愛知県史民俗調査報告書4 津島・尾張西部
テーマ:環境とくらし — 低湿地と生活空間(伊藤良吉)
はじめに:尾張地方の地理的特徴
尾張地方は、東西で相反する地理的特徴と災害の歴史を持っています。本報告書では、水害に悩まされてきた尾張西部(低湿地帯)の人々が、環境にどう対処してきたかに焦点を当てています。
| 地域 | 地形の特徴 | 主な水利・災害 |
| 尾張東部 | 山地、丘陵、台地 | 恒常的な水不足(溜池が多数存在)、干魃 |
| 尾張西部 | 氾濫原、三角州、海抜0m地帯 | 豊富な河川や水路、集中豪雨による水害 |
1. 平野低地における集落と生活空間
集落の立地と水害対策
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自然堤防上の集落: 氾濫原のムラは、土砂が堆積してできた微高地(自然堤防)や砂丘上に集落と畑を作り、周囲の低地に水田を配置しました。
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干拓新田の集落: 堤防に沿って集落が形成され、その周囲に耕地が広がります。
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水屋(ミズヤ)の建設: 水害から命と財産を守るため、屋敷地全体を嵩上げし、さらに高くした避難小屋「水屋」を建てるのが一般的でした。
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二重堤(にじゅうづつみ): 木曽川沿い(現在の木曽川町など)には、本堤が決壊するのを防ぐための二重の堤防が存在しました。
屋敷の構造と方角
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広いカド(庭): 農作業(脱穀や干し場)のスペースとして、母屋の前の庭を広く取りました。屋敷の周囲には防風のための屋敷木が植えられました。
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屋敷の向き: 尾張西部では磁石上の「南西」を向く家が多いものの、人々はこれを習慣的に「南」と呼んでいました。日照時間を長くし、強い風を避ける理にかなった構造です。
2. 平野低湿地の土地利用と水利
輪中(わじゅう)とクリーク
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輪中の形成: 木曽三川下流域では、集落と耕地を水害から守るため、周囲を堤防で囲んだ「輪中」が発達しました(例:立田輪中)。
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水路(内川)と舟の生活: 低湿地帯では道が少なく、水路(内川)が道路代わりでした。一家に一艘は田舟や小舟(テンマなど)があり、農作業、肥料運搬、嫁入りまで舟で行われました。
独特な農法と耕地の工夫
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重田(シゲタ)と堀潰れ(ホリツブレ): 沼地を深く掘り下げて水路(堀潰れ)にし、その土を積み上げて高くした水田(重田)を作りました。
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高畝(タカウネ): 湿田で冬場に裏作(麦や菜種)を行うため、稲刈り後の土を高く積み上げて畝を作る技術です。
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島畑(シマバタ): 深い湿地の水田の中に、土を盛って島のように作った畑です。木綿や藍などが栽培されました。
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泥上げ(ノマコネなど): 水路に流れ込んだ泥を定期的に田へ掻き上げる共同作業です。冬場には魚取りも兼ねる娯楽行事(祭りのようなもの)でもありました。
独自の共同ルール
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エナリの管理: 水路の両側の細い田の所有者は、水路の泥上げや葦の刈り取りを行う義務がありました。
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ムシゴロシ(虫殺し): 夏の害虫発生時に、水路の門を一斉に開けて田を水没させ、害虫を溺死させる大胆な駆除方法です。
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芯杭調べ(シングイシラベ): 農道が農作業で削られて狭くならないよう、道の中央に打たれた「芯杭」を基準に、毎年道幅を確認・修復する行事です。
3. 環境と農作物
土質と農具の進化
耕作地の土質は大きく2つに分類され、適した作物や農具が異なりました。昭和初期には、尾張の乾田・湿田の両方に対応できる「小川式鋤」が発明され、広く普及しました。
| 土質 | 呼称 | 特徴 | 耕作のしやすさ |
| 粘土質 | マツチ(ネンドツチ) | 水はけが悪く冬でも湿る(湿田向け)。収量が多い。 | 非常に力がいる(専用の尖った鍬を使用) |
| 砂質 | スナ(スナジ) | 水はけが良く乾く(乾田向け)。裏作に適する。 | さくさくして楽(刃先の広い鍬を使用) |
特徴的な栽培作物
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レンコン: 低湿地を活かした栽培。秋祭りに欠かせない食材として高値で取引されました。
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木綿と藍: 島畑の主力作物。水害時は湿気に強い「藍」が、干魃時は日照りに強い「木綿」が生き残るというリスク分散がされていました。
風の利用と呼び名
海岸部や平野部では、風の向きや季節風が生活や農漁業に直結していたため、独自の名前で呼ばれていました。冬の北西風を利用した「切干大根(キリボシ)」の生産は尾張の特産品でした。
| 風の向き / 季節 | 独自の呼び名 | 特徴・言い伝え |
| 春〜夏の強い東風 | コチ | 春一番。天気が悪くなる兆し。 |
| 入梅期の南風 | マエカゼ | – |
| 南南西の風 | ヒカタ(マゼ) | 天気が良くなる兆し。 |
| 冬の北西風 | イブキオロシ | 寒風(雪にはならない)。切干大根作りに利用。 |
| 冬の南西風 | イセゴッチ | 鈴鹿山脈からの寒風で、吹雪になる。 |
まとめ:尾張西部の地域分類
これら独自の土地利用や慣行から、尾張西部は大きく3つの地域に分類できると考えられます。
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三角州南部地域: 干拓新田・海岸農村。河川利用が中心で「エナリ慣行」に特徴。
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三角州北部および氾濫原南部地域: 荒地開拓を含む。広い水田を区切る境界への意識が強く「メクラジ」などの慣行に特徴。
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氾濫原北部地域: 土地や農道への権利意識が強く「芯杭調べ」の慣行に特徴。
※また湿地の度合いにより、高畝・重田が目立つ中南部と、島畑が目立つ北中部に分けることも可能です。
愛知県史民俗調査報告書4(津島・尾張西部)詳細版
1. 水と闘う集落のリアルな実態
尾張地方の歴史は水害との闘いでした。文献に残るだけでも木曽川の決壊16回、庄内川の決壊49回、干魃35回と、水害と水不足を同時に被る過酷な環境でした。
二重堤(にじゅうづつみ)と数奇な運命
木曽川沿いの玉ノ井(現・木曽川町)には、本堤の内側にさらにもう一つの「二重堤」がありました。これは本堤の決壊を防ぐためのいわば捨て石です。
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昭和13年の大水害エピソード: 長雨で木曽川が増水し、玉ノ井の二重堤に濁流が迫りました。しかし突然水位が10cm下がります。対岸の笠松競馬場側の二重堤が先に決壊したためでした。しかしその後、結局玉ノ井の二重堤も決壊。村人たちは決壊した二重堤から旧堤防へと急いで移動し、必死に土嚢を積んで一宮市街地への浸水という最悪の事態を食い止めました。
屋敷の木と憲兵のエピソード(ゴウナメシ)
岩倉市北島では、屋敷を囲む大きな木が「隣の家の日陰になる」と問題になり、村の協議で家格に関係なく木を平等に切る「ゴウナメシ(総均し)」が行われました。
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ある家で近隣でも有名な大松を切り倒したところ、直後に軍の憲兵が車で飛んできました。実はその松は、海軍の航空標識(機密事項)として地図に載るほど重要な木だったのです。村人はこの時初めてその事実を知ったといいます。
屋敷の方角「アマツボ」
尾張西部では、家の右隅の軒の方向を「アマツボ(裏鬼門)」と呼び、家を磁石上の「南西」に向ける傾向がありました。しかし人々はこれを「南向き」と呼んでいました。南西に向けることで、庭(カド)への日照時間が長くなり、農作物を干す作業に非常に都合が良かったためです。
2. 縦横に走る水路(クリーク)と舟の文化
低湿地帯では、現在の道路のように「内川(ウチカワ)」と呼ばれる水路が村中を走っていました。
多種多様な舟と「頼母子講」
農家にとって舟は必需品で、資金は村の相互扶助組織「頼母子講(たのもしこう)」でお金を出し合って調達しました。用途に合わせて様々なサイズがありました。
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イナオシ・チョロ(約1.8m): 刈り取った稲を田んぼの中で運ぶ小さな舟。
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テンマ(伝馬・約3.6m): 田の耕作、川での漁、荷揚げなどに活躍。
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サンケンジキ(三間敷・約5.4m)/ニゴハン(二合半): 「大舟」と呼ばれ、脱穀機や川砂などの重いものを運搬。
舟での運搬ネットワーク
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肥料の運搬: 戦前は大豆の搾りカスを大舟で運び、戦後は名古屋の堀川から都市のし尿を積んだ専用船が川を遡ってきました。
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石の運搬: 屋敷の石垣に使う石は美濃加茂から木曽川を下り、土台の黒石は多度の山から川を横切って運ばれました。
逆転の発想「逆水(さきみず)」と害虫駆除「ムシゴロシ」
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逆水: 鵜戸川周辺では、干潮時に水門を開けて排水していましたが、川底に土砂が溜まって排水できなくなりました。そこで逆転の発想で、満潮時に水門を開け、水位の上がった川の水を村の水路へ逆流させて農業用水として利用しました。全国的にも珍しい手法です。
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ムシゴロシ: 夏に稲の害虫が大発生すると、水門を一気に開けて田んぼを水没させ、害虫を溺死させる荒業がありました。これは「水が豊富にあり、かつ数日ですぐに排水できる複雑な水路網」を持つ特定の輪中地帯(立田輪中など)でしかできない特権的な方法でした。
3. 過酷な農作業と、祭りのような泥上げ
湿地を農地にするため、泥との格闘が日常でした。
重田(シゲタ)と堀潰れ(ホリツブレ)
湿地を深く掘って水路(堀潰れ)にし、その土を高く積み上げて水田(重田)にしました。それでも大雨が降れば稲の苗が腐り、収穫が激減することもしばしばでした。
村の総出イベント「ノマコネ(泥上げ)」
水路に溜まった泥を田んぼに掻き上げる冬の作業は、単なる労働ではなく、魚取りを兼ねた村の一大イベントでした。稲沢市北島での様子は以下の通りです。
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早朝の出陣: 12月下旬、朝7時前に火の見櫓の半鐘が鳴り、ラッパ(昔は法螺貝)の合図で村中が一斉に川へ入ります。
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役割分担: 屈強な男たちが専用の道具(ドロカキなど)で力任せに泥を上げ、女子供は泥に紛れたフナやナマズ、コイを夢中で拾い集めました。
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昼食と風呂: 家に残った姑たちが作る昼食は決まって「ニンジンマゼゴハン(人参の混ぜご飯)」。普段は燃料節約でもらい風呂でしたが、この日だけはどの家も風呂を沸かしました。
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歳暮の贈り物: 獲れた魚は親戚や世話になった人への「お歳暮」として配られました。たくさん獲れなかった家は、近所から安く譲ってもらうなど、村の付き合い(ツキアイ)の場でもありました。
レンコンの知恵
玉ノ井などの低湿地ではレンコン栽培が盛んでした(秋祭りの料理に欠かせないため高値で売れました)。収穫時は、「畝(クネ)を一つおきに掘る」というルールがありました。残した畝の芽が翌年成長するため、持続的な収穫が可能だったのです。
4. 農地を守る「暗黙のルール」と「おおらかさ」
「エナリ」と「ボタヅケ」
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エナリ: 用水路の両脇の田の持ち主は、川幅に応じて川底の泥を上げたり、葦を刈ったりする義務がありました。
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ボタヅケ: 田んぼと畑の境界の斜面(ボタ)が崩れると、畑の土を使って直しました。畑の肥沃な土が田んぼに入り込むため、田の持ち主から苦情が出ることはありませんでした。
おおらかな「お互い様」の精神
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メクラジ: 広い田んぼの中には、他人の土地を通らないと自分の田に行けない「メクラジ(盲地)」がよく発生しました。
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島畑へのアクセス: 水田の中にぽつんと作られた「島畑」へ行く際も、他人の田んぼを横切る必要がありましたが、昔から土地の所有が入り組んでいたため、「お互い様」という精神が浸透しており、わざわざ挨拶や手土産を持っていくようなことはしませんでした。
5. 名産「尾張の切干大根」と風の利用
冬の北西の冷たい季節風(イブキオロシ)を利用して作る「切干大根(キリボシ)」は、尾張の名産品でした。大根の種類(青首の宮重大根など)や切り方によって価値が異なりました。
| 種類 | 作り方・特徴 | 価値・価格 |
| センギリ | 専用の道具で細かく突いたもの。 | 最も安い |
| オカイコキリボシ | 専用の道具で太めに突いたもの。 | 中間 |
| ワリボシ | 道具を使わず包丁で筋を入れ、専用のテヅ(網)ではなく縄にかけて干す。干した後に「ねじり(縒り)」をかけることで油が乗り、美味しくなる。 | 最も高値(稲沢市下津が主産地) |
※天気が崩れそうになると、干している大根を網ごと簀巻き(オダマキ)にして、急いでコモ(藁のむしろ)を被せて守るという、細やかな手間がかけられていました。