「まちづくりは、会社の経営ではない」——。財政難や施設の老朽化に直面する弥富市では今、新自由主義的なコストカットの嵐が吹き荒れています。地域のために汗をかく区長や自治会長の役割にまで「時給」のロジックが持ち込まれ、あろうことか、子どもの命を守る学校の立地や公的保育の質までもが「安さ」と「早さ」の犠牲になろうとしています。私たちが先人から受け継いだこの豊かな地域社会を、経済の論理だけで売り飛ばしてよいのでしょうか。今、弥富市に最も必要なのは、目先の損得ではなく、より良い未来を次世代へ手渡す「恩送り」の覚悟です。市民の声を置き去りにする市政の現状を検証し、失われつつある「地方自治の魂」の再生を提言します。
弥富市の政策決定に欠けているもの——「時給換算」の落とし穴と「恩送り」の精神
弥富市のさまざまな政策を見直すとき、いわゆる「新自由主義的」な、コストや効率、採算性といった要素だけで判断してしまっては、地方自治は間違いなく立ち行かなくなる。私はそう確信しています。
この問題を考える上で、象徴的なエピソードがあります。
区長・自治会長の役割は「労働」か?
ある自治会長(区長)が、自身の活動手当についてこんな不満を漏らしていました。
「区長としての実働時間でこの手当を割り戻すと、時給何百円にしかならない。最低賃金にも満たない」と。
弥富市の場合、区長は「市役所からの連絡調整役」として市から手当を受け取り、同時に「地域のまとめ役」として自治会からも手当を受け取る二重構造になっています。
しかし、この「時給換算して最低賃金以下だ」という不満は、そもそも役割の本質をはき違えています。
区長は、労働市場から雇用された「労働者」ではありません。
したがって最低賃金という概念は当てはまりません。
では、対価を得る「経営者」でしょうか。
もし経営者だとするなら、投じられた予算に対して「どのような新しい価値を創造したのか」が問われます。
株式会社であれば、価値を創造できず赤字になれば報酬はゼロです。
しかし、自治会は営利を追求する団体ではないため、この「価値創造による利益」という尺度で測ることもまた不可能です。
労働者でもなく、営利企業の経営者でもない。では、地域のために汗をかく彼らの原動力は一体どこにあるべきなのでしょうか。
「利他」と「恩送り」の精神
あれこれと思考を巡らす中で行き着いたのが、「利他の精神」です。
昔から「情けは人の為ならず(人に親切にすれば、巡り巡って自分に返ってくる)」と言われます。
しかし、最初から「見返り(リターン)」を期待して行動してしまった時点で、それはすでに純粋な「利他」ではありません。
ここで重要になるのが「恩送り(おんおくり)」という考え方です。
私たちが今、当たり前のように享受している地域のつながりやインフラ、文化は、親や祖父母、あるいはもっと昔の先人たち、恩師や先輩から受け取った「恩」の結晶です。
その受けた恩は、上の世代に直接返すことはできません。
だからこそ、下の世代、あるいは別の誰かへと「送る」しかないのです。
この「恩送り」こそが、見返りを求めない真の「利他の精神」であり、地域をまとめ、自治を担う人たちの根底にあるべき美学ではないでしょうか。
弥富市政に問う「恩送り」の欠如
翻って、現在の弥富市の市政はどうでしょうか。
市長、副市長、そして市役所の職員たちを見ていると、非常に残念に思うことがあります。
彼らの日々の業務や政策決定のなかに、この「利他の精神」や「恩送り」の覚悟が果たしてあるのでしょうか。
例えば、現在進められている小・中学校の統廃合や、公立保育所の民営化、各種公共施設の再編といった議論が良い例です。
市は「利用者の減少」や「維持費の削減」「財政負担の軽減」といったコストや効率性ばかりを前面に押し出して、これらの決定を強行しようとしています。
しかし、そこには学校や保育所、公共施設が長年担ってきた「地域の繋がり」や、先人たちが苦労して築き上げた「子育て・福祉環境」に対する敬意、そしてそれを次世代へどう引き継ぐかという視点がすっぽりと抜け落ちています。
単なる新自由主義的な採算性のロジックだけで、市民の拠点を切り捨ててしまっているのです。
もし、市政のトップや職員たちに「先人から受け継いだこの街を、次の世代へより良くして渡そう」という真の利他の精神があれば、現在の事案の調査・検討・決定プロセスにおいて、今のように市民の声を置き去りにした酷い結果にはなっていないはずです。
目先の損得や、効率化という名の切り捨てだけで物事を判断するのではなく、世代を超えて地域を支える「恩送り」の視点を持つこと。
それこそが、今の弥富市に最も欠けており、かつ最も必要とされている姿勢だと私は考えます。
【市民向け要約】「コスパ」ばかりで大丈夫?弥富市の政策に見える「恩送り」の忘れもの
今の弥富市は、深刻な財政難や施設の老朽化という大きな壁にぶつかっています。その結果、市は「コスト削減」や「効率化」を最優先するようになりました。
しかし、まちづくりは会社の経営とは違います。目先のコストカットばかりに気を取られ、親から子へ、そして次の世代へと良いものをバトンタッチしていく「恩送り(おんおくり)」の精神を忘れてしまっていませんか?
現在、弥富市で起きている3つの気がかりな政策から、私たちのまちの「いま」と「これから」をひも解きます。
1. 地域活動は「時給」で測れるの?(区長・自治会長のモヤモヤ)
区長さんや自治会長さんたちは、日々地域のために汗を流しています。最近、この活動に対して「時給換算すると最低賃金以下だ」という不満の声が上がっています。
しかし、これは「お金が少ないからダメ」という単純な話ではありません。本来、地域のつながりや助け合いは、損得ではなく「自分たちが受けた恩を、次の世代へ送る(恩送り)」というボランティア精神で成り立っています。行政が地域の働きを「安上がりな労働力」のように扱ってしまっていることが、根本的なすれ違いを生んでいます。
2. 子どもの安全より「安さ」と「早さ」?(よつば小学校 新設問題)
令和10年に開校予定の「よつば小学校」の場所をめぐり、市と市民・議会が激しく対立しました。
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市民・議会の願い: 安全な「十四山中学校跡地(高台)」に新しく建ててほしい!
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市の決定: 「十四山西部小学校(海抜マイナス1.9m)」を増改築する。理由は「安い・早い」から。
伊勢湾台風の教訓を持つ海抜ゼロメートル地帯の弥富市において、子どもたちが毎日通う学校は一番の命の砦です。市民が求めた安全な中学校跡地には「硬式野球場」を作る案が浮上しており、「未来の子どもたちへの恩送り(安全な環境の提供)」よりも、目先のスケジュールやコストを優先する市の姿勢に疑問の声が殺到しています。
3. 「無償譲渡」と「質」の低下リスク(公立保育所の民営化)
少子化を背景に、市は人気の高い「ひので保育所」や「弥生保育所」を民間へ引き継ぐ計画を進めています(ひのでは移管済)。ここでも「コスト削減」が強調されていますが、中身を見ると不安が残ります。
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約4億円で建てた施設を「タダ」で譲渡: まだまだ使える市民の財産(建物)を、民間業者に無償でプレゼントしてしまっています。
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削られるのは「保育の質」?: 市は「年間3,600万円削減できる」としていますが、このお金は決して無駄遣いではなく、手厚い保育士の配置や、手作りの温かい給食など、「良質な子育て環境」を守るための大切な投資でした。これを削ることは、公的なセーフティネットの放棄につながりかねません。
💡 弥富市の「お財布事情」の本当のところ
なぜ市はここまで焦ってコストを削るのでしょうか? データを見ると、弥富市の苦しい実態が浮かび上がります。
| 財政のチェックポイント | 弥富市の現状 | これが意味すること |
| 経常収支比率 | 94.4% | 税収のほとんどが「固定費(借金返済や高齢者医療など)」に消え、新しいことに使えるお金がほぼゼロ(危険水域)。 |
| 将来負担比率 | 95.4% | 将来世代が背負う借金が非常に重い状態。 |
| 下水道などの老朽化 | 積立金ゼロ | 巨額のインフラ更新費用が必要なのに、将来に向けた貯金ができていない。 |
市が「お金がない」のは事実です。しかし、将来にツケ(借金やインフラの未整備)を残しておきながら、未来への一番の投資である「子ども・教育・福祉」を真っ先にコストカットの対象にしていることは、大きな矛盾を抱えています。
🗣️ これからの弥富市をどう守るか?(3つの提言)
お金がないからこそ、限られた予算を「未来への投資」に集中させる必要があります。
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「対話」を取り戻す
行政が結論ありきで進めるのではなく、学校の場所や跡地の使い方について、市民としっかり話し合う場(熟議)を作り直すこと。
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教育や福祉は「無駄」ではなく「投資」
保育所の給食や安全な校舎にかかるお金は、削るべきコストではなく、次世代の命を守るための「必要な投資」だと考えを改めること。
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「恩送り」の心でまちをつくる
今の豊かなまちは、先人たちが苦労して残してくれたものです。そのバトンを経済のロジックだけで売り飛ばすのではなく、「より良い形で次の世代へ送る」という覚悟を、市と市民が一緒に持つことが求められています。
弥富市の政策決定プロセスにおける「恩送り」の欠如と地方自治の再構築に関する実証的考察
1. 序論:新自由主義的公共経営の限界と地方自治の哲学的基盤
現代の日本の地方自治体は、人口減少、少子高齢化、そして高度経済成長期に集中的に整備された公共インフラの一斉老朽化という、かつてない複合的な危機に直面している。
このような構造的かつ不可逆的な財政的制約の下、多くの自治体は「新公共管理(New Public Management: NPM)」の手法を導入し、政策決定の基準をコスト削減、効率化、採算性といった市場原理のロジックに強く依存するようになった。
愛知県弥富市もその例外ではなく、公共施設の統廃合や行政サービスの民間移管が急速に進められている。
しかし、地方自治の本質は、単なる行政サービスの効率的な提供機構(サービス・プロバイダー)にとどまるものではない。
地域社会を構成する社会的共通資本(Social Common Capital)や、住民間の互酬性に基づく社会関係資本(Social Capital)を維持し、次世代へと継承していくための共同体としての機能こそが、その核心にある。
弥富市のさまざまな政策を見直すとき、いわゆる「新自由主義的」な要素だけで判断してしまっては、地方自治は間違いなく立ち行かなくなるという強い懸念が、市民や議会から提示されている。
本稿では、弥富市における近年の主要な政策決定事案、具体的には地域リーダー(区長)の処遇、小中学校の統廃合、公立保育所の民営化、および公共施設再配置計画などを対象に、同市の行政運営に顕在化している市場原理主義的な陥穽を実証的に検証する。
特に、地域活動の価値を「時給換算」してしまうような誤謬と、先人から受け継いだ有形無形の資産を次世代へと引き継ぐ「恩送り(Pay it forward)」という世代間倫理の欠如に焦点を当て、地方自治が本来依拠すべき価値観の再生について包括的な考察を行う。
2. 地域リーダーの役割規定:「時給換算」の陥穽と社会関係資本の喪失
地方自治を根底で支えているのは、町内会や自治会といった地縁組織であり、そこで日々地域のために汗をかく区長や自治会長といった地域リーダーたちである。
しかし、彼らの活動に対する認識において、市場経済的な「労働」や「経営」の尺度を安易に持ち込むことの危うさが、現在の行政と市民の間に横たわる認識の齟齬を象徴している。
2.1. 弥富市における区長制度の構造と「時給」という錯覚
弥富市において、区長および区長補助員は、関係地区の推薦により市長から委嘱される特別な役職である。
その職務は、関係区長補助員の統括、地区住民の意見の市への連絡、市政に関する事項の地区住民への周知、さらには市が依頼する回覧文書等の配布など、多岐にわたる連絡調整事務を含んでいる。
この職務に対し、市からは区長補助員への均等割分として5万円、さらに住民基本台帳の登録者数から算出される世帯割分として1世帯あたり500円の報償費・手当が支給される仕組みとなっている。
こうした体制の中で、一部の区長や自治会長から「区長としての実働時間でこの手当を割り戻すと、時給何百円にしかならない。最低賃金にも満たない」という不満が漏出している事実がある。
愛知県の最低賃金は令和7年(2025年)10月より時間額1,140円に引き上げられており、膨大かつ複雑化する地域課題に対処する彼らの精神的・肉体的な負担感からすれば、この不満は直感的には極めて理解し得るものである。
2.2. 「労働・経営」パラダイムの誤謬と「恩送り」のメカニズム
しかしながら、この「時給換算して最低賃金以下だ」という不満、あるいはそのような尺度で地域活動を評価しようとする社会的風潮は、自治会長や区長の役割の本質的なカテゴリーエラー(範疇の錯誤)に起因している。
彼らは労働市場から雇用され、対価を目的として労務を提供する「労働者」ではない。したがって、労働基準法に基づく最低賃金という概念を適用すること自体が論理的に破綻している。
では、対価を得る「経営者」であろうか。
もし経営者だとするなら、投じられた予算に対してどのような新しい経済的価値を創造したのかが問われることになる。
株式会社であれば、価値を創造できず赤字になれば報酬はゼロとなるが、自治会は営利を追求する団体ではないため、この「価値創造による利益」という市場の尺度で測ることもまた不可能である。
労働者でもなく、営利企業の経営者でもない彼らを突き動かす原動力は一体どこにあるべきか。
その答えこそが「利他の精神」であり、より精緻に言えば「恩送り」のメカニズムである。
昔から「情けは人の為ならず」と言われるが、最初からリターンを期待して行動した時点で、それは純粋な利他ではなく市場的交換行為に堕落する。
私たちが今、当たり前のように享受している地域のつながり、防災インフラ、伝統文化は、親や祖父母、あるいはさらに昔の先人たちから受け取った「恩」の結晶である。
この受けた恩は、すでに世を去った上の世代へ直接返すことはできない。
だからこそ、水平的な連帯(同世代の地域住民)や垂直的な連帯(次の世代)へと「送る」ことによってのみ、地域の共同体は歴史的な連続性を維持できる。
この見返りを求めない「恩送り」こそが、地域をまとめ、自治を担う人たちの根底にあるべき美学である。
しかし、この精神的支柱が、市民だけでなく当の行政機関の政策決定プロセスにおいて著しく欠如している実態が、以下の主要政策から浮き彫りとなる。
3. 弥富市における政策決定の実態と「恩送り」の欠如
行政の政策決定に「恩送り」の視点、すなわち「先人から受け継いだ地域資産に敬意を払い、より良い形で次世代に引き継ぐ」という世代間倫理が欠如している実態を、現在進行中の3つの主要政策から実証的に検証する。
3.1. 小中学校統廃合における効率性と安全性の相克(よつば小学校新設問題)
弥富市は、児童数の減少とそれに伴う複式学級発生の懸念を背景に、大藤、栄南、十四山東部、十四山西部の4小学校を統合し、令和10年(2028年)4月に新たな統合校「よつば小学校」を開校する再編整備計画を進めている。
また、これに伴い十四山中学校は令和7年(2025年)4月に弥富中学校へ編入されることが決定している。
この再編計画自体は、多様な価値観を持った子どもたちが協働的な学びを実現するための適正な集団規模を確保するという教育的観点から正当化されている。
しかし、この新設統合校の「設置場所」をめぐり、行政と市民・市議会との間で修復困難な激しい対立が生じた。
| 比較検討項目 | 行政の決定案:十四山西部小学校(既存施設の改修・増築) | 市民・議会の対案:十四山中学校跡地(更地からの新設) |
|---|---|---|
| 防災・安全性(水害リスク) |
敷地が海抜マイナス1.9メートルの地帯にあり、伊勢湾台風級の災害時には2階まで浸水するリスクが指摘されている。 |
高台設計が容易な地形であり、水害に強く、最新の安全基準を満たした堅牢な校舎を建設することが可能である。 |
| 敷地の余裕とインフラ制約 |
敷地が極めて狭隘であり、導入が決定しているスクールバスの取り回しや保護者用駐車場の確保に大きな物理的制約がある。 |
敷地が広大であり、バスの待機スペースや保護者用駐車場にもゆとりを持って安全に対応可能である。 |
| コスト・工期と学習環境 |
既存校舎の改修と新築を組み合わせるため、行政側は「安い・早い」と主張するが、既存棟と増築棟の移動距離が長くなる。 |
更地での新築に近いため工期遅延リスクが低く、自由な設計が可能で魅力的な学習環境をつくることができる。将来的な維持費を含めれば結果的に経済的であると専門家は指摘する。 |
この対立において、市議会は全会一致で「十四山中学校跡地への新設を求める決議」を可決し、市に対する重大な政治的意思表明を行った。
さらに、子どもの命と安全を願う母親たちを中心とする市民からも、中学校跡地への新築を求める請願が提出された。
しかし、市長および行政側は、「費用の増大」や「開校時期が間に合わない」といった手続き的・短期的な効率性を最大の理由として、これらの対案を強硬に退けた。
市側は、19億3,000万円(税抜き)という巨額の落札決定金額で大栄・弥富特定建設工事共同企業体(JV)に工事を発注し、既存校舎の長寿命化改良と増築による計画を推し進めている。
さらに、市民が安全な学校用地として求めた十四山中学校跡地については、「硬式野球場」を整備する方針案が浮上しており、市民からは「財政危機の下での硬式野球場計画は背信行為であり、防災を軽視している」との批判が殺到している。
この一連の意思決定プロセスは、「恩送り」の視点の欠如を象徴している。
学校とは、地域コミュニティの中心であり、次世代の命を育む最も重要な社会インフラである。
高潮災害や伊勢湾台風の甚大な被害という歴史的教訓を持つ海抜ゼロメートル地帯の弥富市において、次世代の子どもたちに対して「より安全で豊かな教育環境」を引き継ごうとする市民の切実な願いを、目先のコストや「計画ありき」のスケジュールで切り捨てた行政の姿勢には、歴史への敬意や未来への責任感が決定的に欠落している。
3.2. 公立保育所の民営化と公的セーフティネットの縮小
第二の事例は、公立保育所の民営化である。弥富市の0歳から5歳の児童人口は、平成28年度(2016年度)の2,247人から令和3年度(2021年度)には1,948人へと急激に減少しており、将来推計でもこの減少傾向は続くとされている。
この少子化と定員の余裕を背景に、市は市内9カ所の公立保育所のうち、最も利用者が多く人気のある「ひので保育所」(令和7年度移管済)と「弥生保育所」(令和10年度移管予定)を、社会福祉法人や学校法人へ移管(民設民営)する計画を進めている。
この民営化プロセスにおいても、新自由主義的な採算性ロジックの優先と、公共性の放棄が色濃く表れている。
3.2.1. 公的資産の無償譲渡という不可解な論理
第一の問題は、公的資産の無償譲渡である。令和7年(2025年)4月に「ひのではばたきこども園」として民営化された旧ひので保育所は、約4億円もの公費を投じて建設された新しい施設であり(2004年建設、計画立案時で築17年)、資産価値が十分に存置されていた。
しかし、市は基本方針に基づき、土地を有償で貸与する一方で、建物と備品類は民間事業者へ「無償譲渡」するという決定を下した。
名古屋市など他の多くの自治体では、評価額の10分の1程度であっても有償譲渡を行うケースが存在する中、市側はこれを「優良な事業者を呼ぶための措置(インセンティブ)」と強弁したが、市民の共有財産を無償で手放す行為に対しては議会からも説得力に欠けるとの強い批判が上がった。
3.2.2. 「3,600万円のコスト削減」という幻想と保育の質の低下
第二の、そしてより深刻な問題は、「コスト削減」の名の下に行われる保育の質の低下懸念である。
市はひので保育所の民営化により、年間約3,600万円の経費削減とサービス向上を見込んでいると説明した。
しかし、公立時代に投じられていたこの追加コスト(3,600万円)は、決して非効率な無駄遣いなどではなく、国の基準を大きく上回る手厚い保育士の加配(発達に配慮が必要な児童への対応)や、アレルギー対応も可能な温かい手作り給食を通じた食育など、「質の高い保育環境」を維持するための不可欠な市単独の投資であった。
民営化の手法として「委託(公設民営)」ではなく「移管(民設民営)」を採用した理由は、公立保育所には交付されない国・県からの負担金(公定価格)を引き出し、市の財政負担割合を4分の1に抑えるためであると基本方針には明記されている。
しかし、この国が定める「公定価格」は最低基準に基づくため非常に厳格であり、民間法人はこの制限された資金の枠内で運営を行わなければならない。
さらに、協定によって市から押し付けられる追加業務(小学校との交流、特別支援教育の実施、三者協議会の設置など)や、国に対する複雑な補助金申請事務といった見えないコストが民間事業者に重くのしかかる。
また、将来の園舎の大規模修繕費用も、この限られた公定価格の中から自前で積み立てる必要があり、長期的な資金の安定性に強い懸念が残る。
公立保育所はこれまで、困窮家庭や発達に課題を抱える子どもも含め、すべての子どもを平等に受け入れる「公的セーフティネット」としての役割を担ってきた。
これを単なる「財政負担」と見なし、表面的な数字の削減を追求して市場原理に委ねる決定は、先人たちが苦労して築き上げてきた子育て福祉環境に対する敬意を欠いている。
次世代へ豊かな育ちの場を保障するという「恩送り」の精神を自ら放棄するものであり、最終的には保育の質の低下や運営の不安定化として市民に跳ね返ってくる可能性が高い。
3.3. 公共施設マネジメントにおけるPFI導入と行政の主体性喪失
第三の視点は、公共施設全体の再配置計画に見られる行政の主体性の喪失である。
弥富市は、1970年代から80年代にかけて建設された公共施設が一斉に更新時期を迎える中、極めて深刻な財源不足に直面している。
弥富市公共施設再配置計画によれば、今後40年間における更新費用の不足額は実に「331.9億円」に達すると試算されており、年間の財源不足額は約8.2億円に及ぶ。
このため、市は公共建築物の延床面積を23.6%削減するという厳しい数値目標を掲げ、施設の廃止や集約を急ピッチで進めている。
この縮減計画を達成するための手法として導入が検討されているのが、PFI(Private Finance Initiative)方式である。
特に注目されているのが、先行する愛知県高浜市で実施されたいわゆる「高浜方式」の導入である。
高浜方式とは、学校に自前のプールを建設・維持することをやめ、民間の屋内スイミングスクールを借りて水泳授業を行う仕組み等を含んだ複合的な公共施設マネジメント手法である。高浜市ではこの手法により、市内5校のプール維持費(年間約900万円)を削減し、将来の数億円規模の改修費を回避するという財政的成果を上げている。
弥富市においても市民プールの廃止が既に完了しており、中学校のプールも使用停止状態にある中、小学校のプールを更新するか民間へ委託するかの岐路に立たされている。
厳しい財政難の中で、民間資金やノウハウを活用(VFM: Value for Moneyの計測)すること自体は、行政手法として一つの合理的な選択肢である。
しかし、問題はそのプロセスにおける行政の「主体性の欠如」である。
民間で対応可能な事業を積極的に移譲する方針を掲げる一方で、行政自らが地域の未来像やコモンズ(共有財産)のあり方を構想する努力を放棄し、外部の市外事業者が現れるのを待つだけの「待ちの姿勢」や「丸投げ」に終始しているのではないかという批判が市民から噴出している。
地域の中心である学校や公共施設は、単なる物理的なハコモノではなく、世代を超えた住民のつながりを醸成する場である。
それを単なる「維持コスト」としてのみ評価し、安易に外部化することは、地域自治の空洞化を招き、次世代に地域への愛着(シビックプライド)を引き継ぐ機会を奪うことになりかねない。
4. 財政的制約下における「効率性」と「世代間倫理」の相克
弥富市の行政がこれほどまでに新自由主義的なコストカットや外部化に走る背景には、確かに同市が抱える極めて厳しい財政構造が存在する。以下は、弥富市の現在の財政状況を示す主要な指標である。
| 弥富市の主要財政指標(令和6年度 / 2024年度等) | 数値 | 指標の持つ意味と弥富市の現状分析 |
|---|---|---|
| 財政力指数(3か年平均) | 0.92 |
地方公共団体の財政力を示す指標。1.0に近いほど余裕がある。弥富市は0.92であり、愛知県内市町村平均の0.89、全国平均の0.48を上回っており、表面的な税収等の財源力自体は比較的強い状態にある。 |
| 経常収支比率 | 94.4% |
財政構造の弾力性を示す極めて重要な指標。一般的に80%を超えると硬直化とされる。弥富市は令和2年度の90.2%から悪化を続け、94.4%という極めて硬直化した危険水域に達している。 |
| 実質公債費比率 | 5.4% |
借金返済の負担度合いを示す指標。健全な水準に保たれている。 |
| 将来負担比率 | 95.4% |
将来世代が負担すべき負債の大きさを示す指標。高い水準で推移しており、将来世代へのツケが重いことを示している。 |
このデータが示す事実は非常に示唆に富んでいる。
弥富市は、法人税割や固定資産税などの税収基盤自体は比較的安定しており(財政力指数0.92)、決して貧しい自治体ではない。
しかし、経常収支比率が94.4%に達しているため、入ってきた税収のほとんどが、人件費、扶助費、公債費(過去の借金返済)といった毎年度必ず支払わなければならない義務的経費に消えてしまい、新しい政策やインフラ投資に回せる自由な財源が完全に枯渇している状態にある。
この比率を押し上げている主な要因は、特別会計(後期高齢者医療や介護保険給付費)への繰出金の増加といった高齢化に伴う構造的な社会保障費の膨張である。
さらに、水面下で弥富市の財政の時限爆弾となっているのが、海抜ゼロメートル地帯特有のインフラである下水道事業などの維持管理・更新費用である。
建設費だけで約107億円を要した下水道事業は、毎年約13億円の維持管理費と約17億円の起債償還費(借金返済)を要する一方で、将来施設が老朽化した際に作り直すための「減価償却費(約5.2億円)」が全く積み立てられていないという、完全な構造的赤字状態にあると指摘されている。
この絶望的なまでの財政的逼迫が、行政を「利用者の減少」「維持費の削減」「財政負担の軽減」を錦の御旗とした施設の切り捨てへと駆り立てていることは事実である。
しかし、本来積み立てるべき巨大インフラの更新費用を先送りし、将来世代に過大な借金(将来負担比率95.4%)を残す一方で、次世代を育成するための最重要インフラである「教育(安全な新設小学校)」や「福祉(質の高い公立保育所)」をコスト削減の対象として切り捨てることは、著しい矛盾である。
これは「恩送り」の対極にある、「負債の押し付け」という世代間倫理の完全な破綻を示している。
財政が苦しいからこそ、残された限られた資源を「未来への投資(次世代への恩送り)」に集中させるべきであるにもかかわらず、現在の市政は、市場のロジックに逃げ込み、最も守るべき市民の拠点を切り売りしているのである。
5. 結論と提言:対話の回復と「恩送り」に基づく自治の再生
本稿の多角的な検証を通じて、現在の弥富市の政策決定プロセスには、新自由主義的な「採算性」「効率化」「コスト削減」のロジックが過度に偏重されており、地方自治を成立させる哲学的基盤である「恩送り(歴史的連続性と世代間倫理)」の視点が致命的に欠落していることが実証された。
区長や自治会長の献身を「時給」という労働市場の尺度で矮小化する風潮から始まり、子どもの命と安全よりも工期とコストを優先した小学校統廃合問題、公的セーフティネットの役割を放棄し表面的な経費削減に走る保育所民営化、そして民間丸投げによる主体性を欠いた公共施設再編に至るまで、その根底に流れる病理は共通している。
行政は、これらの決定の過程で「パブリックコメント」や「住民説明会」を形式的に実施してはいるものの、それらは行政方針を追認させるための「結論ありきのアリバイ作り」に過ぎず、市民の切実な声や議会の決議が実際の政策に反映されない事態が常態化している。
目先の損得だけで市民の拠点を切り捨て、市民の意思決定権をはぐらかす政治は、確実に地域社会の社会関係資本を破壊する。
地方自治が立ち行かなくなるのを防ぐため、弥富市政は以下のパラダイムシフトを早急に図る必要がある。
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政策決定プロセスにおける「対話」と「市民の意思決定権」の回復 行政の効率性や財政論理を絶対視するのではなく、市民が主体的に地域の未来を決定するプロセスを再構築しなければならない。学校の立地や跡地利用において、市民から提案された対案(十四山中学校跡地での新設など)を真摯に比較検討し、合意形成を図る熟議の場が不可欠である。住民の不安を行政の論理でねじ伏せる手法から脱却すべきである。
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公的セーフティネットに対する「適正なコスト」の再評価 保育所の加配や温かい手作り給食、安全な通学路や水害リスクを回避した校舎の確保にかかる費用を「削減すべき無駄」ではなく、次世代の命と育ちを守るための「不可欠な投資(恩送り)」として再定義すること。財政の効率化は、公的セーフティネットを毀損しない範囲で、事務のDX化や広域連携など別の手段で追求すべきである。
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地域コモンズの創出と「恩送り」の美学の共有 区長や自治会長、そして市民の自発的な活動を、単なる「安価な労働力」や「行政の下請け」として消費するのではなく、彼らの「利他」の精神に最大限の敬意を払う行政の姿勢が求められる。閉校となる学校跡地などを単に行政処分・売却したり、硬式野球場のような特定の用途に限定したりするのではなく、地域住民が知恵を共有し、次世代のための活動を展開できる「未来のコモンズ(共有財産)」として柔軟に再生していく構想力が必要である。
私たちが享受している今日の豊かさと地域のインフラは、過去からの単なる負債ではなく、先人たちが苦労して築き上げた「恩」の結晶である。
この恩を市場経済の冷徹なロジックで精算するのではなく、次世代へより良い形で「送る」こと。この覚悟と世代間倫理の視点を取り戻すことこそが、現在の弥富市、ひいては同じ構造的課題を抱える全国の地方自治体に最も必要とされている姿勢である。