弥富市教育大綱(令和6年度~10年度)弥富市教育大綱 (PDF 383.7KB)![]()
~「美辞麗句」の羅列による、思考停止と現状追認の宣言書~
- 時代錯誤で具体性を欠く「知・徳・体」
冒頭の目指す姿が「知・徳・体」という、明治以来の伝統的かつ手垢のついたスローガンで構成されています。
- 批判点: 「生きる力」や「知・徳・体」は、文部科学省が何十年も前から使っている言葉であり、それをそのまま書き写したに過ぎません。令和の時代、予測困難な社会において、弥富市のこどもたちに具体的にどのような力をつけさせたいのか(例えば、防災意識、多文化共生、批判的思考力など)、市長独自の哲学や地域特性が完全に欠落しています。
- 「地域課題」からの逃避(具体的施策の欠如)
大綱は「その地域の実情に応じ」て策定することが法律で求められていますが、弥富市の抱える「実情」が全く反映されていません。
- 多文化共生の欠落: 弥富市は外国籍住民が多い地域ですが、大綱には「多文化共生」「日本語指導」「ルーツの尊重」といった視点が希薄です。「グローバル化に対応」という定型句だけで片付けられています。
- 学校統廃合・再編への言及なし: 市は学校再編(よつば小など)を進めようとしていますが、それがこどもの教育環境にどう寄与するのか、統廃合に伴うケアをどうするのかという視点がありません。
- インクルーシブ教育の浅さ: 「一人一人が輝き」とはありますが、不登校児や特別な支援を要する児童への具体的な包摂(インクルージョン)の意志が見えません。「悩み事を相談できる体制」という対症療法的な記述に留まっています。
- 「開かれた学校」という言葉の矛盾
基本理念に「地域に信頼される開かれた学校を実現」とありますが、市政の実態と矛盾しています。
- 批判点: 市長自身が市民説明会で対話を拒絶し、情報を隠蔽する姿勢を見せている中で、「学校は開かれよ」と説くのは二重基準(ダブルスタンダード)です。学校現場に対してのみ「開かれろ」と強いても、トップ(設置者)が閉鎖的であれば、現場は萎縮し、防衛的にならざるを得ません。
- 評価指標(KPI)の不在とPDCAの放棄
5年間の計画であるにもかかわらず、具体的な数値目標や達成度を測る指標がありません。
- 批判点: 「努めます」「図ります」「進めます」という努力目標の語尾ばかりで、「5年後にどうなっていれば成功なのか」が不明確です。これでは5年後、何も達成できていなくても「頑張りました」で済まされてしまいます。これは財政運営における「1億円の行革効果」という曖昧な目標設定と同じ構図であり、責任回避の体質が表れています。
- 「ハコモノ」と「管理」への偏重
学校教育の充実の項目で「環境整備」や「相談体制」が挙げられていますが、これらは「ハコ(施設)」や「枠組み(制度)」の話です。
- 批判点: 最も重要な「人(教員)」への投資や、教員の多忙化解消、質の向上についての言及が弱いです。また、青少年の健全育成において「見守り」や「補導」といった管理的な視点が強く、こどもの「権利」や「主体性」を真に尊重する姿勢が見えにくい内容です。
- 策定プロセスの形骸化(総合教育会議の儀式化)
末尾に関係法令(地方教育行政法)が引用されていますが、第1条の3第2項にある「総合教育会議において協議」が、弥富市において実質的な議論の場となっているか極めて疑わしいです。
- 批判点: おそらく事務局(教育委員会事務局)が作成した案を、市長と教育委員がシャンシャンで承認しただけの「儀式」を経て作られたものでしょう。市民や現場の教員、保護者の切実な声が反映された形跡がありません。
【総合評価】
この教育大綱は、「法律で決まっているから作っただけの、魂の入っていない文書」です。
弥富市が直面している「財政危機」「多様化する住民」「学校再編」といった重要課題に対して、教育という側面からどうアプローチするのかという「戦略」が皆無です。 「心豊かで文化を育む」といった耳障りの良い抽象論に終始することで、具体的な課題から目を逸らし、責任を負わないように作られた「無難かつ無責任」な大綱であると評価します。
本来あるべき大綱は、例えば:
- 「海抜ゼロメートル地帯で生き抜く、主体的な防災力を育む」
- 「国籍や障害の有無に関わらず、誰もが同じ教室で学び合うインクルーシブ教育を推進する」
- 「学校を地域のコミュニティ核として再定義する」 といった、弥富市ならではの尖ったビジョンであるべきでした。
