少子高齢化だけでなく、そもそも、働き方や、環境問題など社会全体が変革期どころか崖っぷちです。
不登校やスクールカーストやいじめなど、今のこどもたちの置かれている学びの場、学びのあり方、育ち、人格形成が様々な意味で、大きな社会的な変革期にあると思います。
そういった変化に対して、地方自治行政も学校教育の現場、それを統括する道立行政機関としての教育委員会、学校教育行政全体が制度の疲労を起こしている。
教員も児童生徒も保護者もその制度疲労の中で疲弊しているのではないか。
もっと長いスパンで見て、こどもたちの学びの場、
それをとりまく社会としての学びの環境というものを、
ちゃんと考えなければならないのではないか、
という大変革期にあるということを認識し、
考え直すべき時期なんではないでしょうか。
この、論考の結論を先に書きます。
私達、市民社会を構成する大人が、現在のこどもや将来のこどもの学びの環境にどう向き合うか。
今、学校現場で起こってる様々な困難な問題について市民社会としてどう考えるか。
という点に関して、まさしく今のこどもたちが、
これからの社会においてどのような学びをし、人格を形成し、能力を身につけていくかという問題について、
個々の学校の経営という点においては、
あくまで今の学校経営の主人公である児童生徒と教員の皆さんが
学校としてそれぞれの地域で考えていくということを尊重するということを大前提ですが、
今一度、市民社会として、社会を構成する市民として、
しばらくの間、こどもの育ちについて、ほったらかしであったのではないか、
家庭任せであったのではないか。
学校任せであってはないか。
ということについて、考え直しましょう。
個々の学校について、「ああせい、こうせい」ではなく、
本当に、地域社会が、こどもたちを育てていくんだという。
いい意味で昔に戻って、もう少しこどもたちと家庭、学校の学びの場というものに。
温かいっていう言葉を使うのもなんですが、向き合って、
今まであまりにもほったらかしで苦情しか言ってこなかったのではないか。という反省。
そうではなくてやっぱり本当にこどもたちを地域社会の人間として見守っていく。
そして、必要な援助を差し伸べるということを、
もっと長い時間スパン、広い視野で、
それは身近な地域だけでなく、
日本全体あるいは世界全体の広い視野、文化芸術体育様々な広い視野で
今のこどもたち、家庭、学校を支えていくという議論を少しずつ始めていく必要があるのではないか。
というのが現時点で、
私達が市民社会として認識し見直し考え直し、
行動を起こすべき点ではないでしょうか。