
Aさん(疑問を持つ読者): 「こども基本法やこども家庭庁ができて『こどもまんなか社会』が叫ばれているけれど、現場の現実とはかなりズレがあるって聞いたよ。これまでの保育の歴史や親の労働環境も含めて、今何が問題になっていて、これからどうやってそれを解決していくべきなのか、全体像をまとめて教えてくれないかな?」
Bさん(レポートの解説者): 「わかりました。一言で言えば、『法律や理念という”理想”は整ったけれど、社会構造という”現実”がそれに追いついていない』というのが現在の最大の課題です。具体的な問題点と解決策のポイントを整理してお伝えしますね。
まず、現代のこども政策が抱える3つの構造的な問題点は以下の通りです。
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こどもの声が軽視される現状(子どもアドボカシーの壁) 制度上、こどもは『権利の主体』として明確に位置づけられましたが、社会の末端では依然として大人の都合が優先されています。こどもの発する微細な声や非言語のサインをすくい上げ、意思決定に反映させる『子どもアドボカシー(意見表明の支援)』が社会に浸透していません。
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新自由主義による「保育の市場化」の限界 過去数十年にわたり、コスト削減や効率化を目的とした保育施設の民営化・指定管理者制度が推進されてきました。しかし、これにより保育の質を保つことが難しくなり、さらに現在の急激な少子化によって供給過剰となり、多くの民間保育園が経営危機に陥っています。
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過酷な労働市場による保護者の疲弊 共働きが一般化し、親は時間的にも精神的にも余裕のない限界状態にあります。その結果、本来『こどもの育ちを保障する場』であるはずの保育園が、『親が労働するための付帯サービス(手段)』へと変質し、こどもが政策の客体(処理される対象)に追いやられています。
これらの課題に対する国としての新たな解決の羅針盤が、『はじめの100か月の育ちビジョン』です。 これは妊娠期から小学1年生までの期間を対象に、こどもの幸せ(ウェルビーイング)を総合的に支える指針であり、『保護者自身の幸せ(共育ち)』も不可欠であると現実的な目線で明記されている点が画期的です。
そして、この立派な理念を『絵に描いた餅』にせず、現実の社会に実装していくためには、以下の4つの転換(解決策)が必要だと結論づけられています。
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保育の目的を根本から変える: 親が働いているから預かるという『就労要件』から、すべてのこどもに豊かな経験を保障する『こどもの育ちの保障』へパラダイムシフトする。
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家庭を孤立させない『面』の支援: 地域コーディネーターなどを活用し、親を労働の圧迫から解放して地域全体で包摂的に支える仕組みを作る。
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こどもの声を聴く仕組みの制度化: 保育士などの専門性を高め、こどもの『声なき声』を聴き、政策や日々の運営に反映させるプロセス(アドボカシー)を徹底する。
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『ケアの公共性』の再構築: 保育をビジネスの論理から切り離し、再公営化の議論も含めて、国や自治体の公的責任を再び強力に位置づけ直す。
つまり、こども政策を『大人の労働支援』という枠組みから完全に脱却させ、社会全体で親を支えながら、こどもの声を真ん中に据え続けること。それこそが、時代に逆行せずに『真の権利主体としてのこども』を取り戻す唯一の道なのです。」
対話で読み解く「こども政策の理想と現実」
Aさん: 最近ニュースで「こども家庭庁」とか「こども基本法」ってよく聞くけど、このレポートは結局のところ何が言いたいの?
Bさん: 一言でいうと、「法律や制度といった『理想』は立派になったけれど、社会の『現実』が全くそれに追いついていない構造的な理由と、その解決策」を分析したものです。制度上はこども政策の完成形に近づいたように見えますが、保育の現場や家庭では、こどもがまだまだ大人の都合に振り回されているのが実態なんです。
Aさん: 大人の都合に振り回されている?
Bさん: ええ。これまで日本はこどもを「大人が保護する対象(客体)」として扱ってきました。でも本来、こどもは生まれながらに人権を持つ「権利の主体」です。 そこで重要になるのが、こどもの声を聴き、代弁する「子どもアドボカシー」という考え方なのですが、社会にはまだこどもの微細な声や非言語的なサインを受け止める余裕がありません。「まだこどもだから」と大人の声にかき消されてしまっているんです。
Aさん: 社会に余裕がないって、例えば保育園とかも?
Bさん: その通りです。過去数十年にわたる保育の市場化・民営化が大きな壁になっています。自治体の財政難からコスト削減や効率化を優先して民間委託(指定管理者制度など)を進めた結果、有期雇用などで保育士が定着しづらくなり、保育の質を保つのが難しくなりました。
Aさん: 待機児童問題の時は「とにかく保育園を作れ」って感じだったよね。
Bさん: はい。でも今は少子化が急激に進み、逆に「供給過剰」による定員割れで経営難に陥る民間保育園が増えています。市場原理(ビジネス)に任せた結果の限界ですね。だから今、もう一度自治体が公的な責任を持つ「再公営化」すら真剣に議論され始めているんですよ。
Aさん: なるほど。でも、そもそも今の親世代もすごく大変じゃない?共働きが当たり前だし。
Bさん: そこがレポートのもう一つの核心です。過酷な労働環境の中で、親も時間的・精神的に極限まで疲弊しています。かつて「保育園落ちた日本死ね」という言葉が話題になりましたが、あれは保育が「こどもの育ちの場」ではなく、「親が労働市場に参加するための不可欠なツール」に変質してしまった象徴です。
Aさん: 親に余裕がないのに、「こどもまんなか社会ですよ!」って国から高い理想だけ押し付けられても、プレッシャーになるだけだよね。
Bさん: まさにその通りです。そこで国が新たなフラグシップ(最大の指針)として打ち出したのが「はじめの100か月の育ちビジョン」です。妊娠期から小学1年生くらいまでの期間を重視し、こどものウェルビーイング(幸せ)を包括的に支えようというものです。
Aさん: 具体的にはどんな内容なの?
Bさん: 大きなポイントは、縦割りの支援をなくして「面」で支えることや、アタッチメント(愛着)を基盤にした豊かな遊びを保障すること。そして何より現実的なのが、「保護者自身のウェルビーイング」も高めると明記した点です。親が社会に支えられて幸せでなければ、こどものより良い育ちは実現しない、という「共育ち」の視点ですね。
Aさん: それはすごく腑に落ちる。じゃあ、そのビジョンを「絵に描いた餅」にしないために、これからどうすればいいの?
Bさん: レポートは、社会実装に向けた以下の4つのアプローチを提案して結論づけています。
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保育の目的の転換: 保育を「親が働いているから預かる」という就労要件から、「すべてのこどもの育ちを保障する」ものへ変えること(こども誰でも通園制度の深化など)。
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保護者への包摂的な支援: 地域コーディネーターなどを活用し、家庭を孤立させず、地域全体で親を支える体制を作ること。
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「こどもの声」を聴く仕組みの徹底: 保育士などの専門性を高め、こどもの「声なき声」をすくい上げて、日々の運営や政策に反映させること(アドボカシーの制度化)。
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「ケアの公共性」の再構築: 保育をビジネスの論理から切り離し、国家や自治体が果たすべき「公的責任」をもう一度強力に位置づけ直すこと。
Aさん: なるほど。こども家庭庁ができたから終わりじゃなくて、労働環境や保育の市場化といった「社会の構造」そのものを根底から変えていかないと、本当の意味で「こどもを主体」にはできないってことだね。よく分かりました!
こども政策の構造的課題と「こどもまんなか社会」の実装に向けた論点整理:要約
本報告書は、「こども基本法」や「こども家庭庁」の創設といった法制度上の歴史的転換(理想)と、新自由主義的な労働市場や保育の市場化がもたらす抑圧(現実)との間に存在する深刻な構造的乖離を分析し、その解決策を提示しています。
理想と現実の構造的乖離
現在のこども政策を取り巻くパラダイムの衝突を整理すると以下のようになります。
| 項目 | 政策・理念が目指す「理想」 | 社会構造がもたらす「現実」 |
| こどもの位置づけ | 基本的人権を持つ「権利の主体」 | 労働を円滑に進めるための「処理される客体」 |
| こどもの声 | アドボカシーによる意見表明の保障 | 大人の都合や声の大きさに抑圧・軽視される |
| 保育所の役割 | こどもの最善の利益・育ちを保障する場 | 親が労働市場に参加するための「付帯サービス」 |
| 保育の運営体制 | すべてのこどもを守る普遍的な社会的インフラ | 民営化・効率化優先による質の低下と供給過剰 |
主要な論点と構造的課題
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子どもアドボカシー(意見表明権)の壁
制度上はこどもが「権利の主体」となったものの、社会の末端では依然としてパターナリズム(温情主義)が根強い。こどもの微細な声や非言語的なサインをすくい上げ、意思決定に反映させる「アドボカシー」の理念が日常レベルで浸透していない。
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新自由主義による「保育の市場化」と公共性の喪失
指定管理者制度や民営化の推進により、保育が「コスト削減」や「効率化」の対象となった。結果として有期雇用による保育の質の低下を招き、さらに少子化による供給過剰で民間保育園の経営危機が続出。現在、公的責任を見直す「再公営化」の議論が起きている。
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過酷な労働市場による保護者の疲弊
「保育園落ちた日本死ね」に象徴されるように、保育が「親の労働支援」の手段へと変質している。共働きが一般化し、時間的・精神的に極限状態にある保護者に「こどもまんなか」の理念だけを押し付けることは、新たな抑圧になりかねない。
解決の羅針盤:「はじめの100か月の育ちビジョン」
上記の課題に対する国のフラグシップ政策として、妊娠期から小学1年生(概ね100か月)までの期間を対象としたビジョンが策定されています。
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こどもの権利と尊厳を守る: すべてのこどもを権利主体とし、アドボカシーを社会基盤とする。
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安心と挑戦の循環: アタッチメント(愛着)を基盤とした豊かな遊びと経験を保障する。
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切れ目のない支援: 縦割りを排し、妊娠期から就園・就学まで「面」で支える。
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保護者のウェルビーイング: 親自身が満たされて初めてこどもが育つ「共育ち」の環境を作る。
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社会の厚みを増す: 環境によらずひとしく育つ権利を保障する普遍主義(ユニバーサリズム)。
社会実装に向けた実践的アプローチ(結論)
「こどもまんなか社会」を表面的なスローガンで終わらせないため、本報告書は以下の具体的な転換を求めています。
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保育の目的の再設定
保育の利用条件を「就労要件(親が働くため)」から、「こどもの育ちの保障(こどもの権利のため)」へと根本的に転換する(「こども誰でも通園制度」の深化など)。
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保護者への包摂的支援と「面」の体制構築
親を労働の圧迫から解放し、孤立を防ぐ。地域コーディネーター等を活用し、家庭・地域・専門機関が連携してこどもを支える体制を作る。
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子どもアドボカシーの徹底と制度化
保育士等の専門性を高め、こどもの「声なき声(つぶやきや行動)」を聴き、政策や日々の運営に反映させるループを制度として組み込む。
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「ケアの公共性」の再構築
保育を市場原理(ビジネス)から切り離し、再公営化の議論も含めて国家・自治体の公的責任を強力に位置づけ直す。
現代日本におけるこども政策の構造的課題と「こどもまんなか社会」の実装に向けた論点整理
1. 序論:パラダイムシフトの理想と社会構造的現実の乖離
2023年4月に創設された「こども家庭庁」および、それに先立つ2022年6月に制定された「こども基本法」は、日本の社会政策・児童福祉政策において歴史的な転換点となる出来事である。
これらの新たな制度的枠組みは、1989年に国際連合で採択され、日本が1994年に批准した「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」の理念を国内法として実質化し、すべてのこどもが将来にわたって幸福な生活を送ることができる「こどもまんなか社会」の実現を強力に推進することを目的として構築された。
しかしながら、政府主導による総合的な体系化が進められ、法整備という「大人の受け止め(制度設計)」としては一つの完成形を見た一方で、保育や子育て支援の現場、そして各家庭における現実の営みとの間には、依然として深刻かつ構造的な乖離が存在している。
制度上は「こどもを権利の主体として扱う」と高らかに宣言されているものの、社会の実態としては、こどもの発する微細な声やつぶやきは「まだこどもだから」という旧態依然とした理由によって軽視され、大人の都合や経済的要請の枠組みの中に押し込められているのが現状である。
本報告書は、提示された問題意識に基づき、現代日本のこども政策が抱える構造的な矛盾を多角的に分析し、論点を整理する。
具体的には、新自由主義的な労働市場がもたらす保護者の疲弊とそれに伴うこどもの「客体化」、1990年代以降の民営化・指定管理者制度の導入から現在の供給過剰・再公営化議論に至る保育体制の変遷、そして、こども家庭庁が掲げるフラグシップ政策である「はじめの100か月の育ちビジョン」の哲学的意義と、その社会実装に向けた実践的課題について、網羅的かつ体系的に論じる。
2. こどもの権利とアドボカシー:真の「主体」への転換の歴史と現状
2.1 子どもの権利条約とこども基本法の精神
長らく日本の児童福祉政策は、こどもを「保護の対象(客体)」として扱うパターナリズム(温情主義)の傾向が極めて強かった。
こどもは大人に守られるべき脆弱な存在であるという前提のもと、保護という名目で大人の意思が優先される社会構造が形成されていた。
しかし、今から30年以上前の1989年11月に国連総会で満場一致で制定された「子どもの権利条約」は、こどもが生まれながらにして基本的人権を持つ「権利の主体」であることを明確に宣言している。
日本はこの条約を1994年に批准し、国際社会に対して条約の理念を実現することを約束した。
しかし、その理念が国内法として明確に体系化されるまでには長い時間を要した。
2022年に制定された「こども基本法」第1条においては、「日本国憲法及び児童の権利に関する条約の精神にのっとり」こども施策を実施することが明記され、同第3条では、すべてのこどもが個人として尊重され、不当な差別的取扱いを受けず、その多様性が尊重されることが基本理念として掲げられた。
政府はこれに基づき、2023年に「こども大綱」を、2024年に「こどもまんなか実行計画2024」を策定し、ライフステージ全体を通して対処すべき課題(こどもの貧困対策、児童虐待防止、障害児支援、多様な遊びの機会創出など)に対する施策を総合的に推進する体制を整えた。
これにより、法制度上、こどもはもはや大人の従属物ではなく、独立した権利行使の主体として確固たる位置づけを得たのである。
2.2 子どもアドボカシー(意見表明権の保障)の現在地と構造的障壁
法的な権利主体としての位置づけがなされたにもかかわらず、社会の末端に至るまでその理念が浸透しているとは言い難い。
ここで政策の成否を握る極めて重要な概念が「子どもアドボカシー(Child Advocacy)」である。
アドボカシーとは、こどもが自身の思いや願いを自ら表明できるように支援し、あるいはこどもに代わって声を上げる(代弁する)ことによって、その基本的人権を擁護する働きを指す。
2019年および2022年の児童福祉法等の改正により、「意見表明権を保障する仕組みや子どもの権利擁護のあり方についての検討」が盛り込まれ、児童相談所等におけるこどもの意見聴取が義務化されるなど、全国各地で子どもアドボケイト(意見表明を支援する専門人材)の養成や仕組みづくりが始動している。
しかしながら、全国組織である子どもアドボカシー機関の報告によれば、子どもアドボカシーは日本社会において「新しい概念」であるため、大人側の抵抗感やためらいが動きを鈍らせているという深刻な現状が存在する。
家庭、学校、地域社会といったあらゆる日常の場面において、こどもの声は「周囲が受け止めなかったり、声の大きい人(大人)にかき消されてしまったりする」という構造的な抑圧状態に置かれている。
こどもが発する「つぶやき」や、言葉にならない声(表情や行動などの非言語的表現)を、制度の設計者や現場の保育者、さらには保護者がいかにして掬い上げ、政策や日々の関わりに反映させていくかが、「こどもまんなか社会」の真価を問う最大の試金石である。
こどもが大人にならないと社会の矛盾に気づけない、あるいは声を上げられないという現状は、政策の主体が依然としてこどもに移行していないことの証左である。
3. 保育政策の歴史的変遷:公的責任の後退と「時代逆行」のメカニズム
現在の保育現場における混乱や、こどもが主体として扱われない状況を理解するためには、過去30〜40年にわたる日本の保育政策の歴史的変遷を振り返る必要がある。
かつての「ほんわかとした公立保育所が当たり前であった時代」から、現在の市場化・民営化された複雑な供給体制へと至る軌跡には、公共性の後退という「時代逆行」とも言えるパラダイムシフトが存在する。
3.1 PFI・指定管理者制度・民営化の推進とその「逆機能」
2000年代以降のいわゆる「三位一体の改革」を契機として、地方自治体の財政難を背景に、PFI(Private Finance Initiative:民間資金等活用事業)に代表される「官から民へ」の新公共管理(NPM)の潮流が席巻した。
この中で、公立保育所の統廃合および民営化が強力に推進され、公の施設の管理に民間事業者を導入する「指定管理者制度」が多くの自治体で採用された。
自治体が策定したガイドライン等においては、建物の管理面や運営において民間活力を導入し、運営主体の自主性を高め、コスト削減とサービスの多様化を図ることが主目的とされてきた。
しかし、保育という属人的かつ高度な「ケアの労働」を市場原理や効率化の論理に委ねることは、深刻な「逆機能(意図せざる負の結果)」をもたらした。
| 制度的枠組みの変遷 | 意図された目的 | 現場にもたらされた構造的課題(逆機能) |
|---|---|---|
| 指定管理者制度の導入 | 競争原理によるサービス向上、行政コストの削減 |
有期契約(数年単位)であるため、長期的な保育ビジョンが立てにくく、保育士の継続雇用が阻害され、こどもとの安定した関係構築が困難になった。 |
| 民間への譲渡(民営化) | 運営の効率化、待機児童の迅速な解消 |
民間事業者は事業の黒字化による継続性を担保せざるを得ないため、経営効率が優先されやすい。特別な支援を要するこどもへの「加配保育士」の配置など、手厚い対応力が低下する懸念が生じた。 |
| 公立施設の統廃合 | 財政負担の軽減、供給体制の再編 |
保護者が「公立保育所に預ける」という選択肢を奪われ、子育て支援の充実に逆行する結果を招いた。また、緊急時における責任の所在が曖昧になるリスクが高まった。 |
3.2 少子化の進行による供給過剰と民間保育園の経営危機
待機児童対策として、行政が数(量)を中心に民間保育園の整備を過剰に推進した結果、現在、全く別の次元の危機が顕在化している。
それが、急激な少子化の進行(乳幼児人口の減少)に伴う「教育・保育の供給過剰」と「定員割れ」の問題である。
1980年代半ばから公立保育所が減少に転じ、その後も一貫して減り続ける一方で、民間施設は急増してきた。
しかし現在、多くの地域で民間保育園が定員を確保できず、経営難に陥る事例が急増している。
民間事業者は独立採算を基本とするため、定員割れによる収入減は直ちに保育士の待遇悪化や施設の存続危機に直結する。
これは、保育という極めて公共性の高いインフラを市場競争の論理に委ね、施設を作りすぎたことの限界を示す最たる例である。
3.3 「再公営化」への回帰論と真の公共性の再構築
一度は民営化や指定管理者制度へと移行した施設を、再び直営(公営)に戻す「再公営化(または指定管理の取止め)」の動きが、現在の地方自治において真剣に議論され始めている。
児童館や学童クラブ、保育所などの施設において、指定管理を取りやめる最大の理由として「費用対効果の検証結果(導入してもコスト削減効果が見込めない)」や、「直営で運営すべき施設であるという公的責任の再認識」、「新規かつ優良な民間受託者を探すことの困難さ(事業者の不在)」が挙げられている。
建設から管理までを民営化しようとした動きが一巡した今、時代の流れは逆回転を始めている。
保育の主体が何であるかを問い直すとき、それは市場経済における「利益」ではなく、「こどもの最善の利益」でなければならない。
そのためには、国家や自治体が果たすべき「公的責任」を再び強力に位置づけ直し、保育をビジネスではなく、すべての子どもの権利を保障するための普遍的な社会的インフラとして再構築することが求められている。
4. 新自由主義的労働市場における保育の変質と「客体化」されるこども
保育制度の歴史的変遷と並行して、こどもの育ちを根底から脅かしているのが、保護者を取り巻く過酷な労働環境の激変である。
現在の日本社会において、子育て支援や保育所の存在意義が、本来の「こどもの育ちの保障」から大きく逸脱している現状を直視しなければならない。
4.1 「保育園落ちた日本死ね」にみる保育の手段化
かつて社会現象となった「保育園落ちた日本死ね」という匿名ブログの叫びは、日本の保育政策の本質的な歪みと、親たちの極限状態を見事に浮き彫りにした。
この言葉が象徴しているのは、「保育所にこどもを預けられなければ仕事に行けず、仕事に行けなければ生活が破綻する」という、生存と労働を直結させる切実な生存競争の現実である。
この文脈において、保育所は「こどもの最善の利益」を追求するための神聖な場というよりも、「親が労働市場に参加するための不可欠なインフラ(付帯サービス)」として機能することが強く要請されてきた。
政府が進めてきた待機児童解消政策の多くも、マクロ経済的には女性の就業率向上(共働きの一般化)を支えるための労働力政策としての側面が極めて強かった。
この構造の中では、こどもは政策の「主体」ではなく、労働を円滑に進めるために管理・処理されるべき「客体」へと不可避的に追いやられてしまう。
4.2 働き方改革の限界と保護者の疲弊
日本経済が新自由主義的なグローバル競争に組み込まれる中、労働市場は子育て世代に対して極めて過酷な条件を突きつけている。
「働き方改革」というスローガンが叫ばれて久しいが、現実には共働き世帯が一般化し、両親ともに時間的にも精神的にも余裕のない限界状態で日々の生活を回すことが「普通」になってしまっている。
親が精神的・時間的に極限状態にある中で、「こどもまんなか社会」という高い理念だけを上段から押し付けることは、親に対する新たな抑圧(プレッシャー)として機能しかねない。
「こどもの誕生、成長を一緒に喜び合える」社会を構築するためには、まず身近な保護者・養育者が社会と繋がり、社会に支えられ、安心と喜びを感じて子育てを行える環境(保護者のウェルビーイング)が不可欠であると、国のビジョンにおいても明確に認識されている。
しかし、労働市場の論理が優先される現状では、この理念は空語に等しい。
こどもを真の主体とするためには、保育を「労働のための付帯サービス」から「こどもの権利を保障する普遍的制度」へと再定義し、同時に親の労働環境を抜本的に是正するという両輪のアプローチが不可欠である。
5. 「はじめの100か月の育ちビジョン」の哲学的意義と構造
このような歴史的・構造的な課題、すなわち「新自由主義による親の疲弊」と「保育の市場化による公共性の喪失」に対する、国としての本格的なアンチテーゼであり、こども施策のフラグシップ(最大の指針)となるのが、2023年に策定された「幼児期までのこどもの育ちに係る基本的なビジョン(はじめの100か月の育ちビジョン)」である。
5.1 「はじめの100か月」の定義とバイオサイコソーシャルな視座
「はじめの100か月」とは、母親がこどもを妊娠してから、小学校1年生の途中くらいまで(誕生前約10か月+産後約84〜94か月=概ね100か月)の期間を指す。
この時期は、長い人生において人格の基盤を築く極めて重要な期間である。
本ビジョンは、こどもの「ウェルビーイング(幸せな状態)」を、短期的な幸福感だけでなく、身体的(バイオ)、精神的(サイコ)、社会的(ソーシャル)な3つの側面が互いに影響し合う「バイオサイコソーシャル」な観点から包括的に捉えている。
行政の縦割り構造(家庭、園、関係機関、地域の間の切れ目や、就園・就学前後の節目)を排し、社会全体でこどもの育ちを支えるための「共通の羅針盤」として機能することが意図されている。
5.2 育ちの5つのビジョンの本質的分析
本ビジョンは、以下の5つの柱から構成されており、これらは現在の日本社会が抱える病理に対する処方箋として機能するよう設計されている。
| ビジョンの柱 | 核心となる概念と政策的意図の深層 |
|---|---|
| 01 こどもの権利と尊厳を守る |
すべてのこどもが誰一人取り残されずに、権利主体として命と尊厳を守られる社会を実現する。こどもの思いや願い(言葉だけでなく表情や行動などの非言語的表現を含む)が尊重されることを第一義とする。これは、アドボカシーの理念を社会基盤に据える試みである。 |
| 02 「安心と挑戦の循環」を通してこどものウェルビーイングを高める |
乳幼児の育ちには「アタッチメント(愛着)」の形成が不可欠であると科学的知見に基づき明記した点が画期的である。安心できる身近な大人(安全基地)が見守る中で、こどもが夢中になって遊び(挑戦)、その経験を通じて自己肯定感や他者への優しさが育まれる循環を保障する。 |
| 03 「こどもの誕生前」から切れ目なく育ちを支える |
妊娠期から就園、就学に至るまで、様々な人や機会に支えられ、切れ目のない「面」での支援を実現する。行政の縦割りを排し、次代を支える循環を創出する。 |
| 04 保護者・養育者のウェルビーイングと成長の支援・応援をする |
ここに本ビジョンの現実的な眼差しがある。母親のみが養育の重責を担う状況を打破し、親自身が幸せな状態(ウェルビーイング)でなければこどものより良い育ちは実現しないと定義した。支援を受けることを「当たり前」とし、保護者がこどもと共に育ち合う(共育ち)環境を構築する。 |
| 05 こどもの育ちを支える環境や社会の厚みを増す |
特別な支援を要するか否かに関わらず、どのような環境に生まれ育ってもひとしく健やかに育つ権利を保障するという、強い普遍主義(ユニバーサリズム)の立場をとる。各分野や立場を超えた認識共有により、社会の厚みを増す。 |
このビジョンは、従来の「預かり機能」としての保育から、「アタッチメント」と「豊かな遊びと体験」を通じた人間形成の基盤作りへと、政策の重心を大きく移動させる哲学を持っている。
6. 「こどもまんなか社会」の社会実装に向けた実践的アプローチと論点整理
研究者や有識者、制度設計者が知恵を集めて作り上げた「はじめの100か月の育ちビジョン」という優れた枠組み(大人の受け止めとしては完成された制度)が存在する一方で、それをいかにして現実の社会構造の中に実装(インストール)していくかが、今後の最大の課題である。日常の子育ての中で、この理念を最適化し、活用していくための論点を以下に整理する。
6.1 家庭(親・祖父母)に対する包摂的支援と多世代の「共育ち」
こどもの育ちの最も基礎的な環境は、直接こどもと向き合っている親(父親、母親)や、祖父母である。
こどもを真の「権利の主体」として扱うためには、まずこの養育者たちが、新自由主義的な労働の圧迫から解放され、精神的・時間的余裕を取り戻す必要がある。
ビジョン第4の柱に示されている通り、保護者・養育者のウェルビーイングを高めるためのアプローチが不可欠である。
具体的には、産前産後の母子保健施策の推進のみならず、地域社会における「相談・交流・育ち合い」の場を確保し、子育て世帯を孤立させない仕組みづくりが急務である。
また、核家族化が進む中で、祖父母世代に対するアプローチも強化し、社会全体で育てるという意識の醸成が必要である。
6.2 地域コーディネーターによる「面」の支援の構築と最適化
行政の窓口や個別の保育施設という「点」の支援ではなく、地域全体で包括的に支える「面」の支援を実装するためには、個々のご家庭の千差万別な事情を優先し、最適なリソースをマッチングするつなぎ役となる人材が不可欠である。
この課題に対し、こども家庭庁が推進している「『はじめの100か月』地域コーディネーター養成事業」は、極めて重要な実践的アプローチである。
妊婦や乳幼児の親子を、地域の多様な主体(医療機関、福祉施設、地域の高齢者、NPO等)とつなぎ、交流する機会を提供することで、地域全体でのアタッチメント形成を支援する体制を早急に全国展開する必要がある。
6.3 制度設計の中心を「労働支援」から「こどもの育ちの保障」へ再設定する
保育施設等の行政サービスにおいて、「就労要件(親が働いているから預かる)」というパラダイムから、「こどもの育ちの保障(すべてのこどもに豊かな遊びと体験、アタッチメントの機会を保障する)」というパラダイムへの根本的な転換が必要である。
現在検討・推進されている「こども誰でも通園制度」の創設は、親の就労要件を問わず、未就園児を含めたすべての乳幼児に質の高い保育環境(アタッチメントの形成や遊びと体験の機会)を提供する画期的な試みである。
これを単なる「親のレスパイト(一時的な休息)支援」に矮小化せず、こどもの権利保障の観点から制度設計を深化させるべきである。
6.4 「こどもの声(つぶやき)」を聴く技術と体制の制度化(子どもアドボカシーの徹底)
最終的に立ち返るべきは、子どもアドボカシーの社会実装である。
乳幼児期であっても、こどもは言葉、表情、行動を通じて絶えず意志を表明している。保育の現場、家庭、行政の意思決定プロセスのすべてにおいて、「こどもにとって最も善いことは何か」を常に問い直すプロセスを制度化しなければならない。
保育士等の専門職に対して、こどもの非言語的な「声なき声」を聴き取るための専門的トレーニング(アドボケイトとしての機能)を強化するとともに、
こども基本法の趣旨に則り、こどもの意見を政策や施設の運営に恒常的に反映させるためのフィードバックループを構築することが求められる。
7. 結論
現代日本におけるこども政策は、「こども基本法」の制定および「こども家庭庁」の創設によって、理念上は歴史的な飛躍を遂げた。
特に「はじめの100か月の育ちビジョン」は、こどもを独立した権利主体として位置づけ、そのバイオサイコソーシャルなウェルビーイングを生涯の基盤として保障しようとする極めて高度な政策的指針である。
しかし、本報告書での分析が示す通り、この崇高な理念を阻む社会構造的な壁は極めて厚い。新自由主義的な労働市場の要請によって極限まで疲弊した保護者、効率化とコスト削減の名の下に進められた保育の民営化とその後の供給過剰による市場の破綻、そして未だ根強く残る大人中心主義といった課題が複雑に絡み合い、こどもを再び政策の「客体」へと引きずり込んでいる。
「こどもまんなか社会」を単なる政治的なスローガンや、実態の伴わない表面的な制度構築(大人の自己満足)で終わらせないためには、保育や子育て支援を「労働市場を補完するための手段」として扱う従来の枠組みから完全に脱却しなければならない。
民間市場の論理では守り切れない「ケアの公共性」を再公営化の議論も含めて見つめ直し、こどもに直接向き合う養育者を社会全体で包括的に支援する体制を構築すること。
そして何より、千差万別なこどもたち一人ひとりが発する微細な「つぶやき」を、アドボカシーの視点を通じて社会の意思決定の中心に据え続けること。
それこそが、時代に逆行することなく、真の意味で「主体としてのこども」を取り戻すための唯一の道程である。
