昭和100年の大晦日に寄せて:人間の「品格」と祈りの本質
2025年12月31日
今日は2025年、昭和から数えてちょうど100年という節目の大晦日です。 ニュースレターを書きながら、偶然にも「アメリカの宗教観」と「日本のお遍路文化」という二つの話題に触れ、それらが私の中で一本の線でつながりました。
戦後80年、そして昭和100年というこの日に、改めて「人間の品格」とは何かを考えてみたいと思います。
アメリカという国と「宗教的な品格」
YouTubeで日本記者クラブの会見を見ていたときのことです。テーマは「トランプ2.0」。加藤喜之・立教大学教授のお話が非常に印象的でした。
アメリカという国は、元々ヨーロッパ大陸で宗教的な迫害を受けたピューリタンたちが、逃れるようにして新大陸を目指したところから始まっています。彼らは新天地で、かつての自分たちと同じように逃れてきた移住者――つまり難民を助けることを建国の精神としました。
特定の宗派(プロテスタントやカトリックなど)にとらわれず、困っている移住者を助けること。それがアメリカの「国家の意味」であり、**「宗教的な品格」**の原点だというのです。
以前、こんな話を聞いたことがあります。 私たち日本人は「無宗教です」と言いながら、初詣に行き、クリスマスを祝い、仏式で葬儀を行いますが、欧米を訪問して安易に「私は無神論者(Atheist)です」と言うのは避けたほうがいい、と。 彼らにとって「神を信じない」と公言することは、「自分さえ良ければいい」という単なる物欲の塊、あるいは道徳的指針を持たない「危ない人」だと見なされかねないからです。
どういう神様を信じるかは別として、「自分を超えた神的なもの」を信じていること自体が、人間の信頼や品格の担保になっているのです。
「お接待」に見る、日本人の精神性
一方で、日本の精神性についてはどうでしょうか。 昭和50年(1975年)にNHK『新日本紀行』で放送され、2023年に『よみがえる新日本紀行』として再放送された番組を見て、強く心を動かされました。
舞台は和歌山県の有田。「三宝柑(さんぽうかん)」という特産のみかんの産地です。 ここは高野山への入り口であり、弘法大師信仰の篤い地域です。かつては春のお遍路シーズンになると、地元の人々が漁船で徳島へ渡り、お遍路さんたちに「お接待」をしていました。三宝柑と、お賽銭用の10円玉を手渡すのです。
なぜ、そんなことをするのか。 それを聞くのは野暮というものでしょう。これこそが、日本人の**「品格」**なのだと思います。
現代風に言えば、お遍路さんは地域に経済的利益をもたらすわけではありません。基本的に「出しっぱなし」の利他。ギバー(Giver)の精神です。 番組では、仕事に悩んでお遍路に出た看護師さんが、このお接待に救われ、以来毎年関東からこの地を訪れているというエピソードが紹介されていました。また、地元の方々も「何かやらないと落ち着かない」と言います。理屈ではなく、それが彼らの生活の一部、精神の安定になっているのです。
これは、かつて細川護熙氏、岩國 哲人氏らが提唱した「鄙(ひな)の論理」にも通じる、地方自治や集落の原点かもしれません。経済合理性や「互譲(互いに譲り合う)」を超えた、見返りを求めない純粋な贈与の精神です。
「祈り」とは願いを叶えることではない
宗教や信仰について考えるとき、私たちはつい「ご利益」を求めがちです。 しかし、本来の祈りとは「神様にお願いをする」ことではないはずです。
- うまくいっているなら、そのことを感謝する。
- うまくいっていなくても、とりあえず生きていられることを感謝する。
願いを叶えるのは神様ではなく、自分自身の努力や、周囲の社会の助けです。 宗教的な空間や時間(初詣や礼拝)の真の意味は、「自分のわがままや傲慢さを反省する場」を持つことにあります。手を合わせ、自分を超えた大きな存在に向き合うとき、私たちは「自分一人で生きているのではない」という謙虚さを取り戻すことができるのです。
「恩送り」という品格
アメリカの建国の歴史に戻れば、最初の冬、寒さと飢えに苦しむ入植者たちを助けたのは、ネイティブ・アメリカンの人々でした。 入植者たちはその恩を、残念ながら後に迫害という形で返してしまいましたが、本来あるべき姿は**「受けた恩を次の世代へ送る(Pay it forward)」**ことでしょう。 親から受けた恩を子へ返すように、先輩から受けた恩を後輩へ返す。お遍路の接待も、過去に誰かから受けた優しさを、見知らぬ巡礼者へ送っているのかもしれません。
昭和100年のその先に
今、「アメリカ・ファースト」や「日本ファースト」といった言葉が聞かれます。 しかし、その「ファースト」の中身が、排他的で品格を欠いたものであってはなりません。
私は政教分離論者であり、宗教が政治や社会システムを直接動かすべきではないと考えています。しかし、特定の宗派や教団の利益のためではなく、「人間の品格」としての宗教心――他者を思いやり、自身の無力を自覚し、感謝する心――は、今の時代にこそ必要ではないでしょうか。
経済的に苦しい時代だからこそ、心まで貧しくなってはいけない。 どのような神様でも、どのような形式でも構いません。この大晦日、静かに手を合わせ、自分自身を省みる時間を持つこと。それが、昭和から100年、戦後80年を経た私たちが、次の時代へつなぐべき「品格」なのかもしれません。
「トランプ2.0」と政治神学の危機:福音派・キリスト教ナショナリズムの深層
立教大学教授 加藤喜之(2025.12.23 日本記者クラブ講演より)
以下 要約です
- はじめに:なぜ今、アメリカの宗教を語るのか
本日は、私の近著『福音派――終末論に引き裂かれるアメリカ社会』の内容をベースに、第2次トランプ政権(トランプ2.0)を支える宗教的基盤についてお話しします。
私は元々、スピノザなど17~18世紀の思想史を専門としていますが、近年は「政治と宗教」の関係、特に現代アメリカにおけるキリスト教ナショナリズムの台頭に関心を持っています。2025年のトランプ再選、そして副大統領J.D.バンスや、若手保守のカリスマであるチャーリー・カーク(2025年9月に暗殺)といった人物の背後にある宗教的論理を読み解く鍵は、「政治神学」にあります。
- 「政治神学」と「政治非神学」
政治神学とは何か
カール・シュミットが広めた概念で、宗教的・神学的な概念がどのように政治体制を正当化しているかを分析するものです。
近代社会は本来、政教分離(世俗化)を目指しました。私はこれを「政治非神学(Political A-theology)」と呼びたいと思います。特定の宗教的権威を否定し、信教の自由や多様性を認めるための政治的な知恵です。スピノザやロック、そしてアメリカ建国の父たちが目指したのも、この「政治非神学」による統治でした。
現代の危機
しかし今、アメリカでは再び「特定の政治神学」が政治を支配しようとしています。これを象徴するのが、J.D.バンス副大統領の言葉です。
「我々は常にキリスト教国家であり続けるだろう。(中略)キリスト教こそがアメリカの信条なのだ」
これは単なる信仰告白ではなく、アメリカを「再キリスト教化」し、MAGA(Make America Great Again)運動を強固にするための政治的プロジェクトです。
- アメリカ史における宗教と政治の揺らぎ
アメリカは「信教の自由」を掲げる一方で、歴史的にはプロテスタントが支配的な「キリスト教国」としての側面を持ち続けてきました。
- 建国期: 憲法修正第1条で国教樹立を禁止(政教分離)。しかし、各州レベルや文化的にはプロテスタントの影響が色濃く残る。
- 1950年代(冷戦期): 反共産主義のために宗教を利用。アイゼンハワー大統領の下、「In God We Trust」が紙幣に入り、国民の多くが教会へ回帰した(市民宗教の時代)。
- 1960年代(カウンターカルチャー): 公民権運動、フェミニズム、反戦運動など「文化的リベラリズム」が台頭。映画『イージー・ライダー』が描いたように、南部の保守層はこれに強い危機感を抱いた。
- 1970年代以降(宗教右派の台頭): カウンターカルチャーへの反動として、福音派が政治勢力化。「古き良きアメリカを取り戻す」という運動が始まる。
- トランプ2.0と「キリスト教ナショナリズム」
少数派による革命
オバマ政権を経て、アメリカ社会の世俗化・多様化は進みました。白人キリスト教徒はもはや人口の過半数を割っています。しかし、だからこそ彼らは焦り、過激化しています。
現在の動きは、「社会の世俗化に対する、少数派(マイノリティ)による組織的な政治プロジェクト(革命)」です。 彼らが掲げるのが「7つの山(Seven Mountains)」への命令です。以下の7つの領域をキリスト教的価値観で支配しようとしています。
- 教育
- 家庭
- 政府
- ビジネス
- メディア
- エンターテインメント
- 宗教
政権中枢の「政治神学」
第2次トランプ政権の主要ポストは、こうした思想を持つ人々で占められています。
- マルコ・ルビオ(国務長官)、J.D.バンス(副大統領): 保守的カトリック。
- ピート・ヘグセス(国防長官): 福音派・カルヴァン主義。
- マイク・ジョンソン(下院議長): ペンテコステ派。
- ラッセル・ボート(行政管理予算局長): キリスト教ナショナリスト。
彼らは、連邦政府内から「反キリスト教的な偏見(=リベラルな多様性主義)」を一掃しようとしています。
- 危機をどう乗り越えるか
この「政治神学的な危機」に対して、単に「宗教を排除せよ(徹底した世俗主義)」と唱えるだけでは不十分であり、逆効果かもしれません。
必要なのは、キリスト教や伝統の中にある「他者を包摂するための論理(政治非神学)」を再発見することです。 例えば、トランプの移民排斥に対し、宗教界からは「聖書は寄留者(移民)を歓迎せよと教えている」という反論が出ています。宗教が持つ「愛」や「寛容」の精神をもって、排他的なナショナリズムに対抗していく対話が必要です。
質疑応答(要約)
Q1. キリスト教ナショナリストは少数派なのか? なぜ今「革命」なのか?
- 世論調査では、強硬なキリスト教国家化を望むのは多くても3〜4割です。しかし、第1次政権と違い、今回は周到な準備(プロジェクト2025など)があります。行政機構の中に思想を浸透させる「制度化」が進んでおり、これが今回の「革命」の正体です。また、経済格差に苦しむ層にとって、「信じれば物質的にも祝福される(繁栄の神学)」という教えと、トランプの成功イメージが結びつき、強力な支持基盤となっています。
Q2. 「ポスト・トランプ」はどうなる? 統一教会との関係は?
- J.D.バンスやルビオらが後継候補ですが、トランプほどの求心力を維持できるかは未知数です。ただ、今の行政改革がシステムとして定着すれば、誰がトップでも「キリスト教ナショナリズム」的な路線は続くでしょう。 統一教会については、神学的には異端ですが、「反共産主義」「伝統的家族観の擁護(反LGBTなど)」という点で、米国の宗教右派と長年協力関係にあります。「敵(リベラル)の敵は味方」という論理です。
Q3. イスラム教への態度は? 国際秩序はどうなる?
- 福音派の基層には強い反イスラム感情がありますが、外交・ビジネス(サウジとの関係など)においては現実主義を取ります。トランプ政権は「西半球(南北アメリカ)」を重視し、中国やロシアの影響力を排除する方向ですが、支持基盤の福音派自体はそこまで外交に関心がなく、内政(文化戦争)を重視する傾向があります。
Q4. なぜ若者やカトリックが支持するのか?
- Z世代の若者が将来に希望を持てず、アイデンティティを求めて保守的な信仰に回帰する現象が起きています(特に男性)。チャーリー・カーク率いる「ターニングポイントUSA(TPUSA)」のような組織が、若者に資金とコミュニティを提供しています。カトリックについても、中絶やジェンダー問題で福音派と共闘しており、伝統的な価値観を求める層が合流しています。
Q5. シリコンバレー(テック富裕層)との関係は?
- ピーター・ティールやイーロン・マスクらは、必ずしも敬虔な信者ではありませんが、「西洋文明の擁護」「反ウォーク(行き過ぎたリベラル批判)」という文脈でキリスト教を重視しています。ビジネス上の利益と、文化的な保守思想が一致点で結びついています。
【結び】 私の揮毫(きごう)は「対話」です。暴力や金ではなく、言葉による対話を信じたい。分断が深まる今だからこそ、完全に分かり合えなくとも、対話のテーブルにつき続けることが重要だと考えています。
