夜な夜な囲炉裏端で村人と酒を酌み交わし、わずか3時間の睡眠で山を歩き回る。そんな超人的なバイタリティで日本の森林環境学にパラダイムシフトを起こした異端の学者が、岐阜大学名誉教授の林進氏です。開発至上主義の時代に「コモンズ(共有林)」の価値を再発見し、自然に一切手を触れない絶対保存ではなく、人が適度に関わる「現代版コモンズ」の構築を提唱。愛知万博の会場計画をも覆した彼の「コンセンサスの科学」と「Each as hero(誰もが主役)」の哲学は、分断が進む現代社会においてこそ輝きを増しています。異分野を巻き込み、現場の泥臭い実践から持続可能な未来を描き続けた一人の学者の、壮大な知の軌跡を辿ります。
林進氏の5つの主要業績とその変遷
| 時期 | 主要業績 | 核心となるテーマ・社会的意義 |
| 昭和40年代 | 1. 入会林野・コモンズの研究 | 近代的所有権概念への抵抗と、共同管理システムの再評価 |
| 1970年代後半〜 | 2. 「生態的森林環境学」の構築 | 経済的資源から複雑な生態系へ。林業経済学から生態学への転換 |
| 1992年〜 | 3. 「雑木林研究会」の創設 | 「所有」と「利用・管理」の分離。市民参加型パートナーシップの提唱 |
| 2005年前後 | 4. 愛知万博「海上の森」の保全 | 「行政はコンセンサスの科学」の実装と、持続可能な法制度化 |
| 退官後〜晩年 | 5. 犬山里山学研究所の設立 | 地域密着型の環境実践(ヒトツバタゴ保全)と異分野融合の推進 |
各業績の詳細なポイント
1. 入会林野の再評価(コモンズの発見)
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高度経済成長期の「拡大造林政策」によって解体されゆく共有林(コモンズ)に危機感を抱く。
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夜を徹した過酷な聞き取り調査(参与観察)を通じて、入会林野が単なる前近代の遺物ではなく、地域の生態系保全と生業を不可分に支える高度な共同管理システムであることを証明した。
2. 生態的森林環境学へのパラダイムシフト
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エコロジー黎明期において、森林を単なる「木材の生産工場」から「多様な動植物が共生するエコシステム」へと捉え直す。
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ニホンカモシカやツキノワグマによる林業被害の研究を通じ、野生動物と人工林、林床植生の相互作用を客観的データに基づいて精緻に解明した。
3. 「利用と管理」の分離(現代版コモンズのデザイン)
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自然に一切手を触れない「絶対保存」を否定し、人の手(適度な攪乱)が入ることで維持される里山の価値を提唱。
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複雑な所有権の壁を乗り越えるため、土地の「所有」と森の「利用・管理」を切り離す手法を考案。市民・行政・所有者が対等に関わる「Each as hero(それぞれが主役)」の理念を掲げた。
4. 愛知万博における「コンセンサスの科学」の実証
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万博会場となる「海上の森」を巡る、開発推進派と絶対的自然保護派の激しい対立に専門家として介入。
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「行政はコンセンサスの科学である」との信念のもと、科学的データと徹底した対話で合意形成を主導。主会場の変更と、その後の保全活用を定めた「あいち海上の森条例」の制定という社会的モデルを作り上げた。
5. 地域密着の実践と「知の殿堂」づくり
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大学退官後も権威を嫌い、犬山市にNPO法人を設立。国指定天然記念物「ヒトツバタゴ」の自生地保全など、行政とNPOの協働によるミクロな生態系管理を日常的に実践。
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林学という狭い専門領域(タコツボ化)を避け、医療やデザインなど多様な分野の専門家と交流し、新たな環境価値(癒しの環境など)の創出を探求し続けた。
結論:林進氏が残した遺産
林氏の軌跡を一貫しているのは、人間を自然から排除する非現実的な理想論ではなく、人間が森林を利用・管理しながら守っていく「動的で泥臭い共生(現代版コモンズ)」の追求です。
多様な利害関係者が衝突する現代の環境問題において、彼が実証した「コンセンサスの科学」や「Each as hero(共創)」の哲学は、持続可能な社会をデザインするための極めて重要な指針となっています。
岐阜大学名誉教授・林進における森林環境学の軌跡:コモンズの再評価から「コンセンサスの科学」の実装まで、5つの主要業績に関する深層的考察
序論:森林と人間の関係性を問い続けた学際的アプローチの先駆者
1940年に和歌山県で生まれた林進(はやし すすむ)は、京都大学農学部林学科を卒業し、同大学修士課程を修了して農学博士の学位を取得した、日本を代表する森林環境学者であり樹木医学者である。
彼の学問的軌跡は、従来の「木材生産」を至上目的とする旧来の林学や林業経済学の枠組みに留まらず、生態学、環境保全、さらには行政学や社会学の領域をも横断する極めて学際的なものであった。
林の最大の功績は、日本の高度経済成長期において、近代化と開発の波によって解体されつつあった「コモンズ(入会林野・部落有林)」の価値をいち早く見出し、その後の「里山保全」や「市民参加型の森林管理」という現代的パラダイムの基礎を築いた点にある。
元来、京都大学で経済学を修めていた林であったが、彼の研究手法は書斎に閉じこもって理論をこねくり回すものではなかった。
全国の山村を歩き回り、夜な夜な囲炉裏端で地域住民と酒を酌み交わしながら徹底した聞き取りを行うという、過酷なフィールドワークに裏打ちされていた。
彼は典型的なショートスリーパーであり、深夜まで及ぶ聞き取り調査を詳細な記録にまとめた後、わずか3時間の睡眠で翌朝には疲労を見せずに次の現場へ向かうという、極めて強靭なバイタリティと並外れた文章力を持つ「スーパーマン」として知られていた。
本報告書は、林進が残した多岐にわたる業績の中から、特に日本の森林環境学および環境行政にパラダイムシフトをもたらした「5つの主要業績」を抽出し、その歴史的背景、学術的意義、および現代社会における実践的価値について網羅的かつ深層的に考察するものである。
第1の業績:昭和40年代の入会林野研究と近代的所有権概念への抵抗——コモンズ再評価の先駆け
高度経済成長期における拡大造林政策の矛盾
林の学問的キャリアの初期において特筆すべき第一の業績は、昭和40年代(1960年代後半〜1970年代)における入会林野(コモンズ)に関する先駆的な実証研究である。
当時の日本は高度経済成長の只中にあり、燃料革命によって薪炭需要が激減した結果、広葉樹からなる二次林(いわゆる雑木林や里山)は経済的価値を失ったと見なされていた。これを受けて国策として強力に推進されたのが、広葉樹林を伐採し、成長の早いスギやヒノキなどの針葉樹に植え替える「拡大造林政策」である。
この政策を全国津々浦々で実現するためには、古くから地域住民の共同管理下にあった「共有林」や「部落有林」の存在が大きな障壁となっていた。
行政は、これら「分割不可能な共有地」を近代的な所有権の概念(私有または公有)へと再編し、単なる金銭的価値に換算することで、効率的な針葉樹林化を図ろうとしたのである。
徹底した参与観察と「囲炉裏端」のフィールドワーク
元来、経済学・林業経済学の視座を培っていた林は、この「コモンズの解体」が山村社会にもたらす不可逆的な変容に対して強い危機感を抱いた。
開発至上主義のもとで何でも金銭化・細分化していく時代風潮の中にあって、彼は全国の山村(栃尾などの入会林野を抱える地域)を自らの足で歩き回り、膨大な実態調査を行った。
林の調査手法は、現代の文化人類学的な参与観察を極限まで押し進めたものであった。
彼は夜な夜な村の囲炉裏端で住民から過去の森林利用の実態、所有と管理のルール、そして生活に根ざした暗黙知を徹底的に聞き出した。
並外れた酒の強さと、3時間の睡眠で完全に回復する超人的な体力をもって、彼は膨大なオーラルヒストリーを精緻な記録へと昇華させていったのである。
コモンズ(入会林・部落有林)の生態的・社会的価値の証明
この過酷な調査から導き出された林の洞察をまとめた修士論文および博士論文は、当時の主流派経済学や近代化路線に対する鋭いアンチテーゼであった。
当時は「コモンズの悲劇」という言葉に代表されるように、共有地は管理が行き届かず荒廃するものであり、近代的な分割所有こそが合理的であるとする考え方が支配的であった。
しかし林は、日本の山村において「入会林」や「共有林」が、単なる前近代的な遺物ではなく、地域の生態系保全と住民の生業を不可分に支える高度な「共同管理システム」として機能してきた本来の姿を学術的に証明した。
今日でこそ「里山コモンズ」や雑木林の重要性が広く認識されているが、それを昭和40年代の段階で理論化し、開発の波に抗う形で実証したことは、林の卓越した慧眼を示すものである。
彼の高い文章力と経済学的な分析力によって紡ぎ出された入会林野に関する一連の論文は、その後の日本の森林社会学の基礎を築く歴史的文献となった。
第2の業績:林業経済学から「生態的森林環境学」へのパラダイムシフト——学際的アプローチの確立
エコロジー黎明期における学問的越境
1970年代後半、林は岐阜大学農学部に着任し、助手・助教授を経て教授へと至るプロセスの中で、自らの学問的アプローチをさらなる次元へと飛躍させた。
この時期、彼の研究は従来の「林学」あるいは「林業経済学」という枠組みを大きく逸脱し、「森林生態学」や「生態的森林環境学」という、より広範で統合的な学問領域の構築へと舵を切った。
この変遷の背景には、エコロジー(生態学)という概念が日本の大学教育においてまだ黎明期にあった時代状況がある。
1977年頃の日本の農学部や林学部において、「生態学」という言葉は一部の先進的な授業で紹介される程度の新しい現象に過ぎなかった。
林は、森林を単なる「木材の生産工場(経済的資源)」として捉える旧来の林業経営の限界を見抜き、多様な動植物が共生し、人間の生活環境を支える「複雑な生態系(エコシステム)」として捉え直した。
彼が岐阜大学において「生態的森林環境学」という新たな看板を掲げ、植物学や森林生態学を統合した教育を行ったことは、日本の林学教育における重大なパラダイムシフトであった。
野生鳥獣と森林生態系の相互作用に関する実証的アプローチ
林の生態学的アプローチを裏付ける重要な実績として、野生鳥獣(中・大型哺乳類)と森林環境との相互作用に関する研究指導と共同研究が挙げられる。
岐阜大学において林は、ニホンツキノワグマによる造林木の剥皮被害や、ニホンカモシカによる林木の摂食被害に関する研究を牽引した。
| 研究テーマ・対象 | 研究の焦点と生態学的意義 | 主な共同研究者・発表年 |
|---|---|---|
| ニホンカモシカの摂食被害 | 被害林分における樹幹形質や幹形異常の客観的評価。単なる害獣駆除ではなく、造林地という人工環境と野生動物の相互作用の解明。 |
伊藤栄一、吉田洋、野尻智周 (1997年) |
| ツキノワグマによる剥皮被害 | 剥皮率を用いた数量化分析、剥皮と林床植生の関係解明。森林の階層構造や植生が動物の行動に与える影響の生態学的評価。 |
吉田洋、堀内みどり、羽澄俊裕 (1999年、2001年) |
| ツキノワグマの食性分析 | 糞分析を通じた食性の実証研究。森林生態系における物質循環と動物のニッチ(生態的地位)の解明。 |
堀内みどり、吉田洋、坪田敏男、羽澄俊裕 (2000年) |
林らの研究は、単に林業被害を食い止めるための対症療法にとどまらず、動物の食性や林床植生、さらには人間による造林活動がどのように生態系全体のバランスに影響を与えているのかを、客観的データを用いて精緻に解明したものである。
博学博識であり、植物生態学から動物生態学、社会科学までを網羅する「スーパーマン」としての彼の知見は、『森の心 森の智恵』や『森林―日本文化としての』といった著書にも色濃く反映されており、人間社会の営みを一つのエコシステムとして記述する独自の境地を開拓した。
第3の業績:「雑木林研究会」の創設と「利用と管理」の分離——市民参加型パートナーシップの提唱
都市近郊林における「保存」から「利用と管理」への転換
1992年、林は「雑木林研究会(名古屋)」を複数の有志とともに発足させ、自ら代表・会長として長年にわたり活動を牽引した。
この団体の設立と全国雑木林会議での活躍は、日本の自然保護運動および里山保全の歴史において極めて重要なマイルストーンである。
かつての自然保護運動は、開発から自然を遠ざけ「一切手を触れずに保存する(絶対保存)」ことを是とする傾向が強かった。
しかし、林の研究が明らかにしたように、二次林である雑木林(里山)は、人が定期的に伐採し、落ち葉をかき、柴刈りをすること(適度な攪乱)で初めて生物多様性が維持される生態系である。
林はここで、共有林や入会林の研究で培った「利用と管理」の概念を、現代の都市近郊林に適用した。
所有・利用・管理の再定義と都市公園法の限界
林が雑木林研究会を通じて直面し、解決を試みた最大の課題は、所有権が複雑に絡み合う都市部の緑地において、いかにして市民を主体とした「利用と管理の仕組み」を再構築するかということであった。
例えば、都市公園法に基づく公的な都市公園であれば、土地の「所有権」は行政にあるが、行政による画一的な予算と人員だけでは豊かな雑木林の生態系は維持できない。
一方、民有地を保存林として残す場合、所有権は地主にあるが、日常的な手入れ(管理)の担い手が不在となる。
あるいは、行政が身近な緑地を借地として借り上げる手法もあるが、公共で借りることはできても、その後の利用管理をどうしていくかというソフト面の課題が残る。
林は、土地の「所有」という法的な壁を乗り越え、市民グループやNPOが主体的にその森の「利用」と「管理」に関わるための実践的・理論的スキームを構築したのである。
「Each as hero」の理念に基づく多セクター協働の実践
この複雑な権利関係と管理不在の問題を解決するために、林が頻繁に用いた切り口(キーワード)が「Each as hero」、すなわち一人ひとりが主役となって関わる「パートナーシップ」の理念である。
市民、行政、土地所有者、専門家といった多様なセクターが、互いの立場を尊重しながら対等な関係で森づくりに関わる。
林は、かつての農村コミュニティが持っていた「入会(いりあい)」の精神を、現代の都市住民によるボランティアやNPO活動という形にアップデートし、新たな「現代のコモンズ」をデザインしたのである。
後に林が監修した『Q&A 里山林ハンドブック』(1999年)は、こうした市民参加型の森林管理の理論と実践を体系化したバイブルとして、全国の森づくり活動に多大な影響を与えた。
第4の業績:愛知万博「海上の森」における合意形成——「行政はコンセンサスの科学である」の実証
開発計画と自然保護の激突
林の業績の中で、最も社会的インパクトが大きく、かつ彼の理論と実践が最高度に結実したのが、2005年日本国際博覧会(愛知万博・愛・地球博)における「海上の森(かいしょのもり)」の保全プロセスへの介入である。
当初、愛知万博は瀬戸市南東部にある約540haの「海上の森」を主会場とし、万博終了後には新住宅市街地開発事業や都市計画道路に転用するという大規模な開発計画と一体となっていた。
この計画は1988年頃から進められ、1990年代後半には環境アセスメントの段階まで進んでいたが、自然保護団体からの猛烈な反対運動に直面した。
特に、生態系の頂点に立つ希少猛禽類であるオオタカの営巣が確認されたことで、「海上の森全体を一切改変せず聖域として保護せよ」とする声が沸騰したのである。
コンセンサス形成に向けた専門家としての介入
この激しい対立状況において、林は愛知万博検討会議や自然保護検討会議の専門家委員として、極めて重要な役割を果たした。
当時の林が口癖のように語っていたのが「行政はコンセンサスの科学である」という哲学である。行政とは単に法令を執行し、権力的に物事を決定する機関ではない。
対立する多様な利害関係者の間にいかにして「合意(コンセンサス)」を形成し、それを具体的な社会システムとして「実装」していくかという、高度な科学的・論理的プロセスこそが行政の本質であるという信念である。
林は、自然保護団体の「一切の改変を許さない」という原理主義的な主張と、行政・推進派の「開発ありき」という硬直化した立場の間で、卓越した調整能力を発揮した。
彼は徹底した対話と科学的データに基づき、海上の森の生態的価値を損なわずに万博の理念を実現する落とし所を探った。
結果として、愛知県知事の政治判断を引き出すことに成功し、海上の森での大規模な会場建設と住宅開発計画は白紙撤回され、主会場は青少年公園(現在の愛・地球博記念公園・モリコロパーク)へと大きく変更されるに至った。
「あいち海上の森条例」の制定と持続可能な保全活用モデルの確立
さらに林の真骨頂は、開発の危機を免れた海上の森を、万博終了後に「どのように保全・活用していくか」というフェーズにおいて発揮された。
彼は「海上の森保全活用検討会議」等に参画し(名古屋学院大学の木村光伸らとともに委員を務めた)、2006年の「あいち海上の森条例」の制定に多大な貢献をした。
この条例と保全活用計画は、万博のテーマであった「自然の叡智」を具現化するものであり、単に森を立ち入り禁止にするのではなく、県民が自然と触れ合い、森林や里山に関する学習と交流の場として活用しながら保全するという、まさに林が提唱し続けてきた「利用と管理のパートナーシップ(Each as hero)」を法制度として実装したものであった。
あいち海上の森センターを拠点とするこの保全スキームは、その後の名古屋市相生山緑地の道路建設計画における環境配慮プロセスの提案など、他の都市開発案件にも波及し、林の「コンセンサスの科学」が社会的なモデルとして確立したことを示している。
第5の業績:NPO法人「犬山里山学研究所」の設立と地域密着型環境実践——異分野融合の知の殿堂
地域に根ざした環境NPOの牽引
大学の第一線を退いた後も、林のアクティビティは衰えるどころか、より地域に根ざした実践的なものへとシフトした。
彼は自身の居住地でもある愛知県犬山市において「NPO法人犬山里山学研究所」を立ち上げ、理事長および「犬山里山学センター」の所長に就任した。
犬山市の城東中学校近くの山手に入った場所に建てられた、集成材を用いた平屋の洗練された木造建築である同センターは、指定管理者制度のもとで林らのNPOによって運営されている。
クーラーのない部屋でTシャツと短パン姿で来訪者を迎える林は、権威を徹底的に嫌い、ここを拠点として里山の保全活動や、ため池の生物相に関する調査、市民向けの啓発活動など、ミクロなスケールでの生態系管理を日常的に実践した。
国指定天然記念物「ヒトツバタゴ自生地」の保全と次世代への継承
犬山における林の代表的な実践活動の一つが、犬山市池野西洞に位置する国指定天然記念物「ヒトツバタゴ自生地」の保全活動である。
ヒトツバタゴ(通称ナンジャモンジャ)は、5月の連休明けに雪を被ったような白い花を咲かせる希少な「花暦樹」であり、犬山の自生地には樹齢約400年に達する巨樹を含む個体群が生育している。
かつて枯死した個体の年輪を数えたところ、およそ480年であったという。
林は平成元年(1989年)よりこの自生地の保全に深く関与してきた。
自生地に隣接する耕作放棄地を市が取得し、その草刈りや植生・景観保全の管理を犬山里山学研究所が受託するという、行政とNPOのパートナーシップモデルを構築した。
特筆すべきは、単に古い木を守るだけでなく、現地での実生(種子から発芽した若木)の更新が10本ほど確認されるなど、巨樹の「いのちのバトン」が次世代へと確実に受け継がれる生態的環境を整えた点である。
タコツボ化を排した異分野交流と「癒しの環境」の探求
また、晩年の林の活動で特筆すべきは、自らの専門である林学のタコツボ(閉鎖的な専門領域)に陥ることを極端に嫌い、異分野との交流を積極的に推進したことである。
彼は医療、デザイン、経済、コンピューターなど、あらゆる分野の専門家と交流し、そこから生まれる研究上のインスピレーションと知的刺激を常に求めていた。
例えば、あいち小児保健医療総合センターにおいて、「雑木林を患者の癒しの環境として活用する試み」についてアドバイザーを務めるなど、医療と森林環境の融合という先進的なアプローチも実践している。
林にとって犬山里山学センターは、単なる環境NPOの拠点ではなく、多様な知が遭遇し、新たなアイデアが創出される「小ぶりでオシャレな知の殿堂」として機能していたのである。
これらの長年にわたる自然環境保全活動や犬山市環境審議会会長としての功績が高く評価され、林は令和5年(2023年)5月、「みどりの日」自然環境功労者環境大臣表彰を受賞した。
結論
林進の半世紀以上にわたる研究と実践の軌跡は、日本の環境保全史および森林行政史において極めて特異かつ重要な位置を占めている。
昭和40年代、拡大造林のうねりの中で解体されゆく「入会林野・部落有林」の価値を、凄まじい現場踏査によって経済学と社会学の視点から再評価した第一の業績。岐阜大学において、林業経済から生態学を包含した「生態的森林環境学」へとパラダイムを移行させ、野生鳥獣被害を通じた生態系バランスの重要性を提示した第二の業績。
1992年に「雑木林研究会」を立ち上げ、複雑な所有権の壁を越えて市民と行政のパートナーシップ(Each as hero)による現代の里山管理モデルを構築した第三の業績。
愛知万博「海上の森」をめぐる激しい対立において、「行政はコンセンサスの科学である」という信念のもと合意形成を導き、自然保護と活用の両立を条例という形で制度化した第四の業績。
そして、犬山里山学研究所を通じて、地域社会に根ざした天然記念物(ヒトツバタゴ)の保全と、分野を越境する「知の交流」を晩年まで実践し続けた第五の業績。
これら5つの業績を貫いているのは、「自然と人間はいかにして共生可能か」という根源的な問いに対する、徹頭徹尾リアリズムに基づくアプローチである。
林は、自然を人間から切り離して純粋培養するような非現実的な絶対的自然保護を否定し、人間が森林を利用しながら継続的に管理するという、動的で泥臭い「現代版コモンズの構築」を生涯を通じて追求した。
彼が残した「行政はコンセンサスの科学である」という言葉や、「Each as hero」という共創の哲学は、気候変動や生物多様性の危機に直面し、多様なステークホルダー間の合意形成がますます困難になっている現代社会において、環境政策の羅針盤として今後も輝き続けるに違いない。
林進という一人の学者が実証した、泥臭いフィールドワークに根ざした知と、異分野を巻き込む柔軟な対話力は、これからの持続可能な社会を構想する上で不可欠な遺産である。
