この記事は、愛知県弥富市で開催された、元東海学園大学教育学部教授 木村美知代さんによる、
子育て講座 0~2歳児の「わくわく発達学」〜自我の芽生え(イヤイヤ期)を一生の土台にの学びを、
市民の皆さんに親しみやすくお伝えするために
「あるご家庭のパパとママの仮想の会話仕立て」でまとめた実践レポートです。
最近よく耳にする「こどもまんなか社会」や、子どもの一生の土台が決まると言われる「最初の100ヶ月」。そんな少し難しそうな言葉や最新の科学的な知識も、
夫婦の日常的な会話ストーリーを通して読んでいくと、「なるほど、そういうことだったのか!」とスッと胸に落ちてきます。
物語の中では、「頭では分かっていても、つい怒ってしまう…」といった親ならではのリアルな葛藤も交えながら、
親を悩ませる「イヤイヤ期」の本当の意味や、どろんこ遊びの大切さ、そして地域との繋がり方を分かりやすく紐解いていきます。
正解が分からず、つい一人で抱え込んでしまいがちな現代の子育て。仮想の夫婦が試行錯誤しながら「我が家の子育て方針」を作っていくこのストーリーが、
毎日子育てを頑張るパパやママの心を少しでも軽くする、温かいエールになれば幸いです。
愛知県弥富市における「初めの100ヶ月の育ち」と「こどもまんなか社会」の実践:両親の対話を通じた家庭内教育方針の構築レポートPDFダウンロードダウンロードはこちらから
愛知県弥富市における「初めの100ヶ月の育ち」と「こどもまんなか社会」の実践:両親の対話を通じた家庭内教育方針の構築レポート
本報告は、愛知県弥富市で開催された「0〜2歳の子どもの原体験と遊びの権利について」の講義録、および同市における教育・保育政策の動向に関する研究資料に基づき、その内容を家庭内実践へと落とし込むプロセスを記述したものである。
専門的知見をいかにして日常の育児に統合するかという課題に対し、本稿では「父親と母親による対話的アプローチ(Socratic Dialogue)」という形式を採用した。
両親が講義内容と関連データを詳細に分析し、我が子への関わり方や地域社会との連携について合意形成を図る過程を、網羅的かつ専門的な議論として提示する。
1. 「こどもまんなか社会」の理念と「初めの100ヶ月」の定義
父親: 今日、弥富市で開催された木村先生の講義、非常に示唆に富む内容だったね。
「こどもまんなか社会」という言葉は最近よくニュースでも耳にしていたけれど、それが私たちの家庭にどう直結するのか、これまで少し曖昧だった。
でも、令和5年に施行された「こども基本法」を基盤として、社会全体で子どもの権利を守る動きが本格化していることがよく理解できたよ。
特に、加藤鮎子元こども政策担当大臣も発信していた「最初の100ヶ月」というキーワードは、親として非常に重みを感じる概念だった。
母親: 本当にそうね。
講義の中で定義されていた「最初の100ヶ月」というのは、お腹の中にいる胎児の期間(約10ヶ月)から始まり、0歳から6歳までの乳幼児期(84ヶ月)、そして小学校1年生の最初の10ヶ月を合わせた期間のことだったわね。
この時期が、人間の人格形成や脳と心の発達において、その後の人生を決定づけるほど重要な土台になる。
「人生の土台は『最初の100ヶ月』で決まる」と、未来への最強の投資であることが強調されていたわ。
父親: まさにその通りだ。
僕たちはつい「小学生になってからが本格的な教育だ」と思いがちだけれど、実際にはその土台作りはもっと早い段階で終わってしまう。
今日のテーマであった「初めの100ヶ月の育ちビジョン」について、まずは乳児期の発達メカニズムから、僕たちの理解を整理しておこう。
2. 乳児期の発達メカニズム:五感のフル稼働と「感受性期」
母親: 講義では、発達は誕生後からではなく、胎児の時期からすでに始まっていると教わったわね。
お腹の中にいる時から、子宮の壁にぶつかりながら触覚などの感覚を発達させ、忙しく学習しているという話には驚かされたわ。
そして生後1ヶ月からの成長の劇的さ。
赤ちゃんは何も分かっていないわけではなく、お母さんの匂いや母乳の感覚、お風呂に入った時の肌の感覚など、日常のあらゆる場面で五感を通して周囲の情報を休むことなく収集しているのよね。
父親: うん。
視覚の発達についても詳細な解説があった。
生後2〜3ヶ月から6ヶ月頃にかけて赤ちゃんの視界がはっきりと開けてくる。
最初は動くものを目で追う「追視(ついし)」から始まり、生後2ヶ月頃には興味を持ったものをじっと見つめる「注視(ちゅうし)」へと移行する。
京都大学の明和雅子教授がOECDの調査結果として世界に向けて発表した内容によれば、この生後2ヶ月頃の時期は「脳発達の感受性期」と呼ばれ、極めて重要な期間だと指摘されている。
母親: その「注視」をしている時、赤ちゃんは一生懸命に環境から学習しているのよね。
明和先生が仰っていたように、周囲の大人たちは「じっと見つめるなんてすごいね」「不思議に思っているんだね」と、赤ちゃんの行動を肯定的に受け止めることが不可欠なのよ。
「あなたはすごいよ」と心から思いながら見守る大人の気持ちが、子どもに伝わっていく。
これが、次のステップである「愛着(アタッチメント)」の形成に直接繋がっていくわけね。
3. 生涯を左右する「愛着(アタッチメント)」の科学的基盤
父親: ここからが、今日の講義の最も核心的な部分だったと思う。
「愛着(アタッチメント)」の形成についてだ。心理学者のジョン・ボウルビィ(John Bowlby)やメアリー・エインスワース(Mary Ainsworth)の理論が紹介されていたけれど、驚くべきことに、生後3ヶ月から6ヶ月頃にかけて愛着の基盤が最も顕著に形成され、それが「一生にわたって影響を与え続ける」という事実だ。
母親: ええ。赤ちゃんの気持ちを受け止めてくれる大人がいることで、「自分のことを大切にしてくれる人がいる」という安心感が生まれる。
この安心感(安全基地)があるからこそ、赤ちゃんは外の世界に興味を持ち、「あー、うー」と声を出して他者とコミュニケーションを取ろうとする主体性が芽生えるのよね。
父親: 講義の中で紹介されていたNHKの特集番組の事例が非常に分かりやすかった。
アメリカの若者たちが自身の「愛着スタイル」について語っていた部分だ。
大人になってからの人間関係の築き方や性格の傾向が、実は生後6ヶ月の間に形成された愛着スタイルに起因しているという話。
ここで、講義内容と関連文献を基に、愛着スタイルについて少し整理してみよう。僕の方で簡単な表にまとめてみたよ。
母親: この表を見ると、「三つ子の魂百まで」という昔わざが、いかに科学的な真理を突いているかが分かるわね。
でも、先生が「たとえ生後6ヶ月を過ぎていたとしても全く遅くない」とフォローしてくださったことで救われた親御さんも多かったと思うわ。
今がちょうど良い時期だと思って、しっかりと向き合い、コミュニケーションを取り続けることが大切なのね。
4. イヤイヤ期の再定義:子どもの「意見表明権」と気質の受容
父親: 1歳を過ぎて幼児期初期に入ると、自己アピールが強くなり、いわゆる「イヤイヤ期」に突入する。
ここでの議論は、子どもの権利と尊厳」という第一の柱に直結していた。
僕たちはこれまで、イヤイヤ期を「大人の言うことを聞かない反抗期」とネガティブに捉えがちだったけれど、今日の講義でその認識は完全に覆された。
母親: 本当にそうね。
鼻を拭かれるのを嫌がって泣いている子どもの例が紹介されたけれど、「おしぼりが冷たかった」「硬くて痛かった」というような、子どもなりの確固たる理由(必要感)が必ずある。
ここで最も重要なのは、「私はこれが嫌だ」と態度や言葉で主張できること自体が、立派な「意見表明(意思表明)」であり、子どもの大切な権利だということよ。
父親: 大人の役割は、「何が嫌なのかな?」とその子の思いに寄り添い、「冷たくて嫌だったね。今度は温かいのにしようね」と受け止めること。
たとえ言葉の意味を完全に理解していなくても、優しい声のトーンだけで子どもはホッと安心することができる。
ここで興味深かったのは、「気質(Temperament)」と「性格(Personality)」を明確に分けて考える視点だ。
母親: ええ。
持って生まれた「気質」(おっとりしている、すぐカッとなる、神経質など)は変えられない特性であり、その子自身の尊厳としてありのままに受け止めるべきもの。
一方で「性格」は、その後の環境、つまり私たち大人の関わり方によって変えていくことができるのよね。
気性が激しいタイプの子が泣き叫んでいても、「眠くてモヤモヤしているんだね」と気持ちを代弁して受け止める環境を積み重ねることで、性格は穏やかな方向へと変わっていく。
5. 日常生活における「自己決定」と生活習慣の本質
父親: 生活習慣の身につけ方についても、目から鱗だった。
食事やトイレトレーニングにおいて、「親が決めるのではなく、子ども自身に判断させる」という原則だ。
「早く歩きなさい」と急かしたり、無理強いしたりするのではなく、ご飯を食べる時も「食べる?」と聞き、オムツを替える時も「オムツ替える?」と意思を確認する。
この日々の関わりが、子ども自身の中に「自分が今から〇〇するんだ」という主体的な気持ちを芽生えさせる。
母親: お茶のおかわりのエピソードがとても象徴的だったわ。
1〜2歳児の保育園で、子どもが自ら「お茶飲みたい」と伝え、先生がそれを受け止めて注ぐ。
すると子どもがさらに「もっと」と要求したという話。
この「もっと」は、子ども自身が「喉が渇いた」という【必要感】を感じ取り、自分の意思で【判断】して要求しているからこそ出る言葉なのよね。
父親: その通り。
逆に言えば、大人の指示通りに一律に動けるようにすることが「生活習慣」ではないということだ。
多くの園で食事の前に「はい、手を合わせてください」と一斉に行動させる画一的な指導に対し、先生は疑問を呈していた。
一人ひとりのペースに合わせて、子ども自身が必要感を感じて判断し、意思を伝えられるようになること。
これこそが本当の意味での生活習慣の定着であり、自己調整力(実行機能)の獲得に繋がる。
母親: 「嫌だ」と言われたら、「そうなんだね、嫌なんだね」とまずは受け止め、少しでも行動できたら絶対に褒める。
子どもは「一番になりたい、認められたい」という思いを強く持っているから、この「受け止めて褒める」の繰り返し(安心と挑戦の循環)によって、自尊心と他者への基本的信頼感が育っていくのよね。
6. イヤイヤ期への具体的コーチング:「教えてね」と「選択肢」の魔法
父親: 後半の講義では、2歳児の激しい自己主張(癇癪)に対する具体的な対応策、いわばコーチングの技術が紹介された。
これが非常に実践的だった。例えば、「ご飯の時間になってもパズルをやめず、食卓に来ない」というケース。
母親: あそこで無理に叱りつけると、子どもはパニックになって物を投げたり奇声を上げたりしてしまう。
先生は、子どもが泣き続ける最大の理由は「自分でも自分の気持ち(なぜ泣いているのか)が分からなくて混乱しているから」だと解説してくださったわ。
だから大人が「最後まで終わらせたかったんだね」「どうしていいか分からなくて困っているんだね」と気持ちを代弁してあげることが第一歩なのよね。
父親: 自分のモヤモヤした感情を大人が言語化してくれることで、子どもは「そうか、自分はパズルがしたかったんだ」と気づき、スッと落ち着く。
そして、現実問題としてご飯を食べさせるためには、2歳児特有の「ヒーローになりたい心理」を活用する。
「ご飯を食べてくれないと困っちゃうな。〇〇ちゃんはスーパーマンみたいだね!」と頼み事をして、自ら行動(挑戦)するように仕向ける。これは見事なアプローチだ。
母親: 靴を履かない子に対する「何かあったの? 先生(お母さん)に教えて」という魔法の言葉も、明日からすぐに使いたいわ。
頭ごなしに命令するのではなく、「教えてね」と子どもに委ねることで、子どもは「あっちの靴が良かった」と理由を考え、言葉にするようになる。
父親: 給食を食べられない子や、お片付けが進まない子に対する「どのくらいなら食べられそうか、教えてね」「遊びが終わったら教えてね」という声かけも同じ構造だね。大人が教え込むのではなく、子ども自身が自分で決める余白を作る。
母親: そして、もう一つ重要だったのが「どうしようもない現実」を受け入れさせるプロセスね。
スイカを落としてしまって、「壊れていない新しいスイカがいい!」と泣く子どものエピソード。
先生は「洗って食べる? それとも今日はやめておく?」と2つの選択肢を提示し、最終的に子どもが「やめておく」と自分で決断した。
父親: 大人が「魔法をかけたら美味しくなるよ」とごまかしたり、「あなたが落としたからでしょ!」と責めたりするのは簡単だ。
でも、生きていれば思い通りにならないことは山ほどある。
その「どうしようもない状況」の中で、現実を受け入れ、自分で考え、納得して決断する経験を積ませること。
これこそが、将来のレジリエンス(回復力)を育む決定的な教育なんだと痛感したよ。
ここで、親の関わり方について比較表を作ってみよう。
7. 保育環境と遊びの質:自然体験が育む力と腸内細菌叢
父親: 次に、子どもの育ちを支える「環境」についての議論だ。
ここでの話は、私たち弥富市民にとっても非常に切実なテーマを含んでいたと思う。
弥富市における公立保育所(ひので保育所、弥生保育所)の民営化問題だ。
母親: 講義でも、近所の公立保育園が民営化された途端、垣根の木々が綺麗に刈り取られ、自然がなくなり、子どもたちが園庭にただ座り込むようになってしまった事例が紹介されていたわね。
先生たちも子どもが自発的に遊ぶのを見守るのではなく、怪我をしないように「監視」する状態になってしまったという話、本当に胸が痛んだわ。
父親: 東京家政大学の先生が関わる保育園の事例と比較すると、環境の重要性がより際立つ。
都心でありながら木々に覆われ、自然の音や土の匂いに囲まれた環境では、子どもたちは五感を通して刺激を受け、「これは何だろう?」と自ら探求する「必要感」が芽生える。
母親: N先生と一緒に見学に行ったという保育園での「泥んこ遊び」のエピソードも素晴らしかったわね。
雨どいの下にできた泥水で、1歳児と2歳児が混ざり合って道路や水路を作って夢中で遊んでいる。
言葉を交わさなくても確かなコミュニケーションが生まれ、想像力や社会性が育っていく。
大人が「遊べる環境(余白)」を意図的に用意することがいかに不可欠かという証明ね。
父親: そして、泥んこ遊びの重要性は心理学的・教育学的な側面だけでなく、生物学的な側面からも裏付けられていた。
「腸内細菌叢(マイクロバイオーム)」の話だ。
人間の腸内には「1リットルの牛乳パック1本分(約1キログラム)」もの細菌が棲みついており、自然の中で多様な菌に触れることが、免疫力の向上やアレルギー予防、さらには脳の働きにまで直結する。
母親: 新型コロナウイルスの影響もあって、今の日本は過敏なまでに清潔さを求めすぎる傾向があるけれど、過度な清潔志向は子どもの育ちにとって良くないのよね。
少しくらい泥が口に入っても構わないから、多様な菌に触れさせる。
こうした科学的根拠を知っているかどうかで、休日の公園遊びでの親の「待つ姿勢」も全く変わってくるわ。
大人の都合で「〇〇教室があります」と教え込むことをアピールする園ではなく、子どもが主体的に泥まみれになって遊べる園を選ぶべきだというメッセージは、しっかりと受け止めたいわ。
8. 葛藤を「見守る」専門性:おもちゃの取り合いから学ぶ
父親: 環境といえば、子ども同士の社会的環境における大人の介入の仕方も、大きな学びだった。
砂場で3歳になったばかりの子が、別の子のおもちゃをガーッと無理やり奪い取った時の事例だ。
母親: 普通なら、大人はすぐに飛んで行って「取っちゃダメでしょ」「貸してあげなさい」と慌てて止めに入るわよね。
でも、その先生は中途半端に介入せず、ただ「頑張って!」と声をかけて見守ったのよね。
父親: あの先生の意図は、子ども自身が葛藤の中で「必要感」を感じ、自分で「判断」し、「行動」するのをじっと待つことだった。
3歳児の行動の裏には「悪意」ではなく、「楽しそう!やってみたい!」という純粋な好奇心がある。
おもちゃを遠くまで持って行った後、その子は途中でハッと冷静になり、自分で元の場所まで戻しに来た。
母親: 大人がパッと介入して手っ取り早く解決してしまうと、子どもは「自分の気持ちと折り合いをつける力」を身につける機会を奪われてしまうのよね。
少し時間がかかっても、「ちょっと休憩して考えてみようか」と間を作り、自分で解決するように導く。
この「見守る」という行為が、いかに高度な専門性と忍耐を要するものか、親として身が引き締まる思いだったわ。
9. 学校教育への接続:「資質・能力」と愛着障害の現状
父親: そして、これらの乳幼児期の育ちが、最終的に小学校以降の学力や生きる力にどう繋がっていくのかという話だ。
今、学校教育の評価基準はテストの点数から「資質・能力」へと大きく変わっている。
具体的には「知識・技能の基礎」「思考力・判断力・表現力等の基礎」「学びに向かう力・人間性等」の3つの柱だね。
母親: 「うちの子はテストで100点を取っているのに、通知表が『△』だ」と怒るおばあちゃんの話があったけれど、今の学校では、単に答えを出せるだけでなく、「なぜそうなるのか」という理由や根拠を説明できる思考力や表現力が評価されるのよね。
父親: その通り。
全国学力テストでも、日本の子どもたちは「理由を説明する力」で苦戦している。
それは、幼い頃から「自分の判断の根拠を言葉にする経験(なぜ靴を履きたくないのか、なぜパズルがしたかったのかを説明する経験)」が不足しているからだ。
だからこそ、国の学習指導要領にも、『幼児期の学習(主体的に環境と関わり、好奇心や探求心を高める体験)』を基盤とすることが明記されている。
AI時代に求められる「自分で考える力」は、幼児期の主体的な遊びを通してしか育たない。
大人が一斉に英語をリピートさせるような早期教育の教え込みは、ナンセンスだとバッサリ切られていたね。
母親: 一方で、非常に深刻な現状も報告されていたわね。
学校現場で増え続けている「愛着障害(アタッチメントの課題)」を抱える子どもたちの話。
朝、席につかずに騒ぎ回ったり、先生に強く噛み付いたり、逆に先生を独り占めしようと過剰に甘えてきたりする。
1クラスに2〜3人はそういう課題を抱える子がいると言われているそうね。
父親: この愛着障害の根底にあるのは、「自分の気持ちを十分に受け止めてもらえなかった」という経験の欠如だ。
自己肯定感が低く、安心・安全を感じる力が育っていないため、周囲の些細な言動を「自分への攻撃だ」と過敏に受け取ってしまう。
彼ら自身も「誰にもわかってもらえない」と苦しんでいる被害者なんだ。
母親: 家庭での関わり方も大きく影響しているという指摘は耳が痛かったわ。
「小学校に行ったら大変だよ」「もっとしっかりしなさい」と、親が不安やプレッシャーばかりを煽ってしまうと、子どもの安心・安全は奪われてしまう。
「困った子」は実は「困っている子」であるという視点を持ち、一人ひとりの「違い」を尊厳として受け止めることが何より大切なのね。
父親: そこで新しい風やとみが弥富市で広めようとしている「みんなの学校」の取り組みが重要になってくる。
木村泰子先生のエピソードにあった、片方の耳がない子の入学時の対応だ。
お母さんがいじめを心配して隠そうとしたのに対し、木村先生は「違いを隠さずにオープンにする」ことを提案した。
「このお友達は耳が一つしかありません。だから困っていたら助け合ってね」と全校児童に伝えた結果、その子が辛い思いをすることは一度もなかった。
画一的な価値観を排除し、「いろんな子がいるのが当たり前」という空気を地域全体で作っていく。
これが「資質・能力」の土台を育む真のインクルーシブ教育だ。
10. 孤立を防ぐ子育て:「親のウェルビーイング」と地域社会
父親: さて、これまで子どもの育ちについて議論してきたけれど、「こどもまんなか社会」を実現するためには、私たち「親」自身の支援も不可欠だ。
講義の最後や、提言にもあったように、現代の日本、そしてこの弥富市において、親と子が一対一で向き合う「孤立した子育て」は限界を迎えている。
母親: そうね。子育て支援に関わる方からのメッセージでも、「一人で抱え込み、自分自身をすり減らしているお母さんが増えている」という切実な声があったわ。
親自身が幸せに生きていかないと、本当の意味での子育てはできない。1日5分でも自分のための時間を作り、自分を労る時間を持つべきだという言葉に、思わず涙が出そうになったわ。
父親: ここで、東京大学の山口慎太郎氏の研究データが非常に強力な裏付けとなる。
保育園などの外部機関を利用することは、単に親が働くための預かり場所というだけでなく、子どもと親の双方に明確なプラスの効果をもたらすという研究だ。
2歳半時点で保育園を利用していた子どもは、多動性や攻撃性が顕著に減少し、言葉の発達も早くなる傾向が確認されている。
母親: 親御さんにとっても、育児負担感が減少し、幸福感が向上するのよね。
昔のように地域全体で子どもを育てる仕組みが失われた現代において、保育園やファミリーサポートなどの多様な大人と関わる機会を持つことは、子どもにとっての愛着の対象(安全基地)を増やすことになり、親にとっては「親性(おやせい)」を豊かに育む基盤となるのね。
父親: まさにその通りだ。
講義の最後に行われたグループワーク、「イヤイヤ期における子どもの権利とは何か」というテーマについての意見交換も、この地域コミュニティの重要性を象徴していた。
「やりたくない」「休みたい」と言えること。そして最終的に先生が提示した答えは、第一に「必要感を感じること」、第二に「自分で判断すること」、最後に「自分がこれをやりたいから、こうさせてほしい」と自分の言葉で堂々と言える状態を作ることだった。
母親: ワークの中で他のお父さんやお母さんたちと意見を交わしたことで、私たちだけが悩んでいるんじゃないんだって、すごく勇気づけられたわ。
「地域の人にもっと関わってほしい」という声や、「ファミサポさんに助けてもらっていいんだ」という気づきを共有できたのは、大きな収穫だった。
11. 総括:我が家と弥富市における「初めの100ヶ月」アクションプラン
父親: 今日一日を通して、脳科学から愛着理論、教育社会学、そして弥富市の市政課題に至るまで、本当に多角的な視点から「子どもの育ち」を学ぶことができた。
この膨大な知見をただの知識で終わらせず、私たちの家庭内のアクションプランとしてまとめよう。
母親: ええ、ぜひそうしましょう。私たちが日々どのように我が子に向き合い、地域とどう関わっていくか。以下の表に私たちの行動指針(アクションプラン)をまとめてみたわ。
| 分野 | 我が家の現状の課題 | 今後のアクションプラン(家庭内教育方針) |
|---|---|---|
| 感情と自己主張 | 癇癪を起こすと、つい頭ごなしに「ダメ」と叱ってしまう。 | イヤイヤを「意見表明」と捉える。「何かあったの?教えてね」と問いかけ、気持ちを代弁し、選択肢を提示する。 |
| 遊びと環境 | 服が汚れるのを嫌がり、泥遊びを制限しがちだった。 | 腸内細菌叢の多様化と自己決定を促すため、泥んこ遊びを推奨する。過度な清潔志向を捨て、自然体験を優先する。 |
| 生活習慣 | 大人のペースで着替えや食事を急かしてしまう。 | 子ども自身に「必要感」を感じさせ、「自分で判断」するまで待つ(コーチング)。失敗しても「どうしようもない現実」を受け入れさせる。 |
| 親の孤立と地域 | 母親一人で育児を抱え込み、他者に頼ることに罪悪感があった。 |
山口氏の研究を根拠に、保育園やファミサポを積極的に活用する。父親も育児の主体となり、母親のウェルビーイングを確保する。 |
| 学校教育への接続 | 早期教育(英語やひらがな)を早く始めなければと焦っていた。 | 知識の教え込みをやめ、「幼児期の学習(主体的な探求)」を最優先する。テストの点数ではなく「資質・能力」の土台を育む。 |
| 地域社会(弥富市) | 市の保育政策(民営化等)に無関心だった。 |
子どもの「遊びの環境」が奪われないか注視し、「みんなの学校」のような多様性を認める地域づくりに親として参画する。 |
父親: 素晴らしいまとめだ。
木村先生が仰っていたように、「子どもは一人ひとり違う」という大前提に立ち、その「違い」そのものを子どもの「尊厳」として守り抜くこと。
そして、私たち親自身が孤立せず、地域社会という大きな網の目の中で「安心と挑戦の循環」を作り出していくこと。
母親: ええ。「最初の100ヶ月」は、子どもにとってはもちろん、私たち親にとっても「親として育つ」ための最も貴重で濃密な100ヶ月なのよね。
時にはパズルをやりたがって泣き叫ぶ日もあるだろうし、お茶をこぼして大騒ぎになる日もあるでしょう。
でも、その一つ一つが将来の「生きる力」を育む大切なプロセスなんだと信じて、焦らず、見守りながら、一緒に成長していきたいわ。
父親: その通りだね。
明日の朝、子どもが起きてきたら、まずは「おはよう。今日は何をして遊ぶか、パパとママに教えてね」と声をかけるところから始めようか。
弥富市から始まる「こどもまんなか社会」は、国や行政が上から作るものではなく、僕たちのような一つひとつの家庭の、毎日の小さな対話と見守りの積み重ねから作られていくんだから。
母親: ふふ、そうね。
なんだか明日から子どもと向き合うのが、今まで以上にワクワクしてきたわ。
さあ、子どもが起きる前に、明日の泥んこ遊び用の着替えをたくさん用意しておかなくちゃね。
父親: あぁ、任せておいて。僕も一緒に泥だらけになる覚悟はできているよ。