組織はなぜ「劣化」するのか? ―ピーターの法則から見る弥富市役所改革の必要性
1. 「優秀な人」が「無能な上司」に変わる罠
アメリカの社会学者ローレンス・J・ピーターは、組織における興味深い、しかし恐ろしい停滞のメカニズムを説きました。それが**「ピーターの法則」**です。
例えば、車を売る能力が抜群に高いセールスマンがいたとします。
彼はその実績を認められ「係長」に昇進します。
しかし、現場で売る能力と、組織を管理し部下を育てる能力は別物です。
もし彼に管理能力がなければ、彼は「無能な係長」としてそのポストに留まり続けます。
これが繰り返されると、組織のあらゆる階層が「その職責を果たせない人」で埋め尽くされ、組織全体の活力は失われていく――。
これは、今の日本の地方自治体が直面している大きな課題ではないでしょうか。
2. 名古屋市役所での「係長試験」という壁
今から40年前、私は名古屋市役所に身を置いていました。
当時、7年目になると「係長試験」という大きな壁がありました。
これは単なる暗記試験ではなく、地方自治法などの専門知識に加え、「管理監督者としてどう組織を運営し、部下を育成するか」を1時間で2問、論文として書き上げる過酷なものでした。
私は4回目でようやく合格しましたが、この試験は私に「経営的視点」を叩き込みました。
当時のソニーやホンダ、トヨタといった民間企業の経営改革の本を片っ端から読み漁り、「前例踏襲の役所がいかに活力を失っているか」、そして**「いかにして組織にダイナミズムを取り戻すか」**を必死に考えたのです。
3. 「組織の内」と「市民活動の力」の融合
私が幸運だったのは、役所の中の理屈だけでなく、1990年代から市民活動(NPO等)の現場に身を置いていたことです。
外の世界には、役所にはない圧倒的な「想像力」と「開拓力」がありました。
後に名古屋市が職員をNPOへ派遣するようになったのは、まさに「役所の外にある活力」を取り込まなければ組織が死んでしまうという危機感の表れだったのでしょう。
4. 弥富市役所に今、最も欠けているもの
ひるがえって、現在の弥富市役所はどうでしょうか。残念ながら、私がかつて危惧した「ピーターの法則」による組織の劣化が、最も顕著に現れていると言わざるを得ません。
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現状を打破する**「説明能力」**
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新しい価値を創り出す**「想像力」**
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失敗を恐れず外へ飛び出す**「行動力」**
これらの能力が欠如し、ただ「ポストを守ること」が目的化した組織に、街の未来を託すことはできません。
経営とは、単に予算を分配することではなく、組織に志を注入し、動かすことです。私はかつて名古屋で学んだ「経営的視点」と、市民活動で得た「現場の熱量」を武器に、弥富市役所を「動く組織」へと改革してまいります。
日米の雇用システム比較と地方自治体における組織劣化のメカニズムに関する研究
雇用システムの構造的相違と行政組織の現在地
現代の組織運営において、人材の採用から育成、そして評価に至る一連のシステムは、その組織が長期的に活力を維持できるか、あるいは硬直化して崩壊への道を辿るかを決定づける中核的な要素である。
とりわけ、米国を中心とする欧米の企業社会と、日本の伝統的な企業および地方自治体等の公的機関との間には、雇用に関する哲学の根源的な相違が存在する。この相違を解き明かすことは、日本の組織が陥りやすい病理を特定するための第一歩となる。
米国企業において広く採用されているのは「ジョブ型雇用」と呼ばれるシステムである。
この形態は、企業が人材を採用する際にあらかじめ職務内容(ジョブディスクリプション)を明確に定義し、労働時間ではなくその職務や役割に基づく成果物によって評価と報酬を決定する仕組みである 。
このシステムは「仕事に人をつける」あるいは「仕事に人を合わせる」と表現され、特定の分野に関する極めて高度な専門的スキルが採用の絶対条件として追求される 。
企業側は新入社員を一から教育することはほとんどなく、求めている能力をすでに持ち合わせた即戦力を市場から調達する 。
このため、採用時点で評価の基準が明確であり、上司や同僚の主観的感情に影響されない正当な評価が可能となる一方で、設定された範囲を超えた業務を命じることは難しく、組織に欠員が生じた際の流動的な人員配置が困難になるという側面も持ち合わせている 。
対照的に、日本の官公庁や旧来の大企業において支配的であるのが「メンバーシップ型雇用」である。
この形態は、職務を特定せずに潜在能力を見込んで人材を組織に迎え入れ、長期的な育成や幅広い業務経験、人事異動、転勤を前提とするシステムである 。
新卒一括採用を基盤とし、職務に必要な知識や社会人としてのマナーを組織内で一から教育する手厚い環境が用意される 。
このシステムは「人に仕事をつける」あるいは「人に仕事を合わせる」と称され、社内で多様な業務を円滑にこなすオールマイティーなゼネラリストが高い評価を得る傾向にある 。
評価軸は労働時間や職務遂行能力の蓄積に置かれ、勤続年数に伴って自動的に報酬が上昇する年功序列の仕組みと不可分に結びついている 。
これらの雇用システムの構造的な違いを比較すると、次のような対立軸が明確になる。
日本の民間企業においても、近年ではグローバル競争の激化を背景に、日立製作所のようにジョブ型人材マネジメントの実現に向けて新卒採用に「デジタル人財採用コース」を新設し、経験者採用比率を拡大するといった変革の動きが見られる 。
しかしながら、日本の地方公務員制度、とりわけ地方自治体における行政組織は、依然として極めて純度の高いメンバーシップ型雇用の枠組みの中にある。
「スタッフ方(支援・従事する側)」としての役割を重視し、とにかく人員を採用して組織内部で長年にわたり育て上げていくというアプローチは、組織への高い忠誠心と安定的な業務継続をもたらす一方で、専門性の欠如と前例踏襲主義を組織の隅々にまで蔓延させる原因ともなっている。
この長期的かつ同質的な育成プロセスこそが、時間の経過とともに組織全体のパフォーマンスを低下させる重大な罠を内包しているのである。
階層組織の構造的罠:ピーターの法則と組織の劣化メカニズム
メンバーシップ型雇用と年功序列を前提とした階層型の行政組織が、なぜ時間の経過とともに活力を喪失し、意思決定の機能不全に陥るのか。
この現象の背後にあるメカニズムを見事に解明しているのが、米国の社会学者であり教育学者でもあったローレンス・J・ピーター教授が提唱した「階層社会学」における「ピーターの法則(Peter Principle)」である 。
この法則は、組織論における古典的なテーゼとして高く評価されており、あらゆるポストが職責を果たせない人間によって占められていく禁断の真実を浮き彫りにしている 。
ピーターの法則の中心的な主張は、「階層社会では、有能な人材が昇進を重ねることで最終的に自身の能力の限界点に達し、結果として無能なレベルに到達してその地位に留まり続ける」というものである 。
この法則が発生する根本的な原因は、「ある特定の業務で有能であった人材が、全く異なる性質を持つ上位の業務においても有能であるとは限らない」という普遍的な事実を、組織の昇進人事が十分に理解していない点にある 。
このメカニズムを理解するために、自動車のセールスマンの事例をメタファーとして用いることが極めて有効である。
現場において多数の自動車を販売する能力に長けたセールスマンは、組織内で極めて優秀な人材として評価される。
その輝かしい実績に対する報酬として、組織は彼を係長に昇進させる。
係長としても、自身が培った販売ノウハウを駆使して部門全体の売り上げを伸ばすことに成功すれば、次なるステップとして課長や店長へと引き上げられる。
課長としても優れた成績を収めれば部長へ、さらには社長へと昇り詰めていくというのが、従来の組織におけるごく一般的な人事の定石である。
しかし、ピーターの法則はこれが重大な罠であると警告する。時間が経つにつれて組織内で生じる現象は、より複雑で悲劇的である。
係長に昇進したものの、マネジメント能力において「いまいち冴えない」人材は、これ以上の昇進基準を満たすことができず、そのまま係長のポストに長期間留まることになる。
課長に昇進したものの、部門間の調整や戦略立案において能力の限界を露呈した人材は課長として滞留し、部長として全社的な方向性を示せない人材は部長の椅子に居座り続ける。
結果として、長期間の間に組織内のすべてのポストが、その職責において「冴えない」人間、すなわち無能レベルに達した人間によって完全に埋め尽くされてしまうのである 。
最終的に、組織の実際の仕事は、まだ自己の無能レベルに達していない下位の構成員(現場の若手担当者など)によって辛うじて回されている状態に陥る 。
このピーターの法則がもたらす組織的弊害は、単に業務効率の低下にとどまらない。
より深刻なのは、人事評価機能の連鎖的な崩壊である。会社や行政機関に無能な上司が増殖すると、部下に対する適切な評価やフィードバックが機能しなくなる 。
無能レベルに達した上司は、部下を正しく評価するための知識やマネジメントスキルが不足しているため、その役職に相応しくない人材を誤って昇進させたり、逆に有能な人材を不当に低く評価して昇格させなかったりする 。
場合によっては、自身の無能さを取り繕うため、あるいは自身の地位を脅かしかねない優秀な人材を意図的に排除するために、有能な若手をマイナス評価するといった病理さえ生じる 。
こうした状況下では、組織内で有能であり続けるための奇妙な生存戦略が生まれる。
それが、ピーター氏の著作でも言及されている「創造的無能」の選択である 。
賢明な人材は、無能化の罠を避けるために、あえて実力を発揮せず、昇進しないように立ち回る。
しかし、実力があるにもかかわらず正当に評価されない状況は、当人に巨大なフラストレーションと不満をもたらし、結果として組織を見限る優秀な人材の流出(離職)を加速させることとなる 。
なお、階層社会における組織劣化を説明する理論として、ピーターの法則と対比されることが多いのが「ディルバートの法則」である。
両者は主要なポストを無能な人材が占めるという結論においては一致しているが、その発生プロセスが異なる。ピーターの法則が「能力の限界まで昇進した結果としての無能化」を説明するのに対し、ディルバートの法則は「そもそも現場で実務能力がない無能な人材が、現場の障害とならないように実務に関わらない管理職へ意図的に異動させられる」というメカニズムを指摘している 。
日本の地方自治体においては、これら二つの法則が複雑に絡み合いながら、マネジメント層の機能不全を引き起こしていると分析できる。
地方自治体における硬直化と実力本位主義の欠如
日本の地方自治体は、採用時に職務内容が明確に規定されていない年功序列型のメンバーシップ雇用を採用しているため、ピーターの法則が極めて当てはまりやすい典型的な環境である 。
さらに行政機関の特性として、一度昇進した人材を元の職位に戻す「降格」の制度が実質的に存在しないか、あるいは運用されていないことが、この病理を決定的に深刻化させている 。
特に愛知県内の一部の基礎自治体(例えば、弥富市役所のような規模の組織がその最たる例として挙げられる)においては、実力本位主義の欠如が顕著に現れる傾向がある。
小さな組織が社会のニーズに合わせて新たな事業領域を開拓していくプロセスを想定した場合、そこには未知の課題に対する「想像力」や、新たなステークホルダーとの関係を構築する「開拓力」が必要不可欠である。
さらに重要なのは、自組織の施策の優位性や必要性を外部に対して論理的に説得する「説明能力」である。民間企業のセールスに例えれば、「自社の製品がいかに優れているか、なぜこの車を買うべきか」を顧客に納得させる力に他ならない。
そして、提案が受け入れられない、あるいは計画通りに事業が進まないという現実の壁に直面した際、その課題をどう改善・克服していくかを各階層(係長、課長、部長、さらには首長レベル)が真剣に思考し、即座に動く「行動力」が求められる。
しかし、ピーターの法則によって無能レベルのまま固定化された管理職で埋め尽くされた自治体組織においては、こうした組織全体の改革を牽引する職責に見合った能力を持つ人間が意思決定層に存在しない。
結果として、新しいチャレンジは忌避され、前例を踏襲することだけが唯一の安全策として選択され続ける。
実力主義に基づく選抜機能を持たない組織は、必然的に説明能力と行動力を欠いた人間集団へと純化していくのである。
インセンティブ設計としての昇任試験:名古屋市の係長試験からの示唆
このような組織の自動的な劣化(ピーターの法則)に抗うため、一部の伝統ある政令指定都市は過去において極めて巧妙な人事・選抜システムを構築してる。
その代表例が、愛知県下においても独自の地位を築いていた名古屋市役所における「係長試験」の制度である。
この制度の歴史的意義を約40年前(1980年代半ば)の文脈から紐解くことで、組織マネジメントの本来のあり方が浮き彫りになる。
名古屋市では、採用から7年目程度(現在は4年)の職員を対象に、マネジメント層への登竜門として厳格な係長試験が課されていた。
この試験は、地方自治法や地方公務員法といった関連法規の微細な条文解釈や知識のギャップを問うにとどまらず、管理監督者としての本質的な資質を問うものであった。
特筆すべきは、部下の育成方針や係の組織運営に関する課題について、単なる択一式の知識テストではなく、2時間で二つのテーマについて論述させる高度な「論文試験」が課されていた点である。
この論文試験において人事委員会や総務局人事課の採点者が注視していたのは、教科書に載っているような「報連相(報告・連絡・相談)」の徹底といった通り一遍の模範解答を記述できるかどうかではない。
当時の行政組織が陥っていた「C姿勢(例えば、事勿れ主義や責任回避的な姿勢)」等の具体的な病理と結果を直視し、これまでの組織運営のどこに問題があったのかを分析した上で、これからの組織運営はどうあるべきかという明確なビジョンと改善改革の処方箋を提示できるかどうかが厳しく問われたのである。
この試験制度は、意欲ある職員に対する強力なインセンティブ設計として機能した。
試験を突破して係長にならなければ、組織内でのキャリアアップや裁量権の拡大は望めない。
エリート層(将来の局長や副市長を目指すような層)は一度の受験でこの関門を突破していく一方で、一般的な職員もこのハードルを超えるために自己研鑽を強いられた。
複数回の挑戦を経て合格する者が普通であったが、このプロセス自体が組織全体に学習の習慣を根付かせる役割を果たしていた。
当時の情報環境は、現代のようにインターネット上に知識が溢れている時代ではなく、書籍や限られた文献だけが頼りであった。
しかし、行政内部の知識だけでは高度な論文試験の要求に応えられないと悟った職員たちは、図書館へ通い、あるいは自費で書籍を買い求め、最先端の民間経営学からヒントを得ようとした。
当時、日本の産業界で革新的な経営を実践していた企業群の取り組みは、行政の枠を超えて大きな学びの源泉となった。
例えば、トヨタ自動車が実践していた「改善(カイゼン)」の手法は、現場の無駄を徹底的に排除し、ボトムアップで業務プロセスを持続的に進化させる哲学として、当時の行政組織の硬直性を打ち破るヒントを提供した。
また、本田技研工業(ホンダ)における「ワイガヤ」は、役職や年齢の壁を取り払い、特定のテーマについて本質的な議論を徹底的に戦わせる文化であり、イノベーションの土壌として注目された。
さらに画期的であったのが、ソニーが1966年に創業者の理念のもとで開始した「社内募集(公募)制度」である 。
これは、新しい挑戦をしたいという個人の意志により、上司の許可を必要とせずに自ら手を挙げて社内の様々なポストに応募できる仕組みであり、いわば社内で転職するような主体的なキャリア形成を可能にするものであった 。
この「やり直しのきく人事ルール」は、組織に自由闊達な気風をもたらし、適材適所を実現するダイナミックな制度として、閉鎖的な行政組織の対極にある理想モデルとして捉えられた。
名古屋市における係長試験は、これら民間の先進的な経営戦略や組織改革の視点を行政官の思考回路に強制的にインストールするための装置であったと評価できる。
人事委員会がどこまで意図していたかは定かではないが、結果として、組織の劣化を防ぎ、マネジメント層に一定の改革志向を担保するための極めて費用対効果の高い方策として機能していたのである。
逆に言えば、このような実力本位の選抜システムが存在しない、あるいは形骸化して単なる年功序列に戻ってしまった組織(愛知県庁や前述の弥富市役所等の事例)においては、前例踏襲のぬるま湯の中で組織の活力が静かに、しかし確実に奪われていくことになる。
前例踏襲の壁の打破と外部ダイナミズムの統合
しかしながら、厳しい選抜を経てマネジメント層に到達し、最新の経営学の知識を身につけた職員であっても、巨大な官僚組織の内部においては、強固な前例踏襲主義という見えない壁に直面することになる。
役所という組織の内部だけを見つめていれば、リスクを回避し、過去の踏襲を是とする力学に絡め取られ、組織全体の活力は必然的に失われていく。
この閉塞感を打破するためのブレイクスルーは、1992年以降に顕著となった「市民活動」のうねりの中に存在した。
行政の枠外で展開される市民活動の現場には、都市経営的側面や組織の革新性において、行政を遥かに凌駕するダイナミズムがあった。その象徴的な事例の一つが、「雑木林研究会」の取り組みである 。
1992年に設立された雑木林研究会は、人間と雑木林(里山林)のより良い関係を模索し、放置されつつある雑木林の新たな活用法を探求することを目的とした市民活動団体である 。
この団体の活動が特筆すべき点は、行政単独の公共事業の限界を乗り越える手法を生み出したことにある。
都市計画公園緑地として計画決定されながらも、行政の予算で民有地を買収して事業化するには多額の費用と膨大な時間がかかるという行政の硬直性に対し、市民活動側は民有地を地権者から無償で借り受け、市民と行政の協働によって保全と活用を進めるという極めてアジャイル(機敏)な解決策(オアシスの森づくり事業)を実践したのである 。
さらに、彼らの活動スタイルは、階層的な行政組織とは全く異なるフラットで創造的なものであった。
竹林の手入れやカブトムシのすみか(ビートルズ・アパート)づくりといったフィールドワークにとどまらず、「片手にノコギリ、片手にビール」という合い言葉に象徴されるように、各々の立場の違いを認め合いながら議論を戦わせ、ともに汗を流して笑い合うというプロセスそのものが、強靭なコミュニティーづくりに直結していた 。
これはまさに、ホンダの「ワイガヤ」にも通じる、立場の違いを越えた創発の空間であった。
こうした市民活動の現場が持つ圧倒的な活力と自由な気風に惹きつけられた一部の行政職員は、業務の傍ら市民活動に身を投じる「二足のわらじ」を履くことを選択した。
彼らは、官僚組織の中で失われがちな創造力や水平的なネットワーク構築のノウハウを外部で学び、その活力を市役所という組織の内側に意図的に持ち込んだのである。
「急がば回れ」の言葉通り、外部組織との越境的な関わりが、結果として硬直化した行政組織に新たな刺激を与える強力な触媒となった。
この個人の自発的な越境体験の成果は、のちに組織全体の制度として結実することになる。
名古屋市は2003年(平成15年度)から、やる気のある市の職員をNPO等の市民活動団体へ派遣し、そこで学ばせる「NPO派遣研修」を正式に開始した 。
この制度の根底には、多様な主体との連携・協働のあり方を学ぶだけでなく、地域の社会的課題を職員一人ひとりが「ジブンゴト」として捉える感性を養うという明確な目的があった 。
10年、20年の時を経て、かつて異端とされた「二足のわらじ」の精神が、行政マネジメントの公式な人材育成カリキュラムとして昇華された事実は、組織の無能化・同質化を防ぐ上で外部の血を入れることがいかに重要であるかを如実に物語っている。
結論に代えて:地方行政再生に向けた戦略的アプローチ
本稿の検証を通じて、日本の地方自治体が抱える組織的課題の本質は、メンバーシップ型雇用に基づく年功序列と、ピーターの法則によって引き起こされる「階層の無能化・沈殿化」にあることが明らかとなった。
実力や改革の意志を伴わない人材がマネジメントの各階層を占拠することで、組織は新しい事業に挑戦する想像力を失い、外部に対する説明能力を放棄し、困難を乗り越える行動力を喪失する。
この罠から抜け出すためには、以下のような多角的な組織改革へのアプローチが不可欠である。
第一に、昇進と評価のメカニズムを抜本的に再構築することである。
ピーターの法則の被害を最小限に食い止めるためには、職務内容を変えずに専門性を評価して昇給できる「専門職制度」のルートを確立し、マネジメントに不向きな優秀なプレイヤーを無理に昇進させない仕組みが必要である 。
また、昇進対象者に対しては、経営層からの期待役割やマネージャーとしての行動特性を自覚させるための徹底した管理職研修を実施しなければならない 。
さらに最も重要なのは、昇進後にマネジメントの適性がない(無能レベルに達した)ことが明らかになった場合、本人のストレス(創造的無能化)を防ぎ組織の停滞を解消するために、適切なポジションへの「降格」を機能させる制度設計を躊躇なく導入することである 。
第二に、純粋なメンバーシップ型雇用の限界を認め、組織の要所に「ジョブ型」の要素を戦略的に組み込むことである 。
特に、前例のない新規プロジェクトやデジタル改革など、高度な専門性と変革力が求められるポストに対しては、年次にとらわれず、そのミッションを達成しうる最も適切な人材を充てる(仕事に人をつける)べきである。
また、ソニーの事例に見られるような社内公募制度 を行政内に本格導入し、意欲ある職員が自らのキャリアを切り拓くことができる「やり直しのきく人事ルール」を整備することが、組織内の流動性と活力を取り戻す鍵となる。
第三に、マネジメント層の選抜において「課題解決と未来の構想力」を厳格に問う仕組みを復活・強化させることである。かつての名古屋市の係長試験のように、単なる知識の暗記ではなく、自組織の抱える病理を分析し、自らの言葉で改革のビジョンを提示できる能力(説明能力と行動力の源泉)を論文やプレゼンテーションを通じて評価するシステムこそが、組織の劣化を防ぐ最大の防波堤となる。
最後に、職員を組織の外部に意図的にさらす「越境体験」の恒常化である。NPO派遣研修や市民活動との協働を通じて、前例踏襲の通じないフラットな環境での課題解決を経験させることは、官僚的な無謬性の殻を破る最良の訓練となる。
地方自治体は、住民の生命と財産、そして地域の未来を預かる最大の経営体である。
その組織が「いまいち冴えない」人材の集積所へと成り下がるのを座視することは許されない。
適材適所の厳格な運用、民間社会の活力の吸収、そして何よりも現場の課題に対して説明を尽くし行動を起こすリーダーシップの育成。
これらをシステムとして組織内部に埋め込むことこそが、次代の行政経営に求められる唯一の再生への道標である。
