🕊️ 48年の情熱!弥富の「まちづくりレジェンド」三宮十五郎、信念の政治と遺したもの
26歳での初当選以来、トータル12期・48年間にわたり弥富のまちづくりに尽力した元弥富町・市議会議員、三宮十五郎氏の功績と哲学をたどります。
🤝 「助け合い」を原点に市民の困りごとを解決
三宮氏の活動は、地域の切実な問題解決から始まりました。
- 生活直結型の解決:水圧不足の水道修理や、生活排水で腐敗した農業用排水路のコンクリート改修など、住民の議論と総意に基づき、行政に町の予算で整備を実現させました。
- 住民意向の反映:昭和45年の都市計画決定では、当時の町長とともに、住民が集まり農地保全を重視した線引きを決定するなど、まちの将来を「皆さんで決める」姿勢を貫きました。
🚨 腐敗を許さない「チェック機能」と平和の推進
共産党と保守系議員が協力し、行政の不正を厳しく監視しました。
- 2度の100条委員会:町工事請負やゴミ収集汚職問題を調査し、8千万円の町費節約に成功。行政のチェック機能とコスト削減に大きく貢献しました。
- 平和都市宣言の守護者:平成10年に議決された「平和都市宣言」の制定を推進。市長が広島研修の廃止を求めた際には、「市民と行政の信頼関係を壊す」と働きかけ、その決定を取り下げさせました。
🏛️ 議会の劣化に抗い、透明化を推進
全国的な議員数の減少と議会の劣化に危機感を抱き、平成23年に「議会基本条例」の制定を推進。行政チェックと市民要望の実現を使命とし、YouTubeでの議会中継など、情報公開と透明化を推し進めました。
三宮氏の原点は、幼少期の満洲での体験から学んだ**「人は助け合って生きていくものだ」という哲学。その信念に基づき、生涯をかけて「みんなが安心して暮らせる社会」**の実現を目指しました。
偉大なまちづくりの先輩、三宮十五郎さんは2024年11月24日に逝去されました。その熱い志は、弥富の地方自治の原点として語り継がれていくでしょう。
📅 弥富市の知られざる政策史:住民・議会・行政の知られざる歴史(三宮十五郎氏の活動記録)
三宮十五郎氏の提供された情報を基に、弥富町の草創期から合併後の弥富市に至るまでの、主要な政策と住民運動の歴史を「生活基盤」「行政監視」「福祉・教育」の3つのテーマに分類し、分析します。
1.【生活基盤と住民負担の軽減】(初期の町民要望の実現)
この時期は、町民が直接困っている生活インフラの問題を、議員が行政に働きかけて解決し、町民負担を段階的に軽減していったプロセスが特徴です。
| 年代 | 政策・出来事 | 分析と意義 |
| 1967年 | 水道の水圧不足、赤サビ問題を公費で改善。 | (生活基盤の公費化):水道を最初に引いた住民負担の枠を超え、「行政の責任」として公費でインフラを維持管理する体制への転換。 |
| 1968年 | 道路舗装・側溝工事等の地元負担を5割から2割に引き下げ。 | (負担の軽減 I):高度成長期における公共事業費用の住民負担を大幅に軽減し、まちの整備を加速。 |
| 1968年 | 生活排水で腐敗した農業用排水路の改修に公費を支出(木の杭→コンクリート)。 | (公衆衛生の改善):生活排水と農業用水の分離や、排水路の機能維持を公費で担う基礎を確立。 |
| 1978年 | 防犯灯(白熱電球)を蛍光灯に切り替える3ヵ年計画。 | (安全・利便性の向上):切れやすく玉替えが大変だった防犯灯を改善。行政が「安全」を担う意識を強化。 |
| 1978年 | 道路・下水道等の地元負担を**20%から10%**に引き下げ。 | (負担の軽減 II):インフラ整備における町民負担をさらに半減。 |
| 1980年 | **防犯灯の地元負担廃止。**ほぼ全町に防犯灯設置。 | (生活インフラの完全公費化):防犯・安全に関わる設備を完全に町の責任とすることで、住民負担をゼロに。 |
| 1989年 | 道路、側溝、下水路などの地元負担全廃。 | (負担ゼロの実現):インフラ整備を完全に町の予算で賄う体制が確立。 |
| 2016年 | 防犯灯をLEDへリースで全面転換(5461灯)。事務事業の全てを自治会から引き上げ市の直営とする。 | (直営化による効率化):防犯灯の管理・運用責任を自治会から市へ移管し、自治会活動の負担を大幅に軽減。 |
2.【行政のチェックと透明化】(行政の規律と市民への情報開示)
このテーマは、行政の腐敗や独断的な運営に対し、議会が「100条委員会」や情報公開を通じて規律を求め、市民の政治参加を促した歴史です。
| 年代 | 政策・出来事 | 分析と意義 |
| 1969年 | 京都府城陽市などの開発指導要綱を町に提供し、ミニ開発を防止。 | (開発規制の導入):町政初期から無秩序な開発を抑制する規制の必要性を提起。 |
| 1970年 | 都市計画線引きを住民・議会で議論し決定(町長の「皆さんで決めてください」)。 | (住民参加型決定の成功例):町の方針であっても、暮らしに直結する重要案件は行政が決定を押し付けず、市民との対話と合意形成を重視した、模範的な事例。 |
| 1976年 | 町工事請負をめぐり、弥富町議会100条委員会が設置。事業発注を明文化。 | (初の行政監視強化):地方自治法に基づく強い調査権限を行使し、行政の運営に規律を導入。 |
| 1976年 | 決算議会で1年間の入札予定書と落札額を公表させる。 | (情報公開の進展):行政運営の透明性を高め、癒着を防ぐための具体的な手段を実行。 |
| 1988年 | ゴミ汚職で100条委員会。4年間で8,000万円を節約。 | (行政腐敗の是正):議会が行政の不正を摘発し、コスト削減という具体的な成果に繋げた、議会機能の力の見せ所。 |
| 2011年 | 議会基本条例を制定。議会の理念と役割を明記し、情報共有を推進。 | (議会機能の自己改革):議会の劣化という課題に対し、行政チェックと市民要望の反映を使命とする法的枠組みを構築。 |
| 2019年 | JR名鉄弥富駅橋上化事業、議会と市民が判断できる時期に情報公表することを約束させる。 | (情報公開の徹底):違約金が発生する協定締結後の公表を批判し、行政の都合ではなく「市民の判断」を優先する情報公開の原則を再確認させた。 |
3.【福祉・教育・子育て支援】(生活の質の向上と権利の拡大)
この時期は、町政の財政が安定する中で、子育て・福祉・医療といったソフト面での住民サービスが拡充し、住民の権利が保障される方向へ進みました。
| 年代 | 政策・出来事 | 分析と意義 |
| 1968年 | 栄南小学校のカラーテレビ問題で、過大な住民負担を今後行わないことを認めさせ、全校にテレビ導入。 | (教育機会の均等):学校後援会による寄付という名の住民負担を問題視し、教育環境整備を行政の責任とさせた。 |
| 1969年 | 海部郡内で1番高かった国民健康保険料を4年間値上げを止め、最終的に1番安くなる。 | (住民負担の是正):課税基準の間違いを指摘し、生活に直結する保険料の負担を軽減。 |
| 1977年 | 小中学校体育館を社会体育に無料開放。 | (公共施設の開放):地域住民の健康増進のため、学校施設の利用を促進。 |
| 1990年 | 中学生の頭髪自由化。 | (子どもの権利の尊重):生徒の自由と個性を尊重する教育環境への改善。 |
| 1993年 | 3歳未満児の医療費無料化の請願が可決。(最終的に2007年に中学校卒業まで無料化へ)。 | (子育て支援の先駆的拡大):全国的にも早い段階で乳幼児の医療費無償化を進め、子育て世帯の経済的負担を軽減。 |
| 1994年 | 総合福祉センターの建設を求める請願採択。(海部地域で唯一お風呂のある施設がなかった問題を解決)。 | (高齢者福祉の充実):町民の福祉ニーズに応え、総合的な福祉拠点ときんちゃんバス運行の基礎を築く。 |
| 1998年 | 平和都市宣言を議決。 | (まちの理念確立):平和を推進するまちとして、その後の広島研修(2011年開始)など平和教育の土台を築く。 |
| 2003年 | すべての保育室にエアコンを設置。 | (保育環境の改善):子どもの健康と安全のため、保育環境の質的向上を実現。 |
| 2018年 | 小中学校のすべての普通教室にエアコンを設置。早めの対応で2億3,000万円節約。 | (行政効率と環境整備):迅速な対応が、大幅なコスト削減と子どもの学習環境向上を両立。 |
| 2019年 | 市長が求めた中学2年生全員の広島研修廃止を取り下げさせる。 | (平和教育の堅持):市民と行政の信頼関係の土台である平和教育を、政治的な判断から守り抜いた。 |
まちづくりに関わってきた人たちに話を伺い、今後の市政へのヒントを探ります。
第1回 三宮十五郎(さんのみや とうごろう)さん
要約
三宮十五郎さんのプロフィール
- 生年: 昭和43(1968)年、26歳で共産党から弥富町議員に初当選。
- 議員歴: 12期、48年間にわたり弥富のまちづくりに関与。平成31(2019)年に引退し、現在は共産党の情報発信や地域活動に参加。
地域の課題解決
- 水道問題: 昭和42(1967)年に水道の水圧不足を解決するため、自治会役員として町に修理を要請。
- 農業用排水路: 生活排水による腐敗問題を解決するため、改修を提案し実現。
住民の意向を反映したまちづくり
- 昭和45(1970)年に市街化区域の線引きに関する住民議論が行われ、農地保全と市街化区域の決定がなされた。
100条委員会の設立
- 1976年と1988年に設立され、町工事請負やゴミ汚職問題を調査。コスト削減に成功。
平和都市宣言
- 平成10(1998)年に「平和都市宣言」を議決し、平和学習や広島研修を実施。市民との信頼関係を重視。
議会の劣化と基本条例
- 平成11年以降、議会の劣化を感じ、平成23(2011)年に議会基本条例を制定。市民との情報共有を推進。
安心して暮らせる社会の実現
- 幼少期の体験から「助け合い」の重要性を学び、議員活動に取り組む。妻の支えを受け、住み良い社会の実現を目指す。
訃報
- 三宮十五郎さんは2024年11月24日に逝去。まちづくりの先輩として感謝の意を表する。
プロフィール
昭和43(1968)年、26歳で共産党から弥富町議員に初当選。4年後の次の選挙では落選するものの、昭和51(1976)年に議員に返り咲き。以来、トータルで12期、48年間、議員として弥富のまちづくりに関わってきた。平成31(2019)年に引退。現在は、共産党の情報発信や地元の活動に携わっている。
地域の困りごとを町へ要請
三宮さんが旧鯏浦村「下の割」に引っ越してきたのは昭和42(1967)年。当時、地元では水道の水圧が低くてガス湯沸器が使えず、赤サビをガーゼで濾さないと使えないという問題に直面していた。当時の水道は最初に使う人がお金を出して水を引くという体制だったが、人口が急増し水圧が低くなったのだ。三宮さんは「これは行政の問題である」と、下の割自治会役員となって、町の予算で修理するよう働きかけ、解決に導いた。これが地元での最初の仕事である。
翌年に地元から推されて議員に立候補し、当選。次に取り組んだのが農業用排水路の問題だった。排水路は当時、木の杭(くい)と板柵で支えられていたが、生活排水が大量に流れ込むようになり腐ってきていたのだ。これを鯏浦地区に提案し、区の総意として改修を町に要請。町の予算でコンクリートの杭と板に改修させた。
このように当時は、集落の困りごとを町に要請するにも、集落で議論を重ね意思決定をし、データをまとめた上で行ってきたのである。同年、道路舗装や側溝工事なども、地元負担が5割だったものを2割に引き下げ、順番にまちの整備を進めていった。
住民の意向が反映された時代
昭和45(1970)年に弥富町では、ハードなまちづくりである区域割り(都市計画決定)を行った。そのプロセスとして、町が提案した市街化区域と調整区域の線引きに関し、当事者である住民や地元議員が集まり議論を尽くした。当時は農業や金魚養殖が盛んで、そこをどうするかという問題があったのだ。議論の結果、弥富学区は現在の西部下水以南を市街化区域とし以北は農地保全をすることに、桜学区は車新田が金魚養殖のために市街化区域に入らないことを決め、現在に至る。
当時の服部町長は、「これは町の方針ではあるが、皆さんの暮らしに直結することは皆さんで決めてください」と言って対応したという。
昭和43年からの1期目4年間は、ミニ乱開発防止の規制を要請したり、子どもの急増に対して初めての町立となる弥生保育所の新設を求めるなど、現在に繋がるまちの形をつくり上げていった時代でもある。
2回の100条委員会
佐藤町長時代に町議会に2回の100条委員会を立ち上げた(1976、1988年)。100条委員会とは、地方自治法100条に基づき、地方議会に設けられる調査委員会のこと。1度目は、町工事請負等をめぐるもので、町の諸事業発注を明文化することに繋がった。2度目は、ゴミ汚職問題について。3年分のゴミ収集委託料入札で予定価格の67%に下げさせ、当年度分を含む4年間で8千万円の町費を節約することができた。
これができたのは、共産党議員と保守系議員が協力して町政を正そうという姿勢があったからだと三宮さんは話す。
今につながる平和都市宣言のまち
平成5(1993)年、3歳未満児の医療費無料化の請願(H16年に中学卒業までに)、平成6(1994)年には総合福祉センターの建設を求める請願を可決した。弥富町は、お風呂のある福祉センターのない唯一の自治体だったのだ。こうして、平成8(1996)年に弥生児童館や多目的ホールなども併設した総合福祉センターが完成し、同時に福祉センター送迎バスとしてコミュニティーバス「きんちゃんバス」の運行も始まった。児童館はこの後も各地域に設置され、平成11(1999)年には弥富中学校の鉄筋校舎改築(海部地域で初めて)へ準備を始めた。
この頃は、福祉・子育て関係のソフトとハードの体制を徐々に整える中、平成10(1998)年には町議会で「平和都市宣言」を議決した。これは、現在の弥富市公式ウェブサイトの「弥富市の紹介」のトップで「平和都市宣言のまち」として紹介されている。そして平成23(2011)年には中学2年生全員の1泊2日広島研修や週2時間5カ月の平和学習も始まった。
しかし、これが危機を迎えたこともあった。現・安藤市長が突然、広島研修の廃止を求めたのだ。三宮さんは、市民や議会、市幹部に働きかけ、「市民と行政の信頼関係の土台を壊すことになり、やってはならないこと」と訴えて市長が取り下げることになった。
議会の劣化と議会基本条例
三宮さんは、平成11年の小渕内閣で自公連立政権となった頃から、国の政治や地方議会が変わっていったと感じている。さらに全国で市町村合併が進み、議員数が減って議会の劣化に拍車がかかった。
このような全国的風潮の中で、議会の理念や制度、市長・市民との関係を定めた「議会基本条例」を各自治体が制定する動きが出てきた。平成18(2006)年に合併した弥富市でも平成23(2011)年に議会基本条例を定め、議会の最大の使命は「行政のチェック機能と市民の要望を反映した政策の実現です」と明記している。これにより、定例議会をYouTubeで放映するなど、市民との情報共有を推進してきたが、残念ながらタウンミーティングは一部議員の反対で実現できていない。
どうやったらみんなが安心して暮らせるか
「みんなが安心して暮らせる社会」を目指し、議員活動を長年行ってきた三宮さん。その原点は幼い頃の満洲での体験にあった。
「私は高知県出身で3歳の頃、開拓団として満洲に行きました。ところが、父親はすぐに軍に招集されて、お袋と妹と私と3人が残って終戦を迎えたんです。ただ現地の人たちに助けられました。炭鉱があるところで冬越しをしたんですが、『子どもを寄越せば、石炭を運ぶ途中で落としてあげるから』と言われて子どもたちで拾いに行ったり、高熱が出た時も『私たちは唐辛子の湿布で熱を下げる』って教えてくれたり。だから高知県から行った開拓団の中で私たちは一人も欠けずに帰ってきたただ一つの開拓団だったんです。人は助け合って生きていくものだという原点はここだったかもしれません」
三宮さんが中学3年生の時、公立高校の入試選別が取り入れられようとした。その時、やめてほしいという運動が起こり、三宮さんも中学校の生徒会連合で署名を集め、県の教育委員会の前で訴えたこともある。
「中学の時、歴史の勉強をなぜやるのかわからなかった。でもその時、先生が『化学のように実験ができるわけじゃないから、なぜこんな世の中になったか、社会の仕組みや変化をちゃんと理解しながら、どうすれば、本当にみんなが安心して暮らせるかっていうことを身につけるのが歴史の勉強だ』という話を聞いたんです。そんなこともあってこういうことができたのだと思います」
「妻の支えがあったから議員活動ができた」という三宮さん。結婚の時に話し合ったことは、「子どもたちのために住み良い社会にする。そのために少しでも役立つことができれば」ということだった。
「過去から学び、どうやったらみんなが安心して暮らせるかみんなで考える」・・・地方自治の原点がここにあるように思う。
三宮十五郎さんは2024年11月24日にご逝去されました。
まちづくりの偉大な先輩としてここに感謝の意を尽くして弔意を表します。
参考
2016年市議会議員選挙の時の映像が残っていました
弥富市の住民と議会と行政の知られざる歴史(三宮十五郎さん提供)
| 1967年 | 水道の水圧が低くガス湯沸かし器が使えない、ガーゼで越さないと使えないと言う水道改善 |
| 1968年 | 道路舗装、側溝工事等の地元負担を5割から2割に引き下げる |
| 1968年 | 生活排水が流れ込む農業用排水路を改修に公費支出 |
| 1968年 | 人口急増地域で生活排水が農業用水路を痛め |
| 1968年 | 町長に要請し用排水路の木の杭と板柵をコンクリート杭とコンクリート板の材料費を町の負担とする |
| 1969年 | 京都府城陽市などの開発指導要綱を町に提供しミニ開発を防止する |
| 1970年 | 市街化区域等調整区域の線引きに関し弥富町は「弥生学区は名阪国道まで、桜学区は全域を市街化区域とする」ことを提案。現在の中六区を含む鯏浦区内のすべての議員にも出席を求めメリットとデメリットの議論を行う。結果、弥生学区は現在の西部下水以南とし、以北は農地保全とし市街化調整区域となる。 |
| 1970年 | 桜学区は車新田が金魚養殖のため市街化区域に入らないことを決め現在に至る。当時町長は「これは町の方針ではあるが、皆さんの暮らしに直結すること。皆さんで決めてください」と対応 |
| 1972年 | 吉川県会議員、佐藤町政のもとで業者との悪い噂が絶えず住民運動への圧力が強まる。 |
| 1976年 | 弥富町の工事請負等をめぐり弥富町議会100条委員会が設置。 |
| 1976年 | 弥富町の上事業発注の明文化。 |
| 1976年 | 決算議会で1年間の入札予定書くと落札額を公表させる。その他0.5% |
| 1978年 | 白熱灯は切れやすく多くの町内では区長補助員が電柱に登って玉替えをしていた白熱電球の防犯灯を蛍光灯の防犯灯に切り替える3ヵ年計画を作らせる |
| 1978年 | 道路・下水道等の地元負担を20%から10%に引き下げる |
| 1980年 | 防犯灯の地元負担廃止。ほぼ全町に防犯灯設置。 |
| 1980年 | 排水路を改修、浸水災害対策の充実を一貫して要求。 |
| 1980年 | 建設業協会加入業者以外の町内業者の入札参加が実行される。 |
| 1981年 | 道路水路清掃等の過剰な住民負担の軽減を進める。 |
| 1984年 | 木曽工業有限会社を介した1億円を超える悪質サラ金保証事件を解決。 |
| 1984年 | 都市計画税導入の町長提案を議会が否決。 |
| 1989年 | 道路、側溝、下水路などの地元負担全廃 |
| 1993年 | 近鉄弥富駅橋上化工事実施。 |
| 1993年 | 自治会公民館等、300万円を限度に助成。 |
| 1997年 | 町が関わる公共事業単価65から86%に引き下げる。 |
| 1997年 | 中六公園を始めとする公園等のトイレ水洗化が始まる。 |
| 1998年 | 佐藤ビル、駒野の住宅等の水道基本料金2100円を760円に引き下げる。 3階建て以上のビルなども親子メーター使用の基本料金二重払いを解消する。 |
| 1998年 | 弥富町が関わる公共事業単価65から86%に引き下げる。 |
| 1999年 | 共産党国会議員団の協力で弥富中学校改築の国の補助制度活用の見通しをつけ弥富長に報告。西尾張地方で初めてで鉄筋校舎の全面改築の準備を始める。 |
| 1999年 | 海部地域で最初の鉄筋校舎全面改築の補助制度について国との協議に町が手をつけることができなかった。 |
| 2013年 | 都市計画税導入が提起されるが市民の反対の動きで計画中止となる。 |
| 2015年 | 防犯灯LED化へ調査費。15年使用できるものを10年のリースで。 |
| 2016年 | 合併浄化槽の補助金打ち切りをやめさせる。 |
| 2016年 | LED防犯灯リースによる全面転換5461灯。事務事業の全てを自治会から引き上げ市の直営とする。 |
| 2017年 | 防犯灯5526灯、年リース料8,235,000円。 |
| 2019年 | JR名鉄弥富駅橋上化事業、議会と市民への詳しい情報提供は、覚書合意の後との市の対応を「違約金が発生する協定成立後にすることなど許されることでは無い、議会と市民が判断できる時期に公表すべき」と言うと「そのようにする」と9月議会で答弁。 |
| 2006年 | 1月に服部視聴当選。十四山をよくする会は服部氏を推薦。旧弥富町は佐藤氏と日本共産党2名以外は川瀬氏推薦。民報弥富で公約違反の川瀬氏は許せないとキャンペーン。 |
| 1967年 | 収入役による汚職事件で町長選 |
| 1968年 | 公費による議会の飲食禁止 |
| 1968年 | 議員が他の常任委員会に出席し委員長の許可を得て発言出来るように改善 |
| 1969年 | 鍋田干拓を中心として農業所得への不当課税を撤回させる |
| 1969年 | 海部郡内で1番高い保険料を4年間値上げを止める。結果として1番安くなる |
| 1969年 | 津島税務署と弥富町農協の3者による課税基準の設定が大きく間違っていた |
| 1969年 | その積算資料が保守系の2人の議員から提供された |
| 1986年 | 広島と長崎からのアピール署名に多数の住民が署名。町内の消防団長含む大多数の分団長も署名。平和宣言の街への流れが強まる。 |
| 1990年 | 2人助役制度の提案を中止させる |
| 1990年 | 女性課長1名、同補佐4名となる。 |
| 1998年 | 平和都市宣言を議決。 |
| 2001年 | 万博住民投票を求める直接請求書名2577筆有権者の9%。 |
| 2005年 | 川瀬町町が「合併の是非は住民投票で」の公約を破って2町村合併。弥富朝は住民投票の実施を求める直接請求署名4500筆。十四山村は財政破綻すると偽りの情報で村議会解散。共産党星型議員等で十四山をよくする会を作って対抗。 |
| 1968年 | 文教委員会の学校訪問で栄南小学校にあるカラーテレビが学校後援会の寄付であることが判明し過大な住民負担を今後行わないことを認めさせ、全校にカラーテレビを導入 |
| 1970年 | 弥生保育所の新設を求める請願可決 |
| 1972年 | 公費による議会の飲食が再開 |
| 1972年 | 保育料を海部郡内で高いほうに引き上げられる。 |
| 1977年 | 保育料は前年の郡内平均を上回ることがないようにすると約束させる。 |
| 1977年 | 社会体育に小中学校体育館を無料開放。 |
| 1977年 | 弥生親子スポーツクラブが発足 |
| 1985年 | 国民健康保険税を値上げしないための町の独自負担を認めさせる。 |
| 1985年 | 障害者タクシーチケットの配布 |
| 1985年 | 移動入浴事業が始まる |
| 1988年 | 全保育所にほぼ1名を増員させる |
| 1988年 | ゴミ汚職で100条委員会。 |
| 1988年 | 3年分のゴミ収集委託料入札で予定価格の67% に、当年度分を含む4年間で80,000,000円の節約。 |
| 1989年 | 国民健康保険税引き下げ。 |
| 1989年 | 白内障眼内レンズ手術に保険適用を求める請願と意見書、全国でも県内でも早い時期に解決可決。国の制度として実施へ。 |
| 1990年 | 中学生頭髪自由化。 |
| 1992年 | 特別養護老人ホーム輪中の郷、借入金の元利償還金分を弥富町負担で建設。 |
| 1992年 | 精神障害者の医療費助成。 |
| 1992年 | 保育料7年間据え置き。 |
| 1993年 | 3歳時未満児の医療費無料化の請願が可決。町長は順次拡大していくと表明。 |
| 1994年 | 児童館建設を求める請願可決。 |
| 1994年 | 防災対策の充実を求める請願採択。 |
| 1994年 | 総合福祉センターの建設を求める請願採択。佐藤町政で福寿会連合会で「旅行用のバスか福祉センターか」のいずれかの選択を迫られ、海部地域でお風呂のある福祉センターのない唯一の自治体となっていた。 |
| 1994年 | 桜児童館建設。この間の署名1200から1800筆。いずれも民報弥富で呼びかけたもの。 |
| 1996年 | 総合福祉センター建設。弥生児童館、シルバー人材センター、福祉授産所、デイサービスセンター、多目的ホール等を併設。 |
| 1997年 | 白鳥コミュニティーに白鳥児童館設置。 |
| 1997年 | 栄南児童館建設 |
| 2000年 | さくら弥生児童館で学童保育。 |
| 2001年 | 南部、桜、白鳥、弥生保育所、0歳児は生後8ヶ月より7時までの延長保育。その他大藤栄南0歳時は生後10ヶ月より6時まで。 |
| 2002年 | 4月より5歳児未満、10月より入学前の医療費無料。 |
| 2002年 | 防犯灯3548灯。 |
| 2003年 | 4月より小学3年生まで医療費無料。 |
| 2003年 | 4.5歳児保育室にエアコン設置、すべての保育室にエアコン。 |
| 2003年 | 保育料8年間据え置き。 |
| 2003年 | 自立支援医療対象の精神の病気は無料に。 |
| 2003年 | 精神障害者福祉手帳に手当支給。 |
| 2004年 | 10月1日より小学校卒業まで医療費無料化 |
| 2006年 | 大藤児童館建設 |
| 2007年 | 4月1日から中学校卒業まで医療費無料に。身体障害者手帳を持っていない要介護者に、税の障害者控除認定書を発行。弥富中学校建設業22億1550万円完了 |
| 2008年 | 75歳以上の精神の病気による自立支援医療対象者はすべての疾病の保険診療を無償化。 |
| 2008年 | 74歳までの人は精神の病気による入通院費無料。 |
| 2008年 | 65歳以上の障害者医療の対象者窓口無料が実現。 |
| 2009年 | 2平成20年4月より県の制度のうち65歳を過ぎて新たに重度障害者となった人への県の手当支給廃止。 |
| 2009年 | 党の質問に市長も県の対応を改める必要があると認め、西尾張9市市長会の意見書を提出し市長会の総意として県に要請したが県は対応拒否。 |
| 2009年 | 十四山東部児童館開設。 |
| 2011年 | 中学2年生全員1泊5日広島研修が始まる。週2時間5ヶ月の平和学習。年間 400人。 |
| 2012年 | 高齢者と障害者のみの世帯、希望者に配食サービスが毎日となる。 |
| 2013年 | 保育料21年間据え置き |
| 2015年 | 生後3ヶ月からの乳児保育実施。 |
| 2015年 | 児童クラブ6年生まで受け入れ。 |
| 2015年 | 病児病後児保育開始。 |
| 2016年 | 被爆者署名、市のホームページで市民に呼びかける。 |
| 2016年 | タクシーチケットの追加。 |
| 2016年 | 十四山福祉センターで高齢者のみの世帯等の食事券使用可能に。 |
| 2017年 | 就学援助新一年生の入学準備金を1月に支給。 |
| 2018年 | 小中学校のすべての普通教室にエアコンを設置。早めの対応で予定日から33% 2億3000万円を節約。 |
| 2018年 | 不妊治療への助成拡大を約束。 |
| 2019年 | 日本共産党市議団は大企業優遇政策として一貫して反対、廃止を求めてきた固定資産税の減免制度、企業立地奨励金制度が9月で廃止された。 |
| 2019年 | 市公共交通便利で利用しやすいものに全面的見直しへ。 |
| 2019年 | 中学2年生全員の広島研修など突然の廃止を求める市長に、市民や議会市幹部に働きかけ「市民と行政の信頼関係の土台を壊すことになりやってはならないことを」と訴え、市長が取り下げる。 |
| 2019年 | 認知症など精神の病気を治療してる内科医に「県に届け出て医療費無料ための診断書を書けるようにしてほしい」とのと要請に対し医師会等に要請することが9月議会で約束される。 |
| 2019年 | 党議員団の要請を認め「弥富市市長が必要な人に障害者手帳の診断書を書いてもらえるように県の責任で医療機関への要請を」と言う趣旨の西尾張9市市長会としての意見書を提案した。 |
| 2019年 | 他の市長は「そんな問題があるとは聞いていない」との対応。深刻な医師不足等を背景に西尾張9市の全てで弥富と同じようなことが起こっているのに、障害者の権利と行政の責任が土台から壊されると言う深刻な事態が理解されていない。障害者支援、障害基礎年金、障害厚生年金等が必要な人が受給できない現状が広がっている。早急な解決が求められている。 |
