戦後81年――二人の保守政治家が語る「戦争と平和」
「当事者とは言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもない」
1995年、高市早苗氏は国会でこう発言しました。村山総理の謝罪についても、「何をもって侵略行為というのか」「何が過ちなのか」が明確でないまま、国民を代表して謝ることに疑問を投げかけました。靖国神社参拝についても、総理になれば参拝を続けたいとの考えを示してきました。
一方、同じ自民党で幹事長などを務めた古賀誠氏は、父を戦争で失い、苦労する母の背中を見て育ちました。
古賀氏は、「戦争は理屈だけで割り切ってはいけない」と訴えます。憲法改正の議論自体は必要だとしながらも、憲法9条は先人が残した覚悟であり、日本の宝として守り抜くべきだと主張します。
安全保障についても、軍事力を強め続けることだけが抑止ではないと指摘。平和憲法と日米同盟の均衡を保ちながら、外交と相互の信頼によって戦争を防ぐことの重要性を語っています。
古賀氏は、靖国神社そのものを否定しているわけではありません。A級戦犯合祀の問題を解決し、天皇陛下が再びご親拝できる環境を整えることが、靖国問題を前へ進める第一歩だと考えています。
過去の戦争について、現在の世代に反省を求めることに疑問を示してきた高市氏。
戦争の記憶を「感覚として受け止め、歴史を深掘りしなければならない」と訴える古賀氏。
これは、単純な「保守対リベラル」の対立ではありません。同じ保守政治の中にある、歴史認識、憲法、安全保障、靖国神社をめぐる二つの異なる考え方です。
総理就任後、高市氏は、村山談話を含む歴代内閣の歴史認識を「全体として引き継ぎ、これからも引き継いでいく」と答弁しています。
政治家個人として語ってきた言葉と、総理大臣として示した政府見解。その間に、どのような変化があったのでしょうか。
戦後81年。戦争を体験した世代が少なくなる今、私たちは過去をどう受け止め、どのような平和を次の世代に残すのか。高市氏と古賀氏の言葉を対照しながら、日本が進もうとしている道を考えます。
作家・保阪正康が語る“戦争の継承”/戦後81年 終戦の日‥高市総理は何を語る【8月14日(金) #報道1930】|
① 村山総理への質問――侵略と謝罪について
高市早苗議員:
「50年前の当時の指導者がしたことを過ちと断定して謝る権利が、現在、50年後にこの国を預かっている村山総理にあるとお考えでしょうか。
私自身も、アジアの人々、それから先の大戦で犠牲者になられた多くの日本の人々に対して、『本当に大変なことでした。これから前向きに、ともに過去を反省しながらやっていきましょう』という気持ちを表すことには、何ら異存はありません。
しかし、総理自身が日本国を代表して謝り、反省の意を表明するに至るまでに、果たして国民的な議論があったのでしょうか。
何をもって侵略行為というのか。何が過ちなのか。この辺が明確に見えないまま、勝手に代表して謝ってもらっちゃ困ると、私は思うわけでございます。」
ここで高市氏は、戦争被害への遺憾や反省そのものを全面否定したというより、「侵略」「過ち」の定義と、総理が国民を代表して謝罪する手続的根拠を問題にしていました。
② 1995年3月――「反省なんかしておりません」
高市氏は、栗山尚一駐米大使が「日本国民全体の反省」を語ったことを取り上げ、次のように発言しました。
高市早苗議員:
「栗山大使は、『日本国民全体の反省があるから、戦後の平和憲法に対する国民の熱心な支持がある』『日本国民は反省をきちんと持ち続けなければならない』と、日本国民全体の反省があると決めつけておられます。
しかし、少なくとも私自身は、当事者とは言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもないと思っております。」
さらに高市氏は、世論が謝罪の是非をめぐって割れているとして、
「わずかに多い方の意見を日本国民の総意として国際社会に示すことこそが、民主主義への冒瀆であり、国民の代弁者たる国会議員の越権行為だと考えます。」
と述べ、歴史認識は個人の思想や価値観に関わるため、国会決議にはなじまないとの考えを示しました。
河野洋平外務大臣:
「私は、議員と全く見解を異にいたします。」
高市議員:
「どのように違うのでしょうか。」
河野外務大臣:
「過去の戦争について全く反省もしない、謝罪をする意味がないという議員の御発言には、私は見解を異にすると申し上げました。」
このやり取りは、1995年3月16日の衆議院外務委員会会議録で確認できます。国会会議録検索システム
③ 2022年――靖国神社参拝について
高市氏は、総理になった場合の靖国神社参拝について、次の趣旨を述べています。
「途中で参拝をやめたり、中途半端なことをするから、相手がつけ上がるという面はある。どんなに批判されても、淡々と続ける。」
「日本国のトップになるようなことがあったら、ずっと参拝を続けたいという思いです。」
添付テキストの「途中でやめたり中途半端なことをするから相手がつけあがる」という部分は、この発言を指しています。毎日新聞の報道
④ 総理就任後――歴代内閣の立場を継承
総理就任後、過去の発言と村山談話との関係を問われた高市総理は、次のように答弁しています。
「これまでの内閣総理大臣談話を含めて、歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでおり、これからも引き継いでいくということでございます。」
つまり、総理就任後の政府答弁としては、村山談話を含む歴代内閣の歴史認識を否定せず、「全体として継承する」という立場です。国会会議録PDF
一続きのナレーションとして再現
高市早苗氏は、新人議員時代、村山総理に対し、「何をもって侵略行為というのか。何が過ちなのか。それが明確でないまま、勝手に国民を代表して謝ってもらっては困る」と迫りました。
さらに1995年の国会では、「少なくとも私自身は、当事者とは言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもない」と発言。これに対し、河野洋平外務大臣は、「私は議員と全く見解を異にする」と明確に反論しました。
その後も高市氏は、靖国神社参拝について、「中途半端なことをするから相手がつけ上がる。日本国のトップになったら参拝を続けたい」と語っていました。
しかし、総理就任後に歴史認識を問われると、「歴代内閣の立場を全体として引き継ぎ、これからも引き継いでいく」と答弁しました。
個人の政治家として示してきた歴史認識と、総理大臣として継承すると表明した政府見解。この二つの間を、私たちはどう理解すべきなのでしょうか。
戦後81年】自民党元幹事長・古賀誠氏が語る“戦争” 憲法9条や靖国問題に言及「天皇陛下もご親拝できるように」【終戦記念日】
主要キーワード
| 分野 | キーワード |
|---|---|
| 歴史認識 | 戦後81年、侵略、反省、謝罪、村山談話、歴代内閣の立場、政府見解の継承 |
| 終戦の日 | 全国戦没者追悼式、総理式辞、不戦の誓い、戦争の惨禍、反省の言葉 |
| 憲法 | 日本国憲法、憲法9条、立憲主義、憲法改正、国民が国家権力に守らせるルール |
| 安全保障 | 日米同盟、平和憲法、抑止力、外交、信頼関係、防衛力、軍事大国化 |
| 防衛政策 | 防衛装備移転三原則、武器輸出、紛争抑止、戦争のできる国、財政負担 |
| 保守政治 | 古賀誠、高市早苗、宏池会、穏健保守、歴史認識、言論の自由、軍事大国にならない |
| 靖国問題 | 靖国神社、A級戦犯合祀、昭和殉難者、天皇陛下のご親拝、政教分離、戦没者追悼 |
| 国際法 | サンフランシスコ平和条約第11条、東京裁判、戦犯裁判、日本の独立と国際社会への復帰 |
| 記憶の継承 | 戦争体験、語り部、世代交代、歴史の深掘り、理屈と感覚、次世代への責任 |
テキストから抜き出せる「刺さる言葉」
発言の趣旨を保ちながら、読みやすく整えています。
- 「戦争は、理屈だけで割り切ってはいけない」
- 「憲法9条は、先人が残した覚悟であり、日本の宝である」
- 「憲法は議論する。しかし、9条は守り抜く」
- 「日米同盟だけに偏ってもいけない。平和主義だけでも安全保障は前に進まない」
- 「抑止力は、軍事力だけではない。国と国との信頼関係から生まれる」
- 「軍事力による抑止には、財政的にも終わりがない」
- 「戦争のできる国に、少しずつ近づいているのではないか」
- 「国策の誤りは、81年後も人々に傷を残している」
- 「語るだけで、戦後を終わらせてよいのか」
- 「戦争を知らない世代には、歴史を深掘りする力が必要だ」
- 「ものを言えない死者に代わって、生きている私たちが考え続けなければならない」
- 「戦争の愚かさを、知識だけでなく感覚として受け止めてほしい」
見出し・動画に使える表現
こちらは、テキストの主張をもとに再構成した編集用コピーです。
- 「反省しない政治に、過去の過ちを防げるのか」
- 「戦後81年――私たちは何を引き継いだのか」
- 「防衛力を増やせば、平和も増えるのか」
- 「武器を輸出する国は、戦争から遠ざかるのか」
- 「語り継ぐだけでは足りない。平和を制度として残せ」
- 「追悼と戦争の正当化を混同してはならない」
- 「戦争を知らない政治家が、戦争のできる国をつくる怖さ」
- 「保守の中にも、戦争への二つの向き合い方がある」
- 「戦争は、始める前に止めなければならない」
- 「歴史を忘れた安全保障は、再び歴史を誤る」
- 「平和は、武器の量ではなく外交の質で守れるのか」
- 「『二度と繰り返さない』を、言葉だけで終わらせない」
論点整理
1.個人の「反省」と国家の「歴史的責任」
高市氏は新人議員時代、「当事者ではない世代に反省を求められるいわれはない」という趣旨の発言をしています。一方、総理就任後は「歴代内閣の歴史認識を全体として引き継ぐ」としています。
ここで問われるのは、個人が戦争責任を負うかどうかではなく、国家として過去の政策を検証し、その教訓を継承する責任です。
- 戦後世代に個人的な罪を負わせること
- 国家が歴史的な誤りを認め、再発防止を誓うこと
この二つは分けて考える必要があります。
2.「反省」という言葉を使うかどうか
総理式辞では、村山総理が「反省」を明示し、安倍総理以降は別の表現に置き換わり、石破総理が再び使用したと紹介されています。
問題は単なる言葉遣いではありません。
- 誰の、どの行為を反省するのか
- 侵略や植民地支配をどう評価するのか
- 「戦争の惨禍を繰り返さない」だけで歴史的責任を表現できるのか
言葉の削除や復活は、その政権が歴史にどう向き合うかを示す政治的メッセージになります。
3.「憲法改正論」と「9条擁護」は両立する
古賀氏は、憲法改正の議論自体を否定していません。時代に応じて改正を議論することは政治家の責務だとしながら、9条は守るべき核心だと主張しています。
つまり、
憲法を一切変えてはならないのではなく、平和主義という根本原則は変えてはならない
という立場です。
4.平和憲法と日米同盟の緊張関係
古賀氏は、平和憲法と日米同盟を、どちらか一方に偏らせず両立させる考え方を示しています。いわゆる「楕円の哲学」です。
- 日米同盟だけに依存すれば、米国の軍事戦略に巻き込まれる危険がある
- 平和主義だけを唱えても、現実の安全保障上の脅威には対応できない
この二つの緊張関係を保つことが、戦後日本の安全保障政策の知恵だったという主張です。
5.抑止力は軍事力か、外交的信頼か
政府側は、防衛力や装備移転を「戦争を起こさせないための抑止」と説明します。これに対し古賀氏は、真の抑止力は相互の信頼と尊重、外交関係から生まれると主張しています。
ただし、実際の政策論としては「軍事か外交か」の二者択一では不十分です。
問うべきなのは、
- どこまでの防衛力が必要なのか
- 軍拡が相手国の軍拡を招かないか
- 外交・危機管理・経済協力にどれだけ資源を配分するか
- 防衛費増大を財政的に持続できるか
という具体的な均衡です。
6.防衛装備移転は「戦争のできる国」への転換か
防衛装備の移転には、同盟国や友好国の防衛力を支え、侵略を抑止するという説明があります。一方で、武器が実際の紛争に使われ、日本が間接的に戦争へ関与する危険もあります。
検証すべき点は、
- 移転先と用途の限定
- 第三国への再移転防止
- 民間人被害が出た場合の責任
- 国会による事前・事後チェック
- 防衛産業の利益が政策判断を左右しない仕組み
です。
7.靖国問題の核心は「追悼」と「歴史評価」
古賀氏は、A級戦犯合祀によって天皇陛下のご親拝が困難になったとの認識を示しています。ただし、これは古賀氏の見解であり、天皇が参拝しなくなった公式理由として確定しているわけではありません。
靖国問題では、次の論点が重なっています。
- 戦没者をどう追悼するか
- A級戦犯を一般戦没者とともに祀ることの是非
- 国家指導者の責任をどう評価するか
- 政教分離との関係
- 天皇を政治的・宗教的議論に巻き込んでよいのか
- 近隣諸国との外交問題
「参拝するか、しないか」だけでなく、追悼と戦争責任を両立できる仕組みが必要です。
8.東京裁判をどう位置づけるか
古賀氏は、東京裁判には戦勝国による裁判という問題がある一方、日本はサンフランシスコ平和条約第11条で判決を受諾し、国際社会への復帰を果たしたと指摘しています。
ここでは、
- 裁判手続や法理を批判的に検討すること
- 判決を無効だったものとして扱うこと
を区別する必要があります。裁判への学術的批判が、直ちに戦争指導責任の否定につながるわけではありません。
9.戦争の記憶をどう次世代へ渡すか
古賀氏は、若い世代は戦争を「理屈」では理解できても、「感覚」としては持っていないと語っています。
しかし、体験のない世代に同じ感覚を求めるだけでは継承できません。
- 証言や公文書の保存
- 戦争遺跡や資料館の活用
- 被害だけでなく加害の歴史も学ぶ
- 異なる立場の証言を比較する
- 戦争へ至った政治・行政・報道の失敗を検証する
記憶を感情だけに頼らず、教育と制度として残すことが重要です。
全体を貫く核心
このテキストの本質は、単純な「改憲か護憲か」ではありません。
戦争を防ぐために軍事力を強めるのか。それとも、歴史認識、憲法、外交、信頼関係によって戦争を遠ざけるのか。
そして、さらに深い問いは、
「二度と戦争を繰り返さない」という決意を、追悼式の言葉だけでなく、政治の制度と行動にできているのか。
以下は、古賀誠さんの発言について、言いよどみや重複、文字起こしの誤変換を整理し、趣旨を変えないように読みやすい文章にしたものです。
終戦の日の記憶
私は終戦当時、まだ5歳でした。ですから、はっきりとした記憶が残っているわけではありません。
それでも、8月15日のことだけは、生涯忘れることがないと思います。記憶にないようで、心の中には確かに残っている。不思議な一日です。
戦後81年は、長かったようでもあり、あっという間だったようにも感じます。
私が2歳のとき、父は赤紙で召集され、戦地へ向かいました。ですから、私には父の記憶がありません。
物心がついたときの最初の記憶は、父の姿ではなく、苦労して働く母の背中でした。父親との思い出がないことは悲しいことですが、逆に、戦地へ向かう父の姿を記憶していないことは、幸せだったのかもしれないとも思います。
日本の平和を支えてきたもの
日本が戦後81年間、自由と平和を守ることができた。その背景には、国民の努力や忍耐もあったと思います。
しかし、私は何よりも、先人たちの覚悟と決意が込められた日本国憲法、特に憲法9条が、大きな役割を果たしてきたと思っています。
憲法9条は、世界にも例の少ない原則です。
日本が戦後、自由で平和な国として歩んでこられたのは、9条があったからです。これは、私たちが失ってはならない大切な財産です。
憲法改正の議論は必要
憲法は、時代の変化に応じて、改めなければならない部分が出てくることもあります。
だからこそ、憲法96条には改正手続が定められています。憲法改正について議論すること自体は、あってよい。むしろ、積極的に議論すべきです。
法律は国民が守るルールですが、憲法は、国民が国家権力に守らせる最高法規です。立憲主義の下では、社会の変化を踏まえ、憲法について学び、議論を重ねることが政治家の重要な責務です。
しかし、憲法9条だけは守り抜かなければならない。
9条は、先人たちが戦争の犠牲の上に残した覚悟です。理想だからこそ、その理想を実現することが、私たちの世代の使命です。私は、憲法9条を日本の大切な宝だと思っています。
平和憲法と日米同盟の「楕円の哲学」
日米関係は、日本外交と安全保障の重要な基軸です。歴代の総理も、日米関係を大切にしながら外交を進めてきました。
しかし、日米同盟だけに偏ってもいけません。
大平正芳先生は、平和憲法と日米安全保障体制の関係を「楕円の哲学」と表現しました。
楕円には二つの中心があります。平和憲法と日米安全保障という二つの中心が、互いに緊張関係を保ちながら、日本の平和と安全を支えてきたのです。
日米関係だけに偏ってもいけない。一方で、平和主義を唱えるだけでも、現実の安全保障は前に進みません。
二つをどのように組み合わせ、世界の国々と信頼関係を築いていくのか。国際情勢が厳しい時代だからこそ、この考え方を大切にしてほしいと思います。
宏池会が大切にしてきた政治哲学
私は宏池会に所属していました。宏池会は、単なる派閥ではなく、明確な理念を持った政策集団だったと思っています。
宏池会が大切にしてきた基本的な政治哲学は、次の四つです。
- 憲法を尊重する
- 歴史を正しく認識する
- 言論の自由を守る
- 軍事大国にならない
この四つは、現在の日本政治においても、もっと大切にされるべきだと思います。
防衛力の強化に感じる怖さ
防衛装備の移転を進める政策について、私は大きな不安と怖さを感じています。
日本が、少しずつ「戦争のできる国」に近づいているのではないか。そのように感じるからです。
政府は、日本やパートナー国を守り、紛争を未然に防ぐためだと説明しています。しかし、私の考え方は逆です。
世界の国々と仲良くし、話し合いを重ね、お互いを尊重する。そうした信頼関係を築くことによって、戦争を起こさない環境をつくることが重要です。
抑止力は、軍事力だけから生まれるものではありません。
相手国との信頼関係や相互の尊重、日々の外交努力の中から、本当の抑止力が生まれるのだと思います。
軍事力による抑止を求め始めれば、そこには終わりがありません。相手が増強すれば、こちらも増強する。その競争には限界がなく、財政的な負担も増え続けます。
軍事力だけで平和を守ろうとする考え方には、私は疑問を感じます。
戦争は理屈で割り切ってはいけない
このまま進めば、日本は次第に「戦争のできる国」へ近づいていくのではないかと思います。
戦争は、理屈の上では外交手段や政策手段の一つと説明できるかもしれません。しかし、戦争は理屈だけで割り切れるものではありません。割り切ってはいけないものです。
必要なのは、戦争の悲惨さを感覚として受け止め、歴史を深く学ぶことです。
戦争を経験した世代が少なくなり、政治の場でも、戦争を理屈だけで論じることが増えている。そうした状況を見ると、日本が戦争のできる国に近づいているような怖さを感じます。
過去の国策の誤りによって戦争が拡大し、81年が過ぎた今も、多くの人が傷を負ったままです。その事実を、私たちは決して忘れてはなりません。
靖国神社と天皇陛下のご親拝
靖国神社の問題は、極めて残念な状況が続いています。
先の大戦では、軍人・軍属だけでなく、一般国民を含む300万人以上の方々が命を失いました。
8月15日に靖国神社を訪れるたびに、私は考えます。
なぜ、天皇陛下がご親拝できないのだろうか。
靖国の杜に眠る戦没者は、自分たちの死が無駄だったのか、今の平和な日本をつくるために少しでも役立ったのかと、問いかけているのではないでしょうか。
戦没者は、自分の思いを言葉にして発信することができません。生きている私たちは、その声なき声を受け止め、考え続けなければなりません。
私は、天皇陛下のご親拝を可能にすることが、靖国問題を解決する第一歩だと考えています。
A級戦犯合祀の問題
1978年、靖国神社は、A級戦犯とされた14人を「昭和殉難者」として合祀しました。
これは当時の松平永芳宮司の判断で行われたもので、遺族会をはじめとする関係者に十分な相談や報告がないまま進められたと私は認識しています。
その後、この事実が報道によって明らかになり、大きな問題になりました。
最もお困りになったのは、昭和天皇だったのではないでしょうか。それ以降、天皇陛下の靖国神社へのご親拝は行われなくなりました。
さまざまな見方はありますが、私は、A級戦犯の合祀によって、天皇陛下がご親拝できなくなったと考えています。
東京裁判とサンフランシスコ平和条約
東京裁判については、戦勝国による裁判であり、手続や内容に問題があったという議論があります。それ自体は検証されるべきでしょう。
しかし、日本はサンフランシスコ平和条約第11条によって、極東国際軍事裁判所などの判決を受諾しました。そこから、日本の独立国家としての歩みと国際社会への復帰が始まりました。
したがって、「戦勝国が勝手に行った裁判だから、すべて無効だ」と簡単に片づけることは、国際社会では通用しません。
歴史を正しく認識し、深く学ぶ。その上で、A級戦犯合祀を含む靖国問題を考え、天皇陛下がご親拝できる環境を整えることが、私たちの責任ではないでしょうか。
「語るだけ」で終わらせてはいけない
戦後80年、81年という節目に、戦争体験を語る機会をいただきました。
しかし、語るだけでよいのだろうかと思います。
戦争の記憶を語るだけで終わらせず、次の世代に何を引き継ぎ、どのような国をつくってほしいのかまで考えなければなりません。
私にとって、その第一歩が、天皇陛下の靖国神社へのご親拝を可能にすることです。そして、もう一つが憲法9条を守り抜くことです。
恒久平和を目指すのであれば、日本国憲法9条は、世界の平和のためにも大切な役割を果たすことができる。私はそう確信しています。
若い世代へのメッセージ
日本がここまで自由で平和な国になり、経済的にも発展することができた。その基礎にあるものは、日本国憲法、特に9条だと思います。
憲法について議論することは大切です。時代に合わせて、変えるべき部分、加えるべき部分、削るべき部分があるかもしれません。その議論を行うことは、政治家の義務です。
しかし、9条は守り抜かなければなりません。
私たちの世代と、現在の若い世代との大きな違いは、戦争を感覚として知っているかどうかです。
私たちの世代は、戦争の記憶を肌にすり込ませながら生きてきました。若い人たちも、戦争が愚かなものであり、二度と繰り返してはならないことを、理屈では理解していると思います。
しかし、それが感覚として伝わっていないことに、私は怖さを感じます。
若い世代には、語り部の話を聞くだけで終わらず、その言葉から何を受け取り、何を次代へ残すのかを考えてほしい。
学問的な知識が豊富で、優秀な若い政治家はたくさんいます。しかし、歴史を深掘りせず、戦争を理屈だけで割り切るようになれば、戦争を単なる外交手段の一つとして考えてしまう危険があります。
戦争は、理屈だけで収まるものではありません。
戦争の愚かさを感覚として受け止め、歴史を深く学んでほしい。それが、若い世代の皆さんに最も伝えたいことです。

