西市での巨額事業が、住民に知らされず、あるいは裏で決定されているかのように進められることがあります。
- 住民の声の黙殺: 一度計画が動き出すと、住民がどれほど反対の請願を出しても、議会を含めて意見が聞かれず、黙殺されてしまう状況が続いています。
- 小学校の統合・再配置: 「公共施設が多すぎる」という名目のもと、小学校の統合や再配置が、十分な議論なしに進められています。
戦後、日本国憲法が制定され国民に主権が戻り、「地方のことは地方で決める」という地方自治の精神が高揚した時代から見れば、現在の状況は非常に緩慢で、あるまじき状態と言えるでしょう。
住民主導の「基本構想」の必要性
現在の少子高齢化や財政悪化が進む中で、住民の声を反映し、住民のビジョンに基づいて地方政府に守らせるための「基本構想」を改めて訴える必要があります。これは、個別具体的な「基本計画」(行政計画)の上に立つ、地域の「憲法」のようなものです。
日本国憲法が制定された際、多くの解説本が出版され、国民が学び直す公民館運動や学校教育が行われました。これと同様に、地方の「基本構想」も、分厚い総合計画書の一部ではなく、**中学生や小学生でも読めるような「ブックレット」**として作成し、住民全体で共有することが重要です。
なぜ住民が主導すべきか
この「基本構想」を行政に任せてしまうと、落とし穴があります。行政はこれまでの自由通路、道の駅建設や区画整理事業といった計画を継続したいがために、現状追認を前提とした構想を作ってしまう可能性が高いからです。これは戦前の大日本帝国憲法が現状を追認するものであったように、住民のための真の構想とはなりません。
新城市のように、首長が「主権者は住民である」と明確にし、住民に自由な議論の場を提供するのが理想的な地方政府の形です。しかし、現在の弥富市・愛西市の首長や市役所からは、このような姿勢は期待しにくいでしょう。
そのため、市役所が基本構想の策定に乗り出す前に、住民が主体的に「憲法」としての「住民基本構想」を作り、それを提示することが不可欠です。