【次世代型・行政アップデート】「ただの作文」になった総合計画を取り戻せ!若手職員が仕掛ける“本気の”まちづくり戦略
はじめに:「総合計画=コンサルが書いた分厚いポエム」だと思っていませんか?
自治体の最上位計画であるはずの「総合計画」。しかし現実には、前例踏襲やアリバイ作りのために作られ、本来の機能である「経営の羅針盤」としての役割を失いつつあります。
このレポートは、「今のやり方、何かおかしいぞ?」とモヤモヤしている若手・中堅職員の皆さんへ向けた処方箋です。
現在の計画策定プロセスに潜む「4つのヤバい病理」を解剖し、全国のぶっ飛んだ先進事例から、私たちが行政経営の「主導権」を取り戻すためのヒントを探ります!
1. なぜ総合計画はつまらないのか?現行プロセスの「4つの構造的病理」
計画が機能しないのは、あなたの能力不足ではありません。以下のような「構造的な欠陥(システムエラー)」が原因です。
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コンサル丸投げの「事業カタログ化」 外部に丸投げするため、庁内で「この事業はもうやめよう」という血の通った抜本的な棚卸しが行われません。結果として、既存事業をただ寄せ集めただけの「戦略(メリハリ)ゼロのカタログ」が完成します。
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「現状維持」を量産する甘々PDCA(事務事業評価) 各担当課による自己評価(お手盛り)が蔓延しています。弥富市でも見られたように「縮小・廃止」の決断は皆無で、約8割が「現状維持」。これでは撤退戦略を描けません。
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予算に響かない「大規模アンケート」の無駄遣い 多額の予算をかけて市民アンケートを実施しても、財政のリアルを知らない市民からの「漠然としたイメージ」が集まるだけ。それが政策転換や予算の再配分(費用対効果の検証)に直結していません。
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責任をぼかす「隠れ蓑(かくれみの)」の策定委員会 形式的な策定委員会が、首長や行政の「言われた通りにやりました」という言い訳に使われています。「結局、これは誰のビジョンなの?」という当事者意識が完全に抜け落ちています。
2. 常識をぶっ壊す!先進自治体の「3つの革新アプローチ」
このシステムエラーを打ち破るため、全国のトップランナーたちはすでに動き出しています。
3. 私たちが主役になる!次世代職員に求められる「3つの視座」
科学的で、本当に市民のためになる行政経営を実現するために。今日から皆さんに持ってほしい「3つのスタンス」を伝授します。
① 総合計画は「後ろ」から読め!
耳障りの良いカラフルな本文(ポエム)に騙されてはいけません。
巻末の「策定委員会の名簿」や「会議録」などのプロセスを熟読してください。
それが「コンサルの作文」なのか、それとも市民と職員が血の滲むような議論を交わした「熟議の産物」なのかを見極める、鋭い批判的視座を持ちましょう。
② 中身の「What」より、作り方の「How(デザイン)」に執着せよ!
どんなに立派な計画内容も、変化の激しい現代では数年で陳腐化します。
だからこそ、市民が熟議できる仕組みや、飛騨市のようにリアルタイムで軌道修正できる「堅牢なプロセス(自己修復機能)」をどう作るかというデザインに、全エネルギーを注いでください。
③ 行政経営の「主導権」を取り戻せ!
コンサルタントへの丸投げや、アリバイ作りのための形式的な住民参加は、もう終わりにしましょう。
総合計画をただの「重たいルーティンワーク」から、自治体を動かす「最強の経営ツール」へと鍛え直す。
その勇気と覚悟を持つことこそが、次世代の弥富市を担う皆さんの最大のミッションです!
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地方自治体における総合計画策定プロセスの病理と革新――真の市民参画と科学的行政経営に向けた実証的研究(AI利用)
1. 序論:総合計画の形骸化とパラダイムシフトの要請
地方自治体における「総合計画」は、長らく自治体経営の最上位に位置づけられる羅針盤として機能してきた。昭和44年(1969年)の地方自治法改正によって市町村における基本構想の策定が義務付けられて以降、全国の自治体で画一的な総合計画の策定が進められた 。
しかし、平成23年(2011年)の同法改正により基本構想の策定義務が撤廃され、その策定や議会の議決を経るかどうかが各自治体の独自の判断に委ねられるようになった現在においても、多くの自治体は過去の踏襲として、あるいは条例による自己規定として総合計画を策定し続けている 。
本レポートは、自治体職員の専門性向上を目的とした体系的分析として、現行の総合計画策定プロセスに内在する構造的な病理を解剖するものである。
具体的には、コンサルタントへの過度な依存による「事業カタログ」化、自己目的化した大規模アンケート調査、形骸化した事務事業評価(PDCAサイクル)、そして責任主体を曖昧にするガバナンスの欠如という四つの構造的問題を、愛知県弥富市などの事例を交えて客観的データに基づき検証する。
その上で、これら従来型プロセスの限界を突破するための先進的なアプローチとして、東京都多摩市に見られる徹底した情報公開と市民討議の歴史 、岐阜県飛騨市が実践する計画の更新停止と「総合政策審議会(経営会議)」によるアジャイル型行政 、そして愛知県新城市や静岡県焼津市で導入されている対話型世論調査(プラーヌンクスツェレ手法) などを比較分析する。
本稿の究極の目的は、次世代を担う自治体の若手・中堅職員に対し、所与のものとして提示される総合計画を批判的に読み解き(すなわち「計画を後ろから読む」視座を獲得し)、真の市民参画と科学的行政経営を実現するための実践的かつ理論的なフレームワークを提示することにある。
2. 従来型総合計画が抱える構造的課題と病理の解剖
現在の多くの地方自治体が直面している総合計画の機能不全は、担当者の能力不足に起因するものではなく、策定プロセスそのものに組み込まれた構造的な欠陥に由来している。
ここでは、典型的な策定プロセスの実態を四つの観点から詳述する。
2.1. コンサルタント主導による「事業カタログ」化と戦略の不在
多くの自治体において、総合計画の策定業務は全国規模の著名な行政出版・コンサルティング企業(株式会社ぎょうせい等)に外部委託されるケースが極めて一般的である 。
外部の専門的知見やノウハウを活用すること自体は行政運営において合理的な選択であるが、問題は市役所内部での抜本的な「事業の棚卸し」や独自のビジョン構築がなされないまま、外部委託が事実上の「丸投げ」となっている点にある 。
弥富市の第1次総合計画策定過程などに見られるように、この手法から生み出される計画書は、各担当課から上がってきた既存事業や要望のリストをコンサルタントが耳障りの良いキーワードで美しく装飾し、体系的に再配置しただけの「事業のカタログ図面」へと陥る危険性を孕んでいる 。
行政計画本来の目的は、限られた経営資源(予算・人員・時間)をどこに集中投下し、逆にどの事業から撤退するのかという「メリハリ(戦略)」を決定することである。
しかし、外部コンサルタント主導で既存事業を網羅的にパッチワークした計画では、市の若手・中堅職員が自らの頭で地域の未来像を構想し、事業の取捨選択を行うという最も重要な知的プロセスが完全に欠落してしまう。
その結果、完成した計画は誰も真の当事者意識を持たない、ただ書庫を飾るだけの金科玉条となってしまうのである。
2.2. 「現状維持」を量産する事務事業評価(PDCA)の限界
第1次総合計画の反省を踏まえ、第2次総合計画への移行に伴って多くの自治体がPDCAサイクルを導入し、事務事業評価や施策評価を計画と連動させる試みを行っている。
全国的な行政評価導入の潮流に乗り、基本計画において現状と課題を述べ、目指すべきまちの姿を設定し、成果指標を数値化して達成度を測るという手法は、行政管理手法(NPM:ニュー・パブリック・マネジメント)の観点からは確かな進歩と言える。
しかし、評価の実態を統計的に分析すると、このシステムが深刻な機能不全に陥っていることが浮き彫りになる。
弥富市の令和3年度実施事業から令和5年度実施事業にかけての事務事業評価結果の推移を以下の表に示す 。
上記データが明確に示している通り、3年連続で「縮小」および「廃止・休止」と評価された事業は皆無(0.0%)である。
全体の約8割が常に「現状維持」に分類されており、施策評価においても8割以上が高い達成度を示している 。
これは、事業を所管する各担当課が自ら評価を行う「自己評価(お手盛り)」にとどまっていることの明白な証左である 。
予算と人員を獲得し、既存の事業を維持することが官僚制組織における一つの合理的な行動原理である以上、自己評価のみで抜本的な事業の統廃合(撤退戦略)を描くことは構造的に不可能に近い。
自己評価を何度繰り返しても結論は同じになるため、この限界を突破するためには、同じ部内の別課、あるいは全く異なる部の職員による「横の評価(クロス評価)」や、後述する無作為抽出された市民による「外部評価」を評価プロセスの中核に据える制度設計が不可欠である。
2.3. 統計的無意味さに陥る大規模アンケートの罠
総合計画策定におけるお決まりのパターンとして、数百万の予算を投じ、3,000人規模の市民を対象とした無作為抽出アンケートが実施される 。
ここで問われるのは、膨大な事業項目に対する「必要度」や「満足度」、あるいは今後の「重要度」である。
これらのアンケートは5年ごとの前期・後期見直しのたびに反復されるものの、得られたデータの絶対値や経年変化が、実際の政策の組み替えや予算のダイナミックな配分変更に直結することは稀である。
本来、これらのデータは5年ごとの変化を読み取ることで、その間の政策投資が効果を発揮したか(アウトカムの創出)を正しく評価するために存在する。
しかし、過去の総合計画を精査しても、市民が求める重要度に対して明確にメリハリをつけて政策を組み替えた形跡は見られず、満足度の達成度検証も表層的に留まっている。
一般市民にとって、行政の細分化された数百の事業項目に対し、十分な事前知識や財政的制約の理解を持たないまま直感的な満足度を回答することは極めて困難である。
その結果得られるデータは「漠然としたイメージの集積」に過ぎず、統計学的な傾向は読み取れても、政策決定の科学的根拠としては脆弱である。
このデータを活用したROI(投資対効果)の検証プロセスが欠如している限り、多額の予算を投じた世論調査は「市民の意見を聞いたというアリバイ作り」以上の意味を持たないと言わざるを得ない。
2.4. 責任主体を曖昧にする「策定委員会」の構図とガバナンスの欠如
総合計画の巻末に記載されている「策定委員会の設置要綱」や「諮問・答申の経緯」は、計画のガバナンス構造を如実に表している。
一般的な策定プロセスは以下の流れを辿る。
まず、首長が公募市民や学識経験者からなる「総合計画策定委員会」等に対し、計画の策定を諮問する。
次に、市役所の担当課(ワーキンググループ)が各種データや事業リストを提出し、それを委託されたコンサルタントが作文して委員会に提出する。
最後に、委員会が数回の会議を経てこれを事実上承認し、首長に答申するという形である。
この立て付けは、一見すると民主的で適正なプロセスに見えるが、実態は「責任の所在の隠蔽」として機能している。
出来上がった総合計画は、本来首長が責任を持って提示するビジョンであるべきだが、形式上は「市民や有識者の委員会から答申されたもの」という体裁をとる。
その結果、計画の真の当事者が首長なのか、市役所の担当課なのか、それとも策定委員会なのかが極めて曖昧になるのである。
この構造的曖昧さの隙を突き、一部の自治体では、選挙直後の首長が事実上完成していた総合計画の後期計画に対して、自身の一部選挙公約を無理やり押し込むといったガバナンスの崩壊が生じる余地を生んでいる 。
自主的には首長の意向を受けた担当課の資料をコンサルタントがまとめたものに過ぎないにもかかわらず、手続き上は委員会の答申というお墨付きを得るというこのねじれこそが、計画が金科玉条化し、実効性を失う最大の要因である。
3. 市民主体による基本構想策定の系譜と実践――多摩市を事例として
従来型プロセスの限界に対する一つの歴史的アンチテーゼとして、東京都多摩市における基本構想策定の実践が挙げられる。同市の取り組みは、市民参加のあり方に一石を投じるものであった。
3.1. 徹底した情報公開と市民討議による策定プロセス
多摩市は、昭和46年(1971年)の市制施行以来、多摩ニュータウンの急激な人口増と都市化に対応しつつ、早期から市民参加型のまちづくりを志向してきた 。特に2000年代初頭に策定された第4次総合計画(2001年度~2010年度)では、「市民が主役のまち・多摩」を将来都市像に掲げ、市民参画の手法を抜本的に高度化した 。
多摩市の特筆すべき点は、インターネットが普及し始めた初期段階において、策定委員会や関連会議の議事録(要点録や全文)をいち早く全面的に公開し、徹底した情報公開の基盤を築いたことである 。
行政側が用意した選択肢から市民が選ぶだけの受動的な「参加」ではなく、市民自らが基本構想の哲学や文脈を議論し、言葉として定着させていくというレベルでの能動的な「参画」を求めたのである。この精神は、後に制定される多摩市自治基本条例の基盤ともなっている 。
3.2. マンパワー確保の壁と組織的コミットメントの必要性
ただし、市民が自ら基本構想を執筆し、多種多様な意見を統合していく作業には、膨大な時間と高度なファシリテーション能力、そして何より行政側の圧倒的なマンパワーが不可欠である。
多摩市(人口約14万人)クラスの中核的な規模とリソースを持つ自治体であればこそ実現可能であった側面も否めない。
これを人口規模の小さな自治体(例えば人口4万人規模の自治体)がそのまま模倣しようとすると、リソースの深刻な枯渇を招く。
市民ワークショップを開催するために市役所の若手職員を動員し、それが「事実上のサービス残業」として若手のモチベーションを搾取する構造になれば、組織の持続可能性は失われる。
一応はキーワードを集めたものの、それを練り込んで行政計画としての問題点の整理や方向性へと昇華させる時間がなく、結果的に言葉の羅列やコンサルタントへの丸投げに終わってしまうのは、当時の担当者の責任というよりも、組織的リソースの配分ミスである。
真の市民参画を実現するためには、首長および経営幹部が、総合計画策定プロジェクトに対して全庁的な最優先課題として「正規の業務時間」と「十分なマンパワー」を正式に割り当てるという、強固な組織的コミットメントが必要である。
その意気込みが欠如している限り、どのような市民参加手法を導入しても表面的なアリバイ作りに終わる。
4. 計画の「固定化」からの脱却:アジャイル型行政経営への転換
長期的な基本構想(10年)と基本計画(5年)を固定的に運用する従来の手法は、社会構造の変化が緩やかで税収が安定していた右肩上がりの時代には適合していた。
しかし、人口減少、超高齢化、そしてVUCA(変動性、不確実性、複雑性、曖昧性)と呼ばれる現代において、5年前の前提に基づいて膨大な時間と予算を割き、計画を時点修正し続けることは、行政の機動力を著しく削ぐ結果となる。
4.1. 飛騨市・都竹市政に見る「総合計画の更新停止」という決断
この硬直化した行政計画の課題に対する最も先鋭的な回答の一つが、岐阜県飛騨市(都竹淳也市長)の事例である。
飛騨市は自らを「人口減少先進地」と位置づけ、人口減少という抗えない現実を真正面から受け止める「課題解決型の市政」を展開している 。
特筆すべきは、同市が従来の形式的な総合計画の更新を事実上停止(または依存から脱却)し、より実質的で機動的な経営管理手法へと完全に舵を切ったことである 。
人口2万人台で過疎化の最前線にあり、地域の存亡そのものが深刻な課題として共有されている飛騨市において、10年に1度、相対的に変化しない前提条件のもとで抽象的なビジョンを描き直す作業は、投下資本利益率(ROI)が極めて低いと判断されたのである。
膨大な時間と予算をかけて「既に何回も見たものと同じ計画」を見直すのではなく、目前の課題解決に直接リソースを投下するという極めて合理的な経営判断である。
4.2. 年4回の「総合政策審議会(経営会議)」によるリアルタイムPDCA
飛騨市は総合計画という「静的なドキュメント」に依存する代わりに、「総合政策審議会」を活用した「動的な経営会議」を意思決定システムの中心に据えた 。
この経営会議システムの特徴は以下の通りである。
第一に、開催頻度と議会連動である。
この審議会は年4回という高頻度で開催され、市議会への説明サイクルとも連動している 。
これにより、その時々の財政状況、本年度予算の進捗、次年度の予算編成、あるいは突発的な社会課題(物価高騰対策や災害対応など)に対して、リアルタイムで情報共有と議論を行うことが可能となっている 。
第二に、ステークホルダーの再定義である。従来型の審議会にありがちな「各種団体の名誉職的な代表者」を形式的に集めるのではなく、地域で実際に活動している実務者や有識者を招集し、単なる承認機関ではない「ガチンコの議論」を展開する場として機能させている 。
第三に、トップの直轄と予算への直接反映である。
飛騨市の政策形成プロセスは、6月〜7月に首長から次年度の予算編成方針が示され、夏の間に行われる職員の情報収集と政策検討を経て、秋から首長と各部局による徹底した「政策協議」が実施される 。
この協議は時に80時間以上にも及び、若手職員も参加して政策の質が担保されるまで再協議が繰り返される 。
総合政策審議会での議論は、こうした予算編成のプロセスに直結しており、議論の結果が次年度の施策や予算配分に即座に反映される仕組みが構築されている 。
この飛騨市のアプローチは、ソフトウェア開発における「アジャイル開発」の哲学を行政経営にそのまま応用したものと言える。
長期間かけて巨大な計画ドキュメントを完成させるウォーターフォール型の総合計画を捨て、常にステークホルダーと対話しながら短いサイクルで政策を実装・評価・修正していくこの手法は、リソースの限られた小規模自治体における一つの究極の生存戦略である。
5. 無作為抽出と対話型世論調査による「本気の民意」の抽出
飛騨市のモデルが「ガバナンスと機動力の革新」であるとすれば、愛知県新城市や静岡県焼津市で取り入れられている手法は「市民の意見抽出(民意の測定)プロセスの革新」である。
5.1. 「声の大きい少数派」によるバイアスの排除
自治体が主催する従来のタウンミーティングやパブリックコメント、あるいは自由参加型の市民会議には、決定的な弱点が存在する。
それは「行政に対して元々強い不満や特定のイデオロギーを持つ、声の大きい一部の市民」ばかりが集まり、発言権を独占して議論が極端に偏ることである 。
その結果、サイレント・マジョリティ(物言わぬ多数派)である一般市民の感覚から乖離し、議会や市役所内部からも「市民参加手続き」そのものが敬遠されるという悪循環に陥ってしまう。
特に中小規模の市町村において、この特徴は顕著に表れる。
5.2. 新城市・焼津市に見る「裁判員制度方式」の市民参加
この課題を克服し、真に代表性のある「本気の世論」を抽出するための手法として注目されるのが、「対話型世論調査(Deliberative Polling)」やドイツ発祥の「プラーヌンクスツェレ(計画細胞)」と呼ばれる手法である 。
松下啓一氏らの研究や指導のもと、新城市などの自治体で実践されているこのアプローチは、いわば「まちづくりの裁判員制度」である。
具体的なプロセスは以下のステップを踏む。
| ステップ | 従来型の大規模アンケート | 対話型世論調査(プラーヌンクスツェレ方式) |
|---|---|---|
| 1. 対象者選定 |
無作為抽出で3,000人程度に調査票を郵送 。 |
無作為抽出で招待状を送付。階層・性別等に偏りがないようサンプリングし、数十人規模を集める 。 |
| 2. 情報提供 | 調査票に記載されたごく短い説明文のみ。 |
事前に行政側から、財政状況、計画の目的、直面する課題について「本気で」詳細な情報提供とプレゼンテーションを行う 。 |
| 3. 熟議(対話) | 個人が自宅等で孤独に直感で回答。 |
小グループに分かれ、専門家やファシリテーターを交えて、提供された情報をもとに参加者同士で深く議論・検討する 。 |
| 4. 意見抽出 | 満足度や重要度のチェックボックスを選択。 |
熟議を経た後に、改めてアンケートを取り直す、あるいはグループごとの提案として集約し、計画へ反映する 。 |
この手法の最大の利点は、参加者が「単なる消費者としての市民」から「当事者としての市民(シティズンシップを持った主権者)」へと変容することである。
通常のアンケートでは実際の状況をよく分からないまま「イメージ」だけで回答される項目も、財政の制約や事業間のトレードオフといったジレンマを学習し、他者と議論を交わすことで、参加者は裁判員のように「まち全体にとって何が最善か」という公共的な視座を獲得する 。
その結果として取り直されたアンケート結果は、より精緻で信頼に足る「本気の世論調査」のデータとなる。
5.3. 批判層をファシリテーターへ転換する包摂のマネジメント
さらに、この新城方式において特筆すべき極めて高度な戦術として、従来型の市民会議で議論を独占しがちであった「日頃から提案や文句を言っている声の大きい市民」を、単なる参加者としてではなく「ワークショップのファシリテーター(進行役)」や「運営側」として巻き込むというアプローチがある 。
一般の参加者(サンプリングされた裁判員役の市民)がフラットに議論しアンケートに答える場において、行政に批判的なエネルギーを持つ層に「中立的な進行役」という役割と責任を与える。
これにより、彼らの承認欲求を満たしつつ、その強いエネルギーを「議論の質の向上」や「市民参加プロセスの円滑な運営」という建設的な方向へと転換させるのである。
これは中小規模の自治体特有の濃密で時に閉鎖的な人間関係を逆手に取った、極めて優れた包摂(インクルージョン)のマネジメント手法であり、市民参加の質を担保する強固な防波堤となる。
6. 行政評価のパラダイムシフトとデータの科学的活用
真に機能する総合計画を構築するためには、計画の立案段階(Plan)だけでなく、評価段階(Check)における科学的かつ客観的なアプローチが不可欠である。
現状、多くの自治体で繰り返されている「5年ごとの同項目アンケート」は、統計学的な絶対値の経年比較に終始しており、それが「なぜ変化したのか(因果関係)」、そして「次にどう予算を動かすのか(意思決定)」という最も重要な局面に結びついていない。
満足度と重要度を二軸に取った分析を行い、「市民が重要と思っているが満足度が低い施策(重点改善分野)」を特定したとしても、それが次期計画の予算編成においてドラスティックな事業廃止やリソースの再配分に繋がっていなければ、分析自体が無用の長物となる。
真の評価機能を実装するためには、自己評価に依存した事務事業評価から脱却し、庁内における他部局評価(横の評価)をシステム化することが第一歩となる。
そして何より、上述の「対話型世論調査」等を通じて得られた質の高い定性・定量データを、外部評価の主軸として組み込むべきである。
市民による評価とは、単なる「満足度のスコア化」ではなく、「この事業は限られた税金を投入し続ける価値があるか」という本質的な社会的意思決定のプロセスそのものでなければならない。
7. 結論:次世代の自治体職員に求められる「後ろから読む」視座
本レポートでは、総合計画の策定プロセスに潜む構造的病理と、多摩市、飛騨市、新城市等の先進的・革新的なアプローチを検証してきた。総括として、行政の最前線に立つ若手・中堅の自治体職員に対し、科学的行政経営を実現するための実践的提言を行う。
第一に、「総合計画は後ろから読め」ということである。
計画本文に書かれている「安全・安心なまち」「自然と調和するまち」といった耳障りの良い政策の羅列を読む前に、巻末に記された「策定委員会の名簿」「策定の経緯」「会議の開催回数とその内容」を熟読すべきである。
そこに、その計画が「コンサルタントの作文をホッチキスで留めただけのもの」であるか、あるいは「市民と職員が血の滲むような熟議を重ねて産み出した経営の羅針盤」であるかの真実が隠されている。
プロセスの質こそが、結果としての計画の質を決定づけるのである。
第二に、「内容の善し悪しよりも、作り方のデザインに執着せよ」ということである。
どんなに優れた内容の計画であっても、変化の激しい現代においては数年で陳腐化を免れない。
しかし、「市民が無作為に選ばれ、十分な情報をもとに熟議するシステム(対話型世論調査方式)」や、「リアルタイムで経営課題を共有し、即座に予算へ直結させるシステム(年4回の経営会議方式)」という「策定・修正のプロセス(作り方)」が堅牢に構築されていれば、計画は状況の変化に合わせて柔軟に、かつ適切な民意を反映しながら何度でも自己修復(時点修正)していくことが可能となる。
第三に、「科学的・民主的な行政経営の主導権を職員が取り戻せ」ということである。
コンサルタントに丸投げし、自己評価の甘い事務事業評価でお茶を濁し、統計的に無意味な巨大アンケートで市民参加を装う時代は既に終焉を迎えている。
真に効果的な行政を展開するためには、総合計画を「やらされる法的義務やルーティンワーク」から解放し、自治体独自の生存戦略を描くための「最強の経営ツール」へと鍛え直さなければならない。
そのためには、本稿で提示したような手法を戦略的に組み合わせ、計画の作り方そのものを抜本的に変革していく勇気と、それにコミットする組織全体の経営的覚悟が必要である。
これこそが、旧態依然とした自治体経営を打破し、次世代の地方自治体職員が担うべき最も重要で挑戦的なミッションである。