弥富市はこれで良いのか!・・・市民の集い
映画『能登デモクラシー』を観て、弥富のデモクラシーを見直す市民フォーラム
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「弥富市の課題は、もう崖っぷちまで来ている」
11月のフォーラムで共有したこの危機感。現状をなんとかしたいけれど、堅苦しい話だけでは伝わりにくい……。 そこで今回は、一本のドキュメンタリー映画を皆さんと観たいと思います。
舞台は能登の小さな町。でも、見れば見るほど**「これ、弥富のことじゃないか?」**と思えてくる不思議な作品です。 時には笑い、時には考え込みながら、映像を通して今の弥富を見つめ直してみませんか? 上映後は、感想を交えながらこれからの弥富についてワイワイ語り合いましょう!
🎬 映画『能登デモクラシー』とは?
「おまかせ民主主義」の限界と、その先にあるもの。 『はりぼて』の五百旗頭監督が描く、地方自治の原点を問う衝撃作。
舞台は石川県穴水町。人口減少が進むこの町で、役場と議会のあり方に疑問を抱いた住民が立ち上がります。 映し出されるのは、組織票で決まる選挙、町長の追認機関と化した議会、密室で行われる決定……。 表面的にはニコニコと愛想の良い町長や議員たちの裏にある**「政治は素人には分からない、俺たちに任せておけばいい」という強固なパターナリズム(父権主義)。 スクリーンに映るその姿は、特定の町の物語ではなく、そのまま弥富市と重なる「日本の縮図」**なのです。
【コラム:なぜ今、弥富で上映するのか】
❶ 「定例記者会見がない」という異常事態 この映画が撮られたきっかけは、舞台の町に「町長の定例記者会見がない」ことでした。 会見がない=情報を隠す、議論を避ける、記録を残さない。 翻って、わが弥富市はどうでしょうか? 選挙時の公開討論会拒否、形式だけの市政報告会……。映画の中の「対話の拒絶」は、決して対岸の火事ではありません。
❷ 「倒産しない独占企業」としての市役所 行政サービスには競合がいません。「市長が気に入らないから、隣に別の市役所を作ろう」とはいかないのです。 逃げ場のない市民を相手にしているからこそ、行政はあぐらをかき、情報を隠蔽する誘惑に駆られます。50億円の新庁舎の中で、民主的な決定プロセスは守られているでしょうか?
❸ 腐敗を止めるのは「市民」しかいない 「投票したら終わり」「おまかせ」にした結果、私たちの町はどうなってしまったのか。 この映画は、民主主義が決して完成された制度ではなく、私たち一人ひとりの不断の努力によってのみ維持される「営み」であることを教えてくれます。
ぜひ、会場でこの映画を目撃してください。 そして、スクリーンの中に「弥富市」を見つけ、これからの行動を一緒に考えましょう。
映画 『能登デモクラシー』 とは
「おまかせ民主主義」の限界と、その先にあるもの。
『はりぼて』の五百旗頭監督が描く、地方自治の原点を問う衝撃作。
舞台は石川県穴水町。人口減少が進むこの町で、役場と議会のあり方に疑問を抱いた住民が立ち上がります。
映し出されるのは、組織票で決まる選挙、町長の追認機関と化した議会、密室で行われる決定……
表面的にはニコニコと愛想の良い町長や議員たちの裏にある
「政治は素人には分からない、俺たちに任せておけばいい」という強固なパターナリズム(父権主義)。
スクリーンに映るその姿は、特定の町の物語ではなく、そのまま弥富市と重なる「日本の縮図」なのです。
映画『能登デモクラシー』を観て、弥富のデモクラシーを見直すフォーラム 概要
📍会場:弥富市総合福祉センター 弥富市鯏浦町上本田95-1。
【タイムスケジュール】
12:00〜 🎬 映画『能登デモクラシー』鑑賞(1回目)
14:00~ 🎤 連携企画 対談「NOTフェイクデモクラシー! NO選挙,NOローカルLIFE!」
五百旗頭幸男(監督)✕ 畠山理仁(選挙漫遊師)
15:30~ 🗣️ 本番!弥富市はこれで良いのか!・・・市民の集い
(~16:50まで、弥富の地方自治について参加者でじっくり対話)
17:00〜 🎬 映画『能登デモクラシー』鑑賞と参加者による共有タイム(2回目)
19:00〜 🎬 映画『能登デモクラシー』鑑賞と参加者による共有タイム(3回目)
🎫 上映費実費:400円 👥 定員:各回100名 🏢 主催:新しい風やとみ
ここからオンライン受付をしていただけるとうれしいです
【コラム】映画『能登デモクラシー』が映し出す、弥富の現在地
~「密室」と「独占」にあぐらをかく行政に、未来はあるか~
今春、ドキュメンタリー映画『能登デモクラシー』を観る機会がありました。 そこに映っていたのは、能登半島の小さな町における旧態依然とした「村の政治」の実態です。
- 映画が暴いた「日本の縮図」
選挙といえば、地域のボスや業界団体の組織票で決まる既定路線。「もっと町を変えてほしい」と思っても、そもそも選択肢となる候補者が出ない。そして、最も重要なこと(特にお金の使い道)は、町長と議会の密室談合で決まっていく――。 これは特定の町を責める話ではなく、日本中の地方自治体に共通する病理です。
映画は、この構造に一石を投じる住民たちの姿を描きます。手書きの壁新聞を配り、事実を伝えようとする人々。 対する町長は、一見ニコニコと人当たりが良い。しかし、その笑顔の下で「女子供は黙っていろ、俺たちがうまくやる」というパターナリズム(父権主義)を隠し持ち、国や県への陳情と業者との調整こそが政治だと信じて疑わない。
- 「記者会見がない」ことの異常さ
監督の五百旗頭(いおきべ)幸男氏は、富山市議会の不正を暴いたジャーナリストとしても知られています。彼がこの映画を撮るきっかけは、「定例記者会見がない」という異常な事実に気づいたことでした。
定例記者会見とは、首長が自らの言葉で情報を公開し、説明責任を果たす場です。それを行わないということは、「情報を隠す」「議論を避ける」「記録を残さない」という体質そのものです。
翻って、わが弥富市はどうでしょうか。 弥富市にも定例記者会見はありません。 安藤市長は選挙の際、公開討論会への出席を「選挙戦略」として拒否しました。就任7年目でようやく開かれた市政報告会も、大半が一方的な説明で、質疑応答はわずか10分。 『能登デモクラシー』で描かれた密室政治は、まさに弥富市の姿そのものです。
- 「独占企業」としての市役所
行政の恐ろしいところは、「倒産しない独占企業」である点です。 民間企業なら、品質が悪かったり、不正会計をしていれば、客が離れて淘汰されます。しかし、行政サービスには競合がいません。「安藤市長のやり方が気に入らないから、隣に別の市役所を作ろう」とはいかないのです。
逃げ場のない市民を相手にしているからこそ、彼らはあぐらをかき、情報を隠します。情報を出せばボロが出る。ボロが出れば怒られる。だから隠す。これが「弥富デモクラシー(民主主義なき政治)」の正体です。
- 腐敗を止めるのは「市民」しかいない
50億円をかけた新庁舎は、外見だけは立派で近代的です。しかし、中身は空虚です。 議会も、本来はチェック機能であるはずが、議長を中心に行政への忖度が蔓延しています。
それでも、希望はあります。 行政の正当性は「情報公開」と「事後検証」によってのみ担保されます。映画の中の住民たちのように、私たちも諦めずに事実を知ろうとし、声を上げ続けるしかありません。
そして何より、この状況を許してしまったのは、前回の選挙で現職を選んだ私たち有権者自身です。 次の選挙でどう動くか。それが、弥富市の未来を決める唯一の鍵なのです。
