石田憲 千葉大学教授 「戦後70年 語る・問う」⑲イタリアの戦後処理 2015.6.4
日独伊の歴史的比較から導く、現代日本への4つの提言
提言1:「被害者意識」に逃げ込まず、加害の歴史を直視し「第2の罪」を克服せよ
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背景: 日本社会には、空襲や原爆などの「被害」を強調する一方で、アジア諸国への植民地支配や残虐行為(第1の罪)を過小評価・忘却しようとする「第2の罪」が蔓延しています。また、過去の暴走を「正常な国家が一時的な病に罹っただけだ」と免責しようとする保守的風潮も根強くあります。
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具体的アクション: 「植民地支配の暴力と国内の人権弾圧は連動する」という歴史の教訓を深く学び、加害の事実を直視すること。許しは加害者ではなく被害者が決めるという厳粛な事実(プリーモ・レーヴィの言葉)を受け入れ、事実と行動をもって近隣諸国との真の和解を目指すべきです。
提言2:同調圧力を打ち破り、市民による「下からの抵抗(レジスタンス)」を根付かせよ
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背景: イタリアが市民の草の根の抵抗運動によってムッソリーニを追放し、国民投票という「自己決定」を経て王制から共和制へと移行したのに対し、日本には決定的なレジスタンスの欠落がありました。強い同調圧力の中、国民は自ら政体を問う機会を持たないまま天皇制を維持し、戦後体制を受け入れました。
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具体的アクション: 上からの決定に無批判に従うのではなく、家族や地域社会を基盤とした市民の自発的な政治参加や、権力に対する批判精神(抵抗の文化)を育むこと。主権者としての自己決定権を不断に行使する社会へ成熟する必要があります。
提言3:「人間の尊厳」を不可侵とし、排除のない真の共生・人権保障を実現せよ
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背景: 欧州がファシズムの反省から「労働と社会権(伊)」や「人間の尊厳(独)」を新体制の基礎に据えたのに対し、日本国憲法は「象徴天皇制と第9条のバーター(国際社会への弁明)」という政治的妥協の側面を持っています。また、草案段階で元植民地出身者(外国人)の人権保障を日本政府自らが削除し、閉鎖的な体制を温存しました。
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具体的アクション: 憲法を単なる「敗戦のペナルティ」としてではなく、自らの社会構造を変革する意志として捉え直すこと。国籍や出自による排除を根絶し、すべての人の「人間の尊厳」と「社会権」を実質的に保障する社会を構築すべきです。
提言4:狭隘な日米関係に閉じこもらず、アジアにおける「主権の共有」を模索せよ
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背景: 日独伊はともに、国内の社会経済的矛盾を対外膨張(植民地獲得)へ転嫁させた「後発帝国主義国」でした。戦後、欧州は国益至上主義の暴走を防ぐため、EUなどの「超国家的機構」へ国家主権を一部移譲する道を選びました。一方の日本は、アジアに向けた主権の共有や共同体形成の意識が希薄なまま、日米の二国間関係のみに依存し続けています。
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具体的アクション: ナショナリズムを煽って国内矛盾から目を逸らす政治手法の危うさを自覚すること。狭い一国平和主義や対米追従を脱却し、アジア近隣諸国との間に主権を相対化し、連携できる多国間ネットワークや共同体の構築に向けて主体的に行動を起こす時期に来ています。
🔑 主要キーワード
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後発帝国主義国: 日独伊の共通点。国内の社会経済的矛盾や不満を、対外膨張(植民地獲得)へと転嫁させた。
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病としてのファシズム(例外現象): 保守系の知識人が陥りがちな「正常な国家が、一時的に病気(狂乱)に罹っただけだ」という責任逃れの歴史認識。
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被害者意識の先行: イタリア(ドイツ軍に見捨てられた)と日本(空襲、原爆、シベリア抑留など)に共通する、自らの加害行為を矮小化し、被害を強調する心理。
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下からの抵抗運動(レジスタンス): イタリアには家族や地域共同体を基盤とした草の根の抵抗運動があったが、日本にはそれが決定的に欠落していた。
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君主制の廃止と天皇制の維持: イタリアは国民投票で王制を廃止し「共和制」へ移行したが、日本は自己決定を経ないまま「天皇制」を維持した。
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社会権(イタリア)と人間の尊厳(ドイツ): ファシズムの温床となった社会的不平等を根絶するため労働・社会権を重視したイタリア憲法。ナチスの反省から個人の尊厳を不可侵としたドイツ基本法。
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第2の罪: 過去の侵略や虐殺(第1の罪)を否定したり、過小評価して忘れようとする罪(ラルフ・ジョルダーノの概念)。
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主権の制限(超国家的機構): 欧州が戦争を繰り返さないためにEUなどに国家主権を一部移譲したのに対し、日本は日米二国間関係に閉じこもった。
🗡️ 刺さる言葉(抜き書き)
「植民地支配の暴力と国内の人権弾圧は連動する」 (国外での徹底した暴力の行使は国内での人権無視を誘発し、強制的同質化は一層激しくなった)
「憲法は押し付けられたのではなく、反ファシズムを体現し民主的体制を創るためのものだった」 (イタリアの憲法起草者たちの姿勢。敗戦のペナルティではなく、自らの社会構造を変革する意志があった)
「第1条(象徴天皇制)と第9条(戦争放棄)はある種のバーターである」 (昭和天皇が在位し続けることの担保として、日本はもはや戦争を行わないという明確な意思表示を憲法に入れる必要があった)
「忘却と過小評価という『第2の罪』」 (自分たちがやったことは大したことではない、いつまでもグズグズ言うなと開き直る姿勢こそが、厳しく戒められるべき「第2の罪」である)
「言葉ではだめだ。行動によって示さない限り、今も将来も誰一人許すつもりはない」 (アウシュビッツ生還者の作家プリーモ・レーヴィの言葉。許しは加害者ではなく、被害者が決めることであるという厳粛な事実)
📑 論点整理
石田教授の講演は、大きく以下の3つの論点に整理できます。
1. 日独伊の出発点における共通の構造(後発帝国主義の暴走)
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国内矛盾の外部転嫁: 日独伊はいずれも国家統一が遅れた「後発帝国主義国」であり、国内の貧困や社会不安を解決する代わりに、ナショナリズムを煽って海外膨張(植民地獲得)へと走った。
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徹底した他者への暴力: 植民地や占領地(イタリアのリビア・エチオピア、日本の朝鮮・中国など)において、毒ガスの使用や虐殺など、他者の人権と尊厳を根本から否定する抑圧を共通して行っていた。
2. 敗戦から新憲法制定に至る「決定的な分岐」
戦後の体制構築において、日本は欧州(独伊)とは全く異なる道を歩みました。
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抵抗運動と生態の選択: * イタリア: レジスタンス運動が機能し、自らの手でムッソリーニを追放。国民投票によって王制を廃止し、自発的に共和制を勝ち取った。
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日本: 草の根の抵抗運動がなく、同調圧力が極めて強かった。戦後も指導層は「国体護持(天皇制維持)」に奔走し、国民に政体を問うことすらしなかった。
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憲法に込めた「決意」の差:
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イタリア憲法: ファシズムの温床である「貧困と格差」をなくすため、「労働と社会権」を国家の基礎に据えた。
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ドイツ基本法: ナチスの優生思想や虐殺への深い反省から、「人間の尊厳」と基本的人権の不可侵を絶対的なものとした。
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日本国憲法: 「天皇制を残す代わりの国際社会への弁明」として第9条(戦争放棄)が機能した。一方で、在日コリアンなど「外国人(元植民地出身者)の人権保障」は草案段階で日本政府自らが削除し、閉鎖的な体制を温存した。
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3. 歴史認識と「加害の記憶」をどう扱うか
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都合の良い「被害者意識」: イタリアは「ドイツと戦った戦勝国だ」「ユダヤ人を救った」という神話を作り上げ、アフリカ等での自国の残虐行為から目を背けがちである。これは、原爆や空襲の被害を強調し、アジアへの加害を矮小化・否定しようとする日本の心理構造(第2の罪)と酷似している。
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国家主権の相対化への欠如: 独伊を含むヨーロッパは、国益至上主義が戦争を招いた反省から、EUという「超国家的機構」へ主権を移譲し、人権の普遍化を目指した。一方日本は、アジアに向けた主権の共有や共同体形成の意識が希薄なまま、日米関係のみに依存し続けている。
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真の和解とは何か: 過去の加害を一部の「軍国主義者」のせいにしたり、事実を否定・矮小化したりする限り、近隣諸国との真の信頼関係は築けない。「許し」の主導権は常に被害者側にあり、加害側は行動と事実をもって反省を示し続けなければならない。
