弥富市農業委員会「農地等の利用の最適化の推進に関する指針」の分析:
総合評価
この指針は、農業委員会法第7条が求める「目標・推進方法・評価方法」を一応記載しているため、直ちに違法・無効とはいえません。
しかし、内容を精査すると、
- 法令引用と文章構造の誤り
- 長期目標と単年度計画の重大な不整合
- 「集積」と「集約化」の混同
- 遊休農地0haを検証できない評価設計
- 新規参入目標の定義不明
- 弥富市固有の農業課題がほとんど反映されていない
- 策定手続を市民が検証しにくい
という問題があります。
実効性のある農業政策というより、国のひな型に数字を当てはめた形式的文書に近い印象です。
1.法令引用と文章に明確な誤りがある
「地域計画」の法的根拠を取り違えている
指針は、
「地域計画」(……改正基盤法第5条、第6条……
と記載していますが、地域計画の直接の根拠は、農業経営基盤強化促進法第19条です。第5条は都道府県の基本方針、第6条は市町村の基本構想に関する条文で、地域計画そのものではありません。令和4年法律第56号・衆議院
さらに、
- 成立後の法令を「法律案」と記載している
- 「地域計画」の後に開いた括弧が適切に閉じられていない
- 第3で「農地を効率的かつ総合的に利用していくため」が重複している
など、正式な行政指針としては校正不足です。弥富市の指針原文
市ホームページの条文番号も古い
現行の農業委員会法第7条では、
- 目標・方法・評価方法の設定
- 必要に応じた変更
- 推進委員からの意見聴取
- 策定・変更後の公表
と規定されています。農業委員会等に関する法律
ところが弥富市の公表ページは「第7条第3項により公表」としています。現行法では公表義務は第4項です。旧条文を修正していない可能性があります。弥富市公表ページ
2.令和8年の集積目標が単年度計画と整合していない
指針の数値は次のとおりです。
| 時点 | 管内農地 | 集積面積 | 集積率 |
|---|---|---|---|
| 令和6年7月 | 1,794ha | 810ha | 45% |
| 令和8年7月目標 | 1,758ha | 967ha | 55% |
| 令和16年7月目標 | 1,722ha | 1,378ha | 80% |
令和6年から令和8年までの2年間で、集積面積を157ha増やす計画です。年平均では約78.5haの増加が必要です。
ところが、市の「令和8年度最適化活動の目標」では、現状863ha・49.3%、年度末目標873ha・49.9%となっています。指針の令和8年目標967haとは94haの差があります。令和8年度最適化活動目標
つまり、
- 長期指針:令和8年に967ha
- 単年度計画:令和8年度末でも873ha
となっており、両方を同時に達成することは困難です。
これは単なる努力不足ではなく、計画体系そのものの不整合です。
3.「80%達成」の期限も統一されていない
この指針では、集積率80%の達成時期を令和16年7月としています。
一方、令和7年3月に策定された弥富市の地域計画は、目標年度を令和14年度として、集積率80%を掲げています。弥富市地域計画
したがって、現在は、
- 指針:令和16年に80%
- 地域計画・単年度資料:令和14年度に80%
という2年のずれがあります。
指針は地域計画より先の令和6年7月に変更され、地域計画は令和7年3月に策定されました。地域計画策定後に整合性を再検証した記録が必要です。
4.使用する農地面積の基準が統一されていない
指針は、農地基本台帳上の現況地目が田・畑である面積を分母にしています。
一方、単年度の最適化活動資料は「耕地及び作付面積統計」の耕地面積を使用しています。
このため、
- 指針の令和6年7月:1,794ha
- 令和6年度資料:1,760ha
- 令和8年度資料:1,750ha
と数字が異なっています。
資料ごとに異なる統計を使うこと自体はあり得ますが、その場合は相互の換算・差異の理由を説明しなければ、集積率の進捗を同一基準で評価できません。
5.農地面積の減少予測に根拠が示されていない
管内農地面積は、
- 令和6年から令和8年までの2年間で36ha減少
- 令和8年から令和16年までの8年間でも36ha減少
という設定です。
前半は年18ha、後半は年4.5haの減少となりますが、なぜ減少速度が4分の1になるのか説明がありません。
農地転用、非農地判断、公共事業、都市化など、何を前提として72haの農地減少を見込んだのか明示すべきです。
6.「集積」は評価しても「集約化」は評価していない
指針は「集積・集約化」を一体的に掲げていますが、評価指標は集積率だけです。
両者は別の概念です。
- 集積:担い手が利用する農地の総面積を増やす
- 集約化:分散した農地を近接・連続させ、作業効率を高める
集積率が上がっても、農地が各所に分散していれば、移動時間や作業コストは減りません。
少なくとも、
- 担い手1経営体当たりの農地筆数
- 団地化された農地の割合
- 1団地当たりの平均面積
- 農地間の平均移動距離
などを評価しなければ、「集約化」の進捗は測れません。
7.遊休農地0haは「成果」なのか検証できない
指針は、現状・令和8年・令和16年のすべてを遊休農地0haとしています。
0haが直ちに虚偽という意味ではありません。「遊休農地」は農地法上の判定区分であり、外見上耕作されていない農地すべてを意味するわけではないからです。
しかし、0haだけでは次のことが分かりません。
- 調査対象筆数
- 是正指導を行った農地の筆数・面積
- 新たに管理不良となった農地
- 草刈りだけで遊休農地判定を免れている農地
- 今後離農予定の高齢農業者の農地
- 違反転用の件数・面積
実際、市の単年度資料には「草刈等の是正指導を行った農地の追跡調査及び追加指導」が記載されています。法定上の遊休農地が0haでも、管理上の問題農地は存在することを示しています。令和7年度実施状況
したがって「0ha維持」だけではなく、指導筆数、新規発生、解消面積、再発率なども公表すべきです。
8.新規参入目標の意味が不明確
法人の新規参入者数は、
- 現状:2法人・2.2ha
- 令和8年目標:1法人・1.0ha
- 令和16年目標:3法人・3.0ha
となっています。
これが累計値なら、令和8年目標が現状を下回っており不合理です。一定期間ごとの新規参入数なら、「何年間の参入数か」が明記されていません。
また、評価は「人数・法人数だけ」とされ、表に掲げた取得面積を評価対象にしていません。
本来は、
- 相談件数
- 実際の参入件数
- 経営開始面積
- 3年後・5年後の定着率
- 離農・撤退件数
- 経営継承による参入
- 作物別・経営形態別の実績
まで追跡すべきです。
9.弥富市固有の農業課題が反映されていない
後に策定された地域計画では、弥富市の課題として、
- 水稲農地の転用による経営面積減少
- 金魚養殖業の後継者不足
- 使用されなくなった金魚池の活用
- 施設野菜、露地野菜、花きの後継者不足
- トマト、ナス、イチジク、ミツバなどの地域特性
が挙げられています。弥富市地域計画
しかし、この指針にはこうした地域別・作物別の分析がほとんどありません。
「JAや土地改良区と連携する」「周知に努める」といった全国共通の表現だけで、誰が、いつ、どの地区で、何件実施するかが定められていません。
10.策定手続を市民が検証しにくい
現行法では、指針を変更する前に農地利用最適化推進委員の意見を聴く必要があります。
しかし、指針本文からは、
- いつ総会で審議したか
- 推進委員7人からどのような意見が出たか
- 原案がどのように修正されたか
- どのような採決で決定したか
が分かりません。
弥富市の「農業委員会議事録」ページは、議事録を窓口で縦覧するとだけ記載し、オンラインで公開していません。弥富市農業委員会議事録ページ
農業委員会法第33条は、議事録をインターネットその他の適切な方法で公表するよう求めています。窓口縦覧だけで直ちに違法とは断定できませんが、市民による実質的な検証を著しく困難にしています。
また、指針の変更日は令和6年7月30日ですが、公表ページの更新日は令和6年10月21日です。Web上では約83日の間隔があるため、実際の初回公表日と公表方法を確認する必要があります。
結論
最大の問題は、「80%」「0ha」「新規参入者数」という見栄えのよい数値は並んでいるものの、それを達成するための工程、責任主体、地区別施策、統一された測定基準がないことです。
特に重要なのは次の3点です。
- 令和8年の集積目標967haと、単年度目標873haの不整合
- 80%達成時期が令和14年度と令和16年に分裂していること
- 地域計画策定後も指針が見直されていないこと
したがって、弥富市農業委員会には、少なくとも「目標数値の再計算」「統計基準の統一」「地区別実施計画」「策定議事録と推進委員意見の公開」を求める必要があります。
ゼロメートル地帯における農業構造の限界と政策的乖離
農業政策の転換と最適化指針の歴史的・制度的位置づけ
平成28年(2016年)の農業委員会等に関する法律の抜本的改正により、全国の農業委員会はその性格と役割を大きく変容させることとなった。
それまでの許認可等の行政事務を中心とした組織から、「農地等の利用の最適化の推進」を最重要な必須事務として担う現場主導の推進機関へと再定義されたのである。
この「最適化」とは具体的に、遊休農地の発生防止・解消、担い手への農地利用の集積・集約化、および新規参入の促進という3つの柱から構成されており、各農業委員会は担当区域ごとの活動を通じてこれらを一体的に進めるための具体的な目標と推進方法を定めた「指針」を策定することが義務付けられた。
弥富市農業委員会が平成29年(2017年)に策定し、令和6年(2024年)7月30日に大幅な変更を加えた「農地等の利用の最適化の推進に関する指針」(以下、本指針)は、農業経営基盤強化促進法(以下、基盤法)に基づく法定文書であると同時に、10年後(令和16年・2034年)の同市農業の将来像を規定する極めて重要な設計図である。
本指針は、愛知県が示す農業経営基盤の強化の促進に関する方針や、弥富市自身の基本構想を踏まえ、現在同市において策定が進められている「地域計画」の目標達成に向けた道筋を示すものとして位置づけられている。
しかしながら、提示された目標数値とそれを達成するための具体的な推進手法を、地域経済学、農業構造分析、法制度の運用実態、および弥富市特有の過酷な地理的・インフラ的制約の観点から詳細かつ批判的に分析すると、本指針が内包する致命的な矛盾が浮き彫りとなる。
国や県の策定要領に忠実に沿って作成されたこの文書は、表層的な整合性を保っている一方で、地域の最前線で起きている「地主の赤字」や「集落機能の物理的崩壊(スポンジ化)」、「ゼロメートル地帯のインフラ維持不能リスク」といった構造的危機を完全に捨象している。
本報告書では、本指針が掲げる3つの主要目標の背後にある構造的な欠陥を解明し、行政の希望的観測と地域農業の冷徹な現実との間に横たわる深い断絶を論証する。
「遊休農地ゼロ」目標の欺瞞と統計的不可視化のメカニズム
遊休農地と荒廃農地の定義的乖離が生む錯覚
本指針における最も特筆すべき、そして最も厳しい批判的検証を要する項目が、遊休農地の発生防止・解消に関する目標設定である。
本指針の統計によれば、令和6年7月現在の管内農地面積1,794ヘクタールに対し、遊休農地面積は0ヘクタール、すなわち遊休農地の割合は0%であると高らかに宣言されている。
さらに、次回改選時の令和8年、および最終目標年である令和16年においても、この「0ヘクタール・0%」を維持する方針が示されている。
これは一見すると、弥富市において農地の適正管理が完璧に行き届いており、耕作放棄問題が完全に根絶されているかのような印象を与える。
しかし、この「遊休農地ゼロ」という数値は、弥富市の農業現場の実態を反映したものではなく、農林水産省の定義に基づく行政的な分類の網の目を活用した統計的錯覚に過ぎない。
この数値を理解するためには、国が定める「遊休農地」と「荒廃農地」の法的な定義の違いを明確にする必要がある。
農林水産省の定義において、「現に耕作されておらず、引き続き耕作されないと見込まれる農地」は広義の「荒廃農地」として分類される。
この荒廃農地はさらに二つのカテゴリーに細分化される。
一つは、雑草の刈り取りや軽微な整地によって再び耕作が可能となる「A分類(再生利用が可能な荒廃農地)」であり、これが農地法上の「遊休農地(1号・2号)」に該当する。
もう一つは、長期間放置された結果として樹木が繁茂し、あるいは土砂の流入等により、抜根や大規模な基盤整備(1反あたり100〜200万円程度の工事費)を行わない限り事実上再生が不可能となった「B分類(再生利用が困難な荒廃農地)」である。
全国的に農業従事者の高齢化と減少が進む中、荒廃農地や遊休農地は増加の一途を辿っている。
例えば隣接する県や愛知県内のマクロデータにおいても、都市化の影響や担い手不足による営農環境の悪化に伴い、再生困難な荒廃農地が年々増加傾向にあることが指摘されている。
そのような広域的な構造要因がある中で、弥富市だけが完全に遊休農地の発生を抑え込んでいると解釈するのは極めて不自然である。
実際に起きている現象は、遊休農地の解消ではなく、「再生困難な荒廃農地への移行」による統計からの除外である。
農業委員会が利用状況調査において、長年放置された農地を「再生困難(B分類)」と判定した場合、その土地はもはや「遊休農地」としての指導対象から外れ、結果として遊休農地の統計上は「ゼロ」が維持されるというカラクリが存在する。
上記の表が示す通り、本指針は遊休農地ゼロを謳いながらも、母数である管内農地面積自体が10年間で1,794ヘクタールから1,722ヘクタールへと、実に72ヘクタールも減少する見込みを立てている。
この減少分には、適法な宅地転用や公共事業による収用も含まれるが、実質的には耕作不能となって山林化・原野化した荒廃農地や、違反転用状態が常態化してしまった土地が農地基本台帳から抹消されていくプロセスが内包されていると推察される。
管理放棄と不法投棄の温床化
現場のリアルな状況は、この「遊休農地ゼロ」という清潔な数字とは著しく乖離している。
堤防脇や農地周辺では、長年にわたり不法投棄が深刻な社会問題となっている。パトロールによって確認された実態によれば、廃タイヤ、マットレスや本箱などの木製家具、炊飯器等の家電製品、さらには建築資材などが、雑草に隠れるように捨てられている状況が報告されている。
農業委員会や地域住民による草刈りや監視活動が行われているものの、高いフェンスに囲まれた立入禁止区域の周辺等を中心に、一般家庭からの廃棄物や事業系ごみが持ち込まれる事例が後を絶たない。
一般に、農地が適切に管理され、頻繁に農作業が行われている優良な生産空間であれば、このような大規模な不法投棄が常態化することはあり得ない。
不法投棄が引き起こされる根本的な原因は、その土地が事実上の管理放棄状態にあり、人目が届かない「荒廃の兆し」を見せているからである。
病害虫の温床となり、鳥獣の住処となって周辺の営農環境に悪影響を与えるだけでなく、生活環境そのものを脅かすリスクとなっている。
本指針が「農地パトロールを適宜実施し、遊休農地や違反転用等の早期発見に努める」としつつも、現状の遊休農地ゼロという数値を前提に据え続けることは、問題の潜在化を助長する。
発生後対策から発生前対策への転換が強く求められているにもかかわらず、現実の荒廃リスクを直視せず、表面上の目標達成を取り繕う行政的な事なかれ主義は、地域農業の危機的状況を覆い隠し、手遅れになるまで抜本的な対策の着手を遅らせる結果をもたらしている。
農地集積率80%目標の構造的欠陥と「地主の赤字」のジレンマ
目標値の非現実性とマクロ的到達点
本指針の第2の大きな柱は、地域の農業生産を牽引するプロフェッショナルな担い手(認定農業者等)への農地利用の集積・集約化である。
指針では、現状(令和6年7月)の集積面積810ヘクタール(集積率45%)を、令和16年には1,378ヘクタール(集積率80%)へと飛躍的に引き上げるという極めて野心的な目標が設定されている。
この「80%」という目標値は、現場の積み上げによる実態的な予測値ではなく、国の方針に追随する形で市が策定した「農業経営基盤の強化の促進に関する基本的な構想」に基づくトップダウンの法定目標をそのまま転記したものである。
現状の弥富市内の集積率が約47.5%程度であることを考慮すると、この先わずか10年で、これまでの歴史の中で集積できた面積と同等以上の農地を新たに掘り起こし、特定の担い手に集中させるという計画は、実現可能性を大きく欠いている。
愛知県全体の現状を見ても、担い手への農地集積率は72.9%という高い数値を示している地域(海部、西三河地域など)がある一方で、水田作に限定すれば県平均でも55%程度に留まっているのが実情である。
水田農業は多様な栽培品目が混在し、機械化の恩恵が限定的であることに加え、耕作者が零細から中小規模に分散しており、中心的な担い手が不在となっている集落が多数存在する。
この状況下で、農地中間管理機構(農地バンク)の活用を働きかけるという従来型のソフトな推進手法だけでは、集積率の抜本的な向上は望めない。
その最大の阻害要因は、行政の推進計画が完全に看過しているミクロ経済学的制約、すなわち「地主の赤字」問題に他ならない。
土地改良区賦課金がもたらす致命的な構造的バグ
本指針は推進方法として、「農地中間管理機構及びあいち海部農業協同組合との連携を強化し、高齢農業者の農地や貸付けを希望する農地の情報を共有し、農地中間管理事業の活用を推進する」と明記している。
しかし、農地バンクのシステムを機能させるためには、農地の所有者(出し手)が機構に自らの資産を預託する経済的・心理的なインセンティブが不可欠である。弥富市における地主の経済状態は、このインセンティブが完全に崩壊していることを示している。
弥富市の農地の多くは、市街化調整区域内の農業振興地域(農用地)に指定された優良農地であり、原則として農地以外の用途への転用が極めて厳しく制限されている。
これらの農地を水没から守り、農業生産を可能にするために、土地改良区といった組織が強固な水利インフラを維持管理している。
土地改良区の組合員(農地所有者)には、ポンプ場などの揚水機場や支線水路の維持管理費にあてる「経常賦課金」や、各種土地改良事業の負担金にあてる「特別賦課金」が毎年法的に課せられている。
弥富市内の実態として、農地を農地バンク経由で担い手に貸し出した際に得られる小作料(賃貸料)は1反(約10アール)あたりおよそ7,000円である。
これに対し、地主が支払わなければならない土地改良区の賦課金や固定資産税等の合計額は、1反あたり9,000円以上となるケースが頻発している。
農地バンク制度の運用上、機構が農地を管理している期間(借り手が見つかるまでの間)は機構が賦課金を肩代わりするものの、実際に借り手に貸し付けられた後は、当事者間の取り決めに委ねられる。法的な強制力がない限り、水利費や賦課金、さらには畦畔の草刈り負担などは所有者(地主)に支払い義務が残るケースが多く、土地改良区としても原則として耕作者負担を推奨しつつも最終的な徴収責任は所有者に向かう。
この結果、弥富市の農地所有者は「農地をプロの担い手に貸し出せば貸し出すほど、毎年の収支が赤字になる」という、資本主義の原則に反する致命的なパラドックスに直面している。
農地を所有するだけで赤字が膨らむ状態において、地主が積極的に農地バンクに土地を預ける経済的合理性は皆無である。
むしろ、転用が困難な優良農地をタダで他人に譲渡した方が経済的には得であり、それができない場合は、耕作放棄して固定資産税の負担のみに留めるか、最悪の場合、非合法な資材置き場への転用などを水面下で画策する強力な動機付けとなってしまう。
本指針が掲げる「農家への声掛け等による意向把握」や「農地中間管理事業の事業周知」といった広報レベルの推進手法 では、この「年間数千円〜数万円の現金の持ち出し」というハードな経済的障壁を突破することは絶対に不可能である。
所有者不明農地という行政的ボトルネックの限界
集積化をさらに困難にしているのが、「所有者不明農地」の急増と、それに伴う農業委員会の行政的負担の爆発である。
高齢化による相続が繰り返された結果、登記簿上の所有者が死亡したまま数次相続が発生し、現在の共有者が数十名から数百名に膨れ上がっている農地が全国的に急増している。
弥富市農業委員会の指針でも、この問題に対処するため「農地の所有者等を確知することができない農地については、公示手続きを経て農地中間管理機構を通じて利用権設定ができる制度を活用し、農地の有効活用に努める」と明記されている。
この所有者不明農地制度は、平成30年の創設・令和4年の法改正によって、全ての相続人を探索することなく最長40年間の貸借を可能にする画期的な仕組みとされている。
しかし、その実務を担う農業委員会の現場レベルでは、凄まじい事務負担が発生している。
制度を活用するためには、農業委員会が中心となって戸籍や登記簿を公用で請求し、探索範囲(配偶者と子)の所在や生死を確認し、判明した相続人へ意向確認の書面を送付するという膨大な調査作業が必須となる。
その後、所有者が確知できない状態が確定して初めて、2か月間の公示手続き、知事への裁定申請または計画認可を経て、ようやく農地バンクを通じた利用権設定へと至る。事前相談から解決までには標準で4か月から半年もの期間を要する。
愛知県内の農地バンク取扱実績において、所有者不明農地制度の活用はある程度進んではいるものの、農地全体(約447万ha)の20.8%というマクロな集積目標に対して、所有者不明農地の活用実績は数万ヘクタール単位に留まっており、手続きの煩雑さがボトルネックとなっていることは否めない。
弥富市農業委員会は、11名の農業委員と7名の農地利用最適化推進委員によって構成されているが、彼らは地域の名士や農家等から選出された非常勤の特別職地方公務員である。
都市化の影響や営農環境の悪化が進む中、彼らに「日常的な見守り」や「地域計画の定期的な見直しへの協力」を求めつつ、並行して複雑怪奇な数次相続案件の同意取得や探索手続きを押し付けることは、組織のキャパシティを著しく超過している。
新規参入目標の非現実性と農業経営体の構造的崩壊
激減する基幹的農業従事者と集落のスポンジ化
本指針の第3の最適化目標として「新規参入の促進」が掲げられている。
現状(令和6年7月)で新規参入者が個人2人、法人0社であるのに対し、次期改選時の令和8年には個人1人・法人2社、最終目標年である令和16年には個人3人、法人6社という具体的な数値目標が設定されている。
とりわけ法人経営体の新規参入を10年間で6社も誘致するという目標は、弥富市の農業が直面している苛烈な人口動態と産業構造の実態から完全に遊離した非現実的な数字である。
弥富市の農業経営体の構造を見ると、事態の深刻さが浮き彫りになる。
農林業センサス等の統計推計によれば、弥富市の総世帯数約17,066世帯に対し、総農家数はわずか830戸(約1.4%)に過ぎない。
さらに、農産物を販売している販売農家数は441戸であり、その中で農業所得を主とし、農業生産の中心的な役割を担う「主業経営体」に至っては、わずか68経営体しか存在しないのである。
残りの大半は、高齢化が進んだ準主業・副業的経営体や自給的農家である。
愛知県全体の基幹的農業従事者数も、2000年の240万人から2024年には111万4千人へと半減し、平均年齢は62.2歳から69.2歳へと急速に高齢化している。
弥富市もこの例外ではなく、後継者不足は致命的な段階に達している。
歴史的に有名であった「弥富金魚」の産業も、需要の減少と後継者難により衰退の一途を辿っている。
このような農業就業者の激減は、単に労働力不足をもたらすだけでなく、地域の農道整備や水路の草刈り、泥さらいといった共同作業を支えてきた集落機能そのものの崩壊、すなわちコミュニティの「スポンジ化」を引き起こしている。
JAあいち海部青年部が、管内の28歳から40歳までの若い農業青年組織として活動を行い、新規就農者の確保や地域の活性化に努めているものの、その活動の努力だけでマクロな人口減少の波を押し返すことは不可能である。
法人参入を阻むゼロメートル地帯の過酷な環境とリスク
指針は新規参入促進の具体的な推進方法として、「農業の魅力発信と支援制度の周知」や「参入希望者の地域での受入条件の整備、継続的な支援」を挙げている。
しかし、弥富市の農業環境は、単なる「魅力発信」や「支援制度の案内」で外部の一般法人が参入できるほど甘いものではない。
弥富市は木曽川下流の沖積平野に位置し、市域の大部分が海抜ゼロメートル地帯にあるという極めて特殊な地理的条件を抱えている。
豊富な水資源と広大で平坦な農地は、大規模な機械化体系に適している反面、「自然排水が一切不可能」という農業生産上の致命的な弱点を持っている。
この環境下で農業を営むことは、常に水害リスクと隣り合わせであることを意味する。
弥富市には有限会社鍋八農産のように、最先端のICT技術を駆使して経営の多角化に成功している極めて優秀な大規模農業法人も存在する。
市や行政の計画は、しばしばこうした「最先端ビジネスとしての農業」という一部の極端な成功事例をモデルケースとして扱い、農業の未来像として描き出しがちである。
しかし、そのような高度に資本化された成功事例は68の主業経営体の中でもごく一部の特例であり、大半の農家は泥臭く厳しい経営を強いられているのが実態である。
一般の株式会社等が新たな事業として農業に参入する際、最も重視されるのは初期投資の回収可能性とリスクの低減である。
自然排水が不可能で、常にポンプ場の稼働に依存しなければならず、かつ前述したような土地改良区の賦課金負担や複雑な権利関係が入り組むゼロメートル地帯に、あえて6社もの法人が新規参入してくるというシナリオは、客観的な市場分析を欠いた希望的観測である。
農業委員会が「受入条件の整備」を図ったとしても、土地そのものが持つ物理的・経済的リスクの高さが、資本の流入を強力に阻害しているのである。
ゼロメートル地帯の宿命:巨大な維持管理コストと「計画的撤退」の欠如
農業インフラの老朽化と限界費用の増大
本指針が掲げる「最適化」の根底には、「現在の農地面積(約1,700ヘクタール)とその基盤インフラを、将来にわたって全て維持し続けることができる」という無言の前提が存在する。
しかし、この前提こそが弥富市において最も危うい欺瞞である。ゼロメートル地帯における農用地の保全は、地盤沈下対策事業やたん水防除事業による巨大な排水機場の継続的な稼働が絶対条件となる。
これが数時間でも停止すれば、農地はまたたく間に水没し、農業基盤そのものが消滅する運命にある。
弥富市の農業振興計画でも「既存の農業水利施設を有効に活用するための計画的な更新整備と保全管理に努める」と明記されているが、これらのインフラの多くは高度経済成長期から昭和後期にかけて整備されたものであり、現在一斉に耐用年数を迎え、老朽化のピークに達している。
排水機場のポンプ更新や巨大な水路の再整備には数十億円規模の莫大な費用が必要となり、加えて昨今のエネルギー価格高騰による日々の稼働に必要な電気代等のランニングコストも急増している。
これらの費用は、最終的に土地改良区を通じて農家(地主や耕作者)から徴収される賦課金に跳ね返る仕組みとなっている。
財政的破綻リスクと「地域計画」の空洞化
地域コミュニティがスポンジ化し、真のプロ農家(主業経営体)が68経営体にまで激減している中で、この少数の担い手と、赤字を抱えて不満を募らせる不在地主だけで、広大なゼロメートル地帯のインフラ維持管理コストを将来にわたって負担し続けることは、数学的に不可能である。
さらに、弥富市自体の行政財政も、一般インフラの維持管理予算の増大によって極めて厳しい状況にあり、財政的な破綻リスクすら指摘されている。
市も農家も、維持コストの壁に直面して身動きが取れなくなりつつあるのが実態である。
本指針は、第3章において「地域計画の目標を達成するための役割」を定めており、そこには「日常的な農地の見守りによる農地の適正利用の確認」や「地域計画の定期的な見直しへの協力」といった、極めて牧歌的でソフトな活動内容が列挙されているにとどまっている。
農業委員会が「農地の最適化」を推進する大前提として、その農地が物理的に水没せずに存在し続ける必要があるが、そのための莫大なインフラ維持コストに関する不都合な真実には一切触れられていない。
現在策定中の地域計画においても、右肩上がりの成長や「全ての農地の維持」を前提とした美しい未来図を描くことは、現場にさらなる混乱をもたらすだけである。
農業委員会が本当に果たすべき役割は、単なる意向把握や声掛けではなく、維持不可能な農地を見極め、インフラ投資を特定の生産性の高いエリアに集中させる「計画的撤退(縮退)」の議論を提起することである。
どのエリアの排水インフラを放棄し、どの農地を自然の遊水地に戻すかという、血を流すような痛みを伴う合意形成こそが、ゼロメートル地帯における真の「最適化」であるにもかかわらず、本指針はその責任を完全に放棄している。
結論と政策的提言
弥富市農業委員会の「農地等の利用の最適化の推進に関する指針」は、改正農業委員会法や国の農地政策の意向を忠実に反映した行政手続きの産物としては、必要十分な要件を満たしている。
しかしながら、提示されている「遊休農地ゼロの維持」「集積率80%の達成」「法人参入6社の実現」という3つの目標は、地域経済の実態や特異な地理的条件から完全に遊離した非現実的な「机上の空論」であると言わざるを得ない。
ゼロメートル地帯という自然排水が不可能な過酷な環境、土地改良区賦課金によって貸し出せば貸し出すほど赤字になる「地主の赤字」の構造、所有者不明農地の解決に要する絶望的な行政負担、そして地域のスポンジ化に伴う集落機能の崩壊。
これらの冷徹な現実の前では、農業委員による「見守り」や「声掛け」といった精神論的なアプローチは何の解決策にもならない。
本指針を真に「最適化」のための羅針盤として機能させるためには、行政の無謬性を取り繕うことをやめ、以下のパラダイムシフトに基づく抜本的な政策の再構築が求められる。
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「地主の赤字」の解消に向けた制度的介入 農地バンクへの集積を実質化するためには、地主の経済的ディスインセンティブを根本から取り除く必要がある。土地改良区の賦課金について、所有者負担から耕作者負担への完全移行を促すか、それが困難であれば、市街化調整区域の緑地保全や遊水地としての「多面的機能」を評価し、公費による大幅な負担軽減策を講じるべきである。
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荒廃農地の可視化と現実的なゾーニング 「遊休農地0%」という統計的粉飾を止め、再生困難な荒廃農地や不法投棄リスクを抱える未利用地の実態を正面から認めるべきである。その上で、農業振興地域から除外して粗放的な管理(太陽光発電やバイオマス等の非農地利用)へ転換するエリアと、徹底的に基盤整備を行って少数のプロ農家に委ねるエリアとを峻別する、痛みを伴うゾーニングが必要である。
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「計画的撤退」を前提としたインフラの再設計 全ての農地を水没から守り切ることは財政的に不可能である。農業委員会は地域計画の策定において、インフラの延命を断念し、戦略的に農地を縮小・集約させる「計画的撤退」の議論を主導すべきである。
弥富市の農業が迫り来る水害と財政の危機を乗り越え、持続可能な形で次世代に継承されるためには、行政の都合で描かれたバラ色の未来図を捨て去り、縮小社会におけるリアリズムに基づいた厳しい選択を行うことが急務である。

