弥富市官製談合事件の本質:個人の犯罪ではなく「行政の構造的腐敗」を問う
1. 事件の本質は「贈収賄」ではなく「官製談合」である
今回の弥富市建設部長による入札情報漏洩事件は、単なる個人の汚職や贈収賄事件として片付けられるべきものではない。問われているのは、弥富市役所という行政機関と地元建設業界が長年癒着し、公共事業を歪めて不当な利益を得てきた**「組織的・地域的な犯罪構造」**そのものである。
1994年のゼネコン談合事件を契機に成立した「官製談合防止法」は、個人を裁くだけでなく、行政と業者の間に蔓延る「談合体質」そのものを撲滅するために作られた。したがって、建設部長が個人的な金銭的利得を得ていたかどうかは本質的な問題ではない。「本来公正に執行されるべき入札が、情報漏洩によって歪められた時点」で犯罪が成立し、それを受け入れた業者側も同罪となる、極めて重大な事件である。
2. 「予定価格の非公表」が生み出す不透明な参入障壁
全国の自治体が1995年以降、入札の透明性を高めるために「予定価格の公表」へと舵を切る中、弥富市はそれに背を向け、非公表を貫いてきた。
予定価格が公表されない一般競争入札は、特定の業者に対してのみ開かれる「ガラスの扉」に等しい。例えば、20億円規模のよつば小学校工事の入札において、膨大な図面から1週間程度で正確な積算を行うことは、スーパーゼネコンであっても至難の業である。それにもかかわらず、「予定価格の99%以上」という不自然極まりない金額で落札され続けているという事実は、統計学的に見ても異常であり、あらかじめ暗号キー(パスキー)とも言える「予定価格」が一部の業者に共有されていたことを強く推認させる。
3. 真面目な企業を淘汰し、市民の血税を簒奪する悪質性
この官製談合体制がもたらす最大の被害者は、弥富市民である。 公共工事の予定価格には、通常1〜2割(20億円の工事であれば2〜4億円)の「ゆとり(利益)」が含まれている。オープンな一般競争入札で適正な競争が行われれば、企業努力によって1割ほど安い適正価格で高品質な工事が実現するはずである。
しかし、一部の業者が情報を事前に入手し「予定価格ピッタリ」で落札する現状は、以下の深刻な弊害を生んでいる。
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市民の税金の簒奪: 本来削減できたはずの数億円規模の税金が、特定の業者の不当な利益として消えている。
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正当な企業の排除: 技術を磨き、適正な価格で入札しようと企業努力を重ねる真っ当な企業の努力を無にしている。
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脆弱な企業の温存: 行政からパスキーをもらわなければ自立して生き残れない、競争力のない業者を甘やかし、延命させている。
「業界のためにやった」と語る関係者がいるとすれば、それは勘違いも甚だしい。実際には業界全体の健全な発展を阻害しているに過ぎない。
4. 安藤市長の管理監督責任と「不可解な弁明」
この事態に対する安藤市長の「知らなかった」「不自然に思わなかった」という態度は、到底看過できるものではない。過去の事案(730万円の事件等)も含め、行政組織としての管理監督機能が完全に麻痺している。
何より、安藤市長自身は1994年のゼネコン談合事件当時、土地改良区の発注者側として、まさにその渦中に成り得る立場にいた人物である。予定価格の非公表がどのような不正の温床になるか、入札制度の仕組みとリスクを「知らないはずがない」のである。それにもかかわらず、あたかも一職員の単なる不祥事・贈収賄事件であるかのように装い、呑気に警察の捜査結果を待っているという姿勢は、行政の長として極めて不誠実であり、全く不可解としか言いようがない。
結論
今回の弥富市官製談合事件は、予定価格の非公表というブラックボックスを悪用し、市民の利益を犠牲にして一部の業者を優遇してきた「構造的腐敗」の露呈である。この事件を契機に、予定価格の事前公表を含めた入札制度の抜本的な透明化と、首長をはじめとする行政トップの厳格な責任追及が強く求められる。
弥富市入札事件の本質についてはこちらのページで特集しています
弥富市官製談合事件の本質:個人の犯罪ではなく「行政の構造的腐敗」を問う
第1章:事件の深層と「官製談合防止法」の法理的要請
2026年2月12日、愛知県警察本部は弥富市の現職建設部長を官製談合防止法違反(入札妨害等)の疑いで逮捕し、これに連座する形で市内の建設業者4社の代表らも公契約関係競売入札妨害の疑いで書類送検されるという極めて重大な事態が発生した 。警察の捜査によれば、逮捕された建設部長は2025年5月から6月にかけて実施された「弥富まちなか交流館リニューアル工事」を含む複数の公共工事の一般競争入札において、市の審査委員会等を通じて知り得た秘密事項である設計金額(予定価格の基礎となる重要な数値)を、あらかじめ特定の建設業者に対して不法に漏洩した疑いが持たれている 。
この事件の発生に対し、行政内部や一部の市民からは、一人の職員による倫理観の欠如や、個人的な金銭的利得(賄賂)を目的とした単なる「贈収賄事件」あるいは「個人的な不祥事」として事態を矮小化しようとする論調が見受けられる。弥富市の組織内部には「金品を受け取らなければ罪にはならない」という、近代行政のコンプライアンス基準から著しく逸脱した前時代的な規範意識が温存されていることが推察されているが 、このような認識は事件の本質を決定的に見誤るものである。本事件の核心は、個人的な汚職の枠組みを遥かに超えた、弥富市役所という行政機関と地元建設業界が長年にわたり強固に癒着し、公共調達の公正性を構造的に歪めて不当な利益を継続的に得てきた「組織的かつ地域的な犯罪構造」の露呈に他ならない 。
本事件を法的に、そして行政学的に正確に評価するためには、本件で適用されている「入札談合等関与行為の排除及び防止に関する法律(通称:官製談合防止法)」の制定経緯とその法理的要請を深く理解する必要がある。この法律は、1994年に発覚し日本社会を大きく揺るがした大規模なゼネコン汚職事件(当時の建設大臣や有力政治家、地方自治体の首長らが次々と逮捕された事件)を直接の契機として、2002年に制定されたものである。1994年当時のゼネコン汚職事件から得られた最大の教訓は、刑法上の贈収賄罪(刑法第197条等)のみを適用して個人の金銭授受の事実を立証・処罰するだけでは、行政組織の深部にまで根を張った「官製談合」という構造的な病理を根絶することは到底不可能であるという事実であった。
従来、公務員が談合に関与した事実があっても、明確な賄賂の授受が立証できなければ刑事責任を問うことが極めて困難であった。この法の抜け穴を塞ぎ、行政と業者の間に蔓延る「談合体質」そのものを撲滅するために創設されたのが官製談合防止法である。同法は、公務員等が入札の公正を害する行為、すなわち予定価格の漏洩、特定の入札参加者の指名、受注調整の幇助などに「関与」すること自体を独立した違法行為として厳格に禁じている。さらに、刑法第96条の6に規定される「公契約関係競売等妨害罪」は、偽計または威力を用いて公の競売または入札の公正を害すべき行為をした者を処罰するものであり、金銭的利得の有無を犯罪の構成要件としていない。
したがって、今回の弥富市の事件において、逮捕された建設部長が業者側から個人的な見返りとして金銭や接待等の利得を得ていたかどうかは、事案の悪質性を補強する要素にはなり得ても、犯罪成立の「本質的な要件」ではないのである。「本来であれば厳正かつ公正に執行されなければならない公共工事の入札が、行政側からの意図的な情報漏洩によって開始前にすでに歪められていた時点」で、公の信頼に対する重大な背信行為として犯罪が完全に成立し、その不正な情報を受け入れて利益を享受した業者側も同罪となる 。この法的枠組みの理解なしに、弥富市の病理を正確に診断することは不可能である。
第2章:「予定価格の非公表」が生み出す不透明な参入障壁と情報統制
弥富市における官製談合がこれほどまでに深刻化し、かつ長期間にわたり発覚を免れてきた背景には、同市が頑なに固守してきた「予定価格の非公表」という特異な入札制度の運用形態が存在する。1995年以降、全国の多くの地方自治体は、ゼネコン汚職事件への反省と公共事業の透明性向上を求める社会的要請に応える形で、入札の透明性を高め、新規事業者の参入機会を拡大するために「予定価格の事前公表」へと相次いで舵を切った。しかし、弥富市はこの全国的な行政改革の潮流に完全に背を向け、不透明な非公表制度を貫徹してきたのである 。
予定価格の非公表制度は、理論上は「各建設業者に独自の企業努力による正確な見積もりを促し、業者間の談合による価格の高止まりを防ぐ」という名目で正当化されることが多い。行政の内部統制(ガバナンス)が極めて厳格に機能し、情報の漏洩リスクが完全に遮断されている理想的な環境下であれば、この理論は一定の正当性を持ち得る。しかし、現実の地方行政、とりわけ首長の管理監督機能が著しく麻痺している弥富市のような環境においては、予定価格の非公表制度は、特定の癒着業者に対してのみ開かれる「ガラスの扉」として極めて悪質に機能する。
一般競争入札という形式そのものは「広く門戸が開かれている」という外形的な公正さを装っている。しかし、予定価格が非公表である以上、入札に参加する企業は自社の積算能力のみを頼りに、行政側が設定した「正解(予定価格)」を推測しなければならない。ここで決定的な意味を持つのが「情報の非対称性」である。行政側と裏ルートで繋がっている特定の地元業者は、あらかじめ「予定価格」あるいはその基礎となる「設計金額」という暗号キー(パスキー)を不正に入手している。一方で、技術力や価格競争力に優れ、真面目に企業努力を重ねている外部の優良企業や新規参入希望者は、このパスキーを持たないまま暗闇の中で手探りの積算を強いられる。
結果として、外部の真面目な企業がどれほど綿密な積算を行い、適正な利益水準で入札額を提示したとしても、パスキーを持つ癒着業者が「予定価格のギリギリ下(例えば99.7%)」で札を入れることで、確実に落札の権利を奪われる構造が出来上がる。この「一般競争入札を偽装した実質的な指名競争入札」とも言える欺瞞的なシステムこそが、弥富市の行政構造にビルトインされた腐敗の核心である 。他地域では30年も前から進められてきた健全な業界再編や競争原理の導入が、弥富市においては「予定価格の非公表」というブラックボックスによって人為的に阻害され続けてきたのである。
第3章:統計的異常値「落札率99%」が証明する事前漏洩の確実性
この構造的腐敗の存在を、いかなる弁明も通用しないレベルの客観的証拠として裏付けているのが、弥富市が発注する公共工事において常態化している「異常な高落札率」である。公開されている情報や市議会での追及内容を分析すると、近年同市が実施した教育施設等の大規模工事において、予定価格に対する落札金額の割合が99%以上となる事例が頻発していることが確認できる 。
| 実施年度 | 工事案件の概要 | 予定価格 | 落札価格 | 落札率 | 備考・落札者等 |
| 2024年度 | 小学校再編整備工事 | 19億3500万円 | 19億3000万円 | 99.7% |
市内業者で構成する共同企業体(JV)が落札 |
| 2024年度以降 | その他の教育施設等工事 | (詳細非公開) | (詳細非公開) | 99%以上 |
複数の工事で99%以上の異常な落札率が記録されている |
| 2025年度 | 弥富まちなか交流館リニューアル工事等 | (捜査中のため非公開) | (捜査中のため非公開) | 97%超等 |
今回の官製談合防止法違反における直接の逮捕容疑対象工事 |
表に示した通り、例えば2024年に実施された「小学校再編整備工事」においては、予定価格19億3500万円に対して、落札価格が19億3000万円であり、その差額はわずか500万円、落札率は驚異の99.7%に達している 。このような「予定価格に極限まで肉薄する落札」は、統計学や建設積算の実務的観点から見て、全くもって不自然であり、異常の極みである。
公共工事の積算というものは、単に材料の値段を足し合わせるような単純な作業ではない。22億円規模の大規模な小学校校舎建設工事を例にとれば、意匠図、構造図、電気設備図、機械設備図、外構図など、数百枚から数千枚に及ぶ膨大な設計図書から、コンクリートの打設量、鉄筋の重量、内装材の面積、配線の長さなどを一つ一つ精密に拾い出し(数量拾い)、そこに最新の労務単価や資材の市場価格、さらには仮設工事費(足場や現場事務所の費用)や一般管理費(本社の経費等)を掛け合わせていくという、極めて複雑かつ高度な専門的プロセスを経る必要がある。
通常、公共工事の入札期間(公告から入札締切まで)は1週間から長くて数週間程度しか設定されない。この短期間に、20億円規模の設計図書から生身の人間が完全に正確な積算を行うことは、BIM(ビルディング・インフォメーション・モデリング)などの最新のIT積算システムを完備し、多数の専門積算技術者を抱える日本のスーパーゼネコンであっても至難の業である。各企業によって、採用する工法、資材の調達ルート、協力会社(下請け)からの見積もり額、自社の利益水準の設定などは必ず異なるため、複数の企業が独立して真面目に積算を行えば、最終的な見積もり金額には必ず数パーセントから十数パーセントのばらつきが生じるのが自然の摂理である。
それにもかかわらず、システムの整備状況や技術力で劣るはずの地元の建設業者が、予定価格に対して0.3%(500万円)の誤差しか生じない「予定価格ピッタリ(99%以上)」の金額をピンポイントで算出し、落札し続けているという事実は、企業努力による積算精度の向上といった次元の説明を完全に破綻させている。これは、入札開始前に積算のベースとなる設計金額や予定価格そのものが業者側に漏洩し、完全に共有されていたことを強力かつ数学的に推認させる動かざる証拠である 。落札率99.7%という数字は、「偶然の産物」ではなく、官と業が結託して作り上げた「精密な八百長」の結果に他ならない。
第4章:適正な競争環境の破壊と市民の血税を簒奪する悪質性
この官製談合体制がもたらす最大の被害者は、抽象的な「公共の利益」ではなく、毎日汗水流して税金を納めている他ならぬ「弥富市民」である。予定価格の漏洩とそれに伴う高落札率の常態化は、弥富市の地域社会と財政に対して回復困難な甚大なダメージを与え続けている。
公共工事における「予定価格」というものは、標準的な施工条件と適正な利益を前提に行政側が算出する「上限価格」である。この予定価格の内部構造には、材料費や人件費からなる「直接工事費」に加え、現場の維持に必要な「共通仮設費」、現場の管理部門の経費である「現場管理費」、そして企業の本社経費や純利益となる「一般管理費等」が含まれている。一般的に、この予定価格には1割から2割程度の「ゆとり(実質的な利益幅)」が内包されているとされている。
したがって、情報の非対称性がないオープンな一般競争入札が適正に実施され、市場の競争原理が健全に機能すれば、各参加企業は自社の技術開発、資材調達の工夫、あるいは工期の短縮といった企業努力を通じてコスト削減を図り、行政側が設定した予定価格よりも1割から2割ほど安い「適正価格(落札率80%〜85%程度)」で、かつ高品質な工事を提案し落札するはずである。これが資本主義経済下における公共調達の正しい姿である。
しかし、弥富市のように一部の業者が不正なパスキーを事前に入手し「予定価格の99%」で落札する現状は、以下に挙げるような極めて深刻な社会的・経済的弊害を生み出している。
第一に、「市民の税金の直接的な簒奪」である。仮に22億円の公共工事が競争入札によって適正価格の85%(約18.7億円)で落札されたとすれば、市は差し引き約3.3億円もの財源を節約できたことになる。この3.3億円は、本来であれば福祉の拡充、教育環境の改善、あるいは子育て支援策の拡充など、市民生活を直接豊かにするための施策に充当できたはずの血税である。それが、官製談合という不正なプロセスを経ることで、特定の建設業者の「不当な超過利益」として完全に消え去っているのである。これは、行政による市民に対する重大な背信行為であり、合法的な横領とも言える事態である。
第二に、「正当な企業の排除と業界の健全な発展の阻害」である。弥富市の市場において、技術を磨き、無駄を省き、適正な価格で誠実に入札に参加しようと企業努力を重ねる真っ当な企業は、常に敗北を強いられる。どれだけ努力しても、行政からパスキーをもらっている企業には絶対に勝てないからである。このような構造が定着すると、業界内には「真面目に努力するだけ無駄である」「行政の有力者に取り入ることが唯一の成長戦略である」というシニシズム(冷笑主義)が蔓延する。これは、意欲ある企業の成長機会を完全に奪い、地域経済からダイナミズムを喪失させる致命的な要因となる 。
第三に、「脆弱な企業の温存と将来リスクの増大」である。官製談合は、行政からの不正な恩恵を受けなければ自立して生き残ることすらできない、競争力や技術力に著しく欠ける業者を甘やかし、延命させる装置として機能する。これを「地元の業界を守るため」「地域経済への配慮」などと美辞麗句で語る関係者がいるとすれば、それは事の本質を見誤った甚だしい勘違いである。競争を免除された温室育ちの企業は、新技術の開発や経営の合理化を怠るため、建設業界全体の技術力の低下を招く。その結果、不適切な施工や品質不良が発生しやすくなり、最終的には将来の弥富市民がインフラの早期劣化や莫大な修繕コストという形でそのツケを払わされることになるのである。
第5章:行政トップの管理監督責任と組織的隠蔽体質(ガバナンスの完全麻痺)
本件において最も厳しく糾弾されるべきは、現場の実働部隊である建設部長の犯罪行為そのものに加えて、このような異常事態を長年にわたり放置し、構造的腐敗の温床を育んできた弥富市の「行政トップの管理監督責任」である。この点に関して、安藤正明市長の姿勢や弁明は、地方自治体の首長としての適格性を根本から疑わざるを得ないほどに不誠実かつ不可解なものである。
経歴が証明する「知らなかった」という弁明の不合理性
市議会等における追及や報道によれば、安藤市長は自らの足元で頻発していた「落札率99%」という統計的異常値に対して、「知らなかった」「不自然に思わなかった」といった趣旨の弁明を行っているとされている 。この態度は、単なる市民感覚との乖離というレベルに留まらず、行政トップとしての致命的な職務怠慢、すなわち法的な「善管注意義務違反」に直結する極めて由々しき問題である 。
安藤正明市長の経歴を客観的に検証すると、この弁明がいかに不合理であるかが浮き彫りになる。市公式ホームページのプロフィールによれば、安藤市長は昭和60年(1985年)4月に「弥富町土地改良区」に採用され、長年にわたり地方行政と公共事業の最前線、あるいはその極めて近い周辺領域で実務経験を積んできた人物である 。さらに、平成23年(2011年)4月からは愛知県議会議員として2期連続で当選を果たし、広域行政の監視役を務めた後、平成30年(2018年)12月に弥富市長に就任し、現在2期目を迎えている 。
ここで着目すべきは、彼が行政の実務担当者としてキャリアを積んでいた1994年という時代の文脈である。1994年こそは、日本の公共調達のあり方を根本から覆した前述の「ゼネコン汚職事件」が社会問題化した年であり、これを契機として全国の自治体で予定価格の事前公表の是非や、厳格な入札制度改革が血を吐くような議論を伴って進められていった激動の時期である。まさにその渦中において、土地改良区という公共事業の発注やインフラ整備に深く関わる機関に所属していた人物が、「予定価格の非公表」という制度がどのような不正の温床になり得るか、そして大規模公共工事において「落札率99%」という数字が何を意味しているのかを「全く知らないはずがない」のである。
もし本当に知らなかったのだとすれば、それは約40年間にわたる行政官および政治家としてのキャリアにおいて、公共調達のイロハすら学んでこなかったという能力の完全な欠如を自白しているに等しい。逆に、知っていながら「不自然に思わなかった」と装っているのであれば、それは不正を黙認し、自らも腐敗の構造の一部として機能してきたことの隠蔽である。いずれにせよ、事件発覚後もあたかも「一職員の単なる不祥事・突発的な贈収賄事件」であるかのように振る舞い、呑気に警察の捜査結果を待っているかのような姿勢は、行政の最高責任者として到底許容されるものではない。
過去の不祥事(730万円補填問題)に見る責任転嫁の構造
弥富市におけるガバナンス不全とトップの責任回避体質は、今回の官製談合事件に突如として始まったものではない。市役所内部に深く根を下ろした組織的な隠蔽体質と、責任を現場の末端に押し付ける構造は、過去に発生した不祥事の対応にも極めて色濃く表れている。
その典型的な事例が、市議会で厳しく追及された「補助金730万円の受給漏れと一般会計からの補填問題」である 。この事案は、市の事務処理上の重大なミスによって受け取れるはずであった国や県からの補助金730万円を受給し損ね、その穴埋めを市民の血税である一般会計から秘密裏に補填していたという極めて悪質な不祥事である 。
この重大な事務処理ミスと財政的損失に対し、弥富市当局は信じ難い対応をとった。自ら進んで市民に事実を公表・謝罪するどころか、議会の決算認定プロセスにおいて市議会議員から直接指摘されるまで、この事実を隠蔽していたのである 。さらに悪質なことに、なぜ公表しなかったのかという議会からの追及に対し、市当局は「公表基準がなかったから公表しなかった」という、官僚主義的で到底市民の理解を得られない形式論を盾にして自らの隠蔽行為を正当化した 。
また、この重大事態に対する責任の所在について問われた際、安藤市長や副市長といった組織のトップは、「管理者責任」という問題の核心から巧みに逃避した。「職員を信頼している」「職員一人ひとりが職責を果たす」といった、一見すると響きの良い抽象的な美辞麗句に終始し、最終的な責任を課長以下の現場レベルに押し留めることで、自らの引責を回避したのである 。
近代の行政組織管理において、「職員を信頼する」ことと「チェック機能を構築する」ことは全く次元の異なる問題である。市議会でも指摘されている通り、行政組織にはスティーブ・ジョブズのような無謬の天才は必要なく、むしろ自分がミスや不正を犯す可能性のある「凡夫の役人」であることを自覚し、その前提に立って何重もの「チェックをかける仕組み(内部統制システム)」を構築し、それを機能させ続けることこそが、行政トップに課せられた最大のミッションである 。弥富市のトップは、この「チェック機構を構築・維持する」という本質的な管理者責任を完全に放棄し続けてきた。今回の官製談合事件における建設部長の暴走も、この「絶対に責任を取らないトップ」と「完全に麻痺した監査・チェック機能」という土壌の上に咲いた、必然的な悪の華に他ならない。
費用対効果算定における恣意性と民意の黙殺
さらに、このガバナンスの欠如と市民軽視の姿勢は、入札や不祥事対応のみならず、市の未来を左右する大規模プロジェクトの意思決定プロセスにも深く浸透している。現在、弥富市が約46億円という巨額の公費を投じて推進しようとしている「JR・名鉄弥富駅自由通路及び橋上駅舎化事業」がその典型例である 。
交通インフラ整備における公共事業の妥当性を評価するための費用対効果分析(CBA)は、通常、利用者の移動距離短縮による客観的な時間短縮効果や、燃費向上等の経費節減効果を経済的価値に換算して算出される。しかし、弥富市はこの事業において、そのような客観的なデータに基づく算定を放棄し、代わりに「仮想市場法(CVM)」という手法を極めて恣意的に用いて「B/C(費用に対する便益の比率)= 1.7」という数値を人為的に創出している 。
このCVMに基づく市民アンケートの設問設計には、明白な誘導(アンカリング効果)が仕掛けられていると指摘されている。具体的には、「この事業のために1人1ヶ月あたり1万円負担できるか」といった非現実的で極端に高額な選択肢をあえて提示することで、回答者の心理を操作し、中間層である「500円」の負担を安く見せかけ、そこへ回答を誘導するという悪質な手法が採られている 。50年間の維持管理費を含めれば1人当たり実質30万円にも上る将来負担を、巧妙に隠蔽しているのである 。
何より致命的なのは、この誘導的なアンケートにおいてすら、回答者の過半数(53.3%)が負担額として「0円(支払う意思はない)」を選択しているという事実である 。民主主義の原則に従えば、過半数の市民が財政負担を明確に拒否している以上、事業の抜本的な見直しや白紙撤回が不可避である。しかし弥富市当局は、この圧倒的な民意(最多回答)を完全に黙殺し、2番目に多かった「500円(24.3%)」という行政にとって都合の良い数値のみをベースにして、「費用を上回る効果がある」と強弁し、事業を強行しようとしている 。
入札における予定価格の意図的な漏洩、事務処理ミスの組織的隠蔽、そして大規模事業における恣意的なデータ操作と圧倒的な民意の黙殺。これら一連の事象は、決して独立した個別の問題ではない。弥富市という地方自治体の行政組織全体が、市民の利益や民主的統制の枠組みから完全に脱落し、一部の権力層や特定業者という「内輪の利害関係者」の論理だけで動いているという「構造的腐敗」の明白な証明なのである 。
第6章:真の真相究明と抜本的改革に向けた具体的な制度設計
今回の事件を、捜査機関の介入に伴う一過性の騒動や、「一介の建設部長の個人的な逸脱行為」として形式的な処分だけで幕引きにすることは、弥富市の将来に対する取り返しのつかない裏切り行為となる。失われた市民からの信頼を回復し、市政を正常化するためには、行政の外部からのメスによる聖域なき徹底的な解剖と、組織の根本原理(OS)そのものを刷新する抜本的な改革が不可避である 。具体的には、以下の4つの柱に基づく改革を速やかに実行しなければならない。
1. 独立性が担保された「最強硬度の第三者委員会」の設置
市当局は事件発覚後、原因究明のための第三者委員会の設置を表明することが予想されるが、それが行政側の意に沿った結論を導き出すための単なる「ガス抜き」や「お手盛り調査」に終わることは絶対に避けなければならない。真の真相究明には、以下の厳格な基準を満たす「最強硬度」の委員会運営が不可欠である 。
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完全な独立性の担保と外部推薦の徹底:弥富市と現在顧問契約を結んでいる弁護士や、過去に市から何らかの有償業務を受託したことのある有識者は、利益相反の観点から委員から完全に排除しなければならない。愛知県弁護士会などの公的な外部機関に対して直接候補者の推薦を依頼し、弥富市の行政および地元業界との癒着関係や利害関係が一切存在しない人物のみで委員会を構成すべきである 。
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「数字のプロフェッショナル」の登用:現代の官製談合の手口は極めて巧妙化・複雑化している。法律論だけでなく、元会計検査院の調査官や公認会計士など、財務と積算の専門家を委員として登用し、過去の入札データや積算内訳書に潜む統計的な異常値や不自然な符合を科学的かつ客観的に見抜く体制を整える必要がある 。
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徹底した情報公開と市民監視:調査のプロセスは、市民に対して完全にフルオープンとされるべきである。委員会の会議は原則としてYouTube等を通じてライブ配信を実施し、誰がどのような意見を述べたかが詳細に追跡できる発言録(議事録)を市ホームページで即時公開すること。密室での妥協や、行政側への忖度による隠蔽を構造的に防ぐ仕組みが必須である 。
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歴代三役の「管理者責任」の徹底追及:最も重要な点として、委員会の調査対象を実行犯である逮捕された建設部長個人の行動に限定してはならない。長年にわたり異常な高落札率(99%等)や競争を阻害する指名競争入札を放置し続け、職員に対するコンプライアンス教育を決定的に怠ってきた歴代の市長・副市長の「管理監督責任(善管注意義務違反)」の有無とその程度を明確に認定することを、委員会の最重要ミッションの一つとして明記すべきである 。
2. 「和歌山方式」に基づく違約金(損害金)の徹底回収
官製談合によって失われた市民の血税は、刑事罰とは別に、民事的なアプローチによって徹底的に回収されなければならない。この点において、過去に和歌山県で発生した大規模談合事件における損害金回収手法、いわゆる「和歌山方式」は、弥富市が直ちに行使すべき極めて有効な参照モデルである 。
公共工事の請負契約約款には通常、受注者が独占禁止法違反や競売入札妨害等の不正行為を行った場合、契約金額の一定割合(一般的には10%から20%)を「違約金(損害賠償額の予定)」として発注者(市)に支払う義務が明記されている。弥富市は、今回の事件で起訴された工事案件のみならず、過去に遡って落札率が不自然に高止まりしている疑わしい案件をすべて洗い出し、談合によって吊り上げられた不当な超過利得を「市の損害」として正確に算定した上で、関与した全企業に対して契約約款に基づく違約金の支払いを非情なまでに厳格に請求すべきである。この経済的な制裁措置を断行しない限り、「バレても大した損はしない」という業者側のモラルハザードを断ち切ることはできない 。
3. 名古屋市に準拠した厳格な「職員倫理規則」の制定
弥富市役所内部のコンプライアンス意識の著しい欠如を是正するための制度的アプローチとして、隣接する政令指定都市である名古屋市が現在運用している、極めて厳格な「職員倫理規則」の即時導入が急務である 。
名古屋市は過去に経験した深刻な汚職事件を痛烈な教訓とし、職員が公共事業の入札参加業者などの「利害関係者」と接触することに対して、極めて厳格な制限を課す「鉄の掟」とも呼べる倫理規定を構築している 。例えば、利害関係者との飲食の共有、ゴルフや旅行などの遊興の共にする行為は当然のこととして、勤務時間外における私的な面会や電話連絡に至るまで詳細な行動規範が明文化されており、これにわずかでも違反した場合には降格や免職を含む厳しい懲戒処分の対象となる。
弥富市においても、「金品を直接受け取らなければ倫理的に問題ない」という旧態依然とした腐敗の温床となる意識を完全に払拭するため、公務員倫理規程を根底から改定する必要がある。利害関係者とのあらゆる接触の記録を義務付け、その情報を透明化するとともに、首長から末端の職員に至るまで、全職員に対する定期的な倫理・コンプライアンス研修の受講を絶対的な義務とする制度を直ちに立ち上げなければならない 。
4. 入札制度の抜本的改革:指名競争の廃止と予定価格の事前公表
最後に、構造的腐敗の最大の温床となっている弥富市の入札制度そのものに対する大手術が不可避である。
第一の改革は、競争原理が全く機能せず、特定の地元業者を過剰に優遇し、意欲ある企業の成長を阻害する機能しか果たしていない現在の「指名競争入札」を原則として完全に廃止し、客観的な参加資格さえ満たせば全国のあらゆる企業が参入できる「一般競争入札」へと全面的に移行することである 。
第二の、そして最も重要な改革は、これまでブラックボックスとして機能し、暗号キーを持つ者だけを勝たせてきた「予定価格の非公表」制度の撤廃である。一定規模以上(例えば数千万円以上)の公共工事においては、例外なく「予定価格の事前公表」へ移行することを強く提言する。予定価格をあらかじめ白日の下に晒せば、一部の癒着業者が裏ルートから情報を入手して不当な優位に立つという「情報の非対称性」そのものが消滅する。
もちろん、予定価格の事前公表制度には、多くの企業が予定価格と同額で入札し、最終的に「くじ引き」で落札者が決まる確率が高まるという別の弊害が存在することも事実である。しかし、現状の弥富市のように「一部の業者が不正に情報を得て、落札率99%での固定化が常態化している」という明白な犯罪的異常事態を解消し、不正の余地を完全に排除するためには、当面の間は「透明性と公平性の絶対的な確保」を最優先とする制度設計への転換が不可避である。入札制度は、一部の業者の利益を保護するためのものではなく、市民の血税を最も効率的かつ公正に使用するためのシステムであることを、弥富市は再認識しなければならない。
結論:市民の信頼回復に向けた行政の再構築
弥富市における今回の官製談合事件は、予定価格の非公表という制度的な死角を極めて悪質に利用し、市民の正当な利益と血税を犠牲にしながら、一部の特定の建設業者を不当に優遇してきた「行政の構造的腐敗」が、とうとう臨界点に達して露呈したものである。この深刻な問題の根底には、長年にわたり培われてきた行政と業界の癒着の構造、統計的に明らかに異常な落札率の連続を意図的に見過ごしてきた麻痺した内部チェック機能、そして不祥事のたびに責任を現場に押し付けて逃避を図る行政トップの致命的なガバナンス不全が存在している。
行政が一度失った市民からの信頼を取り戻すための道程は、想像を絶するほどに険しい。しかし、この最大の危機を「組織のOS(基本原則)のアップデート」に向けた最後の契機としなければ、弥富市という地方自治体に未来はない 。
弁護士会が主導する完全に独立した第三者委員会による聖域なき徹底的な真相究明、和歌山方式に基づく違約金による不当利得の冷徹な回収、名古屋市並みの「鉄の掟」を伴う厳格な職員倫理規則の制定、そして予定価格の事前公表を含む、完全に透明化された入札制度への抜本的転換。これらすべての改革を一切の妥協なく断行し、同時に、これまでの腐敗を黙認してきた首長をはじめとする行政トップの厳格な責任を問うことこそが、弥富市に巣食う腐敗の連鎖を断ち切り、真の意味で市民のための健全な地方自治を取り戻すための唯一の処方箋である。市民の厳しい監視の目と、法に基づく適正な処罰、そして揺るぎない制度改革の意志だけが、この「ガラスの扉」を完全に打ち砕くことができるのである。
