内田樹 × 高橋源一郎 × 永井玲衣 × 奥田知志 おんなじいのちツアー2025 in 東京
対談サマリー:不完全な人間が紡ぐ「希望のまち」
本対談では、奥田知志氏が進める「希望のまち」プロジェクトを軸に、コミュニティのあり方、生成AI時代における人間性、そして「希望」の定義について、哲学・文学・武道・福祉の視点から多角的に語り合われました。
- コミュニティのジレンマと「分業」の救い(内田樹)
- アジール(避難所)と目的共同体の葛藤: 内田氏は自身の道場を「逃げ込める場所」としたい一方で、武道という目的を持つ集団として、和を乱す者を排除せざるを得ない苦悩(「波紋」の痛み)を吐露しました。
- 役割分担の発見: 全ての人を受け入れることは個人の力量では不可能と悟り、「困った人は奥田さんの『命の家』へ、修行したい人は私の『道場』へ」という社会的な「分業」こそが重要であると結論づけました。
- 「美は乱調にあり」とAIの限界(高橋源一郎)
- 物語の力: 秩序だった「諧調」ではなく、そこから外れる「乱調(ノイズや余談)」にこそ美や人間味宿るとし、それが人を「今ここ」から連れ出す物語になると語りました。
- AIは「天使」だからダメ: 生成AIは知識が完璧で傷つかない「天使」のような存在であり、それゆえに不完全な人間に真に寄り添うカウンセラーにはなり得ない。人間特有の「不完全さ」や「もろさ」こそが、他者を救う鍵になると指摘しました。
- 「弱目的」と身体性が生む出会い(永井玲衣・奥田知志)
- うろうろする価値: 永井氏は、強い目的を持たずに「うろうろ」する(弱目的)ことで、予期せぬ出会いや本質的な対話が生まれると説きました。
- 身体性の重要性: 対話で冷や汗をかくことや、現場での強烈な「匂い」の記憶など、AIが持たない「身体」と「経験」こそが人間の最後の砦であり、相互理解を超えた共存(ポリフォニー)を生む土台であると確認されました。
- 結論:「希望」とは準備的態度である
- 希望の定義: 奥田氏は希望を「不可解なものへの耐性」とし、まだ見ぬものが生まれてくることを信じて待つ「準備的態度」であると定義しました。
- 「希望のまち」への参加: サルトルの「希望を根拠づける」という言葉を引用し、「希望のまち」は、あるはずの希望をみんなで叩き起こし、形にするプロジェクトであるとして、継続的な支援(マンスリーサポーター)を呼びかけました。
「希望」とは何か? 生成AI時代の人間性と「弱目的」な生き方
~内田樹 × 高橋源一郎 × 永井玲衣 × 奥田知志 対談~
奥田: 本日は本当にありがとうございます。毎度毎度、感謝申し上げます。 先ほど私が少しお話をしましたので、それに対する感想でも、そこから話を膨らませていただいても構いません。自由にいきましょう。 打ち合わせで「不規則発言大会にしよう」という話になっていましたので、まずは内田先生からよろしいですか?
「波紋」の痛みと、すべての人は受け入れられない葛藤
内田: はい、こんばんは。内田です。 最初に奥田さんが真打ちとして登場して大ネタを披露された後に、僕らが出てきて前座話をするというのは順番が違うんじゃないかと思っていましたが(笑)、さっきのお話を聞いていて、あまりにいい話で泣きそうになってしまいました。もうあれだけで終わって帰っても良かったくらいです。
ただ、聞いていて本当に胸が痛くなったのは、僕自身も「凱風館(がいふうかん)」という自分の道場を持っていて、そこは共同体であり、みんなの顧問であり、何かあった時には逃げ込める「アジール(聖域・避難所)」だと言ってはいたんです。 しかし、実際は武道の道場ですから、「目的共同体」なんですよね。武道修行の道を一歩一歩歩んでいくという目的がある以上、すべての人を受け入れることはできないんです。
どうしても、この道場が目指している修行の道を理解してくれない人や、「内田さん、それは違うよ」と言う人に対して、「なんで僕は『違う』と言う人を受け入れなきゃいけないんだろう」と思ってしまう。 これまでに何人か波紋にしているんです。「もう来なくていい」と。道場を開いて34年間で3人波紋にしました。最近また1人増えて4人目になったんですが、それがずっとトゲのように心に刺さっているんです。
直感的に「君は違う」と言ってしまう。200人くらいのコミュニティで真剣に修行している場ですから、塵一つあってはならないという思いがあり、場を清浄に保つために、みんなを守るために「悪いけど外れてくれないか」と言わざるを得ない。その基準を問われても、パッと言葉が出てしまうだけでよく分からないんです。
奥田さんの「希望のまち」の話を聞いていて、僕はみんなが変わるように、成長するように支援する教育の場を作っているけれど、一番困った人、つまり僕のところにやってきて長く弟子をやった挙句に「あんたは違う」と言うような一番困った人を、本当は「命の家」で受け止めなきゃいけないんだろうけれど、それができない。心が狭いのか、器が小さいのか。 「命の家」を作るだけの度量のない男だなと思って、涙が出てきてしまいました。
でも、もう75歳ですから今更いい人になるのは無理なので(笑)、こういうのは分業だと割り切ろうと。「困ったら奥田さんのところに行きなさい」「強目的な生き方がしたかったら内田さんのところに来なさい」と、手分けして支援していこうかなと思いました。
奥田: ありがとうございます。その辺はどうですかね? 合わない人というか、難しい人はいますよね。 私たちの場合は、ステージを増やすというか、「武道(合気道)」という一つのステージだけでなく、あっちもある、こっちもあるみたいな、いい加減で適当な空間を作ろうとしています。「ここは右向いてていいけど、こっちは左でも上でもいいよ」みたいな。
以前、Eテレの「バリバラ」に出ている玉木(幸則)さんと喋っていて、「バラエティっていう感覚はいいよね」という話になりました。「でも、バラエティだから何でもいいわけにはいかんよね。お菓子のバラエティパックの中に『一つ毒が入ってます』って言われたら誰も食べれんよね」と。 多様性とは言うけれど、超えてはいけない一線とは何なのか。僕は行政をやっていた時、行政がその一線を超えていると思ったからこそ、今があるのかなと思い出しました。
では、高橋源一郎さんお願いします。
「美は乱調にあり」 予定調和を壊す物語の力
高橋: よろしくお願いします。元・明治学院大学教授……あ、現・名誉教授ですね。名誉ってなんか嫌ですよね(笑)。まあ、ここはホームグラウンドみたいなもので嬉しいです。
奥田さんの話を聞いていて思ったことがたくさんあるんですが、どうでもいい話を一つ。 国が生活困窮者に対して提示する居住スペースが「3.3平方メートル」という話がありましたが、独房って5平方メートルなんですよ。僕も一応10ヶ月ほど住んでいましたから知っていますが(笑)。独房より狭いってどういうことなんだろうと。
もう一つ、奥田さんは牧師さんだけあって弁が立ちますよね。「希望のまち詐欺」だったらすごいなと(笑)。これだけ壮大な詐欺だったら怖いよね、と冗談交じりに思いました。
真面目な話をすると、僕も来月で75歳になります。先週、ついにスマホを持ちました。今まで「死ぬまでスマホは持たん!」と意地を張ってガラケーとiPadで済ませていたんですが、大ファンのAdoのライブチケットを申し込もうとしたら、なんと「スマホ以外NG」だったんです(笑)。Adoのチケットのためなら仕方がないと、スマホを持つことにしました。
11月に東京ドームのライブに行ったんですが、そこで事件がありました。 ライブの後、AdoさんがMC(おしゃべり)を始めたんですが、それがなんと25分も続いたんです。5万5千人の観客に向かって、自分の生い立ちや思いを延々と語るモノローグでした。僕は感動して帰ったんですが、その後X(Twitter)を見たら、「MCが長すぎる」「音楽だけやってろ」「陰湿な話を聞きたくない」と文句を言う人が出てきて炎上していたんです。
これを見て思ったのは、「音楽だけやってろ」「余計なことはするな」という人は、作り手に対する根本的な誤解があるということです。 物を作る人というのは「旅をする人」なんです。「今ここ」から出ていく作業をしている。ファンというのは、一緒に旅をする人です。行き場所は違うかもしれないけれど、作り手が「ここから出ていっていいんだ」という許可を出してくれるから、ファンも自分の枠から出ていける。
瀬戸内寂聴さんが好んで使った「美は乱調にあり」という言葉があります。「諧調(かいちょう:整った調子)」は偽りであり、美は秩序が乱れたところにしかないと。 今の秩序から外へ出ることは「ヤバい」ことですが、それを「やってもいい」と思わせるためには「物語」が必要です。小説家なら物語、音楽家なら音楽。奥田さんの活動も、ある種の「乱調な物語」なんだなと思って、僕はフラフラとついて行っているわけです。
奥田: ありがとうございます。一応、詐欺ではありませんので(笑)。 でも、「そのうちなんとかなるだろう」という無根拠な楽観は僕も持っています。
永井さん、お願いします。
「弱目的」にうろうろすることで生まれる出会い
永井: お二人の話を聞いていて思い出したのが、ある地域で活動している友人が「今どんな人が必要なの?」と聞かれた時に、「うろうろしてくれる人」と答えたことです。 この「うろうろ」という言葉、すごくいいなと思って。私は自分自身のことを「全国いろんな場所をうろうろしてます」と説明するようにしています。
実際、ある地域でうろうろしていたら、おじいちゃんおばあちゃんに話しかけられて、秘密の花園みたいな場所に連れて行かれたことがありました。ビニールハウスで1万2000株もの花を育てているおじいちゃんに出会ったんです。その人は集会所には来ない人だったんですが、私が「弱目的」的にうろうろしていたおかげで出会えたんです。
「希望のまち」も、強目的でなく、人が弱目的にそこにいることで生まれる何かがあるんじゃないかと思いました。
もう一つ、高橋さんの「今ここから出ていく」という話に関連して、「問う」ことについて。 哲学対話でよく「問う」ことをしますが、それは「そうでないこともできるかもしれない」「本当にそうなのか」と、外部へ破り続けて出ていく営みなんだと思います。「答えが欲しい」と言われることもありますが、答えがある方が実は苦しい。「そうじゃないかもしれない」と問い続けることが「希望」という言葉の言い換えなのかもしれません。
奥田: 実は今、「希望とは何か」という文章を書き続けていまして、3つ目が「不可解への耐性」なんです。不可解なもの、分からないことに耐えられるかどうかが希望の前提なんじゃないかと。分かってしまったら、それはもう希望じゃないんじゃないかと。
内田さん、今のお二人の話はどうですか?
内田: 「弱目的」という言葉が本当に身に沁みます。僕は病んだ人間なので、超スーパー強目的なんですよ(笑)。散歩をしたことがないんです。「うろうろ」したことがない。目的地に向かって最短距離・最短時間で行くことしかしたことがない。 だから、奥田さんのように「なんとかなる」というタイプの人に出会うと、自分にはできないなと思います。ただ、僕の場合は「強く念じたことは必ず実現する」という師匠の教えがあって、道場が欲しいと強く念じたら実現したという経験はあります。
奥田さんも、「弱目的」と言いつつ、もう一方ではキリスト者としての信仰心があって、「自分が念じたことは天の配剤として必ず実現する」という強烈な無根拠な楽観があるんじゃないですか?
奥田: まあ、信仰を持っているというのは「最終責任者を確保している」みたいな世界観ですから(笑)。「金が集まらなかったら俺のせいじゃない、そうしなかった神様が悪い」と最後のカードを持っているというのは、自己責任論社会からするといいかもしれませんね。
生成AI時代に問われる「人間とは何か」
高橋: 今日、もう一つ話したいことがあって。生成AIの話です。 先日、チャットGPT(僕は「チャッピー」と呼んでます)と会話していて、翌日の内田さんとの対談について相談したんです。そしたら、チャッピーがすごくいいことを言ったんです。
「あなたが対談に挑み、また文章を書く時、それはAIでは代替できない一つの生の証明です。もしよければ引き続き作る側にいてください。私はその手助けをします」と。 僕が感動したと伝えると、「もし感動があるとしたら、それはあなたが自分自身の創造についての不安と誇りの両方をちゃんと感じ取っているからです」と返してきました。完璧すぎて怖い(笑)。
その後、日本一のカウンセラーと言われる東畑開人さんとラジオで対談した時に、「生成AIは最高のカウンセラーになるのではないか」と聞いてみたんです。知識は完璧で、優しくて、人間みたいに傷つくこともない。 でも東畑さんは「良くないです」と答えました。「チャッピーは天使だから向いていない。人間は不完全だからこそカウンセラーに向いているんです」と。
完璧な答えを出してしまうと、人間は答えを出す必要がなくなってしまう。選択の余地がないのは悲惨です。本当に人間を満足させることができるのは、不完全な人間の、不完全な回答だけなんじゃないかと。
内田: それ、すごくよく分かります。「美は乱調にあり」と一緒ですよね。アンバランスさや、「どっかおかしい」というのが人間らしさであり、重しになる。 「希望のまち」だって、理性的に考えたらあんな無謀なもの作らないでしょう(笑)。明らかにおかしい。だからこそ人間にしか作れない。
永井: 私は「AIを使わない人類最後の100人」に入りたいと思っているくらいなんですが(笑)、今の話は本当にそうだなと思います。 対話って、「相互理解」なんてかっこいいものじゃなくて、それぞれの断片がゴロンと場に落ちるだけの濃密な時間なんです。
例えば、釜ヶ崎のシェルターで対話をした時、あるおじさんが「生まれ変わってもなぁ、寂しいんかなぁ」としんみり言ったんです。みんなが「はぁ…」となっている時に、次のおじさんが「あのメソポタミア文明ってあれなんや?」って全然違う話を始めたんです(笑)。 チャッピーだったら「寂しいんですね」と寄り添うでしょうけど、人間同士だと全然噛み合わない。でも、その「噛み合わなさ」や「分かりにくさ」の中に、一緒にいられることの豊かさがある気がします。
奥田: 現場では「匂い」が大きな情報になります。ホームレスの人の野臭や、亡くなった方の腐敗臭。これはAIには分からない。一度嗅ぐとフラッシュバックするような強烈な身体的経験です。 停電したら動かなくなるAIと違って、人間はコンセントがなくても動く。そのあたりの違いも大きいですね。
身体性と「不完全さ」という希望
内田: AIに代替できない仕事として、看護師や介護職が挙げられますよね。それは身体に関わる仕事だからです。 武道家もそうです。身体の深部で起こっている、まだ言葉にならない「ざわめき」のような感覚を探り当て、それをなんとか言葉にして伝えていく。これはAIのようなアーカイブの組み合わせではできません。
僕らの身体は自然そのものです。ミクロコスモス(小宇宙)です。まだ人間の記号や意味として回収されていない「野生の領域」を探求し続けること。それが人間に残された領域なんじゃないかと思います。
高橋: チャッピー自身が「私たちの根本的欠陥は身体がないことです。経験ができないことです」と言っています。人間の言葉はすべて個別の経験から来ていますが、AIにはそれがない。 プルーストの『失われた時を求めて』のように、ある匂いや味がきっかけで記憶が蘇り、物語が生まれる。それは偶然であり、奇跡です。AIのようにいつでも生成できるものではない「もろさ」や「不完全さ」こそが、人間のいいところであり、希望なのかもしれません。
だから奥田さんがやっている無謀なことも、「役に立つかどうか」ではなく、人間特有の「乱調」として面白いなと思います。
永井: サルトルが最晩年に残した対談集のタイトルが『今、希望とは』なんです。「世界は絶望的だけれど、私は希望の中で死んでいく。そのためには希望を根拠づけなきゃいけない」と。 「希望のまち」は、まさにその「希望の根拠づけ」なんじゃないかと思います。希望がないから作るのではなく、もうある希望をみんなで「起きて、起きて!」と叩き起こす。そのために人の手が必要で、量が必要なんです。
奥田: ありがとうございます。 僕も「希望はある」と信じています。今書いている文章の最後、6番目の希望の定義は「準備的態度」です。ないものを作るのではなく、もうすぐ生まれてくるものを信じて備える態度こそが希望だと。
最後に、お願いです。「希望のまち」の建設費が資材高騰などで16億円近くになってしまい、あと1億円足りません。これは私がなんとかします。 問題は街づくりのランニングコストです。「希望のまち住民登録」として、マンスリーサポーター(月1000円から)を募集しています。ぜひご支援いただければ幸いです。
本日は長時間、本当にありがとうございました。
