「わずか2時間の審議」で未来は決められない! 市民が求める真の議論と説明責任
先日行われた弥富市厚生文教委員会での出来事は、私たち市民に大きな懸念を抱かせました。公立保育園の民営「認定こども園」化という、子どもたちの未来に直結する極めて重要な問題が、わずか2時間(実質的な議論はさらに短い)の委員会で、十分な議論がされないまま進められているという現状は、市民の代表であるはずの議会の機能不全を浮き彫りにしています。
年間2億円近い公費が投じられる弥富市議会は、まさに「民主主義のコスト」です。しかし、このコストが、形だけの審議や不透明な意思決定に使われているとすれば、その価値は失われてしまいます。
私たちは、弥富市議会が、市民の負託に応え、真に機能する場となるために、以下の点を強く提言します。
1. 「分からない」では済まされない議員の役割:徹底した事前準備と専門性の追求を
委員会での「質問の意味が分からない」「それでは質問にならない」といった発言は、市民の代表として、あるいは行政の専門家として、極めて無責任な態度です。
- 市民の暮らしや未来に直結する議案について、「分からない」は許されません。 議員は、議案提出前に自ら徹底的に学習し、理解を深める努力を怠るべきではありません。
- 民主主義の根幹は、異なる意見を持つ人々が時間をかけて議論し、より良い答えを見つけるプロセスです。「分からないから議論しない」という態度は、対話の放棄であり、民主主義の信頼を損ないます。
2. 「個人的な意見」として議論を封じるな:委員会こそ真の議論の場である
「ここは質問する場であり、個人的な意見を言う場ではない」という議長の制限は、委員会の役割を根本的に誤解しています。
- 委員会は、議案を深く掘り下げ、専門的な知識や多様な視点から議論する重要な場です。 議員が、市民の声や地域の課題を背景に意見を述べ、疑問を呈することは、議論を深める上で不可欠です。
- 市民の代弁者である議員の意見を「個人的な意見」として封じ込めることは、市民が議会に託した声を軽んじる行為に他なりません。 市民が傍聴していないからといって、深い議論を避け、沈黙を保つような態度は、議員の職務放棄と言われても仕方がありません。
3. 子どもの未来を最優先に:保育園民営化の議論を深めよ
今回の委員会で議論が深まらなかった「公立保育園の民営認定こども園化」は、弥富市の子どもたちの育ちの場を大きく変える重要な問題です。
- この問題の**本当の当事者は「子どもたち」**です。大人の都合や財政的な理由だけで、子どもたちの「生活の場」や「育ちの環境」が一方的に決められてはなりません。
- 長時間保育を必要とする子どもたちが、幼稚園的な教育プログラムに無理やり合わせられることで、負担や「歪み」が生じる可能性はないのか。 全国的な研究で指摘される課題に対し、弥富市議会では専門的な知見に基づいた検証や議論が不足しています。
- 議員は「保育の専門性がない」と弁解するかもしれませんが、インターネットやAI、新聞、現場の声を通じて、基本的な知識は容易に得られます。基本的な事前調査を欠いたまま議案を審査することは、手抜き審査と批判されてもやむを得ません。
結論:市民が納める「民主主義のコスト」の価値を取り戻せ
弥富市議会に投じられる多額の公費は、市民がより良い地域社会を築くための大切な投資です。しかし、今回の委員会のように、わずかな時間で形だけの審議が行われ、重要な議論が深まらない状況では、そのコストが有効に使われているとは言えません。
私たちは、若手議員や女性議員といった「新しい顔」に期待を寄せましたが、本当に大切なのは、誰に対して忖度することなく、市民の声、そして何より子どもたちの未来のために、真摯に議論し、行動する姿勢です。
無言のままでは、市民には何も伝わりません。議員の皆さんは、何を考え、何を守ろうとしているのか。その態度を明確に示し、市民に対して説明する責任があります。そうでなければ、**「議員失格」**という批判を受けかねません。
子どもの未来を守り、より良い弥富市を築くために、私たち市民が議会に積極的な関心を持ち、その役割を厳しく見つめ続けることが今、強く求められています。
