【コラム】次世代に「まっとうな社会」を残すために。〜公共工事のブラックボックスと「現地現物」〜
先日、ドキュメンタリー映画『能登デモクラシー』上映会を開催しました。テーマは「新しい弥富市民としてのデモクラシー」です。
あの映画で描かれていた構造と全く同じですが、弥富の官製談合事件(安藤前市長の事件など)は、決して弥富市だけの特異な問題ではありません。未だに日本中から談合体質は抜け切っておらず、その中で「あまりにも図々しくやった弥富」がたまたま引っかかったに過ぎない、氷山の一角だと思っています。
根深く暗い「コングロマリット体制」の正体
この問題の根深さは、単なる一部の業者のモラル低下というよりも、業者を支配しようとする政治の世界、そしてこの愛知県西部という地域に深く暗く根を張った「公共工事を巡る支配のコングロマリット(複合企業体)体制」が、未だに解消されていない点にあります。
これは建設工事に限らず、公共調達全般(官公需)に言えることです。 例えば、国が旗を振った「GIGAスクール構想」によるタブレット端末の導入でも、市はメーカーから直接買うことはできません。1次、2次、3次と何重にも問屋や業者をくぐって市役所に納入されました。ざっくり言えば、原価の何倍もの値段でしか入ってこない構造になっています。
なぜ役所は「言い値」で買ってしまうのか
もちろん、これには理由があります。市役所側に「調達能力(目利き)」がないため、地元の業者や大きなコングロマリット企業に頼らざるを得ないという構造的な弱点です。
業者側も決して暴利を貪っているだけとは言い切れない面があります。役所向けの複雑な説明や入札書類の作成など、普通の民間取引ならあり得ないような膨大な事務作業(いわばブルシット・ジョブ=無意味な仕事)をこなさなければならず、そこに当然「手間賃」が発生しているのです。
諸外国と比べて公務員の数が少ない日本において、市役所を頂点とした地元企業や商店のネットワークが、行政の仕事を下支えしているという現実。役所の内情を長く見てきた私は、その必要性も理解しています。 ですから、私は今すぐ「これを全部ひっくり返せ」「完全な新自由主義(コストカット至上主義)にしろ」と極論を言っているわけではありません。現実にその仕組みがなければ、役所が回らない部分があるのも事実です。
「あとは放っておけばいい」とは思えない
しかし、市役所の裏側を36年間にわたり批判的な目で見てきた私と、建設工事の現場や商取引の裏側をずっと見てきた加藤明由にしてみれば、「自分たちはもう引退するから、あとは放っておけばいい」とはどうしても思えないのです。
次世代の人たちに、せめて「まっとうな社会」を残したい。
その「まっとうかどうか」の基準は、結局のところ**「透明かどうか(全ての情報が公開されているかどうか)」**に尽きると考えています。 情報が公開(クリアランス)されていれば、間違った方針でもおかしさが見え、自浄作用が働いて軌道修正ができます。理想論かもしれませんが、徹底的な情報公開と、現場を見る「現地現物主義」こそが、地方政治を民主化する第一歩です。
トヨタの強靭さと、旧態依然の「ブラックボックス」
私がよく例に出すのはトヨタ自動車です。昨今、電気自動車(EV)市場など世界情勢が激しく変化する中でもトヨタが揺るがないのは、彼らが「現地現物」を徹底しているからです。重要な情報はしっかりと共有し、現場の事実に基づいて判断しているからこそ強靭なのです。
それと比べると、現在私たちが対峙しているJRという企業(特に建設部門)の姿勢はあまりにも対照的です。新幹線の運行部門などは「現地現物」がしっかりしているのでしょうが、こと駅整備などの建設部門に関しては、未だに旧国鉄時代のような古い体質のままで、情報のブラックボックス化を盾に「現地現物の確認」すら拒否しています。
この「不透明な公共事業の闇」に対し、市民の皆様の厳しい目、そして志あるメディアによる調査報道の光が当たることを願ってやみません。
私たちが戦う理由は、ただ一つ。この町に「透明でまっとうな未来」を残すためなのです。
