「みんなの学校」のことを木村泰子さんに聞いちゃおう!
2022年7月2日にひたちなか市文化会館で「みんなの学校」上映会&木村泰子さん講演会が行われました。その際のアンケートに出てきた質問に対して7月27日に泰子さんが答えてくれました。
木村泰子さん 質疑応答:当事者意識と「みんなの学校」の作り方
【登壇者】
-
木村泰子さん(泰子さん): 元・大空小学校校長
-
桜井さん: 司会進行
-
金子さん・長谷寺さん: 質問者
1. 泰子さんの原点:大きな失敗と「子どもの事実」
Q. 泰子さんを作り上げていった経験や出会いとは?
-
マニュアルはなく「子どもの事実」から学ぶ: 子どもは安心した大人には本音を出してくれます。「親に殴られている」「ご飯を食べていない」といった子どもの事実を前にした時、マニュアルは通用しません。目の前の子どもに教えてもらうことの連続でした。
-
取り返しのつかない失敗(翔ちゃんのケース): 過去に、重度の障害を持つ「翔ちゃん」の担任となり、フルインクルーシブ教育を実践して子どもたちが大きく成長した年がありました。しかし翌年、泰子さんが教務主任になったことで環境が変わり、翔ちゃんは学校に来られなくなってしまいます。
-
大人の争いが子どもの学びを奪う: その後、学校と保護者の間で裁判にまで発展し、職員室も分断されました。裁判には勝ったものの、大人が自分たちの正義で争っている間に、翔ちゃんの学びの場は完全に奪われてしまいました。
-
「みんなの学校」のスタート: 「二度と子どもに同じ思いをさせない」「同じ失敗だけは絶対に繰り返さない」という強烈な後悔と決意が、大空小学校の原点となっています。
2. 地域の力を巻き込む:学校だけで命は守れない
Q. 地域のサポートをどのように作っていったのか?
-
学校の限界をオープンにする: 親に虐待され、殺されてしまうかもしれない子どもが当たり前にいる時代です。しかし、教員が24時間子どもを守ることは不可能です。「親が守れない命は地域の力で守るのが当たり前。学校が頼むことではなく、10年後の自分たちに返ってくることだ」と、対等な立場で地域に発信し続けました。
-
9年間書き続けたスクールレター: 集会を開いても一部の人にしか伝わりません。だからこそ、青い紙に印刷したスクールレターを毎月9年間、回覧板で全地域住民に読んでもらうようにし、定着させました。
-
アウェイからのスタートと、人の変化: 大空小学校の設立時、地域住民は20年間も開校に反対していました。しかし、実際に困っている子どもを目の前にすると、大人は「何かできることはないか」と助け始めます(夜のパトロールや通報など)。「すべての人は変わり得る」という確信を得ました。
3. 「みんなの学校」を作るためのたった一つの方法
Q. どうしたら「みんなの学校」のような学校にできますか?
-
すべての大人が「当事者意識」を持つこと: 「教えてもらうのが当たり前」「誰かがやってくれないから」という姿勢ではいけません。「もしこの子が、自分の子ども(孫)だったらどうするか?」と考えることが当事者意識です。
-
「困っている子」を「困る子」にしていないか: 「この子が暴れるから私の授業が進まない=私が困る=この子は困る子だ」と、大人の都合で子どもを排除してはいけません。
-
自分の子なら「大空に置いてほしい」: 手がつけられないほど暴れる子(京介くん)に対し、職員室が限界を迎えた時、退職間際の先生が「もし自分の子なら、暴れてても大空に置いておいてほしい」と呟きました。その一言で全員が覚悟を決め、結果的に京介くんは暴れるのをやめ、自分で「我慢(周りとの折り合い)」を身につけました。
4. 個人でできる第一歩と同僚との関わり方
Q. 個人で活動を始めるには? 同僚をどう巻き込めばいい?
-
学校に「風穴」を開ける: まずは地域の人や保護者が学校に足を踏み入れ、ウロウロするだけでいいんです。多様な大人の目が入ることで、学校の息苦しい空気に風穴が開き、教員の負担も減ります。
-
「文句」を「意見」に変える: 入学式で必ず「文句を言うのはやめよう。文句を意見に変えよう」と伝えます。「あの先生をクビにしろ」は文句ですが、「あんな教え方では子どもが困るから、私にも何か手伝えることはないか?」と提案するのが、学校を作るサポーターの「意見」です。
-
完璧を目指さず、人のせいにしない: 化石のような古い価値観の先生を変えることはできません。無理に相手を変えようとするのではなく、その先生のやり方で傷ついた子どもをフォローし、「ごめんな、やり直そう」と自分が動くこと。「あの先生が悪い」「この保護者が悪い」と人のせいにしている間は、子どもは決して大人の前で安心できません。
【おわりに:マサさんの気づき】 「困っている子ども」をどうにかしたいという思いが、いつの間にか大人の都合で「(自分の思い通りにならない)困る子ども」にすり替わってしまうことがあります。常に「当事者意識」を持ち、ブレずに子どもを主語にしていくことの大切さを改めて学ばせていただきました。
全文
じゃあみなさんこんにちは。こんにちは。あの、先日7月2日にひたちなかで行われました『みんなの学校』の上映会、それから泰子さんの講演会で、そこの最後にアンケートをとりまして。アンケートの中で泰子さんへの質問が結構出ました。で、それをこの機会にちょっとまとめて動画配信させていただくことになりましたので。その映画会に出ていただいた金子陽子さんと、長谷寺香里(ちょうほうじ・かおり)さんと、お二人に質問をしていただきながらこの時間を進めたいと思います。よろしくお願いします。あの、司会させていただいている桜井です。
では早速ですけれどもいいですか。金子さんの方から質問聞いていただいて。うん、じゃあよろしくお願いします。
金子さん: えっと、一つ目の質問は、「まず泰子さんを作り上げていった経験や、今までの出会いを教えてください」という質問でした。
桜井さん: 最初から結構ボリュームあるね。そうですけど、いかがでしょうかお願いします。
泰子さん: ですねえ。子どものこととか人のことを聞かれたら自分の考えを伝えることができるんですけど、自分のこと聞かれんのが一番苦手なんですね。「自分がどんだけ経験してきて今の自分があるか」なんて、そんなん分かるわけないやんって(笑)。いつも大空の子どもたちが「あの日があるから」とか言うんですけど、でも自分をどうやって自分を作り上げていったかって、あの……。
私は20歳の時から小学校で教員をしてる人間なんですね。20歳から今まで、今もいろんなところで授業させてもらったりしながら、自分はまだ現役やって実は思ってるんですけど。どっかで、あの、嘘やってよく知ってる人でも思うんですよね。
だからやっぱり、一番は子どもの事実じゃないですか。子どもって、大人を、目の前の大人に安心したらいっぱい本音を出してくれるでしょ。だから本音を聞けば聞くほど、もうねー、「本当にはどうしたらいい」って。だって「お父さんに毎日どつかれてんねん」とか、「自分だけご飯は食べさせてもらってないねん」とか。子どもって「絶対言ったらアカン」って親に言われていることを、ポロって言うわけですよ。じゃあ家って大丈夫なん、じゃあ私は何したらいい。子どもによったら「家来て」って言われたら「家行くの? わかった、何もできへんけど行くわ、一緒に行こ」とか言いながら子どもの家に行ったりとか。
やっぱりそんな、マニュアルではどうにもならへんような。一人ひとりやっぱり子どもが背負っているリュックって、何万人か関わってきたかわからへんけど、全部違うから。大爆発したからこうすればいいよね、みたいなマニュアルは、教員している自分に実は何もないんやなって。目の前の子どもに教えてもらうことしかないんやなって、なんかこんなことを一番に思うかな。
そうすると、作り上げていった経験やって言われると、子どもたちとの出会いと、その中で子どもの事実を見ながら自分で考えて、その結果生きてきた経験って感じなんですかね。
でもやっぱりね、子どもを真ん中に置きながら、多くの教職員の人とやっぱり一緒にやってきてる自分があるので。本当に「こんな校長、給料泥棒やな」って思うような先生にも、やっぱり出会ってるわけですよね。でもその校長先生が自分なりに一生懸命やってはんねんけど、子どもが困る方向にしか行ってないやろう、みたいな経験も長年の中でやっぱりいっぱいあるわけですよ。
でも若い頃は「こんな校長が言ってるからアカンねん」って校長を敵にしていた自分があるんですけど、やっぱりだんだん「あ、そうか」って。誰かを敵に回していけば、子どもは余計座れへん。学校の中でいうことにもやっぱり気づいてくるわけですよね。じゃあその、「例えばどうにもならへんやん」って思ってて、なんか「その先生をやっつけてやろう」みたいな若かりし頃の自分も当然失敗談としては自分の中に残っているので。
そういう失敗をやっぱりやり直してくれば、みんな「困ってるな」って。「困ってる人をより追い詰めるんじゃなくて、自分ができることをやっていけばいいや」って。「心配ないよ、ちょっと横で休憩しててってええで」って。子どもに関わっていけば子どもが育っていけばすべてOK、みたいなことはいろんな人に出会わせてもらう、今自分の中で持ってる唯一の体験値みたいなものかな。一人で絶対仕事ができへんよっていうのはベースにあります。うーん。
金子さん: それはな、この最初の質問でこんな質問を重ねちゃったら失礼かもしれないんですけど、うん。仕事は校長として仕事してからとその前と、そこで分けるのも変な話なんですけども。それはずっと一貫して、子どもと出会ってそこからあの経験して学んでやり直してって、そのずっと連続なんですかね? それとも「ここでの経験」っていうふうに、決定的なこととかがあったりしたんですか?
泰子さん: ありましたね。あの、教員になって、ちょうど40歳くらいかな。だから職員室の中で教務主任みたいな立場に自分があったときに、本当に取り返しのつかない失敗を私はしました。それがみんなの学校の原点、いっつも自分の中にあるんですね。
この話したら一晩泊まらなあかんぐらい、あの、聞いてもらわなあかん話やけど。もうあの事象だけ、感情全部ここにおいて事象だけ言えば、新しく転勤していった学校に、まだまだ今から20年前やから、あのね、30年、もう当然前のことやから30年前の日本社会・学校現場を想像してくれただけでも。長谷寺さんなんか生まれてた? うん、動いてます(笑)。あの、そんな時代で。今でこそ「発達障害」とかいろんな言葉が今はあの飛び交い過ぎてるけど、その頃はそんな言葉なんか全然なくって「障害児」っていう言葉だけはずーっと脈々と学校現場にあった時代なんですね。
へえ、一人の男の子が1年生入学してくる。この子は言葉を持っていない。で、重度の知的自閉って診断されている。ご両親は外国にまで行っていろんな研修を受けて、いっぱい外国の教育を学んで帰ってこられている。その保護者が学校に対して、「うちの子どもは重度の障害があるけど、隔離しないでほしい」。なかよし学級が当たり前の時代があったから、「隔離しないでほしい。先生の力よりも、みんなの中で一緒に過ごして、みんなの言葉を聞いて、みんなの表情を感じて、みんなの中にうちの子どもが居てることができるだけで、もう十分。それ以外のことは何も望みません。それがうちの子どもにとっての学びの保障や」っておっしゃって。
私はとても同意したんですね、その時。でも結構教育委員会が来たり、学校が「認めて、そんなん認められへん」とか、学校が分断してたような状況でした。そういうことも私は知らず転勤してきて、そのお母さんが一人で池の横で泣いてはった時に、「どうされたんですか。何か私にできることはありますか」って声をかけたら、「こんなふうに声をかけてくれたのは先生一人や」って言って、まあいろんなお話をされて。「来年その子が1年生入ってくる、じゃあ来年一年生持つ希望者」言うたらゼロやったんですね、みんな。「いや、みんな持たない」。で、私は「喜んで持ちます」って、みんなの中で1人だけ手あげたんですね。3学級あって私だけ手挙げた。
だぁ、あと二人は転勤してきた人を当てたんだ。そうやって一年生のメンバーを作った。これはスタートなんですけど、蓋を開けてみたら当然私の学級にその子どもが、翔ちゃんっていう子やったんですが、翔ちゃんが入って。隣のクラスにも、隣のクラスにも重度の今で言えばそうですね、ADHDとかなんか広汎性発達障害みたいな、もう「1秒離れたら教室を飛び出す」みたいな子どもが1人ずついたんですね。
で、転勤したての先生たち二人も、私より1人は年上、1人は男性で私より少し若い先生。「どうしよう、やっていかれへん」って悩んでおられた時によし、「チームでやろう」って。1人が授業して、あと2人はフォローに回ろうって。
でも教室で、教室でずっと学びたいという親の要望に対して、その時の学校は「特別支援学級に来るならわたしがこの子を見ます。特別支援学級に来ないの、どうして教室まで私が教えに行かなあかんのですか、支援しに行かなあかんのですか」みたいなことで学校がもう分裂してたんですね。だいたい想像がつくと思いますけど。そんな中で、いったんまあ全然だれにも助けてもらわんでも、自分たちのできることをしていこうって。
「何ができるかわからへんけど3人で120人の子どもらを3人でなんか育んでいけばいいんじゃない」って言って、うざや星スタート迎えました。「ただな、あの授業するか得意な授業して、目の前に講堂があんねん。その講堂を午前中は誰の力も要らんから1年生の教室として貸してね」って。それに対して教員の人たちは「どうぞどうぞ」って言うじゃないですか、自分たちやらなアカンて言ったら。講堂を教室にして120人の子どもと、4月から1人が授業して2人がフォロー回るみたいなことで、まるまる1年間。うん、そしたらねぇもうあの驚くような子どもの事実を突き付けられるんですよ。「すごいな」って。これが初めてですね、フルインクルージョンの学びのスタートやったんですね。
で、この1年間がなかったら、みんなの学校はきっとできてなかったと思うんですよ。でもその1年間で「障害って何? 個性やん。個性は伸ばすもんやんか。伸ばすもんちゃうやん」って。これだけで、子どものすっごい能力発揮していくわけですよ。もうずーっと走り回ってる子が講堂から逃げていけへんようになって、ずっと走り回ってる子が、秋にミュージカルしたんですね。全部手作り、犬服のピアノ弾いて、「なんか嘘八百の歌詞を作ってオリジナルでいこうぜ」とか言って、12曲ぐらい難しい曲をみんな1年生が歌う。だぁ、当然あのそんな歌なんか全然歌えへん、その子たちがね、ある日突然12曲全部歌うんですよ。信じられへんでしょ。私は信じられんかったんですよ。「え? この事実は何?」って。
私ら障害のある子どもに対して、まさに可能性を限定して「障害があったら支援が必要やねん。ハンデやからなんとかせなあかんねん」って思ってた自分たちがいた、その自分たち打ちのめされたんですね。こういう経験をして「じゃあ次2年生みんなで盛り上がろうぜん」って。もうそれぞれの教室に入っても、子どもたち安心してるから誰も逃げて行きません。教室もオープンにしてて、みんな教室でいつも一緒に安心して学べる環境ができてた。が、2年生になって校長が突然「私を教務主任にする」って言い出したんです。
持ち上がりをしないで。夜中まで反対したけど、校長が私に「木村さんは自分の学年の子どもさえ育てばそれでいいのか。この学校には400人の子どもがいる。他の子ども放っとくっていうことか」って。この言葉にブチギレて受けてしまったんですね、教務。
すると次の年は担任変わるでしょ。せっかく今立っている時に担任が変わって、そこのチームうまく、私に問題があると思いますけど、うまく繋ぎができなくって。結果的にこの翔ちゃんという子は学校に来にくくなったんですね。で、来にくくなったら私が「翔ちゃんおるよ、いこう」って言ったら喜んで行くんです。で、でも教室に、いつも目の前にいてた木村が教室に入ったらいない。1年間しか学校経験してない翔ちゃんが、木村がいない環境の中で不安を持つのは翔ちゃん、子どもを主語にした当たり前なんですよ。でもその当たり前を、やっぱり私は理解できていなかった。教務の仕事をせなあかん、みたいなこともあってね。
そこから木村は馬に人参だけ与えて学校に連れていって、あとはほったらかしっていうことで、お父さんもお母さんもやっぱりすごい困られたんですよ。それをきっかけに大阪市の大きな裁判になったんですね。両親が裁判に訴えたんですね。
そのことがきっかけで、すっごい教委間がらみとか、校長は逃げていくし教頭も逃げるし、教員のリーダーが自分という立場やったから、本当に夜中の2・3時までどうしたら翔ちゃん来れるかっていうことを見なっても毎日話し合ってたんですけど。金、うまくいかなくって、結局裁判になって。両親は裁判、100対0で勝つと思って裁判をしたんですね。
その時の校長は、実はこのご両親のお父さん、市議会のなんかやらしてあったから、校長の先輩なんですね。「お前の首はつないだ」って言われて、残念ながら事実をそのまま、感情を抜いて証言をするっていうことができなくなっていて。それを教育委員会は見抜いてて、木村に証言台に立てって言うことになったんですね。まぁこれが管理職に、私は「管理職になぜならないよ」って思ってた自分がなってしまったと言うきっかけなんですけど。この裁判ね、100対0で負けるって言われてたんですっ。その校長がね、私がな話し合いをね、全部改ざんして全部横流ししてたんですね、ご両親の方に。
で、弁護士たちももうあの「大阪市は負けますよ」っていう裁判やったんですけど、私は2回、校長が証言したんと木村が証言したということで2回証言台いたしました。結構震えましたよ。震えたし、誰にも言われへんかったから。だって先生たちみんな、なんか私がリーダーみたいになってるから私が弱音吐けるような環境違うかったから。家に帰って言ってもみんな心配するし。初めてですね、一人でしんどいことを抱えた。うん、あの年っていうのは嘘を知りながらもうなんか根性だけで裁判に証言をして。その証言って何一つ、感情全部捨てて事実だけを私は淡々と述べようって決めて、事実だけを述べました。
結果的にね、100ゼロで負ける裁判が100対0で勝ってしまったんです。100ゼロで勝って、先生たちは当然「私は間違ってなかったよね」ってなんか正義が証明されたみたいに一瞬皆喜びます。「私も勝ったよー、木村さんお疲れさんでした」って言われたときに、初めて涙が出たんですね。
でもその電話を切って、「えっ」て。ようやくね、その時になって初めて翔ちゃんのことを主語にして考えられる大人になったんですね。争っている間は、裁判って勝つか負けるかんでしょ。争ってる間はね、自分たちの正義を確かめたい、間違っていない、いうことしかないんですよ。そこに子どもがいない。でもそのときに初めて自分がどれだけ取り返しのつかない失敗をしたのか気づきました。
だってね、「木村がいるから安心して学校に行ってた。木村がいなくなった、どうして木村がいなくなったんだ」って翔ちゃんわからへんねん。「困ったら迎えに行く、私の顔見たら学校行く。でもずっといてない、家でアピアピ、アピーってなんか不安になっていく」。この翔ちゃんのことだけを考えてたら、翔ちゃんは来れたんです。
でも、翔ちゃんのことだけじゃなくて学校が「校長派」とか「教頭派」とか「賛成派」「反対派」、職員室が分断して争ってる。争ってる相手は校長であったり、なんかこうやって職員が分断すると必ず子どもが不幸なるっていうのを、残念ながら自分が原因を作ってやって。裁判に勝った。翔ちゃんと裁判に負けた、裁判に負けてしまった。学校に子ども帰りますか? 行けるわけないでしょ。翔ちゃんの学びを全部潰してしまった、奪ってしまったのは私は自分やと思ってるんですね。だから翔ちゃんに謝ろうと思っても謝られへんし、取り返しがつかないことやけど。
でも「同じ失敗だけはずーっと繰り返せへん」って、その時に自分の中で決意をしましたね。これがみんなの学校のスタート。「こんな話をすると思いませんでしたが、いやー行っちゃった」見ながら。嘘、じゃあもうこれ、ありがとうございますよね。どう続け、ピー、こんな重い話……。
長谷寺さん: えみやーの、翔ちゃんの親も両親ご両親が初めにその「普通の子と関わらせてほしいんだ」って言ってきたっていうところで。そのご両親もねー、何を子を見て何を感じて考えて足を運ばれたのかなっていうところから、こう、色々考えちゃいますね。
うーん、イヤー、でも泰子さんがすごい。まだまだ時代が追いついていけなかったんですよ。その当時の日本の学校教育って、インクルーシブなんて言葉は一切なかった、ない。まだちょっと先にある言葉は「統合教育」やったんですね。統合教育ってどういう言葉かっていうとね、健常児の子と障害児の子、でもくくりが分かれてるんです。健常児の子と障害児の子が一緒に学ぶ、したらどうでしょう。これがすっごい新しい外国のなんか先駆的な子どもの学びやで、みたいなことが言われていた時代です。もちろん養護教育って言われてた「障害児教育」という言葉もまだ生まれてなかった時代ですからね。
だからその、その時代にたまたま1年生の3つのクラスを持った、うっ、3人の大人が「無理やんな1人で3人でやろ」って、チームで。ええや、だ子どもたち毎日まぜこぜの中で1年間1年生の授業をしたっていう、これって。大空でもここまで出来たかなって実際思われへんぐらい、自分にとってはまさにフルインクルージョンの1年間の学びでしたね、今から思えばね。その時はそんなん全然知識もなんにもなくて。
そのお母ちゃんが言う言葉に私は一番賛同したのは、「子どもって子ども同士が学び合って、子ども同士の関係性の中で育つもんやから。引き抜いて自分の子どもだけ取り上げてもらって障害元からこの専門化した教育をしてくれて、こんな教育を受けてうちの子どもは社会で親なし施設なしで生きていけない」って断言されてましたから。そのために学校のあの、障害児のいろんなところに行かれて、その当時世界が進んでましたから、フルインクルージョンの授業なり学校づくりなんかをいっぱい見て帰って来られてたご両親でした。
長谷寺さん: ん、すごく胸いっぱいになっちゃって、そのね。翔ちゃんの、翔ちゃん自身もそうなんでしょうし、ご両親も本音は、本音はきっとただ本当に寂しいっていう気持ちだったんだろうなって。うーん、それがね、まぁ裁判っていう形でたぶん違う方向に気持ちをぶつけて行ってしまったんでしょうけどね。本音で泰子さんと話ができてたらなぁと言う……すごくなんか感じました。
泰子さん: いやはいですな、100対ゼロで、両親は悪くないんですよ。んなーの、100対ゼロで私の行動に原因があった、問題があったなって。だって今、大空で教育委員会が何を言おうと、例えばあの文科省からどんな通知が来ようと、そら単なる手段。子どもが育ってたらそれでいい。子どもの育ちだけはすべての最上位の目的において、そんなもういい、「なんかがあったら私が責任とる」っていつも自分は言えていたって言うんですね。
そうやって言ってる自分は「何も知らない方は、あ、木村さんってリーダーシップがあるよね」とか「なんか周りの圧力に屈しない強い精神を持ってるな」とか、そんな風にきっと見てはると思うんですけど、そうじゃないんです。私は過去に失敗はしてるから、その失敗をそういうことでしか私の中で翔ちゃんに「ごめん」って言える手段ってないわけですよ。二度と翔ちゃんのような思いをさせる子ども、私は自分が動けてる限りさせたくないって。だからそれだけ、それだけを大空はみんなが何か共有してくれるって、みんなが作ってた言うだけですね。
金子さん: すいません。その大空小学校の、まー、感情美話と言いますか、そのスタートとなったその地域の方のサポートがたくさんあったりだとか、映画観させていただいて感じた部分なんですけど。その経緯であったり、その地域のサポートを泰子さんはどのように一つの作っていたりだとかしていたのかっていうところ教えていただきたいですっていうより……うん、あの。
泰子さん: 地域の力なくして一人の子どもの命も守られへんのが今やろ。重いだとか早口で俺わからん、俺様って聞いてくれるから。金子さんも長谷寺さんも先生っていう商売できるやん。でも「さよなら」って帰った子が親に殺されたら、次の日おはようって来てくれへんな。こういうことってまさかの時代じゃないやん。いつどこでそういうことが起きるか。って、まさにそれら想定内の日本社会に置かれている子どもたちは「絶え間へん」。うん、表面違うそうに見えるかわからへんけど。
とても親に虐待されてて、先生には言うなって言われている。「綺麗な服着て、勉強いっぱい姿勢はする、でも全然せえへん。何言われても『はい、わかりました。ありがとうございました』っていう優等生やで」。いっそこういう子が、やっぱりはもすごい家でネグレクト受けてたとか、こんな当たり前にあんねん今の時代。あったり前にあることで。それって子どもって社会的弱者や。すべての子が、障害があるとかないとかそんなん関係ない。子どもって義務教育下に置かれている子どもさ、自分で働いて食べられへんから、親の下で親の言う事聞けへんかったらご飯を食べさせてもらうべ。
そんな子どもたちが当たり前に親に殺される時代に、まさに日本社会突入してるやんか。どうしたら。学校の考えること、特に私は校長として責任持つ立場やから。じゃあ私は学校に来た子はすべての子どもの学習権を保障しますよって、こんな勝手なことを言える? 家に帰って殺されたらいいや、それは子ども相談センター何してんねん、親はどうなってんねんって、こんな話やないやんか。子ども相談センターよりも何よりも一番わかってんの校長でなかったかやろ。この子が次の日安心して学校に来れるかって、家でどんな目に遭うてるかなんて。
でもそこまで私が踏み込んで仕事したら、私らの身がもてへんやろう。やっぱり私らは朝から5時までの勤務時間。これは徹底したから「5時以降は給料に入ってないよ」って。家庭訪問も懇談会も5時以降は一切するな。じゃあ私は全教職員にいつも伝えてたから、うん「5時以降は働かない」。もうそこをきっちり設定してました。だら「5時にはすべての業務を終わる」なんですよ、これ大空なんですよ。
だからねっ、家に帰った子が親に殺される。命、私らが守られへんかったら、ここにもならへんやろ。取り返しがつかへんことだけはしたアカン。そう考えたら、親が守れない命は地域の力で、地域の宝や、地域の力で地域の宝を守るのがあたりまえだろって。「学校が頼む事ちゃうで、あんたら地域住民当たり前やで。それが全部10年後の自分に返ってくることやで」って、ここはね常に同じことを対等な立場で発信した。すべてスクールレターで発信した。
あの全校集会とか、地域住民・保護者を呼んで「えっと、説明責任は果たせ」とか文科省、教育委員会はいっぱい言いましたけど、全校集会とか「皆さん集まってやります」いうのは9年間1回もやったことがない。それってすべての人来られへんやろ、一部の人しか来られへんやろ。来た一部の人が伝達ゲームなるやろ、全然知らんしても指やろ。それやったら、そんな集まって説明責任を果たしましたなんて言わんでも、毎月毎月こんな困ったことがあって、「本音、学校なんか限界があるから学校で子どもの命なんか守られへん。地域の力で守るのがあたりまえやろ。って10年後の自分に還ることや」みたいなことをずーっとスクールレターで回覧板で回してもらって。すべての地域住民に読んでほしいから、青色の紙をわざわざ買って「あ、みんなの違う、入れ青色の髪に」って、スクールレターを毎月9年間書きました。
それもね、最初はいや同じことを書くって脳内やなーって、私がスクールレター打ってる時に悩んでたら、同僚たちが「何言うてんのンって。同じこと自分は言うたつもりになるけど読んでない人もおれば、もうあの『もうこれでもかこれでもか、大空小学校この事しか言えへんな他に言うことないんか』って言われるぐらい同じこと言わへんかったら定着せえへんやろ」って、周りのベテランたちにものすごく私はいつも言われて。「えー」とか思いながら、9年間同じことをずっとやり続けました。
桜井さん: そのですね、あの、どうぞ。皆さんやそのえっとスクールレター発行する、まあ前っていうか、その前もその地域の雰囲気とか、発行し続けながらこういうふうに支援者が増えてたとか、こういう風に理解が進んで行ったっていう、そういう経緯とかはどうですか? 手応えとやりながらの。
泰子さん: ならってさぁ、だってさ。大空小学校が開校する前に、20年間地域住民は大空小学校が新しく開校することを反対した地域住民やで、どうでしたね。大空小学校の校舎が立つ地域は大きな教室、足りなくなってしまった大きな学校の地域の隣の地域できるわけ。この隣の地域は「この地域内に被差別部落抱えてるやろ。って被差別部落があるような地域内にできる学校に、なんでブランドの私たちの子どもや孫が行かなアカンって。20年間教育委員会を糾弾して開校に反対をした地域住民たちやで。これがスタート。
映画を観てもらった人たちは皆「いい地域に学校ができたんですね」って言い張るけど、とんでもないアウェイからのスタートやった。でも今、アウェイからのスタートやったからこそ今自分の中で確信を持っているのは、「すべての人は変わり得る生き物や」っていうことやから。絶対人は変わる。これが教育と言われる所以じゃん。すべての人は、人は必ず変わる、変われる可能性持ってるから。
だからそんなに20年反対し続けてる地域に大空ができて、地域の人がどんどん学校にも来て。かずきなんか、本当に「かずきが大空に行くんやったらみんな大空やめとこ」っていう噂がいっぱい広がっている地域やで。でもそうやってかずきの横を通ったら「くさいな、あそこの家はほんとに子どもにご飯を食べさせへん」って言ってた大人たちが学校に来て、かずきの横にそっと居るだけで、「こいつ困ってんな、こいつが困ってんねんから自分ができることなんかないかな」って、ほんとに毎日来るんや毎日。断固逃げて、かずきの様子をそっと見てくれてるわけや。
ね、夜。かずきボコボコにもう言えたり殴られたり、もう虐待どころの話じゃなかったから。ボコボコにやられて、それでもあの子は学校が安心できる場所だから、死にがちながらも学校に来る。だら地域の人が送ってきながら、「今日から夜、犬連れて散歩に行ったるから。やられたら我慢したアカンで、助けてって大きい声出せ。そしたらすぐ通報したる」って、何回も通報してくれて、緊急保護してもらったり。こういうことが当たり前にできる地域になった。
だから校長がスクールレターで何を伝えたかが問題じゃなくて、今まで差別してたり排除したりやっぱり人間やから、嫌のものを排除するよ。そんな奇麗事で人は生きてへんから。みんな差別する心はみんな持ってる。そうやって差別したり排除したりしてた人が学校に来て、その子の側にさえ居れば「こいつ困るやっ思ってたけどこいつ困ってんねん、私が何か出来ることはないか」って、みんな人は変わっていく。こんな地域の大人たちがいてたから、大空はすべての子どもの学習権が保障できるみんなの学校につながっていったんちゃうかな、って思います。
桜井さん: それは今も同じような教育されてるんですか?
泰子さん: あの、今の大空がどうなったのかってよく聞かれんねんけど。えー、最上位の目的を同じく学校の理念として、あんみん(皆)ながら行動してたら何一つブレないでしょ。でもこの最上位の目的がどっかに行って、手段として「教育委員会のいうことをまずは一番聞きましょう。子どもは分断して教室で授業をさせなくてはいけないんです」みたいなことが最上位の目的になったら、当然子どもは変わっていくんじゃないですか。
だから今の大空がどうなっているかと言うよりも、パブリックの学校として一番最上位の目的は「誰一人居場所のない子どもを作るなよ」って。そのためにはどんな手段でもOK。でも、この手段と目的が入れ替わったら。文科省の通知で「障害のある子ども、特別支援学級に在籍している子は一日の半分の時間は通常学級じゃなく特別の教室で授業をする、こういう証しを各校がつくれ」みたいな通知が今降りてきてるじゃないですか。じゃあその通知ってあくまで手段でしょ。この通知が下されている目的は、この通知にも書いたんで、「共に学ぶ、共に生きる社会を作るために」って書いたんや。
じゃあその目的を立て、私が現場にいたらそんな通知なんかうんびくともせず、「そんなん手段や」って。だ、子どもらすべての子が共に学びあってる事実があればそこが目的やろ。「手段と目的、混同する必要ないよね」って一言言うだけで、あとは何もしないと思いますよきっと。うん。ブレない。見えないでこの期に及んでブレてたら、ソラあの「私の場合は何やねん」って思いませんか。
長谷寺さん: あと、ある? いいですか? 大空小で、あの映画『みんなの学校』で男の子のエピソードが多かったと思ったんですけど、女の子のエピソードは?
泰子さん: いっぱいあるよ。あの「なんか男の子しかいないの」と言う……それ男の子のエピソードに聞かれんねんけど。たまたま監督が、自分の心が一番動いた、もの凄く心に触れた場面を。あれ全部660本あんねん、40分テープ。だ、すごいやろ。40分テープが660本ずつ、関西テレビの局に行って監督と私「この場面や」「いや、アイタさんと会いたい」とかって。力関係で直属あんねんけど、それでぶつかってるけどな。けど、「あ、ゆづきリッパって、マサヤ間違ってます」とか言ってたあの場面。「使わんといて」ってお願いだからって、いいに2時間談判しにいった部下があんねんけど。その一つの部屋、なんかで壁から天井から全部660本のテープだ。
その中の2時間やんか。だからこの2時間は男女関係なく、監督が自分の心がものすごく動いた瞬間を全部ピックアップしてる、ただそれだけやから。あの、女の子もいっぱいいろんなことあるよ。女の子の方が見えにくくて根が深い、みたいな事実は大空では山ほどある。だってそれが映ってないというだけのことだと思う。
桜井さん: あの、「どうしたら『みんなの学校』のような学校にできますか」という質問が来ているんですけれども。これもたくさんありそうな質問ですけど、どうですか。
泰子さん: いやー、あの、たった一つやと思いますよ。「自分が当事者意識を持つ」ということ、それ以外にないと思う。
暴れてる子が自分の子やったらどうやろう。教室から飛び出していく子が周りに迷惑をかける、「あんな子おったら集中して勉強できへん」って思うか。飛び出して行った子が自分の子やったら、「あの子に私は何ができるか」って。これが自分の学校をつくる自分、つまり当事者意識やと思うんですね。
日本の教育で一番欠けているのは当事者意識やなって。18歳の日本財団がした調査でも結構明らかになっていると思うけど、「教えてもらうのが当たり前」「やってもらうのが当たり前」。道歩いてて石あったらコケた、「誰がどけてくれへんかったからや」みたいな子ども作ったアカンやろ。そんな子どもが大人になった社会が今やろって、極端な話をしたらね。うんだから、やっぱりすべての大人が、困ってる子なのか、困る子なのか。
「子どもの中に困る子なんか一人もおれへんで」っていうところ。だって「自分の子どもがあの子、おたくの子困んねん。おたくの子おるからうちの子遊ばれへん。おたくの子にいじめられんねん。おたくの子困るねーん」って言われて逃げ出してきた親子ばっかりがいてるわけやんか、大空には全国から。んじゃあ、困る子って……困る子ってどんな子ども?
やっぱり私らいっぱいいっぱい子どもの事実見ながら、親が「困る」ちゃうような子を。この「困っている」ような。「自分がうまく授業ができない、この子のせいで」って私は困る。でも「この子のせいで授業の進路がうまく進めへんねん。つまりこの子のせいで私は困っている=この子は困る子。だから発達障害とでも診断して違う部屋で勉強してもらわな、私はうまく学級経営も授業もできないよ」って思っていた教員がみんな集まってる学校からのスタートだからね。そこからのスタートで、じゃあ……。
これね、ほんとにあの、今「すべての大人が当事者意識を持つことや」って簡単に応えたけど、私ら9年間の中で「最悪」というぐらい困ったことがありました。
一人の男の子が4年生ぐらいから暴れ始めて、5年生になったらもう手がつけれない、ものすごく暴れる。暴れて暴れてどうしようもない。その子のことをどうしたら暴れないようになるかみんなで一生懸命いろいろ考えたけど、なんかもうあの取り憑かれたように暴れて。「この子もしんどいやろうな」と思ったときに、職員室でみんながいるところで、「なんかさー、パブリックの現場でこの子学んでる=この子苦しんちゃうかな。適切な医療なり、この子が安心して学べるような施設なり、そういうケアが必要違うかな」って。私が、誰も言えへん中で。みんなも持ってたかわからへんけど、私は自分の口から「もう限界かな」って本当に思い……みんなが疲弊してたから。思いかけたときに、それをポッと言ったんですね。
一瞬、職員室の空気がピタって止まって。誰も何も言えへんかった。みんなで本当にどん底まで落ちてた時あったから。そしたらね、退職間際の一人の女性が、ベテランの教員です、この女性がねぇ、そこでつぶやいたんですよ。
「校長の言ってることはわかるけど、でもさー、もしこの子が私の自分の子どもやったら、暴れてても大空に置いといてほしいって思うわ」って言ったんですね。この言葉を皆聞いたときに、「確かに」って。これほど納得することはなかったんですよ。「自分の子やったら置いといて欲しいよな。ってそんな医療的なケアとか施設とかそんなん要らん、暴れててもええから毎日学校に来て、学校で暴れんねんから大空において欲しいよなー」って。
そのベテランの退職間際の女性の一言で、全員がその時に中爽やかな覚悟ができた。「これでいいのかな、これでいいのかな」って不安になってて、校長の私まで不安になって「もう無理ちゃう?」って言った時のその一言は、「あ、そうか。って先生っていう役割捨てて、私もこの子が自分の孫やったら大空に置いといてほしいって絶対思う。みんなが自分の子やったら大空に置いておいてほしいと思うよな。もうそれだけでええやん。もうどんどん暴れてもらおうぜん」って、そうやって私らはそこを乗り越えた。
私らが乗り越えたら、この子は暴れるのを止めた。すごいですよ、子どもって。そこからただの一度も暴れてないし、中学3年間ももう本当に一度も暴れるなんてことなく、笑顔で中学生活3年間過ごしたみたいですよ。そんな未来が待ってるのに、その時に私が「あぁもう無理やね」とか言ってやってたら、あの子どうなってたかなっていうのは、本当に恐ろしい。「恐ろしい。教師が持つ指導とか分断とかなんか恐ろしかったな」と思うんですけど。
この子ね、卒業する前に校長室に来てね、「なあ校長先生、俺中学入ったら絶対すぐ怒るようになると思って心配してない?」って聞きに来たんです。で、私は「心配してる」って言ったら、「せやろなぁと思ったから、言いに来たってん」って。もう本当に上から目線で子どももの言いますけど、「言いに来たってん」って言うから、「何を言うの?」って言ったら、「ずっと言うで。大丈夫やからな、安心しや」って言うんやったから。「ええーっ、何の根拠で大丈夫って私が安心できるん?」って言ったらねぇ、すごく……お前にも言うたと思うけど、大空で使ったことない言葉をその時に言ったんですよ。
「俺な、我慢の仕方わかってん」って。自分で見つけたんですよ、暴れなくても我慢できる術を。周りとの、周りとの折り合いの付け方を自分が見つけたんですよ。これが「我慢できるから絶対心配せんでええ。武器になるから」。時々卒業生におったら、「なぁー京介どうしてる?」って言ったら「あいつ宣言通りえがお(笑顔)してるで」って。「たいしたやつや」って。そやねん。だーらーん、何か言ってもマスターあの子がどんだけ暴れてたか皆知ってるからですよね。
でも「暴れる子」の周りの子は暴れ始めるなぁと思ったらね、次をそーっと離すんですよ。「これあのエデュカフェで言ったと思う。なあ、なんであんたらそんな机を周りから机離すん、机離さないなー」って言ったら「校長バカやなぁ」って言われた、あの言葉ですよ。「今困ってんの京介やろ。京介机倒してその机アポンペタペタ貼って、俺ら怪我してみ。京介もっと困るやろう。それくらい校長わからんのか、バカやで」って。これは私はもうあの見事にあの残念な校長の姿やねんけど、自分の中の誇りなんですよ。子どもにそう言ってもらえたっていうのはね、なんか、なんか今でも誇りやなって。あの「校長先生ってね」なんか自分ができる・できないの誇りじゃなく、子どもにそういうことを言ってもらえたって。これが教師冥利に尽きる教師やなって。「校長先生大好き、校長先生なんかあの素敵よ」って言われて嬉しい思いを昔は自分を持っていたんちゃうかなって、そんなことから考えても。
やっぱりその我慢を自分が見つけて、それを中学3年間。監督がね、たまたま大空に行った時に京介と出会ったんですって。で、この7年目、7年目にカメラが入ったからこの1年間もうずうっと京介暴れてたから。実はこれ裏映画のあの裏の話なんですけど、この映画がなんか芸術祭大賞か何かを取って、日曜日かなんかNHKで夜の8時、ゴールデンタイムに全国版で『みんなの学校』が流れたんですね。
流れたの、子どもがみんなたまたま見てるんですよ。で、この京介が私のところに来てね、「先生、あの映画俺観たんやけど」って言いに来て。「なんで?」って言ったら、「俺1秒も映ってへん」って言ったんです。ほんで「いや映ってへん子他にもおるやんか」って言ったら、「ちゃう、俺暴れてる間ずーっと俺をカメラは撮ってた」って言うんですよ。「本当にあの監督曰く、京介暴れてるのを撮ってるビデオ何本あるか分からへんのですよ。それぐらいずっとカメラは俺を撮ってた。でも1秒も出てけぇへん。なんでやねん」って言うから。
「いやそら監督に聞かなわからんやろう」って言うとね、すっごい、「今、今から監督に電話しろ」ったんです。「いうから分かった」って、監督に電話して「京介が映ってないことの何かの意見があるそうですから、監督聞いてね」って言ったら、監督が「あせ、先生、本当のことを言ったらいいんですか」とか電話口で。「向こうで本当のこと言って大丈夫ですか」とか言うわけですね。「いや、それほんまのことしか言われへんやろう」って言って、代わったら。「京介が、俺がええ言うてんねんからええねん、俺が認める言ってるからええねん」ってずっと言ってるんですね。で最後に、「次また作るときは必ず暴れてる俺出してや」って。いいそう、監督に言ってました。監督「どう言うたん?」って言ったら、「『俺暴れてるとこいっぱいカメラで撮ってるけど、それな、放送で流したら放送コードにひっかかる』ってあっ、監督がそう言ってた。どっ本人がいい言うてんのになんだんだ難しいこと言うんや、どういうセンス?」って言うから。「うーん、確かに微妙やな」って言ったら「次もう1回映画PART2こねたら俺絶対入れてや」って言ったら、「ああっ、わかった」って言ったから「次俺の暴れているところ映るんちゃうかな」って、こんな風に京介がなんか言ったんですけど。
それは京介が卒業する時、6年生の2月にあの映画が生まれているので、卒業する前に映画を観てるんですね。「過去の自分は今の自分とは違う。どれだけオープンになってみんなに、世界中の人に見てもらえても、この暴れてた自分があるから今の我慢できる自分があるんや」っていうところをみんなに見てもらうんやないか、って。うん、こんな話をして京介は卒業していきました。はい。
桜井さん: ねえ、そんな大空小みたいな中学校ってあるのかなって、たぶん。
泰子さん: ほら、それ絶対に中学ってさ、聞かれんねん。「私、そんな知ったことやないやろ」って。そんなんあるかどうかなんて私に分かるわけがないし。もっと言えば大空でこののびのび育った子が地域の中学校上がったら「そう行けへんでしょ、そんなんどうしてたんですか」ってそれをよく聞かれんねんけど。だって大空の6年間、子どもは自分で力をゲットしてんねんで。その力を持って中学に入って、「中学もみんなの学校を作ってください、校則なんかやめてください」って、なんでそんなお節介私らはやりに行かなあかん?
そんな「お節介、中学変われよな」って言ったら、今度「高校変われよな」って言ってもらう。「なんで高校やない」って言うと思ったら、今度「大学変われよな」って。「社会変われよな」って、こんなお節介する?そんなお節介をするから子どもが育たへんのちゃうん。「壁にぶつかっておかしいやん」って、どんだけ思おうと、落ち込もうと、大空の6年間で4つの力とたった一つの約束を子どもが自分のためにゲットしている。その子なりに、その力をどう生かしてなりたい自分になっていくかっていうのは、子どもが作っていく話やろ。どうしても上手くいけへん時は大空に帰ってきて、リスタートを切ったり、子どもは、ああ卒業生はしてました。そういう時に「な、助けて」って言われた時は、私たちはどんなコトでもします。
でも子どもから「助けて」って言わないで、中学勝手に行ってここ勝手に行って、そんなことする必要もないし。どれだけ校則があろうとおかしいよなこれって、子ども当然思います。「なんで中学校はレベルの低い規則を作って子どもを縛るんや」んねえ、言いに帰ってくる卒業生も当たり前にいました。でもそこ折り合いつけながら、何が大事かを考えて行動をするのが子どもじゃないですか。そう思いませんか?ん。年間で育ってますね。育って育つから、ね、いろいろ。
長谷寺さん: そうですね。なんかこんなん言うたら大空の話が止まってしまいますね。うっねっ。あれですね、次の質問がならなんですけど、お話聞いててあの、当事者。当事者意識を持つっていうところから始まったと思うんですけど、その自分が子どもだったらって言う、自分が「俺学ぶ人間だったら」教員側とか保護者の、えっと、当事者意識っていうのもそうですけど、な、なんて言ったらいいのかな……。それがな、子どもを主語にする学校づくりをして行けるかどうかっていうのも、糸ですね。子ども言いとこですよね。
ちょっとまたまとまったら次の質問いきます。いったん桜井さんの方でして。
桜井さん: えっと、「『みんなの学校』を目指して個人で活動するとしたら、何から始めてどういう段階を踏んでいけるでしょうか」という質問も来てるんですけれども。
泰子さん: はい。まず、地域の子どもたちが学んでる地域も学校に自ら足を踏み入れてほしい。学校に入って、困っている子どもをそっと探してほしい。何もしなくていいから、学校に地域の人が、学校の教員以外の人間が学校をウロウロしてほしい。これが今では、一つの風穴を開ける一人の大人の行動ですね。一人が二人になり、二人が四人になれば、学校の画一的な息苦しい空気はどんどん開いてくるから。子どもはいろんな多様な子が吸いやすい空気になりますよ。この空気のおかげで、あたし達教員はものすごい仕事がスリムになって5時に帰れるわけですから。「働き方改革」って言う前に、地域の力をどんどん地域の学校に風穴開けるんで、地域の人が来るだけで私らの仕事は全部スリムになっていく。
私たち教員も、あのどっちかというと傾向としては保護者に何か言われると「責められてる」とか「なんかまあまずかったじゃないか」とか何かそういうふうに構えがちだと思うし。保護者の人も、あの共通の「私たちは子ども(教育)」というワードがあって、その成長のためにいろんなことを一緒にできる同士なのに、「うまくいってやろう」みたいななんかそういうような傾向があったりするのかもしれないし。そこをうまく乗り越えて子どもの成長を方針していく仲間みたいになっていくのは、まあそれも当事者意識というところは大事やねん、なってな。
やっぱり、入学式の時に毎年毎年講堂に地域住民、保護者、教職員すぐ集まるじゃないですか。その入学式に9年間みんなで合意形成。お子さんが自分が作る自分の学校、これがみんなの学校やでって。人のせいにするような子どもを作らんとこな。そのためには人のせいにするような大人にならんとこな、って。「すべての大人は文句を意見に変えよ。自分の子どもが学んでる学校に文句言って、ケチつけて、ああやって本当に喋れんです、文句言ってケチつけて。この学校はなんちゅう学校やって。自分の子どもが学んでる学校やでって。それって誰もわからへんところに落書きを書いて『木村死ねっ』て。これ文句やろ。それ『木村死ね』っていうのを見て誰か幸せになる? って、みんな疑心暗鬼になって「誰やーこんなん書いたん、もしかしたら、もしかしたら洋子ちゃんかな、それともこっちの保護者さんかな」とか。こうやって見たら、あの不幸せになっていくだけのことやんか。
「けど文句は必ず社会を変える原動力になるから、この文句を意見に変えよ」。毎回入学式では私たち教職員も確認する意味で、自分も確認する意味で、大人は少なくても子どもの周りにいる大人は文句を言うたらアカン。「じゃあ意見に変えよ。あの先生こんな指導の仕方でどうなってんねん。あんな先生クビにしてや」って。これも文句やろって。でもこれ意見に変えたらどうなるん。「あの先生こんな教え方して子どもら困ってん。ということはあの先生変わってもらわなあかん。でも一人やったらあの先生変われるかな。私あの先生こここんな風にしたら子どもたちなんか安心するんじゃない、私も一緒にあるけどどう?」っ。これが自分の学校をつくるサポーターとしての意見やろう。
すべての大人がこんな風に自分の子どもが学ぶ学校、ちょっとでもアップデートできたらその空気環境は全部子どもが吸うでって。こんな麗しいことないやん。これがみんなの学校、自分が作る自分の学校やでって。これを毎回入学式に同じことを9年間言い続けた。これしか言ってないよ。「子どもたちには初めての授業をしようね」って。「うざー」って作ってない。私たちは子どもの前の大人として、皆それぞれの風呂敷つなぎ合わさそうって。じゃあスーツケースの中で息できんかった子も風呂敷どんどん広がったら学校に来れてへん子どもの足元まで風呂敷広がんねんって。だらその子、居る学校におってもええやん、思うでって。
こんな風に、子どもが思ってくれるそんな子どもの周りの子どもたちが育つやん、思って。そんな話を毎年言ってました。だから、あのモンスター9年間ゼロです。なって大空小学校は一切文句は受け付けない学校ですっていうからな。だ親たち「えっ」って。たいがいでも学校に来てしまったって初めて来た人は当然思うじゃないですか。「文句言われるん?」って。「終わってるわと思ったんでしょ」とか「えっ」せぇ。「文句を意見に変えるねん」って。子どもたちも6年生になったら全員リーダーになるから、リーダーの条件が3つあって、その3つ目に「文句を意見に変える」。これ6年生の子どもら講堂で一人ひとりが自分なりに自己評価してるんよ。だから6年生になったら全員、誰も暴れる子誰もおれへんで。誰一人かけんとみんな卒業式サブリーダーの5年生に「あと頼むで、任せよ」って出て行く。一人も欠けなかった9年間。5年生までは嫌というほど暴れて飛び出して暴力振ってあの。それが当たり前やけど。6年生になったら1年生がリーダーとか言うから、せいちゃんも「僕はリーダーですからね、校長室で休憩なんかできないんです」とかいい失敗だった。これらのみんな。
これが指導じゃなくって環境やね、学校の中の。この指導より環境を作らな。この環境を作るのは地域住民であったり保護者であったり、一人の大人がまずは学校に行って学校の空気をちょっとでも風穴開けて多様な空気にするために「自分は教員でない自分が必要や」と思ってくれたら。「校長先生が『勝手に入らんと降りて』って言われたら、校長先生私は今チャンス読み方ですよ。子どもの個人情報と子どもの命と、校長先生どちらを取られますか」って。この2つのセリフを皆さんになあって言ってくれないけどね。納得しちゃいますよ。
なるほど。保護者も納得。「ちゃう関係なくね、みんなも呼ぶ」。だから対等な関係にする。しどいは私はいつも言うてんで、「なんかみんなボランティアやんか。サポーターにしろ。当事者意識持って自分の学校自分で作れて、その大人の姿を子どもがあの憧れんねん、みたいな都合のいいこと校長言うてるな」ってみんな思いへんかなって。「なんか職員室では私らがやってることと地域住民やサポーターたちがやっていることと、なんかあんまり変わらへんやんか。変わらへんねんけど、変わらへんというより私らに言われることを地域の人や友達の母ちゃん・父ちゃん頼むで、全部言って安心できる言う環境を作ってもらってやるけど。地域住民やサポーターたちはあくまでボランティア。私らとの違いは私らは給料もらう、この違いだけは忘れんとこな」って。でも言ってるだけやね、「えっ」っていつも言ってる。「うん」って言いながら、腕もなんかあんまり関連だ。まあ入り感情はあるけどね。「でもこの違いをやっぱり自覚はせなあかんと思うけど、でも関係性は対等なんですよ。先生やから子ども育てます、あなたたちは素人やったら子どもの授業やらないでくださいなんてどの口の言ってんねん」て思いませんか? ブーはいっ。
金子さん: いろいろ教えていただいたの、あります。大空小って「働き方改革」のなんか先取りっていうところもありますね。その長時間勤務の激務もなかったんでしょうね。ちょっと何かがあったら、子どもがどうなったとか、どこどこの家でこんなことがあったよとか、そんな時は当然夜中までも残るよ。でも何もないときは、だっておはようってなんか全教職員で一人の子を360度から見ようぜって。一人では絶対無理やから「なんで担任制度もシステム変えたん?」って、なんか「じゃあみんながちょっと気になるなって思ったら、あの、気になんねんって職員室に振り込んだらいい、私じゃあ行くわー」とか。「じゃあ納得してないことはなんか、あそっかごめんな、私悪かったなぁ」納得して帰るじゃないですか。納得して帰ったら次の日安心して学校に来るのは当たり前だと思いませんか? じゃあみんなで、子どもがいる間にみんなで何か本当にあの、職員だろうがサポーターであろうが地域住民だろうが管理職であれば、そんな関係で子どもの前で学ぶ人を唱えるから、その大人がいろんなところで360度から子どもを見つめるような環境ができていったら。
やっぱりもう当然スルーして帰らしてしまうときも当然あるよ。完璧とは言えない。でも毎日さよならメッセージを子どもが書いて帰る。そのさようならメッセージを読んでやっぱりその日に「じゃあ明日朝来たら私はこの子にまず『ごめん』からスタートやわ」みたいなことが多々、白い歯思う事があるわけですよ。なんかそんな毎日行って。
働き方を改革って、「子ども帰った後いい授業をしよう」なんて間違っても思わんとこな、って。子どもが動き回る、先生静かな授業は「先生が教材研究をして板書して静かに聴いて静かにノートにそれを写す」、こんな授業10年後の社会で役立つかって。役立たへんな。「捨てよ。授業の最上位の目的はたった一つの約束と4つの力って。あとの評価・指導はあくまでも手段。課題とまとめさえブレへんかったら指導要領はこなせるんですよ」。なんかこういうことをいつも皆で確かめあってたので、子ども帰って残すこと何もなかったら5時にはさよならって。私らも帰るでしょ。若者たちはなんかみんなと一緒に家創り会いたいんですよ。「明日どんな授業する、誰だとする」とか言って、中あまりにもみんながワイワイ楽しんで職員室に。「私らに楽しいからいてるっていう事は多々あるわけですよ。でもそうしたら教頭が自分ひとりの時間作れへん。皆が職員室でやってたら教頭も楽しいから一緒だって、これなーこれ昇格だってやっちゃうわけですよ。だから1週間に必ず今日は教頭先生をひとりぼっちにする日っていうのを必ず作ってたんです。この日はいくら遅くても5時半には絶対学校出る。これは中みんなが徹底して守ってましたね。
ねえ、出ても私は主婦やからあの一刻も早く家に帰って主婦をして次の日学校に行くけど。若者たち何か家に帰ってやることがなかったら、みんなでそこら辺で飲んだり食べたり、なんか違うところでうわーって喋ったり、そういうことはみんなやってたんじゃないですかね。ありがとうございます。
うんっ。じゃあの最後の質問でよろしいですか。最後の質問になっちゃうんですが。
長谷寺さん: そうですね、言えば。私みたいにまあまだその管理職でもない立場で、その最上の目的を対話を通してもっけて、それで「子どもを主語に働きたい」っていう思いは思いはまあ私はとてもありますが。それをその同僚の先生たちにも、まあこの持ってほしいな。だからその、おこがましいんですけども共にその育てていきたいなと思わって。それをする・育てるためのヒントのようなものがあったら教えて頂きたいなって思う。
泰子さん: ヒントなんてないと思うけど、あの「完璧をまず目指さないこと」あ、完璧を目指さない。「この先生は自分が主語になってるわ。こう、この先生が力で子どもに同調圧力をかけてるわ。はい先生たち働きにくいやろ」って、そう思う。私たち化石のような文教員になってないかなって、自分のことをいつも化石になってるとか教員みんなで確かめ合ってたんですけど。そういう人って残念ながらいてるのが当たり前の職員室やと思うんですよ。時代が今変わろうとしている過渡期やからね。うんだから。
でもそういう先生が「その先生は悪だ、先生変わってくれ」って思うねんけど、その先生に求めないで。その先生に侵された子どもたちを、私らはまずは今は逃がしてやろう。「ごめん」って私が反対にやり直すからちょっとしゃべろうって。そういうことは先生たちは堂々と行動したらいいんじゃないですか。「このクラスのこの子らは担任のあの先生がうわーって注入している。だからこの子どもらに関わったら、うちのクラスの子に『なんで長谷寺が1年関わるんや』って。もし言われようが何しようが先生その考えもうあの今通用しませんよ。ってうちの学校の子どもは全員私の子どもです、これが今の時代の教員の最低限の使命ですよ」みたいなことを堂々とオープンに職員室で言っていけばいいんじゃないですかん。その先生を変えようとするんじゃなくて。
その先生にやっぱり残念ながら侵されている子どもたち、いや、教員たち、特に若い先生たち。この先生たちをやり直しを、やっぱり子ども見よって。なんの先生も困ってるんかわからんねって言いながら、その先生を悪者にするんじゃないけど、若い先生が大事なことは「何回失敗してもいいで」って。この今黙らしてしまうから静かになるけど、この学校に来られへんで。「私らのやることをもう一回やり直せへんか」みたいなことで一緒に繋がっていくことじゃないですかね。
大空でも当然職員室が入ってきたら「勝手に入るなー」っていう先生なんかが1年目当たり前にいてたし。「若者はベテランに教えてもらってからやれ、学級通信を勝手に自分の学級だけ作るな」みたいな先生も当たり前にいてたよ。でもその先生はやっぱりこれまでの時代の価値観引きずってきてるから、「先生変わってよ」って言っても無理やねんか。
だからその、私は校長そして指導監督せなあかん、そういう使命があるかもわからへんけど、私はそれは校長の仕事思ってんだったから。そんな人を変えるみたいな洗能力は私にはない。だからそんな無理。その先生、ただの一人も校長室に呼んで「先生なんや、指導間違ってるで」なんて言った言葉ない。あの「えーっ」だって「親にアンタ首やで」って言ってる場合あったと思うんけど。あれは若いな、親が自分から「校長先生、こんなんこんなんやっちゃったけどどうしたらいい、自分が私に教えてよ」ってきた人にはいつでもどこでもどんな場所でも、あの私はフルで教える。
「また首やで、そんなあの子窓から飛び降りて死んだらまた勤める気か。って奥さんも子どももおるやろ、給料要らんねんで」みたいなことは当たり前に先輩として私は言ったけど。でも校長として教員を指導するみたいなことはただの一度も私はやったことがない。でもその先生に辛い思いをさせられている子どもは必ずその子どもの前に行って「今納得してへんやろう、ごめんやで。ってもう一回今ここでやり直ししようして」って私だけじゃなく気づいた教員はみんな職員も動いてた。だから子どもは納得していけたらいいなと思うんですけど。
さっき長谷寺さん一応最後って言ってましたけど。金子さんあるんですか最後、あれば。
金子さん: 当事者意識を持っているなって、そのすごく大事だなぁと思ってて。これはさっきの質問の流れから変わっちゃうかもしれませんけど、どういう風にしたら当事者意識を持てるのかなーっていうのは思ったりすることをあったりするかな。
泰子さん: 当事者でしょ。こうやって子どもがさ、子どもがどんな大人を信用する、子どもがどんな大人に言いにくいことを言う、子どもが「俺一人ぼっちになって助けてや」って言うてもらえる大人ってどんな大人かなって。そんな大人が目の前にいてないから一人ぼっちになって子ども死んでしまうやんか。じゃあどんな大人になったらいいやろうって。なんかそんな大人になれるかならなへんかこんな結果やから、「でもなろうとする大人である自分がいたらその大人をな、自分の子どもはなんかねぇ、尊敬するんや」。
これ不思議やねんけど。「俺のママなんか大嫌いやねん、もう俺のことはわかってくれへんし。ママなんておらん方がいいわ」って文句言ってる、私らに。親が喧嘩、そんな子が。その俺のママが暴れてる子に関わっているのを、自分はちょっと離れたところから見て。「ねーねー、俺にはこういうくせに大人は何であんな二重人格なん」って。子どもはそんな風に自分の親を見てる。その時に「あのあそこで関わっている大人と、あんたにギャーギャー言う大人とあんたはどっちが好き?」って言ったら「あっちに決まってるやん」っていう。あっちってあの人誰? 俺の母ちゃん。「そうか、大分かっこいけてんな」とか。そうやって子どもはね、自分の親をちょっと離れた所から友達に関わってる姿を見て、これあのなんかそんな大々的な言葉じゃないねんけど、私はやっぱり「見直してるな」っていうのはどんな顔見てもいっぱい9年間思ってきたんですよ。それってマスター、ウィン・ウィンじゃないですか。自分もめちゃくちゃなんか幸せになっていくと思いませんか。
金子さん: けどね、なんかたぶん質問を寄せてくださったみなさん私も含めてそうですけど、「自分の立場で」とか「自分の立場で何ができるのかな」って考えるのと同時に、「あの人がもっとこうなったら」とか「学校がもっとこうだったら」っていうふうに併せて思うと思うんですよね。でもやっぱり誰かや何かを変えることって本当おっしゃったように難しくて、自分がどういうふうにいるかということで。今日話の中に出てきたやっぱり「当事者でいられるような自分でいる」ということとか。
そうですね、学校の中に保護者としてもあの、風穴が開けるっていうかね、足を踏み入れて話をする、そういう機会を自分にできることをやっていくということですよねきっとね。うーん。
泰子さん: そうやってね、今からみんが言った通りで。そうやって「この校長もおるから」「この家がおるからこの保護者が私を苦しめんねん」とか。引いて言えば「この子が私のクラスに居るから私は困るねん」とか。すべて人のせいじゃないですか。自分がこんなふうに思ってる間は絶対子どもは安心して自分の前にはいてないと思うんですよね。私はこのことを、今日なんかこんな話なんでしてるんやろうと思うぐらい自分でも驚いてるけど。
そのねっ、取り返しのつかない1人の子どもの学びを奪ってしまった。奪ってしまった自分のみんな元原因の、原因の原因を呼んで冷静に分析したら、「この校長が悪い、この親が変わらな」みたいなことがやっぱりどっかにあった。だからすべて子どもにそんなしわ寄せがいってしまってるわけやから。人のせいにしてる間は100%子どもはそんな大人を見て安心しないやろうなって言っ……うん、そう思います。
桜井さん: ありがとうございました。長時間にわたって質問に答えていただいてありがとうございました。うんはい、自分もその学んだことというか、困っている子どもだなと思ってるんですけれども、だかやってるうちにいつの間にか「困る子ども」になっちゃってるんですよね。それをやっぱり当事者意識を持ちつつそこをぶれないようにうんしていけたらなって思ったし。その当事者意識を持ち続けるヒントっていくつか貰って。あのそのうちね、これも恥ずかしい話ですけれども、「もう困っている子なんとかしたいな」っていうのが「困る子」になっちゃってるっていうのは自分の「こうな」っていう意識を持てなくその時になっちゃってるんですよね。その当事者意識をしっかり持っていきたいなっていうのが、はい、今日質疑をしながらの本当にすごい学びがあって。今日ここに参加させていただいてありがたいなと思いました。
本当に泰子さんありがとうございました。今でもあのね、ありますか? ありがとうございました、あの質問していただいた金子さん、長谷寺さんもどうもありがとうございました。ありがとうございました。あっという間でしたね。あのひたちなかの映画会のその質問、この前まー次というか学びをここまでにしたいと思います。では皆さんおつかれさまでした。ありがとうございました、ありがとうございます、ありがとうございました。
