
著者と語る『社会保障改革の岐路 信頼のセーフティネットは可能か』宮本太郎・中央大学教授 2026.8.20
宮本太郎教授講演「社会保障改革の岐路」サマリーと論点整理
対象講演 著者と語る『社会保障改革の岐路――信頼のセーフティネットは可能か』
登壇者 宮本太郎氏(中央大学法学部教授)
日時 2026年8月20日
会場 日本記者クラブ
1 サマリー
宮本太郎教授の講演は、いま日本で広がっている社会保障への不信を、単なる「負担への不満」や「ポピュリズム」で片付けず、雇用と社会保障の関係が崩れた結果として捉え直すものである。
戦後日本は、国民皆保険・皆年金を中心に、社会保険へ税金を投入することで、多くの国民を共通の制度に包み込んできた。この仕組みは、男性稼ぎ主、長期雇用、年功賃金、企業の福利厚生という昭和型の雇用・家族モデルには比較的よく適合していた。
しかし、非正規雇用、不安定就労、ひとり親世帯、単身世帯などが増えると、従来の制度から外れる人が拡大した。社会保険に入っても負担に見合う給付を実感できない人、社会保険に十分入れない一方で生活保護の対象にもなりにくい人が増え、年収200万~300万円程度の層を中心に、**「低福祉・高負担」**と感じる領域が生まれた。
日本全体を見れば、社会保障支出は決して小さくない。しかし、給付が高齢期の年金・医療に偏り、現役世代の住宅、子育て、教育、職業訓練などへの給付が薄いため、働く世代には「負担ばかりで見返りがない」と映る。
この制度不信は、やがて「高齢者ばかりが得をしている」「生活保護受給者は働いていない」「外国人に給付が流れている」「子育て世帯だけが優遇されている」といった相互不信へ転化する。社会保障の問題が、世代、雇用形態、家族構成、国籍などをめぐる社会の分断に結び付いているのである。
政府は、全世代型社会保障、社会保障と税の一体改革、生活困窮者自立支援制度、少子化対策などを進めてきた。しかし、雇用の質を改善する政策と十分に結び付かなかったため、改革は空回りした。例えば児童手当を拡充しても、その財源を医療保険料とともに徴収すれば、結婚や出産の見通しを持てない若者から「独身税」と反発される。生活困窮者を就労につないでも、移った先が低賃金の仕事であれば生活は安定しない。
一方、政府の「三位一体の労働市場改革」は、リスキリング、ジョブ型雇用、成長分野への労働移動を掲げる。しかし、日本では雇用そのものが生活保障を担ってきたため、長期雇用や年功賃金を弱めるなら、それに代わる失業給付、所得保障、再訓練制度が必要である。また、AI時代には生産性の高い先端分野ほど人を必要としなくなる一方、医療、介護、保育、運輸、建設などのエッセンシャルワークでは人手不足と低処遇が続く。
そこで宮本教授は、労働市場改革だけでなく、次の三つを結ぶ**「三位一体の社会保障改革」**を提案する。
- 心身の状態や家族のケアに合わせて働ける、柔軟な雇用機会
- 働いても生活費に足りない所得を補う、給付付き税額控除などの補完型所得保障
- 住まい、ケア、相談、居場所、社会参加を支える対人支援サービス
この改革の中心に置かれるのが、**「承認された生存」**という考え方である。人は、単に生存を保障されるだけでなく、誰かに認められ、社会の中に自分の役割があると感じることで自己肯定感を得る。就労や地域参加は、その承認を得る重要な機会になる。ただし、家族、地域、コミュニティとのつながりを本人に強制してはならない。本人が納得できる場を選び、必要ならつながり直せることが重要である。
講演の結論は、社会保障を動かす機関車は財源ではなく信頼であるという点にある。人々は、制度が自分や家族の人生を支え、負担と給付の関係に納得できるなら、必要な負担を必ずしも拒否しない。したがって政治の役割は、不信を利用して減税や保険料引下げへの支持を集めることではなく、雇用、所得保障、支援サービスを結び、負担する意味が見える制度へ組み直すことである。
2 講演の核心
一文でまとめると
日本の社会保障危機は、給付額や財源だけの問題ではなく、雇用と社会保障の分断によって制度への信頼が失われ、その不信が人々の相互不信に変わっている問題である。
講演の論理構造
flowchart TD
A["昭和型の雇用・家族モデル"] --> B["皆保険・皆年金と企業内保障"]
B --> C["非正規化・単身化・ケア負担"]
C --> D["制度のすき間と低福祉・高負担"]
D --> E["制度不信から相互不信へ"]
E --> F["雇用・所得・支援を結ぶ改革"]
F --> G["承認と社会保障への信頼回復"]
3 主要論点の整理
| 論点 | 宮本教授の主張 | 政策化する際の検討課題 |
|---|---|---|
| 社会保障不信の原因 | 単なる負担嫌いではなく、雇用と社会保障の連携が崩れたことが原因 | 不信の原因を世代対立や財源不足だけで説明しない分析が必要 |
| 戦後社会保障の評価 | 皆保険・皆年金は昭和型雇用には適合し、一定の成功を収めた | 過去の制度を全面否定せず、残す機能と変える機能を分ける必要 |
| 低福祉・高負担層 | 年収200万~300万円程度の勤労層に、給付の薄さと保険料負担が集中 | 将来受ける年金・医療を含む生涯給付も併せて示さなければ、不信を強める危険 |
| 現役世代向け給付 | 住宅、教育、子育て、職業訓練など人生序盤・中盤の給付が薄い | 高齢期給付との単純な奪い合いにせず、全人生を通じた給付設計が必要 |
| 制度不信と相互不信 | 社会保障への不満が、高齢者、受給者、外国人、子育て世帯への攻撃に変わる | 給付の実態と負担の行方を可視化し、誤情報に対処する必要 |
| 全世代型社会保障 | 方向性は必要だったが、雇用政策との連携不足で空回りした | 新たな給付の財源を保険料に求める場合、負担者の納得をどう得るか |
| 労働市場改革 | リスキリング、ジョブ型、労働移動だけでは不十分 | 雇用を流動化する前に、失業給付、再訓練、住宅・所得保障を整える必要 |
| エッセンシャルワーク | AI時代には医療、介護、保育、建設、運輸などの底上げが重要 | 公定価格、委託費、診療・介護報酬、公共調達を含む賃金原資の確保が不可欠 |
| 雇用のデジタル化 | ICTで仕事を細分化し、多様な人が働ける可能性がある | ギグワーク化による低賃金、無権利化、社会保険外しを防ぐ規制が必要 |
| 給付付き税額控除 | 働いても所得が足りない人への補完型保障として有効 | 低賃金企業への間接補助にならないか、給付水準・減額率・所得把握を慎重に設計 |
| 対人支援サービス | 雇用と所得保障だけでなく、ケア、住居、相談、居場所が必要 | 自治体の人員、専門職、委託先、継続財源をどう確保するか |
| 承認された生存 | 生存保障に加え、就労や参加を通じて認められる機会が必要 | 「参加しない自由」を守り、就労・地域参加の強制にしない仕組みが必要 |
| 外国人労働者 | 就労資格の各段階と年金、医療、生活支援を接続すべき | 適用条件を明文化し、外国人への誤解と制度上の不透明さを減らす必要 |
| 財源と信頼 | 納得できる制度なら負担への合意は得られる。信頼が機関車で財源は客車 | 信頼だけでは財源不足は解消しない。費用、負担者、給付効果を数字で示す必要 |
4 特に重要な八つの論点
論点1 「低福祉・高負担」は、事実の可視化か、不信の増幅か
宮本教授は、所得が低い勤労層に社会保険料負担が重く、現役期の給付が薄い現実を「低福祉・高負担」と表現する。この指摘は、制度のすき間を可視化する上で重要である。
一方、社会保険には、現役期に負担して高齢期に年金や医療を受ける「人生を通じた貯金箱機能」がある。現在の給付だけを見て「見返りがない」と説明すれば、制度への不信をさらに強める可能性がある。
したがって、政策説明では次の二つを同時に示す必要がある。
- 現役期の手取りと生活を直ちに支える給付が不足していること
- 年金、医療、介護など将来給付を含めれば、負担がすべて失われるわけではないこと
問題は社会保険そのものが無意味なのではなく、給付の時期、種類、見え方が、現在の生活構造に合わなくなっていることである。
論点2 給付付き税額控除は、低所得者支援か、低賃金の固定化か
給付付き税額控除は、働いて得た所得が増えるほど手取りも増えるようにしながら、一定所得以下の人に給付する制度である。生活保護と比べ、就労による所得増加が給付減少で相殺されにくく、働くことを阻害しにくい利点がある。
しかし、制度が企業の低賃金を公費で補うだけになれば、賃金を引き上げる圧力が弱まる。エッセンシャルワーカーの処遇改善には、給付だけでなく最低賃金、公定価格、委託単価、公共調達、労働法制を組み合わせる必要がある。
給付付き税額控除を導入する場合、少なくとも次の設計が必要になる。
- 給付を始める所得水準
- 最大給付額
- 所得増に伴う給付の減額率
- 個人単位か世帯単位か
- 子どもの人数や障害、ケア負担をどう反映するか
- 所得変動の大きいフリーランス・ギグワーカーへの対応
- 年末給付か、毎月・四半期ごとの給付か
- 企業が賃金を抑えることへの対策
論点3 エッセンシャルワークの「アドバンスト化」と「ユニバーサル化」
宮本教授は、エッセンシャルワークを二つの方向で再編する必要を示す。
一つは、ICT・AIを活用して専門性や管理能力を高める「アドバンスト化」である。もう一つは、業務を分解し、短時間勤務や柔軟な参加を可能にする「ユニバーサル化」である。
ただし、業務を細分化し過ぎれば、熟練や専門性が軽視され、働き手が交換可能な部品として扱われる危険がある。反対に、高度専門職だけを重視すれば、日常的なケア、清掃、運搬、見守りなど不可欠な仕事の価値が低く扱われ続ける。
必要なのは、次の両立である。
- 専門性、経験、責任を評価し、キャリアと賃金を上げる
- 心身の状態や家庭事情に応じ、短時間でも参加できる入口を増やす
論点4 雇用流動化より先に、移動を支える安全網が必要ではないか
日本では、長期雇用や年功賃金が社会保障の一部を担ってきた。その仕組みを弱め、転職を促すなら、失業時の所得、住宅、医療、職業訓練を強化しなければならない。
安全網のない流動化は、労働者に転職の自由を与えるのではなく、企業に解雇や雇用調整の自由だけを与える結果になりかねない。
リスキリングも、本人の自己責任にしてはならない。働きながら、または一定の所得を保障されながら学べる制度、希望分野の求人需要を確認する相談機能、訓練後の就職までを支える仕組みが必要である。
論点5 「承認」は行政が給付できるのか
承認は、現金やサービスのように行政が直接配れるものではない。行政ができるのは、本人が他者と関わり、役割を持ち、認められる可能性のある場を支えることである。
ここには大きな危険もある。行政や地域が「社会参加は良いことだ」と決め、就労、ボランティア、自治会、居場所への参加を強要すれば、新しい排除や監視につながる。
したがって承認政策には、次の原則が必要である。
- 参加先を本人が選べる
- 参加しないことによって給付を失わない
- 合わない場から離れ、別の場につながり直せる
- 支援する側が本人を「役に立つか」で評価しない
- 個人情報と支援情報を必要以上に共有しない
論点6 制度不信を相互不信に変えない情報公開
負担と給付の関係が見えないと、人々は不足する情報を印象やSNSの情報で補う。その結果、特定の世代や集団が得をしているという誤解が広がる。
国や自治体は、制度別の支出総額だけでなく、人生の各段階で、どのような世帯が、どの程度負担し、どの給付やサービスを受けられるかを可視化する必要がある。
単なる平均値ではなく、次のようなモデル世帯別の表示が望ましい。
- 単身の若年非正規労働者
- 子どものいない共働き世帯
- 子育て世帯
- ひとり親世帯
- 障害や慢性疾患のある人
- 家族介護を担う世帯
- 年金生活世帯
- 外国人労働者世帯
論点7 外国人労働者を「労働力」ではなく制度の構成員として扱えるか
外国人を人手不足分野の労働力として受け入れるだけでは、社会保障制度への加入、家族生活、教育、住宅、定住という問題が後回しになる。
就労資格の各段階について、次の事項を明確にする必要がある。
- 健康保険、年金、雇用保険への加入
- 保険料を負担した人が帰国する場合の取扱い
- 家族帯同と子どもの教育
- 失業、病気、障害時の生活保障
- 生活保護その他の公的扶助を利用できる条件
- 特定技能から定住へ移る際の権利と義務
曖昧な制度は、外国人本人を不安定にするだけでなく、「外国人だけが優遇されている」という誤解を生む。明確なルールは、排除のためではなく、同じ制度を支える構成員として位置付けるために必要である。
論点8 「信頼が先、財源は後」だけで十分か
信頼がなければ負担への合意は形成できないという宮本教授の指摘は重要である。しかし、信頼が回復すれば自動的に財源問題が解決するわけではない。
制度改革には、次の数字を示す必要がある。
- 対象者数
- 一人当たりの給付額・サービス量
- 必要な財源総額
- 国、自治体、事業主、被保険者の負担割合
- 既存制度から組み替える財源
- 手取り、就業、貧困率、出生、健康などへの効果
- 制度運営に必要な行政コスト
信頼は、丁寧な説明だけではなく、約束した給付が実際に届くこと、費用と効果を検証し、失敗すれば修正することによって形成される。
5 三位一体の社会保障改革を実行する場合の設計図
| 改革の柱 | 主な政策手段 | 実施上の注意 |
| 柔軟な雇用機会 | 短時間正規、業務分解、在宅・遠隔就労、職業訓練、キャリア記録 | 不安定雇用や偽装請負を増やさない |
| 補完型所得保障 | 給付付き税額控除、社会保険料軽減、住宅・子育て給付 | 低賃金の公費補塡にならないよう賃金政策と連携 |
| 対人支援サービス | 重層的支援、就労準備、居住支援、ケア、居場所、参加支援 | 本人の選択、個人情報保護、継続財源を保障 |
三つの柱は、ばらばらに導入しても十分な効果を上げない。
- 仕事だけを増やしても、低賃金なら生活できない。
- 現金だけを給付しても、ケアや住居の問題があれば働けない。
- 相談支援だけを増やしても、移れる仕事や所得保障がなければ出口がない。
したがって、三つを一人の生活を中心に組み合わせる必要がある。
6 地方自治体にとっての示唆
この講演は国の社会保障制度を主な対象にしているが、地方自治体にも重要な示唆がある。
1 制度別ではなく、一人の生活全体を見る
住民の問題は、失業、低所得、住宅、介護、育児、心身の不調などが重なって起きる。しかし行政は、福祉、子育て、介護、住宅、産業、税、保険の各部署に分かれている。
相談窓口を増やすだけでなく、一人の住民について制度を組み合わせ、支援の抜けを調整する機能が必要である。
2 自治体自身が発注する仕事の処遇を点検する
介護、保育、ごみ収集、給食、清掃、運転、建設、施設管理など、自治体は多くのエッセンシャルワークを直接または委託によって支えている。
最低価格だけで委託先を選べば、現場労働者の低賃金と人手不足を自治体自身が生み出す。公共調達では、労務費、賃金、社会保険加入、研修、離職率などを確認する必要がある。
3 社会保険料を含む住民の実質負担を示す
税だけでなく、国民健康保険料、介護保険料、保育料、学校・住宅関係の負担から、現金給付やサービスを差し引いた実質的な負担を、所得帯・世帯類型別に把握する必要がある。
4 居場所を「用意して終わり」にしない
居場所や参加の場は、設置数だけで評価できない。本人が安心して参加できるか、合わない場合に離れられるか、別の場へ移れるかを検証する必要がある。
5 重層的支援を臨時事業で終わらせない
地域共生や重層的支援は、補助金期間だけのモデル事業では機能しない。専門職、相談員、コーディネーターの継続雇用と、庁内の権限・責任の明確化が必要である。
7 総合評価
講演の重要な意義
- 社会保障を年金、医療、介護などの制度別ではなく、雇用を含む「生活保障」として捉えた。
- 制度不信を、国民の身勝手さではなく、制度と生活実態の不一致から説明した。
- 働ける人と働けない人の二分法を超え、条件付きなら働ける人への支援を提示した。
- 現金給付だけでなく、ケア、住居、居場所、承認の重要性を示した。
- AI時代の雇用問題を、エッセンシャルワークの再評価と結び付けた。
さらに詰めるべき課題
- 給付付き税額控除の具体的な給付水準と財源
- 社会保険料の逆進性を直接是正する方法
- エッセンシャルワーカーの賃金を上げる公定価格・公共調達改革
- ギグワーカー、フリーランスの労働者性と社会保険適用
- 自治体が所得把握・給付実務を担うための人員と情報基盤
- 承認や社会参加を強制しない権利保障
- 高齢期給付と現役期給付を対立させない財政設計
- 外国人住民を含む社会保障の権利・負担ルールの明確化
8 結論
宮本教授の講演が示した最大の課題は、「社会保障を増やすか減らすか」ではない。
問われているのは、雇用、家族、所得、ケアのあり方が変わった社会に合わせて、誰が、いつ負担し、人生のどの段階で、どのような給付・サービスを受けるのかを組み直すことである。
社会保障への不信を放置すれば、人々は減税と保険料引下げだけを求め、限られた給付をめぐって互いを疑うようになる。しかし、負担と給付の関係を見えるようにし、働き方に応じた所得保障と必要な支援が実際に届けば、社会保障は再び「取られる制度」から「人生を支える共同の仕組み」へ変わり得る。
そのために必要なのは、理念だけではない。信頼を出発点としながら、対象、給付額、財源、実施主体、効果、見直し条件を数字で示し、約束どおり支援を届ける実行力である。
『社会保障改革の岐路――信頼のセーフティネットは可能か』詳細講演録
登壇者 宮本太郎氏(中央大学法学部教授)
日時 2026年8月20日 14時30分~16時
会場 日本記者クラブ 9階会見場
司会 小林伸年氏(日本記者クラブ企画委員・時事通信社)
テーマ 著者と語る『社会保障改革の岐路――信頼のセーフティネットは可能か』(岩波新書)
編集方針
本稿は、約1時間41分の会見・講演の自動文字起こしを基に、誤変換や脱落を文脈に即して補正し、発言内容をできるだけ詳しく残した編集講演録である。
- 「えー」「あの」「まあ」など、意味に影響しない言いよどみや重複は整理した。
- 話し言葉の雰囲気を残しつつ、主語・述語、助詞、段落を補い、読みやすい文章に整えた。
- 書名、人名、組織名、制度名、政策用語は公開情報と照合した。
- スライドを見なければ意味が通じにくい部分には、必要最小限の説明を補った。
- 数値や制度評価は、原則として講演者が講演中に示した説明を記録したものであり、本稿独自の検証結果ではない。
- 質問者の氏名・所属の一部は音声からの聞き取りに基づく。明確に確認できない箇所は、所属名と姓を中心に記載した。
司会あいさつ・講師紹介
0:00~1:45
司会・小林伸年氏
記者会見を始めます。
本日は、7月25日に発売された『社会保障改革の岐路――信頼のセーフティネットは可能か』の著者である宮本太郎・中央大学教授にお越しいただきました。
宮本さんは、言うまでもなく社会政策・社会保障研究の第一人者です。当クラブでは、これまでにも3回ご登壇いただいています。皆さんもよくご存じだと思いますので、詳しいご経歴の紹介は割愛します。
1990年代、日本経済が低成長時代に入る一方、少子高齢化が進み、それまでの社会保障制度をそのまま維持することが難しいことが明らかになりました。そこで、福祉サービスを行政が一方的に決めるのではなく、利用者が選ぶという仕組みに転換する「社会福祉基礎構造改革」が進められました。その後も、公的介護保険の導入や社会保障と税の一体改革など、さまざまな改革が行われてきました。
しかし、それらの改革が十分な成果を上げたとは言い難く、むしろ社会保障制度への不信感が強まっています。
宮本さんのご著書は、こうした改革と失敗の歴史を振り返り、社会保障制度が信頼を取り戻すための方策を検討したものです。本日は、特に現役世代に広がる「負担ばかりで見返りがない」という実感を、どのように払拭すべきなのかという点を中心に、お話を伺いたいと思います。
最初に宮本さんから約1時間お話しいただき、その後、会場およびオンラインからの質問を受けます。それでは宮本さん、よろしくお願いします。
宮本太郎教授・基調講演
1 この本で何を議論したかったのか
1:45~7:15
宮本太郎氏
中央大学で教えております宮本です。本日はよろしくお願いいたします。
1か月ほど前に刊行した私の本を取り上げていただけることを、大変光栄に思っています。本も新聞もなかなか売れない時代ですので、この機会を通じて、少しでも本書や社会保障の問題に関心を持っていただければと思います。
この本で何を議論したかったのか。私は社会保障について、主に政治学の観点から研究してきました。また、政策形成の現場にも多少関わってきました。その経験を踏まえ、まず「いま社会保障をめぐって、いったい何が起きているのか」を考えたいと思ったのです。
生活上の困難が広がり、物価高がそれに追い打ちをかけています。本来なら、まさに社会保障の出番であっておかしくありません。ところが、そのような状況の中で前面に出ているのは、社会保障の基盤を揺るがしかねない減税や社会保険料引下げの主張です。なぜそうなっているのでしょうか。
少し前まで、社会保障や福祉に困難が生じると、すぐに「新自由主義」という言葉が使われました。しかし、いま起きていることを新自由主義だけで説明することには無理があります。市場の論理を徹底するために社会保障が揺るがされている、という単純な構図ではありません。長期金利の動向などを見ても、市場の論理からしても整合しないことが進行しているように思えます。
その代わりによく使われるようになったのが、「ポピュリズム」という言葉です。もちろん、そう呼びたくなる面があることは分かります。しかし、人々の側から非常に情緒的で自分勝手な声が突然湧き起こり、それを政治が利用しているだけだと見るのは、少し上から目線ではないでしょうか。
人々の声には複雑で厄介な部分もあります。しかし、その根底には社会保障に対する制度不信があります。まず、この不信と正面から向き合う必要があります。
「向き合う」とは、制度不信に便乗し、それを政治的に利用することではありません。不信の根源にあるものをきちんと受け止め、不信を全面的に解消できないとしても、少しでも軽減する手立てを考えるということです。
制度不信が生まれるのも、無理からぬ面があります。給与明細を思い浮かべてください。そこには「支給欄」と「控除欄」があります。これまで政治の王道は、支給欄、つまり賃金や手取りを増やすことでした。しかし、いまは実質賃金がなかなか上がりません。支給欄を膨らませることについては、半ば諦めに近い空気さえあります。
生活が厳しくなる中で、暮らしを改善する唯一の道筋として、控除欄を小さくすること、つまり税や社会保険料を減らすことばかりが注目されるようになっています。
しかも、社会保障そのものに対して「信頼できない」という声が強まっています。連合総研が年2回実施している「勤労者短観」では、働く人たちに社会保障への評価を尋ねています。年金、医療、介護、子ども・子育て支援という4分野のほぼすべてで、「信頼できない」という回答が「信頼できる」を上回っています。講演で紹介した調査では、非正規で働く男性の医療に対する評価だけは「信頼できる」がわずかに上回りましたが、それ以外はすべて不信の方が強いのです。
社会保障についての世論調査を広く見ると、人々が社会保障そのものを否定しているわけではありません。自分たちの役に立つ、納得できる仕組みなら、社会保障を充実してほしいという意見は根強くあります。それにもかかわらず、現実の制度は信頼できないという声が、ここまで高まってしまった。ここに、いま対処すべき問題があります。
2 制度不信の根源は、社会保障と雇用の関係にある
7:15~10:25
これからさまざまな話をしますが、全体の枠組みを先に示しておきます。
重要なのは、社会保障と雇用の関係です。制度不信の根源も、この関係の崩れにあると考えています。
日本の社会保障制度は、制度の仕立てとしては必ずしも悪いものではありませんでした。もちろん問題がなかったという意味ではありませんが、昭和期の雇用と家族の条件には、かなりよく適合していたのです。
ところが、非正規雇用や不安定就労が広がり、雇用に分断が生じると、それまでの社会保障は十分に機能しなくなりました。さらに、かつての雇用を前提としてつくられた負担と給付の仕組みが、今度は逆に雇用の分断を深める方向に作用し始めました。
この状況を正確に見なければなりません。
アメリカでは、トランピズムを支える大衆の不信が政治を大きく揺さぶっています。その根底にも制度不信があります。ただし、アメリカの場合、不信が生まれる構図は比較的理解しやすいものです。
アメリカの社会保障は「選別主義」が強く、給付対象を低所得層に絞ってきました。結果として、人種的にも特定の層に給付が集中していると受け止められました。すると、ラストベルトの中・低所得層などから、「なぜ自分たちを素通りして、あの人たちだけを助けるのか」という反発が生まれます。アファーマティブ・アクションも、「一部の人だけが優遇されている」という見方を強める材料になりました。
社会学者のアーリー・ラッセル・ホックシールドは、人々がアメリカンドリームに向かう長い列に我慢して並んでいるのに、誰かが次々と横入りしているように感じる、という比喩を示しました。そして、その横入りを止め、列を元に戻してくれるのはトランプしかいない、と考える人が出てくる。このような不信の膨らみ方は理解できます。
しかし、日本の制度は、もともとアメリカ型の選別主義とは異なります。日本は国民皆保険・皆年金をつくり、原則としてすべての国民が医療保険と年金に加入できる仕組みを整えました。それなのに、なぜこれほど制度不信が広がるのでしょうか。
3 国民皆保険・皆年金は、どのようにつくられたのか
10:25~16:30
日本の皆保険・皆年金が何であったのかを、少し歴史的に振り返ります。
日本の社会保障制度の出発点としてよく知られているのが、社会保障制度審議会の1950年勧告、いわゆる「昭和25年勧告」です。これは、その後の日本の社会保障制度のたたき台になりました。一般に「社会保険中心主義」と説明されます。
ただし、その意味を理解するには、昭和25年勧告に先立って厚生省に設けられた「社会保険制度調査会」と、そこで打ち出された「総合的社会保険」の構想を見る必要があります。
当時、福祉国家の先駆とされたのはイギリスのベヴァリッジ報告です。社会保険と国民扶助・公的扶助を組み合わせ、20世紀型福祉国家の設計図を示したものと評価されています。
これに対して日本の研究者たちは、社会保険で暮らす人と公的扶助に依存する人を二つの層に分けるのではなく、社会保険の中に困窮者への対応という公的扶助的要素も組み込み、すべての国民を社会保険で一元的に支える構想を示しました。これが「総合的社会保険」です。
この構想は、GHQなどが持ち込もうとしたアメリカ流の選別主義的な公的扶助中心の制度に対して、日本はそれをそのまま受け入れず、社会保険を中心に、すべての人が加入できる仕組みをつくるという主張でもありました。中心となったのが、近藤文二や末高信らの社会保障研究者です。1950年勧告の多くは、近藤文二が起草したとされています。
もちろん、こうした理念だけで国民皆保険・皆年金が実現したわけではありません。政治的な条件も大きく作用しました。
1955年体制の下で社会党が統一し、それに対抗して自由民主党が結成されました。社会党が社会主義を掲げるのに対して、自民党は福祉国家を掲げました。その象徴的な政策として、鳩山一郎政権では皆保険、岸信介政権では皆年金への道筋がつくられていきました。
この社会保険中心の仕組みは、昭和的な条件には非常によく適合していました。男性稼ぎ主が大企業、中小企業、零細企業のいずれかで働き、家族を扶養する。やがて定年を迎え、途中で病気やけがをするかもしれない。そのリスクを社会保険でカバーする、という形です。
ところが、この仕組みは雇用への依存度が高かったため、非正規雇用や不安定就労が広がると、急速に弱点を露呈しました。
社会保険は、本来、加入者の拠出による保険です。そのため、負担と給付の関係が明確であることが長所であるはずです。しかし、国民皆保険・皆年金を実現するため、日本は社会保険に大量の税財源を投入しました。医療保険では、後期高齢者支援金などを通じ、制度間の財政調整も非常に複雑になっています。
その結果、社会保険でありながら、自分の負担がどの給付につながっているのかが見えにくい仕組みになりました。
さらに、社会保険の維持に多くの税金を投入したため、税だけで運営する生活保護などの公的扶助に回る財源は相対的に小さくなりました。日本の社会保障支出の中で、公的扶助に使われる割合は、国際比較でも小さい水準です。
生活保護は、制度上は「無差別平等」の原則を持ち、生活が危機に瀕していれば、どのような属性の人でも受給できる立派な仕組みです。しかし、実態としては財政上の都合もあり、対象を厳しく絞り込んできました。そのため、生活保護を受けることは恥ずかしいことだというスティグマも生まれました。
4 雇用の劣化が、社会保険の逆進性を露出させた
16:30~23:45
雇用が劣化すると、社会保険料の逆進性が目立つようになります。
社会保険料は基本的に同じ保険料率を所得にかけるため、低所得者ほど所得に占める負担の割合を重く感じます。低所得者には保険料軽減措置がありますが、軽減が十分に及ぶのはかなり低い所得帯です。
例えば国民健康保険では、所得が200万円、300万円程度の人が、年間30万円を超える保険料を負担する場合があります。この所得帯は、生活保護などの対象にはなりにくく、社会保険料の軽減も十分には受けにくい。雇用の不安定化が進むにつれて、この現実が浮き彫りになりました。
昭和期の現役世代は、主として給与所得で暮らし、会社の福利厚生にも支えられていました。そのため、日本では住宅手当など現役世代向けの公的な社会保障給付が少なくても、企業内保障である程度補うことができました。
しかし、雇用が劣化すると、もともと現役世代向けの公的給付が少なかったところに、重い社会保険料負担がのしかかります。こうして、「低福祉・高負担」の層が現れました。
日本の社会保障支出をGDP比で見ると、すでにイギリスやオランダを上回る水準にあり、日本は明らかに福祉国家です。一方、税と社会保険料を合わせた国民負担は、OECD諸国の中では比較的低い方です。マクロで見れば、日本は「中福祉・低負担」の国だと言えます。
ところが、国民皆保険・皆年金の制度と、非正規雇用や不安定就労の増加という現実が交差すると、「中福祉・低負担」の国の内部に、「低福祉・高負担」の所得帯が出現します。
講演で示した「翁カーブ」は、税金と社会保険料の負担から現金給付を差し引いた実質的な負担率を、所得階層別に示すものです。平均所得の6割から8割程度、年収200万円から300万円ほどの層では、保険料軽減が十分に届かず、現役世代向け給付も薄い一方、社会保険料は通常の料率でかかります。
一方、高所得層では、厚生年金保険料を計算する標準報酬月額に上限があるなど、一定の負担抑制が働きます。結果として、中・低所得の勤労層に負担が重く集中する形が生じます。
この所得帯の人々が、「この重い負担を何とかしてほしい」と声を上げるのは当然です。
さらに問題なのは、社会保険には入っているが低福祉・高負担になっている人だけではありません。そもそも社会保険に十分に入れず、厳しく絞り込まれた生活保護の要件も満たさず、どの制度からも放置されている人々が増えています。
人々が給与明細の控除欄を見て、「これほど引かれて、いったいどこへ行っているのか」と考える。そのお金があれば、子どものために別のことができた、自分の生活を改善できたと思う。そして、「外国人が生活保護を受けているらしい」「生活保護受給者は働けるのに働いていないらしい」「高齢者ばかりが得をしている」といった言説に接する。
ここで、社会保障への制度不信が、人々の間の相互不信へと転化します。
5 庶民の「三つの分断」と、異なるしんどさ
23:45~27:20
雇用の劣化によって、庶民は大きく三つに分断されているように思います。
第一は、何とか安定的に働き、社会保険にも加入できている層です。ただし、その中には加入基準ぎりぎりで社会保険に入り、重い負担を感じている人もいます。
第二は、生活保護などの福祉を受給している層です。
第三は、その間に膨らんでいる、非正規雇用、不安定就労、ひとり親世帯などの「新しい生活困難層」です。社会保険による保障も弱く、生活保護にもつながりにくい層です。
この三つの層は、それぞれ違う形で苦しんでいます。
安定就労層は、給与明細の控除欄を見て、「自分たちが負担したお金はどこへ行くのか」と不満を抱きます。
社会保険に何とか加入している中・低所得層は、「低福祉・高負担はもう勘弁してほしい」と考えます。
社会保険にも福祉にも十分につながらない人々は、「困っているのに給付が届かない」という不信を持ちます。コロナ禍では、頼ることのできる制度がほとんどない人が多数いました。
生活保護受給者も、怠けている、得をしているというレッテルを貼られ、深く傷ついています。
同じ地域、同じ長屋、同じ工場で皆が暮らし、同じような苦しさを共有していれば、そこから連帯が生まれるかもしれません。しかし、いまは同じように苦しくても、苦しさの中身が違います。
安定就労層は、会社の「濃すぎる空気」の中で、かつてのように「頑張れば報われる」のではなく、「頑張り続けなければ追い出される」という圧力にさらされ、へとへとになっています。いわば過呼吸の状態です。
一方、新しい生活困難層には、読むべき職場の空気さえない。日雇い・スポットワークでは名前も覚えてもらえず、「タイミーさん」と呼ばれる。こちらはいわば呼吸困難の状態です。
家族をめぐる苦しさも異なります。安定就労層では、家族を扶養しながら、育児や介護などのケア負担を抱えます。新しい生活困難層の若者は、結婚の見通しさえ立たない。「ジェンダー平等が従来型の結婚の安定を壊した」といった反発を抱く場合さえあります。
このように、しんどさの中身が異なるため、社会保障について共通利益を見いだすための議論の糸口が、非常に見つけにくくなっています。
6 社会保障への信頼を支える「貯金箱」と「ロビンフッド」
27:20~34:55
こうした状況に対応するため、「全世代型社会保障」が打ち出されました。その意味を整理するため、社会保障の基本構造をモデル化して考えてみます。
スライドでは、横軸に人生の時間、縦軸の上側に給付、下側に負担を置きました。
- A:人生序盤の給付――児童手当、保育など
- B:人生中盤の給付――子育て支援、職業訓練など
- C:人生後半の給付――医療、年金など
- D:困窮時の公的扶助――生活保護など
- E:負担――直接税、間接税、社会保険料の合計
イギリスの社会政策学者ニコラス・バーは、社会保障には「ブタの貯金箱」と「ロビンフッド」という二つの機能があると説明しています。
「ブタの貯金箱」は、人生の中で負担する時期と給付を受ける時期をずらす機能です。若い時や働ける時に負担し、子育て、失業、病気、老後など必要な時に給付を受ける。これは、人生を通じた水平的再分配です。
では、なぜ自分で貯金するだけでは駄目なのでしょうか。
人は、どのような家庭に生まれるかを選べません。人生の前半では、十分な蓄えをつくれる保証もありません。人生の後半についても、自分や親が何歳まで生きるか分からず、医療・介護費がいくらかかるかも分かりません。インフレによって貯蓄の実質価値が下がることもあります。したがって、個人の貯金箱だけでなく、社会保障という共同の貯金箱が不可欠です。
そのためには、人生序盤・中盤・後半の給付A、B、Cと、生涯にわたる負担Eが、おおむね見合っていると感じられることが重要です。
スライドでは、この納得の条件を概念的に「A+B+C≒E」と表しました。自分が人生のどこかで受ける給付と、自分が担う負担の間に、おおよその対応関係が見えることが信頼の土台になります。
もう一つの「ロビンフッド」機能は、負担できる人から多く集め、経済的に困難な人に再分配する垂直的再分配です。誰でも、負担できない経済状態に陥る可能性があります。困窮者を確実に支えることは文明社会の基本条件であり、社会全体にも多くの積極的効果をもたらします。
ただし、制度がロビンフッド機能だけに見えてしまうと、「自分の控除欄から引かれたお金は、すべてあの人たちのところへ行っている」という不信が生まれます。アメリカは、その典型です。比較福祉国家研究でも、選別的な再分配の比重が大きく見える制度ほど、中間層の信頼を失い、負担への合意が弱まり、結果として社会保障全体が縮小しやすいとされています。
そこで、全世代型社会保障は、これまで薄かったAとB、つまり人生序盤・中盤の給付を強め、負担と給付の対応を見えやすくしようとしました。
日本でAとBが薄かったのは、会社が年功賃金と福利厚生によって、人生前半・中盤の生活保障を引き受けてきたためです。公的な家族向け給付や積極的労働市場政策は、国際比較でも薄い状態が続きました。
社会保障と税の一体改革は、この部分を強化しようとしました。さらに、「次元の異なる少子化対策」が続きました。この二つをくくる理念が、全世代型社会保障でした。
公的扶助の側でも手が打たれました。2015年施行の生活困窮者自立支援制度です。私自身、この制度の形成に関わりました。
困窮者支援は、生活保護の中に入った人をそのまま閉じ込めるものではありません。誰でも困窮時には支援を使う場面があり、そこから、再び負担できる経済条件や社会参加へ戻れるように応援する。そうすることで、公的扶助への納得感も高めることができます。
つまり、全世代型社会保障でAとBを強化し、生活困窮者自立支援制度でDの信頼を高めようとしたのです。
しかし、これらの改革は空回りしました。なぜでしょうか。
7 全世代型社会保障は、なぜ空回りしたのか
34:55~44:45
「次元の異なる少子化対策」では、2024年10月から所得制限のない児童手当が導入されました。その財源の一部として、2026年4月から健康保険料と併せて「子ども・子育て支援金」が徴収されています。
本来、これは現役世代の理解と支持を得るために導入された政策のはずです。ところが、実際には「独身税を取るな」という激しい反発が起きました。
国民生活基礎調査で平均年収を見ると、子どものいる世帯の年収は、高齢者世帯を除く全世帯平均より150万円ほど高くなっています。今の日本では、子どもを持つこと自体が一種の「ぜいたく」と見られ、「子持ち様」という言葉まで広がりました。
特に20代前半男性の貧困率は高く、講演で示したデータでは高齢者の貧困率を上回っています。子どもを持つどころか、結婚の見通しも立たない若者からすれば、「なぜ自分の保険料から、子どもを持てる世帯のためにさらに引かれるのか」と感じ、「独身税」という言葉が出てきます。
しかし、同じ国民生活基礎調査で生活の苦しさを尋ねると、「恵まれている」と見られがちな子どものいる世帯の方が、生活が苦しいと答える割合が高いという現実もあります。人生序盤・中盤の社会保障給付が依然として薄く、子育てコストが高いためです。
したがって、子どものいない若者も苦しい。子どものいる世帯も苦しい。両者の間に必要な共通理解をつくらないまま、保険料に新しい負担項目を加えたことで、改革は相互不信を深める形になりました。
生活困窮者自立支援制度も、就労を応援する仕組みを備えています。しかし、人手不足になっている仕事の多くは処遇が厳しく、支援を受けた人がその仕事に移っても、生活を安定させられません。雇用機会そのものの質が改善されないまま、自立支援の仕組みだけを強めても、制度の説得力は高まりません。
要するに、全世代型社会保障も生活困窮者自立支援制度も、雇用政策との連携が乏しかったため、空回りしたのです。
では、雇用の側では何も行われなかったのでしょうか。そうではありません。
2023年に閣議決定された「こども未来戦略」には、児童手当を増やすだけでは、結婚や出産の見通しを持てない若者の問題は解決しないという課題意識が示されています。そして、若い世代の所得を引き上げる方策として、「三位一体の労働市場改革」が掲げられました。
その三つは、次のようなものです。
- リスキリングによって新しい能力を身につける
- メンバーシップ型雇用、職能給中心の仕組みから、ジョブ型雇用・職務給へ移行する
- 労働移動を円滑にし、人を成長分野、生産性の高い部門へ移す
私は20年前なら、この方向に基本的に賛成したと思います。実際、岸田政権の「新しい資本主義実現会議」がモデルにしたのは、スウェーデンやデンマークの積極的労働市場政策でした。
しかし、日本の三位一体の労働市場改革には、北欧モデルと比べて二つの大きなずれがあります。
第一は、雇用の外側のセーフティネットが弱いことです。
日本では、雇用そのものがセーフティネットでした。年功賃金や長期雇用慣行が生活保障の柱だったのです。その雇用慣行を手放そうとするなら、代わりになる強力なセーフティネットが必要です。
スウェーデンには、労働組合と失業保険基金が深く関わる「ゲント方式」を背景に、かつて現行賃金の8割程度を保障する強固な所得比例型失業保険がありました。デンマークの「黄金の三角形」にも、当時は最長7年間、現在でも原則2年間の失業給付という支えがありました。
ところが日本は、代替するセーフティネットが弱いまま、これまで生活保障を引き受けてきた雇用制度を解体しようとしています。人々が受け入れにくいのは当然です。
第二は、生産性の高い部門ほど、人を必要としなくなっていることです。
AIやデジタル技術が高度化した先端部門は、生産性が高くても大量の労働者を必要としません。「生産性の高い成長分野へ人を移せば、賃金も上がる」という前提が成立しにくくなっています。
一方、医療、介護、保育、建設、運輸、観光などのエッセンシャルワークは、深刻な人手不足です。それにもかかわらず、処遇が上がらない条件には十分な手が打たれていません。
こうして、雇用の劣化を十分に踏まえない社会保障改革と、社会保障のセーフティネットを欠いた雇用改革が、接点のないまま約30年間並走してきました。
日本では、法律上の解雇規制が特別に強いわけではありませんが、整理解雇の4要件・4要素など判例の積み重ねにより、企業は解雇に慎重でなければならない仕組みをつくってきました。これも雇用が担ってきたセーフティネット機能です。その機能を手放すなら、社会保障との連携によって何を代わりに用意するのかを考えなければなりません。
8 提案――「三位一体の労働市場改革」から「三位一体の社会保障改革」へ
44:45~54:20
では、どうすればよいのか。
私は、「三位一体の労働市場改革」ではなく、三位一体の社会保障改革を考える必要があると思います。
三つの柱は、次のとおりです。
- 雇用機会の拡充
- 所得保障――特に、働いても所得が足りない人への補完型所得保障
- 対人支援サービス――ケア、居住、相談、社会参加などを支えるサービス
ただし、「人を先端部門、生産性の高い部門へ送り込める」という幻想からは自由になった方がよいでしょう。
冨山和彦さんがよく指摘するように、先端部門は放っておいても、それぞれの方法で成長します。そこへ入っていける人も自然に現れます。政策が焦点を当てるべきなのは、むしろエッセンシャルワークをいかに底上げするかです。
これまで、雇用機会は「長時間、安定して、バリバリ働ける人」に集中し、所得保障は「働けない人」に限定される二極構造でした。
しかし、雇用の変容・劣化によって、その中間に新しい生活困難層が現れています。
全く働けないわけではない。しかし、家族のケアや自分自身の心身の状態のため、長時間、無条件に働き続けることは難しい。週4日なら働けるが、それだけでは生活できるだけの勤労所得を得られない。そういう人が増えています。
この中間層に対し、柔軟な雇用機会をつくり、それでも足りない所得を補い、さらに家族のケア、心身の問題、住まいなどを対人支援サービスで支える。この三つを連携させることが重要です。
具体的には、ICT・AIを活用した雇用のデジタル転換と、補完型所得保障としての給付付き税額控除を結びつけます。
従来のハローワークの求人票では条件が合わず、就職できなかった人でも、自分の状態に合わせた働き方なら働ける可能性があります。その雇用を広げ、そこで得られる所得だけでは生活できない場合は、給付付き税額控除などで補うのです。
ここで注意しなければならないのは、この改革を「働け、働け、働け」という社会保障にしてはならないことです。
本書の重要なテーマの一つは、承認です。人は誰かに認められ、そのことを通して自己肯定感を高め、張りのある人生を送ります。
ただ生存だけを保障されても、誰からも認められない「承認なき生存」であるなら、それに魅力を感じない若者は多いのではないでしょうか。社会保障には、生存を保障するだけでなく、承認の機会を広げる役割が必要です。
いま、新しい生活困難層、特に若い世代は、どこで承認を得ているのでしょうか。
例えば、日々の制度不信や相互不信をSNSに投稿する。「生活保護受給者や外国人ばかりが得をしているのではないか」と書く。それに「いいね」が付くと、自分が認められたと感じます。そして、さらに多くの「いいね」を得るため、より過激な主張を繰り返すようになります。
SNSの「いいね」だけが承認の機会になっている状況に対処するには、就労や社会参加を通して、現実の社会の中で認められる機会を増やす必要があります。
もちろん、人と人とのつながりには、良いつながりと悪いつながりがあります。本人が望まない、苦痛なつながりを押し付けてはなりません。しかし、「この人たちから認められたい」と思える場に身を置き、そこで頑張り、認められることで、自分自身への肯定感を強める。その時に生まれるエネルギーは非常に大きいのです。
「働け」と命令するより、承認を得たいという人々の欲求の方が、はるかに大きな力を引き出します。
「推し活」も承認のエネルギーを取り込んでいます。同じ「推し」を応援する仲間から認められたい。CDを30枚買えば、「すごい」と言ってもらえる。推し活自体には素晴らしい面がありますが、承認欲求を消費へ誘導するビジネスモデルには、検討すべき面もあります。
働くことや地域に参加することを支える基本原理として、いま重要なのは、承認された生存です。その考え方を軸に、三位一体の社会保障改革を構想する必要があります。
9 ICT・AI時代のエッセンシャルワーク
54:20~1:00:35
ICT・AIをてこにしたエッセンシャルワークの底上げは、すでに現実的な政策課題になっています。
冨山和彦さんは「ホワイトカラーは消滅する」とまで述べています。そこまで言い切ってよいかは別としても、ホワイトカラーの定型業務にとって、AIが大きな脅威になっていることは明らかです。
経済産業省が2025年5月に公表した2040年の産業構造・就業構造の推計では、ホワイトカラーの定型業務で約270万人の労働力が余剰になる可能性が示されています。職を失う人が多数出るということです。
一方、経済産業省も、今後はエッセンシャルワークが重要になるとしています。目指すべき就業構造の柱として示されているのが、「アドバンスト・エッセンシャルワーカー」です。ICT・AIを十分に活用して労働生産性を高め、管理的・専門的機能を担うエッセンシャルワーカーです。
その可能性はあると思います。ただし、介護、保育、医療、運輸、建設などの現場で、アドバンスト化が具体的にどこまで進むのかは、まだ試行錯誤の段階です。
スウェーデンでも、かつてのように、人を単純に生産性の高い先端部門へ移すことは難しいと分かってきました。そこで、労働需要が高いエッセンシャルワークに相当する分野へ人が移れるよう、専門性を身につける教育訓練が重視されています。
2022年には「転換学習支援制度」が導入されました。例えば、将来の見通しが明るくない製造業で働いている人が、人手不足分野への転職を目指す場合、原則44週間、現在の賃金の約8割に相当する給付を受けながら教育に専念できます。カウンセラーと相談し、移る分野を決め、必要に応じて訓練期間を調整します。
これは、スウェーデンの積極的労働市場政策が新しい段階に入ったことを示す制度です。日本でも、アドバンスト・エッセンシャルワーカーを育てる政策は必要でしょう。
しかし、すべてのエッセンシャルワーカーが「アドバンスト」になるわけではありません。対人サービスの多くは、人が直接担わなければならない、日常的で基礎的な業務です。
だからといって、ICT・AIと無関係ではありません。例えばUber Eatsのような高度なアプリは、心身の状態や家族のケアのために固定シフトで働きにくい人にも、「今なら働ける」という機会を与えます。自分の生活条件に合わせて仕事を選べるからです。
ただし、現在のクラウドワークやギグワークは、処遇が厳しく、所得が不安定です。ICT・AIによって仕事を細分化し、さまざまな人が自分の条件に合わせて参加できるようにすることと、そこで働く人の所得や権利を保障することを一体で考えなければなりません。
スウェーデンでは、約4割の自治体が介護労働の業務を分解し、多様な人で分担できる仕組みづくりを進めています。エッセンシャルワークの「アドバンスト化」だけでなく、誰もが条件に応じて参加できる「ユニバーサル化」も必要です。
ただし、ユニバーサル化された働き方では所得が安定しない可能性が高いため、給付付き税額控除などの補完型所得保障が重要になります。
10 給付付き税額控除と対人支援サービス
1:00:35~1:04:35
ベーシックインカムは、所得にかかわらず一律に給付して全員の所得を底上げします。しかし、勤労所得が十分に高い人にも一律に配れば、巨額の財源が必要になります。また、自分で十分に稼げている人にとって、その給付の意味は相対的に小さくなります。
生活保護は「補足性の原理」によって、所得が最低生活費に足りない分を補います。しかし、一定の所得水準に達するまでは、自分で稼いだ分だけ生活保護費が減るため、働いて得た所得が手取り増につながりにくいという問題があります。
これに対して給付付き税額控除は、勤労所得に対する一種の「労働ボーナス」として機能します。働いて所得が増えれば手取りも増えるように設計しながら、年収200万円から300万円程度の低福祉・高負担層を支えることができます。
エッセンシャルワークを多様な人に開き、自分に合った時間や条件で働けるようにする。その仕事だけでは生活が成り立たない場合、給付付き税額控除で所得を補う。この組合せは、これからの社会保障に大きな役割を果たすと考えています。
ただし、雇用機会と所得保障だけでは足りません。
心身の状態、家族のケア、住まいの問題などにより、雇用機会をすぐ利用できない人もいます。その人たちを「三位一体の改革に乗れないから駄目だ」と扱ってはなりません。重要なのは承認の保障です。
その人が地域に居場所を見つけ、社会参加の機会を得られるようにする。しかも、つながりや場には、本人を苦しめる面と、幸福の源になる面の両方があることを理解し、嫌なつながりを押し付けず、つながり直すことも可能にする。そのための支援が必要です。
厚生労働省が進める「重層的支援体制整備事業」は、当時、約600自治体が着手していました。実施自治体が急速に増えたため、財源不足や交付金削減が問題になっていましたが、この仕組みをうまく活用すれば、社会参加や承認の機会につながりにくい人と接点を持ち、地域に多様な場をつくることができます。
雇用は重要な参加の場ですが、雇用だけがすべてではありません。本人に合った場につなぎ、その場に参加し続けられるよう支える対人支援サービスが、三位一体改革の第三の柱です。
11 結論――社会保障を動かす機関車は「信頼」である
1:04:35~1:08:00
本日の話をまとめます。
社会保障への制度不信が、人々の相互不信へと転化しています。その原因は、社会保障と雇用の連携が崩れていることにあります。
政治は本来、失われた信頼の回復に全力を挙げるべきです。しかし現実には、不信を利用して支持を集めようとする傾向が強まっています。これは、日本の将来を考えれば悪手と言わざるを得ません。
社会保障を論じると、すぐに財源の話になります。しかし、多くの世論調査に共通するのは、「納得できる社会保障なら負担してもよい」という人々の意識です。
社会保障を牽引する機関車は信頼です。財源は客車であり、信頼の後についてきます。
ところが、制度不信を放置し、さらに煽るなら、機関車の燃料をなくし、動かなくしているのと同じです。それは、必要な制度であると納得できれば負担する用意のある人々を裏切ることになります。
社会保障と雇用の連携は、その意味でも重要です。しかし厚生労働省を含め、両者を一体的に議論する場はほとんどありません。私が関わった会議の中では、麻生政権時の「安心社会実現会議」が比較的正面から議論しましたが、その後、社会保障と雇用の関係が継続的に論じられた記憶はあまりありません。
「働け」と命じるのではなく、承認の欲求が満たされる条件をつくる。承認を得ようとする時に生じる人々のエネルギーは非常に大きいものです。そのエネルギーを、地域づくりや国づくりにつなげていくべきです。
以上で、私からのお話を終わります。ご清聴ありがとうございました。
質疑応答
質問1 給付付き税額控除は、エッセンシャルワーカーに上乗せする制度なのか
1:08:00~1:14:05
質問者・千葉商科大学、武田氏
スライド20の給付付き税額控除について伺います。現在、国民会議では「所得連動型給付」など名称も変えながら、就労の有無や所得水準を見て給付する仕組みが議論されています。
本日の説明では、給付付き税額控除をエッセンシャルワークの底上げに使うとのことでした。これは、働いているか、所得がいくらかという条件に加えて、介護や保育などのエッセンシャルワーカーであれば給付額を上乗せするという意味でしょうか。
現在検討されている制度の財源規模は小さいと考えられます。エッセンシャルワークを「アドバンスト」と呼べる水準まで底上げするなら、相当な給付額が必要ではないでしょうか。
宮本氏
まず、現在の国民会議での議論と、本日私がお話しした給付付き税額控除の位置付けは、ひとまず別のものです。私は、本来、給付付き税額控除をこのような文脈に位置付けるべきではないか、という提案をしています。
「エッセンシャルワークの底上げ」と申し上げましたが、給付対象を国が上から「エッセンシャルワーカー」と定義し、その職種の人だけに上乗せするという意味ではありません。そもそも、何がエッセンシャルワークかを厳密に定義すること自体が難しいからです。
重要なのは、働いているにもかかわらず所得が安定しない場合に、所得を上乗せする補完型所得保障をつくることです。
これまでの所得保障は、働けない場合や、障害などのために所得を得られない場合に、その所得を代替することを主な目的にしてきました。これからは、働いて得た所得を「代替」するだけでなく、足りない分を「補完」する保障が重要になります。
負の所得税など、ほかの仕組みもあり得ますが、現在、最も議論と情報が蓄積しているのが給付付き税額控除です。
武田さんがおっしゃるとおり、現在の国民会議が想定している財源規模では、私が本日説明したような機能を十分に果たすことは難しいでしょう。ただし、制度をこれから育てていくという説明もされています。問題は、どの方向に育てるのかです。その点については、研究者として意見を示す必要があると思っています。
現在の議論が純粋な税額控除ではなく、所得連動型給付に近い形になっている背景には、自治体が税額控除の算定実務を引き受ける体制を持っていないという問題があります。自治体から見れば、自分たちの仕事だとは思えない面もあるでしょう。
しかし、自治体が最も頭を抱えている課題の一つが、地域を支えるエッセンシャルワークをどう持続可能にするかです。給付付き税額控除が、地域の人手不足と働く人の所得保障を結ぶ仕組みだと理解されれば、自治体が関わる意義も見えます。
先日、私が代表理事を務める地域共生政策自治体連携機構でもこの問題を話しました。首長の皆さんからは、「そのような位置付けなら非常に意義がある」という反応が多くありました。国民会議の現在の議論に枠を限定せず、制度の可能性を広げて考える必要があります。
質問2 「低福祉・高負担」という表現は、逆に制度不信を強めないか
1:14:05~1:26:05
質問者・共同通信、内田氏
新著には全体として共感しました。社会保障と税の一体改革を長く取材してきた者として、現状へのもやもやが明確に言語化され、腑に落ちました。その上で、二点伺います。
第一に、宮本先生は社会保険料の逆進性や、新しい生活困難層が「低福祉・高負担」になっていると指摘されます。しかし、社会保険には、若年期に負担し、高齢期に年金や医療の給付を受けるという、時間軸を通じた消費の平準化、つまりニコラス・バーのいう貯金箱機能があります。
影響力のある先生が「低福祉・高負担」と強調することで、かえって社会保障制度への不信につながるのではないかという懸念があります。
第二に、著書では改革が実現しない要因として、旧来の日本型制度の「凝集力」の強さを挙げています。しかし日本の社会保険制度は、雇用変化に合わせた更新は必要でも、一定程度守るべき堅固な仕組みではないでしょうか。既存制度を全面的に壊す「ガラガラポン」型の抜本改革に議論が流れないか心配です。
また、社会保険制度の現代化として挙げられている基礎年金のクローバックや「Dの引き出し権」についても、実効性や日本社会への適合性に疑問があります。
宮本氏
まず二点目からお答えします。
日本の生活保障、つまり雇用と社会保障の連携は、誰か一人が完成した設計図を書いたわけではありません。保守と革新、与党と野党、経営側と労働側などが、さまざまな形で譲り合い、調整した結果、1970年代ごろまでに、そこそこうまくかみ合う仕組みができました。
その仕組みは100年続いたわけではありませんが、複数の経済危機を乗り切りました。長期雇用慣行、年功賃金、零細事業者への保護・規制、国民皆保険・皆年金が組み合わさった日本型生活保障には、確かに強みがありました。
したがって、メンバーシップ型雇用をすべて捨て、ジョブ型雇用と流動的な労働市場へ全面移行すればよいとは考えていません。
「ジョブ型」という言葉を広めた濱口桂一郎さん自身も、その点は非常に慎重です。ジョブ型への全面移行を主張しているのではなく、メンバーシップ型との対比によって、議論の材料を示しています。
今後は、メンバーシップ型が残る職場もあれば、ジョブ型が適する職場もある。働き方は多元化していくでしょう。社会保障は、その多元的な働き方に対応できる必要があります。
連合など労働組合の方々と話すと、本音では「メンバーシップ型にも大きな価値がある」と考えている人が多いように思います。その仕組みを通して経済を成長させ、社会に貢献してきたという自負もあるでしょう。
しかし現在は、「安定雇用の人たちだけが恵まれている」と批判されるため、メンバーシップ型の長所を正面から議論しにくくなっています。コンプライアンスやポリティカル・コレクトネスを意識し過ぎ、働き方のあり方を率直に議論しにくい状況があります。
「多元的な労働市場」と言うだけでは逃げになる面もあります。だからこそ、ジョブ型も一つの現実的な選択肢として突き付けながら、何を残し、何を変えるのかを正面から議論する必要があります。
第一の「低福祉・高負担」という表現については、そのような所得帯が現実に存在することは否定できないと思います。それは翁カーブにも表れています。だからこそ、政府の国民会議でも対策の議論が始まりました。
もちろん、一面だけを強調して制度全体への不信を煽るべきではない、という懸念は理解します。しかし、それが事実の一面である以上、問題を可視化し、給付付き税額控除などの対策につなげる契機にすべきです。私は、社会保障改革では、事実に基づく改革のチャンスはすべて生かすべきだと考えています。
現在の国民会議における給付付き税額控除の議論は、かなりの部分が翁カーブに現れた中・低所得層の負担への対処です。それだけでは限界がありますが、議論が始まること自体は一つの機会です。
同時に、人生後半の社会保障を充実させ、それへの納得感を広げる必要があるという指摘は、そのとおりです。しかし、人生序盤・中盤のリスクにも正面から対応しなければなりません。
若者は元気で当たり前と見られがちですが、実際には多くのリスクに直面します。実家を離れ、高等教育や後期中等教育を受け、新しい世帯をつくり、仕事を選ぶ。若い時期には、いわば命懸けのジャンプを何度も行わなければなりません。
人生後半への備えについて合意を求めることは大切です。それと同時に、人生序盤・中盤のリスクに対処する社会保障も議論する必要があります。
質問3 「承認」と社会保障への信頼は、どう結び付くのか
1:26:05~1:30:45
司会・小林氏
本日の色紙に「社会保障は信頼がすべて」と書いていただきました。同じ趣旨の言葉は、本の序文にもあります。
先生は、承認の場、あるいは居場所を増やし、社会とのつながりを取り戻すことが大切だと述べています。孤独・孤立が深まる現代社会において、非常に重要な指摘だと思います。
承認や居場所を増やすことが、社会保障への信頼回復と、どのように結び付くのでしょうか。
宮本氏
現在、国は孤独・孤立対策を進め、毎年調査も行っています。そこで気付くのは、客観的には孤独・孤立の状態にある人ほど、「孤独・孤立対策などやめてくれ」「人とのつながりにつなげるのは御免だ」と答える傾向が強いことです。8割以上がそのように答える調査結果もあります。
つまり、人々は「つながりに懲りている」のです。
コミュニティ、家族、地域の絆は確かに大切です。しかし、日本ではこれまで、社会保障の代わりとして、伝統的と見なされるつながりの価値を称揚し、時にはそれを人々に押し付けてきた面がありました。
そのようなやり方が成り立たなくなった一方で、本人が納得できるつながりや絆は、これまで以上に重要になっています。
生存権という言葉は大切ですが、いま必要なのは**「承認された生存権」**です。誰からも認められない「承認なき生存」なら、それを保障されても、そこまで強く生き続けたいとは思えないという虚無感さえ広がっています。
場やつながりには、人を支える面と、人を縛り苦しめる面の両方があります。その両義性を踏まえ、本人が前向きに生きる余裕を取り戻せる場をつくらなければなりません。
その余裕があって初めて、「自分が元気を取り戻すためには、どのような施策が必要か」と考えられるようになります。
社会保障への信頼という抽象的な言葉だけを語っても、多くの若者には実感が湧かないでしょう。若者と社会保障をつなぐには、まず「生きている実感」を取り戻すための基本条件を整える必要があります。承認と社会保障への信頼は、その地点でつながるのだと思います。
質問4 外国人労働者を、エッセンシャルワークと社会保障にどう位置付けるか
1:30:45~1:35:25
質問者・日本記者クラブ個人会員、武澤氏
エッセンシャルワークのアドバンスト化・ユニバーサル化に関連して、外国人労働者との関係を伺います。
人口減少が続く中、外国人労働者は今後も増えるでしょう。エッセンシャルワークがアドバンスト化、ユニバーサル化しても、外国人労働者が増え、競争が強まれば、処遇改善や承認機会の拡大は本当に実現するのでしょうか。エッセンシャルワークではなく、エッセンシャルワーカーをアドバンスト化すべきではないか、という疑問もあります。
宮本氏
私は外国人労働者政策の専門家ではありません。ただ、国立社会保障・人口問題研究所の是川夕さんなども指摘していることですが、結果として見ると、日本の外国人労働者受入れには、一定の経路がつくられてきました。
欧米の一部で見られたように、労働力が必要な時だけ連れてきて、景気が悪くなれば帰ってもらうという単純な御都合主義とは異なります。日本では、人口減少が長期化する中で制度が積み上げられてきました。
技能実習制度は育成就労制度へ移行しますが、技能実習・育成就労から特定技能1号、2号へ進み、その先に定住への道を開くという経路は、一定の仕組みとして整えられてきたと言えます。
重要なのは、その各段階と社会保障制度を、どのように結び付けるかです。この議論はまだ十分ではありません。
生活保護に関しても、諸外国では外国人が公的扶助を受給できる条件が比較的明確に文書化されています。日本では、生活保護法の直接適用ではなく行政措置としての「準用」という形が取られ、条件が分かりにくいことが、さまざまな誤解を生む一因になっています。
技能実習・育成就労、特定技能1号・2号、定住という経路の各段階で、年金、医療、生活支援をどのように連携させるのか。年金や医療については社会保障協定もありますので、国際的な制度関係も含めて整理すべきです。
地域の絆や参加の場に外国人も加わることは、当然想定しなければなりません。外国人政策には、冷静な制度設計という「クールヘッド」と、人間に対する共感という「ホットハート」の両方で対応する必要があります。
質問5 建設・運輸の標準労務費と、エッセンシャルワーカーの処遇改善
1:35:25~1:41:17
質問者・日本記者クラブ個人会員、千葉氏
建設業界を取材しています。国土交通省は、技能労働者に適正な賃金を行き渡らせるため「標準労務費」を定め、複雑な下請構造の中でも、現場の職人にその賃金が届いているか確認できる仕組みをつくろうとしています。
物流業界でも、深刻な人手不足を背景に、ドライバーのための標準的な運賃・費用を定め、守らせる取組が進んでいます。このような方法を、どのように評価しますか。
宮本氏
技術的な制度設計について、無責任に答えることはできませんので、一般論として申し上げます。
建設分野には複雑な請負・下請構造があり、一人親方など、独立性を持ちながら実態として労働者性の高い人々の所得と権利を、どのように保障するかが課題です。
ただし、これは建設業だけの問題ではありません。ギグワークやクラウドワークなど、プラットフォーマーと個々の働き手が直接結び付く働き方が広がっています。契約上は請負や個人事業主であっても、実態として労働者性が高い人の権利を、どのように確保するかを考えなければなりません。
運輸、建設、医療、介護などを「エッセンシャルワーク」という大きな枠組みで捉え、各分野の独自性を尊重しながら、プラットフォーム時代の新しい契約・雇用関係を検討することが重要です。
個別業界の中だけに議論を閉じ込めず、「エッセンシャルワーカーをどう位置付けるか」という共通の問題として議論すれば、国民の理解も進むのではないでしょうか。
千葉氏・追加発言
建設業界では2019年から「建設キャリアアップシステム」が始まりました。技能労働者がICカードを持ち、就業履歴や資格などを記録する仕組みです。義務ではありませんが、すでに400万人以上がカードを持ち、技能や経歴を確認できる基盤が整いつつあります。このような取組を、ほかのエッセンシャルワーカーにも広げられるでしょうか。
宮本氏
かつて「ジョブ・カード」という仕組みがつくられましたが、十分に活用されず、政策上の位置付けが弱くなった時期がありました。しかし、巡り巡って、個人の技能や職歴を記録し、評価につなげるジョブ・カード的な仕組みが、いま再び重要になっています。
だからこそ、建設など個別分野の中だけに閉じ込めず、エッセンシャルワーク全体という大きな枠で議論するべきです。それによって、制度に対する社会全体の理解も進むと思います。
講演全体の要旨
宮本氏の主張は、次のように整理できる。
- 日本の社会保障は、昭和期の安定雇用と家族モデルには比較的よく適合していた。
- 非正規雇用・不安定就労が広がった結果、社会保険にも公的扶助にも十分につながらない「新しい生活困難層」が増えた。
- マクロでは「中福祉・低負担」の日本社会の中に、ミクロでは年収200万~300万円程度の「低福祉・高負担層」が生まれている。
- 給与明細の控除欄への不満は、制度不信にとどまらず、高齢者、生活保護受給者、外国人、子育て世帯などへの相互不信に転化している。
- 全世代型社会保障と生活困窮者自立支援制度は必要な改革だったが、雇用の質を変える政策と結び付かなかったため、十分に機能しなかった。
- 一方、雇用改革は、雇用の外側に強いセーフティネットを用意せず、AI時代に人を高生産性部門へ大量移動できるという前提にも無理があった。
- これからは、エッセンシャルワークを中心に、①柔軟な雇用機会、②給付付き税額控除などの補完型所得保障、③地域の対人支援サービスを結ぶ「三位一体の社会保障改革」が必要である。
- 社会保障は生存だけでなく、就労、社会参加、居場所を通じた承認の機会を保障しなければならない。
- 人に強制的なつながりを押し付けるのではなく、本人が納得できる場で「承認された生存」を実現することが、制度への信頼回復につながる。
- 社会保障を動かす機関車は財源ではなく信頼であり、納得できる制度を示せば、人々は必要な負担を受け入れる可能性がある。
