走る、曲がる、止まる。あなたの街の市長は「名車」ですか?
私たちは日頃、クルマの買い替えには真剣に悩み、「安かろう悪かろう」で選ぶことはしません。しかし、私たちの街と未来を直接的に左右する「市長選び」についてはどうでしょうか。
私たちが納める税金に見合うリターンは、果たしてあるのか。その一票は、街の未来に向けた「投資」です。今こそ有権者は確かな眼力と責任を持ち、「間違いだらけの市長選び」から脱却しなければなりません。
本コラムでは、クルマ選びの名著を紐解きながら、持続可能なまちづくりと自治体経営の極意を探ります。
さあ、自分たちの街をアップデートするために。名車を選ぶように、真に価値あるリーダーを厳しく吟味していきましょう。
コラム:間違いだらけの市長選び
皆さんは、『間違いだらけのクルマ選び』という本をご存知でしょうか。 何十年も前にベストセラーとなり、一世を風靡した名著です。この本は、単なる国産車のカタログ批評にとどまらず、その後の自動車開発や販売、ひいては日本の「自動車文化」そのものに多大な影響を与えました。
毎年改訂されるこの本が、なぜそれほどまでの影響力を持ったのか。それは、一般ユーザーの目線に寄り添いながら、「走る・曲がる・止まる」という車の最もベーシックな性能をわかりやすく伝えたからです。
車に何を求めるかは、年齢や性別、若者か子育て中かといったライフステージによって千差万別です。どんな車が自分にとっての「ベスト」なのかを決めるのは、あくまでユーザー本人です。この本は、そのための「正しい選び方の基準」を読者に提示したのです。
ユーザーの目が、産業の「文化」を育てる
読者であるユーザーは、年を重ねるごとに知識を深めていきました。「安かろう悪かろう」で妥協したり、「壊れなければいい」と満足したりするのではなく、より高い価値を車に求めるようになりました。
こうしたユーザーの厳しい目が、結果としてメーカーの自動車開発や製造販売に大きな影響を与えていきます。各社は自社の歴史や成り立ち、思想(哲学)を磨き上げ、トヨタや日産をはじめとする国内メーカー同士、あるいは海外メーカーとの熾烈なシェア争いを繰り広げました。 その競争とマネジメントの蓄積が、日本の巨大な自動車産業と「自動車文化」を創り上げたのです。
「車選び」と「市長選び」の共通点
さて、ここからが本題です。 なぜ、この車の話を地方自治のコラムの冒頭に持ってきたのか。それは、現在の市町村のあり方や、そのトップである「市長(首長)」を選ぶプロセスが、この自動車産業の歴史から大いに見習うべきだと考えるからです。
私たちが車を買うとき、100万円、200万円といった大きなお金を支払います。それは「支払う金額以上の価値が自分にある」と納得して、初めて契約書に判を押すはずです。 そして数年乗り、車検のタイミングやライフスタイルの変化に合わせて、トヨタ、日産、スバル、あるいは輸入車の中から、再び厳しく比較検討して買い替えます。
では、「税金」と「行政」の関係はどうでしょうか。 私たちは市民として、固定資産税や市県民税など、決して安くないお金を自治体に納めています。これは言ってみれば、行政サービスという「価値」を買うための投資です。納めたお金に見合う、あるいはそれ以上の価値(豊かな暮らしや街の発展)を、私たちは行政からしっかりと受け取っているでしょうか。
間違いだらけの市長選びをしないために
車を厳しく吟味して選ぶように、私たち市民も「市長(首長)」を厳しく選ばなければなりません。
なんとなく選ぶのではなく、今の自分たちの街という「ライフステージ」において何がベストなのかを見極める。行政の基本である「走る・曲がる・止まる(=基本的な市民サービスの提供と課題解決)」がしっかりできているかをチェックする。 そうした市民(=ユーザー)の厳しい目こそが、市長のマネジメント能力や哲学を問い直し、自治体間の競争を生み、ひいては私たちの街の「政治・行政文化」を成熟させていくのです。
「間違いだらけの市長選び」をして、無駄な投資に終わらせてはいけません。 私たちが納める税金に見合った最高のパフォーマンスを発揮するリーダーを、私たち自身の目でしっかりと選んでいきましょう。
要約:間違いだらけの市長選び
自動車評論の名著『間違いだらけのクルマ選び』が日本の自動車産業にもたらした「消費者主権」と「文化の成熟」のプロセスをメタファーとし、持続可能な地域経営と、有権者が持つべき「市長の評価基準」について論じた考察記事です。
記事の重要ポイント
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自動車産業の歴史に学ぶ経営哲学 過去のトヨタ、日産、スバルの生存競争の歴史から、長期的な視点に基づく組織マネジメントや、「独自の哲学(物語)」を持つことの重要性を提示しています。
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首長に求められる3つの基本性能 自動車の基本性能「走る・曲がる・止まる」を、自治体経営における首長の能力になぞらえています。
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走る力: トップダウンの号令だけでなく、現場(市役所)の自発性を引き出して政策を推進する力。
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曲がる力: 人口動態の変化や社会課題に対し、過去の計画に固執せず柔軟に軌道修正する適応力。
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止まる力: サンクコストにとらわれず、費用対効果の薄れた事業から勇気を持って撤退する決断力。
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地域の「文化」と「独自の物語」の構築 他自治体の成功事例を表面上だけ模倣するのではなく、自分たちの街の歴史や特性に基づいた独自の「物語(ブランド)」を紡ぎ出し、市民に誇りを提供することが求められます。
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行政における「トヨタ生産方式(TPS)」の実践 厳しい財政状況を乗り越えるため、行政現場の「ムダ」を徹底排除し、創出されたリソースを市民ニーズに向ける必要があります。これを成功させるには、首長の「人間尊重」の哲学と強いリーダーシップが不可欠です。
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「投資」としての納税と有権者の責任 市民は税金を「地域への投資」と捉え、得られるリターン(行政サービスの価値)を厳しく評価すべきです。車を厳選して買い替えるように、惰性や知名度ではなく「費用対効果」と「首長のマネジメント能力」を基準に投票行動を行う必要があります。
結論
有権者(市民)は、自らが地域社会を創り上げる当事者であることを自覚しなければなりません。「間違いだらけの市長選び」を防ぐためには、候補者が掲げる甘い公約に惑わされることなく、行政の基本性能(走る・曲がる・止まる)と、未来のグランドデザインを見極める「確かな眼力」を持つことが不可欠です。
間違いだらけの市長選び:自動車産業のマネジメント哲学から学ぶ持続可能な地域経営と首長の評価基準
序論:『間違いだらけのクルマ選び』がもたらしたパラダイムシフトと文化の創出
1976年、日本の自動車市場に一石を投じる書籍が発刊された。自動車評論家・徳大寺有恒氏による『間違いだらけのクルマ選び』である。
このベストセラーは、一世を風靡しただけでなく、国産車の車選び、さらには国産車の開発や製造販売の根底に多大な影響を与え、日本の自動車市場にパラダイムシフトをもたらした歴史的文献である 。
当時の日本車市場は、高度経済成長と輸出台数の右肩上がりの波に乗り、「安ければいい」「壊れなければいい」「販売台数が多いものが優れた車である」という、単一的かつ定量的な価値観に支配されていた 。
国産車の中には、表面的なアクセサリーの装飾や流行を追いかけたスタイル中心主義に傾倒し、視界や居住性といった本質的なパッケージングが犠牲になっているものが少なからず存在しており、ユーザーもまたメーカーの都合主義に踊らされていた側面があった 。
同著は、自動車を単なる大量生産された工業製品や移動手段として捉える視点を真っ向から否定した。
自動車を選ぶ際、年齢、性別、使用目的、さらには若年期なのか、子育て中なのか、あるいはある程度年齢を重ねた時期なのかといったライフステージによって、ユーザーが車に求めるものは千差万別である 。
本人にとってベストな車は、あくまで本人が決めることであるという「消費者主権」の大原則を提示した上で、自動車の「操縦性」「乗り心地」「使い勝手」といった、ユーザーの身体感覚に直結する本質的な価値を探求することを提案したのである 。
そのために一般ユーザーにわかりやすく提示されたのが、「走る、曲がる、止まる」という自動車の最もベーシックな基本性能への着目であった 。
この極めてシンプルな評価軸は、読者である消費者の啓蒙につながり、アンダーステアやヒール・アンド・トゥといった専門用語とともに、自動車を趣味や愛情の対象として取り戻す崇高な試みとなったのである 。
さらに、年を追うごとに毎年改訂版が出版される中で、評価の対象は個々の車両の「ここが良い、ここが悪い」というミクロな視点にとどまらなくなった。
自動車を開発し、設計し、製造・販売するメーカー各社の企業理念、創業者から続く歴史、そして社会全体において自動車がどうあるべきかというマクロな「自動車文化」の領域にまで論座は拡大していったのである 。
真に優れた自動車とは、単なる機械部品の集合体ではなく、その背後に控える広い「世界」と、所有することであたかも自分が人生の主人公であるかのように感じさせる「物語」を持った存在であるという高度な文化論・哲学へと昇華した 。
この自動車産業において観察された「消費者主権の回復」と「文化の成熟」のプロセスは、現代の地方自治における「有権者(住民)と首長(市長)の関係性」を再考する上で、極めて深い示唆とメタファーを提供している。
地方自治体のトップを選ぶ「市長選び」において、有権者が表面的な知名度や一時的なバラマキ公約に惑わされる状況は、かつての「間違いだらけのクルマ選び」と構造的に等しい。
本稿では、自動車産業が培ってきたマネジメント哲学や歴史的競争、そして自動車文化の変遷を詳細に検討・分析し、市町村という複雑な組織をコントロールする首長(市長)が見習うべき行政経営の原則と、有権者が持つべき評価基準について論じる。
第一章:自動車産業の激動の歴史と競争が培ったマネジメント哲学
自動車を開発・設計し、製造して販売するメーカー側にとって、それぞれの成り立ちや思想、歴史は、その会社の「自動車文化」を形成する骨格である 。
日本の自動車メーカーは、創業者から始まり中高年層の従業員も含め、組織的に関連会社を巻き込みながら、数百万、数千万台という規模で事業を展開してきた 。その過程では、国内における熾烈なシェア争いや、海外メーカーとの競争が不可避であった。
トヨタと日産のシェア争い:国内競争がもたらした光と影
1960年代から1980年代にかけて、日本の自動車市場はトヨタ自動車と日産自動車による苛烈な覇権争いの舞台となった。
特にサニー対カローラのシェア争い(SC戦争)や、ブルーバード対コロナのシェア争い(BC戦争)は、日本の自動車の高性能化と低価格化を飛躍的に促進させた原動力であった 。
しかし、この競争の歴史を経営戦略の視点から詳細に分析すると、組織マネジメントと戦略的選択の差異が、長期的な企業価値にいかに決定的な影響を及ぼすかが浮き彫りになる。
| 項目 | 日産自動車の戦略的アプローチ | トヨタ自動車の戦略的アプローチ |
|---|---|---|
| 海外展開 |
1970年代から欧州市場等へ積極展開。しかし開発予算が分散し、排ガス規制対応で遅れをとる要因に 。 |
初期は海外の単独現地生産に慎重。国内生産・販売網の盤石化を優先し、GM等との合弁から段階的に進出 。 |
| ブランド戦略 |
海外で親しまれていた「ダットサン」ブランドを廃止し、「日産」に一本化。北米シェア低下の一因とされる 。 |
長期にわたり「クラウン」「カローラ」などのロングセラーを維持し、ブランド力を育成 。 |
| M&Aと組織統合 |
1966年にプリンス自動車を吸収合併。技術的恩恵(スカイライン等)を得る一方、巨額の赤字負債と車種のカニバリゼーションに直面 。 |
1982年にトヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売が合併(工販合併)。製販一体の効率的な経営体制を構築 。 |
| 設備投資・生産 |
積極的な海外投資を行う一方、国内シェア争いでは次第に後退 。 |
需要に先行して量産能力を確保(三好工場、堤工場等の新設)。「トヨタ生産方式」による生産性向上 。 |
1970年の段階では、小型・普通車市場におけるシェアはトヨタが39%、日産が33%と拮抗していたが、1985年以降、トヨタは継続的に40%を超えるシェアを確立し、現在に至る「トヨタ一強」の土台を築き上げた 。
日産は奇策や急激な拡大路線に出た結果、リソースの分散やブランドの混乱を招き自滅的な後退を余儀なくされた側面がある一方、トヨタは「現地現物」の思想に基づき、万人受けする製品を堅実に作り続け、ホームマーケットでの地盤を盤石にしたのである 。
スバルに見る「独自性」の生存戦略
一方、絶対的な規模では劣るものの、独自の哲学と技術で確固たる評価と文化を築き上げたのがスバル(旧富士重工)である。
自動車評論家の徳大寺有恒氏は、著書の中で多数の大衆車に辛口の評価を下す中、スバル1000に対しては設計担当の百瀬晋六とそのチーム(百瀬学校)の技術力を絶賛した 。
また、後年のレオーネにおいては、水冷フラット4エンジンと4WD(四輪駆動)、さらに「デュアルレンジ」と呼ばれる副変速機を備えた独創的なパッケージングが評価された 。
このような悪路走破性に優れた機構は、毎年雪に閉ざされ、広大で過酷な自然環境を持つ北海道などの実態に極めて合致するものであり、特定の地域や用途において替えの効かない絶対的な価値を提供した。
近年の『間違いだらけのクルマ選び』においても、「面白いのはスバル」という特集が組まれるなど、常に個性的であることを求められ、ストロングハイブリッド等の新技術を投入しながらそれに愚直に応え続ける姿勢が、企業としての強力な生存戦略となっている 。
これらの自動車メーカー間の競争とそれぞれの生存戦略は、悪い効果や摩擦を生んだ側面もあったかもしれないが、全体として見れば「自動車総合産業としてのマネジメント哲学」を日本社会に深く根付かせる結果となった。
この「哲学」こそが、市町村という地域社会を経営する首長が見習うべき究極の要素なのである。
第二章:自治体経営への応用:「走る、曲がる、止まる」のメタファー
自動車の基本中の基本である「走る、曲がる、止まる」という性能は、単なるカタログスペックの数値ではなく、土台となるボディの造り込み、正確なハンドリング、安心して止まれるブレーキなど、高度な技術と設計思想の統合によって初めて高い次元で実現される 。
この概念は、現代の複雑化し高度に絡み合った行政運営において、首長(トップマネジメント)の資質と行政システムの健全性を評価するための、極めて実践的かつ普遍的なフレームワークとなる。
「走る」:政策の推進力と現場のエンパワーメント
第一の性能である「走る」能力は、行政においては首長が掲げる政策の推進力や実行力を意味する。
しかし、自動車における優れた加速や高速巡航性能が、巨大なエンジンパワー単体ではなく、強靭なボディ剛性や洗練されたサスペンションとの調和によって生み出されるように 、行政の推進力もまた、首長のトップダウンの号令だけでは空回りする。
市役所という組織の基盤強化と、現場のエンパワーメントがあって初めて安定した推進力を得るのである。
トヨタ自動車の豊田章男会長は、「もっといいクルマをつくろう」という目標に対し、経営陣が心掛けるべきは「絶対にやってはいけないこと」を徹底した上で、現場のメンバーが何をすれば良いかを自ら考え、行動できる環境をつくることだと述べている 。主権を自ら考え動く現場に持たせることで、「この町いちばん」のサービスが生まれる 。行政経営においても、首長は単に指示を下すだけでなく、職員のやる気や自発性を高め、市役所の仕事の質を向上させる土壌を整備する役割を担う 。これが真の「走る」力である。
「曲がる」:環境変化に対する柔軟な軌道修正と適応力
第二の性能である「曲がる」能力は、複雑性を増す社会課題や外的ショック(人口減少、経済危機、自然災害等)に対する柔軟な状況適応力と軌道修正の能力である 。
海外の先進的なまちづくり施策の視察例として、オランダの自転車政策がある。
同国では、「自転車の利用を促進すること」を直線的な出発点としていない。
むしろ、過度に普及した自転車をいかに都市の中で秩序立てて管理するかという複雑な課題認識を起点とし、鉄道やバスといった他の公共交通機関との円滑な接続を重視して都市空間全体を再設計している 。
利用促進だけを先行させて歩道に自転車を溢れさせる日本の無秩序な状況とは異なり 、交通手段ごとの役割を明確にしてパッケージとして整備するこのアプローチは、見事な「ハンドリング(曲がる力)」の体現である。
また、和光市における自動運転バスの実証実験のように、駅周辺の幹線には大型バス、周辺の狭い住宅地へは超小型バスやカートといった複数種類のモビリティを使い分ける戦略も、地域特性に合わせた柔軟な軌道修正能力の一環である 。
首長には、硬直化した過去の計画に縛られず、環境変化に応じて的確にステアリングを切る能力が不可欠である。
「止まる」:勇気ある撤退と事業見直しの決断力
第三の性能であり、行政組織において最も重要視されるべきでありながら、最も欠如しがちなのが「止まる」能力である。
行政機関は制度の性質上「無謬性」を前提としがちであり、一度予算化され走り出した事業を途中で撤退させる機能が極めて脆弱である 。
SDV(Software Defined Vehicle)の進化において、障害物を正確に検知し、高精度に制御して安全に停止する高度な制動技術が重視されるのと同様に 、首長には、費用対効果の薄れた施策や、時代のニーズに合わなくなった事業に対して、サンクコストにとらわれず勇気を持って「止める(ブレーキを踏む)」責任がある。
監査委員の独立性を高め、3E(Economy, Efficiency, Effectiveness)の視点に基づく厳格な行政監査を義務化するなど 、システムとして「止まる」仕組みを市町村の原則として組み込まなければ、いかに強力なエンジン(推進力)を持っていても、最終的には地域財政の破綻というクラッシュへと向かってしまう。
第三章:地域における「文化」と「物語」の構築
徳大寺有恒氏は、自動車を評価する際、単なる機械としての性能だけでなく、その背後に控える「階級」「ブランド」「国ごとの文化やスタイルの違い」といった要素を極めて重視した 。
そして、名車の条件として「物語を持つクルマ」であることを挙げたのである 。
クルマの背後にひかえる「世界」があり、それを所有することであたかも自分が人生の主人公のように感じられる「ドラマ喚起力」こそが、真の価値を生み出すと喝破した 。
この「物語性」の重要性は、市町村の地域経営にそのまま適用できる。
日本全国には約1,700の基礎自治体が存在するが、その中で持続的に生き残り、人口や産業を惹きつける自治体は、独自の「物語」を持っている。
例えば、北海道の実態を鑑みると、その広大な大地では生活の足としての自動車の依存度が極めて高く、特定の車種(雪道に強いスバル車等)が独自の文化を形成している 。
さらに、北海道戯曲賞のような取り組みは、地域から次代を担う優れた劇作家を発掘し、道内外の作家が競い合うことで地域の演劇創作活動を活性化させている 。
これは、単にハコモノとしての文化施設を建設するだけではなく、地域から「物語」そのものを生み出し、発信していくという高度な文化戦略である。
首長(市長)は、自らの自治体の歴史や成り立ちを深く理解し、他自治体の表面的な成功事例(補助金による企業誘致や画一的な観光開発)を模倣するのではなく、自分たちのまちにしかない独自の「物語」を紡ぎ出し、市民に誇りとアイデンティティを提供しなければならない。
市民が「この町に住むこと」を通じて、自分の人生が豊かであると感じられるようなドラマ喚起力を持つ地域こそが、「ブランド」として生き残るのである。
第四章:行政における「トヨタ生産方式(TPS)」の愚直な実践
自動車産業が培ったマネジメント哲学の中でも、世界中の企業が導入し、その効果が証明されているのが「トヨタ生産方式(TPS:Toyota Production System)」である。
1980年代以降、単なる生産技術の枠を超え、経営哲学(カイゼン、ジャストインタイム)として世界的に評価されたこのシステムは 、近年、極めて厳しい財政状況に直面する地方自治体においても、行政経営改革の切り札として導入され始めている。
福島県伊達市や愛媛県などは、交付税算定の減額や合併に伴う事務の不効率という喫緊の課題に対し、従来の行政手法の踏襲では抜本的な解決は望めないとして、工場だけでなく営業、企画、総務などあらゆる部門で実践されるTPSを行政業務に本格導入した 。
行政現場における「ムダ」の徹底排除と活人化
TPSを行政に応用する際の中核的なアプローチは、以下の要素から構成される。
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3Sと5Tの徹底:整理・整頓・清掃(3S)と、定位・定品・定量・定路・定色(5T)による「形跡管理」を基本とし、基礎的な環境づくりを行う 。
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ムダの定義と見える化:トヨタ式では、ものを探す時間や、能力を超えた無理な仕事、作業の途中で発生する待ち時間や停滞を「ただのムダ」と定義する 。詳細なデータ蓄積と分析により、これらのムダを徹底的に排除する 。
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活人化:ムダを排除して創出された時間を、真に必要な業務や新たな市民ニーズに対応する業務へとマンパワーを振り分ける 。
「人間尊重」の哲学と首長のリーダーシップ
しかし、TPSの導入は容易ではない。
行政の現場では、「付加価値を生まない作業は全てムダと言われても戸惑う」「そもそも市役所に馴染むのか」といった抵抗が必ず生じる 。なぜなら、行政機関には民間企業のような「継続的な原価低減を実施し収益を上げ続けなければ倒産する」という直接的な危機感が生まれにくいからである 。
ここで不可欠となるのが、首長(市長)の強力なリーダーシップと経営哲学である 。
トヨタ式の根底にあるのは、単なる効率至上主義ではなく、「無駄な働きを人にさせない」という「人間尊重」の思想である 。
「仕事=作業+改善」という意識を全職員に醸成し 、職員が互いを信じ、尊重する環境を創り出すことが、市長に求められる高度なマネジメント能力である。
第五章:納税という名の「投資」と、首長が創出する「価値(ROI)」
私たちは国や県、市町村に対して毎年多額の税金を納めている。
これを単なる法的な義務や「強制的にとられるもの」として捉えるか、あるいは地域社会を維持・発展させるための「社会の構成員としての会費」、さらには「公共サービスによる利益への対価(投資)」として捉えるかによって、行政に対する市民の関わり方は根本から変わる 。
とりあえずお金を投資したら、投資した以上価値があるというのは経済活動の基本原則である。
例えば、市民が年間100万円の税金を市役所に納めたとしたら、行政というシステムを通じて、インフラ整備、教育、医療、防犯といった複合的なサービスによって、それ以上の価値(仮に200万円相当の便益や安心感)が自分や地域に還元されるべきである。
契約書に押印して代金を支払うように、国税、県税、固定資産税を納めるという行為は、その地域社会のガバナンスと首長の経営手腕に対する「投資」に他ならない。
住民意識調査から読み解く「重要度」と「満足度」のギャップ
では、現状の自治体において、市民はこの「投資に対するリターン(ROI)」を十分に実感できているだろうか。
全国の自治体で実施されている「住民意識調査」のデータは、その実態を冷徹に浮き彫りにしている。
例えば、愛知県みよし市や京都府与謝野町などで実施された調査結果を見ると、行政の施策に対する「重要度(市民がどれだけその施策を必要としているか)」と、「満足度(現状のサービスにどれだけ満足しているか)」の間に、明確なギャップが存在することが多い 。
| 行政分野の例 | 市民が評価する「重要度」 | 市民が評価する「満足度」 | 分析と示唆 |
|---|---|---|---|
| 医療・保健・福祉 | 非常に高い | 相対的に低い(不満が残りやすい) |
高齢化に伴いニーズが急増しているが、サービスの供給体制(人員や施設)が追いついていない。投資に対するリターンの可視化が急務 。 |
| 子育て・少子化対策 | 高い | 自治体の施策により変動が激しい |
北海道根室市の例では、給食費、保育費、医療費の無償化などの経済対策を矢継ぎ早に実施した結果、不満意識が減少し、満足と感じる市民が増加した 。明確な投資(財源投下)が満足度(リターン)に直結しやすい分野である。 |
| 環境・社会基盤 | 高い | 中程度 |
道路整備、除雪(雪国の場合)、景観整備など。例えば街路樹の整備一つをとっても、目測の基準や景観向上といった価値がある一方、維持管理コストとのバランスが問われる 。 |
| 広報・情報発信 | 中程度 | 低い傾向 |
「市報が見にくい」「必要な情報にたどり着けない」といった不満が多い。行政の活動(提供価値)が市民に適切に伝達されていない「伝達のムダ」が発生している 。 |
これらのデータが示すのは、市民の側のニーズ(年齢、性別、ライフステージ、世帯構成によって千差万別)に対し、行政のサービス供給が的確にミートしていないという事実である。
行政評価のプロセスにおいて、庁内の自己評価では「一生懸命やっているからB評価」となっても、サービスを受ける側の市民からは「十分受けられていない」「窓口の対応が悪い」と不満が噴出する構造的欠陥が存在する 。
車の買い替えと市長の選挙:選択の責任
私たちが数年ごとに車を買い替える際、気の早い人であれば新車が出るたびに、あるいはライフステージの変化(結婚、出産、子供の独立)に合わせて、予算と目的に応じた最適な1台を真剣に検討し、比較し、選択する。
そこでは、過去のメーカーの評判だけでなく、現在の技術力や、自分の生活にどれだけの価値をもたらすかが厳格に問われる。
首長(市長)を選ぶ選挙も、全く同じであるべきだ。4年ごとに訪れる選挙は、自分たちが納めた税金(投資)を運用し、最大のリターン(価値)を地域に生み出す「経営トップ」を再評価し、必要であれば交代させる「買い替え」のタイミングである。
それにもかかわらず、過去の惰性や、組織的なしがらみ、あるいは単なる知名度だけで投票行動を決定するのは、「間違いだらけの市長選び」以外の何物でもない。
SDV(Software Defined Vehicle)の時代において自動車がソフトウェアのアップデートで常に進化し続けるように 、これからの市町村経営も、市民からのフィードバック(データ)をリアルタイムで取り込み、サービスを統合制御してアップデートし続ける「Software Defined Government」へと進化しなければならない。
それを指揮できる経営哲学を持ったリーダーを選ぶことが、投資家たる市民の最大の責任である。
結論:有権者自身が「確かな眼力」を持つために
かつて『間違いだらけのクルマ選び』は、自動車メーカーに媚びることなく、本音の評価を下すことで、ユーザーの蒙を啓き、結果として日本の自動車文化と産業全体の成熟を促した 。
そこでは、表面的なスペックや流行のデザインではなく、「走る、曲がる、止まる」という基本性能と、その車が持つ独自の「物語(哲学)」が厳しく問われた 。
地方自治における首長(市長)の選出においても、我々有権者はこの徳大寺有恒氏のような「確かな眼力」を持たなければならない。
耳当たりの良い公約や、短期的な補助金のばらまきに惑わされるのではなく、候補者が持つ行政運営の基本性能を厳格に見極める必要がある。
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走る力:的確なビジョンを示し、市役所という組織の能力を最大限に引き出し、現場をエンパワーメントして政策を力強く前に進めることができるか 。
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曲がる力:人口動態の変化や予期せぬ危機に対し、硬直化した過去の計画に固執せず、全体最適の視点で柔軟に軌道修正を図ることができるか 。
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止まる力:費用対効果の薄れた事業や、将来世代のツケとなるような施策を、サンクコストの罠に陥ることなく、勇気を持って撤退・休止させることができるか 。
そして何より、自分たちの市町村という「車」が、どのような歴史と文化という「物語」を持ち、それをどう未来へ走らせていくのかというグランドデザインを描ける人物であるかが問われる。
行政とは、首長や市役所だけが孤独に運営するものではない。
市民、地域社会、企業など、多様な主体が互いの立場を尊重し、対等な関係に立って「共働」で進める地域経営の共同作業である 。
私たち自身が、「納税」という行為を通じて地域社会に投資を行っている当事者であることを深く自覚し、そのリターンとしての「価値」を厳しく求めると同時に、自らもまちづくりに参加する主体となること。それこそが、「間違いだらけの市長選び」を未然に防ぎ、持続可能で豊かな地域社会という名の「名車」を、次世代へと誇りを持って引き継ぐための唯一の道なのである。