日本社会において外国籍住民の「定住化」が不可逆的に進む中、とりわけ製造業が集積する愛知県では、彼らが経済を支える不可欠な存在である一方で、地域社会からは孤立してしまう「顔の見えない定住化」が深刻な課題となっています。
本レポートでは、行政による制度的な多言語化や、一過性の「異文化理解イベント」といった従来型アプローチの限界を直視し、西尾市の集住団地における長年のアクションリサーチから得られた知見を紐解きます。イデオロギーやきれいごとではなく、「防災」や「生活課題」といった共通の目標に向けて共に行動することで、事後的な意識の変容を促す「行動アプローチ」。現場の泥臭い実践と、コップの水が溢れるのを待つような長期的視座から、地域社会における真の多文化共生とコミュニティ再生の確かな道筋を提示します。
愛知県立大学 公開講座(県民講座)
【題 目】
多文化共生をめぐる課題と地域の取り組み−日系南米人集住地域の事例から−
【概 要】
愛知県は、ニューカマーである日系南米人の人口が最多です。まず、日系南米人の定住化と、労働、社会保障、教育など多岐にわたる生活面での課題が継続していることを確認します。
これらの課題に対しては、地域社会レベルでの取り組みにその解決が委ねられてきましたが、その成果と今も継続する課題を検討し、移民政策の不在の問題について考えてみます。
具体的には、愛知県の外国人集住地域における地域の取り組みと、自治体の外国人施策について、現状における課題、地域のニーズに関するデータと、実践事例の分析から議論していきます。
【講 師】
松宮 朝(愛知県立大学教育福祉学部 教授)
【日 時】
2026年7月10日 (金) 16時00分から17時45分まで (開場 15時30分)
【会 場/開催方法】
愛知県立大学長久手キャンパス K棟多目的ホール/オンライン併用
抽出キーワード
講演の根幹をなす重要な概念を整理しました。
刺さる言葉(名言・パワーフレーズ)
講演の中で特に本質を突いている、あるいは聴衆のハッとさせる言葉を抜き出しました。
「外国人の人が自然に増えてきたと誤解されるが、実はかなり意図的に国が政策的に受け入れを進めてきた」 多文化共生の課題を「外国人の問題」ではなく「日本の国策の結果」として捉え直させる鋭い指摘です。
「一般論として『多文化共生はOK』でも、隣に住むことには抵抗がある」 理念と現実(本音)のギャップを浮き彫りにし、きれいごとだけでは解決しない地域課題のリアルを表しています。
「日本人と外国人という線引きではなく、一緒に活動しているか・していないかで線を引き直す」 属性による分断ではなく、同じコミュニティの構成員としての「役割と行動」で仲間を定義する、実践的な共生の知恵です。
「意識を変えたから行動が変わるのではなく、行動を共にするうちに少しずつ意識が変わっていく」 多文化共生において「異文化理解教室」のような意識啓発よりも、草むしりや祭りの共同運営といった「行動」が先であるという実践から得られた真理です。
「コストを負担するのは誰か。地域が負担するべきなのか」 労働力としての利益を得ている国や企業ではなく、現場の自治会やボランティアに多大な負荷がかかっている構造的矛盾への強烈な問いかけです。
論点整理
講演全体を論理的な流れに沿って5つの論点に整理しました。
1. 「多文化共生」という日本独自の枠組みと矛盾
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世界基準では「移民政策」として総合的(労働、教育、生活)に扱うべき課題を、日本では「多文化共生(文化を理解し仲良くしよう)」という曖昧な枠組みで処理している。
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国は実質的な移民受け入れを行いながら公式には移民政策を否定しているため、根本的な予算措置や制度整備が追いついていない。
2. 東海地方(愛知県)特有の構造と顕在化する課題
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自動車産業等を支えるため、日系南米人と技能実習生が全国トップクラスで集中している。
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非正規雇用率が非常に高く(半数以上)、経済危機時に困窮しやすい脆弱な労働環境にある。
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特定の公営住宅(団地)への「集住」が著しく、生活トラブルや教育課題、地域住民との摩擦が局地的に集中・激化している。
3. 理念より「生活基盤(自治会)」からのアプローチ
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摩擦を乗り越えた地域(西尾市の事例など)では、「多文化共生」という理念を掲げるのではなく、「ゴミ出しルールを教える」「翻訳係の役職を作る」など、生活上の必要性から現実的な対応を進めた。
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「外国人だから配慮する」のではなく、「同じ町内会費を払う対等なメンバーだから、ルールを守り、一緒に地域の役割(清掃や防災)を担ってもらう」という実利的な巻き込みが功を奏している。
4. 接触と意識変容のメカニズム
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単に外国人と日本人が出会う・交流するだけでは偏見は解消されない(場合によっては悪化する)。
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「地位の対等性(支援する・される側ではない)」と「共通の目標(防災や子育てなど)」の2条件が揃った環境で行動を共にすることで、事後的に抵抗感が薄れ、意識が肯定的に変容していく。
5. 長期的な視点と責任の所在(今後の展望)
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1990年代に来日した労働者の「高齢化(オールドカマー化)」や年金・医療問題が今後深刻化する。
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日本社会の一部として育つ「第2世代(外国にルーツを持つ子どもたち)」の教育と社会進出を長期的な視野で支援する必要がある。
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これまで地域の善意(自治会やボランティア)に押し付けてきた負担やコストを、労働力として利益を得ている企業や、国・自治体がどう適切に負担していくかが最大の課題である。
サマリー:愛知県の自治体における多文化共生施策とコミュニティ実践の社会学
📌 概要
本レポートは、愛知県における外国籍住民の定住化に伴う「顔の見えない定住化(経済的に包摂されながらも社会的に排除・孤立している状態)」という構造的課題に対し、行政によるトップダウン施策の限界を指摘するものです。
その上で、異文化理解といった「意識」を変えるアプローチではなく、地域での協働を通じて「行動」を変えるアプローチの有効性を、西尾市の集住団地における実践例を交えて論じています。
🔑 6つの重要論点
1. 「顔の見えない定住化」の進行と実態
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外国籍住民の滞在は長期化(永住前提)し、地域の労働力として不可欠な存在になっている。
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一方で、言語や文化の壁から地域活動への参加率は低く、労働領域以外(育児・教育・近所付き合いなど)ではマジョリティから切り離された「顔の見えない存在」になっている。
2. 行政主導の多文化共生施策の限界
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自治体の対応は局所的かつ事後的であり、地域によって施策に大きな格差がある。
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案内板や冊子など「モノの多言語化」は進んだが、通訳や対人支援といった「ヒトの多言語化」はコストと時間がかかるため遅れており、地域コミュニティに負担が転嫁されている。
3. 意識啓発から「行動アプローチ」への転換
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「異文化理解セミナー」のような意識を変えようとするアプローチは一過性に終わりやすい。
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心理学の知見からも、まずは清掃や防災訓練などを共に行う「行動パターンの変容」を促すことで、事後的に態度や意識が肯定的に変わるというアプローチが有効である。
4. 接触仮説と「共通の上位目標」
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単なる交流会やお祭りは、逆に文化的な摩擦を深めるリスクがある(シェリフの泥棒洞窟実験からの示唆)。
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対立を乗り越えるには、「地位の対等性」を担保した上で、災害対策や子どもの教育といった「共通の目標(上位目標)」を設定し、協力せざるを得ない環境を作ることが重要である。
5. アクションリサーチと実用主義的(プラグマティック)な合意形成
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西尾市の県営住宅では、外国籍住民を「支援対象」ではなく、自治会費を払う対等な「役員・主体」として巻き込んだ。
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「多文化共生」や「人権」といったイデオロギー的な言葉ではなく、「会費を払う同じ住人だから」「防災のため」「子どもたちのため」という実利主義的なレトリックを用いることで、地域住民の合意形成を成功させた。
6. コップの水が溢れるのを待つ「臨界モデル」
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多様な背景を持つ住民同士の関係構築は、一朝一夕にはいかない。日々の小さな関わり(コップに水を一滴ずつ注ぐこと)が積み重なり、限界を超えた瞬間に劇的に関係性が混ざり合う「臨界モデル」として捉えるべきである。
-
単年度事業のような短期的な成果主義ではなく、長期間「かかわり続ける」ための制度的保障が不可欠である。
💡 結論
真の多文化共生(ローカルなグローバル化)を実現するためには、情報の多言語化にとどまらず、「共通の目標」のもとで外国籍住民を対等な主体として巻き込む制度設計(行動アプローチ)と、地域特有の文脈の中で泥臭い実践と対話を長期的に継続する「かかわりの循環」が不可欠です。
愛知県の自治体における多文化共生施策とコミュニティ実践の社会学:重層的統合と行動アプローチの視座から
1. 序論:多文化共生をめぐる構造的課題と地域社会の変容
1990年の出入国管理及び難民認定法(入管法)の改正施行以降、日本社会は日系南米人を中心とするニューカマーの急増を経験し、外国籍住民の存在は一時的な「出稼ぎ労働者」から、地域社会における「定住者」へと不可逆的な変貌を遂げた。
かつて日本全体で78.3万人(旧外国人登録者数)にすぎなかった在留外国人人口は、2016年末時点で日本の総人口の約1.9%に当たる238.3万人にまで増加し、そのうちの約6割が日本社会に「定住」する意思を示している。
とりわけ、自動車産業をはじめとする製造業の集積地である愛知県や東海地方においては、外国籍住民への依存度が高く、彼らの定住化は地域社会における最も重要な社会構造的変化の一つとなっている。
しかし、この定住化のプロセスは決して平坦なものではない。
労働市場への包摂が進む一方で、地域社会における社会関係資本の構築や文化的摩擦の解消は遅々として進まず、両者の間には深刻な乖離が生じている。
この構造的矛盾を鮮明に捉えたのが、梶田孝道らによる「顔の見えない定住化」という概念である。
彼らは、外国人労働者が物理的に地域社会に存在し、経済活動に従事しているにもかかわらず、社会生活を欠いているがゆえに地域住民から認知されない存在になっている実態を鋭く指摘した。
本報告は、こうしたマクロな構造的課題を背景に、愛知県を中心とした地方自治体における多文化共生施策の現状と限界を地理学的・政策的視点から分析する。
さらに、制度的なアプローチだけでは解決し得ない地域レベルの摩擦や分断に対して、社会学的な「コミュニティ実践」がいかに有効であるかを検証する。
特に、意識変容から行動変容への転換を促す「行動アプローチ」の可能性や、西尾市などの集住団地におけるアクションリサーチの成果、そして関係性の構築に時間を要することを前提とした「臨界モデル」 を手掛かりに、多文化共生に向けた地域コミュニティの再構築の道筋を提示することを目的とする。
2. 「顔の見えない定住化」の構造的メカニズムと実態
2.1 長期滞在化と人口動態の特異性
愛知県における外国籍住民の定住化は、統計データからも明確に裏付けられている。
愛知県が実施した『令和5年度愛知県外国人県民アンケート調査報告書』によれば、回答者のうち滞日年数が10年以上に達している層が半数を超えており、例えば豊橋市においてはその割合が56.9%に達している。
また、今後の滞日予定についても「ずっと日本に住み続ける」との回答が53.1%と最多を占めており、永住を前提としたライフステージへの完全な移行が顕著である。
人口動態の観点から見ると、外国籍住民の年齢構成は日本人のそれとは大きく異なる。
同調査によれば、年齢別では20代が最多の30%を占め、14歳以下が8%、16〜64歳の生産年齢人口が85%、65歳以上が7%となっている。
この圧倒的な生産年齢人口の割合は、外国籍住民が地域経済を支える不可欠な労働力であることを示している。
しかし、この労働力としての価値が、そのまま地域社会における「市民」としての認知につながっていない点に、「顔の見えない定住化」の根深い問題が潜んでいる。
2.2 地域社会への不参加と生活上の障壁
定住化が進む一方で、地域コミュニティへの参加状況は依然として低調である。
愛知県の令和3年(2021年)度のアンケート調査によると、「あなたは近所の清掃作業やお祭り、団地の自治会など地域活動に参加していますか」という設問に対し、過半数を超える51.6%が「参加していない」と回答している。
この不参加の背景には、単なる無関心ではなく、複合的かつ構造的な生活上の障壁が存在する。
安城市などの調査結果によれば、外国籍住民が抱える困難として、「保育所や学校、近所の親同士の付き合いが難しいこと」「保育所や学校のルールが母国とちがうこと」「周囲に相談できる人がいないこと」「育児や教育についての情報が入らないこと」「言語が違うため必要なコミュニケーションがとれないこと」などが上位に挙げられている。
| 調査項目 | 主な傾向・数値 | 意味合い・構造的課題 |
|---|---|---|
| 滞日年数(豊橋市の例) |
10年以上が56.9% |
一時的滞在(出稼ぎ)から永続的定住へのライフスタイルの転換。 |
| 定住意向(豊橋市の例) |
ずっと住み続けるが53.1% |
地域社会における長期的関係構築が不可避なフェーズへの突入。 |
| 年齢構成(愛知県全域) |
生産年齢(16-64歳)が85% |
労働力としての経済的包摂は進むが、定年後の社会保障等の潜在的課題を内包。 |
| 地域活動への参加 |
参加していないが51.6% |
「顔の見えない定住化」の具体的な表れ。地域ネットワークからの孤立。 |
| 生活・再生産上の困難 |
親同士の付き合い、学校ルール、言語 |
労働以外の再生産領域(育児・教育)での情報からの排除と心理的障壁。 |
これらのデータは、労働市場における「経済的包摂」と、居住空間や教育現場における「社会的排除(あるいは孤立)」が同時並行で進行していることを示唆している。
職場では派遣労働者や期間工としてシステムに組み込まれていても、地域社会の再生産の場(自治会、PTA、近所付き合い)においては接点がなく、消費活動という側面に限定された同化しか進行していないため、マジョリティである地域住民からは「顔の見えない」存在であり続けているのである。
3. 地方自治体における外国人住民統合政策の展開と限界
3.1 「人権型」と「国際型」の混在と施策の偏在
こうした状況に対し、第一義的な対応を迫られているのが基礎自治体である。
阿部(2017)や松宮・山本(2009)の研究によれば、在留外国人が集住する地方自治体は、国家レベルの統合政策が未整備な中で、外国人住民への行政サービスの提供や窓口対応にはじまり、地域住民・NPO・NGOとの連携活動(協働)にいたるまで、多様な機能を最前線で担うことが期待されてきた。
愛知県内の自治体における多文化共生施策の展開は均質ではなく、歴史的背景や地理的条件によって大きなグラデーションが存在する。
愛知県政の多文化共生推進の背景には、2005年の愛知万博(愛・地球博)の開催や中部国際空港の開港を見据えたグローバル化と国際化の進展という独自の文脈があった。
自治体の対応類型としては、在日コリアンを中心としたオールドカマーに対する施策の蓄積を持つ「人権型」の自治体と、バブル経済期や改正入管法以後に日系ブラジル人等ニューカマーの急増を経験した「国際型」の自治体、そして両者が混在する地域が存在する。
施策の実施率に関する実態調査では、名古屋市、豊田市、豊川市、豊橋市、西尾市といった人口規模が大きく、かつ在留外国人人口・比率が高い三河地域の都市において施策実施率が高いことが判明している。
一方で、尾張地域東部の瀬戸市、尾張旭市、長久手市、日進市周辺では、名古屋市と豊田市という大都市に挟まれているにもかかわらず、ブラジル人等の人口規模が相対的に小さいため、施策の実施状況が芳しくないという空間的偏在が見られる。
このことは、多文化共生施策が普遍的な理念先行ではなく、目の前の「危機対応」や「人口圧」といった物理的要請によって事後的かつ局所的に整備されてきた側面を浮き彫りにしている。
3.2 「国際交流」を基盤とする行政組織の限界と「ヒトの多言語化」の遅れ
地方自治体が直面しているもう一つの深刻な課題は、行政機構の構造的な限界である。
阿部(2017)は、日本の自治体の多くが従来「国際交流」を基盤として「地域の国際化」を進めてきた経緯があるため、生活基盤に直結する多文化共生事業を専門とする行政組織の制度化が不十分であることを指摘している。
具体的には、外国人住民施策は「生活実態把握」「生活支援」「相談窓口」「出産・育児」「就学」「住宅」「医療」「福祉支援」「政治参加」など多岐にわたるが、生活ガイドブックや定期刊行物、自治体ウェブサイト、公共施設の案内表示の多言語化といった「モノやサービスの多言語化」は一定程度進んでいる。
しかし一方で、自治体職員の外国語研修の実施など「ヒトの多言語化」については、費用と時間がかかるため実施状況が芳しくない。
つまり、制度としての翻訳や情報提供のインフラは整備されつつあるが、生身の人間同士のコミュニケーションを介した問題解決のシステムは依然として脆弱なのである。
この行政の「ヒトの多言語化」の遅れと、専門組織の不在が、後述する地域コミュニティ(自治会や町内会など)への負担の転嫁と摩擦を生み出す要因となっている。
4. 意識から行動へ:多文化共生における「行動アプローチ」の優位性
行政によるトップダウンの施策が限界を露呈する中、多文化共生の実質的な舞台はミクロな地域コミュニティへと移行せざるを得ない。
ここで従来取られてきた手法の多くは、「異文化理解セミナー」や「国際交流フェスティバル」といった、マジョリティ住民の「意識を変える」ことを目的とした認知・啓発的アプローチであった。
しかし、これらのアプローチは往々にして一時的なイベントに終わり、日常的な摩擦の解消にはつながりにくいという批判がある。
4.1 行動パターンの変容が意識を変える
最新の心理学や社会学の実践的知見が示唆するのは、従来の「意識を変えれば、行動が変わる」というパラダイムの限界と、「行動を変えることで、意識が変わる」という『行動アプローチ』の優位性である。
心理学のニューロ・ロジカル・レベルの観点からも、顕在意識レベルで「外国人に対して寛容になろう」と意識するだけでは、潜在意識にある警戒心や過去のステレオタイプといった上位の信念を払拭することは困難である。
頭で理解して行動を変えようとしても、潜在意識が元の場所に引き戻そうとするためである。
むしろ、具体的な行動(例えば共同での清掃作業や、防災訓練への参加など)を共にし、それを反復・継続させる環境を意図的に設計することが、結果的に「行動を起こすことに価値がある」という意識の変容を事後的にもたらし、やがて無意識のレベルへと定着していくのである。
多文化共生の文脈にこれを翻訳すれば、「外国人とのつきあいがある人の方が、ブラジル人・ペルー人が近隣に居住することに対して肯定的である」という調査結果が示す通り、日常的な交流(行動)を持つことによって「顔の見える関係」が構築され、それが近隣住民としての受容(意識)につながるというプロセスである。
ここでは、動機や目的の純粋さよりも、まず「行動パターンを変える」システムをいかに地域内に構築するかが問われる。
5. 接触仮説と「共通の目標」:シェリフの泥棒洞窟実験からの示唆
ただし、単に行動を共にし、接触機会を増やせば無条件に偏見や差別が解消されるわけではない。
心理学における「接触仮説」によれば、接触が肯定的な結果を生むためには特定の条件が必要である。
その不可欠な条件とは、「地位の対等性」と、「協同(目標の共有と協力)」である。
5.1 交流だけでは対立は解消しない
このメカニズムを実証した古典的かつ極めて重要な研究が、ムザファー・シェリフらによる「泥棒洞窟実験(Robbers Cave Experiment)」である。
この実験は、キャンプ場に集められた少年たちを意図的に2つのグループに分け、集団間の対立がいかに発生し、そしていかに解消されるかを観察したものである。
実験の初期段階では、限られたリソースや報酬をめぐる競争状態に置かれた両グループ間に激しい敵対心や偏見が生まれた。
重要なのはここからである。研究者たちは対立を鎮めるために、両グループに食事会や映画鑑賞といった単なる「交流(接触)」の機会を与えたが、これらは全く効果がないどころか、かえって罵倒や食事の投げ合いに発展し、対立を悪化させた。
5.2 「共通の上位目標」による協同の創出
対立を決定的に解消させたのは、両グループが協力しなければ達成できない「共通の目標(上位目標)」の意図的な設定であった。
例えば、「キャンプ地の給水装置の故障を直す」「食料を積んだトラックのスタック(立ち往生)を協力して引き出す」といった、双方にとって切実であり、かつ協力せざるを得ない課題を与えた。
この共通の目標に向けた協働作業を繰り返すことで、両グループは徐々に協力し合い、敵対心が和らぎ、最終的に友好的な関係へと劇的に変化したのである。
この知見は、多文化共生政策に対して極めて重大な示唆を与える。
つまり、目的のない単なる「交流会」や「お祭り」は、文化的な違いを際立たせるだけで、場合によっては摩擦を悪化させるリスクすらある。
集団間の対立や葛藤を回避し、実質的な統合を図るために地域社会に必要なのは、「共通の目標設定」を伴う協同作業のプラットフォームなのである。
6. アクションリサーチとコミュニティ実践:西尾市県営住宅の事例
前述の「行動アプローチ」と「共通の目標」の理論が、現実の外国籍住民集住地域においていかに実践され得るか。
その具体的なモデルケースとなるのが、松宮朝による愛知県西尾市の県営住宅における長年にわたる参与観察と実践(アクションリサーチ)である。
6.1 アクションリサーチへの転換:「調査だけなら来ないでほしい」
西尾市におけるコミュニティ実践の出発点は、研究者と地域社会との間の強烈な摩擦にあった。
松宮が2001年からスタートした調査に基づき、2002年12月に西尾市のフィールドで調査報告を行った際、地域の代表者から「調査だけなら来ないでほしい」という厳しい言葉が投げかけられた。
当時、研究者側はネットワークの異質性/同質性に関する理論の検証といった学術的関心に基づいて報告を行ったが、現場が求めていたのは、集住団地における「共生」に関する固有の課題と、他の地域での実践事例も踏まえた具体的な解決手法の提案であった。
地域コミュニティをめぐる現場においては、ありきたりの一般論や概念、あるいは他地域で成功した事例をそのまま暴力的に移植することは通用しない。
この出来事は、傍観者的な社会学調査の限界を示している。
この要請に応える形で、松宮らはボランティアスタッフとしての活動貢献を前提としながら、実践へ深くかかわる「アクションリサーチ」へと舵を切ることになった。
調査対象への実践的働きかけを通じて、現場に即した「認識」と「方法」を共に構築していくアプローチである。
6.2 県営住宅における外国籍住民の自治会参加とエスニック・コミュニティ
西尾市の県営A団地およびB団地は、愛知県内でも外国籍世帯の比率が極めて高く、A団地では全入居世帯の52%、B団地では28%(2010年2月時点)を占めていた。
ここでは、「顔の見えない定住化」を克服し、実践を通じたコミュニティ形成の画期的な制度設計が行われた。
A団地では、副会長、駐車場係、各棟班長などの自治会役員に必ず1名以上の外国籍住民が就く体制が整備され、2007年度からはペルー人の自治会長が誕生した。
B団地でも、1990年代後半から住宅内の業務を行う班長職に外国籍住民が就く仕組みが作られ、住宅内清掃などの自治会行事にも積極的に参加する制度が整えられた。
また、入居者と管理事務所の調整を行う管理人に、長く自治会の「相談役」として活動したブラジル人住民が指名された。
この動きは単なる行政の下請けや、同化の強要ではない。
自治会活動への参加を契機として、ブラジル人住民主導のポルトガル語教室やフェスタ・ジュニーナ(収穫祭)の開催、カポエイラのグループ活動などが展開され、主体的なブラジル人コミュニティが団地内で形成されていった。
さらに、A団地自治会を母体として、ブラジル人コミュニティのメンバーも参加する外国籍住民支援を目的としたボランティア団体「G会」が結成されるなど、支援の輪が拡大していった。
6.3 経済不況下におけるコミュニティのレジリエンス
この重層的に構築されたコミュニティの強靭さは、経済不況時に真価を発揮した。
2008年のリーマンショックに端を発する経済危機において、西尾市では外国籍住民が約800人減少し、A団地でも2009年4月時点で39世帯中25世帯に失業者が発生するなど、深刻な経済的困窮が見られた。
しかし、このような危機的状況に対して、団地を基盤としたブラジル人コミュニティがセーフティネットとして機能した。
食品関係など比較的景気の影響を受けにくかった業種でのアルバイトの紹介がコミュニティ内のネットワークを通じて進むなど、制度的支援の手が届きにくい部分を相互扶助によって補完する動きが見られたのである。
これは、地域社会への定住化が単なる「居住」を超えて、「生活防衛の基盤」として成熟しつつあることを示している。
7. 地域的合意形成を促すプラグマティックなレトリック
西尾市の事例において最も注目すべきは、異なる背景を持つ住民同士が反発を乗り越え、協力体制を築くために用いられた「合意形成のレトリック」である。
現場での対立を超えるために、イデオロギー的な「多文化共生」や「人権」といった抽象的なスローガンではなく、極めてプラグマティック(実用主義的)な論理が駆使された。
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「会費を払うからには地域の一員である」:外国籍住民を単なる「支援の対象」や「かわいそうなお客様」として扱うのではなく、自治会費や町内会費という経済的負担を共有する「権利と義務を持つ主体」として位置づける論理である。これは、接触仮説における「地位の対等性」を制度的・心理的に担保する強力な枠組みとなる。
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「防災」の強調:「地震が起きたら、日本人だろうと外国人だろうと同じ問題が生じるから、地域の中で仲良くしていくべきだ」という論理。これはまさにシェリフの泥棒洞窟実験における「壊れた給水タンクの修理」と同義の『共通の上位目標』の設定である。災害という国籍を問わない圧倒的な外部脅威を設定することで、文化的な内輪の対立を無化し、協力を必然化させるレトリックである。
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「子ども」の強調:「共生の取り組みは子どもたちのため」「大人はともかく子ども同士は仲良くできる」という論理。次世代の育成・再生産という普遍的な価値に訴えかけることで、大人世代の間に存在する文化的偏見や葛藤を心理的に迂回し、協力行動を引き出すフックとなる。
これらのレトリックは、前述の「行動アプローチ」を具現化するための優れた技法である。
「問題の原因(文化的差異)を追及するよりも、その問題を生じなくさせる方法(システムや目標)を準備する」という実践的な知恵が、西尾市のケースには詰まっている。
8. 重層的なコミュニティの技法と「臨界モデル」
8.1 実践としての「重層的なコミュニティ」
西尾市の事例から導き出されるのは、コミュニティはあらかじめそこに存在する固定的な実体や単一の組織ではなく、日々の実践の積み重ねによって動的に生み出されるプロセスであるという視座である。
松宮(2025)をはじめとする研究者たちは、「コミュニティを実践すること」の重要性を説き、コミュニティが単一のものではなく、エスニック・コミュニティ(同国人ネットワーク)や地縁組織(自治会)、NPOなどが複数併存し、多層に折り重なる「重層的な技法」であることを明らかにしている。
この「重層的なコミュニティ」においては、エスニックな紐帯と、地縁的な紐帯は二項対立的なものではない。
むしろ、エスニックなネットワークの中で培われたリーダーシップや相互扶助の力が、地縁組織の運営へと還流し、時に緊張や対立を内包しながらも、最終的に協働へと至るダイナミズムが存在するのである。
8.2 かかわりの循環と「臨界モデル」のメタファー
しかし、このような重層的なコミュニティの構築は、行政の計画通りに短期間で成し遂げられるものではない。
ここで多文化化に対するコミュニティ実践の在り方として松宮が提示する重要な概念が「臨界モデル」である。
文化も背景も異なる住民同士の関係性は、一朝一夕に構築されるものではない。
それは「隣り合ったコップに水を満たしていくイメージ」に例えられる。
それぞれのコップ(個人や集団の生活世界)に、日々の小さな挨拶、共同作業、トラブルの解決、時には摩擦といった経験(水)が一滴ずつゆっくりと注がれていく。
水がコップの半分しか満たされていない段階では、隣のコップとの間に交わりは生じず、関係性の変化は目に見えない。
しかし、長い時間をかけて水が注がれ続け、ついに表面張力の限界を超えて「臨界点」に達したとき、初めて水は溢れ出し、隣のコップの水と劇的に混ざり合う。
この瞬間に、「顔の見えない定住化」は打破され、「顔の見える関係」への質的な転換が起こるのである。
この「臨界モデル」が意味するのは、多文化共生には「時間をかけて、ゆっくりと出会う」ための忍耐と、長期的な場の保障が不可欠であるということである。
即効性を求める行政の単年度事業や、数値化しやすい成果主義的なアプローチは、この「水が溢れるまでの時間」を待つことができない。
コップの水が満ちる前に事業が打ち切られれば、関係性の構築はそこで頓挫してしまう。
したがって、地域社会の課題にこたえるためには、研究者であれ行政職員であれ、実践の場に長期間「かかわり続ける」こと、すなわち「かかわりの循環」を生み出す制度的・社会的支援が求められるのである。
9. 結論:ローカルにかかわるグローバル人材と今後の展望
本報告では、愛知県における外国籍住民施策の変遷と、マクロな「顔の見えない定住化」の構造的課題を概観した上で、ミクロな現場のアクションリサーチから得られた「コミュニティ実践の社会学」の知見を統合的に論じてきた。
結論として、多文化共生社会の実現に向けて以下の3点が重要視される。
第一に、労働力としての包摂と地域社会からの排除が同居する「顔の見えない定住化」の解消は、行政による単なる「多言語化」や「翻訳サービス」の拡充といった情報提供レベルの施策だけでは不可能である。
歴史的経緯から「国際交流」の枠組みを引きずる自治体行政の限界を直視し、より生活基盤・再生産領域に根差した「ヒトの多言語化」を含む体制構築が必要である。
第二に、地域レベルの統合を図るためには、住民の「意識を変える」ことを目的とした一過性の啓発的アプローチから、「行動パターンの変容」を促し、それが事後的な意識の変容をもたらす「行動アプローチ」へのパラダイムシフトが急務である。
シェリフの実験が証明したように、「防災」や「子育て」といった「共通の上位目標」を設定し、外国籍住民を客体(支援対象)ではなく主体(自治会役員や対等な会費負担者)として巻き込む制度設計が、結果として相互の偏見を溶かし、受容の態度を醸成する。
第三に、成功事例の表面的な移植は機能しない。
コミュニティは各地域の固有の歴史と文脈の中で、日々の泥臭い実践を通じて重層的に形成される。
関係性の構築には「臨界モデル」が示すように膨大な時間と継続的な接触が必要であり、その場に留まり、失敗や葛藤も含めて地域社会と対話し続ける「かかわりの循環」を回し続ける姿勢が不可欠である。
多文化化が不可逆的に進行する日本社会において、真のグローバル化とは、遠い海外へ目を向けることだけではない。
足元の地域(ローカル)に存在する異質性と徹底的にかかわり、摩擦を乗り越えて「共通の目標」に向けた協働のシステムを構築していくこと。
それこそが、これからの時代に求められる「ローカルにかかわるグローバル人材」の要件であり、真の意味での多文化共生を実現するコミュニティ実践の確かな道筋である。
