
日常的な満潮時の水位よりも、私たちの生活基盤が低い場所にある—
—それが、海抜ゼロメートル地帯に位置する弥富市の過酷な現実です。
駅や商業施設といった都市の機能はすでに固定化されており、街ごと高台へ移転することはできません。
では、頻発する台風や豪雨から、どのようにして市民の命を守るのか。
本レポートでは、嵐の中を移動する危険な「水平避難」ではなく、自宅の2階等で安全を確保する「垂直避難」を都市の基本ルールとするパラダイムシフトを提案します。
名古屋市の条例をモデルとした「水に浸からない家づくり」の義務化と、それを都市計画に組み込み、市民への経済的支援策までを網羅した「防御的建築」の法制化について詳しく考察します。
サマリー:弥富市におけるゼロメートル地帯の治水・防災都市計画に関する考察
本報告書は、海抜ゼロメートル地帯に位置する愛知県弥富市において、既存の都市機能を維持したまま水害から市民の命を守るための「垂直避難」を法的に担保する建築規制の導入と、その都市計画マスタープランへの実装について分析・提言しています。
1. ゼロメートル地帯の現実と課題
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立地の固定化と浸水リスク: 弥富市は地盤標高が極めて低く(T.P.マイナス1.5m前後 / N.P.マイナス0.09m相当)、大潮の平均満潮位(N.P.+2.61m)よりも生活基盤が低い位置にあります。駅周辺などの都市インフラはすでに固定化されており、内陸高台への移転は物理的・社会的に不可能です。
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災害リスクの峻別: 発生確率の低い「レベル2(想定最大規模)」の災害(広域避難が必要)と、数十年に一度の高確率で発生する「レベル1(計画規模)」の災害を区別すべきです。レベル1の災害時における危険な水平避難を避け、各建物での「垂直避難」を前提とした対策が急務となっています。
2. 解決策:名古屋市をモデルとした建築規制の条例化
建築基準法第39条(災害危険区域)を活用し、隣接する名古屋市の「臨海部防災区域建築条例」をモデルとした強力な建築制限の導入を提唱しています。
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一般住宅の防御思想(生存空間の確保): 原則として平屋建を禁止し、2階以上の階に居室を設けることを義務化します。1階の浸水は許容しつつ、2階部分(N.P.+3.5m以上)へ垂直避難することで満潮位や高潮時にも確実に命を守る設計とします。
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公共・集客施設の防御思想(機能維持): 避難や救助の拠点となる公共施設や一定規模以上の商業施設に対しては、1階床高そのものをN.P.+2.0m以上に嵩上げすることを義務付け、浸水時にも拠点機能が喪失しない設計を求めます。
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区域別規制の最適化: 破堤リスクの高い河川近接区域(鉄筋コンクリート造の義務化)や既存市街地など、弥富市の地域特性に合わせた独自のゾーニング戦略が必要です。
3. 都市計画マスタープランへの実装と支援スキーム
条例を単独で制定するのではなく、都市計画全体と連動させ、市民の経済的負担を軽減するパッケージ政策が不可欠です。
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計画の抜本的改定: 次期「都市計画マスタープラン」や「立地適正化計画(防災指針)」において、垂直避難を前提とした都市構造への転換、災害危険区域の指定、床高確保等のハード対策の義務化を明記します。
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ハイブリッド防災戦略: 建築規制による「レベル1対応(個別の防御・垂直避難)」と、巨大人工高台「命山」の整備等による「レベル2対応(広域避難・支援拠点)」を車の両輪として推進します。
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経済的支援と緩和措置: 建築コスト増大の課題を克服するため、防災建築補助金の創設、国庫補助金の戦略的獲得、避難用設備に対する容積率・建蔽率の緩和特例などを実施します。また、既存不適格建築物への段階的な改修支援も整備します。
結論
弥富市の水害対策は、ハザードマップという「危険を知らせる地図」にとどまらず、建築条例という「危険を物理的に排除する盾」を用いた防御的建築の法制化へとパラダイムシフトを図るべきです。行政には、これらの施策を速やかに都市計画へ落とし込み、条例として施行するとともに、市民への支援スキームを構築する強いリーダーシップが求められます。
弥富市におけるゼロメートル地帯の治水・防災都市計画に関する考察:名古屋市臨海部防災区域建築条例をモデルとした建築規制の条例化と都市計画マスタープランへの実装
序論:ゼロメートル地帯における都市防災のパラダイムシフトと立地の固定化
愛知県弥富市は、その市域の大部分が海抜ゼロメートル地帯に位置するという極めて特殊な地理的条件を抱えている。
国土地理院のデータや市の防災資料が示す通り、市内の地盤標高はT.P.(東京湾中等海面)マイナス1.5メートル前後に達する地域が広く分布しており、日常的な満潮時の水位よりも住民の生活基盤が低い位置にあるという過酷な現実が存在する。
このような地形的特性を持つ地域において、治水と防災は単なる行政課題の一つではなく、都市の存立そのものを左右する最重要命題である。
都市計画の観点から見た弥富市の最大の課題は、既存の都市中枢である弥富駅周辺(JR関西本線、近鉄名古屋線、名鉄尾西線の結節点)や、広域からの集客を担う周辺の拠点施設(近隣の道の駅等を含む産業・観光拠点)の立地がすでに固定化されており、これらを今更安全な内陸の高台へ移転することは物理的・社会的に不可能であるという点である。
主要な交通インフラとそれに付随して形成された市街地を動かすことは都市機能の喪失を意味する。
同時に、弥富市の「立地適正化計画(防災指針)」においても、市街地の大部分が浸水想定区域に含まれているため、災害リスクエリアを「居住誘導区域」から完全に除外することは現実的に困難であると公式に認められている。
本報告書は、弥富市が直面する水害リスクを「レベル1(発生確率が高く、一般的な台風や高潮、中小規模の河川氾濫等による浸水)」と「レベル2(想定最大規模の巨大台風や巨大地震による破堤・大規模浸水)」に明確に分類し、特に発生確率が高く市民生活への直接的脅威となる「レベル1」への備えを中心とした建築的アプローチの必要性を論じる。
具体的には、既存の都市機能を現位置に留めたまま安全を確保するための「垂直避難(In-place shelter)」を法的に担保する仕組みを考察する。
そのモデルケースとなるのが、昭和34年(1959年)の伊勢湾台風を教訓として制定された「名古屋市臨海部防災区域建築条例」である。
本報告書では、同条例のメカニズムである「N.P.(名古屋港基準面)を用いた床高制限」と「2階以上への居住空間の設置義務」を詳細に分析し、公共施設と一般住宅における防御思想の違いを明確にした上で、それを弥富市の都市計画マスタープランにどのように位置づけ、速やかに条例化すべきかについて包括的な分析と提言を行う。
1. 基準水位(N.P.)の科学的検証とゼロメートル地帯の物理的脅威
弥富市の防災を論じる上で、基準となる標高の概念を正確に把握し、堤防内外の水位差という物理的現実を直視することが不可欠である。
一般的に用いられる標高(海抜)はT.P.(Tokyo Peil:東京湾中等海面)を基準としているが、伊勢湾周辺の港湾・河川工事や防災条例においてはN.P.(Nagoya Peil:名古屋港基準面)が用いられる。
1.1 T.P.とN.P.の相関関係と地盤高の現実
N.P.±0mは、名古屋港における朔望平均干潮位(大潮時の平均干潮位)に近い値に設定されており、T.P.±0mよりも1.412メートル低い位置にある。
この換算式(T.P. = N.P. – 1.412m)を用いて弥富市の現状を分析すると、市内の地盤標高がT.P.マイナス1.5メートルである場合、N.P.換算では概ねN.P.マイナス0.088メートルとなり、実質的にN.P.±0mのラインに市街地が広がっていることになる。
表1:T.P.およびN.P.に基づく名古屋港周辺の水位と弥富市地盤高の比較
1.2 満潮位との比較による浸水メカニズム
名古屋港の朔望平均満潮位(大潮時の平均的な満潮水位)はN.P.+2.61メートルである。
すなわち、大潮の満潮時には、堤防の外側にある海水面は弥富市の地盤(N.P.約0m)よりも約2.6メートル高い位置にある計算になる。
日常的な満潮時であっても、防潮堤の外側には常に地盤より高い位置に水が存在しているのである。
仮に台風接近等による気圧低下や強風による吹き寄せ効果が加わり、水位がさらに上昇した状態で堤防に局所的な決壊や越水が生じた場合、一切の動力なしに重力のみで市街地へ海水や河川水がなだれ込む。
ポンプによる強制排水が機能しない、あるいは停電によって停止した場合、市街地は瞬く間に2メートル以上の深さまで水没するという物理的現実がここにある。
2. 水害リスクの階層化:「レベル1」と「レベル2」の峻別
災害対策を構築するにあたり、対象とする外力を「レベル2(想定最大規模)」と「レベル1(計画規模)」に分ける考え方が重要である。
現行の行政施策の多くが極端なレベル2に目を奪われがちであるが、都市計画の実効性を担保するためには、発生確率の高いレベル1への対応こそが急務である。
2.1 レベル2災害:想定最大規模への対応とその限界
レベル2の災害とは、千年に一度、あるいはそれ以上の極めて低い確率で発生するが、発生すれば壊滅的な被害をもたらす事象を指す。
南海トラフ巨大地震による大津波や、伊勢湾台風クラス(既往最高潮位N.P.+5.31m)を超える巨大台風による複数箇所の同時破堤などがこれに含まれる。
このような事象に対しては、堤防等のハードインフラだけで完全に防御することは不可能である。
そのため、市民の生命を守ることを最優先とし、広域避難の実施や、市内各所に整備が提案されている建設発生土を活用した巨大な人工高台「命山(いのちやま)」等の広域避難・支援前進基地への退避が主眼となる。
レベル2対策は「都市の維持」ではなく「人命の最終的保護」を目的とする。
2.2 レベル1災害:高確率で直面する現実的脅威
一方で、分析の焦点として重要なのは、レベル1の災害である。
これは数十年に一度から百年に一度の確率で発生する、比較的高頻度の事象であり、大型台風の接近に伴う高潮や、梅雨前線・線状降水帯による一級河川の水位上昇、および内水氾濫などが該当する。
地盤高が極めて低い弥富市においては、レベル1の外力であっても、堤防等のインフラに局所的な不具合(一部決壊や越水)が生じた瞬間に、市街地に大規模な浸水(水深1〜2メートル程度)が発生する。
レベル1の災害時において、全市民が嵐の中で指定避難所へ水平移動(歩行や自動車での移動)することは、かえって被災リスク(冠水した道路での溺死や車両水没)を高める危険な行為である。
したがって、レベル1の災害に対する最も合理的かつ効果的な防御策は、市民が自らの住宅や近隣の施設に留まったまま安全を確保し、水が引くのを待つことができる「建物の構造的強靭化(垂直避難の担保)」に他ならない。
これを制度として確立することが、行政の救助負担を劇的に軽減し、避難所のキャパシティ不足を防ぐ唯一の手段である。
3. モデルケースとしての「名古屋市臨海部防災区域建築条例」の構造分析
発生確率の高いレベル1災害に対し、建物の構造規制によって市民の生命と財産を守るというアプローチにおいて、隣接する名古屋市が施行している「名古屋市臨海部防災区域建築条例」は極めて優れた法制度モデルである。
この条例は、1959年に死者・行方不明者5,000名以上という甚大な被害をもたらした伊勢湾台風を教訓とし、1961年(昭和36年)に建築基準法第39条(災害危険区域)に基づいて制定された。
3.1 建築基準法第39条に基づく「災害危険区域」の指定と私権制限
建築基準法第39条は、地方公共団体が条例によって「津波、高潮、出水等による危険の著しい区域」を災害危険区域として指定し、その区域内における住居等の建築禁止や、災害防止上必要な構造制限を定めることができると規定している。
都市計画法上の用途地域などとは別に、市民の生命保護を目的とした強力な私権制限(建築制限)を地方自治体の権限で合法的に行使できる点にこの制度の真価がある。
3.2 規制のグラデーションと「N.P.」基準の適用
名古屋市の条例は、海からの距離や市街化の程度に応じて区域を第1種から第4種に細分化し、それぞれに合理的な規制を設けている。弥富市の内陸市街地にとって特に参考となるのが、第2種区域および第4種区域の規制内容である。
| 区域種別 | 指定地域の特性 | 1階床高制限(N.P.基準) | 構造・居住制限の原則 |
|---|---|---|---|
| 第1種区域 | 防潮壁より海側の臨海埋立工業地 | N.P.(+)4.0m以上 |
木造禁止、原則として居住施設の建築禁止。 |
| 第2種区域 | 既存市街地・土地区画整理が進む区域 | N.P.(+)1.0m以上 |
原則2階建以上(2階以上の階に居室を設ける)。 |
| 第3種区域 | 比較的内陸の既存市街地 | N.P.(+)1.0m以上 |
構造制限なし(床高規制のみ)。 |
| 第4種区域 | 市街化調整区域等、避難場所が少ない区域 | N.P.(+)1.0m以上 |
原則2階建以上(2階以上の階に居室を設ける)。 |
表2:名古屋市臨海部防災区域建築条例における区域別制限の概要
3.3 一般住宅における防御思想:「平屋建の禁止」とN.P.+3.5mの論理
この条例の核心は、第2種および第4種区域において、「居住室を有する建築物(住宅等)」を建築する場合、原則として2階建以上とし、2階以上の階に居室を設けなければならないとしている点である。
この設計思想は、仮に1階部分が高潮や洪水によって浸水した場合でも、住民が2階へ垂直避難することで命を守り、かつ水が引くまでの一時的な生活空間(一室だけでも水に浸からない空間)を確保することを目的としている。
ここで規定されている「N.P.(+)3.5メートル」という数値(※例外的に平屋を建てる場合、または公共施設等の居室高として要求される基準)は、水理学的に極めて論理的な設定である。
前述の通り、名古屋港の朔望平均満潮位はN.P.+2.61メートルである。N.P.+3.5メートルという高さは、この満潮位を約0.9メートル上回っており、堤防決壊に伴う水位上昇や波浪の影響を考慮しても、生活空間への浸水を確実に防ぐための堅牢な防衛線として機能する。
通常の2階建住宅であれば、1階の床高をN.P.+1.0m程度とすれば、2階の床面は自然にN.P.+3.5mをクリアできる設計となっている。
一般住宅においては、建物の1階部分(N.P.+1.0m等)が満潮時や出水時に浸水することはある程度許容する(それは物理的に避けられない)代わりに、「2階に逃げれば満潮水位であっても絶対に水に浸からない」という高さをきっちりと担保することが、この条例の真髄である。
3.4 公共施設等における防御思想:機能維持のための厳格な床高制限
一方で、条例第9条は、学校、病院、集会場、官公署、児童福祉施設といった「避難及び救助・救援の拠点となる可能性がある公共建築物」に対して、一般住宅とは根本的に異なる防御思想に基づく厳しい制限を課している。
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1階の床の高さをN.P.(+)2.0メートル以上とすること。
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N.P.(+)3.5メートル以上の位置に1つ以上の居室を設けること。
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主要構造部を木造以外の建築物(鉄筋コンクリート造等)とすること。
一般住宅が「浸水しても2階に逃げて命を守る」ことを前提としているのに対し、公共施設は「満潮になっても1階から水に浸からない(拠点としての機能を喪失しない)」ことを目標としている。
そのため、1階部分の床高そのものを一般住宅(N.P.+1m)よりもさらに1メートル高いN.P.+2.0mに設定し、電源設備の水没や1階備蓄倉庫の損壊を防ぐ設計を義務付けているのである。
4. 弥富市への条例適用と「防御的建築」のカスタマイズ
上述した名古屋市の条例メカニズムを、同じく海抜ゼロメートル地帯に位置し、伊勢湾台風で甚大な被害を受けた弥富市に導入することは、極めて高い妥当性と緊急性を持つ。
水害のメカニズムは名古屋市南部・西部(港区や中川区等)と完全に一致しており、名古屋港の潮位変動(N.P.基準)をそのまま適用可能な環境にある。
4.1 弥富市独自の「災害危険区域」指定とゾーニング戦略
弥富市において建築基準法第39条に基づく「災害危険区域」を指定し、独自の建築条例を制定する場合、名古屋市のような区域分けを弥富市の特性に合わせて再定義する必要がある。
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河川近接・破堤リスク区域(第1種相当): 木曽川や日光川の堤防に極めて近く、万が一の越水や決壊時に激しい水流(破堤氾濫流)の直撃を受け、家屋が流失するリスクが高い区域。ここでは、木造住宅の建築を禁止し、鉄筋コンクリート造(RC造)等の堅牢な構造を義務付けることが求められる。
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既存市街地・居住誘導区域(第2種相当): 弥富駅周辺や佐古木駅周辺など、人口密度が高く都市機能が集積している区域。この区域こそ、名古屋市の第2種区域と同様に「原則2階建以上(2階居室N.P.+3.5m以上)」の垂直避難構造を義務付けるべきである。
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市街化調整区域・広域農地(第4種相当): 避難所へのアクセスが物理的に遠く、長期間の孤立リスクが高い区域。自らの建物で安全性を確保する必要性が極めて高いため、平屋の原則禁止と、より高い床高基準の適用を義務付ける。
4.2 大規模集客施設への準公共施設基準の適用
弥富市における条例化で特に重視すべきは、市役所や学校等の純粋な公共施設だけでなく、民間であっても不特定多数が集まる中規模以上の商業施設や観光拠点に対する床高制限である。
例えば、弥富市周辺には道の駅(隣接する愛西市のHASUパーク等を含む広域的な集客拠点)や大型商業施設が存在する。
これらの施設がレベル1の災害時に浸水した場合、そこに取り残された帰宅困難者の救命が極めて困難になる。
そのため、店舗や集会場の延床面積が一定以上(例:500平方メートル以上)の建築物に対しては準公共施設と見なし、条例によって1階の床高をN.P.+2.0m以上に嵩上げすること、あるいは2階以上への避難スロープ・外階段の設置を義務付けるべきである。
公共的役割を担う施設は、大潮の満潮時相当の水位が押し寄せても機能不全に陥らない設計が求められる。
5. 都市計画マスタープランへの実装と法的枠組みの構築
条例を単独で制定するだけでは、都市計画全体との整合性が取れない。
都市計画マスタープラン(市町村の都市計画に関する基本的な方針)の中に、この建築規制の必要性と方向性を明確に位置づけることが、法制化への第一歩となる。
現行の「弥富市都市計画マスタープラン」や「立地適正化計画」は、防災への意識喚起や下水道等の基盤整備には触れているものの、私権制限に踏み込む強力なハード対策の義務化への言及が不足している。
5.1 「都市防災の方針」の抜本的改定
次期都市計画マスタープランにおいて、「都市防災の方針」の章を大幅に改定し、以下の概念を明記する必要がある。
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「水平避難から、垂直避難を前提とした都市構造への転換」
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ゼロメートル地帯という特性上、レベル1災害時における広域避難が間に合わない事態を想定し、各建物における垂直避難を原則とする都市づくりを進める方針を明記する。
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「災害危険区域の指定と建築規制の導入」
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市民の生命を守るため、建築基準法第39条に基づく災害危険区域の指定に向けた検討を進め、N.P.基準に基づく建築物の床高や構造に関する独自の条例制定を速やかに行う旨を明示する。
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「公共インフラの浸水対策基準の明確化」
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市が整備する公共施設、および都市機能誘導区域内の拠点施設について、設定する床高(N.P.+2.0m等)の目標値をマスタープラン上に明示する。
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5.2 立地適正化計画の「防災指針」との連動
立地適正化計画の防災指針は、居住誘導区域内における安全確保を目的としている。
前述の通り、弥富市では浸水想定区域を居住誘導区域から除外することができないため、防災指針において「除外できない代わりに、建築物の構造規制(床高確保・2階居室義務化)というハード対策を誘導策の必須条件とする」というロジックを構築する。
都市再生特別措置法に基づく立地適正化計画において、防災指針に「防災措置を講じた建築物への支援や規制」を明確に位置づけることで、後述する国庫補助金や交付金の獲得に向けた法的な大義名分を得ることができる。
5.3 「命山」構想との補完関係:レベル1とレベル2のハイブリッド戦略
条例による個々の建築物の構造規制(ミクロの対策=レベル1対応)と同時に、都市計画マスタープランには広域的な防災拠点(マクロの対策=レベル2対応)の整備も位置づけるべきである。
近年、弥富市において提案されている「一宮西港道路の建設発生土を活用した次世代型防災拠点『命山(いのちやま)』」は、まさにレベル2の災害に備えるための切り札となる。
各家庭・各施設は条例に基づく「2階以上(N.P.+3.5m)」でレベル1の出水や数日間の浸水をしのぐ。
しかし、破堤等により水が長期間引かない想定最大規模(レベル2)の事態においては、ボートや自衛隊のヘリコプター等によって、市内に整備された巨大な人工高台「命山」へ二次避難し、そこから市外へ脱出する、あるいは支援物資を受け取るという「二段構えの防災システム」を構築する。
マスタープランには、都市計画法第53条を活用してインターチェンジ周辺等に命山の用地を事前確保(網掛け)する方針と、建築基準法第39条に基づく個別の建築規制の双方を車の両輪として記載することが求められる。
6. 条例化に向けた社会的課題の克服と経済的支援スキーム
都市計画マスタープランに方向性を位置づけた後、速やかに条例制定へと移行するための具体的なプロセスと、それに伴う社会的・経済的課題への対応策を考察する。
6.1 経済的負担の増大と行政の支援スキーム
建築制限は市民の財産権に対する制約となる。基礎を高くし(盛土や高基礎の採用)、平屋を禁じて2階建て以上の構造を義務付けることは、新築や建て替えを行う市民・事業者に対して数百万円単位の追加コストを強いることになる。
この課題を克服するためには、単なる「規制」ではなく「支援」をセットにしたパッケージ政策が不可欠である。
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防災建築補助金の創設: 条例の基準を満たす(あるいは基準以上の高床構造とする)住宅を新築・改築する市民に対し、嵩上げ工事や避難スロープ設置にかかる費用の一部を市が直接補助する制度を設ける。
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国庫補助金の戦略的獲得: 弥富市単独の財源では限界があるため、立地適正化計画の防災指針に基づく「防災・安全交付金」や、都市再生整備計画事業などの国土交通省の補助スキームを戦略的に活用し、財源を国から引き出す。
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容積率・建蔽率の緩和特例: 避難室や外部から2階へ直接上がれる避難用外階段を設ける場合、その部分の面積を建蔽率や容積率の算定から除外する、あるいは高さ制限を緩和するといった都市計画法・建築基準法上の優遇措置を併用し、事業者の経済的デメリットを軽減する。
6.2 既存不適格建築物への段階的対応
条例施行時に既に建っている平屋や、1階床高の低い住宅は「既存不適格建築物」となる。
これらに対して直ちに改修を迫ることは法的に不可能であるため、長期的な視点での誘導が必要となる。増改築(一定規模以上)のタイミングで条例への適合を義務付けるほか、リフォーム時に2階部分に「水に浸からない避難部屋(シェルター)」を後付けする工事に対しても助成を行うなど、段階的な安全性の底上げを図る仕組みを整備する。
7. 結論:逃げ出せない都市における「防御的建築」の法制化
海抜マイナス1.5メートルというゼロメートル地帯に位置し、弥富駅周辺などの既存都市インフラを移転させることが不可能な弥富市において、迫り来る水害リスクから市民の生命を守るためには、都市計画のパラダイムシフトが不可欠である。
分析から得られた主要な結論は以下の通りである。
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垂直避難のインフラ化: 広域避難(水平避難)には物理的・時間的限界があり、特に発生確率の高いレベル1災害においては、市街地が浸水することを前提とした各建築物における「垂直避難の担保」が唯一の現実的な解である。
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条例モデルの適用: 名古屋市の「臨海部防災区域建築条例」におけるN.P.基準を用いた床高規制と2階居室の設置義務(N.P.+3.5m)は、一般住宅の生存空間を確保する上で極めて有効である。また、公共施設に対してはN.P.+2.0m以上の1階床高を課すことで、満潮時にも機能不全に陥らない設計思想を弥富市にも適用すべきである。
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都市計画マスタープランへの実装と法的担保: これらの建築規制を導入するためには、次期「弥富市都市計画マスタープラン」に建築基準法第39条に基づく「災害危険区域」の指定方針を明記し、立地適正化計画の防災指針と連動させた上で、速やかに独自の建築条例として法制化しなければならない。
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ハード対策のハイブリッド化: 建築規制による個別の防御(レベル1対応)と、都市計画法第53条を活用した「命山」等の広域防災拠点整備(レベル2対応)を組み合わせることで、強靭な二段構えの防災システムが完成する。
ハザードマップが「危険を知らせる地図」に過ぎないのに対し、建築条例に基づく構造規制は「危険を物理的に排除する盾」である。
行政機関には、これらの施策を遅滞なく都市計画マスタープランに落とし込み、法的拘束力を持つ条例として速やかに施行するとともに、市民の経済的負担を軽減する補助スキームを構築する強い政治的リーダーシップが求められる。
