【コラム】弥富市官製談合事件の深層
~「見ざる・聞かざる・言わざる」の風土が、この事件を生んだのではないか~
今回の官製談合事件。その根っこ、発信源はいったいどこにあるのでしょうか。 逮捕された職員や市長を責めるのは簡単です。しかし、私はあえて、その奥にある**「弥富という土地の風土」と、そこに住む「私たち自身の心」**に目を向けてみたいと思います。
1. 「稲作」の弥富と、「畑作・工業」の三河・尾張北部
少し歴史と地理の話をしましょう。愛知県には大きく分けて二つの文化があるように感じます。
一つは、三河や尾張北部(一宮など)の文化です。これらは元々、水田稲作だけでは成り立ちにくい土地柄もあり、古くから畑作や機織り(工業)で生きていく道を開拓してきました。畑作は「自分の畑で何をどう作るか」を自ら決める自立した経営であり、機織りから発展したモノづくりもまた、品質と価格で激しい競争を生き抜く世界です。豊田佐吉翁を生んだこの地域には、厳しい競争の中で「品質と価格で勝負する」という自立した個人主義が根付いています。だからこそ、情報の透明性や適正な競争は、彼らにとって「当たり前の生存戦略」なのです。
対して、ここ弥富(尾張南部)はどうでしょうか。木曽川の豊かな水と肥沃な濃尾平野に恵まれ、古くから素晴らしい水田稲作地帯として発展してきました。 水田稲作は、一人では決して成り立ちません。広大な土地と豊かな水を地域全体で分かち合い、上流から来る水をいつ、どの田んぼに配分するか。それは単なる個人戦ではなく、土地改良区などを中心とした高度な「組織力」と「緻密な合意形成」を必要とする、素晴らしい共同作業の歴史でもありました。
もちろん現在では、弥富にも認定農業者をはじめ、自らの知恵と力で道を切り拓く、自立した経営者としての農家の方々が数多くいらっしゃいます。時代に合わせて農業の形も逞しく進化しているのです。
しかし、政治や行政の風土はどうでしょうか。 かつて、生きるために不可欠だった「水を分け合い、地域の和を重んじ、全体でまとまる」という稲作由来の強固な共同体意識。その「和を乱さない」という美徳の悪い部分だけが、いつしか市役所や議会の中で「お上の決定には逆らわない」「波風を立てない」「長いものには巻かれろ」という「事なかれ主義」として固定化してしまったのではないでしょうか。
農家の方々が時代に合わせて自立した経営へと進化している一方で、行政や議会だけが、古い「ムラ社会」の閉鎖的な意思決定システムから抜け出せていない。これこそが、今の弥富市の停滞を生んでいる根底にあるのだと、私は感じています。
2. 「見ざる・聞かざる・言わざる」の代償
この「波風を立てない稲作農耕のメンタリティ」が、現代の行政や公共工事にも色濃く残っています。
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異常な入札制度の温存: 全国的には30年前に廃止された「指名競争入札(仲間内での受注)」が、弥富市ではいまだに温存されていました。
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変化を嫌う空気: ドラスティックな競争や改革を持ち込むリーダーよりも、「今までの体制(お仲間意識)」を守ってくれる守護神のようなリーダーが好まれる。
「陰ではみんな上手にやっているけど、しょうがないわな」 「自分一人が何か言っても変わらないだろう」
そうやって、私たち市民一人ひとりが**「見ざる・聞かざる・言わざる」**を決め込み、見て見ぬふりをしてきた結果が、今回の事件なのです。
3. ハインリッヒの法則:これは氷山の一角
「ハインリッヒの法則」をご存知でしょうか。1件の重大事故の裏には、29件の軽微な事故と、300件のヒヤリハット(予兆)があるという法則です。 今回の逮捕劇は、まさに氷山の一角です。 建設分野でこれだけのことが起きていたなら、福祉、サービス、その他の行政事務、あるいは地域の自治会や民間企業においても、似たような「なあなあ」の癒着や、「適正さを欠いた慣習」が潜んでいると考えるのが自然です。
逮捕された彼らは、勝手に悪事を働いたのではありません。 「歴代の市長や幹部、そして私たち市民全員が、彼らにそれをやらせてきた」 と言っても過言ではないのです。
4. 私たちは、どちらの道を行くのか
この事件を機に、弥富市は「みっともない街だ」と後ろ指を指されるかもしれません。「人の噂も七十五日」とやり過ごし、また元の「ぬるま湯」に戻ることもできるでしょう。
しかし、それではいつまで経っても、自立心と競争力を持つ三河や尾張北部に遅れを取り、「前時代的だ」と言われ続けるだけです。
容疑者を叩くだけで終わらせてはいけません。 市長も、職員も、そして私たち市民全員が、今一度自分の身近なところを点検し、「おかしいことはおかしい」と声を上げる。 「見て、聞いて、言う」 その意識改革なくして、この街の真の再生はありません。
私は、誤解や批判を恐れずに発言していきます。 皆さんはどちらを選びますか? 相変わらずの「見ざる・聞かざる・言わざる」か。それとも、しっかりと目を見開き、声を上げていくのか。 弥富の未来は、私たち一人ひとりの選択にかかっています。
