名古屋といえば「モノづくり」や「大都市」のイメージが強いかもしれませんが、実は「市民活動」や「ボランティア」が独自の熱い発展を遂げてきたまちでもあることをご存知ですか?
「誰も助けてくれないなら、私たちがやる!」——困難な状況を前に、行政の対応を待つのではなく、自ら立ち上がってきた名古屋の市民たち。彼らの「何とかしたい」という切実な想いと行動は、やがて社会のルールを動かし、今の名古屋を底支えする欠かせないシステム(インフラ)へと進化してきました。
本記事では、戦後の草の根運動から、愛知万博を契機とした飛躍、そして現代のプロフェッショナルなNPOへと至る「名古屋の市民社会の知られざるドラマ」をわかりやすく紐解きます。私たちが暮らすこのまちの景色が少し違って見える、希望の軌跡をご覧ください!
【市民が動けば、まちが変わる!】名古屋NPO・ボランティアの熱い歴史
「名古屋」と聞くと、巨大な産業や行政による都市開発をイメージする方が多いかもしれません。
しかし実は、このまちの根底には「困っている人を何とかしたい!」という市民の熱い想いが社会のルールを変えてきた、パワフルな歴史があります。
本書籍や歴史的資料から見えてくる、名古屋の「市民力」の進化の軌跡をわかりやすくまとめました!
💡 ここがスゴイ!名古屋の市民活動3つのポイント
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「制度がないなら、私たちが作る!」
国や市のルールができるのを待つのではなく、市民自らがお金や労力を出し合って「福祉のプロトタイプ(原型)」を作ってきた歴史があります。
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「お恵み」ではなく「パートナー」へ
ボランティア=単なる慈善活動というイメージをいち早く脱却。アメリカから「NPO」という概念を輸入し、社会課題を解決する「事業」へと育て上げました。
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メガイベントが市民をグローバルに
「愛知万博」や「COP10」といった国際イベントを通じて、環境問題などの世界的な課題を「ジブンゴト」として捉える市民が一気に増加しました。
📅 ひと目でわかる!名古屋の市民社会・4つの進化ステップ
市民活動がどのように発展してきたのか、時代ごとの特徴を見てみましょう。
| 時代 | ステップ | まちに何が起きた? | 象徴的なできごと |
| 戦後〜1970年代 | ① 草の根の開拓期 | 公的な支援がゼロの時代。障害のある子どもたちのために、親や支援者が手探りで保育や療育の場を創設。 | 名古屋市を動かし、公立保育所での障害児受け入れを実現! |
| 1980年代〜90年代 | ② ネットワーク期 | 活動が「単発のボランティア」から「継続する事業」へ進化。NPOという新しい言葉と概念が名古屋に上陸。 | 障害者が働く社会的企業モデルの誕生や、NPO法人の設立ブーム。 |
| 2000年代〜10年代 | ③ メガイベント期 | 愛知万博やCOP10が開催。市民の環境意識が爆発的に高まり、活動の舞台が地域から地球環境へスケールアップ。 | レジ袋有料化の実現や、3万人規模の市民ボランティアの活躍! |
| 2010年代〜現在 | ④ プロフェッショナル期 | 法人の数は「拡大」から「質の向上」へ。発達障害の専門支援など、行政だけでは手が届かない細やかな課題に対応。 | 行政への「要求」から、共に社会を設計する「コ・デザイン(協働)」の時代へ。 |
🤝 これからの名古屋と「私たち」
現在、名古屋市内のNPO法人の数は安定期に入っています。これは活動が衰退したわけではなく、それぞれの団体がより専門的に、より深く社会のスキマを埋めるプロフェッショナル集団へと進化した証拠です。
子育て、介護、防災、環境保全、歴史の保存……。複雑化する現代のトラブルは、もはや市役所や国だけで解決することはできません。
『なごやボランティア物語』に刻まれた先人たちの「何とかしたい」という切実な想いは、今の名古屋を支える立派な「協働のインフラ」になっています。
特別な誰かではなく、市民一人ひとりの「少しの行動」こそが、これからもこのまちの未来を創っていく一番の原動力です!
名古屋における市民活動およびNPO発達の歴史的展開と構造的分析
はじめに
日本有数の産業集積地として知られる愛知県名古屋市は、巨大な経済インフラや行政主導の都市開発が注目される一方で、その根底には極めて豊かで独自の発展を遂げてきた市民活動および非営利組織(NPO)の歴史が存在している。
市民活動の発達史を紐解くことは、単なる過去の記録の羅列ではなく、地域社会における「公(パブリック)」の担い手が、行政への依存から市民の自律的な協働へとどのように変容してきたかを解明する重要なアプローチである。
本報告では、「名古屋における市民活動やNPOの発達の歴史を書籍にした文献の検証」という社会的要請に応えるべく、地域のボランティア史を網羅した決定的な書籍群の存在を明らかにする。
その上で、各種公開資料、歴史的文書、および特定非営利活動法人の沿革データを総合的に分析し、名古屋における市民活動の萌芽期から、中間支援組織の確立、国際的メガイベントを通じたグローバル化、そして現代の高度な専門化に至るまでの発展の軌跡を、包括的かつ実証的に検証する。
名古屋の市民活動史を体系化する主要文献群
名古屋における市民活動の歴史を検証する上で、最も核心的かつ包括的な資料となるのが、2020年に風媒社から出版された書籍『なごやボランティア物語』(なごやのボランティア史編纂委員会編著)である。
この書籍は、「制度ができるから社会が変わる」という受動的な歴史観を退け、「制度を作らせ、動かし、つなげてきた」市民自身の主体的な歩みに焦点を当てている。
本書の最大の特徴は、社会の困難に対して「何とかしたい」と立ち上がった25の市民団体に対する網羅的な取材に基づき、活動を牽引した「人」の物語として名古屋の歴史を再構築している点にある。
約4年の歳月をかけて編纂プロジェクトが進められ、戦後から現代に至るまでの歴史的変遷が3つの時代区分に整理されている。
| 時代区分 | 期間 | 主要なテーマと収録団体の事例(『なごやボランティア物語』より) |
|---|---|---|
| 第1部 前史 | 戦後〜1980年 |
ボランティアのはじまり。おしめ洗濯を通じた高齢者福祉(名古屋キリスト教社会館/谷口仁美)、重度障害者の地域生活支援(AJU自立の家/山田昭義)、精神障害分野における社会との接点構築(東山荘/長谷川勝巳)、聴覚障害者支援と要約筆記の誕生(要約筆記サークル連絡会/川口茂子)など。 |
| 第2部 胎動期 | 1981年〜1994年 |
市民社会とボランティアの成熟。持続可能な有償サービスの確立(地域福祉をすすめる会/柴田多佳子)、精神障害者による名古屋初の共同作業所の設立(きまぐれ/原田和義)、難病児キャンプの展開(佐藤和子)、DV・女性支援組織の自立(ウィメンズサポート/杉原美代子)など。 |
| 第3部 展開期 | 1995年〜2016年 |
災害救援と市民活動の広がり。阪神・淡路大震災を契機とする防災ネットワークの構築、子どもへの暴力防止と行政とのパートナーシップ(CAPNA/萬屋貴子)、情報誌による20年のコーディネート(市民活動支援情報誌/奥田みゆき)、重度障害者への24時間365日支援(コンビニハウス/安井勇一郎)など。 |
この書籍は、単なる美談の集積ではなく、福祉、教育、人権、防災といった多様な領域において、市民活動が公的な社会保障制度の不備を補い、やがて新たな制度の創設を牽引していくメカニズムを実証する学術的価値も有している。
加えて、市民活動の精神的基盤や地域コミュニティの歴史的文脈を記録する動きは他分野でも進行している。
例えば、創業140年を迎えた中日新聞社による記念事業として、社会学者・岸政彦の監修のもと、名古屋に暮らす100人の多様な人々の語りを記録した『名古屋の生活史』(2027年夏出版予定)のプロジェクトが始動している。
また、NPO法人一新塾からは、市民が主体的に社会課題に取り組む「根っこ力」の醸成や、サラリーマンから市民活動家への転身を記録した書籍群が発行されており、市民意識の成熟過程を個人のキャリア転換の視点から裏付けている。
さらに、有斐閣から出版されている『NPO支援組織の生成と発展』(吉田忠彦著)のような、NPO中間支援組織の軌跡を学術的に分析した専門書や、NPO法人名古屋レール・アーカイブスが紹介する近鉄創世期の歴史小説『東への鉄路』など、名古屋の都市発展と市民の関わりを多角的に検証する文献が存在している。
草の根の萌芽期:制度なき時代における当事者と支援者の実践(戦後〜1970年代)
名古屋における市民活動の源流は、公的な福祉制度が決定的に不足していた戦後復興期から高度経済成長期にかけて、社会的周縁に置かれた人々の生存と尊厳を守るために開始された自発的な実践に見出すことができる。
とりわけ先駆的であったのが、障害児の保育および教育分野である。
日本政府(厚生省)が国として障害児保育の実施に踏み切る通達を出したのは1974年のことであるが、名古屋市における実践の歴史はそれよりも四半世紀早く始まっていた。
1949年、戦前の愛育研究所特別保育室を前身とする「私立愛育養護学校」において、児童心理学者の津守真らが中心となり、民間による障害児保育が開始された。
翌1950年には専用の建物が建設されるなど、公的支援が皆無に等しい時代において、民間資源の結集によって支援拠点が開拓されていった。
| 発展段階 | 時期 | 名古屋市における障害児保育の制度的発展過程 |
|---|---|---|
| 第1期 | 1971年〜1973年 |
萌芽期。公的制度(児童福祉審議会答申)以前に、障害児をもつ親たちが自ら保育所や幼稚園を訪ね歩き、民間保育所が自主的に受け入れを模索し始めた時期。 |
| 第2期 | 1974年〜1976年 |
制度化の兆し。民間保育所で障害児保育指定園が制度化された時期。 |
| 第3期 | 1977年〜1988年 |
公立保育所での開始。1977年の「名古屋市における障害児保育のあり方について」という先進的答申を受け、公立保育所での障害児保育が開始され、指導委員会が設置された。 |
| 第4期〜第6期 | 1989年以降 |
認定基準の見直し、1997年児童福祉法改正に伴う職員体制の強化、そして2005年の人権保育指針制定に伴う統合保育の定着期へと進展。 |
また、1968年には後の「名古屋LD(学習障害)」へと繋がる学習塾が開講し、精神科医の杉山登志郎らとの連携を通じて、当時まだ社会的な認知が極めて低かった発達障害や学習障害に対する専門的な療育が開始されている。
同時期には、朝日新聞名古屋厚生文化事業団内に組織が設立され(1955年)、1972年には不登校児を対象とした「仲間キャンプ」、翌1973年には障害児と健常児が共に自然の中で過ごす「合同キャンプ」が開始されるなど、インクルーシブ教育の理念が実践を通じて醸成されていった。
これらの活動に共通する構造的特質は、行政が制度を用意するのを待つのではなく、市民が自ら課題を発見し、私財や労働力を投じてプロトタイプ(原型)を作り上げた点にある。
こうした実践の蓄積が決定的なエビデンスとなり、後の1977年の名古屋市児童福祉審議会による先進的答申を引き出し、公立施設における統合保育の開始へと繋がったのである。
胎動からネットワーク化へ:市民セクターの形成と概念の輸入(1980年代〜1990年代前半)
1980年代から1990年代初頭にかけて、名古屋の市民活動は「単発のボランティア」から、「継続的な事業性を持った組織体」へとパラダイムシフトを遂げる。
この時期の重要な変化は、福祉の対象者が単なる「保護される客体」から、地域社会で共に生きる「主体」へと再定義されたことである。
その象徴的な事例が、障害者の自立と就労を支援する「わっぱの会」の歩みである。
同会は1990年に名古屋市北区に共同アパートを開所し、障害者の家事や外出を介助する独自の「生活援助ネットワーク」を開始した。
1994年にはその取り組みが評価され名古屋市弁護士会人権賞を受賞している。
さらに1996年には洋菓子製造を開始し、1999年にはペットボトルや牛乳パックのリサイクル中間処理を行う「名古屋市西資源センター」を開所するなど、障害者が労働を通じて経済的価値を生み出し、環境保全という別の社会課題の解決にも貢献する、高度な社会的企業(ソーシャル・エンタープライズ)のモデルを確立していった。
一方、この時期の名古屋では、のちのNPO法人制度の成立に向けた決定的な思想的土壌が形成されていた。
1992年、アメリカの「バディーズ・プログラム」を参考に、東海地域の市民活動団体、行政、民間企業の有志が集まり、「ネットワーク・ピープルズ・プログラム(通称:ネットPP)」という異業種交流および学習ネットワークが結成された。
ネットPPは、「現状の社会に何かおかしさを感じる、変えたい」と考える多様な市民が出会うプラットフォームとして機能した。
特筆すべきは、ネットPPが極めて早い段階から海外の非営利組織の動向に注目していた点である。
1993年には「アメリカNPOについて」の本格的な学習会を開始し、1994年10月にはアメリカから専門家のデボラ・カプランを招いて「NPOフォーラム」を開催した。
当時、日本社会において「NPO」という言葉は一部の研究者を除いてほとんど知られていなかったが、名古屋の市民セクターはいち早くこの概念を輸入・受容し、市民活動を「慈善事業」から「行政・企業と対等なパートナーシップ(協働)を担う社会的セクター」へと再構築しようとする知的運動を展開していたのである。
制度化と中間支援の高度化:NPO法の施行と「公設民営」の模索(1995年〜2000年代)
1995年は、阪神・淡路大震災を契機としてボランティアの社会的価値が劇的に高まった「ボランティア元年」として知られる。
名古屋においても、震災直後の1995年3月に「市民活動の発展を考える討論会」が開催され、これを母体として東海地域を中心とする民間NPO支援組織「市民フォーラム21・NPOセンター」が発足した。
この時期から、市民活動団体を横断的にサポートする「中間支援組織」の重要性が広く認識されるようになる。
また同年には、日本で3番目となる子ども虐待防止の民間団体「CAPNA(子どもの虐待防止ネットワーク・あいち)」が設立されている。
同団体は、行政の児童相談所とは異なる民間の立場から、年間500件の電話相談と1,000件のメール相談に専門の相談員が対応し、相談者に寄り添った支援体制を確立した。
これは、市民活動が専門的なソーシャルワークの領域へと深く踏み込んだ画期的な事例である。
1998年12月に特定非営利活動促進法(NPO法)が施行されると、法人格の取得に向けた実務的な支援への需要が急増した。
これに応える形で、ネットPPの約10年間にわたる活動の蓄積を基盤として、2001年4月に「特定非営利活動法人ボランタリーネイバーズ」が設立され、同年6月に愛知県知事からNPO法人として認証された。
同法人は、「まちづくりとNPOのサポートセンター」を理念に掲げ、情報提供、相談、人材育成、調査研究・政策提言、交流ネットワーク形成、実践支援の「6つの基本事業」を展開し、協働とコミュニケーションをキーワードに市民力のエンパワーメントを牽引した。
中間支援組織の成熟は、名古屋市における公的な市民活動拠点の運営形態にも劇的な変化をもたらした。
| 年月 | なごやボランティア・NPOセンター(現・名古屋市市民活動推進センター)の変遷 |
|---|---|
| 1995年11月 |
名古屋市直営の「名古屋市ボランティア情報センター」として開設。 |
| 2004年8月 |
指定管理者制度の導入。「ボラみみより情報局」「ボランタリーネイバーズ」「名古屋NGOセンター」の地域3NPOによる共同事業体(コンソーシアム)が運営を受託し、公設民営化が実現。 |
| 2008年4月 |
指定管理者の交代。東京に所在する非営利の全国組織へと運営主体が移行。 |
| 2012年4月 |
NPO法改正に伴い、名称を「名古屋市市民活動推進センター」と改め、再び名古屋市直営へと回帰。 |
2004年のコンソーシアムによる運営受託は、行政の枠組みを超えて、市民セクター自身が市民の活動拠点をデザインするという画期的な試みであった。
受託団体は、単に情報を提供するだけでなく、施設を誰もが気軽に立ち寄れる「ボランティアのたまり場(サロン的空間)」へと再編し、市民同士の相互のつながりから新たな活動が生まれるエコシステムの構築を目指した。
その後の2012年における名古屋市直営への回帰は、公共施設としての安定性と民間としての柔軟性の最適なバランスを模索する行政の試行錯誤の表れであるが、直営化後も名古屋市はボランタリーネイバーズなどのNPOと共同事業体を組み、「NPOアドバイザー事業」を委託するなど、強固な官民パートナーシップは維持されている。
国際的メガイベントの触媒効果:愛知万博とCOP10がもたらしたパラダイムシフト(2000年代中盤〜2010年代)
2000年代半ばから2010年代にかけて、愛知県および名古屋市の市民社会は、二つの巨大な国際的イベントを通じて、その活動の射程を地域(ローカル)から地球環境(グローバル)へと飛躍的に拡張させた。
第一の転換点は、2005年に開催された「愛・地球博(2005年日本国際博覧会)」である。
当初、博覧会は瀬戸市の「海上の森」を開発する計画であったが、環境保全を訴える市民グループや専門家を交えた検討会議での激しい議論と住民意見の反映を経て、メイン会場を既存の愛知青少年公園(現・愛・地球博記念公園)に変更するという劇的な計画見直しが行われた。このプロセス自体が、行政や開発主体と市民との「対立」から「対話と協働」への移行を象徴している。
愛知万博では、万博史上初めて本格的な「市民参加」が展開された。会場内に設置された「地球市民村」事業では、国内のNPO/NGO(30団体)がホストとなり、海外のNPO/NGO(48団体)と協働して、「自然・環境」「人権擁護」「国際協力」といった持続可能性に関するプログラムを1ヶ月単位で自主的に展開した。
この経験は、地元NPOの国際的ネットワークの構築とプロジェクトマネジメント能力の向上に絶大な効果をもたらした。
さらに、万博を通じた環境意識の啓発は、具体的な市民運動へと波及した。
代表的なものが「ゴミの削減」運動であり、名古屋市で大々的に展開された「レジ袋有料化」である。
産官学市民協働で組成された「容器・包装3R推進協議会」が中心となり、ワンガリ・マータイ女史が提唱した「もったいない(Mottainai=3R+Respect)」の精神を背景に、消費者の行動様式と小売業の社会システムを根本から変革することに成功した。
また、万博期間中に活躍した約3万人の市民ボランティアの理念とノウハウを継承するため、2006年にNPO法人が設立され、その後の「マラソンフェスティバル ナゴヤ・愛知(2012年〜2020年)」や各種国際会議でのボランティア運営を支える巨大な市民プラットフォームへと成長している。
第二の転換点は、2010年に名古屋国際会議場で開催された「COP10(生物多様性条約第10回締約国会議)」である。
2006年に名古屋市、愛知県、商工会議所などが一体となって国に誘致を要望し実現したこの会議には、179の締約国から1万3,000人以上が参加した。議長国としての粘り強い交渉の末、遺伝資源へのアクセスと利益配分に関する「名古屋議定書」と、ポスト2010年の新戦略計画である「愛知目標」が採択された。
併設された「生物多様性交流フェア」には11万8千人を超える市民が来場し、生物多様性という難解なグローバル課題が、地元市民にとっての「ジブンゴト」として定着する歴史的契機となった。
| 国際イベント | 開催年 | 市民活動・NPOへの主要な影響と波及効果 |
|---|---|---|
| 愛・地球博 | 2005年 |
開発計画の市民参加による見直し。「地球市民村」における国内外NPOの協働事業。3万人規模の市民ボランティアの組織化とレジ袋有料化など環境運動の制度化。 |
| COP10 | 2010年 |
「名古屋議定書」「愛知目標」の採択。11万8千人を動員した交流フェア等を通じ、環境保全・生物多様性への市民的関心とNPO参画の裾野が飛躍的に拡大。 |
現代における分野の細分化と専門性の高度化(2010年代〜現在)
メガイベントを経た2010年代以降、名古屋のNPOは特定の社会課題に対してよりミクロかつ専門的にアプローチするフェーズへと進化している。
福祉や教育の領域では、既存の枠組みでは対応困難な「制度の隙間」を埋める高度な実践が展開されている。
例えば、発達障害児への支援において、平成21年(2009年)に設立された「NPO法人成長・発達サポートあいち」は、当初は0歳児から未就学児を対象とした親子あそび講座などを通じて育児不安の軽減を目指していた。
しかし、メディア等で発達障害がクローズアップされるにつれ、「わが子は発達障害ではないか」という深刻な相談が急増した。
この切実なニーズに応えるため、同団体は臨床心理士、保育士、社会福祉士といった専門職で構成される発達支援部を創設した。
さらに、直接的な療育の場と継続的な母子支援環境を整備するため、児童福祉法に基づく専門機関として平成29年(2017年)に「NPO法人発達サポートNAGOYA」を新たに誕生させている。
同様に、聴覚障害児支援の分野では、「NPO法人つくし」が運営する「つくしっこ」が、名古屋市内で最も歴史の古い聴覚障害専門の放課後等デイサービスとして、2002年の認可前(親の会時代)から千種聾学校や名古屋盲学校の重複障害児童に対して独自の居場所を提供し続けている。
国の制度変更を全て経験しながらも、定員10名という小規模かつ高密度な運営を維持している点は、市民活動が持つ卓越した持続力を示している。
文化・アーカイブ領域における専門化も見逃せない。
設立20周年を迎えた「NPO法人名古屋レール・アーカイブス」は、愛知・名古屋を中心とする鉄道資料の収集・保存・活用を目的とし、貴重な歴史的地図から市域の拡大と公共交通の整備の歴史を紐解く資料展を開催するなど、地域の歴史遺産の学術的保存において行政の博物館に匹敵する役割を担っている。
また、行政側の姿勢も「管理」から「協働」へと不可逆的な変化を遂げている。
名古屋市の東山総合公園では、1990年代の終わり頃までは公園管理者と地元の自然保護活動グループとの間に対立関係が見られた。
しかし、2001年以降、行政担当者が「平和公園愛護会」などの市民グループに呼びかけ、共に現地を歩いて課題を共有する定例会を開始したことで、対話に基づく真の協働体制が構築された。
これは、かつての「行政への要求」型から、「課題解決の共同設計(コ・デザイン)」型へと市民活動が成熟したことを示す好例である。
統計データが示す市民社会の現状と課題
こうした質的な進化を背景に、NPOセクター全体の量的・構造的な動向を示すマクロデータを確認する。
愛知県におけるNPO法人の認証数は、2001年度の157法人から順調に増加し、2018年度に2,010法人というピークを迎えた。
一方、名古屋市内に主たる事務所を有するNPO法人数は、令和2(2020)年度時点で933法人となっており、新規認証数は平成25(2013)年度の69法人を頂点として減少傾向にあり、総数としても近年は横ばいから微減の推移を示している。
名古屋市・区の社会福祉協議会等への登録団体数を合わせても、平成28(2016)年度をピークに概ね3,500前後の団体数で安定している状況にある。
また、人口1万人当たりのNPO法人数を全国の20政令指定都市と比較すると、名古屋市は11位に位置しており、際立って多いわけではない。
このデータが示唆する事実は、「法人の新規設立」という拡大期が終焉を迎え、既存のNPOが合併や法人格の変更(一般社団法人等への移行)を含め、社会課題により実効的に対応するための「構造的再編期」に入ったということである。
名古屋市はこうした社会状況の変化を踏まえ、「名古屋市市民活動促進基本方針」を改訂している。
少子高齢化のさらなる進展、南海トラフ巨大地震や頻発する豪雨災害への備え、そして新型コロナウイルス感染症(COVID-19)拡大によって顕在化した社会的孤立など、市を取り巻く課題はかつてなく多様化・複雑化している。
行政単独での解決が限界を迎える中、同方針では、市民一人ひとりが社会課題を「ジブンゴト」として捉えることの重要性を訴えるとともに、市民、企業、市民活動団体の多様な連携から生まれる相乗効果や「新たな価値の創出」を目指すことが明記された。
もはや市民活動は、社会の周縁部における補完的機能ではなく、都市のレジリエンス(回復力)と持続可能性を担保するための中心的な社会システム(インフラストラクチャー)として位置づけられている。
結論
以上の各種公開資料および歴史的文献の検証から、名古屋における市民活動およびNPOの発達史は、単なるボランティアの集積ではなく、社会構造の変革を市民の側から主導してきたダイナミックな歴史的プロセスであることが明らかとなった。
戦後復興期から高度経済成長期にかけての制度的空白期において、障害児保育や高齢者福祉の現場で立ち上がった当事者と支援者の草の根の実践は、後に名古屋市の公的制度を牽引する強力なプロトタイプとなった。1990年代に入ると、アメリカからの最新のNPO概念がいち早く輸入され、ネットPPのような異業種ネットワークを通じて、市民と行政・企業が対等なパートナーシップを結ぶための思想的基盤が構築された。
そしてNPO法の施行に伴い、ボランタリーネイバーズなどに代表される中間支援組織が急速に発達し、公的施設の「公設民営化」の実験を通じて、市民活動を後方支援する強靭なエコシステムが整備された。
さらに、2005年の愛知万博と2010年のCOP10という国際的メガイベントは、名古屋の市民活動をローカルな福祉実践からグローバルな環境・持続可能性の課題へと接続する決定的な触媒として機能した。
現在、NPO法人の量的拡大は安定期に入っているが、それは衰退ではなく、発達障害児への高度な療育や、歴史的アーカイブの構築、さらには行政との対等なコ・デザイン(共同設計)へと、活動の質が極めて高度に専門化していることの証左である。
『なごやボランティア物語』に刻まれた「何とかしたい」という個人の切実な志は、長い淘汰の歴史を経て、現在では名古屋という都市が直面する複雑な社会的課題を解決するための不可欠な「協働のインフラ」へと結実している。
名古屋の市民活動の歩みは、新たな制度や社会の変革が、常に現場で活動する名もなき市民の対話と実践から生まれるという普遍的な真理を、我々に強く提示しているのである。