緊急対談「井上達夫、小沢一郎 憲法、そして民主政治を語る」
以下AIによる要約
井上達夫 × 小沢一郎:憲法と民主主義を語る(要約版)
1. 憲法とは何か?立憲主義と民主主義の対立
小沢一郎:
-
「護憲か改憲かという議論は不毛」 憲法は国民の暮らし、命、権利を守るためのルールであり、国民のためにならない部分があれば修正するのは当然である。状況の変化に合わせて国民自身が見直すべき。
-
権力の暴走をチェックし、国民を守るのが憲法だが、そのためには主権者である国民自身が自立し、しっかりとした意思表示をすることが不可欠。
井上達夫:
-
「憲法は権力を縛る前に、正統な権力を作り出す」 憲法がないと国会も内閣も裁判所も権力を持てない。誰が正当な権力を行使できるかを決めるのが憲法。
-
「伝統の『統』(レジティマシー・正統性)」 間違っていると思う政策でも、次の選挙で覆すまでは尊重する。この「正統性」を保障するのが憲法の役割。
-
「民主主義と立憲主義の緊張関係」 民主主義は「多数の専制」に陥る危険がある。少数者の人権を守るため、多数決(法律)でも変えられないハードルの高い硬性憲法が必要。
2. 九条と安全保障問題の欺瞞
井上達夫:
-
「護憲派は憲法を守っていない。改憲派よりもひどい仕方で憲法を破壊している」 自衛隊を「戦力ではない」とごまかし、専守防衛なら合憲とする解釈改憲は欺瞞。自衛隊員を憲法上認知せず**「私生児」**のように扱い、いざという時は命を懸けて守れというのは無責任の極み。
-
「九条があるから、戦力を憲法で統制できない」 憲法上「戦力は存在しない」ことになっているため、文民統制や武力行使の国会承認を憲法で縛れない。戦力を憲法で法的に統制するためには、**「九条削除(または護憲的改憲)」と「戦力統制規範の明記」**が絶対に必要。自衛隊に「軍法会議」がないため法的空白状態に置かれているのも非常に危険。
-
「くそみそ一緒論(一蓮托生論)」 自民党の改憲草案は、九条改正のついでに基本的人権まで骨抜きにしようとしている。九条問題と人権問題は分けて(国民投票の改正案ごとに)議論すべき。
小沢一郎:
-
「国連中心主義」 自国の防衛(個別的自衛権の拡大)のみでは平和は守れない。国際紛争解決のための自衛権発動は厳格に制限しつつ、国連中心の集団安全保障に徹するべき。
-
PKOに自衛隊を派遣するなら、国連の指揮下に全てを委ねるべき。「駆けつけ警護」など言葉のごまかしで、自国政府の指揮下においたまま派遣するのは筋が通らない。自衛隊はしっかりと軍隊として認めるべき。
3. コンセンサス政治の打破と政権交代
井上達夫:
-
「批判的民主主義(我ら愚者の民主主義)」 民主主義はみんなが賢いから機能するのではなく、試行錯誤や失敗から学習するために必要。
-
「コンセンサスは無責任の体系」 みんなで話し合って決める「コンセンサス」は、失敗した時に責任転嫁ができ、誰が間違えたか曖昧になる。
-
「反転可能性」 自分が野党から与党になった時にも同じルールを受け入れられるか。これを担保するには、小選挙区制によって大胆な政権交代が起こるシステムが必要。55年体制(コンセンサス政治)を破壊しようとした小沢氏の行動は、責任体系を明確にするためであり高く評価できる。
小沢一郎:
-
「権力は横暴になり、長期になれば腐敗する」 権力はオープンで、国民が選挙でコントロールできなければならない。
-
「中選挙区制は与野党談合のぬるま湯」 中選挙区制のままでは自民党権力が永久に続き、野党も一部の議席で満足してしまう。死票が出る欠点があっても、国民が権力者を選び直せる**「政権交代」**のメリットの方がはるかに大きい。小選挙区制はそのため(民主主義を定着させるため)に不可欠。
4. メディア批判と国民の自立
井上達夫:
-
「エセリベラル」 日本のメディアや知識人は、一見リベラルを装いながら、記者クラブの特権に固執し、本当の意味で言論の自由を守る覚悟がない。小沢氏がメディアから総叩きにあったのは、その特権を壊そうとしたから。
-
新聞やテレビだけを信じるのではなく、国民一人ひとりが**「自分の目、頭、耳で考えること」**が本当の民意を作る。
小沢一郎:
-
海外のメディアは署名記事が当たり前だが、日本は誰が書いたかわからない無責任な報道が多い。
-
権力の言いなりになるメディアも含め、日本特有の「お上支配の利益集団」や「コンセンサスの曖昧さ」から脱却しなければならない。**「自分自身の言動には自分で責任を持つ」**という自立した国民・社会にならなければ、民主主義はうまく機能しない。
以下ユーチューブの文字起こし
はい、皆さんこんにちは。今、あの紹介いただきました司会をさせていただく堀でございます。本日は緊急対談「井上達夫・小沢一郎、憲法そして民主主義を語る」ということで、井上先生と小沢先生とお2人、おそらく今の日本の状況の中ではかなり意外と思われる顔合わせかもしれませんが、そうであるだけに非常に楽しみなこれから対談を聞かせていただくことになります。私はできるだけ対談というよりも大激論になるぐらいに努めて司会をさせていただこうと思っております。
今日は本当に私としても光栄に思っておりまして、一方は日本でも希有な知識人と、論理の人で、剛直な論理で緻密な論理というもので、数々のご本、『共生という作法』とか『普遍の再生』とか『世界正義論』とか、最近では啓蒙的な面白いタイトルの『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』という本とかお書きになって、最近憲法等々について積極的な発言をなさっている井上教授と。私はかねて、本当にこの人はすごいなと思っている日本の本格的な学者のお1人でございます。
他方、小沢一郎氏、いうまでもなく現場の人でありますが、そしてリアリストと一般に言われていますが、リアリズムのためのリアリズムではなくて、ある高い政治目的を持って政治の現場で奮闘を続けておられる方。そして理念を相当に大事にされている、そして憲法に見識のある議員・小沢一郎さん。
いわゆる剛腕小沢一郎と、剛直な論理の井上達夫さんの顔合わせなので、私自身も大変楽しみに思っておる次第です。さて本日は憲法、そして民主主義ということでございますので、最初に憲法とは何かとその役割はということを改めて考え直すと。その上で憲法問題の中でも数々ございます。もちろん盛んに話題にされておる自由民主党の憲法草案は人権問題にも関わるし、天賦人権論もどうするのかっていうこともあったり、あるいは経済活動の自由をどこまで生かすのかということもあります。色々ありますが、かねてより日本ではやはり九条問題というものが戦後ずっと喉に突き刺さったまま今日に至っていますので、九条問題に絞って議論をしていただこうと思います。
で、その上でそういったもの、九条をどうするのかということも含めて、これは我々国民主権を続けていくのならば民主主義の問題でありますので、背景にはですね、民主政治とは何なのか、政治とはどういうものなのかということについての根幹的な、物事の実相の背骨になるような議論というものが必要だと思いますので、民主政治とはどういうものかということについてお話をしていただこうと、このような3部構成で考えております。さてそれではもう早速、憲法とは何か、その役割何だろうと。全てを語っていただくことはできませんので、お2人それぞれからこの点を少し言っておきたいというようなことを5分ずつスピーチいただこうと思います。まず小沢代表、いかがでございましょうか。
はいお願いします。小沢一郎でございます。よろしくお願いします。両先生に挟まれて何か言うというほどの私は何も持ち合わせていないんですけれども、今日はとにかく井上先生と私の考えてる範囲で好きなように喋ってよろしいということでございましたので、あえて招かれたということでございます。
憲法とは何かという今司会者からの話ですが、私あの言葉遣いも何も全くの素人ですから分かりませんがあ、とにかく憲法とは私たち国民の暮らしあるいは命、あるいはそれに前提として色々な権利を守るために国民みんなで決めたルールであって、1番最高法規と言われておりますが、1番基本になるルールであるという風に考えております。ですから時代の変遷やいろんな環境条件のいろんな変化に沿って、国民のためにならない部分が出てきていれば、それは修正・改正、あるいは書き加える・削除するも含めまして、そういう見直し作業をすることは私は当然だと思っております。
ただ日本の今までずっと、今なおそうですけれども、この憲法論議を聞いたり見たりしておりますと、護憲か改憲か、それで最近では加憲という言葉もあるようでして、私が今のようなことを言いますと、お前は加憲派っていう風に特にメディアから仕分けされるんですけれども。こういう護憲か改憲かという類いの議論は、私は本当に不毛の積み重ねでしかないんじゃないかという風に考えております。ですから安倍政権のやり方もどっちかというと安倍さんの立場かそうでないのかっていう感じの話でして、きちんとした論理や、きちんとしたお互いの議論をするようなことがあまりないままに、憲法改正を押し通したいという気持ちを持っておられるように見えるんですけれども。これは今言ったように、国民のために国民が決めたルールですので、みんなが変えようちゅうことになれば私はそれでいいんだと思いますけれども、その議論をやっぱりきちんとしていくべきではないかという風に思っております。
憲法とはという話になると、日本国憲法の制定された経過等々の議論にも及んじゃうんですけれども、まそれはまた今問題になりましたらお話したいと思いますが。要するに私は国民が国民自身で国民のために決めたルールだから、国民の手で現状のままでいいとすればそれでいいし、また状況が変わったんだからここはこう直すべきだという声が出ればそれもよしと。全てその一点に私はかかっていると。憲法というものはそういうものでいいんじゃないかなという風に思っております。
はい、ありがとうございました。それじゃああの井上先生お願いします。
井上です。今日はこういう機会を持てて光栄に思います。光栄に思う2つ理由があって、世間からなんか政界の黒幕で悪の根源みたいに思われてる小沢一郎さん。実は僕は1990年代に小沢さんが自民党割って55年体制を変えようとした時から、一番大きな政治システムの改革ビジョンを持ってる政治家はこの人だけだという風に言ってきたんですよ。立場違うところもあるんですけどね。でそういう意味で小沢さんに敬意を表するために、今日のチラシで僕だけなんかラフな格好してたけど、小沢さんがネクタイしてるんだから僕もネクタイしてきた。
でもう1つはここの場所ですよね。憲政記念館、尾崎行雄(尾崎咢堂)の銅像があったでしょ、憲政の父の。あの人は本当に偉い人ですよ。で彼に対してもやっぱり敬意を表するために、普段僕の学生なんか「井上先生おかしいんじゃない?今日ネクタイしちゃって」とか思うかもしれませんけど、この光栄な機会をいただいたことへの私なりの敬意の表し方です。
ちょっと長くなりましたが、まずは憲法とは何かだけでいいですね。護憲・改憲のそれぞれの具体的な論点で一言言いますと、皆さんもよくね、偉そうな憲法学者だとかそういう人たちが聞くと思うんだけど、「憲法ってのは権力を縛る」、よく聞くでしょ。ちょっと待って、縛る権力はどうしてあるのってことだね。憲法は権力を縛るためには、権力がなきゃいけない。そうすると権力を作るのも憲法なんですよ。考えてみてください。憲法がなければ国会は立法権力を持ちません、内閣は行政権発動できません、裁判所と言えども司法権発動できません。憲法はまず権力を作るわけで、作るってどういう意味かっていうと、誰もが権力を勝手に行使するわけじゃない、そうじゃなくて正当な権力を行使するのは誰であるか、どのような手続き、どのような条件のもとで正当な権力を行使できるか。それを決めるのは憲法なんですよ。だから正統であるためには一定のルールに従わなきゃいけない。それが権力縛ることでもあるんだけど、忘れちゃいけないのは、ただ縛る前に正統な権力を作り出すのが憲法だということです。
ここでね、堀さんから「難しい話先生やめてくれ今日」と言われたんだけど、難しいことは私の『憲法の涙』で読んでくださいね。でもこれだけ言っとかなきゃいけない、僕は正統なって言いましたよね。この漢字が重要なの。「正しい」に「当たる」じゃなくって、伝統の「統」、血統の「統」なんですよ。で、この今言った正しいと伝統の統、これは概念として全く違うんです。私は「憲法は正統性を保障する」「権力の正統性を保障する」という時の正統性はこの「統」ね、伝統の「統」です。どう違うか。これ簡単なこと、要するに政治社会は自由で民主的な社会であるほど、みんなが自由な主張をしますよね。何が正しい政策かってこと言ってものすごく対立あるわけですよ。その時、選挙で勝った方が自分たちで正しいと思う政策決めますよね。でも負けた方は「あの政策は間違ってるから俺たちは従わなくていい」ってとったらどうなりますか。無政府状態に戻りますよね。となると政治的な競争で負けた方も、勝った方が押し付けてくるものに対して、間違ってはいると思うけど、しかし次の政治的競争のラウンドで覆されるまでは、次の選挙で覆せるまではそれを尊重するという態度を取らなきゃいけない。間違ってはいるけど尊重するに値するそういう政治的決定、それ(レジティマシー)があると英語で言うとね。私はそれをさっき言った「統」を使った正統性と。で今日この後混乱しないように、私が正統性って言ったそのレジティマシーね、間違ってても尊重するという。で、正しい政策ていう時は正しいと言います。時々混線するかもしれないけど。
で、このためには最低限憲法がやるべきこと何かっていうと、その基礎には色々法の支配とか難しい話あるんだけど簡単に言います。まず時の選挙で勝ったやつが自分たちの権力を永続化するように統治機構をいじっちゃいけない。それ法律で変えられちゃだめなんですよね。法律は単純な多数で決められちゃうから、時の権力が一時的に勝ったからといって自民党が政権を永続化できるとそれじゃ困るわけですね。だからフェアな政治的競争、政治的競争の敗者と勝者が逆転しうるようなこういう構造は法律で簡単に変えられないように、がっちり憲法で固めとかなきゃいけない。
でもう1つ、これは民主主義といえども多数の専制って昔から問題なわけね。マジョリティが時々狂うわけですよ。もう歴史いっぱあります、例はもう言わなくても分かるでしょ。そうするととりわけ多数の偏見にさらされやすい被差別少数者ね、民族的少数者、宗教的少数者、アメリカ先住民的少数者、最近では皆さんの意識もだいぶ高まってきたと思うけど、性的指向における少数者ね、同性愛者だとかトランスジェンダー。そうした人たちを簡単に法律だけに任してたら彼らを差別迫害するのはできる。それはしちゃいけないよってのは憲法なんですよ。憲法で基本的人権っていうの固めて、これを侵害した法律は民主的な立法といえども裁判所が違憲無効だと、こういうこというのが憲法なんですね。日本国憲法はそういう精神なんです。だからこの2つがあって初めて、間違ってはいるけれども一応尊重するってことは可能になるわけです。これが憲法だ。
それがあの、何を含意するかというと、私はこの意味での権力の正統性を保証するルールが憲法だという概念は、安倍派みたいな改憲派も、それから安倍派を批判してる護憲派も全く分かってない。そこら辺にしておきます、その意味は後で言います。
はい、もういきなり本質的なところへ話がもう突っ込んできましたから、これいいですね、面白いですね。それで今その小沢さんからは、やはり国民が決定するものだと。国民も従わなきゃならないルール、それから国家・政府も従わなきゃならないルールだけれども、国民が決定するんだという限りにおいては、その国民主権で憲法が改正されるならばその可能性は十分開かれていなければならないというお話があって。
で、そこへあの井上さんのあの発言で、いわゆる立憲主義というのは、今ではなんかちょっと決まり文句のようにですね、権力を縛るんだとこう言ってますが、確かにそう言われておりますが、その権力というものの正統性を定めるルールでもあるんだということを強調していただきました。そしてあの基本的人権の保護というものをもう1つの柱として立憲主義は持ってるということで、立憲主義の定義・捉え方について深めた角度のお話をいただいたと思います。
で、そうしますと、国民の民主主義にやはりその立憲主義も支えられるということなんじゃないかと私は思うんですが、そうしますと今直近にはですね、直ちにそれが国会に出てくるかどうかわかりませんが、はっきりした改憲草案というのが圧倒的な今の勢力を持ってる与党の方にあります。で、こないだその改憲草案を国会に自民党が出さないらしいということを、ある新聞記者の人が小沢さんに記者会見で聞いた時に、小沢さんは初めからですね、どうもその新聞記者の方はそれは自民党による改憲をストップさせたい勢力にとってはいいことなんじゃないかという含みで質問されたようだったんですが、小沢さん最初から非常に不満な顔をされてですね、「なんで自民党は出さないの」と。自民党の考えをちゃんと出さなければ議論が始まらんじゃないかと。カードを出せと、カードをそれぞれ出して議論するのは憲法審査会のはずだという風なことをおっしゃったんですね。
このような観点から見て、自民党の改憲草案っていうのは改めるということなんですが、改めるためには対象のアイデンティティまで変えてしまうのは改めると言えるかどうかっていう疑問があるんですね。つまり、アイデンティティを定める基本原則をそこまで変えていいのか。もちろん革命あるなら国民がやっていいんでしょうけど、改正していいのかっていう点に疑問を持っておりますが、この点について小沢さんどう風にお考えでしょうか。
多分安倍さんの考え方は、ま基本的に、なんと言いますか本来の憲法、今あの井上先生申し上げましたが、憲法というものに対する考え方がちょっと違うんじゃないかという気がいたしております。憲法の議論もですね、私はもう結局は国民自身の民主主義に対する意識と、それからきちんとした認識があればですね、国民が決定すればいいわけで。
例え安倍さんがどういう考えを持っていようが、憲法の基本的人権、平和主義、いろんなことの原則と若干違う、若干ちうよりかなりですが、違う切り口で今の憲法改正を自分でしようとしているということであってもですね、それがおかしいということであれば、次の選挙で国民はノーの投票すればいいわけですけれども。ま日本は少なくとも形の上では力による独裁国家じゃありませんので、一応民主主義という形を取ってますからそれが可能なんですね、いつでもね。
ところが、やっぱりそういう意識がしっかりと国民の間に定着してないとですね、なんとなく、いろんな理由ありますがね、野党がしっかりしてないとかいろんな理由あると思いますが、まなんとなくややもすれば横暴になる権力、そして権力を握っている為政者の意向に逆らおうとする力が非常に日本は弱いという。自分で自分自身の考えをきっちりと表に出すというそういう基本の自立した意識が非常に少ないということで、私はその点に若干あの不安を感じているんですけれども。
憲法は要するに為政者のそういった横暴や、あるいは権力の暴走をチェックして国民の権利や生活きちっと守っていくというためのものだと思いますけれども、その今井上先生おっしゃった正統な権力というのもやはり国民がしっかりしてないとですね、結局選挙で国民の意思がはっきり明示されないのでは民主主義にならないわけですし。どんなに立派な憲法でも為政者によっていかようにもされてしまうということになってしまう。
この間の補欠選挙も東京では33%、1つのわずか補欠選挙ですからしょうないですけども、2/3の人が棄権しているという現状ではですね、僕は本当に日本の民主主義と言いますかね、憲法を頂点としたシステムというものに非常に危うさを感じざる得ない。ですからその意味できちっと国民が基本・本質を理解して、意思表示する時にはきちっと自分の意思を表示できるそういう国民に、そして社会になることが1番大事なことだとそう思ってます。
はい、あの後の方で用意しているその民主政治ということにもう今関わるお話をご両人からすでに頂いておるわけですが、今ちょっと立ち止まって、先ほど井上さんが言われたのは簡単に言えば民主主義と立憲主義の潜在的な対立なんじゃないかと。つまり国民が決める憲法なんだけど、その国民の主権を言って、その主権を持ってしても変えてはいけないことを定めるってことですから、そこに潜在的に対立があると思うんですが、井上先生この辺りちょっと解説していただけますか、その民主主義と立憲主義の緊張関係で。
まだ原理的問題なんですけどね。その前に今の自民党の改憲派は、とか自民党改憲草案はどう思うかって話ちょっとだけやっぱり言わせてくださいね。昔のタカ派的改憲派は私は政治的な欺瞞だと思ったんですね。簡単に言うと「押し付け占領改革だめだ、押し付け憲法だめだ」という時なら、農地改革押し付けですけどあれは自作農大量創設して自民党の支持基盤作ってくれた、これはいいと。それから自主憲法だと政治的主体性だと言ってきながら、何やりたいかというと対米従属構造をさらに深めるようなことやりたいと。1つは、押し付けていうのは占領期は言えるけど、サンフランシスコ講和条約で日本が主権回復してからはいくらでも変えようと変えられた。それ変えられないのは日本のマジョリティがいらないって、変えなくていいって言ったからですよ。みんな嘘。
ただし彼らは憲法論的なまともだったっていうか正攻法ね。やっぱり自衛戦力が必要だから9条2項はそれを禁じてる、だからやっぱ変えなきゃいけない、憲法を改正しなきゃいけない。それはまだ正攻法だったんですよ。ところが安倍派になってからこれがダメになっちゃった。まずはさっき言った硬性憲法はがっちり固めなきゃいけないんだけど、改正のハードルを下げようとしちゃったわけですよ、96条いじって。今の硬性憲法ってのは硬い憲法です、それを変えやすくしちゃおうとして。でそれはさすがに改憲の中でも反対出たからやめた。その後何したと思いますか?解釈改憲ですよ。もう解釈でオーケーって言ったら改憲手続きバイパスしてできちゃう。で後から言うようにこれ実は護憲派もやってたことなんですけどね。それは置いときます。
でもう1つ、じゃあ今の安倍派の改憲の中身は何かっていうとなんかわけのわかんない「お試し改憲」と、1番本質的な論争的な論点を避けようとしてるんですけど。これは自民党の憲法改正草案も一番最新版2012年版かな、見てるとそうなんですね。で前提としてね、これ時間もあれだからちょっと堀さんに早くやめろて言われるかもしれないけど、さっき言いましたけど憲法とは何のためかって時に、基本的人権はがっちり守んなきゃいけないんですよ。その話と9条っていうね、今ほとんど護憲派の人たちだって自衛隊・安保は専守防衛ならオッケーだと思ってる人はもう圧倒的ですけど、それと矛盾があるわけです。9条2項はね、自衛のためでも戦力を持っちゃいけないって言ってんだから、本当はこの矛盾を解決しなきゃいけないんだけど、九条問題と人権問題が一緒くたにされちゃってんですよ。
あの自民党改憲草案ももう全面改憲草案ですから見たら、とりわけあの「公共の福祉」っていう概念があるんですけど、これは人権に対する一般的な制約原理なんですね。でかつてはこれを使ってどんな人権侵害立法も合憲だ合憲だって裁判所やったわけ。それに対してこれを歯止めをかけるために内在的制約説っていうのは憲法学会は発展させてきた。私はこの点で日本の憲法学会良かったと思うんですね。それなぜかというと公共の福祉ってのは人権を超えた超越的価値じゃなくって、人権と人権がぶつかるでしょ、人権と人権との調整原理です。人権は人権のためにのみ制約されると。こういう解釈で公共の福祉概念が固まってきたのを、これごそっと取っちゃってね。「公益及び公の秩序」か、ではっきりその中でこういう内在的制約説を退ける意味だとはっきり言ってるわけ。もうとりわけそれが表現の自由にとって危ない状況です。
でも安倍派が、あるいは自民党改憲派がこのように九条を変えるついでに人権も骨抜きにしちゃえというのは私はノーだけど、逆に護憲派の問題もあるわけ。人権守れ、ついでに九条も守れ。人権保障の問題と九条のあの矛盾、これ護憲派もごまかしの矛盾。これを是正するの全然別の問題ですよ。それを一緒くたにしちゃいけないってことで。それについて言うとね、実は一緒くたにできないんですよ、皆さん知らないでしょう。皆さん国民投票法なんて読まないでしょ、護憲派は国民投票にかけること自体嫌いだから読まないかもしれないけど、国民投票法はあの自民党の全面改憲草案なんかできなくなってんの。一蓮托生できないですよ、九条と人権って。これはね、皆さん本当はメディアはもっと伝えなきゃいけないこと伝えてないんだけど。日本国憲法改正の手続に関する法律、通称国民投票法の47条に、国民投票は改正案ごとにかけるって書いてある。1人1票って書いてある、この改正案ごとに。だから自民党の憲法改正バーっとあるでしょ、あれ全部一括してこれ全部飲むか捨てるかどっちかしろったてできないの。
ああいう全面改正なんてね、できるのはね占領期及び革命を起こして革命政権ができた時だけですよ。だ自民党って実はね保守って言ってるけど、あれ革命ごっこしてるんですよ、あの改正案は。でこんなことでも護憲派の人たちも分かってない。九条と矛盾を解消しようと思ったら人権までいじられるからやるなって言ってるの、これも同じ、私ちょっと言葉汚いけどね、大阪生まれのあの男なんでこれを「くそみそ一緒論」と言うんだけど、女性陣がパーっと引いちゃうから最近は一蓮托生論って綺麗な言葉で言ってんだけど、あんまりパンチないよね。でも一蓮托生じゃないんですよ。そのこと頭に置いてください。
でその上で言うと、あと短くしますね、民主主義と立憲主義矛盾しますね。なんでか。民主主義は多数の専制になりやすい。だから被差別少数者の人権を保障するために、普通の多数の意思だけは変えられないハードルの高い硬性成文・硬性憲法で基本的人権保障して、それに反する立法が仮に民主的プロセスで行っても、裁判官これ別に選挙で選ばれたわけじゃない、そういう最高裁の裁判官たちが違憲無効ってできるわけだから、これ民主主義と緊張しますよね。でその緊張関係あるけど、だから実際はね欧米ではしょっちゅうあるんですよ、イギリスアメリカでもそうだけど、そんなその裁判所に強力な違憲審査権を与えちゃうことは民主主義と矛盾するんじゃないか、民主主義を守るためにそれを限定しろとか廃止しろという意見しょっちゅうあるんですよ。これものすごいあるんです。これにも関わらずやっぱり民主主義が狂っちゃうとレジティマシーがなくなっちゃうから、被差別少数者の人権。しかしそれが逆に民主的コントロールにあまり服さない裁判官が勝手にやっちゃうってことがあるわけね。
そのためのやっぱりもう1段別の形のコントロールはアメリカでもあるし、アメリカの場合は直接的な選挙はしませんけど、最高裁の裁判官が事前に受ける統制ってすごいんですよ。最高裁の裁判官の候補者になったら、これは上院の司法委員会が指名するんですけど、その段階ですごいまあなんていうかな、グリリングっていう、要するにもうしょっちゅう尋問するんですよ。それは3日4日続くんですよ、100時間以上行ったことある。それがテレビでバーっと放映されるわけ。昔ロバート・ボークって私ハーバードにいた時、保守の裁判官がね、今4対4でリベラルと保守が均衡していてそのキャスティング・ヴォート握った中道派のパウエルがやめた後、そこに保守がボーク入れようとした。でものすごい論争起りましたけど、その議論はもうテレビラジオでずっと放映されて、この事前コントロールで結局ボークは跳ねられました。事前コントロールがすごく強いね。
日本の場合、事前コントロールは弱いんだけど、国民審査ってありますね裁判官の。あれが形骸化しちゃってんだね。本当はそれはメディアの問題、1人1人の裁判官がどんな行動してきたかってこともっと分かりやすく選挙の直前にちらっと表出されたってわかんないから。司法報道って人気ないんですよね。やっぱそういうことすることによって、民主的立法による少数者の人権侵害を司法がチェックしつつ、司法が暴走しないようにする工夫ってのは色々やられてきてると思います。
はいまそれくらいあの鋭角なですね、民主主義と立憲主義の間には対立があって、必ずしもですね民主主義っていうのは自律ですから、その他律的なものを容易に受けられる原則ではないと。にも関わらず民主主義がその先ほどの被差別少数者の問題もありましたが、みんなで決めてもいいことといけないことがあると。基本的人権を蹂躙するようなことはみんなでも決められないということを採用していくためにもう1つの立憲主義の原則っていうのがあるんだろうと思うんですね。それ非常に真剣な問題なんだてことをおっしゃっていただけたと思います。
ところで小沢さん、あの最近党の名前は自由党にされましてですね、今その党首をやってらっしゃるんですが、自由党時代、特にそれ以前からもそうですが小沢さんは色々と憲法改正について提言をされておられて。で今は今の立場があるんだと思うんですが、これあの今の井上先生の話にあった国民じゃなくて判事が全てを決めるような民主主義ってありえないわけですから、それから日本で言うとなんか内閣法制局がですね、憲法の番人みたいになっていってなんか権威付けられてるってことがありますね。こういうことに対する反発も含めて、むしろあの従来は改憲派っていうのかな、なんかこの憲法を改める提言をする人っていうイメージも小沢さんは持っていらっしゃる、世間にはあると思うんですが、その辺り今どのようにお考えでしょうか。
あのさっき申し上げましたように、私はあの国民の合意であの不都合なとこはあの変えるということは一向に差し支えないことだと思っております。まあの憲法改正についてちょっとまとまって話したのはあの以前の自由党の時に話したんですけれども。ま今こう読み返してみるとその時自分の頭の中で欠落していた部分もあったし、色々直さなきゃない部分も今読み返してみるとあるんですけれども。
うんちょっとお話しいただけますか。その点を今どういう風にお考えかっていうのを。
九条の件はあの僕はほとんどその時と九条はこれからやります、似たような感じでおります。それから例えば今あの問題に自民党の憲法草案でも書いてありますが、緊急事態と言いますか。それの問題もやはり1つあると思います。それでま憲法を直すといえば、私はあの衆参の国会制度のあり方も直さなきゃいけないと思っております、これも触れてあります。ですからあのそういう意味であのとにかく憲法は国民の権利を権力から守ると言いますか、国民のためのルールですから、その考え方とちょっと違った安倍さんの発想。
しかし私はやっぱりその、裁判所で違憲立法の判断をするということはあのもちろん当然のことなんですが、ま最近のまこれも裁判所の批判しちゃいけないですけれども、大体明確な判断はあまり政治的な問題に発展することはしないですね。統治行為の論理だつってすぐ逃げちゃいますし。一般の刑事事件でも9割以上は検察の言う通りになっちゃいますし。まそういうことで私は裁判制度のあの改革も本当は必要だと思います。今アメリカのあの最高裁の判事の話ありましたけれども、やっぱりしっかりとあの国民のオープンに国民が分かる形でもってその大事な司法の番人は選ぶべきだろうと思っております。
また内閣のあの今の法律のね、憲法の番人みたいなことを法制局が言われてますけどね。もうこれは僕いつも言ってるととんでもない話でね、内閣の官房の法制局ちゅうのは内閣で出そうとしている法律を内閣の都合のいいように解釈して判断するちゅうのがそもそも役目なんですね、あれ行政府ですから。ですからその意味であの、これはね護憲派の人もみんなその内閣法制局がなんか絶対的なあの権威であの神様みたいなこと言う人いますけどね、とんでもない話で。あれは政府の一部局にしか過ぎないわけですから。そういう意味で私はむしろ同じ司法権の裁判所別ですけれども、衆議院参議院にも法制局があります、ですからこの国会の立法する場ですのでそこでの憲法に適合しているかどうかの判断はするべきだと私は思ってんですけどね。いずれにしてもそういった現在のいろんな仕組みに大きな僕はメスを入れなければならないという風に僕は考えてます。
はい、ではそのような可能性を踏まえてですね、これについてはもう非常に国民の間にも激しい意見の対立があると思いますが、カードをここへ出して議論するということを政党もやるべきだし我々市民もやるべきだろうという考えに基づいて、かねてよりその憲法問題の時の1番熱い議論になるポイント、九条問題ですね。先ほども申しましたようにもちろん憲法に関しては天皇制の問題もあります、それから人権の問題、特に13条の問題、様々ありますが、ちょっと9条に絞って。9条のことに関してはもう先ほどから少しお話がありましたけれども、井上先生の方からも非常に画期的なお説を持っていらっしゃると思いますし、小沢さんの方には小沢さんの自論があるということで、まず井上先生5分間に限ってお願いします。
私の方読んでくださった分かるじゃポイントだけ言いますけど、私改憲派にもさっききついこと言ったけどある意味で僕は護憲派の方が厳しいんですよ。でさっき小沢さんが護憲・改憲というのを不毛な対立だとおっしゃったのは、結論は同じで理由は違うと思うんですけど、九条問題に関しては護憲派は憲法守ってない、改憲よりもひどい仕方で憲法を破壊してんです。
それどういう意味かいいですか。まず解釈改憲って言いましたよね。護憲派の中でも修正主義護憲派ってのは専守防衛個別的自衛権の枠だったら自衛隊安保は合憲ですって言ってんですよ。だからじゃあ自衛隊、9条2項で陸海空その他一切の戦力はこれを保有しないって言ってる、交戦権行使しない言ってる、彼らに言わせれば自衛隊は戦力じゃないってことなんですよ。警察がイージス艦、ファントムジェット機あれだけ持ってる警察ですか、こんな嘘です。しかも国際法上今自衛隊が南スーダン行ってますけど交戦団体と見なされてんですよ、日本が行ってないだけで戦力と見なされてもう攻撃されてんですよ。なのに彼ら自らを守るしっかりとした武装能力は実は拡大されてるわけ、戦力じゃないと嘘で。
まそれはいいとして、それからじゃあ未だに建前上自衛個別的自衛権専守防衛でも戦力・自衛隊安保の存在そのものが違憲だという立場はあるんです。それ私が原理主義護憲派って。でもこれ本当は原理主義じゃない、実は政治的には専守防衛・個別的自衛権の枠ならオッケーて言ってんです。こっそり言ってるだけ。もう2006年ぐらいから愛敬浩二君って名古屋大学の原理主義護憲派の人と私論争してるけど、彼は公然と著書の中で言ってます。違憲だけどこのレベルの違憲状態は自分たちの政治的な立場から言えばちょうどいいから、違憲の状態をこのレベルで凍結しましょうと。専守防衛個別自衛権ならオッケーてことを明記する九条改正すらやっちゃいけないって言うんですよ。ひどいでしょ。
その結果自衛隊員は憲法上正統性を認知されてない憲法上私生児なんですよ。私はこのこと本当に腹が立つんだけど、無責任な男がね、どっか不倫して私生児作っちゃったと。「お父ちゃん僕を認知して」「だめだ認知なんかしてやらない、しかし一応ことあれば命かけて俺を守れ」。こんな無責任にったら皆さん腹を立つでしょ。日本の護憲派がやってるのそれなんですよ。
はい、でももっと重大な問題ある。それでも自分たちは九条を守ることで戦力を縛ってるつもりでいるの、皆さんの中にも多いでしょう、さっき小沢さんが護憲派っぽい話したら拍手した人たち、聞いててよおじさん怖いんだ、だから僕は。嘘なの。九条があるから戦力を憲法で縛れなくなってんです。なぜか分かりますか。
この前安保法制の議論があったでしょ。自衛隊を海外派遣する時、そして自衛隊いろんな活動させる時国会の事前承認どうするか。ありましたね。戦闘状態のところに送り込む、皆さんそういう時は一応事前承認必要だけど、それ以外の場合には原則例外ありとか色々言ってましたね。こんなことは根本問題じゃないんですよ。これが法律でしか決められてないってことは問題なので、今の安倍さんよりもっとタカ派的な政権、北朝鮮が変なことしたらもっと起こるかもしれない、そしたらいくらでも国会の事前承認さらに骨抜きできる。これは憲法で固めなきゃいけないの。
だけどできない。なぜか分かりますか。九条があるから。日本国憲法上戦力は存在しないことになってんの。存在しないと憲法が言ってる戦力を憲法で統制できますか。だ戦力統制規範は憲法上存在しえないのは九条があるからなんですよ。文民統制ですらそうです、皆さん文民条項あるのは知ってる方いらっしゃるかもしれないけど憲法にね、内閣総理大臣とか閣僚は文民でなきゃいけない。これ文民統制ありません。文民統制であるためには、軍隊の最高指揮命令権は首相に属するって言わなきゃだめなの。で首相は文民でなきゃいけない。そんなことないんですよ、なぜかというと軍隊がないことになってるから。要するに九条の嘘のおかげで軍隊がないことになってるがゆえに、日本国憲法は戦力を統制できない。憲法でこんな危ない憲法をそのままにしろっていうのが立憲主義ですか。戦力を憲法で統制すると1番重要なことじゃないですかと。
いうわけで、はい、日本国憲法から九条を削除する方が戦力を統制できる。そう私は削除論です。あその後でまたね、それは憲法マターじゃないから、安全保障政策は被差別少数者の人権じゃなくてマジョリティを含むことだから、国際情勢も変わるから常に民主的立法過程でやるべきだ、憲法で固めちゃいけない。ただし僕はこの議論は次の選挙までに人が納得すると思わない。私の議論は次世代のためです。でも次世代待ってちゃ危ないから、私は次善の策言ってる、せめて。
ちょっと待って。まあのそれは次世代を超え長期的な視野の中で原理的な問題を言ってるんだということなので、その限りにおいて聞いて。次善の策何かというと。
護憲的改憲です。護憲派の本音ですよ、専守防衛・個別自衛権ならオッケーてことを明記する九条改正しなさい。その上で戦力統制規範を憲法に盛り込みなさいっていう。はいはいそれすらやろうとしないのが腹が立つんですね。はい。
ちょっとねここでね、現行憲法の9条をもう1回ここで確認のために読み上げておきます。 第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 第2項がありまして、続いて 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 と、このように今現行憲法は9条はなっておるわけです。
さて、それじゃあその一方の小沢さん、えっとこの自衛隊違憲合憲問題、それから戦力をどうするのかということをこれ、それからま自衛権の問題ですね。自衛権に正統性があるのかどうかを明記するのかどうか、この辺りのことについてどのようなお考えでしょうか。5分間ぐらいお願いします。
今あの井上先生おっしゃったように、軍隊というものがないという建前というお話ですが、これはあの最初に警察予備隊、保安隊、自衛隊となったんですが、その時にもこれを戦力なき軍隊だとか、なんだかいろんなその言葉のあやでごまかそうとしてきた、そういう経過がですね、私はこれは日本人の非常に良くない最たるもんだと思うんですけれども。まそういうことがあって今なお自衛隊は軍隊でないというようなこう建前になってんですね。だそこは非常に私はあのおかしく感じております。
ところで9条ですけれども、今読み上げました条文、これは私は自衛権の行使に対する制限規定、限定規定として、ま解釈の仕方は個々なんですけれども、いいんじゃないかなと。国際紛争を解決するために自衛権の発動、すなわち武力の行使はだめよと、そのための戦力もだめよとまこういう風に書いてあるわけですが。これはある意味の前文と関連した1つの理念的な条文としてはあの残して私はいいと思ってます。
自衛権っていうのは正当防衛ですから、あ正当防衛権はまこれ自然権と言っていいのかどうかその言葉のことは分かりませんが誰もが持っている権利ですから、当然個人でも団体でも国でもあるわけでございます。ただ議論をはっきりするために当然のことではあるんですけれども、きちんと正当防衛自衛のための戦力の保持はこれは妨げないと、当然ということを加えるのもまあちょっと方便のような感じはしますけれどもいいのではなというふうに思っております。第3項ですね。
それで僕はそれ以上にですね、もう1つ加えたいのはもう1つやっぱり、国際の平和、そして結果として日本の平和を守るそれはいわゆる主権国家的な発想による自国の防衛という観点のみでは、もはや平和を守ることはできま、そういう反省に立って国連もできたんだと思います。ですから私はあくまでも国連中心による国際の平和・日本の平和を守るということに日本の方針を決めなくてはいけないんじゃないかと思います。まこれはあの日本国憲法ちゅうのは国連憲章と理念を共有しますし、日米安保条約も国連憲章の条文に従てあの条文が書かれております。ですからその意味では私は政治的に日米同盟と抵触することはないと思っておりますし、国連中心主義ちゅうのむしろ、第4項でもあの十条でも何でもいいですけれども、やるならば掲げたいなという気持ちでおります。はい。
ありがとうございます。つまりその小沢さんの立場としてはそのえっと自衛にあたる戦力についてはあの認めるんだってことを第3項に加えると。さらにもっとあの主張したいのは第4項かあるいはま第10条という形でえ国際貢献、あの積極的な平和主義っていう風に言葉が色々とこの言葉小沢さんから始まって今安倍さんが使ってる言葉になってますけれどもそれを、小沢さんの場合には国連による集団安全保障へのあるいは国際的安全保障への貢献ということをつけ加えたいということだと思います。
このあの日本が世界の中で果たす、世界のヒューマンセキュリティのために果たす役割ってこと重要な問題ですけども、ちょっとあの立ち返って、先ほど井上教授の方から削除論は根本的なんだと、そしてその背景にはおそらくま今おっしゃると思いますが、安全保障を憲法で縛るマターではないということだと思うんですが。次善の策ということもおっしゃいました、次善の策さらには次善の策というのがどうもあるようなので、そこをちょっとご紹介ください。
実は次々善まであってね、最悪の事態と4段階なんですよね。でベストは私、九条削除ってな、井上は戦力を憲法の統制の外に置こうとしてるってこれ全くの嘘ですからね。九条を削除することによって国会に戦力を持つかどうかの権限を与えるわけです。で一旦戦力を持つ決定したら、その組織とあの武力行使手続きはこれこれこういう条件に従えってことを法律で変えられないように憲法でやりなさいと。要するに戦力統制規範を盛り込むために削除って言ってんです。
で私の条文改正案、あ今度ねあの実は小林よしのりとも僕は対談すんのよ。びっくりポンだと思うけど。その中で今講演では言ってきてるけど、ちゃんと私の具体的な条文改正案示します。そしたらびっくりですよ、九条削除に加えてこの後の戦力統制規範がものすごいいっぱい入ってますから。
で実はそこまで行かなくても護憲的改憲を、ま小沢さんも今そういう方向だと思いますけど、やった、やるだけじゃダメなの、やった上でやっぱり戦力統制規範を入れて欲しいんですよね。その時さっき言った武力行使の国会事前承認、文民統制もそうだけど、今の問題何かというと、私はマジョリティが本当に危機感持たないのは日米安保の元で1番の負担は沖縄に集中展開して。本当北朝鮮変なことなったら、北朝鮮アメリカ行く前にまず米軍基地・沖縄の米軍基地やりますよ。米軍からやられちゃうわけ。もうそういうリスクの置かれてるわけよ。でもこの本土住民は日米安保は必要です、でも負担は沖縄に押し付けてこのただ乗りは許されてる状況、これも僕はねマジョリティ・多数の専制だと思うの。だから私のね戦力統制規範の中には、在日米軍基地、今のところ米軍だからね、地域においてあるところに米軍基地置く場合には、その地域の住民の住民投票による過半数の賛成が必要だということを憲法に盛り込めって言ってんですよ。そういうことしないともう国民マジョリティは沖縄に押し付けて自分のは平和だ、危ないんですよ。でこういうこと考えて欲しいの。
ただ9条になんか自衛権はいいとか悪いとかでね、自民党の改憲案のひどいのはそもそも集団的自衛権って言葉も使ってない。1番揉めそうなただ「自衛権」としか。彼らに一言自衛権と言えば個別的自衛権と集団的自衛権両方含むていうそういう。要するにはっきり集団的自衛権って言っちゃうと反発買って落とされるから、ごまかしでしかない。これで自衛権って言っちゃうと、私は今の問題何かというと、戦力を憲法で統制できないだけじゃなくて、どういう形で戦力を再編しなきゃいけないか安全保障政策がどうあるべくかって実質的議論が日本でできないの。必ずそうなると九条解釈なっちゃう。憲法解釈論議で実質的安全保障論議が矮小化されちゃうわけ。
その問題をじゃ自民党の改憲案は変えてるか、変えてないんですよ。もう一度その自衛権は集団的自衛権か個別的自衛権か憲法解釈論議にまた戻っちゃう。こんな愚かな改憲案なんですよ。でもそれは安倍政権とかそれだけ言うだけだめ、本当に護憲派も護憲的改憲を言うんだったら、単に自衛権個別的自衛権のオッケーですよだけじゃなくて、戦力統制規範、私が言ったようなそれをちゃんと盛り込んでください。本当に日本はそうでないと危ない。
なぜかいいですか、南スーダン、今までこれPKOの問題後で触れるかもしれませんけど、PKOってのは平和維持オペレーションで、その軍隊平和維持部隊って言われたけど、それは停戦合意がその紛争地域に既にある、で派遣先国が受け入れ合意をしてる、そこで停戦を監視するという。それは今崩れてます。その経緯は後で説明しますけど2点3点こもしてきました。で今何かというと「保護する責任」の名の下に、ルアンダの悲劇に懲りましてね、停戦合意がないところで自衛隊送り込んでます。戦力と一体化してないなんて勝手な理屈嘘ですよ。でさらにジブチご存知でしょ。東アフリカにイスラム国家、そこに自衛隊の常駐基地があります。日本とアメリカとの間の地位協定と同じような地位協定を日本はジブチと結んでますよ。あれ軍事基地ですよ。海賊対策のための警察なんて嘘ついてるけど、こういうことが、ちょっと小沢さんの前では悪いけど民主党政権の時ですよ。安倍政権じゃなくてできちゃったのは。まその時小沢さん干されたからね。でその民主党の連中は今民進党名前変えて安倍政権憲法破壊してるふざけるなと。で国民も忘れてる。どんどんどんどん既成事実が追認されていく。この危ない状況で9条だけ守れば平和を守った、戦力を憲法で縛ってる、こんな欺瞞からいい加減目覚めてください。危ないんです。はい。
先ほどからもう欺瞞のね告発がすごいんですけどね。まこの欺瞞の告発、倫理的な問題だけじゃなくて、実際に南スーダン初めそういった地域で日本のその自衛隊のがどうしていいのかっていうその法的な権利も持たないどうするのかっていう状況になってるわけですね。でこれあのPKO法っていうのが背景にあったりするのだ。PKO法についてはですね小沢さんはもうその非常に経緯をご存知で満足してはおられないんだろうと思いますけれども、その辺りは今日こういう状況にもつながってるこのPKO法ついてはどのようにお考えですか。
あの法案があのまないよりはあった方がいいちゅうことで、ちょっと無責任な話ですが、最初から私はおかしいと思っておりましたけれども、ま作った当事者の1人なんですけれども。PKOちゅうのはある意味で今世界に存在する唯一の国連軍なんですね。私は国連中心主義の平和維持を主張しておりますから、この国連軍にPKOに参加する部隊は国連の指揮下でやっているはずなんですね。あのカンボジアの時も日本の明石さんかな、司令官として赴任しました。そうしますとその国連の任命した司令官のもとでPKO活動ちゅうのは行われると。
それなのに参加している日本の自衛隊軍隊は最後まで日本の政府の指揮下にあると。危なくなったら逃げてこいというまこういうところまでなってんですけれども。私は基本的にこれは国連中心主義で平和を守るという筋論筋道からするとおかしいと。やっぱり国連の指揮のもとで国連の判断に従って行動する。その国連の軍に属した時にはもはや日本の軍隊の立場ではないと、国連の部隊だという風に考えております。
ただまあ国連がどうしようもないからっていう議論は常にあるんですけれども、どうしようもないどうしようもないちゅうことになりますと国連当てになんないこんなものを何の力もないちゅうことになりますと、結局じゃあ自国の防衛は自国であるっちゅう話になっちゃいますから。元の20世紀までのそれぞれの各国が軍備を拡大するという話に戻っちゃうわけですね。ま今も安倍さんは中国がどうの北朝鮮がどうのちゅう話で、以前には核武装まで議論してましたしま今でもちらちらと出てますけれども。まそういうことになりますともう韓国でも核武装論、日本もアメリカでは10年以内に日本も核武装するだろうなんて言われてますけれども、まそういうような軍拡競争にまた陥る話になってしまってその結末は非常に不幸なものであると思っております。
ですから私はもうあくまでも国連中心主義で国際の平和は守ると。日本は正当防衛という限度内でやって、個別的であれ集団的であれ自衛権の拡大解釈による海外派遣はすべきではないと。まそういう考え方です。大体個別的自衛権の拡大なんですね、戦前の戦争も。みんなあの戦前もね社会だなんだって、我が国の権益と邦人の命が危ないちゅうことで全部軍隊を派遣したわけで、個別的自衛権の拡大解釈ちゅうのは私は集団的自衛権よりさらに恐ろしいと思ってんですが。まいずれにしろその国際紛争のために自衛権の活動はいけないということをこう厳格にやっぱり解釈して守っていくべきであろうという風に思っております。
がその反面、国連に対してはあらゆる協力をすべきだと。ま日本は国連に加入する時の申請書にもですよ、それから加盟認められた時の受諾声明にも3度ですね、あらゆる手段を持って国連の活動に参加するという声明を出してんです日本は。で国連憲章にはちゃんと武力を持って紛争を起こしてる連中に対しては武力を持って鎮圧するということは国連憲章にちゃんと書いてありますから。そこまでなにもかもみんな否定しちゃいますと、じゃあ日本の平和はどうして守んのかっちことになると、日本がまもっともっと軍備を拡大して軍事大国になんなきゃいかんという議論に繋がりやすいし繋げたいと思ってる人がいるわけですから。私はそういう意味であくまでも国連中心主義いうことを国際紛争には守っていくべきじゃないかとそう思ってます。
はい、えっとそれではその小沢さんの兼てよりの自論の国連中心主義と、その場合によっては武力貢献も辞さない、そこにむしろ貢献する部隊を作るというところまで行くその国連中心主義については、まよくかつて小沢さんと行動を共にした政治家の方々で、都の小池さんなんかもそうですけれども、よく言われるのはま理想主義で国連は当てにならないんだからっていうことなんですね。この辺りのことについて例えば井上先生はどんな風に、つまり世界の中の日本という今度立場に立った時に世界の安全保障というのをどういう風に構想、この辺りどうお考えですか。
この点ではね、さっき憲法問題ちょっと小沢さんと私あったけど、私はもう小沢さんと基本的に一致します。『世界正義論』と本の中でも書いたんですけどね、私も国連中心主義って言っても国連の限界いっぱいあるんですよ。だから私はたかが国連されど国連と。
その時にね、皆さん分かってらっしゃる人もいるけどまだ分かってない人もいるので説明しとくと、集団的自衛権と集団安全保障体制はどこが違うか。集団安全保障体制は基本的に国連主導なんですけど、地域的なのもありますが後で触れます。集団的自衛権ってのははっきり言うと敵味方をアプリオリに最初から決めちゃうの。仮想敵国グループと味方グループで、味方グループの誰かが仮想敵国グループの誰かにやられたらみんなで連帯して戦おう。要するに個別の紛争が集団間紛争へと拡大するリスクがすごくあるんですよ。これ頭に入れてください。NATO対ワルシャワ機構とかねそういうことで。
集団安全保障体制は敵味方の線引かないの。国際社会の誰かが誰かに不当な侵略したら国際社会全体が一致して抑えましょうってことです。だからこれはむしろ紛争の拡大を防止するためにある。これ言葉が似て紛らわしいから混同するけど原理が理念が全く違う、それ頭に入れてくださいよ。で私はそういう意味で集団的自衛権、特にアメリカと一緒になった場合、今周辺事態法も変えられちゃったんですよ、地域限定なくなったんですよ。まだ地域限定あったら集団的自衛権ってあるけど、地球上どこでもアメリカやったことに協力するんですよ、こんなものやっちゃいけませんよ。
それに比べると確かに集団安全保障体制は安全保障理事会が五大国の拒否権だとかいろんなことがあります、うまく発動しないとか。ただ国連は集団的自衛権に比べてほとんど世界の主要諸国200何カ国を包摂してる、最も広範に様々な諸国家の意見を反映できる、その意味でレジティマシーがね正統性が高いわけです。プラス国連ってのは単に軍事措置だけじゃない、経済的支援文化教育多様なチャンネルで語りかけられるんですよ。やっぱこのメカニズムは大事にしなきゃない。欠陥があったら少しずつ長く変えていかなきゃいけない。
それで気をつけなきゃいけないのはね、安保理が機能しないようなのは悪いってだけ思っちゃだめ。五大国が勝手に一致しちゃって自分たちの気にくわないところ、冷戦崩壊したからもしかしたら中国とアメリカくっついちゃうかもしれないね、台湾攻撃するになるかもしれないよわかんないけど。そう安保理が勝手にどんどんどんどん武力行使できても困っちゃうんですよ。それをチェックする効果的なメカニズムは残念ながら今の国際法上は存在しない。安保理は確かにある意味五大国グループの不当な特権だって面もあるけども、じゃそれをなくせば全てうまくいくかっていうとそうでもない。その辺はだから現実的に改革を私は少しずつやっていくべきだと思ってます。
その点で特に僕は小沢さんを評価するのは、さっき言った55年体制の問題点を根本的な問題点を自覚して変えようとしたっていう点と、もう1つは今の点ですよ、集団的自衛権と集団安全保障体制は全く違うんだと。小沢さんは1990年代初頭のイラクがクウェートを侵略した時、これは国連安保理が承認したんですよ。その上で多国籍軍あった、その時は自衛隊も出すべきだとおっしゃったわけ。ところが2003年のイラク侵攻、あれは全然国連安保理の承認がないどころかアフガン侵攻に協力したドイツやフランスですら反対したんですよあの時。これはアメリカが勝手に始めた戦争だから日本が私が手伝うなとはっきり言った。保守の政治家、いや革新もそうじゃないかな、小沢さんだけですよ。この人は、ごめんなさいね先輩に今日は「先生」っていくことやめようと互い言ったんだけど、小沢さん私なりの言い方だけど、そう見て本当に原理原則の筋のある人です。
誤解しちゃいけないけど小泉さんがもてはやされ、あの「ぶれない政治家」って言ってるけど彼には原理原則がないの。靖国神社公式訪問バーってやった時これ積極的な意味あるんですか、「憲法なんか関係ねえだろう」って言ったのよ。これをこのシングルフレーズポリティクスで支持したんですよ。小沢さんすごい憲法にこだわってるわけよ、僕とやっぱり九条の意味は違うけどこの枠の中で許せるもって。やっぱり国連の集団安全保障体制これやりましょう。
でここは皆さん誤解されてんだけど、実はね小沢さんこれだけ叩くの実はアメリカの陰謀だって説も実はあるんだけどね。1番アメリカにとってうまくコントロールできない政治家ですよ。それからもう1つは、言っても今の国連ちょっと危なくなった、さっき言ったように「保護する責任」の名の下で、かつての平和維持オペレーションの枠を超えちゃってる。それなぜかと言うと随分前にこういうことだったの。ガリ事務総長の時あのエジプト出身の彼は、それまでの平和維持じゃダメだとやっぱりもう内戦状態、なかなかあそこで平和執行部隊を送ってそれやってソマリアでものすごい国連軍が多国籍軍がひどい目にあった。それで羹に懲りて膾を吹くって、あのルアンダの時一切送らなかった。その時国連多国籍軍の指揮権はカナダの将軍だったダレールさんにあった。ダレールさんこれ危ない今すぐ送ってくれって言った。誰が拒否したか、アナン(コフィ・アナン)ですよ当時。彼はPKOの担当部長でその後事務総長になったけど一切出さなかった。その結果あのあれですよ。でダレールさんはそれでそれでも自分のできる限りでやったけど抑えれなかった。で彼はその後カナダ戻った時PTSDで自殺未遂したんですよ。こういうことがあるんですよ。
だから今度はやっぱり保護する責任って、これ実はダレールの出身国でカナダなどが中心になってきてね、やっぱりもう停戦合意なくても送らなきゃいけない。でもそこまで国連はできるのかって問題あるんですね。それで非常にやばいと。とりわけ自衛隊は戦力じゃないという嘘のあれですから、そこに行ってその地域ではまテロリストその他から戦力として完全に見なされても関わらず、自分たちを効果的に防衛できない状況なる。イラク侵攻の時そうです。サマワに派遣された自衛隊員たちは本当に危険な目にあった。だから戻ってきてまさにPTSDで自殺未遂した自衛隊もいっぱいいるんですよ。その人たちを正式に認知しないでね、自分たちは平和主義者だと言ってる人たちはもしいたとしたら胸に手当てて私で本当に平和主義者なのかしらて考えてほしいんですよね。
あすごい論点も出てきたんですが、今のその井上さんのご発言色々ありましたけども、これについて小沢さんどうお考え。
はい、あの国連の問題について今お話ありました。やっぱり五大国が、好き勝手にやれるという常任理事国の今のあの形になっておりますけれども。まこれはねあの絶対変えなきゃないんですが、五大国を外すちゅうことは事実上はあの無理ですから、私のあのものにも書きましたけれども。あの常任理事国あるいはそれもしくは国連総会において最終決定するという形ぐらいにあの国連を変えたらいいんじゃないかと。これ若干この国際的なポピュリズム的な傾向になる可能性もあるけれども、それでも200何十カ国の良識の決定であるならば、ま例えそれが不完全であっても五大国の中で勝手にやるよりはいいんじゃないかなという風に僕は考えてそれを発表してますから。
もう1つ、あのまあのPKO国連に自衛隊が戦力であろうがなかろうがそこに派遣したらその国連の指揮に全てを委ねるということでないと、国連中心主義は筋道が合わないんですね。だから他の「駆けつけ警護」ってなんだろうと思ってたんすがね、もう運動会じゃあるまいしどっか走ってきて…都合のいい言葉やごまかしばっかりがこの安倍さんの中でもって出てくるんですね。あこれはもう、国連のPKOの司令官の指揮の判断でその指揮でやるということでいいことであると思います。それから最初からおかしいんですけれども、部隊として行動したいかんちゅうですね。自分の正当防衛、自分自身の正当防衛でしか武器を使っちゃいけないと。こんなバカな部隊・軍隊はあり得ないわけでして。このいろんな矛盾を抱えたまま日本のPKO法案っていうのはできてるんですよ。ですからこれをやっぱり本当の国連中心主義の形に作り直す必要があると私は思ってます。
それから堀先生「武力行使」ちゅう話がありましたけれども、これはPKO国連の指揮下での自衛隊の行動ちゅうのが、それがどのような武力行使になろうが何しようが、それは国連の活動でありまして、日本の国権の発動による武力行使とは全く違うものでありますんで。そういう風に私はあの解釈しないと成り立たなくなっちゃうんですね、国連協力ちのが。ただお題目だけの話であったんでは誰も日本のことを信用しないし、日本が仮に何かあって助けてくれったって誰も助けてくれないということになってしまうんで。私はそこはねやっぱり人のために一生懸命やんなきゃ他の人も助けてくんないですよ。私はそういう意味で国際平和のために結果として日本の平和のために一生懸命日本は国連を通じて貢献すべきだとそう思ってます。
でそうするためには井上さんの言われるように自衛隊のステータスを、自衛隊とはなぞやとそのどこまで何をやって、その例えば軍法会議もその国連でその国連軍の中で働くとすれば日本でできないわけですね軍隊じゃないから。この辺りのことってどう。
いやだからそれはねしっかりと軍隊として認めるべきだと思いますね。だってあれだけ武器持ってね軍隊じゃないっつったって軍隊に間違いないんですから。どうもねこの安倍さんになってから特にこの安全保障関係でひどいんですが言葉でごまかそうごまかそうとしてんですね。ま最初のその警察予備隊から言葉でごまかしごまかしして、結局既成事実の積み上げなんですね。これは日本の官僚主義のね最たるもんなんですよ。既成事実ここまで来たんだからしょうがないじゃないか。あの太平洋戦争ちゅうのの映画見ましたけど、開戦する時も「ここまで来たんだからやる以外ないじゃないか」つって日米開戦になったんですね。敗戦の時になんて言ったんだ、「ここまでこうなっちゃったんだからま降参する以外ないじゃないか」。みんなね「ここまでこうなったんだしょうがない」つ理由なんですね。あこれは本当にもうなんちゅうか、自分で判断できないでなんとなくみんなでこう、みんなでやるっちゅうのは結局ね、お上主導・官僚主導のことに結果としになってくんですよ日本では。だからそれをねやっぱりきちんと国民が主権者としてコントロールできるようだけの見識を持たなきゃいけない、私はそう思います。
まそれはもう本当に根本的な問題でですね、あのま今アメリカで大統領選挙やっておるし、ついこの間は結果をどう判断するかともかく英国は国民投票でブレグジットを決めたし、ま遡ればヨーロッパも今なんか変になってますけども、かつてマーストリヒト条約批准するかしないかもう1年2年にわたる大議論の末で国民が自ら決めたというようなことを各国やっておるんですね。で日本ではあの国民投票に何かがなるということについての非常なこう恐れというか心配というか、できたらやらないやらないで済ましたいっていうような雰囲気も強いと思います。こういうことはつまり我々の国の運命を我々が担ってまず選択して決めるんだということについての気概が少し足らないんじゃないかと。ま私司会者の分際で言うのもあれですけどもちょっと思っておるんですね。
でこれはやっぱり民主主義の問題だと、民主政治の問題だと思うんですね。ですのでこれからですね、つまり政治行為とは何なのかと。全て経済のメカニズムに任せるのかと、あるいはなんかこう成り行きに任せるのかと。そうではないんじゃないか、民主主義とはどういうものかということについてお話を向けていきたいと思います。でまずその今だいぶおっしゃってくださいましたが、小沢代表、民主主義のためをその実際に我々が生きるために小沢さんのライフワークは議会制民主主義の定着だと思いますが、それには何が必要か、それから議会制民主主義とはどういうものなのか5分程度お話しください。
民主主義と立憲主義って今さっきからお話ありましたが、私は基本的に民主主義の原理を通していくという方にどっちかというと傾いてんですけれども、ただそのためにはやっぱり国民主権者がね、きちっとやっぱり何度も言いますように自分で判断、自分で意思表示ができるようになりませんと民主主義は成り立たないですよね。だからその意味で私はま今自分は選挙してる身ですけれども、主権者が唯一その主権を行使する機会っていうのは選挙しかないですね。
安倍さん選挙前に何言ったかって、積極的に言ったのはTPP反対だよね。自民党ポスターまで作ってベタベタ張って。ほれで安保法案のことについてはあまり触れない、憲法のことについては触れない。都合の悪いことは触れないでごまかしているんですね、選挙の時に。それに完全にごまかされちゃうんですねこの日本の有権者残念ながら。そして当選して2/3通ったとなると、さあやりたいことなんでもやってくというこういう形でですね、選挙終わっちゃうと直接的に政府の行動を止める手段はないんですよ事実として。なんぼ私ども何言ったって野党は少数派ですから、最終的に多数をで持ってやるという以外決定方法はないですから。トランプさんみたいに最終になっても認めないかもしんないっつわけにはいかんですから。
ですからそういう意味でこの主権者はその主権を行使して政府を作り、そしてその通常任期期間はその人に、政党そして総理に任せるわけですね。だからその総理・政党がおかしいということであればちゃんと選挙にね、つまらんから選挙に行かないっつったらいつまでたったって変わるわけないですよ。それで安倍さんの言う通り今の感覚でもって政治は進んでいくちゅう話になっちゃいますから、そういう意味で私は議会制民主主義を定着させたいし日本国民がそれをしっかりと身につけると、そうすればかなり多くの大部分のことは私は解決していくんじゃないかなとそう思います。
で選挙ってのはま1つの戦いですよね。その観点から見た時に井上先生、これその民主主義は談合ではなくて闘争であるというようなことを言っていいんでしょうか。これどう思われますか。
あのそのことに入る前にねちょっとね、やっぱり最近の第2部で1番重要な、「軍法会議」って言ってみんな怖いと思わなかった?さっき私これやっぱ言っとかないと。なぜ軍法会議が必要か。「戦力じゃないって言ってるから軍法会議いらない、軍法会議ないから戦力ない」、これ危ないんですよ。戦力に対する法的統制・憲法的統制をはっきりするためにこそ軍法会議いるの。どういうことか。これは本当にPKOの現場でやってきた伊勢崎賢治さんね、この方かつて護憲派でま便法としてやったけどやっぱりそれじゃだめだと護憲的改憲論にやった人だが。だいぶ言ってくれるから皆さん分かってると思うんだけど、自衛隊が多国籍軍の一部として行くでしょスーダンとか。そうすると多国籍軍とそのスーダン政府との間に地位協定って結ぶんですよ。その地位協定で、多国籍軍の兵士たちがテロリストだと思って発砲するとこ気付いて見たら民間人だった、こういうこと必ず起こるわけです。そういった時に現地法で処罰されないという治外法権を地位協定で与えられるわけですよ。しかしその代わりにその国の兵士は自国軍の軍法会議で裁かれる、だから法的統制が確保されてると。自衛隊はそれがないの。地位協定で自衛隊も治外法権持ってんですよ、なのに軍法会議がないから。あえて言えば刑法の国外犯の適用できるけど、国策で派遣されといてね刑事犯で処罰はおかしいでしょ、実際そんなことありえない。そうすると法的空白状態に自衛隊置かれれちゃうんですよ軍法会議がないから。
だから自由に武器使えるどころか武器使ってこういうことが起こったらややこしい問題が起こるから、自衛隊員は武器が使いたくても使えないの。その結果サマワに行った時どうしたかというと、他の多国籍軍は迷彩服を着たんだけど砂漠だから茶色の迷彩服、自衛隊員をわざと目立つ緑色の迷彩服を着たんですよ。自分たちは危なくないということを可能的な攻撃者・テロリストにやるためにね。でも一旦攻撃されたらもう確実に脆弱で死ぬって状況ですよ。だからPTSDになるんですよ皆さん。なぜ軍法会議が必要か、なぜ戦力として認知しなきゃいけないか、そういうことなんですよね。
あとじゃじゃこれ本題に入りますね。これ誤解しないでください。小沢さんと堀さんはなんか軍法会議必要だと、井上もなんか言ってるらしい、こいつら軍国主義者だと思ったでしょ。逆なんですよ。それで今言った民主主義、僕はだから最初2つ言いましたよね小沢さん私が評価した理由は。55年体制の問題で、僕はその55年体制以前から批判的民主主義っていうものを立憲民主主義のあるべき構想としてずっと議論してきたわけです。でそれはどういうのかというと、皆さんは民主的っていうのはなんかみんなでいろんなこと言う人たちが話し合ってコンセンサスで決めた方がいいと、談合って言うと裏でやるからダメだけど表でちゃんとコンセンサス決めればいいと思ってるでしょ。でもこれじゃダメだと。
なぜかと言うと、このこと分かって欲しいんだけど、なんかコンセンサスの方が少数者の異論が許されると思ってるかもしれないけど、それは井上達夫みたいにずけずけ物言ってつうやつ。普通の人、コンセンサスだったら51対49で決めればいいのを反対者がいないような雰囲気作らないとだめだから、気の弱い人は言えないのよ。「お前がいつまでも反対してるから決められることが決められないんだよ」なんて言われちゃうわけ。普通の人ダメでしょ。「何言ってんだ」て言えるのは井上達夫みたいなやつだけ。小沢さんもそうかもしれないけど。だから弱い人にとってはコンセンサスの方がすごい同調圧は強くなるの。自分内心反対してんだけどノーと言えない。それに比べたら多数決、51対49で決めてくれ、で49だったら「あ51の諸君、君たちがイエスて言ったんだよ、そのこと記録に残せ」って言うんだよ。「で間違ってた責任お前らが取るんだよ」て49の言えるわけよ。どっちが異論の自由が保障されますか。
それからもう1つ。多様な少数派の雑多な政治勢力がコンセンサスで決めると結局無原則な妥協をせざるを得ないんですよ。となると何が起こるかというと、私は答責性(アカウンタビリティ)って言うけど、私はこれは説明すれば済む話じゃなくて首が飛ぶとちゃんと。答責性って訳で言ってますが、コンセンサスは答責性を曖昧にしちゃうんですよ。みんなで「いやなんか議論してみんなが譲歩させられた」っていう持ってるから、うまくいかなかったら「俺のせいじゃない、俺たちに譲歩させたあいつのせいだ」てお互い責任転嫁する。それからまずく言った時、政策がいろんなものの継ぎはぎだからどの政策要素のせいなのかそれも分からない。つまり誰が間違ってたか何が間違ってたかが曖昧になっちゃうんです。これが無責任の体系っていうね。丸山(眞男)さんそれ戦前の軍部政府につけたわけ。だけど今の日本も55年体制の後で何とかやってきたけどその後無責任の体系になりつつある。
でやっぱり責任を明確化するためには整合的な1つの政策体系でまとまった政党同士が競争する。で連立組ませない、単独で政権を担当させる。その代わりそこに権力がその時期一時期集中するけど、やってみてまずい結果起こった、そしたら責任転嫁できないよ、お前らの首が飛ぶんだてこと。僕はこれを批判的民主主義って言うと難しいから「我ら愚者の民主主義」って言ってんの。愚者ですか。人民っていうのは米国憲法のWe the Peopleね、我ら人民がこの憲法を定めた、これは人民主権だ。僕はそうじゃない、We the Foolishとよく言うの。
今の国民にやらせたら日本人はレベル低いからどなことないって護憲派のエリートの学者たち色々言ってる。ふざけるなって感じなんだけど、あんたたちもバカじゃねえかと。要するに民衆がバカだから民主主義はダメだってんじゃないんですよ。そんなこと言ってるエリートも馬鹿だ。民主主義はみんなバカだから、自分の愚行から、試行錯誤や失敗から学習して成長するために民主主義が必要なんだと。そのためには誰が間違ってたのか何が間違ってたのか答責性が明確にならなきゃいけない。そうしないと政治的に成長しない。コンセンサスだとみんな他者に責任転嫁できると何も変わらない。そういう点で私は批判的民主主義・我ら愚者の民主主義っていうの考えた時に、小沢一郎という政治家がいた。彼がやろうとしてのはまさにそうじゃないか。
なぜかというと、55年体制はコンセンサス型の政治だったんですね。これ比較憲法学・比較政治学でそう言うんですけども。皆さん一見自民党単独政権だと思うかもしれないけど、自民党とは保守合同以来政策的・イデオロギー的に雑多な勢力、右から左全部包摂してる。権力を共有するためだけに結びついたもんですよ。で鳩山一郎入れるために改憲案とか憲法調査会やったけど、自民党の保守本流はずっと修正主義護憲派と同じです。専守防衛個別自衛権ならオッケーていう。でさらにそれだけじゃない。共産党は体制揺るがすから排除していたけど、社会党・民社党・公明党は国対政治の場で一緒にコンセンサス作ったの。普通議論して多数決で決めんだけど、多数決でたまに決めたりすると強行採決だと言うんだよ。民主主義は多数決決めるの当たり前でしょ最後は。ところがいかにそういうことしなかったか、少数派の意見もやってきた。
これがこれなりにね機能したのはなぜかと言うと、基本的な政策課題についての国民的コンセンサスが55年体制の元であったんです。それ何かというと高度成長していく。で軽武装、軽武装と言ったってGNP1%以内ね国防費、これだってすごかったんですよ高度成長で。高度成長から取り残された農民だとか中小零細生産者にはこれ政治学の言葉で利益の傾斜的細分配政策ね、いろんな補助金とあれでしてあげる。でサラリーマンは不満をどうやって抜くかというと基本的に減税。こういう構造で持ってきたの。
ところがそれが破綻しちゃったんですよ。もうパイは大きくならない。となると誰かが得した、誰かが損した、これゼロサム的対立って言うんだけどね。プラマイゼロだからそうするとお互いの間にものすごい「俺損さしてあいつ得した」こういうところでは分配的公正という正義の問題が鮮鋭になってくるわけ。そのコンセンサス決められない。さらには国際環境変わった。軽武装って言ったってもう北朝鮮ある特のは特にGNP1%超えてますよ。そうす安全保障政策どうするこれも国論を真二つに分断する。さらに3.11問題ね、過酷事故対策じゃなくてエネルギー政策どうすんのか、これについても国民の意見まとまらない。ここでコンセンサスなんかやっていけないんですよ。やっちゃったらさっき言ったように足して2で割る3で割るわけのわかんない無責任の体系がはびこっちゃう。だからこそ55年体制破壊しなきゃいけないってことも思ったのが小沢さんなんですよという風に僕は思ってる。
はい、はい。まあそれは今の小沢さん我が意を得たりっていうところが。
あの時ね田中の番頭だったからほっとけばね自民党の総裁になれたかもしれないの。わざわざ自民党割ったんですよこの人。「この人」って言っちゃった。これ僕の親愛の情だと思ってください、このお兄ちゃん言うかもしれない。自分の権力動いてないの、日本の政治的決定システムをどうするかっていうそのこと真面目に考えてる数少ない政治家なんだけど、世間から誤解されてなんか黒幕で勝手なことやってると言って。彼は政党はコロコロ変わってる、だから一見なんか節操がないかもしれない見えるかもしれないけど、彼は自分が1つの党のトップになって権力握ることに関心あるわけじゃないんですよ。多様なその政党と政党が政策を巡って競争し責任をはっきりさせるような政治決定システムを作りたいわけ。だから自民党に任せてたらこれはそれが曖昧になる、そしたら自民党割るしかない。他の野党やってたけど他の野党に任せても曖昧になる。そしたらやる党はコロコロ変わるけども小沢さんが狙ってる政治的決定システムはやっぱり今言った責任体系を明確にする。
ここで1つだけ言わしてほしい、僕はネクタイしてきた。尾崎咢堂、尾崎咢堂の歴史見てごらん、もう政友会出たり入ったりいろんな政党。彼は何のためあったか、やっぱり立憲政治・政党政治、政党が競争するこれを維持したかったわけ。そのために政友会入ってたらいい時が入るけど「これダメだな」と、薩長軍閥に対抗し政党、政党もその後腐敗堕落していく。そうすると彼は結局政党から抜けて無所属議員としてでも25回当選しましたけどね。僕は最後小沢さんそうなるんじゃないかなと思うんで、節操を通すからこそ孤立しちゃうんですよ。
あのあれですね、自由党の党首の私としてはもう井上さんに自由党の綱領を書いてもらいたい。
まともかくね、その空気のようなもので、雰囲気で成り行きでまカタカナで言うとコンセンサスと言われるもので決まっていくと。これで責任の所在がはっきりしないともうなんか都政で話題になってることもそうですし、もう1事象が万事そういうところがある。そういう中で様々ないろんな矛盾がそのまま取り残されたまま続いてきていて、もうそろそろ日本は日本人は目覚めて何とかしなきゃいかんじゃないかということだと思うんですが。
今だいぶお話ありましたが、今日ですね率直に行って皆さんどうでしょうか、皆さんの周りでもですね、左右を問わずやっぱり小選挙区制はまずいなと、中選挙区制の方が良かったと。自民党の派閥の間のバランスでなんかこう均衡が保たれてさほど極端の方に走らないあの方が良かったと。55年体制批判されてるけども、なんとなくこう批判だけにとどまる社会党がいて、自民党もさほどのことやらないで良かったんじゃないかと。この意見はかなり自分を民主主義者と思ってる日本人の中にも相当広がってると思うんですね。私が尊敬する学者の数人の学者の方々もそう言ってるケースが多いです。ところが小沢さんはいや小選挙区制でなきゃいかんのだというお考えですよね。この辺りのところ政権交代というものがなぜ重要なのかと。これ井上さんの方からもまた深めた分析した話を伺いたいところですが、まず小沢さんどうですか。
あのやっぱり権力ちゅうのはどうしても横暴になりますし、そして長期になれば腐敗する、これはもう人間の性と言ってもいいと思いますけれども。ですから権力は本当に民主社会では国民の目の届くようなそういうオープンな権力であると同時に、国民がきちんと選挙でコントロールできるような政治体制、それがま民主主義だと思うんです。ま神様仏様みたいなリーダーが出てずっとやってくれるならまだそれでもいいですけれども、そういうことはありえないわけで。ですからやっぱり先人たちの知恵とし民主主義、おかしなことをやったら国民が自分の選択で政権を変えられるというシステムを作り上げたんだと私は思います。
そこで日本の場合ですけれども、中選挙区制をずっとあのままやってたらば多分あの自民党権力がずっと続いただろうと思っております。ま日本人はその中選挙区ちゅうのは3人から5人の候補者を選ぶと。野党は130選挙区ありましたから、131選挙区1人ぐらいは取れるということになりゃもう全然もうそれだけでも満足しちゃって根っこで自民党と繋がって与野党談合でやってくると。これが1番ぬるま湯で1番楽なんですね。それがなぜ続いたか、先ほど井上先生おっしゃったようにいい環境・いい状況が戦後高度成長の中であったから。それでなんとかかんとかやってこれたけども、それがもはや限界、パイは大きくこれ以上ならないとすると、そこにいろんな矛盾が表面化してきていると。ですから私はその意味でやはり常に緊張した政治をやっていくためには政権交代がどうしても必要だし、民主主義の仕組みはそのために作られたと思います。
今小選挙区制を反対してる人たちは、多分あの死票が多く出るということがかなり大きな理由かとも思いますけれども、それは政権交代可能なシステムとして小選挙区制を僕は推進し選んだんです。当然それは1票の違いでも1人区では当選者と落選者になります。ですから非常に選挙が有権者のしがらみを離れた、俗に無党派層みたいな感じですけれどもその動向によって政権が変わるということになります。
今一強多弱の中でね「もう全然ダメだ」みたいな「もうこれ自民党ひっくり返せない」と思ってる人がほとんど多いんですね。俺野党の国会議員までそう思ってんですが、そんな政権を狙わないんだったらもう政党なんか解散しちゃった方がいいと、政治家はやめた方がいいと僕は言ってんですけれども。2009年のことを思い出してください。あの時だって自由党と民主党、ま僕は多数を取るためには合併する以外ないと思って合併したんですけれども。あの時だって合併した民主党は最初から強かったわけじゃないんですよ。それがどんどんどんどん国民の皆さんの期待が強まって、それで2009年の民主党政権になったんですが。それ以後ですね、ずっと投票率が下がって、もう20%下がってんですあの時と。自民党の票は全然増えてないんですよ。だと棄権が多いもんだから結局1つにまとまってる自民党に議席が多数行くちゅうことになっちゃってんです。ですから単純に言うと20%の棄権してる人たちが投票に参加してくれたらいっぺんに政権は変わります。そういう風に仕組みを小選挙区制にしたんですから。
だからその意味において僕は当分、日本がきちんと自分の国民がそれぞれ有権者がその主権を行使する、自分の意思表示をはっきりできる、そういう形の成熟した民主主義が定着するまでは僕は小選挙区制で、この民主主義のいい点を政権交代ということをやる以外ないと思ってます。今の野党でも、共産党はちょっと別格ですけれども3党が完全に一体となって選挙戦やったら絶対勝ちます。あの新潟の選挙なんか民進党が「俺たちは関係ない」っつって最初にギブアップしちゃいましたけど3党でやってあれだけの大差で勝ちました。一方はさっきも言いましたが東京の豊島区の選挙は負けました、しかし投票率は33%です。これが2009年のように70%の投票率だったら私は勝ってたと思います。ですからそういう意味で本当に小選挙区制ちゅうのは死票が多い、その点の欠点があるんですけれども、それ以上に政権・権力を国民が選べる・政権交代ができるという方が私ははるかに大きなメリットだと思っておりますので、小選挙区制は当分続けなくてはいけないとそう思ってます。
えっとですから、選挙であれ政治闘争であれ負けた方があるルールの中で負けた方が勝った方の意見を認めてやると、だれども共同体は続けて共同体の一員として暮らしていくというようなことが非常に民主主義の鍵になると思うんですが、これよく深く考えるとですね、それ井上先生に伺いたいんだけども。その法哲学的にもですね、そのポイント・オブ・ビューの交換、つまり相手の立場自分の立場、先ほどすでにお触れになったけれども、こういう観点から見て政権交代というもののその表面的にどの党が勝つとかってことはちょっと置いといてですね、そのこと自体のその意味と正義論という観点からいかがでしょう。ちょっとあまり長くは話していただけませんが、要約するような形でご紹介いただけたらと思います。
あのねそれを言うためにやっぱり小選挙区制が皆さん多くのやっぱあるだけど、なぜ必要かってことね、それ分かって欲しいんですけど。死票がいっぱいできるってんだけど、あるいは多数の専制だって批判されるけど実は多数ですらない、大体比較第一党に単独で政権を担当させる。例えば40%30%20%で、40%の人が議席の6割7割占められちゃう、要するに民意のわずかな変更を議席数に大きく増幅し反映させる。
何のためにやるかというと、さっき言ったようにコンセンサスで連立政権やっちゃったら責任が不明確なの。だからこれは欧米では「ファースト・パスト・ザ・ポスト」、最初に飛び出した一等賞の者に全部任せてみる。それは何かというと期間限定付きで権力は集中させるけどさっき言った責任も集中させる、そのこと失敗したら言い逃れ許さないって。ってことは小選挙区制の存在理由は責任を明確化することと同時に、政権交代がちゃんと行われると。
でコンセンサス政権交代一見行われるように見えるけど、それは一定の閾値、10%以上の組織票を持ってる団体のまあ78党のうちある時はそのうちの5党、別の時は別の5党というように連立のたらい回しになる。彼ら自身が常にパワーブローカーであるって状況は変わらないんですよ。それに比べると小選挙区制の場合は大胆な政策体系の変更が起こるんです。
でさして政策を巡る争い、例えば55年体制の元それはあまり見えないんだけど、「これじゃダメだ」って時に構造改革したい時にいつもやることは、その数の上では少数だけど一定以上の組織を持った連中が拒否権を発動して骨抜きにするんですよ。もう自民党に小沢さんいたから分かる、自民党って内閣では責任取るけど内閣出した法案を党の与党審査のこれインフォーマル、そこで族議員の代表たちが出てきて影で自分の利益団体に欠くことみんな骨抜きしちゃっうんですよ。これコンセンサス政治の実態。
ところは例えばイギリス見てくださいね、イギリスだって英国病って言われた時あのコンセンサスあったの。保守党も労働党もあの福祉国家ですね、ゆりかごから墓場までずっとやってきたわけ。労働党はもちろん労働党だから。保守党も一種のパターナリズム・エリート、俺たちの特権を認めるんだったらお前ら労働者庶民の面倒見てやるよみたいなね。でこれでやっていたら英国病になったわけよ経済は全然。英国がそれで持ったのは大英帝国で植民地からたっぷり溜め込んだ遺産があったからそれを食いつぶしていた。時危なくなった。その時それを変えようとしたのはサッチャーですよ。あれは労働党をやっつける前に古い保守と戦ったの。古い保守と戦って新しい保守を作って、でそうしないとイギリスは沈没しちゃう。そうするとその結果として労働党も昔のようにゼネストやってたらダメだなってわけでブレア政権で変わってくんだけどね。要するに革命的な政策の変化っていうのを小選挙区制は推進する機能を持つというか、それを持つ限りにおいてのみこれは承認されるべきなの。
ところが日本でなぜ小選挙区制にイメージ悪いかてと、今のことが分かってないだけじゃなくて過去の例があんの悪例が。ちょっと申し訳ないけど田中の番頭だという田中角栄が悪い。保革伯仲って言われた時代があったんですよあの370年代終わりかな。あの時田中角栄さんが小選挙区制を提唱したの。で井上達夫は大学1年生だった。私はシールズの諸君はちょっと頭がもうちょクールに考えてたけど、その当時の達夫は東大1年生でも頭はクールだった。根っから小選挙区制反対した。今は小選挙区制支持者ですけど。なぜかと言うと小選挙区制が本来の目的である政権交代の活性化とは全く真逆の目的のために使われた、保革伯仲の元で自民党政権を永続化させるために使われたの。どうしてそれは可能かって言うと選挙区割りです。1つの選挙で1党が勝てないから、自民党が勝てるようなように選挙区割りしたの。これ昔から言うとゲリマンダリングってご存知ですか。それをもじって「角マンダリング」って呼んだんですよ。角マンダリングがあったからそういうことがあったもんだから、小選挙区制っていうとなんか自民党がいつも有利なようなそういうイメージを持っちゃった、これメディアもね。それは本当に是正してほしい。僕が小選挙区制反対したの小選挙区制だから反対したわけじゃないですよ言っとくけど。田中政権が自民党政権を永続化させる手段としてやろうとしたから。
だから要は小選挙区制だけじゃないの。選挙制度ってのは区割りを独立に、党派の利害から区割りをちゃんとやる公正な第3者機関に任せるとかそういう改革とセットでやらなきゃいけない。本当はそれはその時々の選挙で勝った連中が公職選挙法いじれるとまずい、これも憲法に本当入れなきゃいけないですよ。日本国憲法は九条と人権問題言ったけど、私はとりあえず九条改正1番緊急だと思ってるけど、もう1つ統治機構の規定が圧倒的に少ない。外国の比較政治学者・比較憲法学者見たら日本国憲法の短さに驚くわけ。ドイツと比べてください。何が多いかてみんな統治機構の規定がいっぱいあるわけ、統治機構がその時々の選挙の勝者が勝手にいじれないようにね。でそういうことが考えると選挙法の基本的な公正さを担保するルールも入れなきゃいけない。
で色々あるけど選挙今1つあるのは解散権。憲法69条で内閣が不信任決議をされた場合に対抗手段として衆議院を解散できるってなってんだけど、本当はそこに限定されなきゃ。だって国会が国権の最高機関だって言ってんだから。内閣の総理大臣自分の裁量でいつでも気に食わないと衆議院を解散できると思ったらこれは伝家の宝刀持ってるもんでしょ。しかも時の与党に有利な時に解散するとかね、こんなアンフェアなんですよ。でもそれを7条を使った、7条ってのは天皇の国事行為で儀礼的なことだけ、その衆議院を解散すること。それを使って69条以外の場合でも自由裁量で首相が解散権、こんなことなってるわけ。日本の裁判所情けないんだけど自民党べったりだからこれ合憲にしちゃってる。だからこれも本当は憲法改正必要なんですよ。だから世の中のその統治のメカニズムどうやるかっていうと単に死票が出るってすぐ言いますよね。そういう風に考えんじゃなくてもっと大きな絵で見てほしい。権力交代を活性化するためにこそ必要だと。
井上さんは統治機構についてももっと憲法を変えていくべきだという考えなんですね。
はい、1番のあれでね、じゃああんたのその正義論とかレジティマシーの議論とどう関係あるかっていうことね、これ言わせてください。間違ってるけども尊重するって言いましたよねレジティマシー。それは少なくとも今あいつら与党だけど俺たち野党だけど、将来俺たちも与党になり得ると。その時に野党の時に与党のやり気に食わないから俺たち無視すると言ったら、自分たちが与党になったら同じことされちゃうでしょう。これダメだよね。それとあなたたちが与党の時やることを、あなたたち今野党だからと言って与党がやったらけしからんていうのはこれは反転可能性、自分の他者に対する要求や行動が自分が他者だとしても拒絶できない理由で正当化できるかどうかをチェックしなさいっていうのねこれ正義論から出てくるんですけど、その観点から言うと政権交代が活性化しなきゃいけない。なぜかと言うと事実上一定の党は自民党が政権を永続化してんのに、仮に野党諸君君たちも政権を取ったならば同じことをするだろうって言ったって、現実に政権取れないとしたらこれ欺瞞でしかないでしょ。そうすると反転可能性の議論が欺瞞的でないためには、政権交代、つまり民主的政治競争における勝者と敗者の地位が現実にも反転するそういう制度を保障しなきゃいけない。でその観点から言うとコンセンサスは一定の組織票を持った連中の間の政権たらい回し、この構図自体崩れることはない。しかし小選挙区制はまさに政治競争の勝者と敗者が大胆に変わる可能性を保障してくれると。
そうですね、だからその反転可能性の具体的現実的な名前が政権交代の可能性だと言ってもいいということだと思います。で今色々お話出ましたが、そのデモクラシーといかにパターナリズムっていうのが対立するものであるのかと。我々の社会文化の中ではそのパターナリズム的なものがかなり強いかもしれない。ま全面的にそれが悪いものだとは言えないが、デモクラシーのためにはこれをなんとか乗り越えていかなきゃならないということだろうと思うんですが。今色々なお話が出ましたが、もう話が豊かすぎて大変なんですけども、小沢さん、今の井上さんの色々なコメントについてこの部分とかあの部分とか、ちょっとお考えになるところがあればお話しください。田中角栄批判まで出てましたけど。
いや基本的にみんな大賛成です私も。田中先生があの小選挙区制あれした時はちょっとね、おっしゃる通り政治的な苦境を打開しようというところで出してきたっちゅうこともあったから。その前には鳩山さんもね、ハトマンダー、角マンダーってみんな言いますけど。だけど僕はあのもっとその当時に小選挙区制にしてたらね、2、3回は自民党勝つかと思いますけれども、もっと早く政権交代できたんじゃないかって気もいたしております。それだけ小選挙区制ってのはものすごく政権交代ちゅうことにやりやすいようなシステムなんですよ。だからそういう意味では僕は大変いいと思います。ですからあとは井上先生と違うとは九条を廃止するか廃止しないかいうことはありますけれども、あの廃止すっかしないか別にして、きちんと明らかに自衛隊の地位、自衛隊の存在明らかにする。国連中心主義ながらそれに徹する。そういうなんちゅうかまあ日本的コンセンサスの曖昧社会の特徴なんですけれどもはっきり言わないんですね。だ誰もが誰が決めたかわかんない中ですから誰もが責任取らないという話になっちゃって。
これいちいち皆さんの会社でも家庭でもグループの中でもね、自分の意見をいちいちなんかの会合のたびに主張する人はものすごい嫌われますよね。「あいつバカだいろんなこと言って」つって。せっかくみんなで一緒にやろうと思うのにぶっ壊すてみたいな感じにみんななっちゃうんですね。ですから私なんかもその意味でものすごい嫌われてんのはそこにあるんですけども。それをメディアがね、日本のメディアももう最近は権力の言いなりんままになってますんで、それで僕が色々批判するからますます嫌われるというこの点では悪循環になっちゃってんですけれども。私は今日のお話をお聞きしていて大変勇気づけられました。ああ。
えっとそれではこれで。ま九条問題はもっともっと掘り下げた井上さんのお説はもっと詳しく伺いたいところですが、色々ご著書があります。本を読めば詳しくより精緻にどういう論理構造でこういう主張が出てくるのかっていうのが分かりますから、まそれを読んで。別に井上達夫教授だから全部従わなきゃならないわけじゃない、批判的に読んでそれぞれが考えるってことが大事なんだろうと思いますが。ま個人的には私はかなり説得されておりますが。
まあ九条どうなんでしょうかね、ま大きなオリエンテーションとして国是というものをどう考えるかと色々議論ができるところだと思います。でま憲法とは何かその役割は、それから九条問題、それから政治とはなんぞやと、民主政治とはどのようなものかと、特に政権交代可能性の裏側にある深い意味というところまで短い時間でしたけも進んできたと思います。で最後にですね、5分ずつ今日のやり取りを踏まえてどんな風なお考えか感想か、それからさらにこの会場の皆さんにこれだけ言っときたいというようなことについて井上教授5分ですよ、お願いします。
僕はあの今日だいぶ失礼な物言いを小沢一郎氏に対してね「この人」だとかね「お兄ちゃん」だとか。で僕はそういうね「小沢先生」なんて申し訳ない、そういう気持ちを分かってくださったでしょ。しかし世間というかメディアがひどいんですよ。こういう希有な政治家をなんか政界の暗躍する権謀術数のなんちゃらかんちゃら節操が全くないとかね。しかも知識人の中にもそういうことやってるやつがいる。これは結局小沢さんが55年体制破壊した時、メディアの55年体制も破壊したの。大手メディアは右から左にみんなつるんでです、日本記者クラブなんかで自分たち特権持ってるから。だから日本のメディアってのは実は小沢さんさっきおっしゃったけど、本当の意味で言論の自由・表現の自由守ってない。自分たち自己規制してんですよ。
デイビッド・ケイっていうね、あの国連人権理事会の特別報告者ですよ、日本の表現の自由の状況を見に来たの。で彼が正式のレポートは来年出るんですけど、4月に記者クラブで予備的所見っての発表したわけ。その中で日本の言論の自由についてこういうこと言った。害していいと。でしかしそれはネットの場合だ、ネットはむしろもう規制なさすぎるぐらいだけどものすごい自由だと。ところが新聞とテレビの中核放送は「憂慮すべき事情がある」って言ったね。非常に懸念すべき事情があると。
でその時僕はショックだったのはね、ケイさんがジャーナリストにみんなインタビュー申し込むんだよ。で応じた人の全くほとんどが匿名を条件なのよ。匿名でないと言われると会社で首になる。中にその匿名条件だったらあの原発報道突っ込んだ調査報道したら左遷されたとか出てくるんですよ。で今もう怖いのは特定秘密保護法、あれで記者だって刑事罰の対象になれるんですよ。さらに放送法これで高市発言があったでしょ。「4条違反中立公正違反したら業務停止命令できるぞ」っていやこれもう言っちゃうよ。でこれを支持した安倍派だけじゃないんですよ、護憲派のリーダーなってる長谷部君(長谷部恭男)が両方とも支持してるんですよ。あ長谷部ね東大の。まそれ放送について随分昔の話ですけどね。そのことはさっき言った小林よしのりとの対談本の中で指摘してますがそれ置いといて。
ですから日本のメディア及び知識人、一見私から言うとエセリベラルだから、リベラルっぽく振る舞うそういう人たちが実は本当の意味での言論の自由・報道の自由それを維持する覚悟はない。小沢さん嫌われたの、だから番記者だとかあの記者クラブの特権制度なんかやってきて「何お前ら偉そうなこと言ってんだ」と言っちゃったからよ。日本のメディアの地図をばらしちゃったんだこの人。だから総叩きあうので。それがおかしいだろて言ったら、悲しいんだけどカレル・ヴァン・ウォルフレンっていうずっと日本にいた『日本/権力構造の謎』のあの人ですよ。ウォルフレン、はいはいもう終わりだから。皆さん新聞とかテレビだけ信じただめ、自分の目自分の頭自分の耳で考えてください、1人1人の国民、それで本当の民意になる。
はい、ありがとうございました。それじゃあ最後の5分、小沢代表。
僕ももう今のお話で言うこと全くありません。あのこれはねメディアだけじゃなく何回も言いますけど、井上先生こんな東大教授がいると思ってました。いや外国のメディアっていうか新聞でもあるいはテレビでもですけれど、みんな署名入りの記事がほとんどですよね。テレビでも何々が伝えましたって必ずあの外国のニュースするとみんな名前言いますよね。ところが日本では絶対署名入りってのはまず希有な例ですね。ほで僕なんか自分のことについての記事は自分が一番よく知ってますから記者なんかになんだこれって「俺こんなこと言ってないよ」つって言うんですけど、「いやこれは私が書いたんじゃない」っつ話で。じゃ誰書いたんだ、誰書いたんだかわかんないんですね。まそこがね僕はさっきから言ってる、やっぱりもっときちっとした自立したメディア、自立した国民、自立した社会になって自分自身の言動には自分自身で責任持つということをもう少しみんなが自覚して行かなくちゃ、うまく民主主義は機能しないんじゃないかなという風に思っております。ま今メディアの話をしましたけれどもメディアもいわゆるお上支配の体制の中の利益集団なんですけれども、ま他の社会でもみんな同じようなことが言えると思います。早くやっぱり日本的なものを全部私は否定してるわけじゃなくて、日本的ないいものを残すためにもやっぱり日本人がしっかりしなきゃいけないと。悪いとこにずっと流されちゃうともういつまでたっても変わらないし、また結局待っているのは悲劇だけだという風に思いますんで。今の話に我が意を得てまた是非皆さんにもそういうことでよろしくお願いしたいと思います。はい。
ま最後はね、やはりもう本当に日本にもいいものはあるわけですね。だからそのいいものを残していく、変わらずに残るためには変わらなければいけないっていうお話だったと思うんですね。例によって。でそのオープンでフリーでフェアな、特にそのフェアネスっていうのが今日の先生のお話の中にこう貫かれている重要な理念だと思いますけれども概念だと思いますけども、これあの小沢さんの信条とするところでもあると思いますので、うまく対立しながら一致したかなと。さらにもっと対立していただこうと思いますけども。
あのいずれにしても今日お2人とも違う分野の傑出したそれぞれお方ですが、いかに反骨精神になるかと。この反骨精神が私好きですね。だから井上さんも小沢さんもそういう方だと、これがデモクラシーを作るんだという風に私は個人的には再び確信をいたしました。で今日あの本当に短い時間でしたけれども日本の憲法論議民主主義論議に一石を投じるということが趣旨でありました。これはまだ出発点。それぞれそういう偉い人だけじゃなくて個々の市民がですね、そのオープンなそしてフェアな精神のルールの中で議論をして戦うと、政治は戦いだから。ということなんじゃないかという風に思うわけです。まこれを持ちまして今日の短かったんですけども、「井上達夫・小沢一郎憲法そして民主政治を語る」という対談の締めとさせていただきます。どうもありがとうございました。
