8月の誓いと問い直し ――なぜ日本は「戦争ができない国」なのか
今年もまた、8月6日が巡ってきました。続く9日、15日、そして決して忘れてはならない6月の沖縄慰霊の日。
今日でも、98歳になられた元広島市長・平岡敬氏のインタビューが新聞のオピニオン面を飾るなど、戦争の記憶が語り継がれています。
私自身は1959年生まれの「戦争を知らない世代」ですが、歴史研究や当時の記録を通して、とくに中国との「15年戦争」の凄惨さも含め、少しずつあの時代についての学びを深めているところです。
今年の夏、改めてここに書き記しておきたいことがあります。
それは、日本はそもそも「戦争ができない国」である、という私なりの確信です。
これは「日本国憲法に戦争放棄が定められているから」という法的な理由だけにとどまりません。
もっと根深く、深刻な二つの理由があるのです。
■ 第一の理由:日本は「永遠の執行猶予中」である
第一の理由は、第二次世界大戦における日本の責任の重さと、戦後の国際社会への復帰の経緯にあります。
日本は、でっち上げと言われる満州事変を皮切りに、世界中で何千万人という犠牲者を出す悲惨な戦争の引き金を引きました。
当時の日本の人口(約1億人)に匹敵する命が失われたのです。
世界中から報復を受け、国が滅んで全滅していてもおかしくないほどの過ちでした。
しかし、最終的に日本は軍備を放棄し、「二度と戦争はしません」と誓うことで、いわば「命乞い」をして許されました。
もちろん不戦条項は第一次世界大戦後のパリ不戦条約にも存在し、日本国憲法だけの特別なものではありません。
しかし日本の場合、国土を完全に奪われることもなく、天皇制という国体も維持されたまま、国際社会への復帰を許されたのです。
これをあえて厳しい言葉で表現するなら、戦後の日本は「永遠の執行猶予中」なのだと言えます。
あまりにも多大な迷惑と犠牲を強いた過去に対し、今なお執行猶予の身である日本が、「普通の国になりたいから」と再び戦争や武力行使を口にするなど、到底許されることではないのです。
■ 第二の理由:変わらない「無責任の極み」というOS
そして、第一の理由以上に深刻なのが、第二の理由です。
それは、日本の戦争が「無責任の極み」であり、その国家的な体質(OS)が80年経った今も全く直っていないという事実です。
敗戦国としてよく比較されるドイツと日本ですが、その戦争犯罪の性質は似て非なるものです。
ドイツの場合、ヒトラーとナチスという明確な首謀者がおり、計画的に戦争が遂行されました。
一方の日本はどうだったでしょうか。
日本の戦争は、出世欲や功名心に駆られた現場の一部軍人たちの暴走から始まりました。
それを中央の政府や軍上層部が止めるどころか追認し、事態をなし崩し的に拡大させていったのです。
明確な計画性すらないまま後戻りできなくなり、何百万人という死者を出すに至った無責任さこそが、日本の戦争の本質です。
しかし、その暴走を後押ししたのは誰だったでしょうか。
それは、経済的な権益拡大を求め、「勝て、勝て」と熱狂して支持した民衆の世論であり、部数拡大のためにそれを極限まで煽り立てたマスコミです。
彼らはある意味で戦争を引き起こした張本人であり、A級戦犯どころか「S級戦犯」と呼ぶべき存在です。
当時の日本は、まさに「一億総戦犯」と言われても仕方がない状況にありました。
国民全体が戦争という空気に酔い酔わされ、世界を破滅へと押し進めたのです。
さらに恐ろしいのは、この同調圧力と隠蔽の体質です。
戦時中の日本では、大本営発表という嘘がまかり通り、戦果が捏造されました。
それを国民が喜ぶため、軍部は「実は嘘でした」とは言えず、さらに戦線を拡大していく悪循環に陥りました。
現代の紛争国、例えばウクライナや中東、あるいはアメリカであっても、戦時下に公然と政権批判が行われています。
しかし日本がもし戦争状態になればどうなるでしょうか。
上から言われなくとも、国民同士が互いに監視し合い、「自粛」を強要し、批判の声を徹底的に封殺してしまうでしょう。
■ 100年前の過ちを繰り返さないために
戦後80年が経ち、日本人は本当に反省し、この「無責任なOS」をアップデートできたでしょうか。
本人の意に反して追い込まれ、引き返せなくなる「過労死」は、現代版の特攻隊ではありませんか。
地方と東京の歪な関係、家庭内におけるドメスティックバイオレンス、組織内の隠蔽体質。
かつて他国や他民族に対して行った人権無視と構造的に同じ問題が、今も国内の至る所で繰り返されています。
民主化されたはずの戦後日本ですが、時が経つにつれて、むしろ昔の体質へと先祖返りし、悪化しているようにすら見えます。
人気取りに走り、権力に迎合し、嘘をついて人を喜ばせる。そうしてつかれた嘘が、いつの間にか真実として扱われてしまう。
100年前、80年前に起きたことと、今の日本社会の構造は驚くほど変わっていません。
こんな国に、戦争をする資格も能力もありません。
「普通の国になりたい」と軍備を増強し、先制攻撃の能力を持とうとする動きがありますが、日本の歴史と国民性を振り返れば、それがどれほど危険なことかは明らかです。
いきなり宣戦布告をするのではなく、100年前と同様に、現地の小さな武力衝突から、なし崩し的に泥沼へと引きずり込まれる。
計画性も正当性もないまま、また同じ過ちを繰り返すでしょう。
だからこそ、私は強く言及しておきたいのです。
日本は、絶対に戦争をしてはいけない国であると同時に、社会構造としても国民性としても、そもそも「戦争ができない国」なのだと。
主旨:日本が「戦争ができない・してはならない」構造的必然性
本稿は、日本が「戦争をしてはならない国」である理由を、単なる感情的な平和主義としてではなく、国際法的な「外的制約」と、日本社会に根付く病理的な「内的要因(社会のOS)」の両面から、構造的かつ不可逆的な必然性として論証しています。
4つの主要な理由
1. 国際社会における「永遠の執行猶予」(外的制約)
戦後日本の存立と繁栄は、過去の甚大な戦争犯罪に対する「執行猶予」の上に成り立っています。
-
憲法9条の国際的淵源: 9条は単なる「アメリカの押し付け」ではなく、日本も批准していた1928年の「パリ不戦条約」に連なる近代国際法の帰結です。
-
無計画な戦争と東京裁判: ナチスドイツの計画的犯罪とは異なり、日本の戦争は現場の独断と事後承認の積み重ねでした。
-
免責の条件: サンフランシスコ平和条約で東京裁判を受け入れ、「絶対的な不戦」を誓うことと引き換えに、日本は国家の解体や天皇制の廃止を免れました。再び戦争主体となることは、この国際的合意を自ら破棄することを意味します。
2. 「無責任の体系」と「空気」が支配する社会OS(内的制約)
日本には、国家の存亡に関わる意思決定を合理的に行い、責任の所在を明確にする能力が構造的に欠如しています。
-
満州事変の暴走: 現場の独断専行と重大な軍紀違反を、中央が「事後追認」し出世させるような異常な組織風土がありました。
-
無責任の体系(丸山眞男): 指導者層に「自ら決断した」という主体性がなく、「空気」や「既成事実」に追随するだけで、最終的に誰も責任をとらない国家構造です。
-
「空気」の支配(山本七平): 論理や事実よりもその場の「同調圧力」が優先され、異論や客観的事実が社会的に抹殺されるメカニズムが働きます。
3. 兵士の命の軽視と、現代にも温存される「日本軍のOS」
かつての致命的な社会構造は、戦後も反省・解体されることなく現代に形を変えて引き継がれています。
-
戦死者の6割が餓死・戦病死: 兵站(ロジスティクス)を軽視し、非現実的な命令と精神論で末端の兵士に過酷な負担を強いる「人命軽視」の実態がありました(吉田裕の研究)。
-
現代の「特攻」=過労死: 組織の目標のために個人の生命や人権が極端に軽視される現代の「過労死」やハラスメント問題は、日本軍が兵士を使い捨てにしたシステムと完全に一致しています。
4. 「普通の国」化と安保三文書改定の致命的危険性
現在の安全保障政策の転換(安保三文書の改定と反撃能力の保有)は、かつての暴走の歴史を反復する極めて危険な兆候です。
-
専守防衛の変容: 他国領域への直接攻撃(反撃能力)は、実質的な憲法9条の空文化であり、報復によって日本国土を戦火に晒すリスクを孕んでいます。
-
情報統制と責任能力の欠如: 敵の攻撃着手を正確に見極めるインテリジェンスと決断の重い責任が求められますが、情報を歪め(大本営発表)、精神論で乗り切ろうとするOSを持ったままの日本が強大な軍事力を持つことは、国内外に対する最大の脅威となります。
結論:戦争を知らない世代の歴史的責務
日本は、構造的に「戦争を遂行する能力(合理的な意思決定、責任の明確化、外交的解決、人命の尊重)が決定的に欠如している国」です。現代を生きる私たちの責務は、無謀な軍拡路線に抗うと同時に、職場や学校など日常レベルに巣食う「空気の支配」や「無責任の体系」といった社会OSそのものを改革していくことにあります。
日本の非戦構造と歴史的責務:「戦争ができない国」のシステム的必然性
はじめに:歴史の記憶と「戦争を知らない世代」の課題
毎年8月を迎えるたび、広島の6日、長崎の9日、終戦の15日、そして忘れてはならない沖縄戦が事実上終結した6月23日という日付は、日本社会において歴史の記憶を喚起する決定的な結節点となる。
元広島市長の平岡敬氏らが発信し続ける平和への警鐘や、被爆の惨禍に対する米国への厳しい批判、そして昭和天皇の戦争責任にまで踏み込んだ言及は、戦争の極限状態を直接体験した世代からの重い遺言として受け止めるべきである。
現在、社会の中心を担うのは戦争を直接知らない戦後生まれの世代であるが、歴史研究や当時の記録を通じて過去を学び直す機運が高まっている。
過去の戦争をどのように呼称し、認識するかは、国家の歴史観そのものを表す。戦後の日本においては、対米戦争に限定された「太平洋戦争」という呼称が一般化したが、思想家の鶴見俊輔らが提唱した「十五年戦争」という枠組みで歴史を捉え直す視点が重要である。
1931年の満州事変から始まる中国大陸での侵略行為と、それに連なるアジア太平洋全域での戦争を連続した一つの事象として捉えなければ、日本が引き起こした戦争の全体像とその加害性を真に理解することはできない。
本稿では、さまざまな歴史的、思想的、そして社会病理学的な観点から、「日本は本来、戦争ができない国であり、また決してしてはならない国である」という命題を詳細に論証する。
この主張は単なる感情的な平和主義やイデオロギーに基づくものではない。
日本国憲法と国際社会における日本の地位という「外的制約」、そして日本社会に根深く存在する「無責任の体系」や「空気の支配」という「内的要因(オペレーティング・システム=OS)」の両面から導き出される、構造的かつ不可逆的な必然性である。
第1の理由:国際社会における「執行猶予」としての戦後日本
日本が戦争を行えない第一の理由は、戦後日本が国際社会において享受してきた地位が、過去の甚大な戦争犯罪に対する「執行猶予(プロベーション)」とも呼べる極めて特殊な寛解の上に成り立っているためである。
日本は、数千万人の命を奪い、世界中を巻き込んだ大戦の引き金を引きながらも、国家の解体や恒久的な領土分割を免れた。
この歴史的文脈を忘却することは、戦後日本の国際法的な存立基盤を揺るがすことにつながる。
パリ不戦条約と日本国憲法第9条の連続性
日本国憲法第9条の「戦争の放棄」について、「敗戦国として連合国(特にアメリカ)に押し付けられたもの」という議論が国内の一部に根強く存在する。
しかし、この見方は国際法的な歴史の潮流を著しく見落としている。
第9条の淵源は、第二次世界大戦よりはるか前、1928年に締結されたパリ不戦条約(戦争抛棄ニ関スル条約)にまで遡る。
この条約において、締約国は「国家の政策の手段としての戦争を放棄する」こと、および「国際紛争の解決を平和的手段にのみ求める」ことを宣言した。
日本もこの条約を批准しているが、当時は条文中の「人民の名において(in the names of their respective peoples)」という文言が、大日本帝国憲法における天皇の統治大権と矛盾するとして国内で紛糾した。
最終的に田中義一内閣が「同文言は日本の憲法上の大権に影響を及ぼさない」との留保宣言を付して批准するに至った経緯がある。
すなわち、国家の主権としての戦争権を放棄し、不戦を誓うことは、日本独自の特殊な「押し付け」ではなく、第一次世界大戦の惨禍を経て形成された近代国際法の当然の帰結であった。
日本国憲法の平和主義は、かつて自ら批准しながらも満州事変以降の軍事行動によって反故にしてしまった不戦条約の理念を、敗戦の焦土の中から再び蘇生させたものと位置づけるのが、歴史的妥当性を持つ視座である。
ニュルンベルク裁判と東京裁判:似て非なる戦争犯罪
第二次世界大戦の敗戦国であるドイツと日本は、それぞれニュルンベルク裁判と東京裁判(極東国際軍事裁判)によって裁かれた。
国際連合などにおいてこれらの法廷で確立された「平和に対する罪」などの法理は、戦後の国際法の基礎となったが、両国の戦争犯罪の質と構造は「似て非なるもの」であると指摘される。
ドイツの場合、民衆の熱狂的な支持があったとはいえ、アドルフ・ヒトラーおよびナチスという明確な主体が、極めて計画的かつ組織的に侵略戦争とホロコースト(ユダヤ人虐殺)を立案・実行した。
そのため、戦後のドイツ(西ドイツ)は「過去の克服(Vergangenheitsbewältigung)」として、ナチスの犯罪を徹底的に裁き、加害者を永続的に追及することで、現在の国家がナチスとは断絶していることを国際社会に証明し続けてきた。
戦後補償や歴史教育の徹底においても、ドイツは自らの手で過去を清算する努力を重ねている。
一方、日本の戦争には、ナチスのような緻密で一元的な計画性が驚くほど欠如していた。
東京裁判においてA級戦犯として裁かれた東條英機や広田弘毅ら当時の指導者たちは、ヒトラーのような絶対的な独裁者ではなく、巨大な組織の歯車の一部として機能していたに過ぎない。
日本軍の行動は、「自存自衛」や「自国民保護」という名目を掲げながら、宣戦布告もなしに現地軍が独断で他国を侵略し、それを中央政府が追認するという無計画な事後承認の積み重ねであった。
サンフランシスコ平和条約と「国体護持」の対価
日本は、数千万人の命が失われた大戦において、アジア太平洋地域で取り返しのつかない惨禍を引き起こした。
当時の日本が世界に対して行った行為の重大さを考慮すれば、国家が完全に解体され、国土が諸外国に恒久的に分割統治され、国家元首が極刑に処されても、歴史的・国際法的には不思議ではない事態であった。
しかし現実には、北方四島などの未解決問題を残しつつも、主だった国土は保全され、国家としての独立を回復し、さらに「国体」とも称される天皇制までもが象徴という形で維持された。
これは、日本が連合国側に対して「二度と戦争をしない」という絶対的な誓いを立て、軍備を完全に放棄することによって初めて成立した国際的合意である。
1952年に発効したサンフランシスコ平和条約第11条において、日本は「極東国際軍事裁判所(東京裁判)の裁判を受諾」した。
これは、日本が侵略戦争を行ったという国際社会の認定と、指導者に対する刑の執行を受け入れることであり、主権回復と国際社会復帰の絶対条件であった。
つまり、戦後日本が国際社会の中で驚異的な経済復興を遂げ、それなりの地位を築くことができたのは、あまりにも巨大な罪に対する「永遠の執行猶予」を与えられた結果に他ならない。
この大前提を忘却し、再び軍備を増強して「普通の国」として戦争主体となろうとすることは、この執行猶予を自ら取り消し、過去の免責された責任を再び国際社会から問われる事態を招きかねない。
| 条約・裁判 | 締結・開廷年 | 歴史的・法的意義 |
|---|---|---|
| パリ不戦条約 | 1928年 |
国家の政策手段としての戦争を放棄。憲法9条の国際法的な源流であり、日本も自発的に批准した。 |
| 東京裁判 | 1946年 |
「平和に対する罪」で戦争指導者の個人責任を追及。日本の戦争構造の無計画性が浮き彫りになる。 |
| サンフランシスコ平和条約 | 1951年 |
第11条で東京裁判の諸判決を受諾。日本の主権回復と「執行猶予」的な国際社会復帰の法的基盤。 |
第2の理由:無責任の体系と「空気」が支配する国民的OS
第一の理由が国際的・法的な制約であるとすれば、より深刻で絶望的とも言える第二の理由は、日本という国家・社会の内部構造(オペレーティング・システム=OS)にある。
歴史を詳細に検証すれば、日本は戦争という国家の存亡を懸けた極限状態において、合理的な意思決定や責任の所在の明確化、そして終戦(外交的着地点)の模索を一切行えない社会構造を持っていることがわかる。
独断専行と下剋上:満州事変の暴走と事後追認
その最たる例が、15年戦争の起点となった1931年の満州事変である。
関東軍参謀の石原莞爾らは、中央の政府や軍首脳の承認なしに、柳条湖事件をでっち上げ、独断で軍事行動を実行し、満州全土を占領した。
さらに事態を悪化させたのが、当時の朝鮮軍司令官であった林銑十郎の行動である。
林は、天皇の裁可(奉勅命令)を得ないまま独断で国境を越え、関東軍の増援として満州へ兵を進めた。
これは統帥権の干犯という極めて重大な反逆行為であったにもかかわらず、政府と軍中央は彼らを処罰するどころか、事後的に経費を承認し、越境を追認したのである。
本来であれば、天皇あるいは中央政府が、この明らかな軍紀違反と独断専行に対して即刻死刑を含む厳罰を処すべきであった。
しかし、彼らが「越境将軍」としてもてはやされ、後に陸軍大臣や首相にまで出世コースを歩んだという異常な組織風土が、日本軍内に下剋上と独断専行を黙認する決定的な空気を作り出した。
後年、日中戦争の拡大に反対する側に回った石原莞爾に対し、後輩の武藤章らが「満州事変でのあなたの行動を見習って実行しているのです」と反論し、石原を沈黙させたエピソードは、一度タガが外れた組織の暴走を誰も止められない日本の構造的宿阿を象徴している。
同時に、日本軍は戦術面においても暴走を続けた。1937年のドイツ軍によるゲルニカ空爆に先行、あるいはそれ以上の長期間・大規模な形で、中国の重慶に対する無差別爆撃(1938年〜1941年)を実施した。
都市そのものを対象とした持続的な無差別爆撃は、計画性の欠如とは裏腹に、現地での残虐行為や非人道的な戦術に関しては他国に先駆けて実行する先鋭性を持っていたことを示している。
丸山眞男が看破した「無責任の体系」
政治学者の丸山眞男は、この日本的ファシズムの病理を「無責任の体系」と名付けた。
丸山は、東京裁判の法廷で見せた日本の指導者たちの「小心翼々たる態度」と、ニュルンベルク裁判でのナチス指導者ヘルマン・ゲーリングらが見せた「大胆不敵さ」を対比し、日本の指導者には「自分自身が決断した」という主体的意識が全く欠落していることを鋭く指摘した。
日本の戦争指導者たちは皆、「自分の権限ではなかった」「空気に抗えなかった」「下の者が勝手にやった」「上の命令に従っただけ」と責任を転嫁し合った。
誰もが積極的な決定を回避し、希望的観測に基づいて行動し、既成事実に追随していく。
天皇への絶対的忠誠という厳格な「無限責任」の理論が、いつの間にか「みんなが悪かった」「(制度上)誰も悪くない」という「巨大な無責任」へと反転する。
誰も決定的な責任主体ではないまま、国全体が破滅的な戦争へとズルズルと引きずり込まれていったのである。
さらに丸山は、この構造を「抑圧の移譲(抑圧委譲の原理)」という概念で説明した。
これは、国家機構のなかで上位者から抑圧された者が、その鬱屈感を自らの下位者に対して恣意的な権力を行使することで解消し、全体の精神的バランスを保つ構造である。
軍隊の内務班における苛烈ないじめ(私的制裁)や、家制度下における嫁いびりなど、日本社会の随所に見られるこの抑圧の連鎖が、上位者の無責任と下位者の無言の服従を生み出した。
山本七平の「空気」と同調圧力による言論の自死
この「無責任の体系」を社会全体で補完し、駆動させたのが、評論家の山本七平が名著『「空気」の研究』で指摘した同調圧力である。
日本社会においては、論理や法律、科学的合理性よりも、その場を支配する「空気(雰囲気)」が絶対的な判断基準となる。
ひとたび集団内に特定の空気が醸成されると、それに反する意見や客観的な事実は「空気が読めない」「和を乱す」として徹底的に排除される。
この同調圧力は、「村八分」に象徴されるような共同体からの排除の恐怖と密接に結びついており、人々は無意識のうちに自己規制を行い、権力や場の空気に忖度するようになる。
戦時中、軍部が戦線を拡大し、泥沼化していく中で、大本営は「うまくいっている」という虚偽の発表を繰り返した。
国民はそれに熱狂し、メディアも公然たる政権批判や軍部批判を行わず、むしろ迎合して戦争を煽った。
現在のアメリカにおける大統領批判や、ウクライナにおけるゼレンスキー政権に対する批判など、欧米的な近代自我に基づく「公然たる政権批判」は、日本の社会風土では期待できない。
仮に日本が再び戦争状態になった場合、上から強制されるまでもなく、民衆やメディアが自発的に「自粛」し、互いを監視し合い、反戦の声を上げる者を「非国民」として社会的に抹殺するメカニズムが瞬時に発動するだろう。
外交努力による戦争の終結(手打ち)を模索すべき局面であっても、「ここで退くのは犠牲になった英霊に申し訳ない」といった非合理的な空気が支配し、破滅の最後まで突き進むことになる。
| 病理的構造 | 提唱者 | メカニズムと日本社会への影響 |
|---|---|---|
| 無責任の体系 | 丸山眞男 |
誰も主体的決断を下さず、既成事実に追随。失敗の責任が霧散し、誰も責任をとらない国家構造。 |
| 抑圧委譲の原理 | 丸山眞男 |
上位からの圧迫を下位への恣意的な支配・暴力に転嫁して鬱屈を晴らす精神構造。軍部の暴走を内面から支えた。 |
| 空気の支配 | 山本七平 |
論理や科学的真理よりも、その場の同調圧力が絶対視され、異論を社会的に抹殺する集団心理。 |
第3の理由:兵士の現実と現代に温存される「日本軍のOS」
戦争とは本来、外交の延長線上にあり、政治的・外交的交渉が行き詰まった際の最後の手段(武力行使)である。
そこには必ず、目的と出口戦略が存在しなければならない。
しかし、日本の軍事行動は、外交的な着地点を持たず、純粋に現場の暴走とそれを称賛する熱狂によって無限に自己増殖していった。
精神論と生命軽視:吉田裕の「日本軍兵士」が暴く実態
歴史学者の吉田裕が著書『日本軍兵士』等で克明に描き出したように、先の大戦における日本軍の死者約230万人のうち、じつに6割にあたる140万人が戦闘行為による戦死ではなく、餓死や病死(戦病死)であった。
この大量死の背景には、兵站(ロジスティクス)を極端に軽視し、補給なき作戦を立案し、過酷な自然環境下で兵士に物理的限界を超える負担を強いた軍指導部の無能がある。
圧倒的な物量や科学的データに基づく合理性を欠いたまま、「大和魂」や「精神力」でそれを補おうとする精神主義が軍全体に蔓延していた。
上層部は安全な場所から非現実的な命令を下し、現場の下位兵士にすべての犠牲と負担を押し付けた。
海没した輸送船で亡くなった無数の兵士の遺骨の多くは、今も回収されず放置されたままである。
これは、「抑圧の移譲」の最下層に位置する末端の兵士たちが、いかに徹底的に生命を軽視され、使い捨てにされたかを示す動かぬ証拠である。
「過労死」という現代の特攻:未修正の社会システム
最も戦慄すべき事実は、80年前に数千万人の命を奪い、自国の国土を灰燼に帰したこの「オペレーティング・システム(OS)」が、戦後も真摯に反省・解体されることなく、形を変えて現代日本に温存されていることである。
現代日本社会において国際的にも特異な現象として知られる「過労死(Karoshi)」は、まさに現代版の「特攻」あるいは「戦病死」である。
本人は決して死を望んでいないにもかかわらず、「空気」と同調圧力によって休むことやプロジェクトから引き返すことを許されず、精神論で限界を超えて働かされ、死に追い込まれる。組織の目標(利益や納期)のために個人の生命や人権が極端に軽視されるこの構造は、かつての日本軍が兵士の命を消費したシステムと完全に一致している。
また、企業内におけるパワーハラスメント、大学の体育会系組織における不祥事、あるいは家族内におけるドメスティックバイオレンス(DV)も、丸山眞男が指摘した「抑圧の移譲」の現代的発露に他ならない。
中央と地方の関係、上司と部下の関係など、あらゆる階層において、80年前と全く変わらない「馴れ合い」「無責任の体系」、そして「人権無視」が再生産され続けている。
戦後、新憲法の下で民主化されたはずの日本社会は、時が経つにつれて元のOSへと回帰し、むしろ自己責任論の名の下に悪化している側面すらある。
自らの社会システムや国民的風土に潜むこの致命的な欠陥を直視せず、反省も修正もできていない国家が、再び巨大な暴力装置である軍隊を動かそうとすれば、必ず過去と同じ自己崩壊と他者への甚大な加害を繰り返すことになる。
第4の理由:「普通の国」化と安保三文書改定の危険性
近年、政治の場で「普通の国になりたい」というスローガンが一部で喝采を浴びている。
湾岸戦争以降、国際貢献の観点から自衛隊の海外派遣や、集団的自衛権の行使容認に向けた議論が進み、小沢一郎氏らが提唱した「普通の国」論は、長らく日本の安全保障論争の軸となってきた。
彼らの主張は、国際社会における存在感に比して安全保障上の役割が小さすぎる日本の現状を打破し、国連中心主義の下で軍事的役割も担うべきだというものである。
しかし、現在の日本の安全保障政策は、この「普通の国」論をさらに変容させ、より危険な領域へと踏み出そうとしている。
2022年12月、政府は「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略」「防衛力整備計画」のいわゆる「安保三文書」の改定を閣議決定し、日本が「反撃能力(敵基地攻撃能力)」を保有し、防衛力を抜本的に強化する方針を明記した。
この反撃能力の保有は、他国が日本に対する武力攻撃に「着手」したと見なせば、相手国の領域内を直接攻撃できる能力を持つことを意味する。
これは、戦後日本が一貫して国是としてきた「専守防衛」の原則を根底から変容させるものであり、実質的な憲法9条の空文化(実質改憲)であるとの強い批判が法曹界や市民社会から噴出している。
特に、集団的自衛権の行使としてこの反撃能力が用いられた場合、日本が直接攻撃を受けていないにもかかわらず他国領域を攻撃することになり、結果として相手国からの激烈な報復攻撃を招き、日本国土が戦火に見舞われる危険性が極めて高い。
情報統制と先制攻撃:過去の過ちの反復
さらに懸念されるのは、国家情報局的機能の強化やスパイ防止法的な議論など、防衛力強化に伴う国内体制の変容が、戦前の体制と酷似してきていることである。
敵基地攻撃(反撃能力)の行使には、相手国が攻撃に「着手」したことを正確に見極める極めて高度なインテリジェンス能力と、重大な決断を下す政治の責任能力が不可欠である。
しかし、日本は過去において、希望的観測で情報を歪め、大本営発表のような虚偽の情報で国民を欺き、現場の独断専行を追認してきた国である。
論理的・外交的な対話能力を欠き、自国民の生命すらも精神論で軽んじるシステムが温存されたままの国家が、強大な軍事力を持ち、先制攻撃にも等しい裁量権を握ることは、国際社会に対する「執行猶予」の重大な違反であると同時に、自国民および周辺諸国に対する最大の脅威となる。
100年前に宣戦布告なき現地の武力衝突(満州事変)からなし崩し的に全面戦争へ突入したように、現代においても、なし崩し的な防衛力強化と「反撃能力」の行使は、必ず制御不能な破局を招く。
結論:平和への責務と社会OSの改革
毎年8月に私たちが直視すべきは、悲惨な被害の記憶だけではない。「なぜあの戦争を止められなかったのか」という問いに対する答えが、現在の私たちの職場、学校、そして社会の構造そのものの中に生き続けているという事実である。
日本は「普通の国」ではない。他人の目を過度に気にし、権力に迎合し、不都合な真実を平気で隠蔽・改ざんする組織風土。
誰が決定したのかわからないまま空気に流され、現場の独断を事後追認し、失敗しても誰も責任をとらない無責任の体系。これらすべてが、100年前、80年前から何一つ変わっていないのである。
したがって、日本は単に憲法によって「戦争をしてはならない国」と規定されているという倫理的な願望にとどまらず、構造的に「戦争を遂行する能力(合理的な意思決定、明確な責任の所在、外交的解決の模索、人命の尊重)が決定的に欠如しているため、絶対に戦争をしてはならない国」なのである。
戦争を知らない世代が担うべき歴史的責務は、この重い事実を過去の教訓から学び取ることにある。
そして、防衛力の無謀な増強や実質的な改憲に向かう政治の動きに抗いながら、日本の社会に巣食う「空気の支配」や「無責任の体系」といったOS自体を、日常の生活レベルから一つ一つ改革していくことこそが、本当の意味での平和へと続く唯一の道程となるだろう。

