【コラム】「戦争が始まった」――15年戦争の歴史から現代の危機を考える
今朝、台所で連れ合いに「戦争が始まったから、ガソリンを早めに入れた方がいいぞ」と声をかけました。すると、「そんなことをさらっと言う時代が怖いわ」と返されました。
私は国際法の専門家でも、国際情勢の専門家でもありません。あくまで日々新聞を読み、そこで得た情報から考えた個人的な感想として、この文章を残しておきたいと思います。
皆さんもご承知の通り、年明けからのトランプ大統領の動き、そしてロシアのプーチン大統領、イスラエルのネタニヤフ首相の行動は、いずれも「宣戦布告なき戦争」と言えるのではないでしょうか。この現状を見るにつけ、私は日本の「15年戦争」を思い起こさずにはいられません。
15年戦争に関する詳細な本は長く、読み通すのはなかなか骨が折れますが、最近はYouTubeなどで要点を分かりやすく解説してくれるものもあり、耳で聴くだけでも大変勉強になります。私自身もすべてを完璧に読破したわけではありませんが、様々な新聞記事や書籍のあらすじを追うだけでも、学ぶべき重要な事実が見えてきます。
江口圭一「十五年戦争小史」
【敗戦への序曲】「たった1年」で国を破滅に導いた大日本帝国の致命的な矛盾と暴走 軍事大国ニッポンを蝕んだ経済依存と「暴略」の連鎖〜
宣戦布告なき戦争の始まり
第一次世界大戦終結後、1928年に「パリ不戦条約」が結ばれました。日本の15年戦争は、1931年(昭和6年)の満州事変から始まりました。多くの方は1941年のアメリカへの宣戦布告(真珠湾攻撃)が太平洋戦争の始まりだと認識していますが、歴史の真相から言えば、あの時点ですでに日本の命運は「詰んで」いたのです。将棋で言えば「詰み」の状態です。
当時の連合艦隊司令長官・山本五十六は「半年や1年は暴れてみせるが、その後はどうなるかわからない」という趣旨の発言をし、誰かに和平交渉を仲介してもらって終わらせたいと考えていたとされています。しかし、現実にはそんな仲介をしてくれる国などありませんでした。
なぜ日本は「戦争」ではなく、満州事変や支那事変といった「事変」という言葉を使ったのでしょうか。それは、日本も締結していたパリ不戦条約に違反し、国際的な非難を浴びることを避けるためでした。当時の日本は輸出によって外貨を稼いでおり、生糸産業における「女工哀史」や、農村の深刻な疲弊、それが引き金となった二・二六事件(1936年)など、国内は矛盾に満ちていました。そうした背景の中で、「宣戦布告はしていないが、実質的な戦争」が始まってしまったのです。
現場の暴走と指導部の責任
現代のトランプ大統領やプーチン大統領、ネタニヤフ首相、あるいはかつてのヒトラー総統と、当時の日本の最大の違いは何でしょうか。それは、日本の天皇や首相が明確に「戦争をする」と決意(宣戦布告)したのは、実質的な戦争が始まってから実に10年も経ってからだったという点です。
事変という名の下で暴走したのは、現場の将官(大将・中将・少将)ではなく、さらにその下の佐官クラス(大佐・中佐・少佐)でした。本来は下級の者たちが、現場で「戦果を挙げた」と言って独断で事を進めたのです。問題は、上層部が彼らを「上官の命令に従わなかった」として軍紀に照らし厳正に処罰しなかったことにあります。処罰されないため、現場の暴走はどんどん拡大していきました。
軍は大元帥である天皇の統帥下にありました。天皇自身は最後まで戦争を望んでいなかったと言われており、それは一面の真実だと思います。しかし、部下である軍の指導部や現場に対し、厳正な処罰を下さなかったという「管理監督責任」は免れないのではないか、と多くの識者が指摘しています。
日本国民も、最初から戦争を望んでいたわけではありません。しかし現実には、現場で戦果が挙がるたびに「万歳」と大喜びし、軍部も政府も、政党も引くに引けなくなってしまった。これが日本の悪いところです。戦争を望んでいなかったにもかかわらず、そのシステムが生み出した結果(アウトプット)は、戦争以外の何物でもありませんでした。
その結果、15年にもわたる戦争で近隣諸国に多大な被害を与え、自国も焦土と化しました。ある新聞記事で読みましたが、戦後、軍人には恩給が支払われましたが(総額約60兆円)、空襲などで被害を受けた一般の民間人への補償は0円だそうです。軍人の方々も好きで戦地へ行ったわけではないので彼らを非難するつもりはありませんが、その記事によれば、最も高額な軍人恩給を受けたのは東條英機だったといいます。
先日、石破首相が自民党内の反対を押し切って言及したのも、まさにこの15年戦争を遂行した体制のあり方、政党のあり方、そしてそれに流されてしまった国民の行動様式についてだったのだと思います。
社会に蔓延する「いじめの構造」
なぜ、指導者たちは戦争や紛争を引き起こすのでしょうか。建前だけで言えば、当時の日本は「欧米列強に侵食されている能力の低いアジアの国々を、兄貴分である我々が助けてやるのだ」と主張しました。しかし現実は、自分たちを守るために周りの弱い者をいじめ、支配下に置いただけです。
これは、現在も根深く残る「いじめ」の構造と全く同じです。「何も知らないからしつけをしてやる」「自分のグループに入れてやる」という名目でいじめが行われます。この構造は学校だけでなく、あらゆる職場に蔓延しています。市役所の中も、議会の中も例外ではありません。最近はパワハラと呼ばれますが、わけのわからない理屈で集団の秩序を乱し、「規律に従わせる」という名目のいじめが堂々とまかり通っています。
厄介なのは、いじめられている側は苦しんでいるのに、いじめている側は「自分は良いことをしている」「教えてやっている」と無自覚なことです。戦前の日本と全く同じ、劣化コピーです。
おそらく、直近で言えばトランプ大統領本人も「自分は良いことをしている」と本気で思っているのでしょう。「周りの馬鹿な奴らを俺が正してやる。相撲の『かわいがり』のように、鍛えてやっている間に立ち直れ」と。これは日本軍がアジアでやってきた精神構造と何ら変わりませんし、プーチン大統領やネタニヤフ首相、かつてのヒトラーも根底は同じではないでしょうか。
だからこそ、「戦争が今日始まった」のではなく、「すでにだいぶ前から、こうした精神構造の中で戦争は始まっていた」と私は考えています。
未来への責任として
日本は1945年に終戦を迎え、サンフランシスコ講和条約を結びましたが、国際連合の枠組み(旧敵国条項)において、日本とドイツは未だに「敗戦国」の扱いです。憲法9条は敗戦国の烙印かもしれませんが、私はその烙印を無理に消す必要はないと思っています。
現在、首相官邸にいる人たち、あるいは2〜3割の低い得票率で議席の3分の2以上を占めている勢力(特定の個人ではなくグループ全体を指します)は、日本の国を強くしたい、物価高で困っている弱者を助けたいと、心底思ってらっしゃるはずです。しかし、彼らがやろうとしている手法は、かつての日本の歴史とどれだけ違うのでしょうか。ぜひ、歴史に学んでほしいと切に願います。
かつて、戦争体験を持つ自民党の政治家が「戦争を知っている自分たちがいる間はいいが、いなくなった時が心配だ」と語っていたという記事を読んだことがあります。今、まさにその懸念が現実のものになろうとしています。
「戦争が始まったのか、もう既に始まっているのか」。これを常に肝に銘じる必要があります。
果たして10年後、あるいは30年後の世界において、2026年3月の今、自分は何を考え、何を発言し、どういう投票行動をし、政治に何を働きかけ、周りの人にどう意思表明をしたのか。30年後には私はこの世にいないかもしれませんが、10年後はまだ生きている可能性が高いです。
「戦争を知らない子供たち」という歌がありましたが、1945年以降も朝鮮戦争やベトナム戦争など、世界から戦争がなくなったことは一度もありません。「戦争を知らない」ままでいれば、いつか命を落とすことになります。これはもはやブラックユーモアではありません。
冒頭の「戦争が始まったぞ」という言葉は、厳密に言えば「戦争はずっと存在していた」わけですが、周囲への強い注意喚起としては意味のある言葉だと思っています。
未来に責任を持つ大人として、身近な人に「戦争が始まっているぞ」と声をかけ続けること。それこそが、今の私たちにできる第一歩なのだと思います。
