鉄道高架事業による巨大開発と自治体財政 ―静岡県沼津市の事例検証(要約)
川瀬憲子(2022)「鉄道高架事業による巨大開発と自治体財政 ―静岡県沼津市の事例検証」『経済研究(静岡大学)』27巻2号, pp. 55-82. https://doi.org/10.14945/00029202
【はじめに:論文の目的と背景】
- 目的: 沼津市の鉄道高架事業を事例に、大規模公共事業と自治体財政の関係や問題点を明らかにする。
- 背景: 日本の自治体財政はかつての「土建国家型」から変化しつつあるが、依然として事業規模が巨大化し、地方債の累積による財政逼迫を招くケースが存在する。
- 事例の規模: 沼津市鉄道高架事業は総事業費約1,995億円(2021年現在)にのぼる巨大プロジェクト。環境保全やSDGsの観点からも見直しが求められている。
Ⅰ. 沼津市の地域経済と鉄道高架事業の展開
- まちづくりの課題
沼津市は1960年代に住民運動でコンビナート誘致を阻止した歴史を持つ工業都市です。人口は1995年をピークに減少(約19.1万人)しており、現在は右肩上がりの成長ではなく、成熟都市としての「質」を重視した地域づくりが求められています。しかし行政は、駅周辺の衰退(コロナ禍でさらに加速)を打破するため、旧態依然とした巨大開発事業を推進しています。
- 事業の経緯(市民の声の軽視)
- 1985年〜: 議論開始。1994年に国庫補助が採択されるが「3カ所以上の立体交差、連続踏切の同時解消」という国の基準が事業の巨大化を招きました。
- 2002年: 市民側から、工期も予算も5分の1で済む**「橋上駅案」**が提案されるも、見直されることなく原案通り推進されました。
- 2005年: 住民投票条例制定を求める5万5,758筆の署名が集まるも、市議会で否決されました。
- 事業計画の概要と住民負担
- 全体規模: 総事業費は約1,995億円。そのうち「鉄道高架事業本体」は約787億円(国48%、県24%、市24%の負担)で、2035年までの長期間を要します。
- 進捗と強権的対応: 2021年時点で事業費ベースの進捗率はわずか6.0%。同年には行政代執行による土地の強制収用も実施されました。
- 不平等な区画整理: 車両基地等の移転に伴う区画整理では、住民の土地面積が大きく減らされる(減歩率が平均4割に達する地域も)一方で、JR東海の敷地は全く減らされないという不平等が生じています。
Ⅱ. 沼津市財政構造の分析
- 予算の特徴(土木費突出型予算)
2021年度予算(約711億円)を見ると、**土木費が14.5%**を占めています。他自治体の平均(約10%)と比べても明らかに「土木費突出型」です。そのしわ寄せとして、教育費(8.9%)や商工費が極端に低く抑えられています。
- 歳出・歳入構造の悪化
- 歳出: 人件費は非正規化や民間委託(物件費の増加)で抑制されている一方、少子高齢化で福祉関連の「扶助費」が増加。加えて、高水準な投資的経費(公共事業)による地方債の返済(公債費)が財政を硬直化させています。
- 歳入: 地方税収が減少傾向にあり、自主財源比率は53%まで低下。足りない分を補うため、**毎年多額の地方債(借金)**を発行しており、特に土木債と臨時財政対策債(赤字国債に相当)が大きな割合を占めています。
- 市の長期財政試算が抱える「3つの問題点」
市は今後30年間の財政試算を行っていますが、以下の危険性が指摘されています。
- 長期的な財政難の恐れ: 鉄道高架事業の借金返済により、市の貯金にあたる「財政調整基金」が2042年度まで20年以上にわたり減少し続ける試算となっており、災害等への備えが極めて脆弱です。
- 市民サービスの削減: 財政難を回避するため、都市インフラ(道路等)を優先し、市民生活に不可欠な公共施設(学校、保育、市営住宅など)を最大2割削減する計画が前提となっています。
- 交付税措置への過信: 国からの地方交付税措置(借金返済の国からの補填)をあてにしていますが、これは全額が確実に保障される性質のものではなく、最終的に市民の負担(増税や公共料金値上げ)に跳ね返るリスクがあります。
- 費用便益分析(B/C)の再評価
市側は事業の費用便益比(B/C)を1.0以上(利益が上回る)としていますが、土居英二名誉教授の試算によれば、区画整理事業や関連道路整備費などの「隠れたコスト」を合算した場合、総費用は約1,447億円に膨らみます。その結果、**費用便益比は「0.816」**となり、**得られる便益よりも投じる費用の方がはるかに大きい(赤字事業である)**ことが実証されています。
Ⅲ 沼津市民アンケート分析-コロナ禍の移動について
本節では、コロナ禍における市民の移動実態とニーズを把握するため、筆者(川瀬)の研究室が独自に実施したアンケートの分析結果をまとめています。
- アンケートの概要と回答者の属性
- 調査対象: 沼津市在住の18歳以上の男女(選挙人名簿から無作為抽出)
- 実施時期・方法: 2021年7月に郵送法にて実施
- 回収結果: 配布1,000票に対し、有効回答347票(回収率34.7%)
- 回答者の属性:
- 性別・年代: 女性(56%)、男性(43%)。年代は60代以上(55%)が最多ですが、働き盛りである40〜50代(31%)からも一定の回答を得ています。
- 居住地: 市内全10地区すべてから回答があり、本問題への市民の関心の高さが窺えます。
- 職業: 正社員・非正規雇用を合わせた「労働者」が半数以上(47%)を占め、次いで年金生活者(25%)となっています。市の実際の人口構成と比べても、概ね代表性を備えたデータといえます。
- コロナ禍での外出機会の変化
- 外出機会の減少: 1年前と比べ、通勤・通学以外の外出機会が**「減っている」と答えた人が83%**に上りました。
- 控えている外出の内容: 「趣味や旅行(211人)」「外食・会食(206人)」「友人らとのつき合い(198人)」が上位を占めました。一方で、生活必需品の買物については大きな変化は見られませんでした。
- 主な交通手段と移動への抵抗感
- 交通手段: **「自家用車・バイク」が72%**と圧倒的ですが、「徒歩・自転車(18%)」「バス・電車(10%)」を合わせると約3割になります。車社会とはいえ、交通弱者のための公共交通機関が依然として不可欠であることがわかります。
- 移動への抵抗感: PCR検査やワクチン接種といった必要な移動でさえ、「少し気になる」「抵抗がある」と答えた人が半数近く(47%)に上りました。
- 中心市街地への移動と魅力の低下
2021年8月の大型店(イトーヨーカドー)閉店に伴う中心部への移動の変化を尋ねたところ、衝撃的な結果が出ました。
- **「もともと中心部に行かないので回数は変わらない」が47%**を占めました。
- 「大型店がなくなっても回数は変わらない(23%)」「回数は減りそうだ(26%)」
- 考察: 市民の半数近くが日常的に中心部を利用しておらず、街の魅力が喪失しつつある現状が浮き彫りになりました。巨大開発よりも、商店街を含めた中心市街地再生へのソフト面の取り組みが急務です。
- 交通渋滞と道路整備の優先度(事業計画とのズレ)
日常的な交通渋滞の解消が望まれる道路について尋ねた結果、行政の計画と市民ニーズの大きなズレが明らかになりました。
| 市民が渋滞解消を望む道路(上位3路線) | 特徴 |
| 1位: 国道1号線(沼津バイパス) | 東西方向の主要幹線道路 |
| 2位: 国道414号線(旧キャッスルホテル前交差点から東へ) | 東西方向の道路 |
| 3位: 国道414号線(旧キャッスルホテル前交差点から狩野川まで) | 南北〜東西への結節点 |
- 考察: 市民は国道1号線や414号線など**「東西方向」の渋滞解消**を強く望んでいます。一方で、県や市が鉄道高架事業の対象として重要視している「のぼり道」や「リコー通り」の優先度は低い結果となりました。
- 13カ所の踏切解消や立体交差を名目とした巨大事業は、市民の生活実感と乖離しています。また、閑静な住宅街(富士見町)に幅27メートルの巨大道路や地下道を通す計画も、高齢化が進む生活者の視点から再考すべきです。
おわりに(結論)
本稿では、沼津市の鉄道高架事業・駅周辺整備事業が市財政に与える影響と、市民アンケートに基づく移動実態を検証してきました。結論として、以下の点が指摘できます。
- 時代遅れの巨大開発: 総事業費1,995億円にのぼる本事業は、1985年のバブル期以前に計画されたものです。人口減少や少子高齢化が進行した現在、事業費も当初から1.3倍に膨らむ見通しであり、市財政への打撃は計り知れません。
- 今なら引き返せる: 高架の本体工事は県主体ですが、2021年時点での執行率はまだ6%程度です。駅周辺の開発ですでに多額の市債(借金)を発行している現状を鑑みれば、本体工事が本格化する前に、今後20年も開発を続ける意義があるのか住民と再考するべきです。
- 市民提案という選択肢: かつて市民から、工期も財源も5分の1で済む**「橋上駅案」**が提案されました。これを再び選択肢に含める余地は十分にあります。
沼津市はいま、環境破壊型の巨大公共事業から脱却し、市民の福祉向上や商店街の再生といった、アメニティを重視した**「サステナブルな地域づくり」**へと政策と財政の舵を切ることが強く求められています。
鉄道高架事業による巨大開発と自治体財政 : 静岡県沼津市の事例検証 メタデータ 言語: Japanese 出版者: 静岡大学人文社会科学部 公開日: 2022-12-05 キーワード (Ja): キーワード (En): 作成者: 川瀬憲子 メールアドレス: URL 所属:
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経済研究27巻2号 静岡大学人文社会科学部 川瀬憲子
