弥富のまちづくりの歴史と教訓の解説

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チャンスを見逃してきた弥富の歴史

都市計画決定権者(弥富市長)は自由通路事業を「積年の課題今こそ解決」と称しているが、弥富市役所に請求しても「資料は保存されていないので見せられない」とのこと。

以下のように検討経緯を検証してみたが、駅について弥富町時代から現在に至るまで根拠資料も乏しく、体系的な計画検討がされてきたと考えられない。今回、都市計画道路を決定する根拠はないと言わざるを得ない。

町長・市長が変わる中で、昭和55年が弥富の成長と財政的なピークで、やるならその時だったが、その時を逃した今、駅自由通路を新たな都市計画道路として決定し、事業化することは投資に見合う成果と回収は絶望的であり、非論理的と言わざるを得ない。

・1950(S25)戦後の復興ブームで各種開発計画にあおられて近鉄、国鉄、名鉄を駅前広場で結ぶ意見もあったが具体的な計画図は残されていない

戦時中軍用工場に転用されていた日本毛織株式会社弥富工場が紡績工場として復活、30年代初頭には従業員数1800名を擁し消費の中核であった

・1955(S30)弥富町と鍋田村、市江村の東南部が町村合併

十四山・飛島・蟹江には名古屋市から合併の誘いが(金山駅15キロ圏)

森津・十四山方面からの道路を整備し南側からのアクセスが良くなる

昭和30年代の商業地 (弥富町史267ページから)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦後の中心商業地は、中六町のなかでも、中六地区と銀座地区であった。

昭和35年度の弥富町商工会会員名簿(商工会の設立は昭和36年1月)に基づいて、

当時の商業地の様子を復元すると国道から関西本線の踏み切りに至る延長約270メートルの中六地区は、

民家及び製材所などが混在するものの36店舗もの商店が通りの両側に連担して立地していた。

しかも、商店の業種構成も多様であった。

青果店、鮮魚店、精肉店、酒店、菓子店などの各種食料品、および洋品雑貨店とともに、

化粧品、衣料品店、洋服仕立店、時計店、電気器具店、家具店などの買回品店も揃っていた。

その他に生花、茶、書籍、乳母車、プロパン、自転車などの専門店及び美容院が立地し、

さらに、近鉄名古屋本線の踏み切りの北西角の正義稲荷の隣に青果市場があった。

国鉄関西本線踏み切りから町道日毛気開線に至る銀座地区は、街区延長は約140メートルと短いものの、

25店舗が立地し、商店の業種構成も中六地区と同様に多様であった。

銀座地区は、日本毛織株式会社弥富工場の従業員の主な買い物場所であった。

この両地区から国鉄弥富駅前にかけての線路沿いの通りには、

物品販売店のほかに弥富郵便局(昭和36年移転)と東海銀行弥富支店(昭和44年移転)が立地していた。

また、国鉄弥富駅前から国道に至る界隈でも商店の集積が進んでいた。

駅前ということで、旅館、飲食店、自転車預かり所などが多かった。

飲食店に限って言えば、駅前地区には八店あり、中六、銀座両地区の二店を上回っていた。

また近鉄名古屋本線の踏み切りの南側に弥富館という映画館があった。

映画館はテレビが本格的に普及するまでは町民にとって身近な娯楽施設であった。

日本毛織株式会社弥富工場では、午前と午後の二交代勤務制を敷いていた。

そのため午後勤務の女子従業員は午前中は勤務時間外になることから、

会社は映画館とのあいだで契約を結び、従業員向けに午前中の上映を貸し切っていたという。

ただし駅前地区の商店の立地密度はまだ低かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・1970(S45)都市計画法の施行にあわせ、愛知県は弥富町に対して、

5万人都市構想として東名阪自動車道までの市街化区域の案を提示したが、

地元の反対にあい北部を大幅に縮小、それが当時の住民の選択である(南側は車新田以外は案通り)

縮小された北側に残された都市計画道路は今となれば過大な計画

近鉄、国鉄、名鉄を橋上駅で結ぶ望む声もあったが

、駅前広場は分離独立した形で都市計画決定し、

中心市街地は駅から市役所にかけてのエリアに決定

佐藤町長

人口急増と市税(固定資産税・住民税)の安定的な増加を背景に教育施設を盛んに整備

バブル経済もあり、住民一人当たりの住民税が最高の時期であった

・1971(S46)銀座商店街の北端に共同店舗 弥富ショッピングセンターが開設

弥富町の転入のピーク(2,847人)

・1973(S48)弥富町の出生数のピーク(643人)

・1974(S49)近鉄弥富駅の南にスーパー義津屋とヤマナカが開店

・1976(S51)住民の購買動向調査(買物にいつも自家用車を利用していると回答した人

の割合が全体の4分の1を占める。その他休日等を含めると自家用車利用

率は約66%)地元商店街に対する要望事項として駐車場の確保を挙げる

・1978(S53)町政アンケートから、近鉄駅前整備事業を最優先の課題とし協議会が発足

・1979(S54)近鉄駅周辺地区の整備構想を作成し、協議・検討を開始

・1980(S55)弥富町の若年人口(15歳未満人口)のピーク(約8,000人)

・1984(S59)駅整備・下水道整備の財源として都市計画税導入の町長提案を議会が否決

・1987(S62)近鉄駅周辺整備の手法として区画整理等の指導を愛知県からうけるが

巨額の事業費に見合う成果が見通せず、川瀬町長時代に立ち消えに

・1990(H02)弥富駅前ショッピングセンター協同組合として国道の南側にウイングプラザ

パディーが開店(地元商業者約50店とヨシヅヤ・ヤマナカ)

・1991(H03)弥富町の要望により近鉄が佐古木駅地下駅舎化・駅前広場(41%負担)

 

 

 

 

川瀬町長

1998(H10)以降クリーンセンター関連で10年間(60億円)の地元対策費が使えたために、予算にゆとりがあり福祉施策や国体対応で市役所前の都市計画街路事業、各種道路整備事業を盛んに行うことができた

・1992(H04)近鉄弥富駅の橋上駅舎化および駅前広場の暫定整備~1994(H06)

国体のなぎなた会場に決定し、近鉄に橋上化の要望(37%負担)

近鉄の西踏切は南からの通勤通学者で極めて危険な状態であり、極

めて狭いホームに人があふれ通過列車が危険、

近鉄としても1988年(S63)アーバンライナーを投入してスピードアップに取り組んでいた時期が幸いした

・1997(H09)JR弥富駅改装 日本毛織株式会社弥富工場を閉鎖

・2000(H12)イオンタウン開業 地方分権一括法

国道155号線バイパス(西中地交差点⇔国道1号線区間)開通

・2006(H18)弥富町と十四山村が合併して市に昇格

・2007(H19)中学までの医療費の無料化など、他市町村にはない、子育て家庭には魅力的な施策が行われた、恵まれた財政状況だった。

服部市長

合併算定特例で10年間(数十億円)の交付税措置があり、

合併特例を利用した施設整備を行うが、

重複する施設の整理など合併の効果を出す体系的長期的な改革は未達成。

公共下水道工事の増額や相次ぐ施設整備で貯金を取り崩し、借金を増やした

・2010(H22)弥富駅周辺整備計画の策定に着手2012年に策定するが市民には公表せず

・2011(H23)バリアフリー法 新目標(5,000人以上→3,000人以上)

JRと名鉄を合わせると3,000人以上で該当するとして検討を開始

西踏切に関連する民有地を買収し舗装することによりすれ違いを改善

・2012(H24)市庁舎整備を優先して自由通路整備を一時凍結

・2015(H27)市庁舎整備の目途が立ったとして鉄道事業者との協議再開

・2016(H28)自由通路・橋上化を、服部市長が施政方針で表明

自由通路を決定した直後、国の指導で公共施設の建替えや大規模改修の相当な将来負担が数百億円かかることが判明し問題化

・2017(H29)JRに委託して自由通路および橋上駅舎化の調査設計(~令和元年)

 

安藤市長

就任後の幹部会議で、服部時代の貯金の減少借金の増加や収支の悪化を知らされる

・2019(H31)安藤市長が就任早々の予算編成で、

財政状況を勘案して独断による各種予算を削減する中で

「自由通路事業の事業費負担が将来の財政を圧迫する」ので、

自由通路事業中止を前提に予算を削減した。

これに対して「市の各種事業を十分な根拠や調整・同意もなく削減した」ことに議会が強く反発し、

議会は「安藤市長の辞職勧告決議」を可決した。

その後、削減した予算を全面的に復活する修正を行った。

以後市長と議会の多数とは表面的には同調している。

近鉄とJRの間の地権者17名に弥富駅周辺地区まちづくりに関する説明会

・2020(R02)議会は事業内容を審査せず請願を不採択

・2021(R03)3月覚書締結(市長権限、議決は不要)

議会で整備の効果や将来負担を質問されても具体的な回答はできず

6月 都市計画事業説明会

事業費の説明を避ける。市民の質問に具体的な回答はできず

7~8月区長・区長補助員意見交換会を開催、質問に具体的な回答は?

秋  都市計画決定予定(市長権限、弥富市都市計画審議会の答申)

都市計画審議会委員の選任は適切か、検証する必要がある。

・2022(R04)3月 協定に関する議案可決