映画『夢みる小学校』プレイベント:オオタヴィン監督 × 汐見稔幸先生 対談詳細議事録
日時: 映画公開直前プレイベント 登壇者:
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オオタヴィン(映画監督/まほろばスタジオ主宰)
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汐見 稔幸(東京大学名誉教授/日本保育学会元会長/「ぐうたら村」村長)
1. イントロダクション
【オオタ監督による自己紹介・映画紹介】
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制作スタイル: 監督、撮影、編集、デザイン、雑用まで全て一人で行う「パーソン・ワン」スタイル。
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過去作:
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『いただきます1』:食育・発酵をテーマにロングランヒット(上映800回超)。
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『いただきます2』:有機農業と発酵がテーマ。
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最新作『夢みる小学校』: 「子どもの幸福(ウェルビーイング)」をテーマにした3作目。
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登場する3つの学校:
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きのくに子どもの村学園(私立): 全国5箇所にある。「学校は楽しいだけでいい」がスローガン。文科省の学習指導要領に準拠した一条校。
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伊那市立伊那小学校(公立): 60年以上、通知表がない。
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世田谷区立桜丘中学校(公立): 定期テスト廃止、校則ゼロ。
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【汐見先生の紹介】
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保育・教育学の第一人者でありながら、現在は山梨県北杜市でエコビレッジ「ぐうたら村」を展開中。
2. 対談パート:教育の本質と「楽しさ」
テーマ①:「学校は楽しいだけでいい」の真意
オオタ: きのくに子どもの村学園の「学校は楽しいだけでいい」という言葉、汐見先生はどう解釈されますか?
汐見:
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「教える」から「学ぶ」へ: 「教育」は「教え育てる」と書くが、本来は子供の方から「学びたい」と思うのが筋。職人は教えないで「見て盗め」と言う。自分で掴み取ったものこそ身につく。
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学ぶことは本来「快感」: 「知らなかったことが知れる」「できなかったことができる」は人間にとって根源的な喜び。だから、学びが本物なら本来は「楽しい」はず。
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結論: 学校の任務が「学び」なら、楽しくなければ学びになっていない。きのくにの言葉は、「楽しくなければダメだ」という強い決意の表れ。
テーマ②:脳科学とドーパミン(報酬系)
オオタ: 映画には脳科学者の茂木健一郎さんも出演し、「楽しい」と感じると脳内にドーパミン(快楽物質)が出ると解説しています。
汐見:
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ネズミの実験: 迷路の先に餌(報酬)があると、学習速度が格段に上がる。これを脳科学で「報酬系」と呼ぶ。
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人間の場合: 「わかって嬉しい」「役に立った」という喜びが報酬(ドーパミン)となり、記憶が定着する。
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学校の現状: 嫌なことを無理やりやらされる(例:因数分解や解の公式)。「高校へ行くため」という脅しのような説明ではドーパミンが出ないため、テストが終われば忘れてしまう。
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選別装置としての学校: 役に立つか不明な知識を詰め込み、テストで点数をつけて子供を「振り分ける」だけのシステムになっていないか?
テーマ③:「勉強」と「頑張る」の呪縛
汐見:
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「勉強」の語源: 「強いて務める(無理やりやる)」という意味。明治期に定着した言葉で、本来の「学ぶ」とは対極にある。
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「頑張る」の語源: 江戸時代は「我を張る」という否定的な意味だった。
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日本的価値観の弊害: 「我慢してやるのが立派」「耐えるのが美徳」という価値観が教育の根底にあるが、これからは「学んで楽しい」をベースにしないと時代に合わない。
テーマ④:「非認知能力」と体験学習
オオタ: 映画の子どもたちは、テストの点数では測れない力が育っているように見えます。
汐見:
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認知能力 vs 非認知能力:
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認知能力:テストの点数、偏差値など。
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非認知能力(スキル): 好奇心、協調性、忍耐力、失敗から学ぶ力など。
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アメリカ国務省の例: 有名大学出身の学力エリート(認知能力が高い)が必ずしも仕事ができるわけではないことが判明。逆に、好奇心が強く、上から目線にならず、他者の痛みがわかる人(非認知能力が高い人)が良い仕事をしている。
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体験の重要性: 非認知能力はペーパーテストでは育たない。体験(生活、遊び、プロジェクト)を通してしか身につかない。きのくにや伊那小の実践は、この「本来の学び」を現代風に再構築している。
3. エピソード深掘り:「靴箱遊戯」と「不登校」
エピソード①:靴箱遊戯問題(汐見先生の著書より)
オオタ: 先生の本にある「靴箱で遊ぶ女の子」の話が衝撃的でした。
汐見:
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事例: 養護学校(当時)での出来事。ある女の子が靴箱の中身を出して、そこに入って遊んでいた。先生は「靴箱は遊び場じゃないのよ」と注意して連れ戻した。
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解説:
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大人の視点: 「靴を入れる場所(機能)」という固定観念。
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子供の視点: 最高の「遊び道具・空間」。
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教育のパラドックス: 教育が「社会の常識(これは靴箱です)」を教え込むことだけになると、子供の豊かな感性や創造性(イノベーションの種)を摘んでしまう。
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ヴィゴツキーの視点: 既存の言葉や機能に従うだけでは創造は生まれない。「靴箱」を「家」に見立てるような、言葉を超えた遊びこそが創造性の源泉。
エピソード②:不登校と自己選択
オオタ: 映画のキーワード「自己選択」。不登校も一つの自己選択ではないでしょうか?
汐見:
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70年代の不登校(登校拒否): 当時は精神疾患扱い(学校恐怖症)で、強制入院させられることもあった。
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子供たちのリアル: 話を聞くと、感性が豊かで、創造的な子供が多い。「空想にふけっていたら先生の話を聞いていないと怒られた」など、画一的な学校システムに合わないだけだった。
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「カナリア」としての不登校児: 彼らは問題児ではなく、学校システムが制度疲労を起こしていることを知らせる「炭鉱のカナリア」だった。
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学習障害(LD)の視点: スピルバーグやトム・クルーズのように、字が読めなくても聴覚優位で才能を発揮する人もいる。今の学校は「凸凹(ニューロダイバーシティ)」に対応できていない。
4. 現役公立教員とのQ&Aセッション
ゲスト: 現役の公立小学校教諭2名
質問①:保護者や同調圧力との戦い
先生A(教員歴16年): 映画のような教育が良いと思う反面、現場では「隣のクラスと違うことをするとクレームが来る」「保護者から『もっと勉強させて』と言われる」という同調圧力が強い。どうすればいいか?
汐見先生の回答:
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事実(エビデンス)を伝え続ける:
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「きのくに」の卒業生が社会で活躍している事実や、自己選択して学んだ子の方が大学でも伸びるというデータを、長い目で保護者に伝え続ける。
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評価(通知表)の改革:
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テストの点数だけでなく、「ドキュメンテーション(活動の記録)」を活用する。
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「今日、○○さんはこんな面白い発言をしました」「こんな風に協力していました」と、日々の写真を撮り、コメントを添えて親に伝える。点数以外の「育ち」を可視化する。
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校長への働きかけ:
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校長が変われば学校は変わる。話の通じる校長なら味方につける。そうでない場合は、外堀(地域やPTA)から埋める。
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質問②:教師自身のモチベーション
オオタ: 昔のような「名物先生」が減り、先生が管理されすぎているのではないか?
汐見:
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評価制度の弊害: 校長が教員を一方的に評価するシステムになり、管理しやすい(文句を言わない)教員が高評価されがち。本来は360度評価であるべき。
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「教師のサークル」を作ろう:
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かつては「数教協」や「社会科の初志を貫く会」など、教科や志で繋がるサークルがあった。そこで「面白い授業」を共有し、元気を貰っていた。
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今は学校内の同調圧力で孤立しがち。学校の外に、教育を語り合える「サークル」や「逃げ場」を持つことが、先生が潰れないために重要。
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5. クロージング:これからの「公(おおやけ)」
汐見:
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多様な学校を作る動き: 長野県などで、公立でも通知表廃止や新しいカリキュラムの学校が生まれ始めている。
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「公(おおやけ)」の再定義:
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昔の「公」=お上、権力者。
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これからの「公」=民(みんな)のもの。
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オランダのように、市民が「こういう学校を作りたい」と言えば、そこに税金が投入されるのが本来の「公教育」。私立も公立も無償化し、多様な選択肢から選べるようになるべき。
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オオタ監督:
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この映画が「教育の多様化」への着火剤になれば嬉しい。
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映画館は最初の2週間が勝負。ぜひ早めに劇場へ足を運んでほしい。
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フォトブック『こどもはミライ』も発売中。
会場からの感想(元教員・鳥新平さん):
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映画化によって文化として教育が変わるきっかけになる予感がする。
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課題は「経済(教育と経済の結びつき)」と「新しい国家主義(同調圧力)」。批判的視点を持ちつつ、楽しくやっていきたい。
(以上)
