

子育てや介護をしている人が、仕事を続けられなくなる。家族の世話のために収入を失い、将来の生活にも不安を抱える。こうした困難を、その人や家族の努力だけで解決しようとしていないでしょうか。
2024年7月8日、日本記者クラブのシリーズ「変わる『家族』」第1回で、落合恵美子さんが「ポスト20世紀体制のケアのゆくえ」をテーマに講演しました。肩書は講演当時、京都産業大学教授・京都大学名誉教授。司会は小林伸年さんです。[1]
講演は、歴史や国際比較を通じて、私たちが当たり前だと思ってきた家族像を問い直します。そのうえで、育児や介護など、人が生きることを支える「ケア」を、家族、行政、企業、地域でどう分担するかを考える内容です。
家族の変化を嘆く前に、制度がどのような家族を想定しているのかを確かめる。この視点は、弥富市の子育て、介護、福祉、働き方を考えるうえでも大切だと感じます。
以下は講演の要旨を筆者の言葉で整理したものです。現在の制度についての補足と、弥富市への提案は、それぞれ区別して記載します。
家族は何から変わるのか
講演の出発点は、家族が変わるというとき、何を基準にしているのかという問いです。
会社員の夫が収入を得て、妻が家事や育児を担う。多くの人が一定の年齢で結婚し、2、3人の子どもを持ち、安定した家族をつくる。このような形を「昔からの普通の家族」と考える人もいるでしょう。
しかし、落合さんは、こうした家族像を、長い歴史を通じて変わらない形とは捉えません。近代化の過程で広まり、20世紀の一定の時期に社会の標準となった「近代家族」として考えます。
ここでいう近代家族は、単に親と子だけで暮らす核家族という意味ではありません。家庭と仕事の場が分かれ、夫婦が性別によって役割を分担し、子どもの養育を重視し、家族の情緒的な結びつきを大切にする、といった特徴を持つ家族像です。
家族がこのモデルから変化したからといって、それだけで家族が壊れたと判断することはできない。講演は、まず私たちが比較の基準にしている「普通」を、歴史の中に置き直すよう促します。
女性が働くことも男性がケアすることも歴史の中にあった
落合さんは、女性の労働力率の歴史的な推計を示し、明治初期には、多くの女性が働いていたことを説明します。結婚や出産の時期に女性の労働力率が落ち込む「M字カーブ」も、日本の歴史を通じて同じ形で存在したわけではないと指摘します。
農業や家業で働くことと、現在の企業で賃金を得て働くことは同じではありません。それでも、女性が家庭の外の仕事を担わないことを、日本に一貫した伝統として説明するのは無理がある、という問題提起です。
ケアについても、女性だけが家族の中で担ってきたわけではないと述べています。講演では、江戸時代の男性の育児や武士の介護、藩などによる困窮者支援の研究が紹介されました。
これらは、昔の社会が平等で、暮らしやすかったという話ではありません。時代や地域によって、仕事とケアの分担が違っていたことを示す例です。
だからこそ、今の役割分担も変えられる。男性が育児や介護を担うことや、行政が生活を支えることを、歴史に反する変化として恐れる必要はないと受け止められます。
少子化の歴史には性質の異なる変化がある
講演では、出生率の低下も、一続きの同じ現象として扱わないことが強調されています。
日本について落合さんが区別したのは、1950年代の出生率の低下と、1970年代以降の低下です。前者は、多くの子どもを持つ家族から、2、3人の子どもを持つ家族へ移る変化。後者は、その後の結婚や出産の変化を伴いながら、人口の再生産を下回る低い出生率へ進む変化として説明されました。
落合さんは、ほとんどの人が似た年齢で結婚し、似た数の子どもを持つ時期そのものが、歴史的には限られていたと論じます。
この区別は、少子化対策を考える際にも重要です。出生数が減るという結果が同じでも、その背景にある雇用、結婚、住まい、教育、男女の役割は違います。昔の家族像へ戻すことだけでは、現在の課題への対応になりません。
また、結婚や出産の選択を尊重することと、子どもを望む人が安心して育てられる条件を整えることは、両立させる必要があります。
家族の問題は経済や雇用の仕組みとつながっている
落合さんが用いる「20世紀体制」は、家族だけを指す言葉ではありません。講演では、主に次の三つを組み合わせた社会の仕組みとして説明されています。
| 柱 | 講演の説明を平易に整理すると |
|---|---|
| 福祉国家 | 政府が雇用や生活の安定を支える |
| 大量生産と完全雇用 | 生産の拡大と安定した雇用を軸に経済が動く |
| 性別分業を伴う近代家族 | 男性が主に稼ぎ、女性が家庭の仕事やケアを担う |
この仕組みでは、働く人が毎日生活を整えられることや、子どもが育ち、病気の人や高齢者が支えられることを、家族の中の仕事が引き受けていました。
「社会的再生産」という言葉は、こうした日々の暮らしと、次の世代を支える営みを含みます。物やサービスを生産する経済も、働く人の生活を維持するケアがあって初めて成り立つ、ということです。
ところが、家庭の無償の仕事は、企業や行政が組み立てる計画の中で見えにくくなります。共働きが広がっても、長時間働ける人を標準にした雇用や、家庭に誰かがいることを想定した制度が残れば、仕事とケアの両立は難しくなります。
家族の変化は、経済や雇用の変化と一緒に考えるべきだというのが、講演の大きな視点です。
無償のケアにも時間と労力と費用がかかる
落合さんは、ケアを広く、人が生きることを支える活動として捉えます。育児、介護、看護だけでなく、食事や洗濯など、生活を維持する営みも関わります。
家庭で家族が行えば、賃金が支払われないことが多い仕事です。しかし、賃金がないことと、必要な労力がないことは違います。誰かが時間を使い、身体や心に負担を引き受けています。
講演では、マリア・ミースの議論を紹介しながら、主婦が担う仕事を当然の無償労働とすることで、社会や経済が負担すべき費用が、家庭へ押し出されてきたと説明しています。
落合さんは、この構造を環境問題にも重ねます。環境が汚染を吸収する力を無限のものとして扱うのと同じように、家庭が人を支える力も、無限に使えるものとして扱ってはいないか、という問いです。
家族の愛情があっても、使える時間や体力には限界があります。ケアの負担を数えずに、働く時間やサービスの提供体制だけを決めれば、負担は誰かの暮らしに集中します。
ケアを担う人が不利益を受けるケアペナルティ
講演で特に印象的なのが、「ケアペナルティ」という考え方です。育児や介護を担うために、仕事、賃金、昇進、年金などで不利益を受けることを指します。
例えば、介護のために退職する、子どもの世話で勤務時間を減らす、家族の看護のために仕事を休み、その後の働き方が不安定になる。このような場合、ケアの仕事が評価されないだけでなく、担った人自身が経済的な損失を受けることがあります。
落合さんは、コロナ禍の調査にも触れ、家族の療養を支えた人の仕事への復帰の難しさを指摘しています。これは講演で紹介された調査上の指摘であり、すべての看護者に一律に当てはまるという意味ではありません。
社会に必要な仕事を引き受けた人が、そのために不利益を受ける。この矛盾を、制度の中で一つずつ解消していく必要があるという主張です。
子育ての喜びを伝えることも大切ですが、喜びがあれば不利益に耐えられるはずだと考えてはいけません。子どもを望む人にとって、育てることで失うものが大きければ、希望を諦めざるを得ないこともあります。
同じ問題は、家族介護や、保育・介護などを職業とする人の待遇にもつながります。ケアを利用する人と、ケアを担う人の両方を支える視点が必要です。
ケアを家族と行政と市場と地域で分担する
講演では、ケアの担い手を四つの領域から見る「ケアダイヤモンド」が紹介されます。
| 領域 | 私たちの暮らしで考えられる例 |
|---|---|
| 家族 | 家庭での育児、介護、看護、生活の支え |
| 国家や自治体 | 社会保障、公的な相談、保育や介護を支える制度 |
| 市場 | 民間の保育・介護サービス、家事支援など |
| コミュニティ | 地域の見守り、NPO、住民同士の支え合い |
例示は、講演の枠組みを暮らしに引き寄せて整理したものです。実際には、公費で民間サービスを支えるなど、領域同士が重なります。
落合さんがいう「ケアの脱家族化」は、ケアを家族だけに集中させず、社会の仕組みの中に組み込み直すことです。
家族がケアをしなくなることや、家族のつながりを否定することを意味するわけではありません。家族が担うとしても、それだけに頼らず、休めること、相談できること、必要なサービスを使えることを支える考え方です。
講演では、欧州の公的な制度を重視する方向と、米国の市場を重視する方向などが比較されます。ただし、これは国ごとの特徴を捉える分析上の整理であり、各国の制度がすべて一様だという意味ではありません。
弥富市で考える場合も、地域の助け合いだけに頼るのか、民間サービスを買える人だけが支えられるのか、公的支援で利用の機会を確保するのか。その組み合わせと負担の配分が問われます。
多様な生き方を支える制度と年金への提案
講演を通じて繰り返される原則が、「ライフスタイル中立性」です。特定の結婚や家族の形だけを有利にせず、異なる生き方をする人にも、公平に働く制度を考えるという意味です。
結婚している人、していない人、子どものいる人、いない人、ひとり親、介護を担う人。家族の形が変わっても、一人ひとりの暮らしや権利が支えられることを目指します。
これは全員へ同じ支援を配るという意味ではありません。必要なケアや生活上の困難に応じた支援を、特定の家族像から外れたという理由で受けにくくしないことです。
質疑応答では、国民年金の第3号被保険者制度をめぐる提案もありました。落合さんは、配偶者の扶養という資格を基準にする代わりに、育児や介護を担った期間を、本人の社会への貢献として年金制度で評価する考え方を示しています。
講演では当初、母としての権利という表現も使われますが、その後、母親に限らずケアをする人という意味だと説明しています。性別や配偶者の立場に頼らず、担った本人の権利として評価するという提案です。
制度の補足です。 第3号被保険者制度は1986年4月に始まりました。対象は所定の要件を満たす被扶養配偶者で、妻だけに限定された制度ではなく、夫も対象になります。育児・介護の実施そのものが資格の要件ではありません。[2][3]
一方、英国には、一定の条件を満たすケアの担い手の国民保険記録を補う「Carer’s Credit」があります。ケアを担ったことを、将来の年金につながる記録として扱う制度の例です。ただし、英国の仕組みを、そのまま日本へ導入できるという意味ではありません。[4]
2026年10月に始まった日本の制度も確認したい
講演後の制度の変化として、2026年10月から、子を養育する国民年金第1号被保険者の育児期間の保険料免除制度が始まりました。自営業者、農業者、学生、無職の人などが対象となり、所得に関係なく、子が1歳になるまでの対象期間について保険料が免除されます。免除された期間は、納付したものとして老齢基礎年金の受給額に反映されます。[5]
父母ともに第1号被保険者なら、双方が対象となり得ます。実母の産前産後免除との関係などによって免除期間が異なり、手続きが必要な場合もあります。詳細は日本年金機構の案内で確認できます。[6]
これは、落合さんの広い提案そのものが実現したという説明ではありません。それでも、ケアのための期間を社会保障で支える方向の変化として、講演とあわせて考えたい制度です。
保育だけでなく住まいと教育と働き方を考える
落合さんは、「社会的投資」を、保育所の整備や保育料の軽減だけに狭めないよう求めています。
子どもを育てて暮らすには、住まい、教育、医療、安定した収入が必要です。ケアのために仕事を辞めた場合に失う収入や、将来のキャリアへの影響も関わります。
講演では、韓国の保育政策と低い出生率を取り上げ、保育政策が進んでも出生率が低いことだけを見て、保育の支援は無意味だと判断することに疑問を呈しました。住宅費や教育費などを含む、生活全体の負担を見るべきだという主張です。
ここから導かれるのは、保育の充実だけで必ず出生率が上がるという話でも、支援が足りないことだけが少子化の原因だという話でもありません。落合さんは、家族へのケアの集中を、少子化を考える重要な構造的要因として示しています。
政策の成果も、出生率だけで判断することはできません。育つ子どもの生活、保護者の健康、仕事を続けられること、孤立を防ぐことなどにも目を向けたいと考えます。
家族の多様性をめぐる議論は以前からあった
講演では、家族の多様性や個人の自立を支える考え方が、1990年代には既に政策の議論にあったことも紹介されています。
実際、1998年の厚生白書は、固定的な男女の役割分業や雇用慣行の是正を論じ、個人の自立を基本に、多様な形で支え合う社会を目指す方向を示しています。[7]
落合さんは、その後の2000年代の「ジェンダーバックラッシュ」、つまり男女の平等や家族の多様性への反発が、教育や制度改革に影響したと論じています。教科書や報道をめぐる自身の経験も紹介し、旧統一教会などの政治・政策への影響を検証する必要性を訴えました。
これは講演者の問題提起として紹介するもので、個々の政策の因果関係までこの記事で独立に検証したという意味ではありません。しかし、家族政策の議論が一直線に進んできたわけではないことを考える、重要な視点です。
質疑では、選択的夫婦別姓についても、歴史と国際比較から考えるべきだと述べています。家族制度を議論するときには、伝統という言葉だけで結論を出さず、いつ、どのような制度がつくられたのかを確かめる姿勢が求められます。
弥富市の政策を考えるうえでの提案
ここからは、講演を踏まえた筆者の提案です。落合さんが弥富市の現状を評価したり、次の施策を直接提案したりしたものではありません。
家庭に誰かがいることを前提にした対応を点検する
学校が休校した日、子どもが病気になった日、介護サービスが利用できなくなった日。家庭で対応する大人をすぐ確保できるとは限りません。
市の制度や案内を、単身、共働き、ひとり親、家族介護など、異なる生活条件から点検したいと考えます。家族に連絡するという手順だけで終えず、その家族が対応できない場合の相談先や支援も用意する必要があります。
ケアを担う人の負担を調べる
保育や介護の利用者数だけでは、家庭の負担は分かりません。
仕事を減らした人、辞めた人、収入が減った人、眠る時間や通院の時間を確保できない人、支援を必要としても利用していない人の実態を把握することが考えられます。家族の世話を担う子どもについても、学びや休息の時間が守られているかを確認したいところです。
調査は、家族の努力を採点するためではなく、どこでケアペナルティが生じているのかを見つけ、支援につなげるために行うべきです。
ケアの担い手が続けられる仕事と地域活動を支える
保育や介護などのサービスを増やすには、担う人が働き続けられる条件も必要です。市自身の雇用や委託事業を含め、配置、賃金、研修、休息、仕事の継続性を、サービスの質と結びつけて考える必要があります。
また、地域の見守りや助け合いを大切にしながら、特定の人の善意に負担を集中させないことも重要です。地域が担う役割と、専門職や行政が担う役割を明確にし、無理なく継続できる活動にしたいと考えます。
部署を越えて暮らし全体を支える
子育ての相談の背景に、住まい、雇用、障害、介護、家計の問題が重なることがあります。一つの部署で対応できない相談を、別の窓口へ案内するだけで終えず、必要な支援につなぐ連携が必要です。
限られた予算を考える際にも、単年度の支出額だけでなく、就労の継続、介護離職の防止、健康、孤立の予防など、暮らし全体への効果を評価したいと考えます。その効果は推測だけで決めず、利用状況と当事者の声を確かめながら検証することが大切です。
講演を通じて考えさせられるのは、家族を大切にすることと、家族だけに責任を集中させることは、同じではないという点です。
育児や介護をしても、仕事や将来を諦めずに済む。家族の形が変わっても、必要な支援につながる。地域や専門職も無理なく支えられる。そうした条件を整えることを、弥富市の政策として具体的に考えていきたいと思います。
講演の主な視聴ポイント
時刻は添付の文字起こしに基づく、おおよその目安です。
| 動画の時刻 | 主な内容 |
|---|---|
| 2分40秒頃 | 家族は何から変わるのか |
| 17分35秒頃 | 近代家族の概念 |
| 22分10秒頃 | 女性の働き方の歴史 |
| 29分10秒頃 | 性質の異なる二つの出生率低下 |
| 38分20秒頃 | 20世紀体制と社会的再生産 |
| 47分50秒頃 | ケアの家族化と無償労働 |
| 54分25秒頃 | ケアペナルティ |
| 1時間1分55秒頃 | ケアの脱家族化とケアダイヤモンド |
| 1時間11分45秒頃 | 社会的投資と生活全体の費用 |
| 1時間18分頃 | 年金制度に関する質疑 |
| 1時間24分頃 | 主婦概念と夫婦別姓に関する質疑 |
講演と参考資料
[1] 日本記者クラブ 会見案内とリポート / 講演動画
講演の詳しい紹介部分は、提供された動画の文字起こしをもとに要約しています。歴史的な統計や研究への言及は講演内の説明として扱い、数値の単独引用や現在の実態への読み替えは避けています。
[4] 英国政府 Carer’s Credit / 対象要件
[5] 日本年金機構 国民年金保険料の育児免除制度 2026年10月開始
講演の背景をさらに知りたい方には、落合恵美子著『親密圏と公共圏の社会学――ケアの20世紀体制を超えて』(有斐閣、2023年)や、『21世紀家族へ――家族の戦後体制の見かた・超えかた』も参考になります。有斐閣の書籍案内 / 著作一覧
制度の補足は2026年10月2日時点の公開情報に基づきます。
