弥富市議会6月定例会で注目を集めた、「こどもまんなか社会と教育」に関する一般質問。国を挙げて子どもの権利尊重が叫ばれる一方で、教育現場では「個人の権利」と「集団生活の規律」のバランスに揺れ動く実態が浮き彫りになりました。
議会における質疑では、教員の過度な萎縮を懸念し、日本型教育が持つ協調性や集団のルールを重視する声が交わされました。
しかしその半面で、新しい時代に求められる「子どもを一人の権利主体として尊重する」という本質的な理念が、従来の大人目線の指導体制の中に置き去りにされているのではないかという課題も垣間見えます。
本記事では、実際の質疑応答の内容を整理して紐解きながら、弥富市の教育行政における現在地と、これからの社会に本当に必要な「こどもまんなか」のあり方について問いかけます。
弥富市政レポート:6月定例会
〜「こどもまんなか社会」の本質は理解されているか? 弥富市教育の現状と課題〜
先日の弥富市議会6月定例会にて、期待の新人である平井ゆかり議員により「こどもまんなか社会と教育」についての一般質問が行われました。
「こどもまんなか社会」というこれからの社会に不可欠なテーマを取り上げるとのことで、私自身、大いに期待ました。
しかし、そこで交わされた議員と教育委員会のやり取りを聞き、率直に申し上げて「がっかりした」「びっくりした」というのが偽らざる本音です。
本レポートでは、議会での質疑の概要をお伝えするとともに、現在の弥富市の教育行政が抱える「古い体質(パターナリズム)」について、私なりの見解を市民の皆様に共有させていただきます。
1.議会でのやり取りの概要
質疑の中で、平井議員は「子どもの権利を守ることは大前提」としつつも、以下のような懸念を示しました。
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「子どもの権利や意見表明」を重んじるあまり、現場の教職員が萎縮し、必要な指導(規律や集団生活のルールなど)ができなくなっているのではないか。
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子ども同士のトラブルに対し、指導よりも調整が優先され、集団生活の維持が難しくなっているのではないか。
これに対し、渡辺教育部長は概ね次のように答弁しました。
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「子どもの意見を尊重する=希望をそのまま受け入れる」という意味ではない。
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将来的な成長や社会性、集団生活への適応などを総合的に判断し、大人が受け止めた上で必要な「指導」を適切に行っている。
平井議員はこの答弁に深く賛同し、「日本型教育の良さ(集団行動や規律)」を再評価する発言をして質疑を終えました。
2.私の見解:それは「子どもの人格否定」ではないか
このやり取りを聞いて、私は現在の弥富市の教育行政や議会の認識が、昭和の時代、極端に言えば「教育勅語」の時代からアップデートされていないのではないかと強い危機感を抱きました。
①「嫌なことは嫌」と言える自己肯定感の重要性 そ
もそも「子どもが言うことを何でもそのままやれ」という話ではありません。
しかし、0歳、1歳、2歳という乳幼児期から、子どもは一人の独立した「人権を持つ主体」です。「嫌なことは嫌」と主張することは決してわがままではなく、周囲との関係性を作ろうとする大切なプロセスです。
それを大人の都合で「わがまま」と押さえつけてしまえば、子どもの自己肯定感(愛着)は育ちません。
幼少期から常に抑圧され、人権のない状態で育つからこそ、小学校に上がった時に自分で何も決められなくなったり、逆に周囲に過剰に同調しすぎたりして、それがいじめの温床にも繋がっていくのです。
②「初めの100ヶ月」と構造的な社会の変革
現在、こども家庭庁や文部科学省でも「初めの100ヶ月(妊娠期から就学前まで)」における子どもの人権尊重の重要性が説かれています。
これは単なる教育メソッドの話ではなく、「こどもまんなか」を軸とした社会の構造的な変革なのです。
子どもを一人の人格として認め、社会構造そのものを変えていくことが、結果的に大人自身の幸せや余裕にも繋がります。
③ 抜け切れない「パターナリズム(温情主義)」の罠
議会での議論の根底にあるのは、「女・子どもは弱い存在だから、大人が守り、教え導いてやらねばならない」という古いパターナリズムです。
教育長や教育部長の「子どもの意見は尊重するが、そのまま通すのではなく、大人が斟酌して指導する」という答弁。
そしてそれに喜ぶ議員の姿勢。
これは一見もっともらしく聞こえますが、本質的には「大人の枠組みに子どもをはめ込む」ことであり、私に言わせれば「子どもに対する人格否定」に他なりません。
国が定める「こども基本法」の原文や、有識者の答申に込められた真の理念(子どもを権利の主体として尊重すること)を、弥富市の教育現場のトップや議員は本当に理解しているのでしょうか。
私には、無自覚なまま従来の管理教育を肯定しているようにしか思えません。
3.市民の皆様へ:ぜひご自身の目で確認を
以上が、私が今回の一般質問を傍聴して感じた、弥富市の教育行政に対する強い危惧です。
「こどもまんなか社会」とは、大人が子どもを管理する社会ではありません。
子どもを一人の人間として尊重し、共に歩む社会です。
この一般質問の模様は、後日(概ね10日後頃)、弥富市議会の公式YouTubeチャンネルにて録画が公開されます。
(※ケーブルテレビの放送では一部途切れていた箇所がありましたので、公開され次第、正確な発言内容を改めて検証したいと思います)。
市民の皆様には、ぜひご自身の目と耳で実際の質疑を確認していただき、「弥富市の子どもたちの未来、そして教育のあり方」について、共に考えていただきたいと思います。
弥富市議会6月定例会平井ゆかり議員の一般質問(抄録)
平井ゆかり議員 はい、次に行きます。次は「こどもまんなか社会」と教育についてです。
こども基本法が制定され、子供の権利を社会全体で守り育てる機運が高まっています。子供たちを様々な困難から守り、安心して成長できる環境を整えることは大人の責任であり、私もこの理念には強く賛同しています。
一方で、学校現場では「子供の権利尊重」の受け止め方次第で、教職員が必要な指導に萎縮してしまったり、保護者対応が複雑化したりする懸念があります。子供の権利を守ることと、社会の一員として育てていくことは対立するものではありません。子供の「最善の利益」とは、その時の希望を全て受け入れることではなく、将来の社会性や集団生活との調和も含めて総合的に考えるべきものです。
そこで伺いますが、こども基本法の理念を日々の教育活動にどう落とし込むかについて、教職員個人の判断に委ねるのではなく、教育委員会としてどのような学ぶ機会や共通理解の場を設けているのでしょうか。
渡辺教育部長 本市としても、子供を権利の主体として尊重する理念を踏まえ、一人ひとりを大切にした教育活動を進めております。 一方で、学校は集団生活の学びの場でもあり、社会性や規範意識を育むことも重要です。そのため、児童生徒の思いを丁寧に受け止めつつ、必要な指導は適切に行っています。 教職員に対しては、生徒指導やいじめ防止、管理職向けの研修等を通じて、子供の権利への理解と、学校としての組織的な対応について学ぶ機会を設けております。
平井ゆかり議員 組織的に共通理解のもと進められているとのこと、わかりました。
ただ、学校現場では「子供の意見の尊重」が、ともすれば「わがままも権利」という過剰な解釈になり、教職員が生活指導を躊躇したり、保護者側が子供の主張だけを根拠に強い要求を行ったりするリスクも考えられます。学校は集団生活の場であり、他の児童生徒の学ぶ権利や公平性も守らなければなりません。
本市教育委員会として、「子供の意見の尊重と最善の利益の優先」について、現場の先生たちは具体的にどのような意味として共通認識を持っているのでしょうか。
渡辺教育部長 子供の意見を尊重することは重要ですが、教育現場において「希望をそのまま受け入れる」という意味ではないと認識しております。 最善の利益についても、短期的な希望だけでなく、将来的な成長や他者との関わり、集団生活への適応なども含め、総合的に判断することが重要です。そのため、児童生徒の話を丁寧に聞きながらも、必要な生活指導や学習指導は教育的配慮のもと適切に実施しております。
平井ゆかり議員 その思いが現場の全ての教職員に正しく伝わり、実践されることを願います。
また、教職員が日々悩みながら指導にあたる中、保護者との信頼関係がなければ現場は疲弊してしまいます。問題が起きたときだけでなく、日頃から学校と家庭の適切な距離感や、子供を長い目で見守る視点について共通認識を持てるような予防的な関係作りが重要だと思います。日頃の保護者に対する学校教育への理解促進は、どのように図っていますか。
渡辺教育部長 学校教育への理解や信頼づくりについては、学校だよりや懇談会、個別面談など、日頃の情報発信を通して丁寧に説明するよう取り組んでいます。問題発生時だけでなく、平素から家庭と学校が情報共有し、子供の成長をともに支える関係作りを大切にしております。
平井ゆかり議員 部活動の先生の存在などを含め、関係作りの部分はより一層大切にしていただきたいです。
子供の権利尊重が進む一方で、少し注意しただけで「否定された」と受け止められてクレームになり、教師が踏み込んだ指導を躊躇してしまう。その結果、規律が弱まり集団生活の維持が難しくなることを心配しています。もちろん威圧的な指導はあってはなりませんが、子供は叱られることや友達との衝突を通して学ぶことも必要です。
本市として、教師が萎縮してしまうような現場の望ましくない実態や声は把握していますでしょうか。それとも心配するほどではないという認識でしょうか。
渡辺教育部長 学校における指導は、一人ひとりの意見を大切にすると同時に、社会性や規範意識を育むための重要な教育活動です。児童生徒理解に基づいた丁寧な指導を基本としつつ、組織的な対応や管理職による支援を行っています。 現場の声を把握しながら、教職員が過度に萎縮することなく、安心して教育活動を行える環境づくりに努めております。
平井ゆかり議員 心配するほどではないと理解しますが、先生が指導した内容を子供が違った意味で親に伝え、抗議の電話が入るような個別対応の難しさは実際にあると思います。先生たちが過度に萎縮しない環境づくりをお願いします。
関連して、こうした強い指導への苦情リスクや保護者対応への不安に対し、学校が過度に保護者対応に追われないための支援体制や相談体制はしっかり整っていると言えるでしょうか。
渡辺教育部長 教職員が安心して教育活動を行うためには、一人で抱え込まず組織的に対応することが重要です。保護者対応につきましても管理職を中心に学校全体で対応することを基本とし、状況に応じて教育委員会も連携しながら対応しております。
(議長) 質問の途中ですが、本日の会議時間は、議事の都合によりあらかじめこれを延長します。
平井ゆかり議員 ご対応ありがとうございます。次に行きます。
子供自身が自分の権利だけでなく、他者の権利を尊重し、集団内での責任や社会の一員としてのあり方を学ぶことも大変重要です。掃除や当番、給食の準備を協力して行い、意見が違っても話し合い、時には我慢し助け合う。こうした日本で当たり前に行われてきた学校生活には、社会性や協調性を育てる大きな価値があります。
先日、海外の行き過ぎた個人中心の教育の反動として、日本の協働性を学ぶ教育文化が再評価されているドキュメンタリー映画『小学校~それは小さな社会~』を見ました。市内の中学校でも、給食の挨拶などメリハリある集団行動に感動したという先生のお話を伺い、胸が熱くなりました。
個人の尊重は大切ですが、何でも自由にして良いわけではありません。多様性の名のもとに規律が否定されたり、必要な指導が萎縮したりしてはなりません。権利と責任の両方を学んでいくという基本認識を伝えることも、学校教育の重要な役割です。
本市の教育行政は、子供たちに対し、日本型教育における協調性や協働性の価値をどのように捉え、自由や多様性についてどのように伝えているのでしょうか。
(教育長の答弁は録画が途切れました、後日補正します)