【コラム】弥富市は「借金」で倒産する? 〜惰性の市政を断ち切り、真の立て直しができるリーダーを〜
行政が行う様々な事業や補助金。本来であれば「5年見直しルール」などで全ての事業の必要性や効果を定期的に検証し、スクラップ・アンド・ビルドを行うのは当たり前の話です。
しかし、今の弥富市でこの「当たり前」は機能しているでしょうか。
限られた予算を有効に使うためには、新規事業を始める際、徹底した費用対効果の検証と「いつまでに成果を出すのか」という期限の設定が不可欠です。
しかし現状は、一度始めた事業を惰性で続け、見直すことすらできていないのが実態です。
効果が見えない補助金と「説明責任」の放棄
例えば、中学生の入学時に1人5万円を支給する事業。年間約1,000万円という膨大な予算が投じられていますが、果たしてその「政策効果」は何なのでしょうか。
もらった側が嬉しいのは当然ですが、市の限られた財源からひねり出した血税を使う以上、市全体としてどのような効果を生むのか、明確な説明責任(ストーリー)が必要です。
しかし、ほとんどまともな説明がなされていません。
敬老の記念品や金婚式のお祝いなども同様です。
長年続いている事業をやめようとすると「今までのは何だったんだ」「不公平だ」という感情論になりがちです。
しかし、そこを乗り越えて「真に必要な事業は何か」を見極め、住民や議会と議論を尽くすことこそが、政策立案能力であり、行政の果たすべき責任です。
今の弥富市には、その能力が著しく欠如していると言わざるを得ません。
弥富駅自由通路のアンケートに潜む「ワンコインの罠」
政策形成能力の欠如を象徴するのが、弥富駅の自由通路・橋上化事業における調査です。
本来、事業のB/C(費用対効果)は「どれだけの時間短縮効果があるか」「どれだけの経済効果が生み出されるか」を科学的に測るべきものです。
しかし市が行ったのは「この駅のために、あなたはいくら払えますか?」と支払意思額を問うような、極めていい加減なアンケートでした。
「こんな立派な駅ができるなら、月にワンコイン(500円)くらいなら払ってもいいかな」とクリックしてしまった市民もいるでしょう。
しかし、それが「年間6,000円」となれば話は別です。「毎年6,000円を駅のために払うくらいなら、別の福祉施策に回してほしい」と考えるのが市民のリアルな金銭感覚ではないでしょうか。
これは一種の錯覚を利用した手法であり、到底まともな事業評価とは呼べません。
弥富市は本当に「優良企業」なのか?
バブル崩壊時の山一證券や北海道拓殖銀行を思い出してください。
表の帳簿上は一流の優良企業に見えても、裏には莫大な簿外債務が隠されていました。
弥富市もこれと同じ状況に陥りつつあります。
市の年間予算に匹敵する「長期債務」、そして何十億円にも上る「下水道事業の負担」。
これらは決して隠されているわけではありませんが、その深刻さを現在の市長も副市長も、幹部職員も、そして議会の多くの議員も全く理解していません。
昨年の財政説明会で、市民から「市の借金はいくらあるのか?」と問われた際、市長は即答できず「後で調べてホームページで公表します」と逃げました。
市のトップとして無責任極まりない姿勢であり、現在の財政への無関心さを象徴しています。
次の市長に求められるのは「事実上の倒産企業の立て直し」
現在、2期6年目を迎える副市長をはじめとする市の幹部たちは、無駄な借金を増やし、事業の見直しすらまともにできてきませんでした。
もし彼らに正しい財政の見通しと政策立案能力があったなら、弥富市がここまで危機的な状況に陥ることはなかったはずです。
来る12月の市長選挙。次の市長が直面するのは、この7年間で膨れ上がった負の遺産の「尻拭い」であり、事実上倒産しかかっている会社の「立て直し」です。
本当に効果のある事業に予算を絞り込み、惰性で続く無駄な事業に大なたを振るう。
そんな痛みを伴う改革を断行できるリーダーでなければ、弥富市の未来はありません。
市民の皆様には、候補者が「真の立て直しができる人物か」、そして市の幹部たちに厳しい目を向け、適正な仕事をさせることができるのかを、しっかりと見極めていただきたいと思います。
弥富市における行財政運営の構造的欠陥と再建への道標:地方自治体におけるガバナンス不全と見えない債務の深層
1. 序論:転換期を迎える地方財政と「証拠に基づく政策立案(EBPM)」の不在
日本社会が本格的な人口減少と少子高齢化のフェーズに突入し、高度経済成長期に整備された公共インフラが一斉に更新時期を迎える中、地方自治体の行財政運営はかつてない次元の厳しさに直面している。
限られた財源をいかに有効に配分し、将来世代への過度な負担の先送りを防ぐかという課題は、全ての基礎自治体に共通する至上命題である。
こうした環境下において、近代的な行政機構には「なんとなく良さそうだから」「これまでやってきたから」といった感情論や前例踏襲主義を排し、客観的なデータと費用対効果(B/C:Benefit/Cost)に基づいた「証拠に基づく政策立案(EBPM:Evidence-Based Policy Making)」の徹底が強く求められている。
しかしながら、愛知県弥富市における近年の行財政運営の実態と政策決定プロセスを精査すると、このEBPMの理念から著しく逸脱した、極めて深刻なガバナンスの欠如と構造的な機能不全が浮き彫りとなる。
本レポートでは、多角的な事実関係と財務データに基づき、弥富市が抱える事務事業評価の形骸化、政策立案能力の欠落、インフラ整備における合意形成の歪曲、そして水面下で膨張する巨額の「見えない債務」の実態を解明する。
行政の最大の責務は、予算編成というリソース配分のプロセスにおいて、市民や議会に対して「なぜその事業が必要であり、どのような効果をもたらすのか」という論理的ストーリー(説明責任)を提示し、厳格な評価に晒すことである。
だが、後述する諸事実からは、弥富市の経営層(首長および幹部職員)において、この最も基本的な統制メカニズムが麻痺しており、かつてのバブル経済崩壊時に露呈した一部の破綻企業(山一證券や北海道拓殖銀行など)に酷似した、無責任かつ放漫な組織風土が蔓延している状況が示唆される。
2026年12月に任期満了を迎える次期市長選挙を前に 、事実上「倒産状態」にあるとも言える市の財務をいかに立て直すか、その現状認識と再生(ターンアラウンド)への処方箋を提示する。
2. 事務事業評価の形骸化と「サンセット方式(5年見直しルール)」の機能不全
2.1. 新公共管理(NPM)の理念と現実の乖離
現代の地方自治体においては、予算要求や毎年の事業執行の過程で「事務事業評価」が行われるのが一般的である。
これは新公共管理(NPM:New Public Management)の理念に基づき、行政活動を事業単位に細分化し、その必要性、妥当性、有効性、効率性を毎年度検証・棚卸しするシステムである。
弥富市においても、様々な補助金や事業に関して「5年見直しルール(サンセット方式)」という原則が存在し、全ての業務の棚卸しが意図されていることが伺える。
サンセット方式の本来の目的は、事業創設時にあらかじめ「5年間」という期限(次元)を区切り、その期間内で達成すべき成果目標を設定することにある。
そして期限到来時には、前例に縛られることなくゼロベースで効果を検証し、目標未達であれば事業を廃止(スクラップ)し、惰性による事業継続を強制的に遮断するメカニズムである。しかし、現実の弥富市政においては、このシステムが全く機能していない。
2.2. 感情論と前例踏襲主義による既得権益化のメカニズム
補助金や助成事業を原則通り5年で打ち切ろうとした際、行政内部や議会、さらには対象となる市民から必ずと言っていいほど噴出するのが「なぜ今年から急になくなるのか」「6年目に該当する市民(あるいは子ども)が不公平ではないか」という感情論に基づく反発である。
政策の当初の目的(特定の社会課題を解決したか、費用対効果に見合う成果が出たか)が達成されたか否かという本来の科学的検証軸がすり替えられ、「これまで与えられていた既得権が奪われることへの損失回避バイアス」が議論を支配してしまうのである。
例えば、金婚式の祝いや敬老の記念品贈呈といった事業は、その典型例と言える。
これらは開始当初(数十年前)においては、高齢者が相対的に少なく、長寿を祝うという一定の福祉的・慰問的意義と合理性があったかもしれない。
しかし、超高齢社会を迎え高齢化率が飛躍的に上昇した現代においては、対象者が急増し、財政を圧迫する固定費へと変貌している。
おそらく30年以上継続されているであろうこれらの事業に対し、「いまさらやめるとは何事か」「今までの予算は一体何だったのか」という心理的抵抗や、行政特有の「無謬性神話(過去の政策決定を否定できない心理)」が強く働き、抜本的な見直しに踏み切れない状況が続いている。
結果として、限られた予算の枠内で「現時点でどの事業を廃止し、どの新たな事業に投資するか」という本質的なスクラップ・アンド・ビルドの機能が麻痺している。
行財政改革の目標値1億円に対し、実際には5,000万円程度の達成に留まっているという事実も 、この事業評価サイクルの機能不全を客観的な数字として裏付けていると言えよう。
検討資料を作成し、効果を検証する能力(政策形成能力)が組織的に欠落しているため、説明責任を果たせないまま惰性で事業が継続されるのである。
3. 政策立案能力の欠如と費用対効果(B/C)分析の放棄
新たな補助金や事業を立ち上げる際、本来であれば複数の政策オプションを比較検討し、その中で最も費用対効果が高く、かつ市全体に寄与する最適解を選択するプロセスが不可欠である。
しかし、弥富市において新たに創設される事業の多くは、この政策立案プロセスを欠き、首長の独断とも言える形で決定されている疑いが極めて強い。
3.1. 医療費補助・安全対策補助における経済効果の波及経路の複雑性
自転車ヘルメットの購入補助やワクチンの無料化事業などを例に、政策立案における費用対効果の考え方を検証する。
これらの事業を実施する際、単に「補助を受けた市民の負担が減り、得をする」という直接的便益(ミクロな視点)だけでなく、市全体の財政におけるマクロな費用対効果(B/C)をどう評価するかが問われる。
仮に、ワクチン接種事業に市単独で100万円の予算を投じたとする。この100万円は限られた税収の中から捻出されるため、政策の合理性を担保するには、「ワクチンを打つことで市民が病気にかかる確率が下がり、結果として将来発生し得た医療費(社会的コスト)を100万円以上削減できる」という予防医療による将来コスト抑制の論理構築が必要となる。
しかし、この計算式は極めて複雑である。なぜなら、医療費が100万円節約できたとしても、その大部分は自己負担分や、社会保険・国民健康保険といった特別会計等の枠組みの中で処理されるからである。
市の一般会計(税金からの持ち出し)から見て、直接的に「国民健康保険特別会計への繰出金がどれだけ減るか」という財務的リターンを厳密に算出することは容易ではない。
したがって、こうした事業を導入する際には、経済的困窮者への所得再分配や福祉施策としての合理性(数千円の自己負担ができない層へのセーフティネット)を主眼に置くのか、それとも全体としての医療費削減効果を狙うのか、その政策目的と効果測定の手法を市役所内部で徹底的に議論し、ストーリーを構築しなければならない。
そうした「理屈の構築」こそが公務員の専門性であり仕事の基本であるが、弥富市ではこの評価・点検プロセスが担保されていない。
3.2. 「中学校入学祝金(5万円)」事業に見るバラマキ政策の典型
弥富市の政策立案能力の欠如を最も象徴的に表しているのが、「中学校入学祝金」の支給事業である。
この事業は、中学校への進学にあたり家計の負担を軽減するため、対象となる生徒1人につき5万円の現金を支給するものである 。
令和5年度の予算として、所得制限を設けることなく総額2,200万円が計上されている 。これは毎年約440人の中学生(2,200万円 ÷ 5万円)に対して一律に給付が行われる計算となる。
この事業の最大の問題点は、年間2,000万円以上という膨大な予算を投じながら、その「効果」に関する明確な政策立案の形跡や客観的な検討資料がほとんど存在しないことである。
市の公式な説明では「小中学校給食費の食材価格高騰分の影響による家計の負担軽減」や「子育て支援」が目的とされているが 、所得制限なしの一律現金給付という手法は、経済学的な乗数効果(地域経済への波及効果)が極めて低く、真に困窮している世帯への厚い支援という福祉的観点からも極めて非効率(死荷重が大きい)である。
議会の予算決算委員会において、佐藤仁志議員から「2,200万円はただのお金ではなく、4万4千人の市民からのエールであり、その想いをどう子どもたちに伝えるかが重要である」との指摘がなされ、これに対して教育長が「弥富の未来を背負う子どもたちへの応援歌として、現場で想いを伝えていく」と答弁する事態となっている 。
このやり取りは一見すると美談のように響くが、政策評価の観点から見れば極めて異常である。
なぜなら、2,200万円もの税金を投じる新規事業に対し、事後的に議会で「教育的効果や市民の連帯感醸成といった精神的意義」を付加しなければならないほど、事業立案段階での目的設定が空虚であったことを自ら証明しているからである。
このような、明確な成果指標(KPI)も出口戦略(サンセット条項)も持たない事業が、「首長の独断」と疑われるプロセスで毎年1,000万〜2,000万円規模の固定費として予算化されれば、長期的には間違いなく市の財政体力を奪っていくことになる。
4. 意図的な情報操作と合意形成の歪み:弥富駅自由通路整備事業
少額の補助金事業における評価の甘さは、将来世代に巨額のツケを残す大規模インフラ事業において、さらに悪質かつ深刻な形で現れる。その典型例が「JR・名鉄弥富駅自由通路整備事業」の必要性を問う需要予測と、市民アンケート調査の不適切な手法である 。
公共事業の妥当性を評価する際、直接的な運賃収入等による採算が見込めない公共財(自由通路など)においては、仮想評価法(CVM:Contingent Valuation Method)などが用いられ、市民がその便益に対していくらまでなら支払う意思があるか(WTP:Willingness to Pay)を調査することがある。
本来の費用対効果(B/C)分析であれば、自由通路が完成することによる歩行者の時間短縮効果や、分断された市街地の接続による周辺への経済波及効果を精緻に算出し、それに要する莫大な建設費・維持管理費と天秤にかけるべきである。
しかし、弥富市が実施したとされるアンケート調査は、質問のフレーミング(表現方法)によって回答を意図的に誘導する、極めて不誠実なものであったことが指摘されている。
調査において、市は巨額の負担額を提示する代わりに「これだけ立派な駅ができるなら、月にワンコイン(500円)くらいなら払ってもいいですか?」という趣旨の設問を行ったとされる。
「月に500円」という額面は、回答者の心理的ハードルを著しく下げるアンカリング効果を狙ったものである。
しかし、月に500円は年間に換算すれば6,000円である。
もしアンケートが誠実に「あなたは毎年6,000円の税金を、この駅の通路のために支払い続けますか?」と問うていれば、大半の市民は「年間6,000円の負担増になるなら、福祉や教育など他の事業に回してほしい」、あるいは「その分税金を安くしてほしい」と回答したはずである。
巨額の投資がもたらす真の費用対効果(B/C)や将来の負担額という「不都合な真実」から目を背けさせ、表面的な「立派な駅舎」という幻想に対して意図的に低い負担感を提示してクリックを誘導する手法は、「アンケート詐欺」と揶揄されても弁明の余地がない。
これは、行政の政策形成能力が低いというレベルを超え、初めに「駅舎建設ありき」という結論が存在し、それを正当化するためのアリバイ作りとして調査が悪用されていることを意味する。
こうした作為的な合意形成の手法は、市民の行政に対する信頼(ソーシャル・キャピタル)を根底から破壊する行為である。
5. 巨大な「見えない債務」と硬直化する財務体質
事業評価サイクルの崩壊、バラマキ的補助金の常態化、そして合意形成を歪めた無責任な大規模インフラ投資の累積は、必然的に市のバランスシートを著しく悪化させる。
公開されている弥富市の財務データは、かつてバブル崩壊後に不良債権を抱え、事実上の倒産状態に陥りながらも表面上は優良企業を装っていた企業群(山一證券や北海道拓殖銀行など)の財務諸表に酷似した、深刻な構造的危機を示している。
5.1. 膨張する市債残高の全容と内訳
令和5年度(2023年度)における弥富市の市債(市の借金)現在高は、総額で231億8,604.2万円に達している 。
これは、同年度の一般会計予算現額である182億7,483.3万円をはるかに上回る水準である 。
表が示す通り、全体の借金のうち一般会計が占める割合は63.1%(146億2,429.3万円)であるが、真に注視すべきは「下水道事業会計」に紐づく債務の異常な巨額さである。
公共下水道(71億4,049.9万円)と農業集落排水(10億4,995.0万円)を合わせた下水道関連の負債は81億9,044.9万円に上り、市全体の借金の35.3%という極めて大きな割合を占めている 。
5.2. 会計制度の壁に隠れた「実質的な簿外債務」の恐怖
地方自治体の会計制度において、下水道などの公営企業的な事業は「特別会計(企業会計)」として独立して経理される。
一般市民やメディアが行政の予算書や決算書をチェックする際、どうしても目立つ「一般会計」の規模や借金(弥富市の場合は約146億円)だけに目を奪われがちである。
しかし、下水道事業は本来、利用者が支払う使用料収入によって施設整備費、維持管理費、そして過去の建設に伴う起債(借金)の元利償還を賄う「独立採算」が原則である。
ところが、人口減少に伴う接続世帯の伸び悩みや使用料収入の減少、さらには施設の老朽化による更新投資の増大により、全国の多くの自治体と同様、弥富市の下水道事業も事実上、一般会計からの巨額の繰出金(実質的な赤字補填)なしでは資金繰りが成立しない状態に陥っている可能性が高い。
つまり、81億円を超える下水道債務は、単なる独立会計の借金ではなく、将来にわたって一般会計の予算(市民の血税)を侵食し続ける強烈な「見えない債務」として存在しているのである。
この構造の深刻さを、経営層である市長や副市長、幹部職員が真に理解していない、あるいは意図的に市民にその深刻さを周知していないとすれば、それは極めて危険なガバナンスの空白と言わざるを得ない。
実際、市民団体や議員からの指摘によれば、弥富市の「将来負担比率」は95%に達しており、これは愛知県下の市町村で最も悪い(ワースト)水準にあるとされている 。
将来負担比率とは、一般会計等が将来負担すべき実質的な負債(特別会計の赤字補填や公社等の負債への負担見込額を含む)が、標準財政規模に対してどの程度の割合を占めているかを示す、自治体の「真の借金負担」を測る最重要指標である。
これが95%という危機的な高水準にあることは、将来の予算編成において自由に使える財源が極度に奪われ、財政の硬直化が限界に達していることを客観的に証明している。
5.3. 停滞する純行政コストの削減
令和5年度の決算報告において、弥富市の純行政コスト(約160億円)を住民1人当たりに換算すると36万7,000円であり、近隣の津島市(37万5,000円)や愛西市(38万2,000円)と比較して特段高いわけではないように見える 。
しかし、これはあくまで単年度のキャッシュフロー的な側面に過ぎず、背後に横たわる231億円超の累積債務のリスクを反映したものではない。
事実、市が掲げていた行財政改革による1億円のコスト削減目標に対し、実績はその半分の5,000万円程度にとどまっていることが露呈している 。
事業のスクラップ(廃止)が決断できず、コスト削減が未達に終わっている実態は、前述した「サンセット方式の機能不全」が財政指標の悪化として直接的に表出している証左である。
6. 経営層のガバナンス崩壊と説明責任の完全なる放棄
いかに高度な事務事業評価システムや精緻な財政指標を組織に導入したとしても、その組織を率いるトップ(首長や副市長などの経営層)に、現実を直視し、時に痛みを伴う苦渋の決断を下す意志と能力がなければ、あらゆるシステムは無用の長物と化す。
弥富市における現在最大のボトルネックは、このトップマネジメントにおける圧倒的な危機意識の欠如と、経営者としての説明責任の放棄にある。
6.1. トップによる「財政無関心」の露呈
この異常なガバナンス不全を象徴する致命的な出来事が、2025年11月22日、安藤正明市長の就任7年目にして初めて開催された市政報告会において発生した 。
会の終盤、将来負担比率95%という深刻な財政状況の説明を受けた市民から、「結局のところ、弥富市の借金は全部でいくらあるのか?」という、極めてシンプルかつ本質的な質問が発せられた。
これに対し市長は即答できず、「資料を持ち合わせていません。後ほど調べてホームページで公開します」と回答を避けたのである 。
民間企業の社長が、株主総会において自社の「総有有利子負債額」を答えられないという事態を想像すれば、これがどれほど異常な事態であるかは明白である。
総額231億円という市の借金総額は、予算管理と財政運営の「一丁目一番地」である。
それを首長が記憶しておらず、市民の面前で即答できないという事実は、単なる準備不足や記憶違いといった次元の問題ではない。
これは、首長が日常の予算編成や新規事業の査定プロセスにおいて、マクロな財政制約やバランスシートの概念を全く考慮せずに意思決定を行ってきたこと、すなわち「財政運営に対する根本的な無関心」を決定的に露呈した瞬間であった 。
6.2. 幹部層に蔓延する危機感の麻痺と「茹でガエル」現象
さらに事態の深刻さを深めているのは、このトップの失態に対する市役所組織全体の反応である。
市政報告会から数日後の11月26日に開催された全員協議会において、議員からこの答弁を「大変恥ずかしいこと」として強く指摘され、改めて借金総額を問われた際も、市長は具体的な数字を答えることができず「キョトン」とした反応を示したと記録されている 。
加えて、2期目・在任6年を迎える副市長や部長クラスを含む幹部職員層全員が、この「トップが市の総負債額を答えられない」という異常事態に対して、誰一人として危機感や恥の意識を共有していなかった点が指摘されている 。
「将来負担比率が県下ワーストである」という市民からの再三の警告に対しても、首長は「問題ありません」の一点張りで馬耳東風の態度を取り続けているとされる 。
市の財産売却などのその場しのぎの対応を進めながら、中長期的な財政の根幹には関心を示さないこの姿勢は、組織全体が緩やかな破滅に向かっていることに気づかない「茹でガエル」現象の典型である。
かつてのバブル期に崩壊した山一證券や北海道拓殖銀行は、表向きの帳簿上は立派な優良企業を装い、本社ビルは立派であったが、その裏には巨大な簿外債務が隠蔽・蓄積されていた。
弥富市の現状(立派な駅舎建設に邁進する一方で、下水道債務という見えない負担が一般会計を圧迫し、首長がその実態を把握していない状態)は、この歴史的教訓と完全に符合する構造的欠陥を抱えていると言わざるを得ない。
7. 次期市政に求められる「企業再生(ターンアラウンド)」アプローチ
弥富市の行財政運営は、客観的証拠に基づく政策立案能力(EBPM)の欠如、サンセット方式など事業評価の形骸化、都合の良いデータを用いた合意形成の歪曲、そして何よりそれらを是正すべきトップマネジメントの圧倒的な当事者意識の欠落により、完全な機能不全に陥っている。
2026年12月には任期満了に伴う市長選挙が予定されているが 、次期市政を担う新たな経営層には、過去7年間(あるいはそれ以上)にわたって蓄積され、放置されてきた無作為の尻拭いを行う覚悟が求められる。
それは通常の「行政運営」の枠を超え、事実上倒産状態にある企業の再建(ターンアラウンド)に匹敵する、冷徹かつ強力なガバナンスの行使である。次期市政が直ちに着手すべき抜本的改革は以下の通りである。
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ゼロベース予算とサンセット方式の厳格な条例化 全ての既存事業、特に惰性で30年以上継続されている慣例的な福祉事業や、客観的な政策目的が不明確なまま導入された現金給付事業(中学校入学祝金等)について、外部専門家を入れた厳格な費用対効果(B/C)の再評価を義務付ける。初期の政策目的を達成した、あるいは明確な効果が立証できない事業については、例外や感情論を排して完全廃止(スクラップ)するルールを条例レベルで明文化・厳格適用し、予算編成の前提としなければならない。
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「見えない債務」を含む連結財務情報の完全公開と市民対話 一般会計だけでなく、下水道事業会計などを含む総額231億8,604.2万円の市債 と将来負担に関するリアルな見通しを、専門用語を排して市民に完全公開する。首長が総債務額を即答できないようなブラックボックス化した財務体質を直ちに解消し、市民に対して「どの事業をやめ、どの事業を残すか」という痛みを伴う選択肢を提示する。その上で、無作為抽出された市民による「討論型世論調査(Deliberative Polling)」などを導入し、歪曲のない真の合意形成プロセスを再構築すべきである 。
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政策形成能力(EBPM)の組織的強化と内部統制 市役所内部での予算要求や事務事業評価を、単なる「前年踏襲の作文」や「予算獲得のためのアリバイ作り」で終わらせず、データの裏付け(証拠)に基づく論理構築を必須要件とする。事業立案段階で明確なKPI(重要業績評価指標)と費用対効果の算定プロセスを経ていない提案は、市長や副市長の意向であっても予算案から排除するという、自律的な内部統制システムを早急に確立しなければならない。
地方自治の目的である「市民の幸福の最大化」は、無限の財源(打ち出の小槌)によってもたらされるものではない。限界に達した税収と巨額の負債という冷徹な現実(ファクト)に正面から向き合い、真に効果のある事業へとリソースを選択・集中させる科学的かつ公平な「経営能力」こそが、現在の弥富市において最も欠乏しており、次期市政において最優先で回復されなければならない中核的機能である。
