【市政コラム】一般質問と、議会が抱えるジレンマについて
一般質問を傍聴していただいた皆様、そしてインターネット等でご覧いただいた皆様、いつもありがとうございます。
私の一般質問をご覧になった市民の方からご意見をいただきました。その中で「怒っているように見えた」「せっかく議論が噛み合いそうなのに、次の質問に移ってしまい食い散らかしているような印象を受けた」という趣旨のご指摘がありました。
結論から申し上げますと、ご指摘は全くその通りであり、私自身の至らなさでもあります。しかし同時に、あの日、私は確かに市側の不誠実な答弁と、議会のいびつなルールに対して、怒りを通り越してまたかという失望感を感じていました。
なぜ、議論が深まらずに次々と別の話題に移ってしまったように見えたのか。本日は、現在の弥富市議会が抱える構造的な問題と、私自身のスタンスについて率直に書かせていただきます。
議論を縛る「表面を取り繕うためのルール」
現在の弥富市議会の一般質問には、持ち時間1時間の中で以下のような厳しい制約(事前通告制の運用)があります。
- 通告した範囲内でしか質問・再質問ができない
- 一つの議論に対する再質問は「2回」まで
- 通告した質問はすべて消化しなければならない
本来であれば、市側の答弁を聞いた上で、柔軟に質問を変え、一つの論点を延々と深掘りしたいのです。例えば、論点を3つ程度に絞り込み、徹底的に議論のキャッチボールをしたい。しかし、再質問が2回に制限されているため、どれだけ突っ込んで議論したくても次の問題に移らざるを得ません。
さらに、議論が白熱して少しでも通告の範囲から外れそうになると、議長から「通告に従って質問してください」と制止され、手足を縛られてしまいます。このルールは一体誰のためのものでしょうか。市民に開かれた議論のためではなく、「市側(特に市長)が答弁に困らないようにするため」の、市の体制を守るためのルールになっていると私は感じています。
議会は「予定調和の学芸会」ではない
歴代の議長からは「事前に市側と調整をして、答弁をすり合わせろ」と言われることがあります。しかし、私は一切の事前調整をしません。そんなことをすれば、議会はただの「台本のある学芸会」になってしまうからです。それは議会軽視であり、何より市民軽視です。
私が求めているのは、用意された原稿の朗読ではありません。私が提示した課題に対して、市側から「佐藤議員の指摘は当たっていません。私どもはプロとしてこう考えています」という、本気の反論が欲しいのです。それが本当の意味での建設的な議論です。
しかし現実の市側は、アドリブでの答弁を恐れ、核心に入らないような「ご飯論法」スレスレの形式的な答弁書を長々と読み上げるだけで、1時間をやり過ごそうとしているようにしか見えません。
官製談合事件に対する市長の責任と姿勢
今回の一般質問で私が最もこだわり、そして最も失望したのが、建設部長が逮捕された「官製談合事件」に対する市側の姿勢です。
市側は11月の時点で既に事情聴取を受けており、事態を把握していたはずです。しかし、議場での安藤市長の答弁は「一職員の出来心」「個人の資質の問題」「綱紀粛正を徹底する」と念仏のように繰り返すばかりで、むしろ「自分は迷惑している」と言わんばかりの当事者意識の欠如したものでした。
私は、発注者側のトップとして、またかつて積算業務にも精通されていた市長として、今後の入札制度の構造的欠陥をどう改革していくのか、その本音を聞きたかったのです。しかし、いくら問い詰めても「まだ捜査中だ」「本人が認否を明らかにしていない」と逃げるばかりでした。これでは到底、納得できるものではありません。
市民のための本物の議論を求めて
今回、私が準備した質問の予定稿や想定していた論理展開は、実際に議場で話せたことの3倍以上のボリュームがありました(ホームページにも既に多くの課題を書いています)。しかし、市側の形式的な対応とルールの壁に阻まれ、結果として不十分な一般質問になってしまったことは否めず、ご指摘の通りだと猛省しております。
それでも、私は「予定調和の学芸会」に妥協するつもりはありません。ルールを一つの目安として尊重しつつも、あくまで「市民の目から見てよくわかる、お互いの理解を深め合う建設的な議論」を最上位の目標として、これからも本気の論戦に挑み続けます。
